汗が、汗が止まらなくなる。
—この男は気づいた者達の集団だと言った。ならばどうやって『ここまで来た』?この男は末端なのか?いや待て、末端で『佐官以上』だと言うのか?
マイケルの、いやエッカルトの中で思考が乱立する。
「そう邪険になさらず。ショーを楽しみましょーよ。なんてね。」
鉄血の言葉のままおどけてみせる。エッカルト自身が散々振舞っていた陽気な狂気の末恐ろしさで喉が一瞬で乾く。
他のVIP達の前で白衣の科学者が布を被された『それ』を露出させる。海色の不定形のそれはエッカルトが良く知る物であった。
白衣の科学者が敬礼した後でマイクを通して声を出す。
「『今回提供されたのは』メンタルキューブと呼ばれる物質です!これは……」
そんな知っている情報よりもエッカルトは隣の男だ。
ロイヤルの何かしらの集団が気づいた。これは分かる。自分でも気づいたのだ。
だが、『行動を起こさなかった』理由は何だ?何故無意味だと気づいた?
エッカルトは寧海から貰った言葉を思い出す。
—分かっている事は、セイレーンは世界大戦と呼ばれる程の規模のあった戦争の『時間に』しがみついているのよ。だから『その手前』に干渉するのも何かしら狙いがあるのだけれど……答えが出ないのよね。
これを知っているのは四人。今は恐らく店で食事を作っている頑丈そうな男と寧海とエッカルト、そして亡くなった老婆。
情報が漏れた可能性はない。はずだと信じるしかない。
「答えが出ませんか?エッカルト博士。」
どきりと心臓が跳ねる。目の前の海色の不定形よりも何十倍も心を驚かせる男の発言に冷や汗が止まらない。首に、そうピエロにナイフを突き付けられているような感触だ。
「『我々』が気づけたのは貴方が関わっていた計画からです。『我々』は貴方をスカウトするつもりだったんですよ?ですが貴方は貴方で自分の首を絞めてしまった。当時のウチの上司が頭を悩ませてましたよ。そしてドロンと消えてしまった。」
エッカルトにとって一番嫌な言葉だった。あの頃の自分はもう後は殺されるか消されるか、どちらも怪しいと思う程に追い込まれていた。
もう逃げるしか道は無かった。そう思えるほどに、だが、それが答えに辿り着かれる原因とは、己の不甲斐なさに、浅慮に、顎が強ばり歯が軋む。
「追いかけるのにはそれはもう苦労したそうです。僕は途中の仕事でしたからね。今回私は『我々』の末端として、代理人として伺わせて貰っています。ですが、『書類上のみの私』しか知りませんから、実質、私が誰かも分かってませんよ皆さんは。」
つまりこの男の言葉を真に受けると佐官以上ないしVIPに『すり替える』事が出来るレベルの集団。
工作技術に長け、情報を集め、尚且つ秘密裏動ける組織。
その印象にエッカルトの口が開く。
「仮に名前を付けるのなら、君達はシークレットサービスとでも呼べば良いのかね?」
震える声でそれだけが出る。その言葉に男がにんまりとした笑顔をエッカルトに見せた。
「良い名前ですね。シークレットサービス。カッコイイなぁ。」
口笛でも吹きたそうな顔だ。余程気に入ったのだろう。
「本題に入りましょうか。エッカルト博士、貴方達の動きは理解できました。『出来ているんです』。ですが間違いなく更に札を隠している。」
エッカルトはただ黙って話を聞く。こいつは敵ではない。だが邪魔になる可能性がある。だが、それでも、大っぴらに殺すわけにはいかないと理性が訴え、本能が今すぐ消せと告げる。
「その札、『我々』も噛ませてください。」
やはりか。
エッカルトはもう推測できる。『彼等』が欲しいのは、
「大義がね、欲しいのですよ。『我々』とロイヤルに。」
男の笑顔が酷く酷く、まるでピエロの口紅の様に裂けた笑顔だった。
「大丈夫、バックストーリーを我々で辻褄合わせれば良いのです。そうすれば貴方は正義の告発者。『我々』はそれを聞き届けた唯一無二の正義。」
断れば、その言葉は出ない。断るルートすら『封じられている』可能性が高い。
今にして思えばと1つ気づけた。
自分の演説込みとはいえ、その次の年に新入社員が五倍?
