死した鶴   作:Гарри

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05.「わが良き最上」

「この熱烈な歓迎からして、彼女にはかなり好かれてるみたいだな、瑞鶴」

 

 咳き込む私に、手を差し出しながら初月が言った。私はその手を取って立ち上がりざま、勢いをつけて最上の腹に右の拳を突き込む。硬い感触は、彼女の腹筋によるものだ。しかし正規空母艦娘である私の打撃は、航巡の腹筋で止めることができるほど優しくない。ふざけて打ったのでもない以上、こちらの攻撃が元戦友の涙ぐましい抵抗を貫くことは分かりきっていた。沈み込んだ拳を引き戻さず、そのまま押し込みながら左手も使って突き飛ばす。全力を込めずとも最上の軽い体は簡単に動かされ、彼女は押し出された方向にあった椅子に座り込んだ。尻をしたたかに打ちつけたせいか、尾てい骨の辺りを撫でさすっている。白けたような響きの声で、初月がコメントした。

 

「もう済んだか? お前たちが知らないかもしれないから言っておくんだが、それは人類の文化圏じゃ使わない挨拶だぞ」

「おい、君が誰だか知らないがよく聞けよ、ボクが」

 

 最上の言葉が終わる前に私は足を上げて、彼女を蹴飛ばした。椅子がひっくり返る。これでパンチ一回に蹴り一回、貸し借りなしである。気持ちよく話し合いもできるというものだ。初月が倒れたままの最上の横まで行ってしゃがみ、顔を覗き込むようにして訊ねる。「“ボクが”何だ? いや待て、当ててみよう……“最上さ”だろう? よろしく、会えて嬉しい、僕は初月、お前の旗艦だった翔鶴の友人だ。あっちの紹介は必要ないな?」最後の問いかけと共に、彼女は私の方を一瞥した。これは推測なのだが、初月は初対面の相手にはとびきり嫌な奴になる呪いでも掛かっているのではないだろうか。私と最上が交わしたのは単なる肉体的な接触だ。それは体を傷つけるかもしれないが、長くは残らない。だが初月が私の元艦隊員と交わそうとしたのは、もう少し尾を引く類のものだ。最上はごろりと横に転がって椅子から離れると、立ち上がって私を見た。そして冷たさのこもった声で言った。

 

「まあ、座りなよ」

 

 その言葉を切っ掛けとして、私たちは暴力ではないやり方で対話することに合意した。数分後には、私たちはダイニングテーブルを囲んでいた。でもそれは、私と最上の間に降り積もって凍りついた雪が、溶けて消えたということを意味してはいなかった。最上は礼儀正しいというだけのことだ。彼女は客を立たせたまま、あるいは床に転がしたままで用件を聞くような、余裕のない艦娘ではないのである。少なくとも今はそうだ。私たちの持ってきた話を聞いて、これからどうなるかは知らないが。

 

 予想通りと言うべきか、最上は唇の渇きが癒えると、真っ先に翔鶴姉の葬式の話を始めた。彼女の意見は複雑だった。最上は、私がそこにいるべきだったのにいなかったことを責めると同時に、そもそも葬儀に来る資格が私にあったかどうかを疑問視していた。これについては、返す言葉もない。私は反論をせずに、元戦友がこちらのことを散々に非難するのを聞いていた。耳に入ってくる言葉はその一つ一つが、私がこれまでに彼女をどれほど深く失望させ続けてきたかの証だ。聞き流すことはできなかった。しかし私がそう思っているということは、初月には関係がない。相槌を打ち、返事をしながらも、彼女が余計な口を挟まないのを祈るばかりだった。

 

 概ね言いたいことを言ってしまったのか、最上が一度口を閉じる。その短い沈黙に、初月が乗じた。「どうして彼女が瑞鶴──自分の元艦隊員だと分かった?」世間話とは言えないが、本題とは違う話題から入っていくつもりらしい。最上を無意味に怒らせるような話をするのでもなければ、特に止める理由はなかった。それに、その質問の答えには興味がある。私のかつての戦友は、胡散臭げな目を初月に向けた後で、はっきりと答えた。

 

「こんな時間帯にアポなしでボクを訊ねてやってくる迷惑な知り合いは、君のお友達ぐらいだからだよ」

「たったそれだけの理由で、確かめもせずに殴りつけたのか?」

「まさか、顔を見て確かめたさ。他の誰に似てたって間違えやしない、殴りたくなる顔だった。ここ十数分のボクしか知らない君には信じられないだろうけど、ボクがそういう風に思う相手は少ないんだよ。今すぐ憲兵を呼んで脱走兵として引き渡さないのは、翔鶴が生きてたら、そんなことを絶対に許しはしなかっただろうって思ってるからだ」

