夕暮BLUES   作:おぱんぽん侍

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味がする内に(半年以上ぶりの更新)
もう腐ってるんだよなぁ……

そして悟空が出ないという
クロスオーバーは犠牲になったのだ


心得

 深緑に、微睡むような木漏れ日が反射してギラついた。聳え立つ大樹はうずたかく亭々と立ち、天頂に被すように笠を作っている。自然のついたてに区切られた淵、喬木の根幹に忍ぶ者が居た。緑タイツで身を包むサラサラおかっぱヘアーの下忍、ロック・リーだ。敵は木ノ葉隠れの下忍・タイガー。変幻自在の槍術士であるタイガーと、一切の中遠距離攻撃を持たないリーでは、単純な計算で言えばリーの分が悪いと言えよう。リーチの差、槍巧者であるタイガーの技術、そして何よりも厄介だったのが、彼が持つ槍・土槍の牙の能力にあった。

 

―― 有 為 無 常 ――

 

 仄暗い影の奥、どこからか、タイガーの張り詰める声がする。身体を揺さぶるような地響きが猛速で近づくことに気が付き、リーは急いで幹を駆け上がった。忍はチャクラコントロールの応用で木や壁面、果ては高波や土砂流の上でさえ動くことができる。下を見遣ると数百年、いや千年近く生きてきたかもしれない大木が横倒しになって打ち軋む。為す術なく地底に沈み込み、悲鳴のようにあがる圧砕音。転々、空を翔って別の木に移っていたリーが逡巡すると、水を含んでいた筈の地面の土が砂床と化し、砂地獄のように木々や石があちこちで飲み込まれて行く。もしあれに埋没すればたちまち血塗れた土塊の一部となるだろう。

 

 ネジ、テンテンから丁寧に引き離されている。遠くに感じられる気配を背中で視ながらリーはそう思った。

 地べたに降りれば件の技で足場を掻き乱され、枝々を足掛け術者に近付こうとすれば下から放たれる粘度の高い礫土が乱鴉の如く邪魔をする。

 対面を臨んで勇み入ろうにも、土に紛れ巧みに躱されてしまう。

 局面、袋小路に立たされた。生来考えるより身体を動かすほうが得意分野であるところのリーにとって、狩人の如き相手を取るのはどだい難しい。侍の武略とはげに恐ろしいものだ。諦めて大不利な状況で闘うか、身を振り捨ててでも仲間の元へ向かうか、二つに一つ。

 

 だが、リーは改めて立ち返る。そもそもこの予選は命懸け、それは誰であろうと変わらない。うちはサスケや日向ネジでも同じこと。であるならば、凡百以下のリーに、選択肢を前にまごついて悩む権利などあるのか。答えを出すまでもない。いつだってリーは自分ができるだけのことをするしか無かった。他の者が嫌だと思うことだって、やらなければ強くなる権利さえ与えられない。優秀な者がすることを真似てみても、己の身につかない。何故そんな自分が敵を、戦場を選べると思っていたのか。今リーの耳が、己の傲慢の爆ぜる音を捉えた。

 

(なんてことだ! ボクは気をほんの少し学んだ程度で、知らず内に驕っていたようです、ガイ先生!)

 

「フン、どうしたリー。急に大人しくなったな」

 

 タイガーは思った以上のリーの実力に緊褌一番気を引き締めていた。正直なところ、タイガーは力で言えば軟弱であった。

 背丈はテンテンよりも低く、体格は優れない。身丈に合わぬ鋭槍を持つ手は肩から赤く変色している。リーの初撃が身体に大きくダメージを遺したからだ。

 土槍の牙はチャクラ刀の一種で、その穂先から流れ出るチャクラを強制的に土や石へと浸透、性質変化させる。言わば使う度にチャクラを使うことになるリスクを伴う。上忍クラスであれば普段使いしたところでそう問題にはならないが、いくら適正の高いタイガーでもそうバカにならない。印さえ結ばず一度振れば大地を動かす名槍も、やかましく言えば下忍が使う中で最下級レベルの土遁忍術一回を使用しているに過ぎないのだ。そう繰り返し使うことができる利便な術では無かった。

 汗を拭う手が痛く染みる。

 冷や汗だ。腿によく拭きつけ、槍から少しずつ解かれる指を強く握り直す。ゆっくりと幹を滑降してくるリーに向けて、大上段に構え待ち受けた。

 

「もう仲間の元へ向かうのは諦めたか?」

「諦めるという選択肢が無いことなど、第二試験を受ける前にわかっていました」

「はっ、道理だな」

 

 切迫、リーの回し蹴りが先取る。風を呼び木の葉舞う下段からの上翔。リーやガイが得意とする木ノ葉旋風だ。風圧だけでタイガーの髪が流れて汗が飛ぶ。だが上段の槍に下からの攻めはナンセンス。槍の基本はそのリーチによって相手を伏せることに尽きる。刺す、叩く、薙ぐ、様々な扱われ方をしてきた槍だが、こと枕を抑えることについてはどの時代でも先んじた。

 リーの旋風を前にタイガーは待ちの姿勢を崩さない。近づかせないよう軽く突きで牽制、リーがこなすように気味よく避ける。これでリーの攻撃圏内から少し遠ざかった。にじるような足の運びは修験者のそれを彷彿とさせる程穏やかに静音。棒のような形状である槍と、半歩の動作は距離を測る為の道具となる。

 タイガーの槍がリーの顎先を抉るように弧を切った。一度半歩下がった後で忙しく急突することによって瞬発力を増した死角からの一撃は、吊り上げた鋒が震えて空気を弾く。

 リーは胸を逸らして回避する。どうやら余裕を持っているようだ。そう悟ったタイガーは、先手の掌を滑らせるように槍を押しこみ、腕を伸ばして奥突いた。流石に避けられまいと予想した一撃も、リーは見ることさえせずに槍を蹴りあげて矛先を逸らした。タイガーがこの一手に使った突き出しを『繰り突き』と呼ぶ。槍道で多用される無数の攻撃を生む術ではあるが、中距離のリーチを得られる代わりとして、槍の保持力を損なうというデメリットがあった。リーによって突っぱねられた槍の頭が頂点を向いて大きな隙を生んでしまった。

 タイガーの眉間に冷や汗が流れる。間隙を突かれぬように半身を敵と相対する。向身、直線的な怒涛の攻撃を可能とする、槍術ではあまり使われない姿勢。タイガーは風に舞う木ノ葉の如き身のこなしのリーに猛然と襲いかかる。槍を蹴り上げる時に支えとしたリーの足を蹴り払い、背中が浮いたことを狙いつけ、弾かれた槍が真っ直ぐなことを逆手に取って石突を殴りつけた。鋭い打突が腹を破ろうと近づく転瞬の間、蹴り払われた勢いを利用してリーが身体を捻り、タイガーの胸腹部を連蹴する。狙いをずらされた土槍の牙の穂先がリーの髪を散らした。

 数歩、タイガーが後退る。緊張で視界が揺らいでいる。タイガー自身でも驚く程息が荒い。差し迫った状況に過換気を発症していた。困惑する頭の中を一つの考えが昼夜のように巡る。

 

(ロック・リーはここまで強かったか……?)

