龍田の資料には住所もきちんと載っていた。そのまま向かってもよかったが、私たちは一度セーフハウスに引き返し、車で行くことにした。無断欠勤が始まったのは、つい最近のことだ。もし何か病院でやっていたことが終わり、龍田が円満にその場を去ろうと思ったら、普通は退職なり転属なりの形を整える。無断欠勤して姿を消すなんてことはしない。目立つし、記憶・記録に残ってしまうからだ。
だが、彼女は事実として、雑な方法で消えた。手間を掛けていることができない理由があったのだ。なら、部屋を綺麗に掃除していく余裕もなかった筈である。そこには軍警の関与の証拠になるものや、私たちが龍田を追い詰める為の武器にできそうな情報が残っているかもしれない。そんな時に徒歩で来ていたら、大荷物を引きずって帰ることになりかねなかった。情報が電子化されているとは限らないのだ。
住所の場所に行くと、アパートが建っていた。まっさらでぴかぴかの、というほどではないにせよ、比較的新しそうな外見の建物だ。龍田の部屋は分かっていたが、鍵に阻まれて入れないだろうということは知れていたので、まず私がアパートの大家に話を通しに行った。五十鈴の写真を撮影した画像で龍田の同僚だと信じ込ませ、無断欠勤が続いているのだと説明する。私が「彼女には代わりもおらず、激務でしたので、何かあったのではないかと心配で……」と言いながら目を潤ませると、たちまち大家の男は鍵を渡してくれた。ちょろいものだ。部屋の入り口ぐらいまでは立ち会わせなければならないかと思ったが、それすら必要なかった。
龍田の部屋のドアを開けようとすると、初月が「ちょっと待て」と私を制止した。ドアの前を譲り、代わりに開けて貰う。その心配は無意味だったが、罠があるかどうかを気にしていたようだ。そういうことには疎いので、私は入室の先頭を彼女に頼んだ。ドアに仕掛けられていなかったことを根拠にしても、部屋の何処にも仕掛け罠がないと信じることはできない。やっと龍田に追いつきそうなところなのだ。どれほど注意しても、しすぎることはあるまい。
玄関に上がり、短い廊下を抜けてフローリングのリビングキッチンに入る。奥と左に一部屋ずつ。どちらの扉も閉まっている。明かりをつけてもいいか、私は壁のスイッチを指差して初月に尋ねた。彼女は頷いた。ぱちりと小さく音が立ち、照明が光を発する。奥と左、どちらの部屋からも人の気配はしてこない。足音を立てないように、左の部屋のドアに忍び寄る。初月がドアノブを掴み、私を見た。見つめ返して首を縦に振ると、静かに彼女はドアを引き開けた。
リビングの光が差し込み、中の様子が浮かび上がる。和室だ。押入れがあるが、それ以外には特に見るべきものもなさそうだった。初月に後ろを見張っていて貰い、私は和室の中に入る。押入れを開けるが、そこにあったのは布団だけだった。布団の間に腕を突っ込んでまさぐっても、何もない。外れか、と呟き、奥の部屋に向かう。今度のドアは私が開け、初月が先に入った。入ってすぐ、彼女は普段通りの声で言った。
「当たりだ、来い。それともう声は抑えなくていいぞ、誰もいない」
ほどほどに気を抜いて、指示に従う。奥の間に入り、ドアを閉めるついでに明かりのスイッチを押して、天井の蛍光灯をつけた。まぶしそうに目を細めた初月が、会心の笑みで部屋の隅を指差す。外付けのポータブルハードディスクが接続された、デスクトップパソコンが机の上に置かれている。その横には書類棚が二つ並べて置いてあり、私の目にはまるで宝箱のように映った。病院から初月が拝借してきた手提げ鞄や、セーフハウスから持ち出したバッグの中に、書類棚の中身を片っ端から入れていく。気分は札束をかき集める銀行強盗だ。
私がそうしている間に、初月はパソコンの方を操作していた。そちらのデータを抜き出そうと頑張っていたようだが、汚い言葉を口走ると私に言った。「起動できない。パスワードが掛かってる」私は興奮状態を保ったまま数秒考えると、吹き出しながらの囁き声で、彼女をそそのかした。「ハードディスクだけ貰っちゃえばいいじゃん?」「いいアイデアだ」彼女はパソコン本体のふたを外し、HDDを抜き取った。外付けのものも、忘れずにバッグへと収めておく。
作業が終わって、さあ引き上げようというタイミングで、音がした。玄関からだ。私たちの脳は、一瞬で冷え切った。玄関に入る時、鍵は閉めた。でも、明かりはつけたままだ。マズい。大家なら何とでもなるが、龍田か彼女の仲間が証拠隠滅に戻ってきた確率が高い。ドアの脇で息を潜め、聴覚に意識を集中する。初月がこの部屋の照明を落とした。扉は閉まっているので、入ってきた誰かがそれを感じ取ることはないだろう。
