プロローグ
それは突然に起きた。
老人は駆け足で、刀剣類管理局局長たる折神朱音の懐に飛び込もうとした。
護衛の益子薫は袂に輝くものを目にし、腰の脇差を抜きはらい。彼に立ちはだかった。
「止まれ」
「邪魔だ」
刃を反す暇もなく、刃は持ち手を切り裂き、切っ先はまっすぐ老人の左胸に滑り込んだ。赤い血が吹き、やがてそれが琥珀色となり薫の前はノロに包まれていた。
六月十日、その日は国会近くの与党会館でタギツ姫の一件に関する和解の最終合意が行われる日であった。
そして、その与党会館の玄関で起こったこの事件とは関係なく、和解と処分に関する最終合意がなされた。
各報道機関は、こぞって刀剣類管理局の幸先の悪さを書き綴った。
そしてこの一週間後、タギツ姫事件の全容が世間に伝えられたのであった。
一、
二日後、昼下がりのこと
「それで、ここに呼び出されたのは元親衛隊への処分が決定したからで、ありましょうか」
局長執務室に坐する朱音に対し、何一つ悪びれることもせず、ましてや臆することなく、此花寿々花はまっすぐ立っていた。
「ふふ、それは本題とは異なりますが答えてあげましょう。元親衛隊隊員は現任務からの除外はなし、続任の意志あらば現任に徹するべし、異論は認めない。これで気は済みましたか」
寿々花は肩の荷が下りたように、静かに息を吐いた。
「ご苦労様、あなたも色々あったでしょう。でも、刀使は一人でも必要なのは私も、世間もみな同じよ」
「はい、私めはただ任を果たして、贖罪をしたいだけなのです。それが果たせるのでありますなら、此花寿々花は身を粉にして任に邁進いたしたく存じます」
「頼りにしています。ところで、本題に移りましょうか」
朱音が襲われた件について、世間では様々な憶測が飛び交っているものの、どれ一つとして事件の核心を突いたものはない。ましてや、警視庁でさえ彼がなぜ長たる朱音に刃を立てたのか、納得しがたかった。
「外事課。紫様が七年前より創設した部署で、主にノロの回収に関する自治体および、都道府県警所属の特祭隊指揮分隊との調整と書類作成の統括を一手に請け負っていましたわ。その前課長にして顧問であったのが大村喜之助」
朱音は紅茶を一口飲むと、自身に座り対する寿々花に問いかけた。
「寿々花さんは、大村喜之助をどのような人物であると思っていました」
「底の見えない、老獪な方だと恐れていました。紫様にあだなす存在だと思っていましたけれど、同時に必要な人物であることも認識していましたわ。何せ紫様の先生であった方々も、押さえつけてしまわれましたから」
「現在の警視庁総監、警備部部長、神社庁長官に防衛省の関東荒魂警戒部隊の指揮官、全て喜之助が作り上げた人脈。でも、私は彼と外事課を信用してはいません」
「では、なぜ議員会館の前に」
「私が帯同を許可しました。交渉は全て私の息のかかった信頼できる方たちに任せました。そして喜之助が不要であることを、組織の内外に宣伝したのです。帯同要請は彼への退職勧告そのものだったんです」
「紫様の体制への粛清ですか」
「やはり、そう思いますか」
「私は正しいことであると存じています」
「高津幸那および相楽結月の刀使界からの追放、折神紫の影響力削減のため、ノロ回収と副次利用に関わった人々の処分。そして完全に舞草が刀剣類管理局を掌握したことを宣伝するロビー活動。舞草の活動に協力した人々への見返り、ノロ流出とタギツ姫顕現事件の責任を負わせる形で政変が次々と起こり、協力者たちが各所で覇を利かせているわ。来月には警視庁総監の首が飛ぶことになった、政治的には既に政界から引きずり降ろされた総理と密接だったことが災いしてね」
「結局、朱音様が管理局と特祭隊の実権を握っても、実のところは糸引く存在が変わっただけで以前よりも力は落ちただけですわね」
「タギツ姫は私たちに勝っていました。その意味では何もかもが手遅れだったのかもしれません」
「それで、私にどのような任務を」
「捜査をお願いしたいのです。外事課の仕事、大村喜之助の私を暗殺しようとした動機、それに関わる全てを」
「では、この一件の調査は朱音様と私めの肝いりの件でよろしいのですね」
「いえ、もう一人、貴女と調査を共にしてほしい方がいます」
この鎌倉本部には大小いくつもの道場があり、流派や隊ごとでの稽古に頻繁に使われる。
時を同じくした一室に、大ぶりの木刀で刃を合わせる二人と、それを見守る一人の刀使がいた。
「きぇええええええええええ」
強烈な打ち廻りを素早く逃げていきながら、切っ先が背の低い彼女に走る瞬間が何度も起こった。
「ほぉらほらほら、いつにも増してかっこかわいいよ」
「ああもう!うっとうしい!」
息を切らせた瞬間、青い髪の少女は切っ先を静かに滑り込ませ、のど元に二度軽くたたいた。
「ぐっ、参った」
剣を置くと二人は汗をぬぐいながら、エレンが用意してくれたスポーツドリンクを口に流し込んだ。
「これで三勝一敗、どう?これで私とデートに行ってくれるかしら薫」
「えぇ~」
「じゃあ私がこれから五連勝したらデートでいい?」
「おい山城、俺は自顕流の大太刀使いだ。そう簡単に負けられるかよ」
「よし、約束だよ!いざ尋常に勝負!」
立ち上がった山城は木刀を手に素振りをはじめた。
「今日は随分と力が入ってますネ、力み過ぎとも言いマス」
「ああ、腕の振るえが、まだ収まらなくてな」
エレンは小太刀ほどの木刀を薫に差し出した。
「なら、私に見せてくだサイ!」
薫は大太刀の木刀を置くと、エレンから小太刀の木刀を受け取った。
「おい山城」
「何だい」
「お前が五連勝したらデートだな」
「もちろん」
「連勝が一試合目で止まっても文句は言わないな」
「ほぅ、自信があるんだ」
「少しな」
薫は小太刀を腰に収めたまま、やや体を前傾にし、大太刀を構える山城を睨んだ。
エレンが試合開始を叫んだが最後、左手と木刀が空を逆に斬り、薫の小太刀は切っ先を喉笛下に滑り込ませていた。
「え、参った」
薫がどうしても大太刀を使わざるをえない。それは彼女が祢々切丸を扱うことを定められていたからである。だが、彼女の副刀となった御刀は総じて脇差であった。そして脇差の御刀をわざわざ任務に使うことは無きに等しかった。
「斬りすぎちまうんだ。祢々切丸を使うのとは違って、祓う荒魂を傷つけすぎちまう。終わらせるときは一太刀じゃなきゃダメなんだ」
