死した鶴   作:Гарри

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13.「昨日の敵」

 永遠に叫んでも私の気分は落ち着かなかっただろうが、現実的な問題として、私の肺活量と時間は有限だった。それに、軍警司令の手当てもしなければならない。これは私が普段避けようとしている類の希望的観測というものだが、運転手の吹雪が私と初月、最上を追ってきた吹雪と同一人物だという確証もないのだ。叫びたいなら、その確証を得た後でも間に合うだろう。後部座席に司令を寝かせ、彼女が持っていた鞄を脇にやると、上等な仕立ての海軍制服を掴む。撃たれたのは腰だ。当たり方によっては、かなりの深手になる。一々ボタンを外して、服を脱がせている余裕はなかった。

 

 元提督は傷に障るのか私の動きを止めようとしたが、その前に一息にジャケットの前を引きちぎった。高価そうな金属製のボタンが外れて、車内に飛び散る。上着の下からは防弾ベストが出てきた。交戦中は頼りになる盾だったが、今は邪魔なだけだ。ベストを体に固定する為の、ゴム製伸縮ベルトを力任せに除去してめくり上げ、シャツとスラックスを露出させる。右腰の部分には穴が開き、その周囲の布は血を吸い込んでじっとりとしていた。シャツも赤くなっている。

 

 今度も有無を言わさず、たくし込まれたシャツを引っ張り出す。そしてスラックスの開いた穴に指を掛け、そこから布地を裂いて傷口を露わにした。その場所を見て、負傷した本人には悪いがほっとする。傷は腰の表面部だ。少し深めに掠った、という感じだろう。弾は貫通しているが、完全なトンネルにはなっていない。丁度私から見ると、アルファベットのCを水平に反転したかのようだ。また血の出方からすると、動脈出血はしていない。それが意味するのは、骨盤や大腿骨にも被害なし、ということだ。海軍での過酷な戦争生活が私に与えてくれた、なけなしの医学的知識に感謝して処置に移る。元提督は手当の為の痛みを受け入れたか、でなければ戦闘ストレスからの解放の反動で気を失ってしまったらしく、抵抗はない。

 

 彼女が艦娘なら高速修復材の一振りで治ってしまうのだが、軍警司令は一般的な打たれ弱い人間だった。その場合、何よりも圧迫が第一である。傷が上に来るように体を横にして、ジャケットの袖を外す。軍の制服だけあってしっかりとした作りにはなっていたが、艦娘の力で破壊できないほどではなかった。それを軽くたたんで傷に押しつける。受け入れたとしても痛みにみじろぎしたり、身を固くしたりするのが当然だが、彼女はそうしなかった。不安になって、司令の顔を見ようとする。

 

 片手で傷を押さえたまま、もう片方の手でまくり上げた防弾ベストを戻す。恐る恐る彼女の顔を見ると、明らかに尋常ではない表情をしていた。何があったのか、穏やかそうに微笑んでいるし、視線は宙をさまよっている。ショック症状には見えなかった。と、車がカーブを曲がった。そのせいで席から何かが落ちた。オレンジ色のピルケースだ。ふたは開いており、中に入っていたカプセルや錠剤が上着の金属ボタンと一緒に下へ転がっている。

 

 自由になる方の手でケースを拾い上げ、調べてみた。ラベルはない。ぶちまけられた薬と思しきものは、そのどれもが異なった形と色を持っている。私は精神的な衝撃を受け、圧迫止血を続けながら、この堕落した『海軍の英雄』をまじまじと観察した。彼女が服用したのが病院で必要に応じて処方された薬だとは、到底信じられない。

 

 望むなら、この薬はきっと痛み止めであって、失われた腕と足がもたらす幻肢痛を抑える為のものなのだ、と彼女を弁護することはできる。だがそれなら、どうして錠剤の一つが黄色い蝶の形をしているのか、何故カプセルと錠剤が同じケースに入っているのか、納得できる説明をしなければならないだろう。私には無理だ。そんな説明、どれだけ頭を捻ったって思いつかない。

 

 ともあれ、彼女がどんなに乱れ切った人物であるかという悲しい事実は、救命処置をやめる理由にはならなかった。龍田を阻止せんとする私たちにとって、依然として彼女の力が不可欠であることには、変化がなかったからである。一本目の袖が血を吸わなくなり、二本目を上着から外した頃に、元提督は現実に帰ってきた。「おい、誰が私のジャケットをノースリーブにした」今の今まで月世界旅行(トリップ)を楽しんでいた割には、しゃんとした声だ。

 

「何、文句でも言いたい訳? 気に入らないなら、後で仕立て屋にでも行って袖を付け直して貰えばいいでしょ」

「無知だな、艦娘。ジャケットは人間の体と同じなんだ。一度取れたものを後でくっつけようとしたって、決して元通りにはならない。信じていいぞ? 私の()()()だ」

 

 傷口を一際強く押さえてやると、彼女は痛みに息を漏らして黙った。その手が薬の粒を探して無暗に動くのを、掴んで止めさせる。苦痛から逃れる為に薬を使うのは好きにすればいいが、それで死んで貰っては困るのだ。私の用事が済んで、後はどうとでもなれという状況になってから、好きなだけ法を犯してくれればいい。「大体、この薬は何なのよ、本当に」と小声で口にすると、元提督は「痛み止めのイブプロフェンだ」と言った。さっき擁護の為に想定したのと似た答えだから、同じように想定した疑問を返してやる。

 

「じゃ、粒が黄色い蝶の形をしてるのは何で?」

「発注ミスだよ、私はピンク色の象にしてくれって言ったのに」

「……錠剤と一緒に入ってたカプセルの中身は?」

「砕いたイブプロフェンだ。文句あるか」

 

 こうなると、呆れ笑いしか出なかった。もう一つか二つくらい彼女の厚かましい返事を聞いてみたかったのだが、そこで車が止まった。軍警司令の傷を見る為に下げていた頭を上げ、窓越しに外の様子を見る。吹雪が運転席のドアを開けて下りた。病院の駐車場だ。連絡は私たちとの合流前に済んでいたのか、院内から医者たちがキャスター付きのベッドや救急処置用のセットを手に手に飛び出してくる。肩から力が抜けた。助かったのだ。司令は薬物検査で困ることになるかもしれないが、それは私の責任ではない。軍警司令側のドアを開けて、彼女を扉の前に立っていた吹雪に引き渡す。