 

 いいようにあしらわれ、手折るように一捻りで対処される。一弾指、刺突尽くを躱されてしまった。流れるような動き、剛胆な攻め、ほぼ蹴りだけで行われる鉄壁の護り。そのどれもが過去の像とは似ても似つかない。隙の無い身のこなしに、どこから攻撃してもあしらわれるイメージが湧いて出た。

 

(強い……! 完全に押されている……。落ち着け。……落ち着け!)

 

 タイガーは武道家である。それを自称する程だ。日々の修行によって精神制御もお得意だった。チャクラを身体に巡らせて活性化させ、血管と筋肉を弛緩することで身体を無事にする。大きくゆっくりと、不安もろとも吐息した。

 

 タイガーの瞳に闘志が宿る。膨らんだ殺気をリーは気で感じ取った。

 瞬動の内に影を残し、虎の牙がリーの首目掛けて貫く。これもまた、目さえ向けずリーは首だけで避ける。だがタイガーも止まらない。タイガーが曲げた首に何度も連突しては、リーが頭を回すように躱す。脇、股、関節、全てを的確に破壊せんとする激越の万手も及ばない。さながら無衆に演舞を晒す無様に臍を噛む。だが、真の狙いはそこにない。

 連綿と続く刃突の先、リーを動かしながらも、徐々に木々の狭まった深まりへと追い込んだ。四方を囲うように包む大樹の下より盛り上がった根の脈。全く平でない不格好な地面も併せて、槍にとっても徒歩にとっても宜しくはない。

 

 土槍の牙以外にとっては。

 

―― 有 為 無 常 ! !――

 

「グッ、ぅ!」

 

 リーを搏撃する物がある。突き出された刃が砂利を爪弾くように引き切られていた。鳩尾、両肩口、人中、目、鼠径部を狙うように突起した叉棘状の土塊が盛り上がり、するり侵そうと手を掛けている。襲い掛かる土流が穿つようにリーを輪転、錐揉み巻き込みながら樹幹を這うように天衝する。

 

「……有為無常は単に砕くだけでも土ころを投げるだけでもない。これ一本で大地の形を好きなように変えることができンのさ。砂のように柔らかく、泥のように粘り強く、そして岩のように硬くもな」

 

身を投げ出され宙を舞うリー。四肢が乱れ投げ出されるほどに掻き回され、タイガーからはその表情も見えやしない。しかし西剛流は止まらない。相手の息の根を止めるその最後を見とめるまで攻撃の手を緩めることはしないのだ。

 

「俺は誰でも良かったんだがな、リー。恨むなら、俺に当てたドラゴンを恨め」

 

      戌・丑・未・申・亥・辰

―― 西剛流・奥義 一騎虎勢!! ――

 

 槍を一払い、片手印を結びながら、簇簇さながら肋骨のようにリーを突いた土柱の上をタイガーが駆け抜ける。地走る矛先が煙を上げ、その後ろに線を描いた。するとどうしたことだろう、乱乱まばらに剥き出した土が水飴の如く糸を引いて蕩け、根本から更に練り上がった大地と混ざり合い一塊の化生を象った。その姿は正に太牙を突き立てんとする虎頭!

 

「喰らいやがれ」

 

 タイガーがその虎の後頭部を跨ぎ、撚るように槍を天へと振り上げる。呼応して、蓁蓁とした死の森の木々よりも太回りな虎が嗷然と唸りを上げて頭をもたげ、リーの身体を咥えて怒張する。鉄のように硬い虎の口腔で身動きできず、リーは為すがまま振り回される。全身に掛かる大きな圧力で体内全てが揺さぶられる感覚と、圧し折れそうになる痛みが頭頂から足先まで迸った。虎は止まらない。増々の勢いで以って手当たり次第に巨木を次々折りながら蜒蜒たる軌道を描いて飛び回った。

 

 リーは己の意識が飛びそうになるのを必死で抑えることに力を注いだ。見るからに大技、この術をどうにか耐え切れば、そこに一瞬のチャンスが巡ってくる。そう信じて自分の出せる「物」を心に集めた。それ故衝撃は全てリーの身体に直通し、手足がもがれそうな程好き勝手振り回されているのだが。しかしここに来て、リーは自分でも気付かず内に、外気的行動を一切しないという選択を取った。これは悟空が言っていた、真の意味を持つ『何もしない』を現実とする判断だ。今までのリーであれば、この攻め手に守りや受け流し、回避、打破などで以って行動に移しただろう。実際、何か行動に起こすことでこの状況をどうにかすることもできた。

 

「選ぶんだなリー。このまま虎に噛み砕かれて死んじまうか、巻物を渡すか……。同郷のよしみだ、俺もお前を殺したいわけじゃあない」

 

 虎の後頭部に半身を埋めたタイガーが迫る。リーが巻物を持っているとは限らないが、しかしこの絶対有利の状態であればこそ、交渉に出た。が、これは悪手。リーは驕りに気がついたあの瞬間から、恐るべきことにとてつもない早さで気のひとひら、片鱗を掴み初めていた。タイガーの疾風の如き槍術が児戯のようにあしらえたのもそれが原因だ。悟空が気軽に放った棒術も、今のリーであればなんとか避けられよう。

 痛む身体は程々に、チャクラが練りこまれた虎の中でリーがふと感じる物、それは自信満々に勝ち誇るタイガーの身に隠された気配の薄さだ。まるでいつまでも終わることが無い波濤の如き攻撃に身を置いて気付かされる力の領域。これからの試験に残すつもりでいるらしい。タイガーはそう言う意味で、自分の限界を迎えようとしている。そんな考えが今のリーには見え透いていた。顔は余裕そうにしているが、虎の体内は砂上の楼閣のように脆い。『後十数秒で』訪れる最後の一撃。動気。そここそが勝利を手にする絶好の機会。不思議と消えることの無い自信と、何故か痛みさえ忘れてしまう程の浮遊感を抱いて、リーは脱力する。

 

「返答が無いようだな……、残念だが、死んでもらうぞっ!」

 