馬鹿げている。彼等はデカくしすぎたのだ。
帝龍という会社に恐らくスパイが大量に潜り込んでいる。だが誰かは分からない。
あえて、あえて悪を上げるのなら、ある男の言葉を借りるなら正義の反対は慈悲、寛容であるという。
ならばエッカルトを含めた4人の失敗という悪は正しくそれだ。
パフォーマンスとはいえ、有言実行が過ぎたのだ。だがイメージダウンは出来ない。
つまり、とどを詰めるのなら、ミューズカバーという車を作った時点で失敗していたのだ。
長考に更けていると男が察したのか囁く。
「あぁ、断わるなんて考えないでくださいね。あの少年『どうなってしまうか』分からないですから。」
こちらの調査班にも潜られている。目を張りながら怒りを露わにしていると男は穏やかな笑みを作る。
「大丈夫ですよ。貴方の所の『特別品』の制作、開発が遅れているのでしょう?こちらで早めてみせますよ?それが『我々』と組む事のメリットです。」
満足そうに提案するが、この男の提案を呑むという事はエッカルト達の前提が崩れかねない。
だが、それでも呑まなければならない。その上でこの最低ラインだけは認めさせなければならなかった。
「一つだけ、約束しろ。」
「なんでしょう?」
目の前の白衣の研究者の説明も最早ただのBGMだ。
そんな事よりも両人、隣人との会話が止められない。
「あの子達が有利になるストーリーを組み立てろ。どうあってもあの子達への信頼を前提としろ。こちらの要求はそれだけだ。」
要求。これは果たしてその言葉の意味するところなのだろうか。
だが、それを聞いて満足そうに頷き、
「ではショーを見ていきましょー。マイケル社長。」
男は別段興味もないショーをくだらなそうに見ていた。
画期的なエネルギー、水と糖分さえ与え、電力を流せば中性子も超える発電量を持つ。
そう研究員が話した時だった。目の前の海色の箱に変化が起こった。まるで生きてるかのように脈動を、鼓動を、否、産声を上げたのだ。
箱の数42、それ等が2m満たない、果ては幼女と分類出来るほどの命に変化した際、誰も彼も、スタッフすらも目を疑った。
その中のロイヤル系の衣装を着こなした麗人が口を開いた。
「我々は動力学的人工海上作戦機構・自立行動型伝承接続端子、略称は『艦船』、この世界の守護をそして貴方達が崇める悪魔を打ち払う剣です。」
たった2人を除き、そしてたった独りはそれを知ってか知らずかタイミングが良かった。
このフロアの奥壁が破裂した。
「全機!今は人間に構うな!!」
衝撃と爆撃の後に少女の声が響いた。噴煙から響く少女の声に箱から産まれた42人と1人は覚えがあった。
「『定例通り』なら来るぞ!海に出ろ!」
「ですが……!」
それに反するように名乗りを上げた麗人の声が響く。それもすぐに制するように少女の声がかき消した。
「フッド!ここでどうたらやったって何の意味もない!身の証は!ここからやるんだ!!」
「何だお前らは!?」
誰かの声がようやく出る。正体も『提供された』物でもない二重の意味で問うているのだろうか。
「フッド!これが人間だ!どうせ名乗ったんだろ!?だがそんな事しても恩恵の荷に私達は負けている!だから今は戦え!前線指揮官は私だ!」
「何を……!?」
「分かりました。寧海、今は貴方を……」
誰かの困惑を置き去りした会話に麗人が答えるが、それも否定された。
「違う!信じるのは私じゃない!『私達』だ!!」
その心に宿る絆に嘘をつかず、少女は答える。
それと同時だった。部屋に設置された全てのPCディスプレイからエッカルト以外が良く知る女の顔が映し出された。
「今、この時を以て、基本試験を始めましょう。人間、栄養は与えたわ。ここからはお前達の足掻き次第よ。さぁ、『神様』が『試練』をしてあげる。耐えられないというのなら死になさい。」
その言葉と同時に爆撃音が響く。開幕の合図のように、それと共に何人かのご老体が半狂乱のよう何かを叫び始めた。
裏切られた事の否定か、それともこれが現実では無い事への逃避か。
そんな事は知らず存ぜぬと42人が破壊された空洞から外へと駆ける。