 

 手際よく上司を抱えた彼女は、経験豊かな者だけが見せることのできる無駄のない動きで、やってきたベッドに元提督を寝かせた。それから吹雪はこちらを振り返って「ご同行を願います」と言い、踵を返して運ばれていく彼女の司令官を追った。丁寧な言葉遣いと裏腹に、無表情に発されたその声には強制力があった。提督に持たせていた荷物を取って、吹雪の後に続こうとする。だが私はその足を止めて、まず車内に散らばった薬を手早くかき集めると、排水溝に全部流してやった。これこそ正義だ。

 

 走って軍警司令たちに追いつく。患者が誰なのかは医師たちにも分かっていると(おぼ)しく、彼女を乗せたキャスター付きベッドは一直線に手術室まですっ飛んでいった。私と吹雪、無傷の二人は手術室前、壁際の長椅子で待つように指示され、それに従う。腰を下ろしてゆっくりするついでに、初月と連絡を取りたかった。しかし、隣に吹雪がいる。どんな話をするにしても、彼女が聞いている横でしなくてはいけない法もない。座って数分で決断し、立ち上がろうとすると、手首を掴まれた。

 

「どちらに?」

「長くなりそうだから、今日の帰りは遅くなるって家に電話しなきゃ」

 

 冗談を交えてはぐらかそうとするが、それでごまかされる相手じゃないことは知っていた。かといって、相棒(初月)と連絡を取るのだと正直に告げるのも躊躇われた。現段階で、軍警と私たちの関係は非常に不安定なものであるからだ。一度でも陰でこそこそしていると見なされたら、その後に何をしても、何をしようとしていても、()()()()()に見られることになる。それは避けたかった。龍田を止めるには、互いへの信頼と協力が重要なのだ。

 

 答えに困っていると、吹雪が先に立ち上がった。「こちらへ」またも実質的な強制を受けて、彼女に従う。少し歩いた先には個室病室があり、折しも看護師が一人そこから出ていくところだった。行ってしまうのを待って、中に入る。病室には私たちの他に誰もいなかったが、床の見た目の清潔さや、病室内の家具からは、これからここに患者を迎えようとしている気配が読み取れた。私は居心地が悪くなった。軍警司令の為に用意されたのならいいが、そうでなければ私たちがやっているのは極めて迷惑なことだ。

 

「携帯電話を持っていますね」

 

 吹雪は断定的にそう告げた。頷いておく。イヤホンマイクはまだ耳に着けたままだし、それは隠す理由があることでもない。「いいでしょう」駆逐艦娘はそう言って頷き返した。「私は手術室前に戻ります。用事が終わったら、あなたもそうして下さい」さっさと出ていってしまうのを思わず呼び止めそうになり、口をきつく閉じる。病室のドアが閉まり、静けさが辺りに満ちた。携帯を服のポケットから取り出し、画面を見た。通話は切れていた。リダイヤル機能を使って、初月に掛け直す。数秒して電話口に出た彼女は、緊張の解けていない、硬めの声を保っていた。

 

「病院にいるようだな。無事か、瑞鶴」

「ま、怪我はしてないって感じ。軍警司令と違ってね」

 

 ふう、と回線の向こうで初月は息を吐いた。安堵だとしたら、可愛げのある反応だ。惜しいことに私の相棒は、そこをからかってやる前に「彼女の容体は?」と質問を投げかけてきた。少しばかりの残念さを補う為に、「手術室に行って聞いてこよっか?」という明るいトーンの冗談で返す。二拍の間を挟んで、初月は私がその言葉に込めた事実を正しく理解してくれたようだった。すなわち、司令が手術室にいるということと、それを冗談にできるほどの怪我であるということだ。次は私から尋ねる。

 

「あんたはどうするの? こっちに来る?」

「いや、今は別々にいる方がいいだろう。こうやって連絡を取ることもできるんだから」

 

 何らかの理由で軍警がこちらとの対立を選んだ時、二人がくっついていたらまとめて捕まってしまうかもしれない。初月はそれを避けたいのだろう。最も危険な場所にいる私を気遣ってか、直接言葉にはしなかったが、彼女の考えそうなことだ。この表現が批判ではないことを明確にする為に付け加えるなら、適切な懸念でもある。翔鶴姉の復讐を果たし、彼女がやり残したことを完遂する為には、敵対者たちによって一網打尽にされるリスクを負うことはできないのだ。

 

「分かった。けど、通話はこのままにしとくからね。何かあった時とか、軍警司令と話をする時には手を貸して」

「ああ、構わないよ。僕は引き続き、いつでもお前を回収できる状態で待機している。安心して、しっかりやれ」

 

 それっきり、私たちの会話は終わった。吹雪の言葉に忠実に振る舞うなら、私は病室を辞して彼女の下に戻るべきだった。だがその代わりに、私は病室に置いてあった椅子に腰掛けると、にんまり笑いながら背伸びをした。この笑いの意味は、私自身にも分からなかった。ただ初月から、安心してしっかりやれ、と言われた際に、胸の内から不思議と湧き上がってきたものだったのだ。伸びきったところで体がぶるりと一度震えて、よし、と気合を入れて立ち上がる。気は進まないが、吹雪のところへ戻ろう。

 

 病室を出て、通った道を戻る。そう離れてはいないので、迷うこともなかった。吹雪は手術室前の長椅子に腰を下ろし、まるで千年も前からずっとそうしていたかのように、まんじりともせず手術室の表示灯がその輝きを失うのを待っていた。ヴェールヌイの言葉を思い出す。彼女は軍警司令の秘書艦は吹雪だと言った。この吹雪がそうなのだろうか? そして彼女は、私や初月、最上を追跡し、殺そうとしたあの吹雪なのだろうか。その問いへの答えを得る方法は単純だったが、実行には莫大な勇気を要求された。彼女の隣に座って、心の中で十数え、声を出す。

 

「あなたは司令の秘書艦、で合ってる?」

 

