~結芽錯綜記~   作:ひろつかさ(旧・白寅Ⅰ号)

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開いてくださったのに、ごめんなさい。
初めて読む方は再構成した「異譚・神起編」から読むことをおすすめ致します。


結芽錯綜記 既完済
第一話「眠り姫の目覚め」


一、

 その日、万世橋は得たいの知れない殺人によって、警察は戸惑いを隠せないでいた。

 日の落ちた橋上の紅く輝く無数の灯、橋の中央に建てられたブルーシートの小屋の中では、万世橋署の刑事たちが人の形を失った琥珀色の液体を見て、思わず首を傾げた。

「まさか、こいつはノロじゃ」

「鑑識」

 専用の測量計を取り出した男が、その数値を確認し刑事へと頷いた。

「衣服にこびりついたノロ、荒魂とあれば刀剣類管理局が気づいているはずだ」

「でも警部、今日の報告では東京都内での荒魂の出現はないそうです」

「仕方ない。刀剣類管理局にすぐに応援を呼べ、そして話の分かる奴を連れてくるんだ」

「了解しました」

 警部は鑑識が広げた鞄の中身を見ながらつぶやいた。

「この男は、こんなに刃物を持ってどのようにするつもりだったのだ」

 程なく、ノロの反応を知った刀使の巫女が私服姿で現場に現れた。

「あんたか」

「ああ、それはこちらの台詞だ、大得物ちゃん」

 その背中にあの長大な刀はないものの、低い背丈とその往々しい態度が言わずと知れた彼女であると教えてくれる。

「おあいにくさま、その大得物はここには持ってきてないがな」

「結構だ、話が聞ければ後はあんたたちのだ」

「それはどうも、あともう一つ、こいつの同行を許してほしい」

「ネネッ!」

 元気よく鳴いた頭の上に居座る生き物を、刑事は気にも留めなかった。

 目の前に倒れる人の抜け殻を見るなり、巫女である益子薫の顔が険しく、不安を身に纏っていた。

「またか」

「やはり、噂の」

「禍人だ、この男の素性は」

「新田啓介、二十八歳……」

埼玉県川口市在住の男で一人暮らし、二か月前までネットのチャット配信で生計を立てていたが、配信プロパイダとの契約内容でぱったりと契約が途切れ、以来自宅に閉じこもっていた。

都会のど真ん中で殺人という謡い文句で、テレビが新田の個人情報を流しまくっていた。もっとも、警察へひどく通報されていた男だった。

「精神面に不備があり、近所では子供たちを襲っていたということで噂になっていた。しかし、地元警察が捜査に入った時には、既に行方知れずとなっていたそうだ。それから四か月、こうしてノロだけになってここに居る。なぜ、この男は荒魂になってしまったのかな」