「なら、せめて御前試合の時くらいは虎徹使ってもいいんじゃないの」
「俺は刀使だ。人を斬る前に荒魂を払うことこそが大事。それだけさ」
「まぁ嫌いじゃないけど」
結果、四勝一敗。もちろん薫の戦績であり、山城は小太刀を扱う薫の太刀筋に慣れていないこともあってか、一本を取るのが手一杯であった。
最後の一番が終わったところで、道場の出入り口に見慣れた顔がいることに気が付いた。エレンが彼女のもとに向かった。
「こんにちは寿々花サン!」
「こんにちは、今日は薫さんにお話しがありましてね」
「ん、俺がなんだって」
タオルを首にかけたままであった。
「ええ、薫さんに昨日の件についてお話があります」
「ん、二人だけのほうが良さそうだな。すまないがエレン、山城」
「構いませんヨ」
山城も木刀を片付けながら大きく手を振って見せた。
「わるいな」
道着から着替え終えると、二人はロビー脇の休憩所で向かい合った。
「そういえば、ネネとご一緒ではないのですね」
「あいつは錬府にあるノロ研究室にいるんだ。本格的に荒魂の構造を解析するためだそうだ。紗耶香が世話を見てくれるから余程大丈夫だろう」
「さみしくはありませんの」
「まぁな、こうるさいのがいなくてちょこっとな」
「ふふふ、じゃあ」
「ああ、本題に入ろうか」
寿々花はまず既に事情聴取の行われた暗殺未遂の一件について、当時の状況を薫に語ってもらった。
「朱音様が会館の入り口に歩みを進める中、組織の幹部陣に目を向けたら朱音様を見つめ続ける目があった。全員が朱音様に頭を下げていたんだから、すぐに目が付いた。その瞬間だった。大村は懐から短刀を抜き取った。安全と踏んでいたから、刀使の警護は俺一人、とうの休みだった寿々花さんならよくわかるだろう。だから俺は朱音様の背につき、脇差を抜いた。止まれと叫んだが、大村は全力で駆け込み、俺めがけて突進してくる。手始めに腕を叩き斬ったが、浅くて刀は抜け落ちず。逆手に突くように脇で構える動作を見て、後は命の危険を感じて、こう切っ先を滑り込ませた」
「そして、ノロが胸から吹き出した。手、震えていましてよ」
薫は震える手でカップを手にし、紅茶を一口飲んだ。
「頭が真っ白になったよ。さすがに人がノロになるなんて初めて見たからな」
「お気持ちは御察ししますわ。でも、人となった荒魂が潜んでいた、そのことに疑問は感じませんでしたか」
「ああ、禍人が管理局内に潜んでいたとな」
薫の問いかけるような目に寿々花は首を振った。
「私自身、大村喜之助が荒魂であったことは知りませんでしたわ。朱音様の手元にあるアンプル配布者の書類にも大村の字はありませんでしたわ」
「朱音様が」
「ええ、私とあなたに肝いりの調査を依頼されましたわ」
「ん、俺が」
「あなたでなくてはと、朱音様がおっしゃっていらしたので、もちろん貴女には拒否する権限がありましてよ」
「ううん、いや、手伝わせてくれ。納得できないまま日を費やしたくはない。それに俺たちには、まだ倒さなくちゃいけない敵がいる可能性が出てきたしな」
「本当によろしいのですね」
「刀使に二言はねぇ」
それから日が沈み、寮に戻るまで寿々花から事件の経過と、今後の方針について話し合った。そして朱音に翌日からの方針を報告しに行く最中、廊下で一人の男性職員とすれ違った。
「今の」
「ええ、外事課の大村勘太ですわ」
「いや、あの人は片桐英充だろ」
「えっ」
「俺は去年、ノロの集積関連書類の回収であの男と会っているぞ」
「おかしいですわね、私はあの方が主任の大村勘太だと聞いてますわ」
「主任?ああ、外事課の現在の主任か、さっき話していた奴のことか、どうにせよ明日会うんだから、片桐か大村かは明日にしようぜ」
「そう、ですわね」
帰宅前の朱音を捉まえ、報告を終えると二人も早々に帰途に就いた。
二、
六月十三日木曜、やや霧がかかりながら明け方から降り出していた雨が、朝になっても続いていた。薫は本部近くの寮から出ると赤い傘を差した寿々花が遊撃隊の黒い制服を着て待っていた。
「おはようございます薫さん」
「おう、朝早くから熱心なこったな」
「長期の任務を預かった以上は、時間を有効活用しなくてはいけませんわ」
「ああ、だがその前に大社に参拝してからだ。行こう」
本部への出勤の人込みを歩みながら、遊撃隊の本部室で朝礼、それから薫はしばらく学業から離れざるをえないので、学長兼特祭隊司令である上司の真庭に書類を提出する。
「朱音様から口添えはもらっているが、あくまで欠席扱いだから頑張るんだぞ薫」
「そ、そんな、おっ鬼、悪魔、おばさん!」
「おばさん言うな!」
遊撃隊本部室に戻ってきた薫は自身の机に置かれた学生証を数ページめくり、ため息をついた。
「いつも休暇を欲しがるのは補修が嫌だからですの」
「その通り。土曜日が補修で埋まり、おまけに任務が飛び込んでこりゃあ補修は増える。タギツ姫の一件で余計にあるのに」
「五箇伝の生徒は任務の次は、学業が優先になりますもの、とうの私も現場に引っ張りだこで成績が落ちましたわ、それでも一般教養は何の問題もありませんわ」
「まぁいいや、後でたっぷりと休暇をせしめればいいだけだ、ククク」
「さぁ、外事課との面談時間が近づいてますか行きましょう。真希さん、しばらく留守にします。後をお願いします」
「ああ、応援も入るから心配いらないよ。ただ薫、君のサボり癖は重度だから、重々気をつけて」
「おいおい、どっちに言っているんだい真希さんよ」
「二人にだよ。行ってらっしゃい」
「おう、行ってきます」
折神家邸近くの遊撃隊本部室から、管理局本部棟まで歩き、二階東棟の中ほどに外事課の執務室がある。この階はノロ回収に関する組織が部屋を連ねていたが、事件後の組織整理で解散となり、東棟二階は外事課を除いて部屋が使われていなかった。
「壮観だな」
薫を気にすることなく扉をノックした。
「どうぞ、お入りください」
一番奥の席に座る男が静かに立ち上がった。やや太く、重々しい瞼の下から瞳が輝いた。
「此花寿々花さんと益子薫さんですね。はじめましてお二人とも、私が外事課主任の大村勘太です」
応接の席に勧められながら、自身の席で仕事をするあの男がいた。
「彼ですか、片桐君挨拶なさい」