 

 そう言ってから、彼女は急にこちらへ視線をやった。剣呑な目つきだったが、翔鶴姉の葬式にまつわることで私を責める気は、とりあえずなくなっているようだ。だがそう安心できたのも一瞬のことで、彼女は蔑みを含んだ口調で「君は一体、ここに何をしに来たんだ?」と私に言った。それこそ話したかったことだ。予想外にも彼女の方から話を振って貰えたので、具体的に説明しようとする。と、最上はこちらに向かって平手を突き出し、顔を背けて、私の言葉を遮った。

 

「どうせ刑事や探偵の真似事でもしてたんだろう、脱走までしてやるのがごっこ遊びとは、全く恐れ入るよ。で、そのお遊びにも飽きて、抜け出してきた()()()に帰りたくなったのかい? だったら来る場所を間違ってるし、ましてやボクが君の代わりに頭を下げて、脱走の罪をなかったことにしてくれるのを期待してるなら──冗談じゃないよ、君の人生の面倒なんか、もうこれっぽっちだって見る気はないぞ!」

 

 そう怒鳴られて、私はしげしげと最上を見つめた。彼女の息は荒く、肩は小さく上下していた。怒りに理性を失っているのは一目瞭然だ。こういう時こそ、付け込む隙というものができる。怒りは誰にとっても重要な感情だが、あくまでそれはコントロールされていてこそのものだ。今の最上みたく、感情を意志の鎖から解き放つ行為は、享楽的で一見して魅力的に思える。が、理性という服を脱ぎ捨てて、心を開けっ広げにしているという点では危険極まりない。私は隣の初月に耳打ちをし、同意を得た上で翔鶴姉のメモリーカードを卓上に出した。

 

「私の人生の面倒なら自分で見るわ。でもこれだけはどうしても、あんたに見て欲しいの。翔鶴姉の家で見つけたんだけど……中身が何なのか分からない、恐らくは暗号化されたファイルが入ってる。翔鶴姉がどんな仕事に就いてたか知ってる?」

「軍警察だろ、知ってるよ。だからこそ、翔鶴は君を逮捕して、刑務所(“島”)に送るべきだったんだ。ボクは何度かそう言ったのに、何で彼女は君みたいなのをあんなに……」

「そこまで言われてたとは思わなかったけど、まあそれはどうでもいいか。それより知ってたなら、今言ったファイルがどんなものか、想像できるでしょ。ねえ、最上、お願いだから。翔鶴姉に誓って、これが済んだら、もう二度とあんたには近づかない、迷惑も掛けないから。このファイルの解析を、手伝って欲しいの」

 

 最上の目の焦点が、卓上のカードに合わせられた。彼女の表情は彫像のように動かず、その皮の下でどんな考え事をしているのか、私には計り知れなかった。最上は現実主義的なところがある。翔鶴姉は彼女の旗艦で、慕いもしていただろう。もし、私が翔鶴姉を庇い、昏睡に陥ることになったあの戦闘中、最上が私の立場だったなら、やっぱり彼女だって同じように、命を懸けて旗艦を庇った筈なのだ。でも彼女は私が今そうしているように、死んでいる翔鶴姉の為にまで僅かでも危険を冒そうなどと、本当に思ってくれるだろうか? かつての艦隊員たちと結んだ絆のことを、私が過度に神聖化していないと、誰に保証できる?

 

 テーブル上の一点を見たまま動かない最上の姿に、そんな疑念を感じてしまう。そのお陰で、最上がカードを指で押し返してきた時にも、がっかりせずに済んだ。「無理だよ、瑞鶴。君には協力できない」と彼女は言った。想定できていた答えだ。すかさず言い返す。「私の為じゃなく、翔鶴姉の為になら、どう?」これを聞いて、最上はうなだれた。私を責めていた時の彼女と同一人物とは思えない、弱々しさを感じさせる態度だった。彼女は板ばさみになっているのだ。翔鶴姉への想いと、自己保身欲求の板ばさみ。それがつらいものなのだろうということは、私にだって分かる。なので、追い立てることはしなかった。初月は違ったが、私は何とか彼女を抑えた。何分かして、最上はようやく一言呟いた。

 

「分かった」

 

 その言葉が耳から入ってきた途端、体から力が抜けて、ほうっ、と息が出た。彼女は「分かった」と言ったのだ。その逆の答えでなくてよかった。これで翔鶴姉が何を遺したのかに関しては、全て知ることができるだろう。それまでにどれくらい掛かるかは、最上の能力やファイルのプロテクト次第だからよく分からないが、漸進(ぜんしん)しているという確信を持てることが重要なのだ。

 