「禍人はまだ発生の条件は分かっていないが、荒魂に身を委ねた結果というのがうち等の見解だ。だが、それが正解であるとは言えない」

「それは」

「私の考えだ、正直、上も教えてほしいくらいだとよ」

「だろうな、だからこそどこに潜伏しているか教えてほしいもんだ」

 問うような刑事の視線に、薫は首を横に振った。

「見当がつかない、なにせ荒魂の測量機器に一切反応しないのだから」

「うむ、あと一ついいか」

「なんなりと」

「荒魂と分からなかった人間がどうして殺されたんだ」

「それは」

 衣服を持ち上げると、首元に一直線の小さな切れ込みが見つかった。

「刀使だろうな」

 現場の調査に刀剣類管理局の手が加わってからも、衣服の切れ込みを見ながら考え事をしていた。

 いくら写シを張った刀使といえども、人通りの多い秋葉・万世橋界隈を一瞬で一人の禍人を殺すことは難しい。

 彼女自身などは出来ようもない芸当である。

 なればこそ、刀を抜き、写シを張り、瞬時に突き殺し、その場から何事もなかったように立ち去る。

 幾人かそれができる刀使を知っているが、二人は岐阜、もう二人は会津、そしてもう一人は先ほど行動を共にしていた。

 犯行時刻には共に中野で食事をしていたのだから間違いはない。

 そして、折神紫は戦いの後遺症で以前ほどの実力はでない。写シも満足に張れないである。

「ネネェ…」

「そうだなネネ、タギツヒメの一件を思い出す、薄気味悪い。禍人のこと、この男のこと、謎の刀使に、そしてやけに真面目になってやがる自分もな」

 刀剣類管理局、対荒魂討伐突撃隊隊長、益子薫はタギツヒメとの戦いから半年、可奈美と姫和の帰還を経て、なんとか平穏の日々を取り戻しつつあった。

その日は梅雨明けの、蒸し暑さが肌につく季節が始まった日であった。

 

 

二、

 

 焼けるような悲しみと、灰のような後悔が薄れゆく視界を何度も駆け抜ける。

 勝とうが負けようが関係ない。

 やっと戦いたい相手が見つかった。心の底から本気で立ち合いたいとそう思えた。

 涙がほほを伝う感触が走った。

 

「お目覚めかい」

 白い空間に、白いベッド。窓らしきものは鏡のように彼女を映し出した。

「ん、あなた」

 やや、困惑のにじみ出る顔を傍らに立つ短髪の女性に目を向けた。

「あたし」

「そう、あなた。あなたの名前は」

「あたしは、あたしは、親衛隊…四席…燕…つば、くろ」

 驚きが走り、はっきりと自分の名を確かめるように呼んだ。

「燕結芽」

「ふぅん、ちゃんと言えたじゃない」

毛布を剥ぎ棄てると、素足で床に立ち、その冷たさを感じながら鏡の窓ではっきりと自分を見やった。

「死んだはずなのに、手も足も顔もあるって顔ね」

「じゃあ、死んだのあたし」

「死んだ。公にはそうなっている。ノロがあんたの体を再現しなければ、私もそう思っただろう」

「あなたは、誰なの」

 その問いに不敵な笑みを浮かべて答えた。

「防衛省戦略特殊部隊“第二課”所属、コードネーム『梅』だ」

 梅と名乗った女は傍らに刀を置いているところを見るに、彼女も刀使であるらしいことは確かだった。

それにしては、適任年齢を超えた歳に見える。

「さて、あなたはこうして生き返った、でも」

「でも」

「その体はノロによって再構築された肉体、つまりは人ではなくノロ、しいて言えば荒魂だな」

「わ、わたしはノロを支配して…」

「延命していた。でも事はあんたが一度死んだことでガラリと変わった。ノロはあんたの生命としての素体、肉体を利用して自らの延命を図ったんだ。あなたがノロを使ってそうしたようにね」

「嘘だ。それならなんで人間の、結芽のままなの」

「人のままなら、荒魂として支配も抑圧も受けないからさ、ノロにも自分の意思をもって人に挑みかかるものなんだよ。あなたがあなた自身と自覚しているものは、十の昔にノロに入れ替わっていたのかもね」

「そんな、そんなの嘘だ、絶対嘘に決まっているんだから」

 何度も首を横に振り、髪を搔きむしった。

「本来なら、人間になったノロは禍人と呼ばれ、人知れず消される運命。だが、私たち第二課はあなたに提案したい」

「あたしに、あたしに何、化け物扱いしていて何なの」

「その肉体が刀使としての能力を今だ保持しているなら、第二課の戦闘員として貴女を雇いたい。ノロになってでも生きたいのなら、とてもいい提案だと思うわ」

「断ったら」

 首を断つジェスチャーを何度もして、小さく笑った。

「時間がほしい」

「そんなものはない、生か死か、選べ」

「知らないよ!なんでまた自分の生き死にを決めなくちゃいけないの、時間がなかったから、私は私の望めることをなしえたかっただけ、あんたみたいな、あたしを知らない奴に決めろなんて言われたくない」