声を出せ、と予期せぬ来訪者に心の中で呼びかける。艦娘なら、大抵は声で分かるのだ。玄関で靴を脱いでいるのか、ごそごそという音がしていた。私たちは土足のまま上がったので、靴で気づかれる恐れはない。今日は泥の上を歩いた覚えがないので、足跡も残っていないと思う。ドアを開けて、飛び掛かっていきたかった。こんな風に待つのは苦痛だ。前進し、掴み取るやり方こそ、私が慣れ親しんできたものだった。しかしここは海ではない。海じゃないなら、私のやり方がそぐわないのも仕方ない。
がさ、と初月の手元で布製の鞄の一つが音を立てた。鞄と呼ぶより、袋と呼ぶ方がそれを的確に表せる一品だ。彼女は私の耳元に、吐きだした息の熱を感じるほど口を近づけると、微かな声で言った。「奴は一人だ。入ってきたら、この袋を被せて、声を封じろ」了解を示す為に、彼女の肩をとんとんと叩く。渡された袋を握る手に、力が入った。
ぺたぺたという足音が、近づいてくる。警戒している雰囲気はない。明かりが灯ったままなのも、龍田がそれだけ慌てて逃げ出したということだと解釈したのだろうか。ドアが開き、リビングの照明の放つ光が、戸口の形に影を切り取り、また開けた者のシルエットを床に映し出す。訪問者の足が戸口をまたいだその時、私は動き始めた。高く持ち上げた袋を振り下ろし、そいつの頭をすっぽり覆う。そのまま腕を首に巻きつけつつ背後を取って締め上げ、足を絡めてバランスを崩させると、床に転がった。
警戒に値する力で暴れようとしたが、それでも私に御せないほどではなかった。性別は女性、艦娘だ。体躯からすると軽巡か、大きめの駆逐だろう。締め落としたのを確かめてから、初月の判断を仰ぐ。「そこの、パソコン用の椅子に座らせろ」蛍光灯を再点灯させながら、彼女が言った。私は袋を被せられたままの、気を失っている艦娘を引きずっていき、何とかずり落ちずに椅子へ座らせた。
すると初月は、コンピューターに繋がっていたケーブル類を引っこ抜き、それで簡単に彼女を拘束した。材質上の脆弱さから、その拘束はそこまで役に立たないことを指摘するが、捕まえられたということを分からせてやることが大切らしい。視界と自由を奪うと、ほとんどの場合で人は受動的になるのだと、実感のこもった声で彼女は私を諭した。何だか気に入らないが、彼女が大事だと思っていることを否定しないでもいいだろう。分かった風に頷いておく。満足そうに初月は唇を吊り上げ、捕虜に被せていた袋をくいっと持ち上げた。
素顔が明らかになり、私の記憶が彼女を、失踪していた第四艦隊の駆逐艦娘の一人だと判定した。浦風の情報通り、龍田に付き従っているのだろう。ここへ来て、本当によかった。情報源があっちから来てくれたんだから、これより嬉しいことは滅多にない。初月も私の考えに賛同すると、裂け目のような形に作った笑みから、犬歯を露にした。「それじゃあ、彼女が脳みその中に隠している秘密を探り出す時間だ。でもその前に、瑞鶴」お前は外に出ていろ、初月は譲歩を許さぬ口調でそう言った。私が黙って彼女を睨みつけると、おかしそうに笑い出す。
「なあ、お前がここにいたって楽しいことはないぞ。嘘じゃない、夜に悪い夢を見るだけだ。外にいた方がいい」
私が諦めて外に出なければ、初月は指一本動かさなかったろう。龍田の部屋の鍵を渡し、奥の間の戸口を抜ける時、彼女が「ここは任せろ、心配するな」とこちらに声を掛けたが、私はそれが聞こえなかったかのように振り返り、訊ねた。「あんたは?」質問が短すぎたせいで、彼女の表情に疑問符がにじみ出る。「あんたは悪い夢を見ないの?」言い直すと、初月は左右の人差し指で口の両端を押し上げて、その出来の悪い作り笑いのまま答えた。
「見ないさ。何故って、僕は悪夢に出てくる側だからな」
車で待っていたのは三十分ほどだろうか。初月は借りた時に大家から言われたように、彼の部屋の郵便受けに鍵を入れると、小走りでこちらへ戻ってきた。運転席に乗り込みながら、「荷物は?」と確認される。私は親指で後部のトランクを示した。初月がエンジンを始動させ、車が動き始める。まっすぐ隠れ家へ戻りそうになっていることに気づき、私は彼女を止めた。抜き取ったHDDのデータを読み取る為に、ケーブルが要るのだ。それで私たちは電器店に立ち寄り、買い物を済ませてからセーフハウスに帰った。
その間、私たちは龍田の部屋での出来事についての言及を、互いに避け合った。あの捕まえた駆逐艦娘を初月がどうしたのか、気にならなかったと言えば嘘になる。だが、聞かなければならないことだとは思わなかった。私の目的は翔鶴姉の復讐だ。それを忘れるつもりはない。彼女がいるところまでこの声が届けばいいと願いつつ、翔鶴姉の名を胸中で呼ぶ。その度に、私の決意はより固くなっていくのだった。