 最上は一度彼女が退けた記録媒体を手に取ると、立ち上がった。落ち着いた足取りで、部屋の隅に置かれたパソコンデスクの方に向かう。もちろんそこには、彼女の私物のデスクトップコンピューターが置いてあった。軍規ではご禁制になっているのだが、上手に隠し通しているらしい。最上は疲れきった人間のように、どすんと音を立てて、デスク前に置かれたキャスター付きの椅子に座った。私たちもそれに追従し、彼女の周りに椅子を持っていって腰掛ける。

 

 コンピューターはスリープ状態だったので、最上がキーボードを適当に叩くと、じきに復帰した。スリープする前に彼女が起動していたプログラムや開いていたファイルを、次々に閉じていく。その中の一つに、宿舎の廊下に設置された監視カメラの映像を、中継しているものがあった。その中継画面の上には、「工廠」「出撃用水路」「門衛所」などといった名前のタブが並んでいる。これで私たちの顔を確認したのだろう。初月に目をやると、ゆっくりと頷いた。私はそれを、感心を意味する仕草だと考えることにした。

 

 邪魔なプログラムを全部閉じた後で、最上がカードリーダーに翔鶴姉の遺したメモリーカードを差し込んだ。自動的に新しいウィンドウが現れて、中身をユーザーの前に示す。最上はマウスを握り、私や初月が太刀打ちできなかったファイルを右クリックすると、現れたメニュー中の「プログラムから開く」の上にカーソルを動かした。横にもメニューが出る。そこには何の為に使われるのか分からない、ソフトか何かの名前がずらりと並んでいた。その中にあった英語っぽい名前の選択肢を最上が選ぶと、プログラムが起動し、ウィンドウが一つ増える。元戦友がやっていることの内容が私に分かったのは、そこまでだった。

 

 何だこれ、と考えながら、モニターを見る。私には数字とアルファベット、記号の羅列にしか思えない。僅かな知識のお陰で、それが何らかの法則によって書かれているものであると思うことはできたが、信じることはできなかった。初月も眉を寄せて、未知の世界に対する根源的な恐怖と忌避感を表している。唯一最上だけが、それとは別種の厳しい表情を浮かべていた。戦争中、たまに見ることのできた顔だ。それは、どうしようもない状況に自分たちがいるということに、手遅れになってから気づかされてしまった時に見せる顔だった。

 

「なんてものを、翔鶴」

 

 仰け反り、椅子の背もたれに頭を乗せると、最上は断末魔めいた呻き声でそう言った。それだけでは、私と初月はさっぱりだ。そのことに気づいたのか、彼女は姿勢を正し、モニターを指差して、そこから何を知ることができたのか教えてくれた。

 

「このファイルは暗号化されてる。それだけなら、別に珍しいことでも、危険なことでもない。マズいのは、その暗号の持っている癖なんだよ」

「癖?」

 

 彼女の言っていることを詳しく知りたくて、聞き返す。だが、いい話ではなさそうだった。

 

「そう、どんな暗号にも、一定の癖がある。指紋みたいなものさ。知識があればその癖から、使われた暗号が分かることだってあるんだ。ボクには分かる、翔鶴が遺したこのデータには海軍の、それも技術研究所系の暗号が使われてる」

 

 何の理由があってここで海軍が出てきたのか、私には分からなかった。最上にも初月にも分からないようなので、劣等感は抱かずに済んだが、海軍がどういう風に、翔鶴姉の追っていた事件と関係しているというのだろう? 手掛かりもないのに、考え込んでしまう。と、初月が口を開いた。

 

「どうしてそんな暗号の癖が分かるのか、念の為に聞いておきたいんだが」

「いいよ、教えてあげる。ここは海軍の研究所で、実はボクってその一員なんだ! びっくりしただろ? だから暗号化されたデータなんかも、それなりの頻度で扱うのさ。その時に、ちょくちょく覗き見してたんだよ」

「しかし、お前は艦娘だ。研究員じゃないだろう? どういう状況でそんなデータを扱うんだ」

「詳しい話をすると機密漏洩になっちゃうから言えないけど、ボクたちは新型装備のテスターもやってるんだ。生産に妖精たちが関わってない、電子戦関連のね。後は察して欲しいかな……それで、瑞鶴」

 

 名前を呼ばれて、彼女を見る。よくない、と私の心が囁いた。最上の表情は余裕の仮面の形を保ったままこわばっており、完全に腰が引けているのが見て取れる。元々、乗り気ではなかったのだ。そこに、広義では自分の所属でもある海軍研究所が関わってきた。深入りすれば、自身の命も危ないかもしれないと考えるには、十分な材料だ。事実、この情報を持っていた翔鶴姉は殺されている。殺されたのが何故かは今もって分かっていないが、仮にこのデータが原因だったとしても、さほど驚くには値しないだろう。