 彼女の顔に梅の拳が叩きつけられ、襟を引っ張られた。

「ごちゃごちゃうるせぇよ、決めろよ、もうお前は化け物だろ?たとえその自覚がなくても、その結果をいずれその目で見ることになる。私もノロだ。化け物同士で相手も自分も生を否定するんだ、滑稽だ」

「ふざけるな」

「なんて言った」

 結芽の右こぶしが梅の顔を襲った。

「私は化け物じゃない。ノロじゃない。あたしは人間なの、あんたと違って生きている人間だし、刀使だ。それを証明してやる」

「どうやって」

「第二課っていうのに入って」

「ふふふ、はははは、ひひ、あははははは」

 その瞬間、梅の頭突きを正面から受けた結芽は強く壁に叩きつけられた。

「おもしろい、おもしろいよ貴女、いいよ、雇おう」

 隠し扉が開き、髭を整えた精強な中年が結芽に近づく彼女を静止した。

「いい加減にせんか!これ以上、彼女を傷つけるのはよさんか」

「彼女?私のことは」

「ふん、何と呼んでほしい」

「ふふふ、冗談ですよ。少佐、見ての通りです。使えますよ」

刀を持ち、立ち去ろうとする彼女は結芽を一瞥し、部屋を後にしていった。

痛みをこらえながら、目の前に居る髪のない男を見上げた。

「っ、あいつ、超ムカつく」

「梅はああいう女だが、腕は立つ」

「アイツも刀使なの」

「君から見ればそれで間違いなかろう、身体は大事ないかね」

「…大丈夫、あんなの紫さまに比べたら」

 男は戸惑いながら、結芽はしだいに落ち着きを取り戻した。

「だから、一度死んだ身だから、気にしてない」

「そうか、手を貸そう」

 立ち上がると、男の圧倒的な巨体、そして堀の深い顔が彼女を見下げていた。

「自己紹介が遅れたな、“第二課”の課長、神尾渡少佐だ。よろしく」

「私は」

「知っているよ、全て調べさせてもらったよ、燕結芽くん。君の病気も、折神紫とのことも、そして君の最後も、君があの時死んでから、もう七カ月もの時が経っている。積もる話もある、さぁ食事でもしようか」

 

三、

 

 午後二時を過ぎ、施設内の食堂はガラリとしている。

 少佐の部下と思われる男女が付き従ったが、やや離れた場所で待機していた。

「長らく眠っていたのだから、なるべく優しいものを」

「このハンバーグ定食にする!ライス大盛ね!」

「いいのかい、自分の体はいたわるべきだ」

「平気、平気!結芽は刀使の中では一番強いから、身体も一番丈夫なの」

「そうかい」

 ただし、食堂長の特製豆腐ハンバーグであり、いずれ彼女の病室に持っていく予定だった。

 お盆に載せられたハンバーグは、色の濃いデミグラスソースにミニパスタとポテトサラダがつけられている。

 彼女は席に着くといただきますと挨拶を終えて、食事を始めた。

 少佐は既に昼を取っていたのか、インスタントのコーヒー一杯だけであった。

「さてと、食べながら聞いてほしい。が、何から聞きたい」

「全部」

「だろうね、では君が死んでからの話をしよう」

 少佐は、折神紫を支配していたタギツヒメが、三つに分裂したこと、三体の姫となった大荒魂を巡って国内を巻き込んだ抗争へ激化、最終的にタギツヒメが他の二体を吸収し、隠世と現世を一つにしようとしたが、あの反旗を挙げた六人と紫が協力してタギツヒメを隠世と現世の間への封印に成功させ、重要な封印の任を担った十条姫和と衛藤可奈美が、隠世から戻ってきたことを説明した。

 その頃には皿の上はきれいに食べつくされていた。

「ここまでが大本の出来事だ」

「ふぅーん、紫様と協力して封印したんだ、あの可奈美って子」

「まぁ、隠世に押し込んだが正解らしいのだが、とにかく刀剣類管理局を好き勝手にした君の上司たちが、責任を取る形で世間に顔を立て、刀使は未だに発生する荒魂を祓う役目を負っているということだ」