銃撃音は止まず、少女達の走る音は掻き消される。
だが容赦の無い銃撃は勢いを殺す事も出来ない。
発砲音に上書きされているが着弾音も衝撃の振動もゼロに等しかった。
全てぴたりと張り付いてはぽろりとこぼれ落ちて無意味である。
そうして、海面が見えたの同時だった。
「レーダーに感アリ!南西35に軽巡、重巡、航空、混成45!」
青髪の少女が叫ぶ。それと同時に43人が海に飛び込む。
それと同時だった。青髪の少女の口にした方向から一瞬の煌めきが見えた。
「プリンツ!ノーフォーク!シールド!!」
寧海の咄嗟の言葉に、赤ずきんを被った少女と銀髪の女性に紫電が纏う。それと同じくして少女達の眼前で衝撃が迸った。
凡そ人間では視認することすら不可能である速度で砲弾が撃ち込まれたのだ。
そして着弾衝撃から敵を即様推察する。
「ナビゲーター!…主力艦隊相手を頼む!」
「貴方は!?」
麗人の言葉にニカっと笑った寧海を含む43人が海に『足を付けた』。
「私が軽巡と航空を殺る!駆逐、巡洋は主力の直衛を!」
その言葉は42人にとって理解し難いものだった。
それを可能とするのは恐らく、
「大丈夫、自爆なんてしないわよ。でもね、『私だけ』の方が強くなれるの。…全機!構え!」
その言葉に42人の四肢にとても似合わない武装が顕現した。
もう一度彼方からの煌めきを見て、寧海が低く、低く、構え、駆け抜けた。
音速を超えた砲撃と交差するように寧海の躯体は疾走した。
それは42人からしたらとても現実の出来事とは思えないだろう。
軽巡という分類に当てはまりながら、それは超加速、最高速を売りにしている駆逐のそれだ。
「あの娘、何をしたのよ!?」
着弾の衝撃の最中、誰かが思わず心のままに叫んだ。
それはまるで肉体を改造したかのようだった。
だが、その認識は正しくも違えている。
寧海は母と自分の身体への理解と模索に1週間を費やし、形を成し、ひたすら研鑽を積み上げた。
(ありがとう、母さん。強くなれたよ……でも、)
そう、強くなっただけではダメなのだ。母と呼び居場所をくれた老婆との約束は、『ここから』という40年の研鑽の後なのだ。
チェイサー型と呼ばれる右腕に中距離砲を携えた青白い髪の同じ顔の女が寧海の加速に気づいたのだろう。紡錘陣形を組み寧海の突撃を止めようと15機が立ち塞がる。
だが—
「そこを!どけぇっ!!」
寧海の躯体は更に加速した。倍近い加速にチェイサー型が認識する前に虚空に吹き飛ばされ、宙を舞う。
寧海の狙いは宣言通りではない。相手は小物ではない。重巡と呼ばれる長距離砲を携えた存在でもない。航空という最も恐ろしい敵でもない。
狙いは『陣形』そのものだ。
その加速に追従しようと重巡と航空が副砲を寧海に向ける。
だが、これを『真横』に加速して躱した。
「?!?!!!?」
完全に捉えたと自負しても良かった。認識も改めた。だが足りない、それでもまだ彼女を追い込むには理解が足りない。
消えた様に駆け抜ける寧海を再度捉える。陣形を立て直し、タイミングは理解した。これで撃ち抜ける。終わりだ。
距離5、オーバーターンした『正面にいる』寧海がどこへ向かっても30の副砲が足を破壊する。その機動力を封じれば勝ちだ。
そう、それが本当に『寧海』なら、勝利は免れなかった。
—全武装ロック確認、ジェネレーターフルドライブ
「轟け!龍!体!」
1つだけ、この哀れな敵達が認識しなければならない事があった。
それは、『寧海だけ』が何一つ武装をしていない事だった。43人中42人しか装備をしていない。
『最初から彼女は無手であった』。
その腕はまるで弓を弾くように、弦を伸ばすように、引き絞り、言霊を吠えた。
「激!震!!」
寧海の全力疾走を完全に殺そうとするほどのブレーキがかかる。全力の推進、加速に使われたフィールドの行き場が無くなり寧海の体、リュウコツと呼ばれる基幹を中心に暴れ狂う。
それと同時だった。彼女が肩まで引っ込めた右腕を前に突き出す。
同じくして副砲が今彼女を食い破らんと殺到し、だがそれを上回る激龍(流)が爆ぜる。
—ゴオォォッ!!
