浮気しているんじゃないか、付き合い初めて三ヶ月の相手に、そんな事を聞かれることは思わなかったと北乃亮子は驚いた。
というより、内心、呆れて目の前のアイスコーヒーを一口、ストローを使わずに飲んだ。
この暑い中、呼び出して、何を言い出すのかと思ったら、年上といっても五歳上の男性だが、以外に子供っぽいところがあるんだと亮子は内心、辟易した。
この男は以前、友人の菜々美と付き合っていた、別れた理由は互いの浮気が原因だ、先に浮気をした女の菜々美だが、こういう場合、どっちに転んでも水掛け論になる事が多い。
菜々美は男を責めることはしなかった、竹を割ったような性格だといえばいいのかもしれない、反対に男の方が、いざ、別れ話になるとごねだした、自分には、おまえしかいないと。
一週間ほど菜々美の愚痴に付き合った亮子は最後には酒の席で冗談混じりに、後腐れなく解決するには、やっぱり金かなあと口にしたのは少し前に見た映画の影響だった。
男勝りのヒロインは我が儘で三度の離婚を経験し、もう男はこりごりといいながらも恋愛をするのだ。
そして菜々美は実行した、男に手切れ金を渡したのだ。
「今までかかったデート、ドライブのガソリン代とかまとめて片手の札を渡したわ」
笑いながら話す友人の顔を見て亮子はよかったねというしかなかった。
だが、それから数日、その男が自分と付き合いたいと言い出したとき、正直、この男は何を考えているのかと思った。
三人で二度、食事をしたぐらいで、親しく話したわけではないし、何故と思っていると、最初に会ったときから気になっていたのだという。
付き合っている人間はいないし、まあいいかという軽い気持ちで承諾したが、この三ヶ月あまり、二人でデートをしたのは片手の数にも満たないのは互いが忙しすぎたせいだ。
「その前に言っておくわね、明後日から、しばらく会えないわ」
男は驚いた顔で突然だね、いつ帰ってくるんだいと尋ねた。
「予定としては一週間程だけど、わからないわ」
忙しいのよ亮子は笑った、男はどこに行くんだいとぶっきらぼうに聞いた、遊びにかい、いいよなあ、俺も行きたいと言葉を続ける相手に里帰りよと女は真面目な顔で答えた。
「母に会いに行くの」
「そ、そうなんだ」
相手の顔を見ながら亮子はぽつりと呟いた、もしかして、ついてきたいと思ってると言葉を続けると、突然、そんなに休みは取れないよと男は笑った。
「でも、行きたいなあ」
「言っておくけど菜々美も一緒よ、ところで、彼女からの手切れ金、少しは返したの」
すると男は、あれは正当な金額だよと彼女とのデート、結構、かかったんだよと言い出した。
「かなりの金額、受け取ったんでしょう」
彼女は普段から自分の趣味に給料を殆どつぎ込んでいるのよ、まとまったお金なんてあるわけないじゃないと言われて男は不思議そうな顔になった。
「趣味につぎ込むって」
「海外に行って追っかけ、それで少し危ない目に遭ったこともあるし」
初めて聞いたと男は真面目な顔になった。
「あたしとあなたが付き合っていること菜々美は知ってるでしょ、別れたら、すぐに教えてねって言われてるのよ」
どうしてと男が尋ねたのは当然だろう。
「色々とあるけど、まずはその前に、あたしがどうして浮気してるなんて思うの」
すると、友人が見ていた証言があるんだ、証拠もあるとスマホを突きつけた、そこに写っているのは自分と年上の男性だ、それを見て亮子は、ああ、それと頷いた。
「ホテルに入ったところまで友人は確認したんだ」
その言葉を亮子は黙って聞いていた、最初のうちこそ男は怒っていたが相手が平気な顔できいていることに何かを感じ取ったのかもしれない。
口調が少しずつ、大人しくなってきた。
「あなたの友人は暇なの、昼間からホテルまで尾行するなんて、もしかしてフリーター、それとも無職なの」
「何を言ってるんだ、そんなことより認めるのか」
真面目な顔で怒っているように見える、だが、そこに別の感情も見えると思うのは気のせいだろうか。
「この人は父、お父さんなんだけど」
予想もしない言葉だったのか、相手は拍子抜けした顔になった。
「本当なのか」
「あたしには二人の父親がいるのよ、良二さんはホテルの経営者なのよ、それもあって、あたしはアドバイスすることもあるの」
若いカップル向けのプラン、年代向けに色々なサービスの、ラブホテルが、ただ、部屋で性行為するだけの場所なんて思っていないでしょと言われて、男は黙り込んだが、彼女は話し続けた。
「防音設備、防犯、安全の面も考慮して、食事のサービスもよくなっているから、色々なカップルが利用できるホテルにしたいの、ラブホテルだからって偏見の目で見ないでね、父は、いずれ、あたしを共同経営者、社長にという話もあるし」
ええっと小さな叫びが男の口から漏れた。
「そのときは別れようと思ってたけど」
話が予想外の方向に向いている事に気づいて男は驚いた、いや、慌てたのも無理もない。
「別れるなんて、俺は」
「この写真、三日前よね、この時、色々と話したのよ、丁度いいかもしれないわ」
「亮子」
「別れましょうか」
あまりにもあっさりとした言葉だった。
「企画担当には菜々美もいるから、あなたも顔を会わせたくないでしょう」
「なんで」
「彼女の人脈は広いのよ、父も認めてるの」
「こんにちわ、ここでお会いするとは、よかった」
声をかけてきたのはスーツ姿の男性だった、この熱い中汗一つかかずに、男は亮子の向かいの男を見ると、にっこりと笑った。
「もしかして、彼氏さんですか」
すると女は即答で違うわよと首を振った。
「付き合ってくれと言われたの、それだけよ」
ああ、そうですかと男は笑いながら会釈をすると、それじゃと去って行く、その後ろ姿より、女の言葉にどういうことだと言葉をかけた。
「えっ、本当のことでしょう」
恋人が欲しいなんと思ったことはないし、女の言葉、 いや、声は、男の表情と感情を素通りしていた。
付き合うだけでしょう、それだけでしょう、こうして話をしているじゃないと言われて男は黙りこんだ、感じたのは温度差だ。
「菜々美に対して誠実に接して欲しかったわ、でもあなたはそういう人だから、仕方ないんでしょうね」
「どういう意味だよ、それは」
「菜々美が」
あなたの事を言ってたの、その声が男の耳には届かなかった。
恋人が浮気をしている、別れ話を切り出して手切れ金を受け取ったとき驚いた、予想もしない金額だったからだ、だから欲が出た、今度もまた、だが、そんな自分の思惑が崩れた、三手と言わんばかりに出されたのは一枚の借用書だ、その金額は分かれた恋人が自分に渡した金額と。
「返せないなら、どうなるのかしら」
「顔がいいですから、相手をしてもらいましょう、今は女よりもこういう男の方が需要があるんですよ」
顔を上げるとさっきのスーツの男が笑っている。
「多少の事では壊れないでしょう、嗜虐趣味のエリートのご所望なんです」
すると、ラブホテルも大変ねと女は笑った。
男は無言になった。
そして、目の前の女は、そばにいた男も、ただ笑っていた。