 辛抱しきれず。いや、もう耐え切れずと言うべきか。歯を砕かん程に食いしばって、タイガーが槍を振り下ろす。虎の後頭部に突き立て、最後の力を振り絞りチャクラが込められる。刃が青く輝き、刺し割れた部分からも光が漏れて顔を照らした。虎頭は直上して樹冠を追い越し、顔岩さえ見下ろせる高さに到達すると、螺旋を画きながら猛スピードで落ちて行く。何トンにもなる土塊と、数百メートルを超す高さからの落下の勢いを足して、リーを押し潰そうという算段だ。本来は牙を突き立て噛み殺す方が簡単だが、タイガーのチャクラ量、そして一度獲物に噛み付いた牙を緩めれば、例え瀕死の小動物でも何をするかわからないことを考え、敢えて自重を使ってそうするしか無かった。

 

 虎がリーごと大地にぶつかる。大きな爆発と共にその鼻頭が砕け散った。後頭部に居るタイガーは身構えて、虎の軌道から降ってくる岩を、土虎の中を遡上しながら距離を取る。自身には衝撃が行かないようできているらしい。まるで泳ぐように移動し、くだんの激動を差し見れば、乾いた虎の首がもぎ取られ、抉れるように穴が空いている。クレーターのように窪んだ地面を蹴り、落ちてくる土流に向けて影さえブレる程の蹴りを放つリーの姿があった。削岩機を硬い壁に押し当てるような音が耳を劈く。リーの蹴り脚が全てを砕く音だ。溢れるように落ちる土流が刃物で蔦を裂いたように枝分かれして行くのが見えて、タイガーは慌てて身の回りの岩を砂に変え、自分の周囲ににわか作りの壁を建てた。

 

 リーの勢いはとどまることを知らない。障害を瞬く間に吹き飛ばし、弾丸のように跳ね翔ぶ。全ての基点となっている脚の周りが白く燃え盛り、気炎を放って風を孕んでいる。その春の光風にも似た暖かい輝きは、昨日まで確かにリーが扱えなかった『気』そのものだ。オーラを纏う蹴脚が、タイガーを守る厚い砂の壁に触れ、一瞬で吹き飛ばす。轟々と、がなるように音を立てて撓んだ砂が振り解かれ、蒼然暮色に彩られた死の森に黄土の羽衣を被せた。

 時を失い、浮遊感が二人を殊更に駆り立てた。衝撃に強い岩でなく、わざとクッション性の強い砂で作った盾を一捻りに払われ、逼迫した感情に苛まれたタイガーの手が愛槍を握る力を強める。浮いた汗が流れる暇さえ与えないリーの蹴りは、その盛りを失せるどころか回転を増し、烈々の螺旋風を形作る。重力を無視するように迫り上がって、体幹目掛けて突立するばかり。回避などするいとまさえない。背空の寒々しさ、踏みしめるべき地は見下げた遠くに置き去った。自分の持つ『力』を信じる。それ以外にタイガーの取るべき択は存在しない。余力を惜しまず、持てる『力』を土槍の牙に込めた。

 

「おりゃああああああああああ!」

「っぐ、ぅぅぅうううおおお!」

 

 蒼炎が黒鉄の刃に収斂され、晢晢神さぶる。

 リーの脚とタイガーの槍が衝突した。

 土槍の牙、西剛流は代々土遁使いの血筋。当然チャクラ性質も土が一番色濃く出る。よく練られた刃は、タイガーのチャクラを素直に通すようできていた。土属性の性質変化とは、結合の変質。物質の硬軟を任意に変える和合の能力が遺憾なく刃を硬め、仙獣の頭蓋よりも頑強なものに創り変える。事実リーの猛攻に直面してもびくともしない。

 根差した大樹よりも揺るぎない一直の鋒がリーの攻勢を削いで弛緩させていく。両手で横払うよう薙いだ槍で衝撃を反らし、発破するように身を投げ出した。斜向かいへと吹っ飛んで、リーの体術から逃れようとしたのだ。

 しかし、リーもただ見ていただけじゃない。いつの間にか解かれた両腕の包帯がタイガーの身体を絡みとって虜とする。魚綱を引っ手繰るようにタイガーを寄せ、バネのような反発力を利用し身体を縦に捩られ、相乗されて速さを増したタイガーの身体が、さながらヨーヨーのように超速で巻き戻ってリーにぐんと近づいた。守るように身を屈め内に曲がろうとするタイガーとは真逆の力で、背骨が折れそうになる程反らされることから逃れられない。ままに吸い寄せられた先には、玉鎖の錘のように何度も回転するリーの、重剛な踵落としが待っていた。

 

―― 散 蓮 華 ! ――

 

 骨を砕く音がする。タイガーの右肩が悲鳴を上げたのだ。右利であるタイガー、右上段構えの癖が出たことが過誤を起こしたのだ。遡れば最初のリーの蹴りで痛めた方の手であり、更なる負担がかかったことでついに限界を向かえ、槍を持つ手から力が抜ける。動かない腕を隠すこともできず、息さえ止まる痛みにタイガーの口に血が広り、脂汗が目に入り景色が滲んでリーの顔さえ朦々と明滅し斑消えた。

 

「これで……ボクの勝ち、ですか……」

 

 思い出したように重力に従い、二人して落下する最中、リーはそう呟いた。その声色が含む意味は、夢見心地に現を抜かしつつ、確認めいた物があった。

 

 

 

「何故、あの攻撃の中で生きていられた?」

 

 幹の根本に腰を埋められたタイガーが質す。リーは包帯の土を払い落としながら、顔さえ向けず返答した。始めから殺意を持たないリーは横様に倒れたタイガーを樹洞のように奥深まった根にタイガーを運び、身体の不調確認のついでにタイガーの呼吸が整うまで待っていた。

 

「キミは幾つかの失敗を重ねたんです」

「失敗……?」

「例えばその槍」

 

 戦闘中も今も絶対に手放さなかった土槍の牙を指差し、ぎゅっと包帯を締める。

 

「キミはチャクラ刀を上手に扱うようですが、そもそも土の性質変化がチャクラ刀自身に付与できる効果は硬くすることぐらいでしょう。それ自体は近接武器である槍にも有用、しかしアナタの闘い方とは致命的なまでに合っていない。どうして土を操るあの術をもっと近接戦に役立てないのですか?」

「……槍使いだからこそ、懐に入れないよう距離を取るんじゃないか。それに、リーに遠距離からの攻撃手段は無いだろう」

「それは言い訳です。ボクも忍であると同時に武を嗜む一人の武道家ですよ」

 

 包帯の緩みどころを探し、しっかりと巻かれていることを確認したリーが腰を屈め、視線の高さをタイガーと合わせた。

 

「西剛流は『二槍流』の筈だ」

「! ……知っていたのか」

「ボクは体術だけを拠所に忍を目指しているんですよ。この里にある開かれた武術の類はある程度調べています。西剛流は元々鉄の国の剣だ。奥義は教えなくとも、道場を建ててまで己の技を広めるのは侍か武僧くらいのもの。この目で見に行きました」

 