その拳はまるで龍の咆哮だった。空気は裂け、海は割れ、雲は逃げる様にその道を明け渡した。
MC粒子を取り込んだ弾丸が全て音も立てる事無く蒸発し、拳を打ち出した方向に居た敵も焼け焦げる様な音を立てて身体に穴を空けていた。
その現実に事実に思考を捨て、持っている武装で寧海を捉え、ひたすら撃とうするが、
最初に向き合っていた艦隊からの砲撃と爆撃に呑まれる。
ここでようやく彼女は腕と足にその武器を出現させ吼えた。
「全弾!!持ってけぇ!!」
両の腕より火砲が、脚より魚雷が体勢を崩した混成艦隊を殲滅せしめんと爆ぜる。
爆発から何機がか退避するように動くが、その速度は先の彼女の動きから言わせれば
「蝿が止まるっての!!」
その胸部を左腕で貫き、そのまま別の個体の胴を貫き、即席の『盾』を作りながら残存戦力を余すことなく潰した。
後方から支援していた42人が追いつく。
それと同時に盾にしていた戦闘人形から何かを引きちぎり投げ渡した。
「弾薬、補給しときなさいよ。こっから嫌な持久戦だから。」
少しばかり刺激の強い内容物だが、納得すると消費したであろうそれを何人かが呑み込む。
「ルートを出すわ、そこに補給を設置させてる。」
ブン、と寧海の目の前にこの周辺の海域が投影される。幾つかの点が彼女の言う補給地点なのだろう。
だが、そんな事よりも42人は聞かずにはいられなかった。
「寧海、先程の戦闘、アレは……」
「あー……」
がしがしと頭を掻きながら補給ルートを転送して彼女は口を開く。
寧海が母に教わった事があった。
それは弾丸も防ぐという『膜』の使い方を改めるというものだった。
ある日、地下の血生臭い部屋で寧海の動きを確認していた時だった。
母、老婆曰く、寧海の動きは攻撃に重視し過ぎている。という苦言を貰った。
思わず老婆から溜め息がこぼれた。
「アンタね、武術の基礎のキは何だい?」
「えっと、負けない心!」
その言葉に老婆が寧海の頭に手刀を入れる。
「それは姿勢だ。武術の基礎は守りだよ。全部守りに繋がる。武芸者用の食事だってそうだ、どこまで恨詰めても死を防ぐという守りが先に来る。」
「そ、それがどうしたって言うのよ!?」
思わず『膜』を貼り忘れてたのか直撃を受けてぷすぷすと音を立てている頭の痛みに思わず叫ぶ。
「バッシュ、タックル、スマイト。」
老婆の呟く様に出た言葉に少女は首を傾げる。
「ようはその『膜』は盾なんだろ?だったらそれを何で強くして守り、それを時には武器にしない?ワンアクション以下であるなら武器にするぐらい安い話だ。」
それに寧海が目を張った。これをそういう風に使う事は彼女自身でも考えつかなかった。いや、こんな野蛮な思考は普通の軍属でも持たない。
「それを脚に、腕に、身体のありとあらゆる所に瞬間的に発動できるようにしな。時に加速を、時に投げつけるようにね。」
「で、でもね?母さん?一応こんなんでも人体構造学上そんな事したら……」
「再生するんだろう?」
—ぐ。
と痛い所を突かれた。だがそんな顔をしていると溜め息を吐かれる。情けないとでも言いたいのだろうかと身構えれば、
「良いかい?再生するって事はより頑丈な身体を作る要素があれば、昨日を上回る肉体が完成されるって話なんだよ?」
「?」
何を言ってるか分からない。そう思っていると下ってくる足音が響く。
「特別メニューお待ちどうさまー」
頑丈そうな男が右手に皿を持って陽気に挨拶する。
その皿には寧海が『これまでの歴史』では食べた事が無いような見目美しく、食欲の唆る鮮やかな料理が現れた。
ずびりと少女の口から涎が溢れると、老婆が懐かしむように説明する。
「アタシがガキの頃喰ってた肉体改造用の食い物だ。都合併せて16品ある。これを三食しっかり毎日味わいな。『当主を造る為の料理』。アンタにだって効果はあるはずだよ。」
その言葉がどういう意味か即時理解する。
しょんぼりとした顔で頷くと、老婆はまた溜め息を吐く。
「アタシが居なくなってからも欠かすんじゃないよ。それとアンタが何かを思い付いたらすぐに実践。やれる事を全部やるつもりでやりな」
寧海の頭を撫でながら優しく諭すと。その頭に小さくキスをする。
「うん。頑張る……」