 

 だが命の危険があることを理由にしても、最上を逃がす訳にはいかない。彼女が言う通り、このファイルが技術研究所系の暗号とやらが使われているなら、最上は私の知る中で、その復号が可能なところにいるたった一人の人物だ。探せば他にもいないとは限らないが、目前に条件を満たし、協力させられる人物がいる時に、その予備や代用のことを考える必要性は薄い。私は何を言うべきか分かっていたが、元戦友の言葉を待った。それが予想と違ったものである小さな可能性を、否定したくはなかった。

 

「はっきり言うよ。こんなものが関わってることに、ボクは手出ししたくない。今だって、さっき言ったことを撤回するようで悪いけど、君たちを通報するべきか本気で迷ってるんだ」

「一つ告白するとね、私もさっきまで迷ってたのよ。どうやったらあんたを説得できるだろう、ってね。けどもうやめることにしたわ、説得なんか」

 

 素早く最上の後ろを取り、首に腕を回す。締め上げはしない。これが初月相手だったならそうしていただろうが、最上にそこまでの恨みはない。彼女が翔鶴姉の仇討ちを避けようとしたのは残念だが、憎しみの対象にはなり得ない。私が憎むのはこちらに砲を向けてくる深海棲艦や、翔鶴姉を殺した連中だ。だが最上には、そんなことは分からない。そもそも彼女は、私の正気が恒常的なものであるとは信じていないだろう。私は暴力でこのまま脅すこともできる。が、それでは足りない。暴力には、その場限りの効力しかないからだ。私たちがここを出た後で通報されたら、間抜けもいいところである。

 

 一方で、役立つのが恐怖だ。私はそれを、戦後に配属された艦隊で、戦後組の新米艦娘たちを相手にして学んだ。艦娘は暴力を問題にしない。目を潰されようか手足を失おうが、どうせ入渠で治ってしまう体では、それは一過性のものにしかならない。しかし恐怖は、心に根を張る。精神の、十分に深いところまで浸透した恐怖は、それをもたらした者が遠く離れても、被害者を縛る。戦中組の艦娘たちにさえ、戦争の渦中で植えつけられた恐怖に、上手く対処できない者がいるのだ。いわんや実戦経験の薄い新入りたちをや、というものだった。

 

 最上はこれで完璧に、私を軽蔑するだろう。復讐が成就するまでは、彼女の裏切りに怯えながら日々を送ることになる。それこそ私の恐怖だった。でも、やらなければならない。最上が必要なのだ。私は意を決して、彼女を縛る為の言葉を発そうとした。だというのに、初月が横から手を伸ばし、私の首を掴む。それで、脅し文句は口の奥に留まった。そうして声の出ない私の代わりに、彼女が言った。

 

「言ってなかったが、僕は軍警だ。翔鶴とは相棒だった。最近は仕方なく、彼女の考えなしの妹と組んでいるがね。……ほら、これが証拠のID。さて、提案はこうだ。もしお前が僕に協力してくれるなら、お前を守ろう」

「自分の相棒も守れなかったのに、ボクを守れるのかい? それに君の新しい相棒は今、ボクの命を脅かしている真っ最中だ。そんな状況でされた提案なんか、信用できないね」

 

 初月がこちらを見る前に、私は最上の首から腕を離した。性悪の駆逐は機嫌よさそうに笑い声を小さく上げ、私の首を抑えていた手でこちらの肩を二、三度叩くと、その手を下ろして相手の言うことを認めた。

 

「分かった。お前を守るという約束は信じなくていい。うん、そうだな、もっとマシな約束をしようじゃないか。僕はこれから、お前が協力してくれたと広めて回るつもりだ。誰かがお前を殺しにやってくるまでどれくらい掛かるか、瑞鶴と賭けでもして待つさ。どうだろう、これは信用に足る提案じゃないか?」

 

 私の元戦友は屈した。怒りや蔑みの感情を宿した目が、私と初月を見ている。悔悟の気配も、薄くだが感じられた。きっと、私たちが来た時に迎え入れずに追い返しておくべきだったことを、手遅れになった今になって悟っているのだろう。だがとにかく、彼女はこちらの要求に屈したのだ。私は初月に、データはコピーを済ませてあるかと訊ねた。彼女はごそごそとスカートを探ると、USBメモリを取り出した。裏に布でも縫い付けて、ポケットを自作したのだろうか。初月はUSBメモリを最上に渡し、カードの方を受け取った。

 

 これで用は済んだ。最上を今より不愉快にさせたくないので、出て行こうと決める。それを「ちょっと待て」と、不本意な現相棒(初月)が止めた。まだやることが残ってる、と言う彼女の手には、携帯電話が握られていた。私は自分が認知症の老人にでもなった気がした。作業が済んだら連絡して貰う必要があることを、どうして忘れることができたのだろう? それとも私は、進捗具合を確かめる為だけに、この研究所を定期的に訪れるつもりだったのか?