彼は静かに立ち上がり無愛想に自分が片桐英充だと名乗ると、早々に着席してしまった。
「すみません、今はこの外事課は他組織の解散作業の最終段階で、あと一週間でこの外事課も解散ですから、殺気立っておるのですよ。なにせ、私は朱音様にたてついた男の息子でありますから、わははは」
長髪の女性職員が茶を置くと、勘太は一度軽く咳をしてみせた。
「それで、私めにどのような」
「待ってください。おこがましいと思いますが、外事課課長である貴方と外事課職員は、国家と国民のため警察職員の良心を守り、これから話すことに嘘偽りはないことを誓えますか」
「はい、我々外事課は全てを偽らず証言することを誓います」
「ならば大丈夫でしょう。ではまず課長はご自身の父親である大村喜之助に反旗の余地があったのか、聞かせてもらいたいのです」
「私は父が紫様を利用し、権力の拡充を続けているように思われたのです。高津雪那学長の要請で各地にノロ回収の警備を錬府に任せていましたが、実のところは父の息がかかった地方警察の上層部が引き受けていました。紫様の権威は届くが、息は届かない場所に枝を伸ばしていきました。同時に高津学長に行動の自由を保障し、彼女のしたいようにさせることで権威を上へと伸ばしました。でも、タギツ姫復活の一件で一転、舞草による懐柔が始まると私はすぐに朱音様に従属する意思を示しましたが、父は明確な意思を示しませんでした」
「それは高津雪那学長が拠点を綾小路に移したことと、関係があるのですわね」
「そうです。父は高津学長を政治面で支援。総理への面会を取り付けたのも父の采配があったからです」
「ではその時、あなたは何をしていらしたのですか」
「職員とともに、父の命令を拒否し続けました。今までの仕事に正当性がなくなった以上、正式な処分が決定するまで我々は今まで行ってきた職務を放棄すべきだと確信しました。もちろん、書類の提出にも同意しました」
「ああ、俺が直接受け取ったからな、舞草の調査では書類に不備は見られなかったという見解だ」
「ではつい直近まで彼が顧問として在籍を続けていたのですか」
「簡単には、追い出せんのです。年功序列で父は以前、神社庁に勤務し刀剣類管理局の要望で出向してきました。おそらく朱音様は高津学長に手を貸していたことに気が付いていたでしょう。でも、外事課が侵食した組織と人脈を更生するには時間がかかります。解散させるには父があまりに権限を増やしすぎたのです」
「でも、後押しをする存在がいなくなれば権威拡大もそれまで、解散するまでの責任者さえいれば、大村喜之助の生死は関係ない」
「私はそのように責任をとることを自覚しています。父に反抗した以上は当然のことです」
「では貴方が職務放棄を宣言してから、本当に職員は一人も欠けずに職務放棄に参加したのですか」
「はい、一人としてかけることなく、父を除いた三人全員」
「そうですか、しかしあなた個人では本当に全員が信用に足るとお思いですか」
「そうと信じております。何せ父は書類作成以外の仕事を我々にさせませんでしたから、誰かを側近につけて、いや、先日の与党議員会館への階段の折に父に同行した者がいます」
「ここにいらっしゃいますか」
「いえ、父に関わった可能性があるとして自宅に謹慎処分しております。名は熱海樹、ノロの回収総量の統計を担当していました」
「その方にもお話を伺う必要がありますわね」
薫は手元の携帯電話から目を離し、口を開いた。
「あんたは本当に大村勘太なんだな」
「え、はい、そうです」
「ならいいんだ」
「では、お約束通りに職員名簿と提出前の勤務履歴を渡してもらえますか」
「はい、こちらに」
封筒が渡され、薫が書類の管理を行う間に寿々花は質問を続けた。
「現在、熱海さんと連絡を取ることは可能ですか」
「はい」
「では本日の夕方に自宅を訪れる旨を伝えてくださいますか」
「もちろん可能です。ではメールを送りますので少し席を離れます」
「ええ、お願いしますわ」
寿々花は茶を一口飲むと、薫の読み通す書類を覗き込んだ。
「大丈夫だろう」
「でも、朱音様は外事課を信用していませんわ」
「それは嫌でも精査することになるさ、次の奴が会うのが大変だから早々に行かなければならん」
「ですわね」
薫は書類を元通り封筒に戻すと寿々花に手渡した。
「お待たせしました。本人から速答で大丈夫であると返事が来ました」
「ありがとうございます。聞くべきことは全て聞かせていただきました。ご協力に感謝いたします」
「いえ、こちらこそお役に立てれば光栄です」
二人は大村勘太との握手をし、部屋を出た。
階段に差し掛かり、ようやく寿々花が口を開いた。
「気に入らないですわ」
「何がだい」
「あそこにいた誰もかもですわ、スペクトラム計に反応は」
「いや、最新機でも反応はなかった。旧型のスペクトラム計は完全潜伏型の禍人を見つけられるらしいが、残っている旧型はタギツヒメが管理局を支配していたころに、ほぼ全て処分されたからな」
「いたとしても、彼らを追及できる証拠はない。でも、大村喜之助の手足だったのは間違いないですわ、彼らはあくまで紫様から命令のあった事を放棄したに過ぎないのですもの」
「高津元学長と熱海という男性職員を問い正してから、もう一度だけ大村勘太とあの二人の職員を事情聴取しよう。どうせ俺らが事件を追っていることは管理局内に話が広がっているだろうからな、ただし指示した人間はまだ噂程度のはずだ。それが効く間に手を打とう」
「ええ、それがいいですわね」
「寿々花さんよ、どうも俺らは刑事ドラマの主人公だな」
「悪い冗談はよしてください」
「ははは」
本部棟食堂。
今日のワンコインランチはチキンカツのトマトソースかけ定食。
白米、みそ汁、さらに小鉢がついて五百円。ただでさえ荒魂退治に学業、給料がもらえるとはいえ、中高生なのでお小遣い性の学生が多く、食費の管理が厳しい刀使は多い。なので彼女たちのために多少はエネルギーのあり、さらに五十円単位で白米を増量できるオプション、小鉢を増やせるなど、意外と食べる彼女たちに向けたランチメニューが特徴的である。
もちろん、寿々花と薫もその例に漏れない刀使である。
寿々花は去年親衛隊になってから、自由になった金銭があるものの生活費は親から出ているものも少なくない。薫はまだ長船所属の学生であり、彼女はお小遣い制であり、後は食費しか出ない。