顔を真っ赤にしながら、それだけ少女は答えた。
「つまり?40年修行してたってだけであんな動きができるようになったって言うの?」
銀髪の女性が呆れ返ったように言うと、寧海はふふんと鼻を鳴らす。
「それだけじゃないわ、『私達自身』が気遣えなかった部分も見直したお陰でより高い次元の戦闘も可能となったのよ。」
「高い次元って?あのパンチ?」
「多分だけど、あれは私だけのモノよ。それに凄い疲れるしね。今日は後1発が限度でしょうね。」
そう言いながら、右腕を見る。損傷、いや、損壊が激しい。出血こそしていないが、皹のように大量に走る亀裂が痛々しい。
そもそも防御、巡航、推進用に使う斥力フィールドをトップギアに持ち込み、その上で強制ブレーキをかけることにより行き場を失い弾け飛ぶ程に膨れ上がったフィールドの流れを無理矢理腕から放っただけという荒業だ。
販売こそ15年前からだが寧海はプロテイン、龍体激震を25年服用している。それによりただでさえ高い筋及び骨密度を爆発的に上昇させる事に成功した。
だが、それでも耐えうるだけの肉体を維持はできていない。
その成分は市販品と比較すればデタラメな数値と配合をされている。製品販売をするのにこれは『人間用とは思えない』仕様だ。平たく言えば吸収分解が可能ならば即効性の筋肉の回復を可能とするものだが、まだ彼女には足りない。
そして、この腕の状態になった以上、回復は優先。補給用品にも仕込んである自分用に調整されたそれを摂取しなければ次の1発で腕が完全に吹き飛ぶ。そうすれば1週間は隻腕は免れない。
「ヘレナ、周辺及び遠方海域にも戦闘形跡は確認出来ない?」
「はい。そういったデータはありません。」
寧海が補給ルートに向かっているがそれでも『出現』が有り得るのならそちらに向かわなければいけない。
その言葉を聞くとほっ、と息を吐くが同時に怖気が走った。
「待て、何だ?何故ここで手を止める?」
寧海が呟きながら歩を止める。それを中心に42人も話に加わる。
「アンタの性能に驚かされた?」
誰かが楽観視するがすぐさま否定した。
「違う。アイツらは私達が持久戦が得意じゃない事を知ってる。私の手札を見ても撤退しないで撃ってきたのがその証拠よ。」
—何だ?何を見落としている。何を、何かを、見落としている?
違う。違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う。
見落としているんじゃない。
「アイツら、何て言ってた?」
寧海は誰に聞くでもなく言葉を漏らした。
そうだ。
アイツらは、セイレーンは一言も艦船を相手にしていない。
「ヘレナ!!『レーダーの向きが違う』!!海域じゃない!!奴らの狙いは!!」
寧海の叫びを嘲笑うように、
まだ水平線と言うには近い陸で光が爆ぜた。
—カルフォルニア州、州都サクラメント
誰が予想したであろうか、ユニオンという合衆国が個人クラスの存在に頭を垂れ、その恩恵をまるで餌を喰らう家畜の様に振舞っていた等と言う事は。
恐らく、このサクラメントでそんな事を考えてた人間は一人もいない。
否、果たしてもう居るのだろうか。この燃やし尽くされ灰燼となった都市に人間という生き物が。
火、炎、焔、業火、紅蓮、獄炎、爆炎、硝煙、焦土。
どこを見渡しても焼け焦げ、どこを見渡しても炎が広がり、隅から隅まで炭となっている。
駆け付けた43人が夕暮れと同化するように燃える州都を見渡し、何人かが立つ力を失い、膝を着く。そんな中、
「寧海!」
責めるような怒号を金髪の騎士とも呼べるような女性が制した。
「これを彼女1人の責任にするな。彼女は私達が『猫』にならないように努力した。だが相手が1枚上手だった。それだけだ。」
そう言いながらもその白い手袋が己が血で朱に染まるのを止められない。
セイレーンはどんなに足掻いたって1枚上手だ。
いや、そもそも彼女達『艦船』が幾つもの足枷がある事が絶対的に不利である。
だが、だとしても、いや、これが現実だというのなら。
「他の沿岸部、サクラメントだけじゃない。部隊を幾許か割く必要が……」
「ありませんよ、そんな必要。」
遮るように男の声が響いた。
—誰だ。否、その前に『男の声』?