 

 差し出された携帯電話を、私の元艦隊員は拒まなかった。パソコン用デスクの下から段ボール箱を出すと、その中に入っていた種々のコネクタ類から一本を抜き取り、携帯電話とパソコンを接続する。私には魔法のように見えた数分が過ぎた後、彼女は初月に携帯を返した。最上は言った。「君たち由来のものなんか、なるべく持っていたくないんでね。必要な時は、ボクのやり方でその携帯に連絡を入れるよ」賢いやり方だ。こちらとしても、最上と私たちを繋げられる物的な証拠など、少ない方がいい。

 

 部屋を出る。案内人はいなかった。無用心なことだ。何歩か行くと、最上の部屋から物音が聞こえてきた。私たちは足を止め、その音が争いによるものではなく、部屋の主が暴れている為のものだと判断すると、歩き出した。最上本人と、解析の為に必要なパソコンやメモリが無事なら、後は何を壊そうと彼女の問題だ。たとえ私たちが、それを引き起こした原因の一つであったとしてもだ。

 

 資材搬入門の門衛は、私たちが通る時に声を掛けてきた。初月は運転席の窓を開け、また握手をした。そのまま無事に研究所を出る。空を見れば、星と月が出ていた。我ながら風情のないことだが、最上との話し合いでカロリーを消費したのか、空腹を感じた。カフェでの食事は、夕食の代わりにはならなかったようだ。初月にその旨を告げると、彼女も同意見だった。私たちはお腹に溜まるものが食べたいという点でも意見を合致させ、車を走らせた。

 

 店までの道中、今晩はこの付近で宿泊し、明日になったらもう一度浦風を訊ねに行ってみよう、と提案する。浦風が冷めにくい性質(たち)でなければ、一晩という時間の後では、彼女から正しい判断を引き出せるだろう。初月は短くても三日、長ければ一週間、最悪なら一ヶ月は掛かると見ているようだが、これは誤りだ。極限状態で研ぎ上げられた本物の駆逐艦娘は、だらだら考えたり迷ったりしない。決める時はすぐだ。初月だって駆逐艦娘の一人だというのに、軍警生活が長引いて鈍ってしまったのだろう。

 

 私の提案が受け入れられたので、続いて宿泊先について話す。まず、災害時じゃあるまいし、車中泊は論外だ。けれどビジネスホテルでもカプセルホテルでも、受付には人がいる。私は変装しているからいいが、初月は艦娘の格好だ。服は着替えればいいにしても、顔だって整いすぎている感がある。となると、受付を通さずに入れる場所を選ぶか、先に挙げた問題点を解決しなくてはいけない。この分析を聞いた初月は、グローブボックスを開けるよう私に頼んだ。

 

 彼女に従ってボックスを開ける。その中には使い捨てのマスクが入っていた。車のトランクには、普通の服も用意してあるという。万事、想定済みという訳だ。短い付き合いの中でさえ、何度も示されてきた彼女の用意のよさに、私はすっかり安心した。彼女の人間性については擁護のしようがないとしても、手際ということに関しては、彼女を尊敬してもいいと思った。ああ、尊敬ついでに、感謝もしておかなければならない。しかもそれは、明確な言葉にするべきだろう。

 

「さっきはありがと」

 

 何のことだか分からない、という風に初月はこちらを一目見た。はぐらかしてしまいたいのだろうが、そうはさせない。「最上を脅す役目、代わってくれたでしょ」「下手な脅しじゃ逆効果だと思ったからな」嫌な奴ぶって、そう答える彼女の横顔を見る。擬態は完全だ。何も知らない誰かが見れば、この駆逐艦娘を嫌悪しただろう。私が初めて会った時や、その少し後までそう思っていたように。でも今の私は、それなりに彼女を知っていた。それに私の脅迫でだって、最上の保身欲求を折れていた筈だ。よしんば私が一線を越え、“下手な脅し”をしてしまったとしても、逆効果にまではならなかったろう。

 

「それでも、お礼ぐらい言っとこうと思ってね。私が言うべきだったのに、あんたに言わせちゃったから」

 

 そう伝えたところで、私たちの乗った車はビジネスホテルの駐車場に入った。白線で区切られた小さなエリアの上でエンジン音が途絶えると、初月の小さな溜息が耳に入る。長時間の運転で疲れているのだろう。着替えもせずにベッドに飛び込みたいのを、我慢しているのだ。私は先に下りて、彼女が車中で着替えをする間、周りに人がいないか確認することにした。見られたって気にしない艦娘も多いが、私の感性はそこまで鈍磨していない。初月のも、恐らくはそうだろう。