隠れ家に戻ると、私と初月は早速、今日手に入れたものを調べてみようと決めた。まずHDDの方を見ることになって、私はそれを初月のパソコンとケーブルで繋いだ。フリーズしやしないかと手に汗握る待機時間の後、中身が現れる。OSなどの、必要ないデータを削除して、龍田に関わる情報だけを抽出しようと試みる。がっかりしたことに、そうやって選り分けても大半は使えないか、使い道の少ないデータだった。それでも、数点の気になる情報を手に入れることができた。龍田が書いたらしいメールや、チャットのログだ。
メールの送信日は彼女が姿を消した日付を示しており、軍病院で浦風が襲われた件について、誰かを
チャットログの方を読んでみる。そちらも古いものは消されていたが、最新のメッセージは残っていた。そこには何者かが嗅ぎ回っているらしいことへの警戒と、チャットの相手が派遣してくる護衛とやらを待たずして、ただちに避難し、暫くは身を潜める旨が書かれていた。私たちの存在を感じつつあるようだ。それとも、翔鶴姉の残り香を嗅いでいるだけか。どちらにせよ、彼女は姿を隠した。そこが何処か突き止めることができれば、彼女を不意打ちできる筈だ。彼女を守る盾もいないようだし、捕まえることができれば、翔鶴姉が何の為に死ななければならなかったのか、明らかにできるだろう。それから、翔鶴姉と同じようにして殺してやる。
本体のHDDに残っていためぼしい情報はそのくらいだったので、外付けの検査に移った。ポータブルということもあり、容量は少なめのようだ。大したものは入ってないかもしれない。期待せずに接続すると、まず現れたのは大量のフォルダだった。それぞれに場所の名前がつけられている。その中の一つ、『陸軍総合火力演習会場』を開くと、何十枚という画像が出てきた。フォルダ名に違わず、演習会場のあちこちを撮影したものだ。
一つ階層を戻り、他にどんな場所が撮影されているか見てみた。軍警察本部庁舎があり、野球場があり、はたまた高級ホテルもあったりして、一貫性だけがないように思えたが、分類してみると半分ほどが海軍や軍警察、それに中卒で志願した後で退役した艦娘たちの為の、いわゆる特設高校など、艦娘関連組織に関係していた。隣でモニターを凝視していた初月が、息を呑んだ。「これは……マズいぞ」説明を求めなくとも、彼女は教えてくれた。
「この写真は、攻撃の下準備をする時に使うものだ。侵入経路や撤退経路、敵の逆襲に備えて防衛拠点を設置する場所、どれも網羅してある」
「龍田はこの場所全部、狙おうとしてるっていうこと? でも、そんな戦力が何処にあるのよ。失踪した艦娘たちを合わせても、到底足りそうにないけど」
「全部を狙うとは限らない。これらは候補で、実際の襲撃は数個の作戦目標に対してのみ行われる、ということもあり得る。そんなことはどうでもいいんだ。これが始まれば、艦娘ばかりが大勢死ぬ。誰がそんなことを喜ぶ?」
戦中組の艦娘としての私は、即座に答えを弾き出していた。「深海棲艦」と声が出る。しかし冷静に考えるまでもなく、それは奇妙だ。人に友好的な現在の主流派深海棲艦たちにとって、この襲撃は得がなさすぎる。艦娘が死に、深海棲艦たちが無傷ということになれば、世間がどう思うかは明らかだ。襲撃に乗じて、国内でクーデターでも起こすつもりもないだろう。世界には日本以外の艦娘保有国もあるのだ。日本一国を落とせても、全世界が海軍を差し向けてくる。全世界同時革命を起こす? それこそ荒唐無稽の極みだ。
では、
どうして龍田がそれをしようとしているのかは、分からない。でも五十鈴によれば、彼女は単冠湾泊地を丸ごと敵に回し、島一つを乗っ取って、何人十何人と追ってきた艦娘を撃退し続けた、筋金入りの狂人だ。私たちの論理で解釈しようとしても、しっくり来ないのは当然だろう。考えたら考えただけ、時間を無駄にすることになる。もっと別のことに注力すべきだ。
たとえば、軍警のことだ。あの“瑞鶴”が軍警向けの弾薬を使用していたことや、龍田が単冠湾で事件を起こした後、彼女を護送したのが軍警だということで、私たちはこの件に彼らの一部が関わっていると判断していた。翔鶴姉を殺した奴の側に立って、だ。そして私は、それはとりもなおさず龍田の側に立ってという意味であると思っていた。けれども、龍田のメールが私たちに読ませる為の嘘ではないなら、彼女すら襲撃を予期していなかったということになる。