 リーの真っ直ぐ真摯な瞳を見れず、タイガーがうなだれて顔を隠す。

 

「キミは初め、こう言いましたね。『俺は生憎武道家、忍道は管轄外』と。しかしキミは印を結んだ。それも見事な片手印のです。ボクはあの時の印と、キミの術の技巧と威力の差に疑問を抱きました。もし『片手印でもできる』んじゃなく、『片手印しか許されていない』のだとしたら、と……。あの術は未完成だ」

「……そこまで見極めていたのか。悟られるとは、思ってもみなかった」

「ボクは忍術が使えないですからね。人一倍、他人の発術に目が行くんです」

 

 タイガーが大きな溜息をつく。その意味を今の鋭敏なリーが悟ることは簡単だが、負けた武人の心を読むなど許された行いではない。沈む横顔がしおらしい。

 

「ですが一番の問題はそこじゃない」

「……聞かぬは一生の恥だな。教えてくれないか」

 

「……努力する、それがボクの忍道です。ボクに諦めるという選択を迫った、それが一番の大失敗だったんですよ!」

 

 ナイスガイスマイルでそう答え、歯を見せてウインクするリーの顔は、闘いの時よりも熱く輝く。対するタイガーは呆気にとられて胡乱気だ。だが、リーの言葉に思う部分があったのか、意味深げに噛み締めて、改めて顔を上げた。リーの忍道とは何だったか。アカデミー時代から、あれそれとバカにされていたあのリーに失点まで暴かれ晒される気分は不思議とどこまでも清々しい。もう日も沈みそうだと言うのに、天晴爽快な気分だった。

 

 

 

 

 樹冠から、釘でも打たれたように身動ぎ一つしないテンテンは、同い年のくノ一・リンリンによってその身をまさぐられていた。幻術に陥落したテンテンは抵抗さえできないのだ。今も魘されながら苦悶にあえいでいる。

 

「ふふ、愛らしい。さあ、巻物は持っているかしら?」

「くっ」

 

 リンリンは嫋やかな指を馳せ、テンテンを曝しポーチから巻物を取り外す。単純な巻物所持数ならば中忍試験参加者で一番多いだろうテンテンこそ、巻物を隠すのに相応しいと考えていた。そもそもネジ班は基本的に体術使いばかりが集められてバランスが悪い。リーは忍術に対抗策が取れないことの方が多い故に囮に向かず、ネジはエースでリーダーの上に血継限界、よって更に狙われやすい。その点今回に限りテンテンは一番秘匿するのに適任と言えた。一番弱く、一番頼りなく、そして一番戦えずとも影響が無いからだ。そんなことを考え、弄るような手つきが、テンテンの身体に纏わりついた。

 

 最初の鈴の音によって聴覚を奪われ、香りで嗅覚、曼荼羅で視覚を奪われたテンテンは、間違いなく人生で一番の恐怖に苛まれていた。葉っぱ一枚のガイがいつものナイスガイスマイルを引っさげ、自分の身体を抱きしめるのだ。コレ以上におぞましい光景など、テンテンにとって想像しえなかった。確かに感じる体温、匂い。その全てがガイの青春一色。総毛立つ心身を落ち着かせる暇も無いまま、テンテンは幻術によって発生する欠落した部分を探った。どんな幻術にも必ず穴がある。例え意識を奪い洗脳するような完全催眠能力であろうと、それは完全という『欠落』になり得るのだ。

 幻術の解除方法はいくつかある。一つは幻術のトリックを見抜き原因を取り除くこと。一つは術者をどうにかして倒す、或いは術を使えない状況にすること。一つは乱れたチャクラを他人、或いは自分自身で元に戻すこと。リンリンの使った幻術はあくまで下忍レベルの下等幻術でしかない。しかし、聴覚・視覚・嗅覚の三つからなる重ねがけによって、その解呪を難しくしているのだ。

 

(どうする……! このままじゃ良いようにやられちゃうじゃない! ……でも、正直チャクラコントロールには自身が無いわ……)

 

 テンテンには幻術適正が無かった。いや、チャクラコントロールの適正と言うべきか。水面歩行なども正直得意な方ではない。動物との口寄せ契約をしないのもそれが一つの原因であると言えるし、チャクラ糸などを利用して忍具を操ることをしないのもその為だ。

 

「どぉおしたテンテーン! んー? 何をそんなに苦しそうな顔をしているんだー!」

(ガイ先生のせいでしょーが!)

 

 考えあぐね唸っていると悪夢が向こうから話しかけてきた。ヘコヘコと腰を揺らす度ひらひらと木ノ葉が踊っている。野獣が今にも顔を出しそうだ。思わず顔を逸らした。

 

「何を恥ずかしがっているんだ? あ、ほら、あほら、こっちを見ろよテンテーン!」

(ガイ先生、試験終わったら絶対はっ倒す……!)

 

 何か大事な物を失いつつも、密かな復讐心を決めたテンテンの首が痛い程にそっぽを向く。いたいけな乙女の心を傷物にした報いなれば、例え本人でなくとも立派な罪となるのだ。だが、テンテンの頭にふとよぎる。見たくない物を見ない。それが今できているのは何故か、だ。手足は愚か肩や腰も動かない硬直状態で、ただ首だけが動いている。これも幻しが見せる誤りの感覚なのか。嫌々ながら、もう一度首を動かしてみせる。

 

「おっ、テンテン! どうだこのポーズ! まさに完璧なファイティングポーズじゃないか!?」

(イヤーーーー!!!)

 

 勇気を持って視たテンテンの視界には、ガイが股をおっ広げ、その股ぐらから頭を覗かせながら両手を誇らしげに開く姿だった。悟空が見ればとある星で出会った隊長を思い出すことだろう。

 

「テンテン。イヤなこと、苦手なことから逃げるな! そんなことじゃ綱手様のようなくノ一にはなれんぞ!」

 

 そんな良いことを言っても説得力が無い。テンテンは心の底から思った。

 

(そんなこと言ったって、ガイ先生の……はキツイに決まってるでしょ!)

「いいかテンテン、青春は常に挑戦に満ちている。俺達は生きている限り永遠のチャレンジャー! 例えどんな術にも綻びはある! 幻術がどうした! 俺だって解けるんだからテンテンにだって解けるさ!」

(ガイ先生……ゲェーッ!)