「そう、なんだ。全部終わっちゃったんだ」

「君からしたら、いや、刀使や機動隊の諸君ならそうなのだろうね」

「どういうこと」

 と、目の前に紅茶とシフォンケーキが出された。

「カイル」

「サービスだよ、眠り姫のお目覚めの記念に、あとはその食べっぷりに」

「ありがとう」

「まったく、粋な食堂長だ」

「どうも、少佐殿もどうぞ」

「いただこう」

 少佐に負けず劣らずの強面のコックはそそくさと部下たちにもケーキと紅茶を出して、裏に戻っていった。

「話、続けるかい」

「その話、さっき梅ってやつが言ってた、マガビトのこと」

「ふふふ、なるほど、君の予想通りだ」

 結芽はそれを理解していたように、ミルクと砂糖を多めに入れて、一口飲んだ。

「君たち、つまり折神紫の一派がノロの研究をしていた頃、私たち防衛省は外務省からの極秘の依頼で、海外で起きているある案件に関して調査をお願いされたんだ。それはアメリカからも同時に依頼協力をされた。

 それが、今現在判明している禍人という荒魂の一種だ。

 禍人は君と同じようにノロに肉体を支配された人間で、精錬技術が発達する以前では、西洋では悪魔や魔女と認識されていた。日本でも古くからその存在が認められてきた。しかし、よほど暴走をしない限り、放って置かれ、そのまま肉体の寿命によってノロだけが残り、大地へと消え去っていく、発生数は少なく、19世紀に入ってからは報告例がほぼなくなっていた。それが、突然近年になって急激に数を増やしている。おそらく、相模湾大災厄が世界各地のノロに目覚めを促したのかもしれん」

「それで、結芽はその禍人になったのだけど、自我はあるし体もこの通り、そんなあたしに何をしろと」

「やれやれ、話が長過ぎたらしい。

 とにかく第二課はその禍人の兆候と動向を調査し、必要と判断されれば祓うのが役目だ。だが、刀使の巫女は警視庁と刀剣類管理局の預かりもの、そうやすやすと極秘作戦に人を貸せなど許されない。そこで、君のような訳ありの刀使を雇うことにしたのさ」

「訳あり、つまり梅ってやつも」

「訳ありだ、詳しくは本人から聞くだろうから、私の口からは言わないが、何かしらの理由で刀使の巫女を辞めざるを得なくなった女性たちは、少数であれ必ず存在する。刀剣類管理局が保護する前にこちらで雇ったことにすれば建前がつく、これは本人たちにとっても望むべくもない話だと、私はおもっているよ」

 お互いに紅茶を一口飲むと、少佐は一息つきつつ、部下にあるものを持ってくるように指示した。

「ここで、働くかい」

「答えはさっきと同じだよ」

「そうか、ではさっそく本題に入ろう」

 出された書類に当たり前のようにサインし、流れるように自衛隊の制服に、黒い作業服と階級章が差し出された。

「本日より君は自衛隊の隊員だ、所属はここだが、公には特殊部隊と言わず関東方面の広報局の第三室所属だ。部隊のあらゆる事項に守秘義務が課せられる。破った場合、その隊員は処分されるからそのように」

 席を立って、作業服を広げると制服の上下が一体になったようなデザインに、腰には一体型のベルトが取り付けられていた。

「分かった、刀使として隊員としてやるよ」

「君の階級は一等陸士だ。それに、物事を分かった時は諒解といいなさい」

「諒解」

「よろしい」

「あの」

「敬語を使わんでもいいよ、梅も使わないからな」

「じゃあ少佐、結芽の御刀はどうなるの」

「ああ、そうだったな。君の以前使っていたのは」

「ニッカリ青江」

「それは、君がノロに消えてしまってから管理局が回収してしまってな、さすがに御刀は国の所有物だからおいそれと場所を移すことはできない。だからこそ、君には自衛隊の持つ数本の御刀の中から一振りを提供したい」