そう思い、音の方向に身体を向けると二人の男が居た。片方は誰も知らない。だがもう片方は寧海が良く知る人物であった。
「マイ、ケル?」
サングラスで目は見えないが表情はかなり険しいものだ。何があった。いや『何故こんなところにいる』のだ。そう心が疑問の声を上げる。
「沿岸部周辺の都に限らず市街、港からは1度全員避難してもらいました。ここも空っぽの市街ですよ。」
その言葉に42人が喜びの声を上げる。
だが彼女だけは違った。鬼気迫る表情でこの不可解な現実も含めて静かに問うた。
「誰だお前は……!」
その言葉を聞くと、まるで待ってました。と言わんばかりに男は嬉しそうに、まるで覚えたての芸を見せるピエロのように叫んだ。
「ダメですよ!お行儀良くしてちゃ!!戦争ってのはもっとエキサイティングにやらないと!!」
その言葉にマイケルが悪態を付き、寧海の表情から血の気が根こそぎ失われた。
「お、お、おまえは……」
「15、いや16年前は調子に乗らせてもらいました。お陰でまさかロイヤル政府に買われるなんて、ねぇ?帝龍カンパニー社長様?」
忘れる訳もない。暴走車輌のCMでバッシングを受け、家に火を付けられた俳優。レオン・ジーと呼ばれた男だということを。
軍用車両内部、ミューズカバーのノウハウが使われていない車両だからだろうか少しばかり座り心地が落ち着かない寧海とマイケルを前にレオンは笑っていた。
マイケルはここまでの経緯を寧海に端的に説明し、険しい顔をしながらもその言葉を飲み込んだ。
正面に大事故に少なからず関わっている男が居る。記憶の奥底を思い出すとレオン・ジーという男はかなりの売れっ子であった。
というよりも持ち前の派手さを売りにしている印象がある。だが目の前の男は高級そうなスーツを着ているがどこか地味だ。
(シークレットサービス、『実際に存在する』ロイヤル諜報機関。私達の手を読んだというが……)
寧海がそこまで考えると自分達の手を幾つも潰されている事と同時に助けられた事で恩を買われている事にも歯痒さが残る。
「『我々』は『貴方達を生み出した』というストーリーで行かせてもらいます。貴方達は我々の尽力によってメンタルキューブから貴方達を発露させる事に成功した。そして、貴方達は産みの親に逆らう事が出来ない設定。こうですね。これが『一番しっくりくる』。」
独り言ちるそれに反吐を吐きそうになる。
「手柄は全部ロイヤル側?」
寧海の表情が険しくなる。後から幾らでも筋書きを変えるのだろう。それほどまでに今は混乱の渦だ。
その上でハッキリさせなければならない事がある。
艦船をどう扱うか、どう向き合うか。
寧海の『知る限り』これが最も重要な部分だ。
最大で3年、最低で1年、セイレーンに蹂躙される時間を設けてしまう。
「『我々』は貴方達を評価してますよ。僅か1代で資金こそあれど、あれだけの仕事をこなした会社はありませんからね。特にミューズカバー。龍体激震。この二つは正直凄まじいですね。違法性が一切無いのにあれだけのシロモノ、とてもじゃないが無理ですね。」
「当たり前でしょ?主眼に置いてる部分が違うわ。赤字覚悟で売ってるような物よ。」
素っ気なく返す。事実、ミューズカバーはリミッターもそうだが一つ造るのに時間のかかり方、今現在乗っている軍用車両よりも遥かに長い。後者のプロテインに至っては寧海に言わせれば単調的な物ではないらしく生産コストを極限まで落としたがそれでも子供のお小遣いで買えるものではなくなっていた。
だが、だからと言って評価されている事に態度が出ている訳では無い。目の前の男が気に入らないのだ。
「ははは、何だか私嫌われてますね。」
「は?ふざけないでくれるかしら?」
寧海の表情が怒りで歪む。
「如何にも嫌ってますオーラ出しといて被害者ヅラ?アンタCMで見た時から気に入らなかったのよね。燃やされた家の原型も『そう』。自信過剰で利己的で、しかもアンタ真っ先に事故が起きて逃げたでしょ?狡猾、いいえ、陰険だわ。」
寧海がこの40年間で覚えた事がある。劉という料理人の目利きだ。大量の覚え書きを見せてその上でその人間がどう言った過去が、目的が、心構えを読み取るという技術だ。
特に覚えさせられたのは悪人と呼ばれる者達の顔だった。
細かく言うとキリがないが、この男、レオンからは途轍もなく悪意を感じる。はっきりとは言えないが覚えた知識が全て叫んでいる。悪だと。
「僕が被害者ヅラしてるなんて、酷いなぁ。」
だがレオンは笑って寧海の言葉に返答する。
—『だって事実じゃないですか?』
その予想しない言葉にマイケルも寧海も耳を疑った。
「だって元を正せばミューズカバーのCMに僕を使わなかった事が始まりなんですよ?」
2人は目を張った。この男が何を言っているのか、何を口にしてるのか、理解が出来ずに一つずつその疑問を解くしかなかった。
いや、そもそも募集していたのか。だとしたら言わねばならない事がある。
「良い?あのCMで募集した人材は初老過ぎを……」
「でも僕の方がもっと映りが良いんですよ!?」
寧海は言葉を遮られた挙句に何を語り出してるのか本当に理解出来ずにいた。
「良いですか!?僕はあれでも20代で売れっ子で!スーパースターになる才能があったんですよ!?それを商品イメージに沿わない!?何ですかそのふざけた理由は!?」
今更ほじくり返して、何だこの言い分は。
目の前の男は本当に40代を超えるのか、どうしたらそんな発言ができるのか。
だが男の言葉は続く。
「だから貴方達を見返す為にあのクソ会社で派手に宣伝してあげたんですよ!僕も乗りたくもない車で宣伝し回りましたよ!?」
狂乱。その一言に尽きる様なザマだ。
幼く言えば子供の駄々だ。だが、これは……
「その上で沢山改造が出来ることも言いましたよ!?だって皆大好きでしょ!?自分だけのオリジナティ溢れる最高のマシン!!でも責任は自分のモノでしょ!?それを……まるで僕が悪いみたいに!!指差しやがって!!会社も悪くないみたいな事言いやがって!!僕がいたから売れたのに!いないくなったからって!家を燃やして!!20万ドルしたんだぞ!?僕は宣伝しただけだ!!自由を!解放感を!!それなのに!どいつもこいつも!!何で僕が謝らなきゃいけないんだよ!!僕はスーパースターなんだぞ!!」
地団駄を混ぜながら堰を切ったように吐き出された怒りに2人は目眩がする。この男は、これは、人間なのか?