「でもな、貯金はあるんだよ、遊べるくらいの貯金が」
二人はともにランチメニューを頼み、薫だけライスが大盛りであった。
「遊び行く暇がないのですわね」
「ああ、女学生は遊ぶもんだぜ、普通はよ」
「さぁ、私は刀使の使命に準じているだけですわ。その仕事の合間にささやかな休日を過ごせるなら、それ以上は望みようもないですわ」
「でもなぁ」
「別に時間は刀使でいる間だけではないですわ、重ねておくだけ損はないですわ。貯金も、経験も、信頼も、どれもかけがえのないものですわ」
「まったくその通りだよ」
「ほぅ殊勝な心がけだな、薫」
「がく、いやおばさん」
「学長でいいんだよ、学長で」
薫の隣に座った真庭は、彼女も今日のランチメニューを頼んでいた。
「こんにちは真庭司令、ご機嫌いかがですか」
「まぁまぁだよ、政府内閣との和解も済んで、やることは多いがおおむね流れるに任せていいだろう。私はとにもかくにも、日々出てくる日本中の荒魂対策が本命だ。任せたわよ」
ある程度食べ終えると薫のプレートにカツを三切れ載せ、席を離れていった。薫はそれを当たり前のように口に運んだ。
「いい人ですわね」
「当たり前だ長船の親分だぞ、俺の先生だぞ」
「ふふふ、あなた方を見ていると飽きませんわね」
「ん、何だって」
「何でもないですわ」
食事を終えると、時計を確認しながら鎌倉市内へと向かっていった。
三、
「あなたたちが来るとはね。大方、大村喜之助のことね」
「お久しぶりです。まだ感は鈍っていないようですわね」
熱海のやや奥へ行った住宅街に刀剣類管理局の職員家屋が並んでおり、錬府女学園の前学長である高津雪那はそこの一軒家で謹慎生活を送っている。
未だに公安の監視がついているということもあってか、幹部であっても彼女に会うことは難しい。朱音がとりなしたものの面会時間は一時間しか与えられなかった。
「私はこうして歩けるようになったけれど、こうして結果が付いて回る以上は、大人しくしているのが朱音にとっても、真庭にも都合がいいわ」
「では、先ほど話にあった大村喜之助について」
「それは、少し長いわ。大事なことだけ話すわ」
「雪那さんにお任せしますわ」
「ありがとう」
大村喜之助は紫の元に就く前は、神社庁に所属していたというが実は所属したという書類は存在しない。彼がそう組織提出の経歴書類に書いていただけである。
彼は自ら折神紫を訪ね、自身のノロに対する見地の広さと話術をアピール、回収量はより組織的な拡大を必要とする旨をアピール。彼女を支配していたタギツヒメは何を考えたか彼を登用。雪那の配下に置いたがその働きは異常なほどに順調に進んだ。わずか半年の間に、五年かかって集めたノロの総量を上回り、上司である雪那は彼のおかげもあって急速に権限を拡大させていった。
しかし、ノロ流出事件を機に舞草に支配が移譲すると、雪那のタギツヒメに従属する姿勢に同意し、その人脈と彼の権限下の部下を総動員し、朱音への政治的締め付けと、総理への面会およびタギツヒメのメディア公開を成功させる。だがタギツヒメが隠世に押し込まれたことで、事態はあっさりと決着し、外事課と大村喜之助の権力喪失は決定的となった。
「あれから半年、大村喜之助はいったい何をしていたのですの」
「わからないわ。既に今の地位から落とされることは確実なのに、朱音を殺してまで管理局にしがみつき続ける理由。そもそも彼が紫様に近づいた理由も聞いたことがない。大村喜之助は結果を残すことで、それを隠れ蓑に組織で大きな力を誇っていたわ」
「権力が目的じゃなければ、何が目的だったんだ。ん、ああ、そうか」
「薫さん、どうされましたの」
「喜之助は紫様に接触する前に、ノロを体内に取り込むことの効果を知っていたなら、わざわざノロの運搬と警備、それに書類作成に刀使を離した行為に説明がつく」
「それはおかしいわ、総量は紫様が厳格に管理していたわ」
「その紫様はタギツヒメで、雪那さん、あんたにも黙ってノロを奴に横流ししていたとしたら」
考え込む雪那を横目に寿々花は薫に問いかけた。
「では、今のノロ回収関連組織の解散は逆効果とみてよろしいですわね」
「間違いない。偽装書類、裏帳簿が探しつくされ完全に処分されている可能性が高い。そして職員もノロを飲んで禍人になっている可能性が高い。大村喜之助の目的はノロの入手だ」
「もしかしたらかもしれないけれど、十三年前に裏社会でノロを流通させていた青子屋と関係があるかもしれないわ。タギツヒメは少しでも多くのノロを回収したかったわ。その回収を取り仕切った私が日本中をひっくり返してノロをかき集めたのだから、裏にも手を回していたことは安易に理解できるわ」
「高津さん、あんたは青子屋などの裏社会との関係は」
「ないわ、大村の真意を看破できなかった私が、十三年前に自壊した青子屋について知っていることは、あまりに少ないわ」
「そうか、なら過去の出来事を遡っていくしかあるまい」
「その前に私たちは外事課の一人に合わなくてはなりませんわ」
「罠、あるだろうな」
「それでも接触する利点はありますわ」
「あなた達、少しでも食べていきなさい。おにぎりになるけれど」
「雪那さん」
「謹慎中とはいえ、私も元は刀使よ。少しは手助けをさせてちょうだい」
あまりに真剣な彼女を見て、二人は苦笑いを浮かべた。
「本当に戦支度だこりゃあ」
「二人とも、そこで聞いてなさい。禍人は刀使がなったものと同様に強力な力を得る。それは御刀の神力さえもゆがませてしまう。夜見は御刀に選ばれなかった、それをノロの力で強引に服従させたわ。そして、刀使の能力を最大に持つものが出来なかった能力がある。荒魂の自己生成。紫様が実権を握られる前に出現していた禍人には増殖する特徴があったわ、夜見のように一般人であればあるほど、ノロが現出させる能力も多い」
「そして、侵食率も刀使以上。同じ量を摂取していたのにも関わらず、荒魂化の進行は夜見が圧倒的でしたわ」
「もしこれから会う男が禍人であったなら、ノロの特殊能力を宿している可能性が高い。くれぐれも用心して」
「その時は叩き斬るまでさ」
「頼もしいわ、さぁできたわよ」
おにぎりが二個ずつ、浅漬けとインスタントの味噌汁が彼女たちの前に置かれた。