 問い掛けておいて、私はびっくりした。“あなた”だって? いつもの私なら、“あんた”と呼びかけていそうなものだ。ところがそうしなかった。そうできなかった。私は質問と関係のないところで起こった己の精神的敗北に愕然としながら、吹雪が答えるのを聞いた。「はい」という一単語がその全てだった。ヴェールヌイの言ったことの内、少なくとも一つは嘘でなかったことが、これで証された。

 

 たった一個の問いで、私の精神力は萎びてしまったようだった。どれだけ二つ目の疑問を発そうとしても、私の口は堅く閉ざされた門のように微動だにしなかった。諦めて、吹雪と同じく手術が終わるのを待つ。立場の違いから、私は彼女よりもぐっと気楽だった。壁に背を預けて、目を閉じる。セーフハウス外で深い眠りに落ちることはできないが、うたた寝程度なら可能だった。早送りで時間が過ぎ去っていくのを、薄れて消える直前で維持した意識の中で感じ続ける。何度か横にいる吹雪の気配がないのに驚いて目が覚めたが、毎回彼女は前に見たのと寸毫(すんごう)たりとも変わらない場所にいた。

 

 元提督の医療処置が終わったのは二時間後のことだった。腰を一発撃たれた傷に費やしたにしては、長い時間の気もするが、私は医者ではない。それだけの時間が要ったんだと彼らが言うなら、そうなのだろう。あるいは軍警司令が、薬物に影響されたまま私と話したくなかったから、病院側に無理を言って、止血や縫合が済んでも手術室に留まったのかもしれない。が、それはどうでもいいことだ。

 

 彼女が運ばれた病室は、私が電話するのに使ったあの部屋だった。この病衣をまとった傲慢で権威ある患者が不機嫌なのは、一目で分かった。ベッドに横になるのが余程気に入らないらしい。起き上がろうとしては、側に控えた吹雪に肩を掴まれて、引き戻されている。戦争の英雄はこれだと話しにくいと不平を垂れたが、それに対して彼女の秘書艦は、ベッドのリクライニング機能を使ってほんの数度の角度をつけてやっただけだった。吹雪の冷たい態度からすれば、それでさえ甘やかしているように見えたのが面白かった。

 

 二人のやり取りを病室の入り口脇に立って眺めていた私へ、不意に軍警司令が視線を向け、尋ねた。「出入口に近い場所に立つのは、逃げやすいようにか?」「まさか」と私は答えて、吹雪がいるのとは逆側のベッドサイドに立つ。その時の司令は、半透明のビニール袋に入れられた彼女の海軍制服を、指が乾ききっていない血で汚れるのにも構わずまさぐっていた。探し物は見つからなかったらしく、袋を床に投げ捨てて「私のピルケースは何処だ」とこちらに詰問してきた。肩をすくめて「知らない」と意思表示してから、返事をする。

 

「痛みがひどいなら、骨折もあるし、ロキソニンか何か貰ってるでしょ?」

「ああ。だが大事なのは、私のピルケースが何処かということだ」

 

 軍警司令は肩を落とし、彼女が感じている失望を表した。でもそこは流石に英雄と言われただけはあるということか、薬物中毒者にしては素早く立ち直ると、知性的な光をたたえた片目で私を見やった。「ケースは後でじっくり探す。降って湧いた休暇も手に入ったからな」負け惜しみのようにそう口にして、彼女は本題に入った。「あのデータをもう一度見せろ」喜んで、だ。私は銃撃戦の最中でも守り抜いた荷物を開け、ノートパソコンを司令に渡した。彼女はそれを膝の上で開き、吹雪が横から覗き込む。

 

 二人はデータを検分しながらぼそぼそと、私にも聞き取りづらい大きさの声で何事か相談し合うと、やがて開いていたモニターを閉じた。二人の視線が私に投げ掛けられ、後ずさりたくなるのを堪える。「そのデータはあげるわ、コピーだから。それで、ご意見は?」できる限りの虚勢を張り、堂々とした態度を装って問う。軍警の手助けが借りられなければ、私たちの龍田対策は厳しいものとなるだろう。しかしそれを悟られてはならない。交渉の主導権を握られてはたまらないからだ。元提督は言った。

 

「前々から、過激派の動きが変だとは思っていた。こちらの網を妙に上手くすり抜けている、と。最初に内部協力者を疑ったが、さしたる証拠もなしに身内に疑いを掛けることはできず、手がかりも何もなくてな。これでやっと口実ができた」

「それは私に協力してくれるってことでいいのよね? 龍田を止めるのを手伝ってくれるかどうか、ちゃんと聞いておきたいんだけど」

「用心深いな、艦娘? 前にも言ったように、正式な宣言は裏取りが済んでからだ。それまでは、お前の持ってきた情報が正しいものであれば協力する、としか言えないな。ああ、でも、手ぶらで返すのもなんだ、気が引けるか。よし、こういうのはどうだ。お前は海軍の脱走兵だな?」

 

 頷いた。元提督は己の慧眼を自賛するかのごとく、そうだろうそうだろうと繰り返した。軍警察の艦娘は採用時に小銃や拳銃による射撃訓練を受けるそうで、彼女は記念館で発砲する私を見た時に「こいつは身内じゃない」と感づいたのだという。私が脱走兵だということが司令にどう関わってくるのかといぶかしんでいると、彼女は気前のいい贈り物をしてやった満足感を顔に浮かべて言った。

 

「私の伝手を使って、お前やお前のお仲間の脱走を、なかったことにしてやろう。それとそうだな、軍警へのハッキングも揉み消してやる。どうだ?」

 

 これはありがたい申し出だった。素直に礼の言葉を発するが、元提督は軽く手を上げて私の感謝を退けた。「気にしないでいい、私の利益にもなることだ。そうだ、ここいらで一つ、お互いに自己紹介でもしておこう。さっきは撃たれてそれどころじゃなかったからな」これから協力関係を築いていく為の第一歩として、相応しい提案だ。私は首肯し、自分が瑞鶴であることを告げた。次いで司令が名乗り、「で、こっちが」と言って吹雪を指し示す。「彼女とはさっき話したわ。秘書艦でしょ?」まさか嘘でもあるまい。

 

「いや、それだけじゃなくてな。妻だ」

「元妻です」

 

 耳元で初月が吹き出す声が聞こえた。私には笑えなかった。飲み込む時間が必要だったからだ。元妻? 軍警司令の顔を見る。女性の顔だ。吹雪の顔を見る。こっちも女性の顔だ。無論、私だって何も知らない子供じゃない。世の中には様々な愛の形があって、中には人の理解を拒むものや、変わって見えるものもあると知っている。ただ私の身近には、そういう人がいなかったのだ。それで、初めて出会った同性カップル──あるいは()カップル──が軍警司令とその秘書艦?