つまりこの事件に関わる独立した勢力は、私たちと、龍田たちと、軍警、この三つに分けられるべきだったのだろう。でも、ここでまた疑問だ。龍田は蜂起を狙っている。私たちは復讐を企んでいる。ここまでは分かった。なら、軍警は? あの“瑞鶴”は、海軍所属だったのだろう香取を巻き添えにしてまで、浦風を殺そうとした。龍田への手掛かりを握る重要な人物をだ。それは、龍田が望んでいなかったことだったとしても、彼女への支援になる。軍警は、龍田を蜂起させたいのか? 本部が狙われるのは避けられないだろうに、それでもことを起こさせようとしている……なら、
理由がなければ、軍警司令は本部庁舎にいる筈である。彼女は戦中に融和派を通して深海棲艦との対話の切っ掛けを作り、戦争を終わりに導いた強力な指導者だが、それだけに敵も多いだろう。また、龍田の方でも彼女を生かしておいては、世間の動揺を最大にすることができない。反司令派が軍警司令を失脚させる、もしくは抹殺する為に龍田を放置・婉曲的に支援しているという推論は、一言では否定できない説得力を持っているように思えた。その場合、軍警司令が取り除かれた後は、彼女の後釜に座る誰かは、迅速に龍田を鎮圧するだろう。そしてそのことを声高に宣伝し、権威を高めるのだろう。
はっきり言って、そんなことはどうでもいい。軍警内の権力闘争なんか、私には関係のない世界だ。しかし、翔鶴姉がそれに巻き込まれる形で命を失ったとなれば、話は変わってくる。彼女を死なせたのは、間違いなく軍警内の一部の反動勢力だ。なら、翔鶴姉の死に対する復讐の一環として、彼らの思惑を粉々にしてやるのも悪くない。幸運なことに、私たちにはそのチャンスがある。龍田を捕らえ、何もかも喋らせるのだ。彼女は頭がおかしいという話だが、狂っていても痛みを感じない訳ではないだろう。
初月も、ここに至っては捜査を中断することに賛成した。もう捜査の段階は過ぎ去った。誰が敵か、既に私たちは知っている。次はそいつらの首元に食らいつくのだ。私の新しい相棒、頼りになる不良捜査官は、私の腕を掴むと、落ち着いて聞くように言った。私たちが捕まえた駆逐艦娘から彼女が聞きだした情報の中に、龍田の隠れ家に関するものがあったそうだ。私は衝動的に初月に詰め寄ると、その詳細を訊ねていた。「落ち着けと言っただろう」とたしなめられて、体から力を抜く。噛みつく相手を間違えてはいけない。初月は服の胸元をいじって整えると、龍田はとある山荘を使っている可能性が高いと言った。
「奴はそこに、一人でいる。狙うなら絶好の機会だ。夜を待って、突入するぞ」
待ってる間に護衛が到着したらどうするのか、と訊ねる。これにも彼女は答えを持っていた。「捕まえたあの駆逐艦娘がその護衛役なんだよ。で、彼女の合流予定が夜だった」それなら納得だ。昼や夕方に行ったら、龍田はかえって警戒を強めてしまうだろう。彼女を油断させられないにしても、せめていらぬ厄介は招きたくない。どうせ、目を通さなければいけない情報は残っているのだ。それに手をつけている間に、夜なんかすぐ来てしまうのは確実だった。何しろ量が量だ。
私たちは黙々と書類やメモ、走り書きの類まで、読んでは分類を続けた。深海棲艦関連はあちら、龍田たちの動きについてはこちら、関係ないものはそちら、なんて具合にだ。紙媒体も電子媒体と同じか、それ以上に使えない情報が混ざっていた。既に知っていることについて書いたものや、重要なことが書いてあるのかもしれないが、私たちの知識と情報が不足していて読み解けないものも多かった。
途中で短い休憩を何度か挟みつつ、リビングのテーブルで仕分けを続けていると、私の対面に座っていた初月が「おい」と声を掛けてきた。ここを出る時間が来たようだ。椅子から立ち上がると、それだけでぱきぱきと体が鳴る。集中の余り、姿勢が固定されていたようだ。簡単なストレッチでほぐしているところに、性悪な相棒が手に何か持って、それを差し出してきた。目をやって、彼女の考えを疑う。向けられていたのは拳銃だった。ほっとすることに、向いていたのはグリップ側だったが。
受け取っていいのか迷い、初月の目を見るが、早くしろ、という風に彼女が銃を揺らしたので、素直に貰っておくことにした。「それは翔鶴の予備だ」と言われ、二度目の疑問視を彼女にぶつける。
「軍警の支給品じゃない。捕まえた奴らから奪って、こっそり隠しておいた。新品だから、軍警のデータベースにも未登録だ」
「弾は?」
「入ってる。できれば撃った後で薬莢だけは回収してくれ、薬莢に例の刻印がある弾だから、残していくとよくない。使い方は突入前に教える」
首肯で答え、履いているジーンズのベルトに差し込む。気分はギャングスタだ。今の私を見て、艦娘「瑞鶴」だと気づくのは至難の業だろう。髪を染め、髪型を変え、目にはカラコン、服は普通の洋服、腰のベルトには拳銃と、フックで引っ掛けた修復材入りの水筒。何処から見ても、無法者にしか見えない。私がそう愚痴を言うと、初月はからかうような笑い声を上げ、「でも、似合ってるじゃないか」と追い討ちを掛けてきた。