その言葉に結芽は笑顔でゆっくりと頷いた。

 

四、

 

それから施設を出て、車に乗るとまだ白い夏の夕空が流れゆく景色をたたえていた。

(帰ってきたんだ)

施設のある通りから、並木の続く通りを走っていく、帰りの小学生、カメラを構える女、談笑しながら赤ん坊をあやす夫婦、電話をしながら解けない緊張を抱える男、そのどれもが当たり前の景色であった。

そして今、彼女は静かに涙を流した。

「懐かしいだろ、自分の見てきた何もかもが」

 結芽は顔を赤くはらしながら、隣に座る梅を睨んだ。

「いいだろ、さっきはあんなことをしたが、これからは仲間なんだ。仲良くやろうや」

「あれが仲良しなの」

「ぷっ、あははは、そうだな、あれは挨拶だ、私流のな」

「そうなんだ、結芽もさっきあいさつしたけど、された回数に応じなくちゃね」

「いいね、私も新入りへの、あいさつをしてないわ」

「二人とも、止してくださいよ。車の中なんですから、やるなら訓練の時にでもしてください」

「いやねぇ彦さん、こういう強ーい奴には容赦は必要ない、やるなら徹底的にだよ」

「それでも十三歳の女の子相手なのですから、自重してください」

「あなた、誰なの」

 助手席に座る優し気な声の女性は、ゆっくりと結芽に顔を向けた。

 ポニーテールで、やや細目の優しそうな女性である。

「はじめまして、私は国府宮鶴、コードネームは彦、私も二課に所属する刀使よ」

「本名を先に名乗っちまうのかい、ええ、彦さんよぅ」

「隊内だけの秘密ですよ、それに刀剣類管理局にも、私たちの顔と名前を知っている奴らは居るんですから、気にしたって無駄ですよ。お梅さん」

「ふふ、まぁいいだろう。ところでこいつのコードネームは何にする」

 結芽の頭を何度も撫でて、叩き始めた。

「少佐」

「それならもう考えてある」

 叩いていた手を振りほどくと、少佐の言葉に体が止まった。

「黒、それが結芽、お前さんのコードネームだ」

「黒?」

 梅はニタニタ笑みを浮かべながら、その名の由来を聞いた。

「由来?結芽にも分かるようにして」

「少佐は必ず、私たちの境遇に合わせて名前をつけるの、ちなみに私は」

「彦、それは今度だ」

「いいじゃないですか、減るものじゃありませんし」

「なおのことだ、後で教えてやるから」

「はい」

「チェー、つまらない男、いや少佐殿」

 車は空自のある基地内へと入ると奥へ奥へと走っていき、

 やがて壮麗な社の前へと車が止まった。

「いつ見ても平和主義者が発狂しそうなほど立派だわ」

「仕方ないだろう、御刀を預かる以上、そうしろというのが社寺庁のお達しだ」

「まるでゴジラ様様の防衛庁みたいだ」

「否定はせんよ」

少佐の先導で社の奥へ進み、連絡を受けて待っていた神主が一行にゆっくりと頭を下げた。

その面長の優し気な瞳が吸い込まれるように結芽へと向かった。

「その方ですね、本日御刀を受け取られる刀使は」

「ええ、黒」

 結芽が前に出ると、神主はゆっくりと頷いて、自分についてくるよう手招きした。

「いや、朝から一振りの御刀がひどく震えるのです。私が祝詞をあげますと、子よ童女に剣を授けよ新たなる巫女の生まれを祝すために、と言葉がまいりました。もしや、貴女は望まれるべくしてここに来たのやも知れません」