 

 ドアを開け、車外に出る。振り返ってドアを閉めようとした時、初月が私の名を呼んだ。彼女は運転席に座って前を向いており、顔面にはもう見慣れたと言ってもいい、むすっとしたあの表情を貼り付けていた。初月はそれを崩さずに、本人は気づいていないのだろうが、ほのかに温かみを感じる声で言った。

 

「まあ、何だ。友達まで失わなくても、いいだろう」

 

 私はドアを閉め、くるりと背を向けて車に寄りかかった。背後で、運転席のドアが開く。初月が外に出てトランクから服を取り、車内に戻って着替える動きが感じ取れた。数分後に彼女がもう一度車から出てくると、私たちは何事もなかったかのように、宿泊の手続きを済ませる為、ホテルの入り口へと向かった。

 

 あれ? お腹に溜まるものを食べるんじゃなかったっけ? という疑問がふと浮かんだのは、初月の姉を装って部屋を取った後だ。だがその考えも、少ない荷物を部屋に置いた後、私の新しい妹が「さあ、これで僕も飲めるな」と言うまでの命だった。私たちはホテルを出ると、来る途中に見つけたチェーンの居酒屋まで歩いた。初月の年齢を確認されるかと思ったが、休暇中の艦娘だと思ったのか、特に何も言われずに小さめの個室に通して貰えた。サービスの行き届いた店じゃないか、と初月が考えているのが、彼女の微妙な表情の変化で分かった。

 

 そして私たちは飲んだ。あるいはこういうべきかもしれない、大いに飲んだ、と。もし万全を期するつもりなら、やめておくべきだったのだろう。酔っ払うのは楽しいが、安全ではない。頭の回転や反応は鈍くなり、体は言うことを聞きづらくなる。気分だって、飲みすぎれば悪くなってしまう。もし私たちが追っているものが、最上の恐れたような闇の深さを備えているなら、それは突然こちらに牙を剥いてくることだってあり得るのだ。そんな時に酔っていたら、身元不明の遺体がたちまち二つできあがるだろう。

 

 しかし同行者が最高の友人ではないという点を割り引いても、一緒に酒を飲んで馬鹿な話をするのは楽しかった。初月は最上ほど強く私を嫌っていないし、彼女ほど長く翔鶴姉と共にいた訳でもないので、私が愛した姉の思い出話もできたというのも大きかったと思う。また初月からぽつぽつと聞く、軍警捜査官としての翔鶴姉の話も、悪くはなかった。私たちはすっかり気分をよくして、ゆらゆらと身を揺らしながら部屋に戻り、ベッドに倒れこんでからいい加減に服を脱ぎ散らかすと、そのまま眠った。

 

*   *   *

 

 肩を揺すぶられて、意識が覚醒する。頭が殴られた後のように痛んだが、それより強い痛みを私は何度となく体験してきた。その為、不機嫌になることもなく目を覚ますことができた。隣に目をやると、下着姿の中学生にしか見えない初月が、半身を起こして私を見ていた。同じベッドで、同じ掛け布団に入っている。この事実は私たちの関係が、意図していなかった方向に進んだことを意味するものではない。もっと受け入れやすいもう一つの事実、すなわちこの部屋がダブルベッド一台の二人部屋であることを意味していた。その部屋しか空きがなかったせいだ。

 

 この状況に関係した冗談の一つでも言ってやろうかと思ったが、初月が私を()()()()ということが気に掛かった。時計を見る。早朝とは言えないにせよ、寝すぎたとするにはまだ早い時間だ。新手の嫌がらせでないなら、何がしかの、より重大な理由があるのだろう。起こされてから数秒の間にそこまで思考を進めると、私は全てを解決してくれる短い一言を発した。

 

「何?」

「テレビを見ろ」

 

 そう言われて、ベッドの反対側に置かれていたテレビを見る。ニュースが流れていた。火事があったらしい。既に消し止められているが、重傷者が一人出たということだった。そこまでなら普通のニュースだ。しかし、出火元として映し出されたのは、私の記憶にもまだ鮮やかなまま残っている、あの浦風の家だった。「僕らにも運が向いてきたな。浦風を襲った誰かはしくじったようだ」と初月がこともなげに言った。襲われた駆逐艦娘が聞いたら憤慨したろうが、この性悪が言うこともあながち間違いではない。

 