 

 吐き気と怒りで涙を浮かべながらも、テンテンの頭は不思議と普段通りに動き始めた。

 

 

「な、なにかしら。すごく死にそうな顔をしているわ……」

 

 一方術の外では、リンリンがどんどん血の色が失せていくテンテンの様相に若干引き気味ながら、巻物を探していた。元々武器口寄せ用の巻物とあれば、わざわざテンテンの手元に置く理由も無い。違った物はぽんぽんと捨てさった。

 リンリンの使った幻術は五感の過半数を封じ、お香の副次効果で微力ながら麻痺させた上、被術者の最も恐怖する潜在的な対象を幻覚させることによって、一番受けたくない仕打ちで苦しめる効果を持つ。最初にテンテンを襲った首を折られる痛みも一過性の幻。この術に触覚そのものを奪う力も、リンリンにそんな趣味も無い。ただ一度の、幻術に落ちる合図だ。だがテンテンの顔は痛みに満ちている。

 

「まあ、そんなことはどうでもいいです。はやく巻物を探さなければ……」

 

 テンテンは間違いなく術中に嵌っている。口寄せ用の巻物は目に入る物全てを取り外した上、忍具ポーチは手足も痺れて取りにくい下半身。仮に術から抜け出しても、幻術をかけた張本人ならば簡単に気づける。そう確信したリンリンがテンテンから注意を逸らした隙、その須臾に満たぬ時の中で、テンテンの意識が覚めようとしていた。

 

(テンテンさん、こんなに他愛もない相手だとは思いもしませんでしたわ。でも、一年待てたんです。貴女ならばもう一年ぐらい待つことだって出来ますわ)

 

 最後の巻物一本を手にし、題簽にしかと書かれたその文字を見、自然と上がろうとする口角を押え竹を押し付け隠した。後は無抵抗のテンテンに睡眠薬でも盛って意識を沈めれば……。

 

 間違いない油断。

 テンテンの瞳は先ほどまでと変わらずに虚ろだ。明確な指向性を持たぬ蛋白質な視線。ともすれば斜視にさえ思えるうそ寒い瞳孔の動きに違和感を、覚えようとした。リンリンの脳から身体全体へ指示を送りきる途中、それは起こった。

 

「!!!」

 

 薫風が頬を撫でる。まばらに繋がった大小様々な風の……、いや、チャクラの流れ。そよぐような微弱なソレがリンリンの無意識下に右肩を通り過ぎたと同時、微動だにしなかったテンテンの左半身がしなって藻掻いた。その様はさながら絡まった蜘蛛糸から抜け出そうとする蝶のようである。何もない空を引き千切ったテンテンの腕が、乖歪する力に耐えられず音をたてた。関節が外れている。ふらふらと力なく揺れる左手、全ての指が別の方向へ折れ曲がる。

 リンリンには何が起こっているのか判断できなかった。突如始まった生物的でない動きはまるで霊怪だ。悲鳴さえ上げることも出来ないリンリンの眼前で、今度はテンテンの右半身に異変が起こる。切り落とされたトカゲの尻尾のように大きく痙攣し、膝が跳ね上がった。

 

「一体何を……!?」

 

 リンリンが疑念を飲み込めず口に出す。下手な傀儡遊びのような動きのソレが、テンテンの考えた幻術への対抗策だった。

 

 通常、人間は身体中に巡るチャクラを脳で自然に処理している。忍者はそのチャクラをコントロールし、印を結ぶことで遁術に変えたり、或いは水面歩行や身体強化などに使用することができ、幻術とはそのチャクラコントロールの根幹である脳へ、他者のチャクラを流し込むことで干渉し掻き乱すことを言う。以下に忍者と言えど、身体に馴染んだ無意識のコントロール能力を雑にいじられれば簡単に機能停止する。それはしょうがないことなのだ。

 しかしテンテンは違った。先述した通り、そもそもテンテンはチャクラコントロールが下手だ。リーほどではないにしろ、その能力はかなり劣る。絶望的と言ってもいい。では何故、幻術の中で奇妙な動きを見せたのか。答えは単純。自らが発生させるチャクラを乱したのだ。正しく行われるチャクラを乱すことが幻術ならば、そもそも正しくなければいい。下手なりに暴れまわるチャクラを、奔放に身体中巡らせる。神経に送られる微弱な電気さえ無視させるエネルギーの脈動が、考えも見せない無謀な動きに変わるのだ。暴力的なまでの幻惑に自らを落す。最早その幻は、具体性を持たぬ灰色の景色へと様変わりした。

 

「くっ……、何をしたかは分からないけれど、確かに幻術にはかかっている筈! 大人しく眠っていてください!」

 

 はらりと拡がる曼荼羅布。袈裟のような服飾が燻らせた煙に似た機動を見せ浮き上がり、テンテンへと襲いかかる。割れて剣山のようになった木を叩き壊し、反発しながら徐々に近づく絹布。勝手に身体をボロボロにするテンテンには避けることさえ出来ないだろう。案の定、テンテンは攻撃を受けた。木っ端が舞い、爆煙が舞う。テンテンの細い身体も、肉片となって舞ったことだろう。これもまた、通常ならば。

 

「嘘!?」

 

 折れ曲がった左腕、そして右膝。その両方を布が掠奪せんと攻めかかったその勢い、それに合わせて関節を当て、大きく回転することで力を利用、まるで手裏剣のように弾かれたテンテンの身体が撥ね上がると、横、縦に回ることで徐々に勢いを落とした。

 

「何が嘘……なのかしらねェ?」

 

 先ほどまでの動きはどこへいったのか、テンテンに精彩が戻る。関節のかすり傷から血を濁濁と流しながらも、猿のような身のこなしに赤い軌道を描いた。テンテンの脚が幹に着地する。

 

「何故……動けるの……?」

「身体に直接教えて上げるわ……かかって来なさい!」

 

 テンテンが啖呵を切り、肩を膨れ上がらせる。これ以上ないほどに折れつくした指をそのままに、掌で煽る。ガイが自分達を煽る時に使う癖。視線さえ重ならないにも関わらず、自信溢れるその表情。リンリンの知る通常のテンテンの、数倍にも大きく見えるその姿は、威圧感による物。男どものように闘争心が少ないリンリンは、得体のしれない恐怖に慄くほかなかった。

 

 

 

 ネジが回天を使い、ドラゴンの攻撃を防いだ後。

 戦況は一定の膠着状態を呈していた。ドラゴンの技はネジの喉元に食らいつくことはなく、ネジの柔拳は一様に躱される。互いにインファイターでありながら、逼迫した鬩ぎ合いの最中、徐々に中短距離のいなし合いと移っている。

 ドラゴンは初め、怒羅拳と呼ばれる剛拳を使えばある程度まで闘える、と甘い算段を立てていた。簡単に言えば、性質変化の基礎応用でしかない、ただの武術。それが怒羅拳の正体だ。ネジの白眼であれば身体強化のそれと全く変わらない、くだらない曲芸のようなもの。だが、ネジは実際にそこそこ苦しめられていた。回天を使うまでは。

 

「認めよう。俺に回天を使わせた奴は、同年代じゃお前で二人目だ」

 