「望まれるの、私が」

 厳重な倉は二重の構造で、神主は別々の鍵を開け、最後の扉が開くと彼女に先に入るよう手招きした。

 暗い蔵の中、にわかに白銀の灯が結芽の目の前でぼんやりと輝いた。

 そこには、既に拵えに覆われた一振りの御刀が置かれていた。

(あなたが、選ばれたのね)

「うっ」

 頭を抱えて膝を突いた結芽は、何度も悶えた。

 踏み入れようとした梅を神主が静止した。

「ならん」

「どけよ」

 二人の応酬をよそに、立ち上がった結芽は何かを呟きながら御刀を手にした。

「私は誰のいいなりでもない、私は私の守りたいものを守る」

腰に差した刀は美しい黒呂の鞘と染められた黒い鮫皮に金の目貫、渋い色褪せた銀色の鞘鐺、柄頭には獏の彫金がなされている。

所作どおりに抜き放たれた刀身は、太刀を磨り上げた一振りとは思えぬ美しい直刃、反りの少ない幅広の刀身には、やや浅い彫りが鎬に走っている。

そのあまりに頑強でありながら、まるで結芽の体躯に合わせたような一尺七寸九分刃長は、ニッカリ青江よりもやや短く、より彼女向きの刀であることをその身で伝えていた。

「嘘だろ」

 驚く梅を見て、当然だと神主は胸を張って言った。

「少佐」

「彦、私だって信じられんよ、久能山から預けられている護国繁栄の一振り『ソハヤノツルギウツスナリ』に選ばれるとは」

「神君家康公の御手を離れてから、誰の手もその力を引き出させず、使い手を選ぶことさえしてこなかった御刀が、お声を上げてまで彼女を選んだのだ。私はこれを喜ぶべきことと、信じてやまない」

 神主は涙ぐみながら、入ろうとした梅を静止した。

「まだ、終わってはおりませんよ」

 写シを張った結芽は、天頂から振り下ろし、何かが斬れる音が響いた。

 それは御刀を恐れ、抑えるための小さなしめ縄であった。

「『ソハヤノツルギウツスナリ』ほどの御刀はその力ゆえ、御神山以外の土地に安置すればその地に影響を及ぼしかねない。だからこそのしめ縄。しめ縄には御刀の力を封印する力がある。そして新たなる主を得た御刀は、封じていた縄を断ち切ることで、真にその力を解放する。

ただ、平城学館に安置されていた小鴉丸は新たなる主人を選ぶに際して、しめ縄を木っ端みじんに断ってしまわれたほどだ。その意味ではこの御刀は、新たなる使い手を静かに待っていたのやもしれませんな」

「ひたすらに、四百年分か」

 一同はそれぞれの面持ちで、御刀を持つ彼女を見つめていた。

 

五、

 

 車の前で立ち止まった神尾は三人に向き直った。

「さて、早速だが、例の川崎住みが女子高生を捕まえて部屋に監禁中だ」

「マジかよ…早すぎだろ」

「ノロに憑りつかれる以前から奴の兆候は顕著だったろ、やらないくらいに引きこもりだったのがきっかけを得た」

「ノロっていう麻薬に憑かれたか哀れな男が、哀れな女の子の生産にかかったと」

「リンチを始めるとしたら」

 梅はやや笑い、そして彦が声をとがらせながらそれに答えた。

「深夜ですね、計画的に、しかも連続的にやるなら」

「どういうこと」

 真剣な三人の目を見て、全ての状況と発した言葉の悪さを察した。

「黒、このコードネームは君が二度と白であることはない、漆黒のごとき闇に踏み込んでいることの証だ。彦は全てを失った者の名、梅は中に毒をはらんでいる。これから私たちは何をするのかな?」

「禍たれた人を…斬る」

「躊躇うなよ、絶対に」

結芽は黙したまま、頷いた。

 

 