 次の話題に移ったニュース番組を眺めながら、考える。キャスターは、死者・行方不明者が出たとは言っていなかった。軽傷の者についても言及はなかったと、初月も認めた。なら、重傷者とは浦風のことだろう。当然、彼女は病院に運ばれた筈だ。何処の病院か? 呉鎮守府付属の軍病院以外に運ぶ理由があるなら、教えて欲しいものだ。あそこには艦娘が負傷を治す為の施設、いわゆる入渠(にゅうきょ)ドックや、高速修復材なども揃っている。傷ついた艦娘が生きたままあそこに辿りつけたなら、失血と感染症、そして医療ミス以外に恐れるべきものはない。

 

 次の目的は依然変わらず、浦風に翻意を促すことである。行き先は少し変わったが、目的達成の困難さはむしろ下がっただろう。彼女は自分の命が危ないことを、認めざるを得ない。私たちに手を貸すことで事態を打開できると信じさせられれば、きっと何だって喋ってくれる。ただし、急がなければならない。浦風の始末に失敗したことは、事情を知っている者にとって秘密でも何でもないのだ。とすると彼女を襲った誰かは、今度こそ確実に息の根を止めに来る。もし先を越されたら、私たちは浦風の死体と交渉することになるだろう。それはとても難しい話だ。

 

 昨日、呉鎮守府を訪れた際の、周囲の景色などを思い出す。軍病院は、鎮守府から道路を一本挟んだ向こう側、元は入船山公園と呼ばれていた土地に建てられていた。これは私たちにとって、都合がよかった。軍病院の中には、基地内に設けられているものもあるからだ。そこに入ろうと思ったら、検問を抜けなければいけない。できないことはないだろうけれど、そうすると記録が残ってしまう。なりたくてそうなったのではないにしても、私は脱走兵なのだ。記録されるのは避けたい。

 

 ホテルを出て、初月が艦娘用の服に着替えるのを待ってから、呉へと戻り始める。高速に乗って三十分ほどした頃に、彼女はこちらに声を掛けた。二度寝していた私は今度こそ不機嫌になり掛けたが、病院に着いてからの動き方を決めておこう、という彼女の意見には、逆らいがたい正当性があった。ちぐはぐに動いていては、できることもできなくなってしまう。自分の頬をぴしゃりと叩いて活を入れ、初月の持っている案を聞くことにした。

 

「病院内に入るのは簡単だ。鎮守府外だし、セキュリティチェックはないか、あってもそこまで厳しいものではない。だから第一に行うべきことは、浦風のいる病室の特定だ。これも難しくはないが、何故か分かるか?」

「部屋の前に警備が立ってるから、とか? 立ってるのが軍警になるか、海軍になるかは分からないけど」

「正解だ。だが学校で習っただろう、計算式を省いて答えを出しても、点数はやれない。どうしてそう思った?」

「まず、火は制御しづらいし、殺害確認が困難でしょ。確実に殺したい目標に、そんなもの使うとは思えない。通常の人間が艦娘を狙う場合なら話は別だけど、今回の犯人が翔鶴姉をやったのと同じ奴なら、それも否定できる。艦娘殺しが複数人いるって仮定は、少し荒唐無稽だし。従って火は証拠隠滅の為で、襲撃には普通の武器、ナイフとかを使った可能性が高いって考えるのが一番しっくりくる。となると襲われたのは傷を見れば一目瞭然、護衛も付くってものよ、どう?」

 

 我ながら、すらすらと思いついたものだ。少し鼻が高くなって、ふふん、と小さく笑いながら初月を見やる。イラッとさせてやるつもりだった。だが、初月の笑顔の方が凶悪だった。口の両端を素手で無理やり引き裂いて作ったような笑みで、彼女は嬉しそうに言った。「お前は自分の頭蓋骨の内側が空洞じゃないことを、見事に証明した」僕の予想に反してな、と加えてから、“第二に行うべきこと”の話を始める。

 

「軍警のセオリー通りなら、最低でも外に二人、中に一人は警備がいる。これをどうにかしなければいけない。交代要員を装って追い払ったり、ちょっとした騒ぎを起こして引き剥がすもよし。大騒動で病院ごと混乱の渦に叩き込み、その隙に乗じて無力化してもいい」

「大騒動って、具体的には?」

「簡単なのは火事だな。火災報知機を鳴らすだけでいい。同時に複数個所で作動させれば、火元の確認にも一手間掛かる。万が一手術中の患者でもいたら、死ぬかもしれないのがデメリットかな」

 

 考える必要はなかった。脱走したからと言って、艦娘でなくなった訳ではない。これまで命を懸けて守ってきた人々を傷つけるようなリスクは、なるべく避けたかった。初月の方もこれを選択するつもりがなかったらしく、彼女はすんなりと案を取り下げると、私に「二手に分かれよう。騒ぎについては、僕に考えがある。お前は浦風と話せ」と言った。人任せはよくない気もするが、ここは小さな捻くれ者のパートナーを信じてみよう。