 にじり。砂を潰す音がする。八卦の構えのままに立ち位置を変えないネジの周りをドラゴンが踊るように駆け回る。赫灼の熱波が森を焼き、ネジの体力を削る。明らかに上昇した気温に包まれ、頬を汗が伝おうとして気化してしまう。まるで蜜蜂の群れに襲われる雀蜂のように、このままでは焼き殺されるだろう。普通ならば。

 

「この程度であれば、回天を使うまでも無い……」

 

 掌底を地面に向かって打ち付ける。裂帛の拍子に、焼き焦がさんとする熱が吹き飛んだ。チャクラと掌圧によって生み出された風が一瞬で空間を創り変える。

 腰を少しだけ落としたネジに、大振りの貫手が刺し込まれ、寸尺ズレてネジの指が伸びた。だがドラゴンも流石だ。蛇頭のように突如折れ曲がった肘がそれを回避し、ネジの胸元目掛けて真空波を放った。

 

「きかん!」

 

 片足をドラゴンの腹部へ近づける動作。それだけでドラゴンは距離を取らざるをえない。真空波を避ける為に背を逸らしながら行った一瞬の攻防。これは常にネジが後手に回り、そして常に優っている。互いに洗練された武の持ち主だからこそ現れる実力差。ドラゴンの余裕は消え去った。

 

(冗談じゃないヨォ、いつの間にあんな反則技使えるようになったのサ!)

 

 ネジの回天、それはアカデミー時代になかった物だ。当たり前である、下忍にさえなっていない者に扱えるような技ではない。厳しい鍛錬と己に科された卍紋の宿命、それがネジをここまでの忍に成長させたのだ。

 

「お前の生半可な攻撃じゃ、俺に一撃を入れることさえできやしない」

「チィッ……」

 

 苦し紛れの蹴りを空振る。戦闘開始してから一度も立ち位置をずらすことさえ出来ず、いささかドラゴンのプライドに傷をつける。確かに攻撃は当たっていないが、いい加減体力の消耗だってバカにならない筈なのだ。だがネジの動きに淀み、滞りは見当たらない。綻びさえ見つからず、ついにドラゴンの攻めがひとたび止まった。

 

「所詮軽業、リーの攻撃のほうがよほど剛毅だ」

 

 ネジの套路に一切の不足なし。ネジの脚がブレた。踏み脚の力が輪を描いて轍を作る。時に龍に例えられる連綿とした武は、その緩慢とした動きとは比べ物にならない風音の迅となる。衣擦れの音が木々を通りぬけ、木ノ葉を連れ空へと舞い上がった。

 

 ―― 日 向 流 柔 術 ・ 乾 坤 ――

 

 円周を沿うが如き渦波の動き。体捌きと回りながら拡縮する間合いの誤差にドラゴンがたじろいだ。脚から来るのか、それとも手か。柔拳は掌に空いたチャクラ穴から直接相手に己のチャクラを流し込み、内部を破壊する術だ。自然、ドラゴンの注意は手に向いた。しかしフェイク。ドラゴンが知らぬことも無理はないが、ネジの柔拳は身体全体を武器に変えることができる、宗家にもない特殊体質によって賄われている。回転によってネジが背中をドラゴンに見せたその時、その眼前を白い壁が迫った。

 

「!」

 

 背撃。今までの動線から予想外の短跳、冒没させる膨圧に、咄嗟的に向こう脛を盾にした。一足とて、重要な点穴を突かれチャクラを練ることができなくなるよりマシだという判断。だがネジの追撃がその穴を襲う。

 側撃的に繰り出された肘が掻き殴る。千本で串刺しにでもなったような痛みに襲われる脛を壁にすると、当たる直前ストンとネジが落下した。いや、ドラゴンにはそう見えた。急転直下の足払いが、片足立ちのドラゴンを押し飛ばす。歳にしては筋肉質なドラゴンの身体が一瞬浮宙、そして振り抜かれた蹴りの勢いを殺さず、そのまま何度も蹴転する。支えを失ったドラゴンの身が蹴り回された。徐々にその位置が上昇して、地面から遠ざけられる。臨場と血への圧力で目が回ることだろう。ネジの腰高が常置に戻り、百裂の掌底、花塚の如く咲き乱れる尖突が天蓋を抜いた。

 

「乾坤とは」

 

 悉くにドラゴンの身を乱打したネジが呟く間、ドラゴンの時間は全てが遅まった。ネジの声は、ドラゴンの上から落ちてきたのだ。今も己を襲う痛み、内部破壊の衝撃など、ネジからして見れば辿った軌跡に過ぎない。いつの間にかドラゴンの背後を取ったネジが、双推掌を叩きつけた。

 

「すなわち天地を指す」

 

 背が逸れるほどの打突と、下から来る旋回する上気に伴う力とともに、双極の震撃がドラゴンの内部を撹拌した。ビル風のような大突風が森から還ってくる。初めに舞い上がった木ノ葉が、倒れ臥すドラゴンの背に優しく落ちる。ネジの白眼は既に解かれた。土煙さえ上がらぬ冷酷な勝利。日向の才を前にすれば、龍さえも牙折れ頭を垂れるのだ。

 

 

 

 均衡は砕かれた。リーは危うくも勝利、ネジは圧倒的完勝。残るはテンテンだけとなった。リンリンの絹布が鞭のようにしなり、樹幹へ横に突き立つテンテンを弾こうと振り抜かれる。未だ完全には幻術の解けないテンテンだが、まるで攻撃がどこから来るのか分かっているかのようにするりと動く。リンリンにはそれが不思議でしょうがなかった。

 

「どうして……!? 貴女には私が見えない筈! 避けるなんてできるわけ……」

「ええ、出来ないわ……避けることはね」

「まさかさっきも今も、攻撃をわざと受けて……!」

 

 攻撃が回避できない。のであれば、攻撃に当たってから動けばいい。テンテンはそう考えた。幻術は視覚・聴覚・嗅覚に掛けられている。触覚、つまり痛覚は正常。相手との位置関係など、威力と攻撃の種類からでも予測ができた。簡単に言うが、そんなことが出来る者などそういない。特に下忍レベルであるならば。

 

「で、ですがテンテンさん! 貴女は私のお香を嗅いで身体が痺れているのですよ!?」

「それは神経毒でしょ? なら簡単よ。神経に、頼らなければいい!!」

 

 流れが乱雑になった自分のチャクラ。力を入れようにも安定せず、術や身体強化にも使えない。まるで樹木に立つようにしているのも、ただ己の力と吹き飛ばされた勢いで、足先を幹にめり込ませただけだ。忍としては既に死んでいる、と言っても過言ではない。しかしテンテンは、そこを逆に利用した。人を動けなくさせる毒が神経に渡っていようと、チャクラが流れている事実は変わらない。鍛錬中、日向ネジの柔拳を幾度も受けてきたテンテンにとって、チャクラがあるだけ充足であった。そのチャクラを無理やり信号として、苦痛や痺れを無視して動かしている。

 テンテンの曖昧な瞳は何も映すことはない。リンリンの望んだ姿でありながら、その様が恐ろしくてたまらなかった。

 

(攻撃すればこちらの位置を把握される……? なら、このまま逃げればいい! これは試合じゃないんです、巻物を取ったこっちの勝ちは変わらない……ッ!)