二人は速やかに食事を終えると、雪那に礼を言い。駅へと向かっていった。
「ネネッ!」
「ん、その声は」
駅を抜けると薫の胸にねねが飛び込んできた。そして飛んできた方向から夕陽を背に紗耶香が姿を現した。
「預かってもらってすまなかったな、紗耶香」
「ううん、ねねと居て楽しかった」
「そうかそうか、ここでピンチヒッターとは、ついてるぜ寿々花さんよ」
「でも私たちだけがいいですわよ」
「それでも不安だ。人手は多いに限る」
「どうしたの」
あらましの事情を話してから、緊急に応援が必要である旨を紗耶香に訴えた。紗耶香は二つ返事で了承した。
そうして三人と一匹は、管理局職員のアパートに着いた。五階立てで築十年のコンクリート造りである。
紗耶香は外で待機し、二人と一匹はエレベーターに乗った。
「熱海の部屋は」
「四階の四〇二号室ですわ」
「よし、四階だな」
「ネネッネネネネ!」
ねねがボタンを押そうとした薫の右手を叩いた。
「来るのか」
「ネッネ!」
四階のボタンを押してエレベーターから出ると上に上がったカゴが、音を立てて潰れる音が響いた。
二人は写シを張ると、御刀を抜きはらった。
「使うまいと思っていたが、虎徹を持ってきて正解だった」
「ええ、来ますわよ」
エレベーターの一階扉を叩き破った赤い光が二人の周りを通り抜けていく、その特徴的なシルエットが青空を背にくっきりと浮かび上がった。
「コウモリか」
夕闇に溶け込む空を瞬く間に黒く、そして赤々としたコウモリの軍団が空を穿つように飛び回っている。
やがて一つの塊となったコウモリはその閃光を二人めがけて走らせた。
だがそれがどうしたというのだ。白銀の幻影が一太刀で赤き閃光を斬り散らせた。
「二人は行って」
「ネネッ」
「ああ、紗耶香を頼む」
ねねは薫の肩を離れてすぐに大型化、ねねの咆哮が周囲に散るコウモリたちを掃き飛ばした。
薫と寿々花は八幡力で一気に四階へ飛び上がると、いまだ閉ざされた四〇二号室の扉を叩き斬った。
「熱海樹、話を聞かせてもらおうか」
玄関に立つ暗い影は怪しくその大きな瞳を二人に行き渡らせた。
「やはり、一筋縄ではいかないか、さすがは元禍人だ」
「知っていらっしゃるのですね、禍人を」
「お前たちを殺す」
数打ち物のあまりに姿見が真っ直ぐな長脇差が、壁を叩き斬り破片を彼女たちに打ち付けた。薫は突きを受けながら左腕を取り投げ飛ばした。
熱海は廊下からアパートの最上階に飛び上がり、薫から逃れた瞬間、彼の右腕が叩き落され、刀と右手が彼から切り離された。
寿々花は怯んだ熱海を一刀のもとに斬り伏せた。
「さぁ、話してもらいますわ」
「まだ、まだだ」
肉体の荒魂化を始めたことに気が付き、寿々花は仕方なく熱海の喉下を突くと、彼はノロとして衣服を残して溶け出していった。
「どうだ、寿々花さんよ」
「ダメでしたわ」
「これ以上被害が増えるよりはマシさ、所轄が来る前に部屋を探ろう。ここの警察も奴らの息がかかってないとは言い切れんだろ」
「それは考えすぎですわ」
「そうかな」
紗耶香とねねはコウモリの掃討を完了させたころには、パトカーや救急車の赤ランプが周囲を包み、アパートの住民の救出を手伝ったこともあって時刻は十時を回っていた。応援の刀使に現場を引き継ぐと、三人と一匹は本部へと戻ってきた。
「おかえりなさい三人とも、それとねねもね」
迎えた真庭の顔はどこか硬かった。
「ネネッ」
「学長、早急に報告したいことがある」
「待て、今日はもういいから、宿舎に戻りなさい」
「それはないだろうが」
「休息も休みの内だぞ、報告は翌早朝に聞く、私は朝の七時から指令室にいるから」
「ありがとうございます真庭司令。しかし事は早急を要しますわ」
「すまないが、警視総監から直々の指示だ。私にも帰宅命令が出されているほどだ。朱音様が抗議しているが、今回の事件が鎌倉市内で起きたことに丸の内でも動揺が起こっている。私はここで朱音様と対応しなければならない。本当に申し訳ない」
しばしの沈黙ののち、薫は口を開いた。
「仕方ねぇ、おばさんの頼みは聞かなきゃな、行こう」
「おばさんはやめろ」
そうしてあまりに慌ただしい一日が終わりを告げた。
四、
朝刊の一面を読みながら、目の下に隈を浮かべる真庭は小さく欠伸をしてみせた。
「鎌倉市内に荒魂、管理局の警察力は十分なのか、か。好きに書いてくれるわね。まだ肝心のことを知らないでいてくれるから、かわいく思えるのだけどねぇ」
「なら俺のことも孫のように可愛がってほしいな」
「お前は娘のように思っているぞ、薫」
「それはうれしいね、泣きたいぜ」
薫は真庭に淹れたてのコーヒーを勧めた。
「おはよう二人とも、ありがたくいただくよ」
「おはようございます。真庭司令。では早急にも」
「ああ、話を聞こう」
昨夜、熱海を斬った後の短時間に、二人は彼のメモを発見。そこには外事課のある職員が書類の処分統括を指揮していたことが明らかとなった。
「異動になったノロの運搬部職員の刀使が、書類の保存と統括していたのが外事課の加瀬多美子であることを教えてくれた。昨日の午前中に彼女の姿を確認している」
「ところで外事課から提出要請のある資料は来ていますか」
「いいや、期限は来週の月曜まで、今日まで一枚たりとも提出されたものはない」
「やはりもう一度、訪ねるしかあるまい」
「ん、お前たち、本当に帰宅したのか」
真庭の問いに二人は顔を見合わせた。ねねは薫の肩で眠ったままであった。
「帰宅したさ、寮でノロ回収の関係者名簿をひっくり返して、電話片手に外事課が残る前に最後に解散になった組織を探し当てたのさ、何せ解散順の書類はまだ外事課が作成中だからな」
「まったく」
「それでも収穫はありましたわ。もう一度問いただす価値があると思います」
「分かったわ、思うようにやりなさい。でも一つだけ、今回のように誰かを巻き込むな。応援が必要なら私を通しなさい。いいわね」
「はい」
「はいよ」
朝礼のチャイムが鳴ると、遊撃隊本部室では紗耶香を入れた四人と一匹全員が、隊長である薫を中心に朝の点呼と今日のシフト確認を行い、朱音の警視庁への出張に紗耶香が警護に入り、本部警護の隊長代理に真希が入ることとなった。
薫と寿々花は変わらず専任捜査で通常シフトを抜けることとなった。