 

「これで自己紹介も終わり、私たちはもうみんな仲良しという訳だな。吹雪、早速だが調査を始めろ。そこの脱走兵と連絡が取れるようにしておけ。後は任せる」

「了解です、司令官」

 

 半ば呆けたまま、私は携帯電話のアドレスを吹雪に教え、彼女の連絡先を受け取った。呆けたままと言っても、初月の許可を取るのは忘れなかった。吹雪と連れ立って病室を出ていく。秘書艦に続いてドアをくぐってから、ふと思い出すことがあり、一歩戻って扉を開けた。そして性懲りもなく制服の入った袋の中にピルケースを探していた軍警司令に、真実を伝えた。「薬だけど、排水溝が全部飲んじゃったってさ」袋を投げつけられる前にぴしゃりと戸を閉めて、吹雪の方を向く。と、彼女はこちらを振り返り、レポーターがマイクを差し出す時のように右拳を突き出していた。そしてゆっくりと、その親指が起き上がった。

 

*   *   *

 

 吹雪が始めるという調査には私も参加したかったのだが、専門的な手腕が要される職務に素人が一人加わったとしても、それで得られるものより損なわれるものの方が多いと当の秘書艦から言われては、引き下がるよりなかった。協調していくには、お互いを尊重することが必須になる。秘書艦には秘書艦の考えがあり、そこに私が入り込む余地がないなら、内心の反発は別としても、その事実を受け入れなければならないのだ。

 

 分かったことがあったら連絡するという約束だけして、私は病院を出た。適当に少し離れた場所にある喫茶店に入り、初月に回収を要請する。連絡が済むと、私は卓上のメニューを取って眺めた。彼女が来るまでに、お茶を一杯飲む時間ぐらいはあるだろう。何なら、初月にもここで一休憩入れさせたっていい。艦娘は頑丈で持久力もあるが、不眠不休では戦えない。私が座ったボックス席の横を通ったウェイターを呼び止め、アップルティーを注文し、運ばれてくるのを待つ。

 

 息を吸い込み、吐き出す。周囲には他の客もちらほらいるから、変に思われない程度にだが、それで体の緊張が幾らかほぐれた。銃撃戦に参加して半日と経たない間に、平和この上ない喫茶店の片隅で紅茶を待つというのは、どうにも非現実感があって奇妙な気分だった。ここにいる自分に違和感を覚え、意味もなく辺りをちらちらと見回してしまう。客観的に見れば、きっとそれは不審な動きだった。

 

 注文したフレーバーティーが運ばれてくる。ケーキも頼もうかと思ったが、やめにした。チーズケーキを買った後、最上のハッキングがバレたのは記憶に新しい。ジンクスだとか験担ぎというのを私は信じていないけれど、何となくいい気持ちがしなかった。ここでケーキを頼めば、望まない事態とか、招かれざる何者かが現れるんじゃないかと思えたのである。そんなことがある筈もないのに、と自嘲して、私は紅茶のカップを持ち上げ、口元に運んだ。一口含んで、リンゴの甘い香りやほのかな苦みを楽しむ。特別おいしいものではないが、温かさもあってか、ほっとする味だった。カップを下ろす。

 

 その動きに合わせるように、向かいの席に人が座った。初月ではない。相席の断りもなかった。反射的にカップから、熱いままの紅茶を引っ掛けようとする。その手を両手で押さえられ、私は空いていたもう片方の手を握り締めた。そこで、相手が誰かきちんと見た。電だ。珍しい艦娘ではないから私の知り合いにも何人かいるが、今の私に話しかけてくる電となると、考えられるのは一人だった。私は彼女の顔を睨んだ後で、視線を掴まれた右手に下ろした。拘束が解かれ、カップを元の位置に戻す。

 

「どうしてここにいると分かったの、電?」

 

 イヤホンマイクの向こう側にいる相棒に伝わるよう、私は彼女の名前を呼んだ。初月は何も言わなかった。彼女が私に接触してくると知っていたのだろうか? それならそうと、教えてくれてもよさそうなものだが。

 

「軍警司令が襲撃されたと聞いたので、容体を正確に把握する為に、運び込まれそうな病院を監視していたのです。そうしたら、あなたもいた。あ、もちろん声を掛けたのは、用事があってのことですよ?」

「でしょうね、お茶飲み友達になった覚えはないもの。ここで話せる用事?」

「話せるというより、渡せる、ですね」

 

 USBメモリを差し出され、私はそれを懐に仕舞い込んだ。パソコンを軍警司令にデータごと渡してしまったので、中身を見るには拠点に戻って最上の持ってきた端末を使わせて貰うか、帰りがけに電器屋で安価なパソコンを買っていくかしなければならない。幸い、目の前に中身を知っている相手がいた。内容の全てを解説させることはできないが、その概要程度なら教えてくれそうだった。彼女は話し始めた。

 

「情報資料などを提供して貰ったお陰で、保管していた筈の装備や物資が書類上だけの存在になっていることに気づけたのです。後はいつそうなったのか調べ、怪しい()()()()()を見つけて、その行先を探るだけでした」

 

 それはまさに、聞くだけで目を見張る働きだった。融和派組織のリーダーである正規空母艦娘「赤城」の片腕として、左遷されるまでその辣腕を振るっていたという初月の話にも、これで信憑性が感じられるようになってきた。行先を探ったということは、装備などが今何処にあるか、分かっているということだろう。そこを襲撃し、盗まれたものを取り返せば、龍田の計画は破綻まで行かずとも、大きく後退することを余儀なくされる。ことが起きる前に彼女の下にたどり着く為の、貴重な時間を稼げるのだ。