そう困惑し、言葉が出ないでいるとレオンがマイケルを指差す。
「アンタもそうだ!!何が不幸を不幸のままにするなだ!!」
何時だったかの宣伝を思い出すように怒りを漏らす男に眉を顰める。
「アンタ僕を助けに来たか!?僕が雲隠れして探しに来たか!?何で来ないんだ!?僕が1番不幸じゃないか!!1番僕を助けるのが普通じゃないか!!だから僕がロイヤルで管なんか巻いて!あのクソッタレのジジイの下で働かなくちゃいけなくなったんだよ!!」
何て身の上話だ。自分が助かる為に逃げた男を探し出して助けろというのか。
それに誰も酔っ払ってくれなんて頼んでもいないだろう。だがそれも誰かのせいにしなければとても平静ではいられなかったのだろう。
頭痛ではない、もう脳に異常が起こりそうな発言に2人が顔をしかめる。
「ふーっ!ふーっ!ふーっ!」
まるで猛獣のように息を吐くとレオンは自分の顔を優しく揉んで先程までの風体を現す。
「失礼。私事は持ち込んだりしませんよ。ですけどね、貴方達がもしこちらストーリーに沿わないというのなら3人、いや4人程酷い目にあって貰います。」
やはりそれか。2人にとって4人の内2人は予想できる。
「まず1人、あの料理人。」
「是非とも殺してもらえるかしら?」
「死んでるところ見てみたいのう。」
レオンの言葉に率直な感想が出た。
「……なるほど、この人は手札にならないんですね。『わかりました』。」
にこにこと理解を始めるとスーツの胸ポケットから一枚の写真を取り出す。朝の少年の顔だ。
「次はこの子です。幾らでも手段は講じれますよ?」
その言葉に思わず寧海が頭を抱えて溜め息を吐く。勿論、「やれやれ。」という1句は忘れない。
「別にその子も殺していいわよ。困るのはアンタ達だから。こっちの儲けが取られるぐらいならどうぞ、殺してみせたら?」
この言葉はハッタリではない。どこを取っても事実なのだろう。その冷ややかな表情と声でレオンは理解する。
「そうですね。これは『良くない』ですね。じゃあ最後に……。」
レオンの横にあるカバンからごそっと取り出したそれに、ぎょっと体が強ばった。
「そうですね、この部門の人殺しちゃいましょうか。マンガ部門なんて居ても居なくても別に良いでしょう?」
それは、それが『何なのか』瞬時に理解出来た。
帝龍カンパニーに務める社員のリストだ。
マイケルがその様に言葉が出た。
「おい。」
「次はそうですねぇ、コーヒー栽培してる所ですね、あんな泥水作ってる奴なんて誰だって同じでしょう?」
「おい……。」
「その次はファッションですね。デザイン気に入らないんですよねぇ。あ、この子馬鹿ですね、入社一年目で志望動機が『少しでも貴社の力になれる様に誠心誠意頑張らせてもらいます。』ですって!馬鹿ですねぇ!?そんな理由で死ぬなんて!!」
「貴様!そんな、そんなくだらない理由で……!!」
思わず目の前の若造の首を締め上げる老人に、まるで辟易したような顔を作り、反論に出る。
「良いですか?僕達はこれから一丸になって戦争に勝つ必要がある。そうですよねぇ?それなのに貴方達が強い力で暴れ出したら困るでしょう?だからその為に犠牲が必要なんですよ?貴方達のやりたい事を邪魔したい訳じゃないですよ?貴方達に歩調を合わせて欲しいんですよ?でも貴方達はきっと抜け目ないでしょう?あの手やこの手で僕の居場所を奪うでしょう?16年前みたいに!」
まるで爬虫類のそれだった。ぎょろぎょろとした目。裂けた口。伸びる舌。
これは人間ではない。きっと別の何かだ。
言いも行動も、まるで人間ではない。
「それにね犠牲を出さずに戦争が終わるわけじゃないでしょう?」
楽しそうに何かを告げる。
「アンタ、さっきのどさくさで重桜と鉄血の『VIP共』殺したわね。」
その言葉に寧海が冷徹に解析する。同じ土俵に立つ訳にはいかない。ケダモノのそれに反応するわけにはいかない。