 宵闇の風を吸うと結芽は口を一文字に閉じ、無線のスイッチを入れた。

「黒、配置につきました」

「梅どうぞ、こちらも位置に着いた」

「彦、狙撃位置を確保、亜音速弾装填」

「こちら長、梅のカウントで突入」

「梅、諒解、落ち着けよ」

 三人は黒い作業服に身を包み、顔を隠すために黒い覆面を着けている。

目標アパートの屋上から、結芽は息を殺して御刀を下げ緒でベルトに結び付けた。

「梅、五秒前」

 梅はアパートの向かい側の住宅の屋根から、既に御刀を抜きはらっていた。

「四…」

 彦はやや、離れたマンションの九階にある空き部屋から、サプレッサーを取り付けた対物ライフル『ゲパードGM6』を構えている。

「三…」

 長こと神尾は、所定の合流ポイントにエンジンを掛けたまま車を停車させた。警官の巡回は確認済みである。

「二…」

 写しを張ったと同時に縮地でベランダに立ち、黒は窓を二回たたいて隅に避けた。

「一…」

 厚いカーテンの隙間から目をくぼませた男が小さく顔を見せた瞬間、彦は引き金を引いた。

 叩き割れた窓とともに男の頭は抉れ、梅は写しを張った同時に迅移で部屋に飛び込んだ。

「零…」

 袈裟切りが男の体を断ち、首に持っていかれるように倒れた。

(やった)

「ちっ」

 バットを手にした男は飛ぶように立ち上がり、梅を突き放した。

 その瞬間、背中から脛骨を身幅の広い御刀が突いた。

ついでのように肩の神経が集中する急所も左右正確に突かれていた。

「やるな」

 急所を突かれた男はノロとなって溶け、切れた衣服を残して人の形が消え去った。

 黒は血振をして鞘に収めた。

 振り向くと、身体を縛られ気絶する女性の姿が見えた。

 幸い、まだ何もされてはいなかったが、恐怖に耐えきれず失神し、スカートがひどく濡れていた。

「行くぞ、黒」

 結芽は黙って、その言葉に従った。

 

六、

 

 施設に戻った彼女たちは、出来立ての料理を頂くことになった。

料理長は笑顔で三人の前に料理を出していった。

麦ご飯に、お味噌汁、漬物が少々、それにメインは茄子の煮びたし、お好みで使える四種の薬味がそえられ、憎たらし気に隅には小鉢がひっそりと置かれている。

「カイル、俺の分は」

「ないよ」

「え」

「冗談だよ、出すからその前に言うこといいな」

 そう言って、厨房に戻っていった。

 神尾は席に着いた三人に向かった。

「急ではあるがご苦労だった。これからも任務に勤しんでくれ」

「少佐」

「ん、まだ言うことがあったかな」

「いえ、そうではなくて、どうぞ少佐も席に」

「ん」

 振り返ると料理長が堅い面持ちで神尾を見ていた。

「なるほど、では失礼するよ」

 四人テーブルの鶴の隣に座ると、鶴はやや嬉しそうに微笑んだ。

 そうして料理長はようやく彼に食事を提供した。

「こいつ」

「ふん、すきっ腹で残したら、少佐が食ってくれるそうだ」

「必要ないね」

「結芽もそう思う」

 と、やや疲れ気味に梅と結芽が言った。

「では、頂こうか」

「いただきまぁーす」

 待っていたように結芽は元気よく挨拶した。

 

暫くして顔の堅い少佐の部下二人が食堂の隅に座ると、食堂長は同様の料理と、つまみにビールを置いていった。

 

 

 翌日、監禁事件が報道されたが、あの男は行方不明で捜索中という発表がなされた。

「それにしては」

 その部屋の荒れ具合と謎の金属音に関する住民からの情報提供、それらが多くの人に疑問符を与えた。

 刀剣類管理局も同様に、突然のノロに関する出現情報に驚きを隠せなかった。特に人体のノロ化事例は十年ぶりであった。

 

 燕結芽はその夜、何もなかったようにゆっくりと眠った。

 死んだことも、生き返ったことも、禍人を切ったことも、全てが夢であったように

 少女は静かに寝息を立てながら、眠っていた。

 

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