「逃がすと思うのか?」

 

 いつの間にか、リンリンの後背にネジが立っていた。驚くべき抜き足。そしてドラゴンと闘ったというのに傷跡一つもない。リンリンが自分達の班員で最も強いと信じている男を相手取って無傷。畢竟、絶望が現実に追いついた。

 

「大丈夫ですか、テンテン! って危なっ」

 

 タイガーを背負ったリーが遅ればせながら登場する。テンテンの横だ。テンテンには術者のリンリンの声しか聞こえない。微かな樹の揺れを頼りに、反射的な攻撃をしただけだ。

 

「リー、どうやらテンテンは幻術に掛かっているらしい。俺達の姿も見えちゃいないだろう」

「え、そうなんですか!? どうりで攻撃に気が入ってないわけです」

「直ぐに俺が片付ける。お前も退いてろ。どうせ幻術に対しちゃ無能のレベルを越える無能なんだからな」

「…………」

 

 急に賑やかになった戦場だが、その実緊迫感は激しさを増している。ネジの白眼が射殺さんばかりにリンリンを見逃さない。リーはネジの横に移動すると、その場にタイガーを降ろしながら少し不貞腐れた。

 

「……ネジ、テンテンの幻術を解いてくれませんか?」

「油断してやられたんだ、自業自得だろう。暫く捨て置け」

「いいえ、置きません。……ネジ、これはテンテンの勝負です、せめて決着は彼女につけさせてあげたいと思いませんか」

「…………好きにしろ」

 

 微動だにしないリンリンを良いことに、ネジは一瞬でテンテンに近づき幻術を解いた。リーの物言いは多少傲慢で、そもそも幻術を解くことも介入に過ぎない。だが、テンテンの気持ちを汲みたかった。折角の勝負に水を差されることに、自分は耐えられるだろうか。結局はネジもそこに同意した。

 

「おいテンテン、大丈夫か」

「おらおら攻撃はどーしたー! リンリンどこだー! ってネジ、いつの間に?」

「何をやってるんだテンテン。あいつの術はアカデミー時代から進化したようには見えんぞ? その癖術中にハマりやがって」

「ごめーん、まんまとしてやられちった……。でも、これでダイジョブ! 私が勝つとこ見守ってて!」

 

 身体中ボロボロの笑顔が眩しくて、ネジは言い分を嚥下し溜息を返すだけだったが。テンテンの握った拳心から伝う血が艱苦を滲ませた。

 

「だ、そうだ。俺達は手を出さん。テンテンが負ければその巻物をくれてやる。いいな」

「……え、ええ」

 

 光明が見えた。判然、テンテンは幻術に抗えない。状況はあくまでリンリンに有利に進んでいる。肌蹴た玲瓏な胸元から取り出した勾玉型の鈴を掌中で転がす。だが音が鳴っていない。リンリンがそっと口づけ、長い袖口に一筋空いた脇口から手を出して、隠すように印を結んだ。

 

 ―― 雨 霖 鈴 曲 の 術 ――

 

 鈴が翡翠色に輝き、透き通った音が夜の森に響いた。これが初めにテンテンが聞いた幻術の切っ掛けの正体。手に何も持たないテンテンでは守れない。そう高をくくったリンリンだった。動作を見ていたテンテンは血まみれの手足を庇いながらではあるが、リンリンに飛びかかっていた。飛んで火に入る夏の虫とはこのことだ。ほくそ笑むリンリンの手が印を解き、袈裟を振り回してふわりと浮かぶと、今度は当たりを匂いが包み込んだ。どんどん近づいていくテンテンの身体。空中で舞い踊るようなリンリンの袈裟、そして袖が妖しく光り、曼荼羅模様が波打って絵を描いた。

 

 ―― 壺 惑 ・ 無 限 泡 擁 ――

 

 螺旋する二つの布が触手のようにテンテンを囲う姿は、まるで海月に絡め取られた魚のようである。だが、それは見た目だけの話だった。

 

「甘いわよっ」

 

 テンテンが脚を薙ぎ、一回転。すると武器ポーチが開き、中のクナイや手裏剣が宙を舞う。忍具のスペシャリスト、テンテンの復活だ。武器は落下する。それを人は理と呼ぶ。だがテンテンはそう考えなかった。空中からの投剣を得意とするテンテンは、途方も無い修練を繰り返すことで、忍具を宙に『置く』ことを可能としたのだ。動作の効率化。このことだけの話をすれば、或いは上忍に匹敵する。長い浮遊感の中、自分の周囲に『置かれた』クナイを五本ほど触る。触れたクナイが矢弾の如く直線距離を瞬時に詰め、リンリンの曼荼羅を一つ、突き刺して木に貼り付けた。

 

「言った筈よね、リンリン! 身体に直接教えてあげるって……!」

「ッ……、ごめん願いますわ!」

 

 残った袖が剣斧の如き破壊力を持ってテンテンに斬りかかる。殺意に満ちたその拒むような一撃を前に、テンテンは手裏剣を『足場』にして跳躍、布のぎりぎり横を掠めながら上昇した。

 

 動く右手に強く握られたクナイで布を切り裂きながら。

 

「そんなっ、少しも幻術にかかってないなんて!?」

「音だけならどうとでもなる! 毒香なんて息をしなきゃ関係ない!」

 

 一息にやる。テンテンの判断力は一度幻術にかかったことで寧ろ増す一方だ。血で滑らないように巻いたクナイの布が赤黒く染まっている。それでも扱いづらいと考え手放し、変節した脚をリンリンの懐目掛け掻き斬った。

 リンリンはその一瞬で考えた。このままでは身動きも取れず、その一撃を一身に受けるだろう。自分の武器は全てこの服飾に備わっている。女の意地として素肌を見せたくない。だが、敗北も嫌だった。なんの為の一年。去年覚えた絶望を、もう二度と受けたくない。そう思ったリンリンの動きは、今までで一番早かった。

 

 ――そう、ドラゴン・タイガー両名よりも……。

 

「!」

 

 接触を感じない。外したことを悟った。テンテンの視界を覆った布が重力に従って落ちていった。

 

「ほう、強いな」

「素早い身のこなしです! タイガー君よりもずっと」

「そりゃそうだ……」

 

 観客となっていたネジとリーも感心していた。横に倒れたタイガーが苦笑いを浮かべている。

 