「ええ!殺しました!曲がりなりにもトップクラスです!理由も作りました!『彼等が言葉巧みにユニオン、そしてロイヤルを拐かそうとした』!これです!!この理由なら殺してしまっても別に文句なんか無いでしょう!?」
立ち上がり興奮するが車体の揺れで大人しく座るピエロを冷ややかな目で捉えた。
「あっそ。で、重桜、鉄血の上が混乱の中で前持って用意したストーリーをぶつけて悪者にして内ゲバやりたいって?」
「だってダメでしょう!?悪者が居ないと!!皆やる気が出ない!特にユニオンはガタガタですよ!自由と正義の国家ですからね!!」
「その為にウチの社員も殺して首に鈴を着けたいと?」
寧海は言葉だけじゃなく、息も、目も、血も、肉も、骨も、まるで全てが冷えているようだった。
「『私達』の言う事を聞いてくれるなら良いんですよ。誰も殺しゃあしませんよ。皆ハッピーです。でも、そんな幸せで居られるとは思えませんけどね貴方達の会社も。」
「吐いたわね。」
「何が?」
寧海はこのやり取りをもう聞き逃しはしない。
確かにこの男は口にした。今まで『我々』という自己を表す言葉を『私達』とこの男ははっきりと口にした。つまり、それが示すのは。
「今『私達』と言ったな。お前主導で何をやるつもりだ。それで何をする。お前は私達に鈴を着けて世界をどうするつもりだ。」
鈴は帝龍だけじゃない42人の処遇も混ざっている。敵はセイレーンだ。
だが、この男は敵ではないが『敵以上に厄介』だ。
「証明ですよ。」
「証明?何の?」
男は両腕を広げる。まるでそのポーズはどこかで見た事があるそれだった。
「私が優秀だと言う事です!!貴方達にもチャンスを与えますよ!?でもね!絶対僕の方が上だって事を教えてやるのです!!もう沢山思いついているんです!!貴方達より上の事を!もう私勝ってると言っても良い!!だけど貴方達の悪足掻きを見ないと気が済まない!!40年の努力を潰すだけじゃ楽しめない!!貴方達をもっともっとみじめにしてやるんだ!!あははははははははは!!」
狂った叫びが車内に広がる。
寧海はただそれを睨み付け、マイケルはそれをこの世の者とは思えないとそう言いたい、いや叫びたいような表情だった。
「劉さん。それが『本当の歴史』なの?」
15歳の少女の疑問に頑丈そうな男が、その大きな首を縦に振る。
タバコの煙を吸い上げ、鼻でカバが息を吐いたかの様に紫煙を撒き散らす。
「『今はどうなってるのか』は知らんがね。これが現実さ。あの男と寧海は失敗した。」
「本当なら何をするつもりだったの?」
その言葉に眉間を揉みながら記憶の底から情報を引き出す。
「本当なら、マイケルという大企業の社長という肩書きを使って国家の腐敗を正し、その上で艦船が敵対するセイレーンに唯一届く牙だと知らしめるつもりだったのさ。だが皮肉にも『俺が言わせた言葉』が失敗の切っ掛けになった。」
「でも、『授業では』重桜と鉄血は原子力を発明した時にセイレーン側に取り入ってる事になってる。ロイヤルもユニオンも正義じゃないの?」
「お嬢ちゃん。戦争に正義なんざ存在しないよ。勝った奴が正義なんだから。負けた奴はみじめな負け犬さ。」
タバコを口から離して劉がしんどそうに呟いた。
「ねぇ劉さん。レオンなんたらって人は歴史の授業で聞かないわ。その人どうなるの?」
「それはまだ教えらんねぇなぁ。嬢ちゃん。悪いけど近場に自販機があるんだ。昔の名残であるはずだから、ビールを買ってきてくれ。釣りはお前さんと爺さんの飲み物にしてくれや。」
そう言いながら、少女の手に何かを乗せる。
それを見て、少女は首を傾げた。
「何これ?チケット?」
「は?」
それはかつてドル紙幣と呼ばれたものだが、現代では凡そ使う者は居ないだろう。
それに思わず笑い転げる劉に少女は呆れ返っていた。
「それを差し込む所があるから入れりゃ買えるようになる。そうか『もうそんな時代』か。」
笑いながらの助言に少女は口を酸っぱそうにしていたが。話の為だと真夏の炎天下を歩いていった。