 

 しかし、そう簡単に片付く話でもないようだった。電は首を横に振り、龍田の指導者としての手腕を淡々と認めた。「こまめに物資の移動を繰り返しているようで、現在の集積地を掴んでも、襲撃より先に逃げられてしまうのです」私は落胆しかけたが、電の表情を見て考えを改めた。彼女の顔は、優秀な敵を上回ってやり込める快感に、表面上可愛らしく綻んでいたからだ。その人間的な様子に、私は奇妙な安堵と親近感を感じた。

 

「そこで電は、物資の最終的な移動先を割り出すことにしました。あなたたちにはその場所への攻撃と、できることなら物資の奪取、最悪の場合でも破壊をお願いします」

「仲間を集めて、自分でやらないの? あんたがこうやって調査をできたこと、それもこんな短期間で済ませられたことから察するに、影響力はまだまだ残ってるみたいじゃない」

「だからこそ、なのです。左遷されても影響力を持っている元右腕が、こっそりとでも武装した一隊を国内で動かしたら──赤城さんは怖がりですから、きっと今度こそ電を潰しに来ます。でも、電はあの人とは戦いたくないのです。なるべくならじゃなくて、絶対に」

 

 これを「そっちの都合でしょ」と無視するのは、無意味極まりない。私はしたり顔で頷くと、初月と相談するべきことを頭の中の備忘録に一つ増やした。ドアベルが鳴り、せかせかした足音が近づいてくる。頼れる相棒のものだ。彼女が席の横に立つと、電は腰を上げた。彼女の用は終わったらしい。会釈して、この店を出ていこうとする。だが私の席から何歩か離れたところでぴたりと止まり、早足で戻ってきた。先ほどまでとは異なり、何処か機械的で無機質な表情になっていた。

 

「軍警とも手を組んだみたいですね」

「そうね、それが?」

「電たちの支援を当てにしたいなら、あの人たちには余り深入りしない方が身の為なのです。付き合いは最低限にして、早めに縁を切ることをお勧めするのです」

 

 アドバイス料を取られないなら、忠告は大歓迎だ。私たちは電の言葉を覚えておくと告げて、彼女と別れた。出ていく電の背中をパートナーと共に見送り、それが見えなくなってから、私たちはお互いの顔をじっと見つめ合った。「座れば?」「ああ」そんなやり取りを交わす。席についた初月は、テーブルによって遮られていない私の上半身をざっと一瞥して言った。

 

「お前は全く、度胸のある奴だ」

 

 相棒と通話が繋がってはいたが、私は今日だけで謎めいた襲撃犯との戦闘を切り抜け、吹雪や軍警司令との話し合いも何とかして、急に現れた電にも対応した。そのことを言っているのだろう。カップを持ち上げ、初月らしくないストレートな賞賛に応じる。何か頼まないのかと尋ねたが、飲み物を口にする気にはなれないらしかった。早くセーフハウスに戻って、電から渡されたデータを分析したいのだろう。私にもその気持ちは分かる。熱さを失った紅茶を飲み干し、立ち上がった。

 

「行こっか」

 

 会計を済ませて、店を出る。初月が車を止めた駐車場に歩く途中、理解できない、という風に頭を振った。「お前の度胸への尊敬は、僕の中でますます強まるばかりだ」幾ら何でも、これで彼女が純粋に私を賞賛しているのではないことには気づけた。皮肉られている、でも何を? 私が未だにそこのところを掴んでいないのが分かってか、初月は諦念をまとった表情で言った。「自分の恰好(かっこう)を見てみろ」はっとして、手を背中にやる。胸や腹にもだ。

 

 大きな穴は開いていないが、そこそこ目立つ傷と焦げがあった。撃たれたせいだ。私はたまらず赤面した。海の上なら、服が脱げようと我慢できる。周りにいるのはどうせ深海棲艦か同胞たる艦娘だし、そんなことを気にしていたら死んでしまうからだ。けれどここは陸の上、周囲には一般人も大勢いる。女もいれば男もいるし、若いのも老いたのもいる。私に耐えがたい羞恥の感情を起こさせるには十分だった。初月の背を叩き、車へと急がせる。私の個人的な意見としてはセーフハウスへと直行し、服を着替えたかったのだが、パソコンの新調という重要な任務が残っていた。電器屋へ寄って貰い、初月に頼んで駐車場で待つ。彼女は半時間で取っ手付きの段ボールを二つ提げて戻ってきた。

 

 セーフハウスに戻ると、最上はリビングでごろごろしていた。私が撃たれたりしている間、平和な時間を楽しんでいたと見える。私は怒ったりしなかった。今日の私が遭ったような災難に彼女が巻き込まれずに済んだことを、むしろ喜んでいたのだ。着替えるついでにシャワーを浴び、汗と埃、血の汚れを落とす。そうして気分爽快になった私は、リビングに行って電の調査結果を見ることにした。

 

 私以外の二人は既にその用意を整えており、私を待っていた。そのことへの謝罪もそこそこに、新しく買ったノートパソコンを初月と最上が椅子に座り、私は二人の後ろに立って囲む。ここで思い出した──まだ初月に電のUSBメモリを渡していなかった筈だ。が、それはパソコンに差し込まれていた。これについても私は怒っていなかったのだが、冗談半分に相棒の頭を小突いて言った。

 

「あんたね、私の脱いだ服漁る癖治しなさいよ」

「漁るとは随分と悪意のある言い方だな。クリーニング屋で服を渡す時、店員がポケットを調べるだろう? 僕はあれと同じことをしただけだぞ。ああ、それと洗濯機に汚れ物を入れてやりもしたな、お前はそのことに気づきもしなかったようだが」

「あっそ、洗濯ご苦労様。でもクリーニング屋なら、出てきたポケットの中身は元の持ち主に返すと思うけど」

「僕がクリーニング屋に見えるのか? 本気でか?」

 

 初月の頭からぴょこんと立ち上がった、一房の髪を引っ張ったり指に絡めたりしながら、私は彼女と互いの意地悪さを教え合うように揚げ足を取り合い、責め合った。今となっては私たちの間ですっかりお馴染みになったこの手のやり取りだけれども、最上からするとそうでもないらしい。彼女の顔を見下ろすと、そこからは「早くここから立ち去りたい」という意味の表情を見いだせた。