* * *
山荘と呼ばれただけあって、龍田の隠れ家はかなりの山奥にあった。一度など初月が運転をしくじって、崖道を転がり落ちそうになったほどだ。無事に持ち直したと分かった時には、私も彼女も大笑いせずにはいられなかった。これから龍田のところに踏み込もうとしているのに、その前に崖から落ちそうになるなんて、おかしくてたまらなかった。それからは緊張によるこわばりがいい感じに解け、危なげなく進むことができた。龍田の山荘まで一キロというところで、初月が車を停止させる。彼女はばつの悪そうなにやにや笑いをしたまま、私に言った。
「銃の使い方を教えておくのを忘れるところだった」
数分で、最低限の使い方を教えて貰う。照準のつけ方、安全装置の位置とその使い方、装填と再装填の方法。放っておくと引き金の引き方まで教えてくれそうな勢いだったが、私の咳払いには彼女を止める効用があるようだった。ベルトに挟まれ、腰の前で確かな重みを主張している金属の塊に、意識を向ける。初月が意図していたかどうかは分からないが、これはいいプレゼントだった。翔鶴姉の拳銃で彼女の復讐ができるなんて、何とも溜飲が下りることである。
車は残りの一キロをゆるゆると進み、山荘前で止まった。唾を飲み込み、まばたきを何度かする。二階建ての山荘の一階には明かりが灯っており、ぼんやりした光が、窓のカーテン越しに周囲を照らしていた。龍田は下にいるようだ。寝るにはまだ早い時間だから、リビングでくつろいでいるのだろう。玄関前は一段高くなっており、階段がついていた。小金持ちの別荘然とした様子に、車で突っ込んでやりたくなる。助手席に座っているのが残念だった。
車から降りる。山荘前に、私たちのもの以外の自動車は停まっていなかった。龍田はここまで歩いてきたのかと思ったが、そうではなかったようで、バイクが置いてあった。蹴倒してやりたいのを我慢して、窓や二階のバルコニーに動きがないか目を配りながら、玄関へ進む。五十鈴の話では、龍田は島を占拠した時、罠を使って数で勝る敵を何度も撃退したそうだ。ここにもそういう罠があることを危惧していたが、油断か、それとも後から来る護衛が誤って引っかかるのを恐れたか、罠はなかった。
入り口前に着いて、私は安全装置を解除した拳銃を握った。初月がドアノブを捻り、鍵が掛かっているのを確かめる。静かに行きたかったが、そうも言っていられなくなったか? 彼女がどうするのか見ていると、懐から鍵を一本引っ張り出した。龍田の部屋に行ったのは、この件に関わってから私たちが下した決断の中で、最も賢明なものだったに違いない。鍵を鍵穴に入れ、回す。かちゃりと音を立てて、開錠されたのが分かった。私がドアを開け、初月が先に入る。
玄関内に入ると、リビングのある右手側から、テレビの音が聞こえてきた。バラエティ番組か何からしい。
初月の方を振り向く。リビングの右奥には階段があり、二階へ続いているようだ。その手前には扉がもう一つあり、別の部屋に繋がっているらしい。一方、左にはキッチンと風呂、トイレなどがあるみたいだった。先にキッチン側をチェックすることにして、私たちはそろそろと足音を立てないようにしながら移動した。キッチンとトイレは空っぽ、風呂には湯が入っていたが、誰もいなかった。なら、彼女は一階の最後の部屋にいるのだ。
その部屋のドアに取りつき、初月を見る。そこで、ふと不安になった。龍田がこちらの侵入に気づき、待ち構えているなら、私か初月か、どちらかを素早く無力化して、それからもう一人に取り掛かることを望むだろう。そして私たちは、その待ち伏せを受けて無傷でいられるほど、英雄的な強さを持つ訳ではない。なら、無力化されるということを突入の計画に組み込んでおいた方がいいだろう。
私は自分の拳銃から弾倉を抜き、音を立てないように気をつけながらスライドを引いて弾を抜くと、弾倉にそれを込めて、銃に装着した。これでいい。初月は怪訝そうな目で見ているが、気にせずに彼女に手で突入役を代わってくれと示した。位置を彼女と入れ替え、合図を待つ。指を三本立てた初月が、その指を二本、一本と折っていく。彼女がドアノブを捻り、蹴り開けた瞬間、私は部屋に突入した。
案の定、龍田は気づいていたようだ。何もない部屋の真ん中に立っていた彼女が一息に距離を詰めると、私は床に叩きつけられていた。投げ飛ばされたのだ。手から拳銃が離れ、龍田の右手に移る。私は首をもたげて二人の交戦の様子を見た。銃口に向けて初月が突進する。龍田は引き金を引く。弾は出ない。呆れ声で「素人って……」と彼女が言うと同時に、初月の渾身のタックルが彼女を床に押し倒していた。