 

 昼下がりになって呉に到着し、軍病院の地下駐車場に車を入れると、初月は私に携帯電話を差し出してきた。最上に渡そうとしていたものだ。受け取って見てみると、イヤホンマイクが付いていた。分かれた後、連絡を取り合い、騒ぎを起こすタイミングを決めたりするのに使えるだろう。それに浦風と話したことを、一々後で説明し直さなくてもよくなる。二度手間が嫌いな私には、ありがたい気遣いだ。

 

 ともあれ、初めに浦風の部屋を見つけなければならなかった。私たちは駐車場から病院に入ると、見舞い客めいた、やや神経質な足取りで入院病棟へ向かった。廊下を歩いていると、軍病院だけあって、ひっきりなしに艦娘の姿が見られた。その大半は、入院患者であることを示すリングを手首に嵌めているが、中には私たちと違って本当に見舞いに来たのだろう、リングのない者もいた。自分がリングを嵌めていた頃のことを思い出してしまい、憂鬱になる。翔鶴姉以外の艦隊員たちが、まだ私を愛してくれていた頃の記憶が、胸をひどく痛ませた。

 

 過去に囚われたまま何階層か歩き回っている内に、初月の肘に脇腹をつつかれて、思考を切り替える。「あれだ」と彼女は呟き声で言った。私は目を動かさないまま、今いる廊下の左側を見た。硬い面持ちの練習巡洋艦「香取(かとり)」が、個室病室の扉の横に微動だにせず立っている。それは訓練を受けた艦娘なら誰でもできることだが、ここに「警戒しながら」という分詞を加えると、途端にそうではなくなる。あの香取は手ごわい監視だ。誘き出せるだろうか。

 

 とりあえず彼女の前を通過し、廊下の角を曲がって進んだ奥にある、階段横の休憩用スペースに行く。そこの椅子に腰を下ろしてから、私は気になったことを話題にした。香取が外に一人でいた、という点だ。警備をしているのは軍警ではないのだろうか? 初月は、触り心地のよさそうな彼女のあごを指の腹で撫でながら、「呉側が『海軍病院内だから海軍の管轄だ』とでも主張したんじゃないか」と推し量った。いかにもありそうな話だ。

 

 携帯を取り出し、イヤホンを耳に押し込んでから、電話帳の中に一件だけ入っていた番号に掛ける。初月のスカートから振動音が二度ほど響き、それが止まると、通話が繋がった。何も言わずに、初月が席を立ち、階段を下りていく。暫くすると、彼女の声が耳元でした。「じきに配置に就くぞ。そちらの準備はどうだ」私は周囲に誰もいないのを確かめてから、それに答えた。

 

「もう少しよ」

 

 椅子から離れて、来た道を戻っていく。角を曲がれば、香取の姿が見えるだろう。彼女の姿を見てから、初月に合図を送ろう。手順を想像し、それに従うことで緊張と興奮をコントロールしようと試みる。実績のある手法だが、私への効果は限定的だった。それでも、何もしないよりはマシだったろう。いよいよ、角を曲がる時が来た。変な歩き方にならないよう、怪しくならないように気をつけながら、浦風の病室前を視界に入れる。

 

 そこに香取はいなかった。私は混乱した。予想せざる展開だ。病室のドアは閉まっているが、香取の姿がない。幸い、廊下には誰もいなかった。立ち止まり、「香取がいないわ」と初月に連絡を入れる。すかさず彼女は「待機しろ、すぐそっちへ向かう」と言ってきたが、私の頭は香取が姿を消した理由を考えることに使われていて、彼女の言葉を理解する余裕はなかった。

 

 香取はどうしていない? 彼女は、正当な理由なく自分の持ち場を放棄する人物には見えなかった。経験豊かな、きちんとした艦娘に見えた。なら、原因は一つしかない。彼女は「放棄させられた」のだ。私たちが丁度、彼女にそうさせようとしていたように。そして自分たち以外にそれをやる必要があるのが誰なのかに思い至った時、私は走り出していた。

 

 浦風の病室の、スライド式ドアに手を掛け、それを開ける。室内の様子が視界に映る。三人の姿が見えた。部屋の奥、ベッドの上で、目を閉じて眠る浦風。戸口から数歩のところで、今にも前方へ飛び掛らんとする姿勢の香取。弓道着と胸当てを着用して浦風の隣に立ち、香取に無表情で自動拳銃を向ける、私ではない“瑞鶴”。咄嗟に私は、制止の言葉を叫ぼうとした。これから何が起こるのか分かっていたが、そうなって欲しくなかった。だが声が出る前に、もう一人の“瑞鶴”は、引き金を引いた。

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