「どういう意味だ?」

 

 ネジが冷たい眼差しでじろりと一瞥、そう問い質すと、思い出を辿るように視線を巡らして呟いた。

 

「俺達の班の中で、あいつだけがずっと体術修行をしていたからだ」

「……」

 

 理由は一言。だがそこに含蓄された意味を感じ取り、ネジは無言で考えに耽り込む。リーは目を反らさず闘いを見逃さんと光らせた。

 

 服を脱ぎ去ったリンリンは、その素肌にサラシを巻いて隠している。だが、隠し切れない物もある。

 

「! リンリン、あんたその手……!」

「…………」

 

 割れて変形した爪、何度も折れ、治った証の節くれ立った指。拳面にも巻かれたサラシが大きく膨れ上がって見える。それは、テンテンが毎日のように見てきた手によく似ていた。

 

「リンリンさんは、凄い人なんですね!」

「どうでもいい。早く決着をつけろ、テンテン」

 

 リーがナイスガイスマイルでそう笑う。ネジはそれを横目に月を気にした。

 

「へえ……意外ね、リンリン。あなたがそんなに根性あるとは思っても見なかった。正直舐めてたわ」

「乙女はいつでも強いのです。守るべき場所が出来た時は、そう、誰よりも」

 

 テンテンが優しい微笑みを湛え見る。リンリンの四肢から、まるで闘神の如き厳格さが溢れ出ている。始めて、テンテンは自分と同年齢で並び立てるくノ一と認めることができた。

 

「ここからが本番、ねっ!」

 

 疾。無事な右手が振るう拳圧がリンリンの腹を打つ。くの字に曲げることで衝撃を弱め、リンリンの頭突きがテンテンの鼻を捉えた。反射的に後退るテンテンの胸ぐらを掴み、引ったくって投げに入る。だがテンテンはリンリンの長い髪をわし掴んで、支脚を払って顔面を地に落とした。

 太い樹の枝の顔を擦り付けられ、剥がれた樹皮が皮膚に突き刺さる。硬い木が揺れ、葉擦れが闇夜に騒がしく響く。背を取られたリンリンは、自らの艷やかな髪を犠牲にしてでも逃れようと、枝を這って横に落ちる。テンテンは素直に手放して、遅れて大地に脚を降ろした。

 

「ふふ……やはり、一日の長がありますか」

「そっちこそ、明らかに動きが違うわ。変に着飾ってないほうが強いわよ、あなた」

「そう仰っていただくと……嬉しい限りですわっ!」

 

 発破、踏み砕く音とともにリンリンが動く。テンテンがまばたくタイミングで近づき、帯剣を抜刀するように振りきった回し蹴りが、柔らかい横腹を打ち抜いた。

 

「テンテンの消耗が激しい……」

「パワーもスピードも、技のキレもまるで無い。『このままでは』負けるな」

 

 小さく軽いテンテンの身体が、熊に殴りつけられた川面の鮭のように弾け飛ぶ。幹にぶつかった肩が大きく痛んだ。

 息切れる呼吸。止まらぬ汗血。治まらぬ動悸。だが、テンテンはここ一番で集中の点に意識が立っていた。這いつくばって身悶えるテンテンに、一切の揺るぎない蹴りが襲う。球蹴るように弄ばれ、あちこちにアザを作った。

 

 だが、リンリンが優勢でいられたのも短い間であった。テンテンは止まぬ攻撃を受けながら、逃げようとする振りをしてリンリンの行動を誘導していたのだ。数メートルも転がされれば、そこには先程テンテンが踏み台にして落とした手裏剣が落ちていた。震える手が伸びる。

 

「その手裏剣でどうするつもりですか」

 

 大事そうに握りしめた手裏剣に気がついたリンリンが、低い声色で尋ねる。テンテンは苦しげに一笑いすると、事も無げに「こうするのよ」と呟いて、投げた。

 

「最後の足掻きも無駄に終わりましたね……。これで、私達の勝ちです!」

 

 爛々と輝いた瞳が闇夜に光る。勝利を確信したリンリンのとどめの一撃がテンテンの頭を潰そうと振るわれる瞬間。

 二人の上に巨影が差した。

 

―― 武 器 口 寄 せ の 術 !――

 

「いつの間に……!」

 

 月が見えなくなる程の煙を巻いて、十メートル程の大鉄球が猛スピードで落ちる。リンリンが逃げようとするも、テンテンが蛇のように巻き付いて離さない。二人して、無慈悲な鉄塊に潰された……かに見えた。

 

「テンテンの奴、考えたな」

「ええ」

 

 今の流れの一部始終を見切っていた二人が称賛する。テンテンが先程投げた手裏剣、あれは苦し紛れに放った抵抗などではない。己の身から剥がされた巻物達。テンテンは蹴り転がされながら、目ざとくそれを見つけていたのだ。そして落とした手裏剣のある場所にどうにか飛び込み、握りしめたあの瞬間、掌を傷つけて血を刃につけ、あたりを付けて巻物へと投げたのだ。

 ネジはその眼で、リーは『気』の動きで、テンテンが印を結ぶ動きを見た。そして二人を覆う鉄塊が地に沈む直前、リンリンにぶつかった瞬間に術を解いた姿を。

 

「っしゃああーっ!」

「勝負ありです」

「当たり前だ」

 

 勝者が倒れ、敗者が膝折れ気絶する奇妙な光景。その間を、テンテンの快哉を叫ぶ声が劈いた。




オリキャラメンバーはリー達と同期という設定なのですが
彼らは下忍になった時に担当となった上忍が半年で死んでしまい、また武闘派だったその人と違って後任者が術を得意とする忍だったという恵まれない子なのです

故に
タイガーは中途半端な体術のまま忍術に頼りチグハグのまま
ドラゴンは己の体術の研鑽を積まず性質変化に頼り(中忍として術を使えるようになること自体は悪くないけれど)
リンリンはチャクラ属性に乏しい為に「遁術」ではなく従来通りの「幻術」を使うまま成長していない

更に言うと、死んだ上忍はリンリンをかばって死んだという負い目があった為、くのいちとしては歪なほど愚直に体術訓練「だけ」をしていた為、他二人よりも「やるな」とネジやリーは思った、という今後全く語られない裏設定があります(かといって組手をしていたわけではないので「テクニック」や「身構え」ができていないので負けました)
長い袖は傷ついた手を隠す役目でもあります

ついでに言えばテンテンを狙ったのも、自分が狙われた理由が「くのいち」だからであり、かばわれたのも「くのいち」だからだという歪んだ自負から来たものでした




いやぶっちゃけオシャレ好きな女らしい女忍者が以外と武闘派っていう苦肉の策で幻術から逃げただけなんですがね(白目)
幻術戦はなんでもありになってしまうから絵書きづらい……

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