だが、朝早く外事課を訪れた二人は出鼻を挫かれることとなった。
「加瀬多美子さんなら、昨日付で退職しましたよ」
大村勘太のそっけない一言に二人は固まってしまった。
「彼女には書類の処分統括を指揮してもらいましたが、三日前の時点で最終提出の書類をまとめ終わりましたからね。彼女の退職届を期日通り処理しました。父の敷いた悪習ですが、我々で終わりですから大丈夫でしょう」
「そうですの」
「いやはや、昨日は彼女の退職祝いをしていたのに、熱海君はとんだ不幸にあってしまった。此花さん、もしかして熱海君は父の息がかかった人間に殺害されたのではありませんか」
「いいえ、アパートに侵入していた荒魂が彼を襲ったのです。それに大村喜之助、あなたのお父上は死んでおられます」
「そうですね。まったくその通りです。ところで、彼女にはどのような話で参られたのですか」
「書類作成中に大村喜之助の干渉がなかったか伺いたく思いましたので、できれば加瀬多美子さんが現在どちらにいらっしゃるかお伺いしたいのです」
「たしか、既にアパートの自室を引き払って、山形の実家に戻ったはずです」
「なるほど、すぐには会えませんわね。そちらから連絡をつけてもらえんすか」
「はい、たしかお渡しした名簿にも連絡先が書いてありますので、それからすぐに繋がると思います」
「ありがとうございます」
「それにしても、この刀剣類管理局はどちらへ向かうでしょうね。私は何となく先行きに不安を感じずにはいられないです」
「それぞれの場所で全力を尽くすしかないさ、そこででしかできないこともあるんだからな」
「私に何が出来ましょうか」
「そういう律義さでしょうな、大村さん」
「ふふ、私もまだ仕事があるようですな」
部屋を退出し、二人は黙って廊下を歩んでいき、再び階段を降りながら、寿々花は思わず苦笑した。
「真実ではなく、事実に対しての律義さは、確かにこれからの私たちには必要ですわね」
「俺にはそういう繊細さはないからよ」
「確かに、先ほどの言葉は愚直に過ぎましたわ。でも、悪い気分ではないですわ」
「今度こそは尻尾をつかんでみせるぞ」
「ええ」
二人はすぐさま真庭と朱音に報告、朱音は即座に二人に山形へ向かうように命令、真庭が書類と切符を用意し、二人は寮の自室に戻って二泊分の身支度を整え、昼前に鎌倉駅に集合した。
「お待たせしましたわ」
「おう、泊まるホテルも既におばさんが手配済みだ。加瀬多美子への連絡はどうだ」
「本人と直接お話した限りでは、いつでも彼女に会えるみたいですわ」
「そうか、なら行こうか」
JR湘南新宿ラインに乗り、戸塚で東京駅方面に乗り換えをし、東京駅で降りると上越新幹線に乗り換え、新潟へと向かった。
「次は新潟駅で白新線の秋田生き特急に乗り換えますわ」
「さて、じゃあ弁当を頂くとしますか」
乗り換えを済ませたのち、目的地である山形県酒田駅に着いたのは夕方五時半近くであった。
「先にホテルのチェックインを済ましてからでないと」
「間違いなく話が長くなるからな」
と、寿々花の携帯に電話がかかってきた。
しばらく話し込んでから、電話を切るとため息をついた。
「どうしたんだい」
「加瀬多美子からの電話ですわ、先の用事で帰りが遅れているために、明日にしてくれないかとのことですわ」
「ここは押し込むべきではないのかい」
「そうはいっても、加瀬家はこの土地の名家、おいそれと押し入りなんてすれば、関係ない人間が首を突っ込みかねませんわ。私たちはあくまで加瀬多美子の事件への関与を問いただすために来たのですわ」
「むぅ、仕方ねぇ!明日だ明日!」
「ネネッ」
ホテルニュー酒田の三階奥の部屋に入り込むなり、薫とねねは布団に飛び込んでしばらく動かなくなった。
「昨日は日付が変わるまで、今朝は六時起床に電車移動ばかり、祢々切丸を持ってきているから、余計に疲れたし、だるい」
「夕飯を取りましょうか、幸い明日の朝まで今日は自由ですわ」
「なるほど、そうだな、ご飯を食べに行こう」
暗くなった市街を歩きながら、小さな飲み街を通り過ぎた場所に、暖簾がかけられた山形ラーメンの店を見つけた。さすがに祢々切丸は店に入らなかったので、店先に縛り付けてもらった。
「すみません、私の大太刀を店先に置いてしまって」
「いいんだよ、刀使さんが来るなんて縁起がいいってもんさ」
注文を済まし、暫しの待ち時間を静かにしていた。
「そういえば、こうして敵同士だった相手がこうして食卓を並べるなんて、不思議なこともありますわね」
「刀使は家族さ、そこに余計な理屈も必要ないんだよ」
「ふふ、薫さんらしいですわ。薫さん、年はいくつにおなりますか」
「ん、なんだよ質問ばかり、あと二日たてば十六歳だよ」
「それはめでたいですわね」
「なるほど、衰えが始まってんだな」
寿々花はコップの水を一口飲んだ。
「そうですわ、医師の検査では本来はあと二、三年もしくは遅くて七年が刀使であることの限界といわれましたけれど、ノロによって肉体の損傷が激しくないものの、力を引き出す神経器官が限界に近付いているそうですわ」
「もって、何年だ」
「長くて、一年半。もっと早く終わるかもしれないと宣告されましたわ。ノロを取り込むことのリスクは、ノロを取り除いてなお続いている。次は何が起こるのやら、少し怖いですわ」
「誰か、他には話したのか」
「いいえ、貴女が初めてですわ」
「そうか」
寿々花はねねを抱き寄せると、ほほを近づけた。
「あの時、本当に間違いを正すべきは親衛隊の仕事でしたのに、少しずつ刀使から離れていくことに焦りを感じてしまった。そうしてしまったら、あこがれていた背中に届かなくなる。以前の私は無謀ばかりでしたわ」
「でも刀使であり続けなくても道はある。そうだろ」
「そうです。確かにがむしゃらだったけれど、自分の行いの全てが間違いではないと、ようやく振り返ることができましたわ」
「どれもこれも明日に繋がっている。此花さんが自分の信念に従って生きていることは、俺だけじゃなくみんなが知っていることだ。気にするな、俺が言ってやれるのはそれだけだ」
「ありがとう、話して気が楽になりましたわ。それにしても、薫さんは本当に面倒見がよろしいのね。遊撃隊隊員のことをよく見てますわ」
「柄じゃねぇ、と言いたいが、どいつもこいつも自分から突っ込んで行っちまうからな、誰かが重しになって一歩引かせねぇとすぐに道に迷っちまう。