素人がどうしたのか聞いてやりたいが、先にしなければならないことがある。立ち上がり、龍田の右手を蹴って銃を弾くと、私は初月と協力して彼女を押さえ込んだ。何発かあごの先を殴ってやると、ぐったりして大人しくなる。ほらやっぱり、狂人も痛みには弱い。話を聞く時もこれくらい素直にいてくれればいいが、そうでなくとも彼女になら幾らでも手間を掛けてやりたいところだ。椅子を持ってきてくれと初月に頼まれたので、リビングにあったダイニングチェアを一脚持ってきてやる。
初月は龍田をそれに座らせると、体の前で手錠を掛けた。お定まりの儀礼的な手順という奴だろうかと思っていると、彼女は嬉しそうにそれを否定した。これも私の使っている拳銃と同じように、摘発した犯罪者たちの持ち物だったらしい。聞いてみると、その犯罪者たちというのは主戦派深海棲艦のシンパたちのことだった。戦時中、彼らは時として海軍の艦娘を誘拐することもあったのだが、その時に使っていたのが今龍田に掛けた手錠らしい。相当に頑丈で、軽巡程度の力までなら耐えられるらしかった。
「一度、試してみたかったんだ。相手がこの龍田なら、言うことなしだよ」
同意を示しながら、龍田を揺さぶる。起きてくれないことには、話もできない。しかし随分と深い眠りについているのか、目覚める気配がなかった。殴りすぎて息の根を止めでもしたかと心配になって、呼吸を確かめようと顔を近づける。と、鼻に頭突きを受けて、尻餅を突かされた。鋭い痛みが、燃え上がる怒りで薄まっていく。いい度胸だ。起き上がると、龍田は顔を上げていた。「大丈夫か?」彼女から目を離さないままの初月にそう聞かれ、鼻を触る。曲がってないし、血も出てない。首を縦に振った。
龍田の横を通って、彼女の背後に回る。部屋の隅に落ちていた翔鶴姉の拳銃を拾い、スライドを引いてからベルトに戻す。これでいつでも撃てる。「先に僕から始めさせて貰うぞ」初月は宣言して、龍田の前に立った。異論はない。私では冷静に話を聞くこともできないだろう。何かの拍子に、拳銃を握った手が勝手なことをする予感がある。話を聞き終わった後ならいいが、何も聞かない内に殺してしまっては意味がない。
同じ艦娘を殺そうとしていることに、私は驚くほど躊躇を感じなかった。良心の呵責を覚えるべきなのだろうか? しかし、先に翔鶴姉を殺したのはあっちなのだ。同じことを仕返しにやろうとしているからって、どうして罪の意識を覚えなければいけない? ああ、日本は法治国家だから、自力救済は原則として禁止だ。それは知っている。だから、私がやろうとしていることは犯罪以外の何でもない。それも認めよう。でもそれは法律の問題であって、良心の問題ではない。
「お前を探していたよ」
「誰かが私を探しているのは、分かってたわ。けど、こんなに早く見つかっちゃうなんて、ねえ」
「僕たちは鼻がいいんだ。腐った連中の臭いを追っていたら、ここにたどり着いた。だが……やれやれ、お前は随分と臭いな! 血と汚物の臭いで、胸が悪くなりそうだ」
まるで気分を害した様子も見せずに、龍田は鼻を鳴らした。その態度には、軽蔑が色濃く現れている。「そういう隠喩抜きで話せないのかしら」と彼女が言うと、初月は亀裂のような笑みで返した。「まあ、そう言うな。じきに文学的な会話なんて、楽しめなくなるんだ」言うが早いか左手で前髪を掴み、右手に握った拳銃のグリップで顔を殴る。一度ではなく、二度、三度とだ。龍田の顔にあざが浮かび、鼻から血が垂れる。彼女は力なく俯きそうになるが、初月が掴んだ前髪を引っ張って無理やり顔を上げさせる。
「お前がやろうとしていることを知っているぞ、龍田。海の上だけでは満足できなかったか? 陸の上でも戦争をしてみたかったのか?」
「ふふ、おかしいわね……? 私がやろうとしていることを知ってるなら、どうしてそんな質問をするの?」
「確認といったところだ。大体、動機なんか知っても仕方がない。さて、僕がまず聞きたいのは、お前の仲間たちが何処にいるのか、ということだ。深海棲艦も、艦娘も、ただの人間も、ペットの犬に至るまで、何処にいるか喋って貰おう」
無言が答えだった。その答えに支払ってやれる報酬は、複数回の殴打だけだ。かわいそうだとは微塵も思わない。彼女はそれに値するだけのことをした。髪を掴んでいた左手で、今度は喉を掴んで締めながら、初月が訊ねる。「別の話題から始めた方がいいか? 趣味とか? 僕はお前を痛めつけるのが最近のマイブームだ。お前はどうだ?」「陰謀の、ぐ、立案と実行、かなあ」酸素不足で顔を真っ赤にし、目を涙で濡らしながら、それでも龍田の悪ふざけめいた態度は変わらなかった。それが意味するのは、龍田が根っこのところからどうかしているという既知の事実と、ここで彼女を殺しても、計画は恐らく彼女を抜きにして進むようになっている、ということだった。