 

 パートナー同士の打ち解けた会話はひとまず終わりにして、電の調査結果を見てみる。すると真っ先に初月が「これはすごいな」と混じり気なしの賛辞を口にした。彼女が言わなかったら、私か最上が言っていただろう。確かに、電はすごかった。彼女が集めた情報は豊富かつ細やかで、極めてよくまとめられており、合間合間には私見まで挟んである尽くしようだった。仕事を受けてから僅かな間に調べ上げたということも込みにして考えると、その能力は憶測するしかないほどの高みにあると見てよさそうだ。

 

 結論を分かりやすく提示してくれている点も、私が電をまた少し好きになる動機になった。平易であるということは、具体的な美点だ。お陰で情報を読み解くことに不慣れな私でも、電がどうやって物資の流れを追ったのか飲み込むことができた。彼女はまず融和派内部の記録から足跡をたどり、第一の集積地を見つけた。民間の貸倉庫である。

 

 言うまでもなく、物資はそこから既に移動していた。何処へ行ったのか探し、見つけるも、また逃げられた後だった。ここで電は考えを変える。管理会社の記録から誰が借りていたかを、加えて倉庫の監視カメラの映像から、それが何台のトラックで運ばれてきたかを調べたのだ。そうしてコンテナのサイズと合算して荷物量を推察し、それを収容できる広さの物件を、襲撃される可能性が高い目標からの距離など、複数の条件で絞り込みながらリストアップ。蜂起直前に物資が運び込まれるであろう倉庫が何処なのか、割り出していた。

 

 で、ここからは私たちに頼まれた仕事だ。その倉庫を監視し、荷が入ったら中身を確認。龍田の軍需物資だったら、吹き飛ばす。どうやって? そこは初月に任せよう。私より適任だろう。持っていくものを頭の中で選別し、支度に取り掛かる。支度と言っても、大したことではない。翔鶴姉の拳銃を持てば、後は初月があれも持っていこう、これも要る、と忙しくしている間に、ずっと染めていた髪の色を戻すだけだった。しかし前回と同様、一人で染めるのは難しいので、誰かに頼まなければならなかった。

 

 最上を捕まえ、私の部屋へと招待する。もっと嫌がるかと思っていたが、彼女は思いのほかすんなりとついてきた。抵抗されるよりはいい。手鏡を持って椅子に座り、このセーフハウスに隠されていた初月の備蓄品から勝手に持ち出した、艦娘「瑞鶴」の髪色に最も近い色の染髪料を最上に渡す。彼女は説明書を読んでいたが、やがて髪染めの用意を始めた。無言というのも気まずいので、口を開く。

 

「軍警司令が、あんたのハッキングのことを揉み消してくれるって」

「そうなのかい? ()()やらせたハッキングを? そりゃ太っ腹だね」

 

 いきなりの喧嘩腰に面食らうと同時に、苛立ちそうになる。が、気が短いのは前々からの短所だ。腹が立った場合の対応策は何個も知っていた。その中の一つにはムカつく相手を叩きのめす、というものもあったのだが、私が今回選んだのはもっと穏当なやり方だった。返事をする前に一呼吸だけ余分に置いて、冷静さを保ったのだ。

 

 そこには彼女とここで大喧嘩して、逃げられるようなことになってはいけないという打算と、もっと単純に、私の彼女への好意が影響していた。最上は私と翔鶴姉を直接知る、数少ない艦娘の一人なのだ。ことあるごとにちくちく言葉で刺されたとしても、嫌いにはなれなかった。率直に言えば、彼女と仲直りしたかった。私と初月がやろうとしていることは、気ままな散歩ではない。私が明日も明後日も変わらず生きている確証はないのだ。龍田との対決も近い。それが始まれば、終わった時には私たちか龍田のどちらかが死んでいるだろう。

 

 龍田と戦って、必ず勝てるとは思わない。彼女は優秀な兵士だ。多くの敵を出し抜いて生き延びてきた、優れた艦娘だ。だから私が最後の吐息を吐き出す側になった時の為に、悔いを残したくなかった。最上の記憶の中に、いつまでも今の瑞鶴として残りたくなかった。戦後の世界に馴染めず、それでも愛してくれた友人を失望させ続けて遠ざけ、姉の葬式にも出られなかったような艦娘としては、覚えられていたくなかった。私はできるなら、最上の戦友に戻りたかったのだ。

 

 とはいえ、それを本気で望むには私はやりすぎていた。彼女を脅し、私の個人的な復讐に巻き込み、命の危険にも晒した。こんな目に遭わせる筈じゃなかったのにと嘆いても、それが変わることはない。身勝手に振る舞った罰とでも思って、甘んじて受け入れていくしかないのだろう。右手に持った手鏡を動かし、後ろに立った最上を映す。彼女は使い捨ての手袋をはめ、右手にはスプレー缶を持っていた。缶からガスの噴出音と共に濃い緑色の泡が出て、左手にこんもりと盛られる。

 

 一声掛けることもなく、最上はその泡を私の頭に塗りたくり始めた。ひんやりしたものが頭皮に染みるのを感じながら、私は手鏡の中に映るかつての戦友を見ていた。どれくらい掛かるか知らないが、翔鶴姉の遺したデータの復号が終われば、彼女は私といる理由を失う。そしてきっと、ここを出ていく。その後、私は二度と彼女と会わないだろう。そう約束したからだ。そうでなくとも、龍田に返り討ちにされるという未来だってあり得る。どちらであれ、彼女と一緒に過ごす時間は残り僅かだった。それなら、無駄にすることはできない。

 

「……何? もの言いたげに、そんなに見つめてさ」

 

 私は首を横に振ろうとして、それだと染髪作業の邪魔になると思い直し、ただ「何でも」と答えた。考えていたことを言葉にすれば、彼女を怒らせることに繋がりそうだったからだ。ところが、私のこの選択こそが彼女の(しゃく)に障るものだったらしい。痛いほど強く無造作に、彼女は私の髪を掴んだ。顔をしかめるが、不平は言わない。中途半端なところで染めるのを放棄されても困る。