ほおっておけねぇんだよ、ヒーローみたいなやつばかりだからな」
「なら、私も薫さんのお世話に預かり続けるとしましょう」
「望むところさ」
店主が二杯のラーメンとねねのために茶碗ラーメンを用意してくれた。
「たんと召し上がれ」
寿々花は中華そば、薫は変わりものである、あんかけラーメンであった。
二人は静かに食事をしている間、事態は新たな進展を始めていた。
翌朝、ホテル二階のレストランで食事を終えると、徒歩で海岸側へと歩いて向かった。日本海が僅かに望むことができる高台に、やや大きな母屋づくりの家屋が顔を出した。
「ここだな」
表札には『加瀬』の文字がはっきりと書かれていた。
「ごめんください。連絡を入れていた此花寿々花です」
「いらっしゃい、わざわざ酒田までご足労ありがとうございます。どうぞ、上がってください」
客間に通された二人は、改めて加瀬多美子と面することとなった。
さすがに育ちの良さからか、赤い長い髪を後ろに一つまとめた、すっきりとした面持ちである。先日の時には茶を出したこと以外に、気に留めることもしなかった。
右腕の包帯も昨夜の用事とやらのだろう。
「加瀬さんは、以前は刀使だったのですか」
「はい、錬府で剣を習い、卒業後は御刀を手に青森、新潟、そして本部で刀使として任務にあたり、力が衰えたので本部職員となり、外事課に配属されました」
「主任であった大村喜之助から、どのような任務を仰せつかっていましたか」
「喜之助さんからは、ノロ回収に関する書類統括の任を与えられました」
「その書類とは具体的に」
「主に、神社庁への収容要請の認証書類、各社の収容同意書、収容するノロの容量と、回収後のノロ量の確認書類。それらを確認した帳簿を作成、片桐さんが数字の最終確認とデーターベースの確保、そして紫様への報告用書類を作成していました」
「では、解散令が出されてからの書類は」
「六つあったノロ回収関連の組織で既に解散したのは、運搬部、警護部、専門の財務部、保管に関する研究。
それらを解散させるにあたって、人事部は先の言った順番で解散を進めました。そして、これが一番難物でしたね。それらの職務書類製作を外事課が引き受けることになったのです。既に人事部は管理局人事部に吸収されていたので、異動者の書類を往還するのも外事課の仕事でしたから、私だけは過去書類の回収数値を一冊にまとめ、上層部への提出要求通りの書類を作成するのが仕事でした。結局、書類が完成したのは退職する当日でした」
「なるほど、加瀬さんは退職するまでずっと書類作成に追われていたのですね」
「そうです」
薫は話に耳を傾けながら、必死にノートに話の全てを書き込んでいる。
「加瀬さんはなぜ退職を選んだのですか、まだ管理局内でその能力を生かせたでしょうに」
「私個人の贖罪のためです。折神紫様がタギツヒメに支配されていたことも知らず、自身の全能力を尽くしてノロを全集約する手助けをしてしまいました。テレビで事件の全貌が報道されていました。それまで、なぜタギツヒメが復活したのかも知りませんでした。もちろん他部署の同僚から引き留められましたが、私は退職を決意したのです」
二人は彼女の言葉から怪しさを感じることはできなかった。それどころか、勘太が離さなかった組織の詳細な構造や、人間関係までこと細かく証言。
彼女は大村喜之助から意図的に距離を置かれた、事務員の一人でしかなかった。
それもあってか、喜之助の側近であった熱海について、あくまで仕事上の同僚であり、彼個人が誰に忠誠を誓っていたのかは知らなかった。
「では最後になりますが、書類の原本はどちらに」
「全て、外事課の倉庫に置かれています。解散時の統括された他部署の書類もすべてそこにあります。場所は東棟二階、外事課執務室のある建物の一番奥です」
寿々花は薫が最後のメモを走らせ終えると、ゆっくりと頷いた。
「ありがとうございます。これで聴取は終わりです」
「お役に立てそうですか」
「おそらく、事件の全容解剖に一歩進みましたわ」
「そう、私もこうして二十五になるけれど、後輩たちの世話ができるのは本当にうれしいわ」
「それでは、私たちは急いで鎌倉に戻らなければいけません」
「あら、大変。荷物は大丈夫なの」
「まだ、ホテルに預けたままで」
「うちから車を出しましょう。あなた大太刀持ってきたのでしょ?大丈夫、商売用のトラックがあるからそれに乗せてあげる」
「加瀬さん、あなたのおうちは何を生業に」
「基本的には雑貨商だけど、分家が山形で色々な商売をしているものだから、正直何でも屋の性格が強いのよ、明治の中頃までは船の荷を中継する仕事だったそうよ」
「そうですの、家族はさぞにぎやかなのでしょうね」
「本当にそうで、年末年始はこの家が人で埋め尽くされますから、爺や、トラック出してちょうだい。この二人を駅まで送るわ、途中のホテルで荷物も拾うから」
「かしこまりました」
「加瀬さん、本当に申し訳ないです」
右腕を横へ振った彼女は自然とほほ笑んだ。
「気にしないの、気にしない。私はこの土地でいい人を見つけて、静かに人生を生きるとするわ。また気が向いたら遊びに来なさい」
「ところでその腕は」
「ああ、これ?昨日、加瀬家の武術を志している人を訪れた時、お庭のワンちゃんに嚙まれてしまったの、この通り問題ないわ」
「なら、いいですわ」
五、
朱音から大村勘太の遺体発見が伝えられたのは、新潟駅で乗り換えをする昼の二時過ぎであった。神奈川県の横須賀で発見された彼の遺体は、顔を除いた胸部が引き裂かれ、遺体は赤黒く染まっていたという。
「これから何もかも聞き出そうって時にこれだ、初めから手詰まりがあったがな」
「でもはっきりしましたわ、大村勘太は荒魂ではない。この事件の根幹に関して口封じをされたにせよ、ほぼ無関係の可能性が出てきましたわ」
「そう思うかい」
「全て、とは言い切れませんわ」
「クロと思われる人間はノロとなってしまったし、とりあえず大村勘太と喜之助のDNA照合が終わるまでやることがないな、ちくしょう」
「私の最初の疑問が正解を導くとは思えませんわ」
「そう思うが仕方ないさ、今は一から関係者にあたっていく以外に手はない。俺の感ではあるが、あの加瀬ってやつもクロだ。なぁねね」
