中学時代に黄翠が付き合ってて、こういう感じで別れたとかあったら凄い嫌だなあ、本編中どんな気持ちで会話してるんだろうとか思いながら書きました。
しとしとと降る雨が美術室の窓を塗らした。窓にへばりついた雨粒が外の風景を滲ませる。今外に目を向けても、ぼやけて見通すことのできない何かが目に写るだけだ。
「それ、どういうことですか」
竹内黄奈子は尋ねた。尋ねたというよりは、糾弾したという方が的確かもしれない。
「別れよう、だなんて。どういうつもりですか」
その、氷の槍めいた言葉を真っ正面から受け止めて。
菱川翠玉は諦めたかのように言った。
「……仕方のないことなんだお」
「仕方ない? 何がですか」
ギロリ、黄奈子は翠玉を睨み付ける。それを一切気にしていないかのように翠玉は答えた。
「すいはそろそろ高校受験だし、それが終わったら卒業だお。だから……」
「……だから? だからって何ですか。受験だから、卒業するから、もう止めにするんですか。期限が来たから終わりにするんですか」
息を吸い込み、黄奈子は大きく言葉を叩きつける。
「私たちの関係は、所詮は時間に束縛されたものだったってことですか」
「……それ、は、」
違う。その一言が、翠玉は言えなかった。黄奈子が泣いているのが分かってしまったからだ。体を交わした仲なのだ。それくらい分からなければ嘘だ。
心でも、身体でも。黄奈子は涙を流している。
黄奈子は泣いているのだ。
「翠ちゃんが好きでした」
それでも彼女は嗚咽一つ溢さない。翠玉には、それは一つの意地であるように思えた。
黄奈子は独白のように言った。
「自分の好きなことしかしたくないって、あっけらかんと言える翠ちゃんが好きでした。小さくて勉強もそんな出来ないのに、絵だけは上手い翠ちゃんが好きでした。基本尊大な癖に、妙なところで小心者な翠ちゃんが好きでした。ひたすらクラスで浮いてても尚自分を妖精と言い張る翠ちゃんが好きでした」
ぽつりぽつりと放たれる言葉の数々は、全てが翠玉への賛辞だった。中には誉めているかそうでないのか判断つかないものもあったが、本人が好きでしたと言っている以上は賛辞と見ていいだろう。
急にそんなに誉められた理由が分からず、ぱちくりと瞬きする翠玉。その頬は薄ピンクに染まっている。
黄奈子は静かに言った。
「美術が好きで、美術科に進学しようとしている翠ちゃんが好きでした」
翠玉は息を呑んだ。さっきまでの誉め倒しとは明確に違う、羨望のニュアンスをその台詞に見て取ったのだ。
黄奈子は笑った。笑いは笑いでも、それは明確に嘲笑だった。
「でも、翠ちゃんは私のことが好きじゃなかったみたいですね」
「なっ――」
翠玉は何か言おうとしたが、その時には既に黄奈子が口を開いていた。
「だってそうじゃないですか。翠ちゃん、自分の好きなことしかしたくないって言ってたじゃないですか。それで美術科を受けるくらいなんだから、その思いは本物なんですよね」
翠玉は黙って頷く他なかった。それくらい、黄奈子の剣幕は凄まじかった。それ以外のどんな態度も認めないと言っているみたいだった。
言葉に激情の炎が灯り、ゆらゆら揺れているかのようだった。
「――だったら! ……だったら、それってそういうことじゃないですか」
が、その剣幕も一瞬で鎮火した。黄奈子は目を伏せ、ゆっくりと俯いた。
好きなことしかしたくない。それがモットーの翠玉が別れ話を持ち出すと言うことは、翠玉は自分のことを好きではなくなったんだろう。
黄奈子はこう言っているのだ。
「そ……そんなことないお!」
翠玉は言った。というよりは、叫んだ。
「すいは黄奈子のことが大好きだお! 本当は別れたくないんだお!」
しかし、黄奈子は鼻で笑った。
「もういいですよ、先輩。今までありがとうございました。これからは前みたいに、一人と一人になりましょう」
「黄奈子……」
翠玉は呆然と黄奈子の顔を見た。
とても冷たくて、鋭くて、痛々しい。そんな表情をしていた。
それだけで、翠玉は何も言えなくなってしまった。彼女をそんな表情にしてしまったという罪悪感だけが胸をいっぱいにした。
もう一度、黄奈子は鼻で笑う。
「それじゃ、さようなら。翠玉先輩」
そうして翠玉を睨み付けると、黄奈子は乱暴な足取りで美術室を出て、これまた乱暴にドアを閉めた。
板を叩いたような音と衝撃が美術室全体に広がる。翠玉はドアを、黄奈子が出ていった方を暫く呆然と見つめていた。
が、やがてへたりこむと、ぽろぽろと涙を溢し始めた。
「違うんだお……違うんだお……」
黄奈子は信じなかったが、翠玉は黄奈子を好かなくなった訳ではない。むしろ大好きだ。
なのに何故、別れようなんて言ってしまったのか。
それは、翠玉が美術科に進学するからだった。
翠玉は美術が好きだ。だから美術科に進学する。翠玉は好きなことしかしたくないし、好きじゃないことはしない。
だけど、黄奈子は? 黄奈子は美術が好きではない。それどころか、家庭環境を加味すれば嫌いになっていても全然不思議ではない。
そんな子と、美術科に通うことになるだろう翠玉が交際を続けたら、どんなことが起こるだろうか。知らず知らずのうちに傷つけてしまうかもしれない。美術ハラスメントとでも言うべき何かが起こってしまうかもしれない。
それは、翠玉の好きなことではなかった。
だから別れようと言った。傷つける前に黄奈子を遠ざけようとした。美術科に行ってしまう自分のことなんか忘れて、好きなことをするようになって欲しいと思った。美術なんて関係ない世界で生きてくれればいいと思った。
……それが一番黄奈子を傷つける行動だったと気付いたときには、何もかもが手遅れだった。
しとしとと降る雨が猫耳フードの袖を塗らした。眼にへばりついた雨粒が視界を滲ませる。今外に目を向けても、ぼやけて見通すことのできない何かが目に写るだけだ。