 

 最上はどうやら、何かの腹いせに私の髪の毛をもてあそぶ気になったようだった。ぐいぐいと捻じったり、掴んで泡で固めて逆立てようとしてみたり、全体的に色染めをしているようには思われなかった。これでは色むらができてしまう。流石にそれは嫌だと最上に一言告げようとしたが、タイミング悪く先に彼女が声を出した。「龍田、だっけ。彼女をどうするの?」急にそんなことを話題にした彼女に戸惑いつつも、答える。

 

「やったことの責任を取らせるわ」

「それは、捕まえるってこと?」

 

 踏み込んだ質問をされ、即答を避ける。殺すか、捕まえるか。そこには大きな差がある。龍田は死に値するのか、私は改めて考えた。翔鶴姉を殺したのは、直接手を下したのは、彼女じゃない。彼女の仲間だった、あの“瑞鶴”がやったことだ。従って、翔鶴姉を殺した罪を彼女に直接問うのは難しい。でも、龍田があの“瑞鶴”を抑えられていたら、あるいは国内での蜂起など狙っていなかったなら、私の姉は生きていた。すると龍田は、翔鶴姉が死ぬ原因を作ったということになる。

 

 けれどその罪の報いは? 死か? 私が翔鶴姉に誓ったのは、「彼女を殺した奴を、同じようにして死なせてやる」という復讐だった。その誓いを厳密に守るなら、殺すべきは“瑞鶴”一人であって、龍田はそこから外れる。しかし彼女が生きているというのも、簡単に受け入れられることではない。その咎に相応しい報いを受けさせなければならない──ああ、それでまたこの問いだ、彼女は死に値するのか、それとも生かしておくべきなのか?

 

 考えたところで、私には分からなかった。龍田を殺せば、私の溜飲は下りるだろう。毎晩悩むことなく、眠りに就ける。ただ、それだけだ。彼女を生かして捕まえれば、そこから得られるものがあるかもしれない。未来に二人目の龍田を生み出すことを、避けられるかもしれない。二人目の私や、二人目の翔鶴姉を生まずに済むなら、それこそ私が求めるべきものではないのか? 生かしたことが正しかったのか、臆病風に吹かれたのではないのかと、一生かけて己に問い続けることになったとしても。私が何も言わないでいると、最上はこちらの考えを決めつけるように言った。

 

「分からないんだね、まあいいけどさ。じゃ、その後は?」

「その後?」

「龍田を殺すなり捕まえるなりしました。やったね! で、その後は? ってことだよ」

 

 自ずから、眉が上がった。どうしてそんなことを聞く? 私と最上が共にいるのは、あくまで一時的な状況だ。私がどうなろうと、彼女は暗号化されたあのデータを解読すれば、自由の身になる。その時点で、私と彼女の縁は完全に切れるだろう。気にするようなことではない筈だ。質問の意図が飲み込めずに口ごもっていると、不機嫌になったように最上は私の髪を引っ張った。督促にしても暴力的な表現だ。唇を歪めて、龍田を止めた後の目標を告げる。

 

「翔鶴姉を殺した“瑞鶴”を殺す、かな」

「その後は?」

 

 早くも彼女のこの質問に苛々(いらいら)させられてきた。どう答えても、同じ問いを返し続けるつもりだろう。彼女がしているのは、答えを目的としていない質問なのだ。皮肉みたいな、ある種の婉曲表現であり……私が不得意とする会話の技法だ。短くない付き合いの最上はそうと知っていて、それを使っている。動機は知らないが、聞いて教えてくれるようにも思えない。私は最上に怒りたくなかったので、「あんたには関係のないことよ」という不躾な返事で、会話を打ち切ろうとした。これは大失敗だった。

 

「関係ないだって」

 

 抑揚のない、ぞっとするほど冷たい言葉を吐き捨てると、彼女はこちらの背中を突き飛ばした。身構えていた訳でもなかった私は、顔から床に落ちないようにするので限界だった。混乱しながら振り向いて、最上を見る。彼女は直前の言葉とは打って変わって憤怒に顔を赤く染め、荒々しく両手の手袋を外して床に投げ捨てると「よくもそんなことを言えたな」と叫んだ。倒れた私に詰め寄り、胸元を掴んで無理やり立たせ、また突き飛ばして壁に叩きつける。そこで私はようやく、相手をどう扱うべきか決められた。

 

 殴りかかってきた腕を片手で取って止め、もう片手で彼女の首を抑える。そのまま力任せに、部屋のベッドの方へ投げ飛ばした。私の寝床の上に背中から倒れた最上に追い打ちを掛けようとするが、足払いを受けて私も彼女の隣に倒れ込む。待ち構えていたかのようにするりと最上の腕や足が絡みつき、私を締め上げてきた。力では勝っているのだが、不安定な体勢を取らされているせいで力比べに持っていくことができず、振り払うこともできない。締めつけの苦しさに喘ぎながら、私は言った。

 

「だってあんたが暗号を解き終わったら、もう一緒にいる理由がないでしょ! 先のことなんて言ったって、何の意味もないじゃない!」

「ああそうだよね、復号が終わったらボクなんか用済みだもんね! いなくなったって構わないってこと!」

「そんなこと言ってない!」

 

 身をよじり、どうにかこうにか力を込めて、私の体に絡んだ最上の手足を引っぺがす。土産に肘を彼女の顔に打ち込んでから、ベッドを離れて距離を取ろうとする。しかし肘が入り切っていなかったのか、最上は予想外の速さで立ち直ると「このっ!」と一声上げて組みついてきた。足元が不如意だった私は受け止めはしたものの、押し倒されることを避けようと一歩二歩下がったところでつまずいてしまった。マウントを取られ、冷や汗がどっと出る。マズい。

 

 思った通り、最上は躊躇いなく顔を目掛けて拳を振り下ろしてきた。まずは両腕でそれをガードし、彼女の攻撃のタイミングを把握したところで反撃に移る。殴りつけてきた腕を払いのけ、勢いを利用して最上の上体をこちら側に傾けさせると、首を掴んで横に投げ飛ばす。慌てて起き上がろうとする彼女の膝裏を蹴り飛ばして膝を突かせ、隙だらけの脇を踏み込むように蹴りつける。それからお互い、よろよろと立ち上がった。終わってはいない。あっちにもこっちにも、まだ戦意は残っている。私は言った。