窒息が龍田の意識を奪う直前に手を離し、ふーっ、と長い息を吐き出して、初月が面白そうに笑う。「聞いていた通り、タフな艦娘だな」げほげほと身を折って龍田が咳き込む。その背中を、冷酷な尋問官は気まぐれな優しさで以って撫でてやる。「何人も、お前の話をしてくれたぞ。浦風に、五十鈴に……」億劫そうに体を起こした龍田が、相変わらず蔑みを含んだ声で遮る。
「昔の知り合いばっかりじゃない。最新の話は聞いてないのね」
「いや、聞いたとも。お前が部屋の掃除に寄越した家政婦が、涙ながらに喋ってくれたからな。いや全く、彼女はすごいストーリーテラーだったよ。あの語り口をもう楽しめないなんて、残念で仕方ない」
その時、龍田は爆発的な反応を見せた。椅子を蹴立てて立ち上がると、初月に体当たりしようとしたのだ。だが、直情的で直線的な行動は、読まれやすいものだ。初月は待っていたみたいに落ち着いてそれを避け、カウンターで龍田の腹に膝を打ち込んだ。自分の勢いで余計に深く膝が刺さったようで、その場にへなへなと崩れ落ちる。相棒に目配せをされ、私は彼女を後ろから抱え上げると、もう一度椅子に座らせた。
頭がおかしくなっても、戦友や仲間を大事に思う気持ちは変わらないのか。危ない危ない、もうちょっとで私も感動させられそうになるところだった。初月の悪役めいた、せせら笑う声が響く。「怒ったのか? 仲間思いだな。もしかして浦風に殺し屋をけしかけたのも、彼女の為だったのか?」龍田がそれに関与していないことは初月も知っている筈だが、そこをつついて感情的に揺さぶるつもりなのだろう。一定の効果はあったようで、相手は話に乗ってきた。
「あれは私じゃないわ。浦風は私の天龍ちゃんが指揮してた、大事な二番艦よ。傷つけたりする訳がないでしょう」
「じゃあ、何故浦風は襲われたんだ? ……ふん、言えないよな。僕には分からないんだが、お前は深海棲艦を日本国内で暴れさせた時、自分の戦友や古い友人たちが、全員傷一つ負わずに済むとでも思っているのか? 浦風は死なずに済んだが、あれはたまたま僕らが間に合ったからだ。蜂起が始まれば、大勢が死ぬぞ。それだけじゃない、お前や、お前の天龍ちゃんとやらが戦争中、命を懸けて守ったものの全てが、焼けて落ちる」
長い静寂が続いたが、それは拒絶としての沈黙ではなく、応答の為の
「焼けて落ちるなら、そうさせておけばいい。そんなのは、また建て直せるもの。灰と瓦礫の中からでも、私たちはやり直せる。そうじゃない?」
「そうだな、
「待ちなさい」
ぞっとするほど低くて冷たい声に、私の全身が総毛立つ。右手が知らずに銃を抜いていたことに気づき、私はリラックスの為に息を吐き出しながら、それをベルトに戻した。さしもの初月も呆気に取られたのか、言葉を続けることができなかったようで、ぽかんと開けていた口を慌てて閉じた。好ましい展開ではない。会話の主導権を龍田に握られた。とはいえ、生殺与奪の権利はまだ、私たちの手の中にある。
「浦風を襲ったのは“瑞鶴”なのね」
「そうだ。電話番号を知ってたら教えて欲しいね、彼女にも聞きたいことがある」
「ダメよ。聞く前に、頭を撃ちなさい。もし彼女が私の知っている人物なら、そうした方が絶対にいい」
悪趣味な冗談らしさがない声色に、戸惑った。龍田は本気であの“瑞鶴”の死を望んでいるようだ。姉妹艦の隷下にあった艦娘を襲ったというだけで、そうも強く死を願うとは考えづらい。何か他に理由がある。初月もそう思ったのか、何故彼女に対してそこまで冷たい態度を取るのかと訊ねた。相手が答えるかどうか分からなかったが、彼女はあっさりと喋った。
「前は彼女も仲間だったの。でも段々と暴走し始めて、彼女が独自に計画の邪魔だと判断した者を消すようになった。人間も、艦娘も、深海棲艦もお構いなしに。この前は、とうとう軍警の捜査官まで……」
次に意識が戻ってくると、私は跪いた状態で初月に羽交い絞めにされており、見下ろせば、龍田が転がっていた。右手が痛んだので見てみると、血がついている。私のものではないようだ。どうやら、足元で倒れている軽巡を殴りつけたらしい。初月が耳元で叫んでいる。「落ち着け、瑞鶴、落ち着くんだ、殺すな!」私は動きを止め、左手で私を締める初月の腕を叩いた。正気に戻ったのだと伝わり、小柄な相棒が私の体から離れる。信じられなかった。翔鶴姉が殺されたのは、そんな理由だったのか? 龍田が飼い犬の手綱をしっかり握っていなかったせいで、彼女は死んだのか? 私の姉は、私の翔鶴姉は、そんなことのせいで?
