菱川翠玉の三人称一元視点となっております。
自然災害みたいだ、と思った。いつ起こるかなんて分かったものではなく、その癖被害は甚大で。だから、防ぐためには常々から対策をしておくしかない。しかし自然というものは中々性質が悪く、こちらの想像を上回ってくることがままある。対策をしていても意味をなさないことだってあるのだ。増して対策をした”つもり”で止まっているなら尚更だった。
「すみません、昨日こっそりパーカー借りてました」
申し訳なさそうに――少なくとも、外見では――しながら、桃音は翠玉にパーカーを渡した。言うまでもないが、パーカーというのは翠玉がいつも羽織っている緑色の猫耳パーカーのことだ。サイズが合っていないどころではなく、袖口から手が出ないくらいにぶかぶかなのだが、それがなんか妖精みたいで素敵ということで翠玉のお気に入りとなっている。
しかし今、パーカーの袖口は微妙にヨレていた。元気を失っているというか、塩を振りかけた青菜みたいというか。まるで、最近誰かが手を通したかのようだった。
鬱陶しいくらいに纏わりついた柔軟剤の香りが翠玉の鼻腔を刺激する。菱川家で洗ったときは、こんな香りはしなかったのに。昨日使って、急いで洗って持ってきたといったところだろうか。……何に使ったのかは詮索しないけれど。
大方黄奈子が着せたのだろう。桃音側から積極的に使おうとしたんだったら何か断りを入れてくるはずだ。翠玉は桃音が無断で人の所有物を持っていく女だとは信じたくなかった。本当は黄奈子の方もそうだと信じたくないのだが、こればっかりは仕方がない。翠玉は竹内黄奈子に負い目がある。そういうことをしても、強く言えない体になってしまっている。お詫びに何でもしていいと言ったのは翠玉本人だ。黄奈子は悪くない。悪いのは全部翠玉なのだ。だから、仕方がないのだ。
喉からせりあがってくる様々な感情を抑え込み、翠玉はいつものように笑った。
「ああ、ももちゃんが持ってたのかあ。探してたんだお」
「すみませんすみません、黄奈子ちゃんにも謝るように言っておきますから」
「やっぱり黄奈子が持っていってたのかお……」
「す、すみません!」
頭を下げ続ける桃音。ふと気になって、翠玉は尋ねた。
「そういえば、黄奈子はどうしたんだお?」
「黄奈子ちゃんですか? えっと、今日は体調が悪いみたいで休みだと……」
やっぱりそうか。翠玉はこっそりとため息をついた。無論、桃音に気付かれないように。
黄奈子は体力がない。力はあるけれど、いかんせんすぐにバテてしまう。それは、営んでいるときも例外ではない。
きっと昨夜のプレイで彼女は体力を使い尽くしてしまったのだろう。それで、登校できる余裕がなくて、仮病を使った。今頃自室の無駄に大きなベッドで惰眠を貪っているに違いない。
とても大きなため息を吐きたくなった。こそこそと、気付かれないくらいの規模ではなく、これ見よがしに大きいやつを。「すいは全て知ってるんだお」と宣言するかのように、桃音の目の前で吐いてやりたくなった。
しかし、それを実際に行うほど翠玉は馬鹿ではなかった。
「そっか。早くよくなるといいお」
「……そうですね。早く学校に来れるようになるといいですね」
桃音はにっこりと笑った。つられて翠玉も嗤う。
こっそりと、気付かれないように桃音が胸を撫で下ろしているのが見えた。