 

「それじゃ、最上、聞くけど。頼んだら私を許して、これからも付き合ってくれるの?」

「はあ? 頼まれたって許す訳ないだろ、どう考えたらそんな話が出てくるのさ」

「じゃあもうどうしろってのよ、あんたは」

 

 次はこちらから仕掛ける。自身の髪を払うふりをして、くっついていた染髪料を手に取った。それを最上の顔に投げつける。視界を奪われることへの恐怖と警戒から、彼女は両腕を使って顔面を防御した。胸も腹もがら空きだ。そこに近づき、一撃で仕留めるつもりでパンチを放つ。当たると思ったが、まっすぐすぎた。恐らくは勘だけで、彼女は避けてみせたのだ。

 

 失敗したと思った時には、伸ばした腕を取られて引っ張られ、部屋のクローゼットに突っ込まされていた。勢いでドアが開き、前のめりに倒れる。手を突いて起きようとしたが、先に最上の踵が私の背に落ちた。彼女は馬乗りになり、乱暴な手つきでクローゼット内のタンスからTシャツを一枚抜き取ると、それを私の首に巻きつけた。咄嗟に片手を首と布の間に挟んで絞め落とされるのを防ぐが、気道を圧迫されることまでは防げない。

 

 最上の乗っかった腰を跳ね上げ、膝を床との間に差し込む。そうなってしまえば立ち上がるのは難しくなかった。最上は離れるかと思ったが、両足を私の腰に絡めてしがみつき、首を絞め続けている。そっちがその気なら、私にだって考えがあった。部屋のドアに向かって突進し、荷物をくっつけたまま頭から激突する。ドアの材質はぺらぺらの合板だったので、私たちは戸板を揃って突き破って肩のところまで部屋前の廊下にはみ出た。

 

 体を中に戻そうとして、初月と視線が合う。部屋でどたばたしている馬鹿二人を、注意でもしに来たのだろう。最上と私はぽかんとして、現行犯を見咎められた犯罪者のように固まってしまう。でもじきに二人とも正気に戻り、中へ引っ込んだ。最上はシャツを手放して私から距離を取り、ファイティングポーズで油断なくこちらを睨みつけていた。初月の足音が遠ざかり、リビングへと去っていく。注意は諦めたようだったが、後で何を言われるか考えると、気が重くなる。と、最上が急に視線を落とし、呟き声で言った。

 

「一度だってボクに謝ったか?」

 

 耳にした言葉に聞き違えがなかったかと不安になって、訊ね返す。すると彼女はさっきにも増して強い感情を乗せた目で私をねめつけると、決然とした態度ではっきり、同じ問いを繰り返した。だが二度目のその問いの後には、続きがあった。

 

「目を覚まして以来、君は何度もボクをがっかりさせてきた。ボクだけじゃなくて、他の友達のことも。そしてその度にみんな、君を庇ってきた。それは瑞鶴、君のことが好きだったからだ。好きでいたかったからだ」

 

 牽制の殴打をいなし、似た拳撃を放ってはいなされる。既に私の意識は、最上の言葉だけに向けられていた。

 

「だから、みんな君から離れたんだ。嫌いになりたくなくて。そうだよ、ボクだって、今でも君のことが好きさ。君が目を覚ましてから、一回でも嫌いだなんて言ったかい? 一緒にいたいし、君が戦うんなら手伝いたいよ。吹雪に追いかけられて、撃たれた君を見た時、ボクがどんな気持ちだったか! あの翔鶴が死んで、君まで目の前で殺されてしまうかもしれないと思った時に、ボクが、どれだけ」

 

 彼女が俯いて、拳を下ろす。私は話し合える気がして、彼女に近づきたいと思ったが、足が動かなかった。せめてもの思いで、私も構えを解く。無防備だったが、これで不意を打たれるならそれでもいい、と感じられた。

 

「でも、許せる訳がないだろう? だって君は、一度も謝らなかったじゃないか。翔鶴の葬儀に来なかったのを責めた時も。ボクをこの件に巻き込んだ時だって。ほんの一言でよかったんだ。()()()って、それだけ言ってくれたら、ボクは何だって君の為に手を貸せるのに、いつまで経っても……」

 

 顔を上げた最上の赤らんだ頬には、涙の筋ができていた。私は愕然として、へたり込んだ。謝らなかった──そうだ、私は謝らなかった。戦争が知らない間に終わり、世間が変わって、でも私は変われないままで。それで溜まった莫大なストレスを、最上や翔鶴姉、他の戦友たちが私の為に心を砕いてくれるのを見ることで、解消していた。それが目覚めてから間もなかった頃の私を、正気に保っていたのだ。だから、謝らなかった。生きる為だから、それを仕方ないとでも思っていたのだろうか。

 

 嫌われていたと思っていた相手に、まだ好かれていた。その喜びと罪悪感に涙が溢れて、視界がにじむ。そうしなければならないという強い使命感から、「ごめんなさい」と私は繰り返し言った。言うのが遅すぎたことは分かっていたが、それでも、親友を悲しませたままにしておきたくなかった。私たちはどちらからともなく抱きしめ合い、久しく感じることのなかった友人の温かさを、全身を使って受け止め続けた。

 

 体から力を抜き、戦友を道連れにごろりと横たわる。最上は子供のような無邪気さのある笑い声を上げた。その声は未だに涙の影響で掠れていたが、暗いところは一切なかった。抱き合ったまま、彼女は片手で半端に染色された私の髪をつまんで、「どうしたもんかな」と困り顔でぼやいた。「君の髪も、部屋の中も、めちゃくちゃになっちゃった」()()()()()()()()()()()()でしょ、と訂正してやるべきなのだろうが、その罪は私のものでもある。そこで私は、最上の胸に染髪料でべたべたの頭を何度かこすりつけると、彼女の抗議の言葉を遮って言った。

 

「ちょっと前に、ある一人の雲龍の話を聞いたんだけどね……」

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