涙が止まらないのに、呆然として、何もかもが非現実的に感じられる。ふと気づくと、椅子に座り直した龍田に呼ばれていた。血で汚れた彼女の顔面は蒼白で、唇は震えている。「あなた、もしかして」そこで言葉が途切れる。私は涙を止めることを諦めて、ぼろぼろと大粒の熱い液体を眼からこぼしつつ、自分が誰であるかを名乗った。「ええ、そうよ、私は瑞鶴。殺された軍警捜査官の、私の旗艦の、翔鶴姉の妹よ!」拳銃をベルトから抜き、龍田の顔に突きつける。彼女は目を閉じずに、私を見返した。横で初月が怒鳴った。
「よせ、瑞鶴、撃つな! まだ聞いてないことがあるんだ!」
話ならいずれ地獄で聞いてやる。私は目の前で座っている恥知らずに、鉛弾を撃ち込んでやることしか考えられなかった。引き金を引こうとした時、横で動きがあった。顔を動かさず、目だけ動かして動きの発生源、初月を見る。彼女が私に銃を向けていた。「お前が龍田を撃てば、僕はお前を撃つ。翔鶴を殺した実行犯への復讐はできなくなる。それでもいいのか?」目を龍田に戻す。彼女はまだ私から視線を外していない。銃が怖くないとでも言いたいのか? 息が荒くなっているのを感じる。興奮のせいだ。龍田が言った。
「ごめんなさい」
耳を疑った。謝った? ごめんなさい? そんな言葉はこの場に必要とされていなかった。
「あんなことになって、残念に思ってる。姉妹艦を失うのがどれだけつらいことか、私は知ってたのに、あなたにそれを味わわせてしまった。本当に、ごめんなさい」
この女を撃てば、私はあの“瑞鶴”を殺せない。直接翔鶴姉を殺したあいつを生かしたままにしておくなんて、許せない。だからって龍田を撃たないのは、単純に耐え難かった。こいつのせいで翔鶴姉が死んだ。手を下したのは彼女じゃないにしても、原因の一つではある。もし龍田がきちんと“瑞鶴”を御していたら、翔鶴姉は死んでなかった。彼女は時々私のいる基地を訪れて、妹と話をして、初月を相棒にしながら、社会をよりよくしようと尽力していただろう。そんな未来を、私は、龍田のせいで失ったのだ。
初月を見る。顔は険しいが、私への悪意に歪んでいるのではない。私に銃を向けたくて向けているのではないことを、その表情で示しているのだ。「僕だってパートナーを失った。それをもう一度、ここで繰り返させるつもりなのか? それも、僕自身の手で!」私の右手の人差し指が、石のように固まる。初月は嫌な奴だ。口を開く度に皮肉が出てくるし、黙っていてもしょっちゅう細かい嫌がらせをしてくる。他人をさしたる理由なく馬鹿にすることに躊躇いがないのも、好かないところだ。
しかし、ここで彼女がトリガーを引くように仕向けるほど、私は初月を嫌っていなかった。嫌な奴だが、話していると安心することもある。頼りにもしてきた。ここまで来れたのも、彼女の協力があってこそのことだ。私一人では、無理だったろう。よしんば無理でなかったとしても、もっと時間が掛かった筈だ。その間に、蜂起が始まっていたかもしれない。ダメだ。初月に撃たせることはできない。
ゆっくりと、私は銃を龍田の頭から離した。一歩下がり、安全装置を掛けてから、元の場所に戻す。初月も私から照準を外した。龍田が深い息を吐く。ここを立ち去りたかった。「外に出ていてもいいんだぞ」と初月が言う。その言葉に甘えそうになる。が、私は子供ではない。役目を果たさなければいけない。ここから逃げ出すことはできないのだ。
「ううん、大丈夫。ここにいる」
「分かった。でも、場所を変えよう。僕の……待て、聞こえたか?」
遠くからエンジンの唸る音が聞こえた気がして、私は玄関の方向を向いた。それがとんでもない間違いだと気づいたのは、同じようにそちらに気を取られていた初月に、龍田が二度目の体当たりを仕掛けた後だった。直前の決意を忘れ、銃を向けようとする。と、倒れて龍田と揉み合っていた初月の手の中で一瞬、炎が噴き出した。どん、と突き飛ばされるようにして、私は後ろに倒れる。何があったのか分からず、半身を起こす。下を見ると、腹に穴が開いて、そこから血が流れ出ていた。
鈍い音がして顔を上げ、部屋の入り口を見やる。初月が壁に頭を打ちつけられ、意識を飛ばされたところだった。彼女の拳銃を取った龍田が、起き上がるという動きを見せた私に、それを向ける。お互いの、半秒ほどの停止の後で、彼女は引き金を引いた。今度は右肩に殴られたような痛みが走り、再び倒される。拳銃が床に落ちる音に続き、足音が玄関の方へ進んでいく。私はぼうっとしていた。だが、不意に頭を奇妙な考えが
意識が鮮明になる。私は跳ね起きると、走り出した。腹も肩も痛かったが、腰の水筒から修復材を掛けると、それもたちまち消え去る。玄関のドアを蹴飛ばして開け、山荘前に出ると、車が出て行こうとするところだった。拳銃を構え、その運転席に急いで狙いをつけると、立て続けに発砲する。リアガラスが割れ、右側のサイドミラーが壊れたが、動きは止まらない。それどころか、運転席の窓から誰かが頭と腕を突き出して、こちらに撃ってきた。夜の暗さの中でも、銃口炎で射手の顔が浮かび上がる。それは艦娘「瑞鶴」のものだった。
彼女の銃弾は私に当たらなかったが、それは私のも同じだった。龍田に当たったようにも思えなかった。車はテールランプの軌跡を私の網膜に残して、暗い山道の向こうに消えていった。少しして、後ろから足音が聞こえてくると、私のすぐ後ろで止まった。初月だ。怒りが膨れ上がる。彼女が止めていなければ、私は龍田を撃ち殺していた。そうすれば逃げられることもなかった。怒りに任せ、彼女に向き直りながら拳を振り上げて──止めた。八つ当たりに彼女を殴っても、何の足しにもならない。腕を下ろすと、体に力を入れていられなくなって、私はその場に膝から崩れ落ちた。初月がそれを受け止め、彼女の胸の中に抱きとめる。私たちは何も言わないまま、暫くの間そうしていた。