「ネッ!」
ねねは加瀬多美子との会話中、薫の背に隠れて出てこなかった。それは、ねねが多美子から本能的に危険性を感じ取ったからに他ならなかった。
「ではまず人間関係と人相の照合、そして禍人であった人間の確認ですわね」
「念のためだが、加瀬の同僚だっていう職員も調べよう」
鎌倉に着いたのは夕方六時すぎ、二人はその足で管理局へ向かった。
途中でエレンが二人の前に顔を出した。
「ヘェーイ!二人ともお帰りなさいデース!」
「おうエレン、息災か」
「もっちろんデース!今日は薫の代わりに本部警護に入っていましたけど、鎌倉は何もなく無事平穏です」
(伏せたか)
「そちらも一昨日から飛び回ってばかりですが、疲れてませんか」
「あぁ、そういえば疲れたかもな、寝たい」
薫の頭に乗っかりながら、ねねは眠ったままだった。
「そんな二人にミルクコーヒーです!」
手元に持っていた熱さの少ない缶のミルクコーヒーを渡した。
「ありがとう、いただきますわ」
「気を使わせてすまないな」
「いいえ、二人とも頑張ってください。あと、明日は薫のバースデーデース。鎌倉にいるメンバーでバースデーパーティーを開きますから、忘れないでくださいね」
「おう、楽しみにしてるぜ」
「それじゃ、グッナイ!」
「おやすみなさい、エレンさん」
手を振りながら、二人は静かに息を吐いた。
「少し、肩が硬くなっていますわね」
「もう少しゆったりと物事を見つめなおそうか」
休憩所でコーヒーを飲み、二人は朱音の待つ局長室に入った。
朱音の顔は厳しく、硬いものだった。
「薫さん、いつ大村勘太に会いましたか」
「昨年の秋近く、舞草が管理局を掌握したときです」
「では、昨日も同じ顔だったのですね」
「どういうことです」
「以前、慰霊祭の折に大村親子を写した記念写真です。あなたたちが会っていた男は大村勘太ではなく、片桐英充です」
「はっ?」
「なんですって」
「寿々花さんの報告にも疑問がありました。薫さんの証言と私が立ち会った事件当時の状況が合致しないのです」
朱音の見た事件状況は次のようであった。
自身に向かってくる大村喜之助を見て、薫が立ちはだかり止まるよう警告した。喜之助は冷静に邪魔だと言い刃を薫に向けた。
薫は即応で左腕を斬ったが、勢いは止まらず合口の鵐目を薫の額に打ち付けた。約二秒の静止ののち、朱音のほうへ動き出した喜之助の胸を薫の脇差が一突きにし、彼はノロとなって溶け出していった。
「おかしい、反撃される前に突いたはず」
「喜之助は禍人、彼は能力で薫さんを操作した可能性があります」
「なるほど、通りで寿々花と認識が一致しなかったわけだ」
「整理しましょう、全てを」
局長の机を大きく広げ、そこに人物の写真とそれぞれの名前を配置、名前がメモできるよう大きめの紙を写真の下に敷いた。
そして、それぞれの認識や証言を照らし合わせ、組織の解散は一斉に行うものであったのが、外事課によって虱潰しに解散させられていたこと、書類の提出が暫時の指示が一括になっていたことが確認された。
「なんてことなの、私は重々確認を取ったはず」
「どこかのタイミングでもみ消されたんだろう。必要とあれば喜之助の操作とやらも仕事する。片桐以外の外事課職員はみんな禍人なんだろう。本物の大村勘太は行方知れず、大方行先は察しがつくけどな」
「実は此花さん、益子さん、ここに匿名で私宛に送られてきた書類があります」
寿々花が封筒の中身を出すと、それは二人が見たノロの総量に関する別書類だった。そして書類にはノロと思われる液体も付着していた。
「薫さん、これ」
「ああ、各数量が受け取った書類と数パーセント多い」
寿々花の持っていた書類と匿名の書類を比較、計算し、総量の約五パーセントが消えていることが判明した。そして、書類作成者のサインが加瀬多美子ではなく、境良美という別の職員が作成していた。
「さかい、よしみ、誰なんだ」
「調べましょう。私なら職員データーベースを持っていますから」
「お願いしますわ」
夜八時を過ぎ、連絡を入れていた彼女は局長室に顔を出した。
「錬府女学園警邏科高等科三年生、境良美。出頭命令に従い、参上いたしました」
物静かな、声色の高い女性が目線を前髪で隠しながらあいさつした。
「突然の出頭命令に従ってくれてありがとう。早速なのだけど聞きたいことがあるの、いいかしら」
「はい、何なりと」
「加瀬多美子さんをご存知ですか」
「もちろんです」
「どのような関係でしたか、詳しく教えてください」
彼女は言葉に怒気を込めながら話を始めた。
「ちょうど去年の春でした。私はノロ回収の警護班に配属されていて、よく知らないうちに職務を外事課に集約する命令が出されて、外事課に権限が集約。出勤してもやることがない状態でしたから、課題をやったり、読書をしたりしてました。そんな警備課の執務室によく訪れる外事課の職員がいました。それが加瀬多美子です。
私は彼女と話すうち、段々と心惹かれて、加瀬さんもその気だったのか、一月後には告白されて恋人となりました。
それで終わればよかったのですが、彼女は多忙な仕事を手伝ってほしいと机を隣り合わせにして書類作成を手伝いました。好きでしたから、頼みもききますよ。でも、先週に一方的に別れを告げられて、理由を聞こうにも電話には出ず、本部では何度行っても会えず。アパートの部屋に行っても、もう引き払った後でした」
「アパートに行ったのは何日ですか」
「十二日です」
「あの女は私を利用したんだ。そうじゃなきゃ、私を捨てたりなんかしない」
「あなたたちの関係のことは分かりませんが、加瀬多美子は重大な事件の犯罪者である可能性があります。私事ではありますが、別れて正解だったと思います」
「はい」
境良美を本部の警護員に送らせ、三人は再び書類と写真を睨みこんだ。
「こいつは本当の数字、そして加瀬のサインがあるこの書類が虚偽の書類。しかも数値は昨年回収した回収の数値に合致する。すでに早い段階からノロが横流しされていた証拠だ」
「ええ、この付着したノロに血液が混ざっているなら、これは誰から奪い送られたのかが分かります」
「待ってください朱音様、その匿名の書類がノロによって真贋が証明されるなら、なぜ書類の提供者は姿を現さないのです」
「もしかして加瀬はその提供者に斬られているんじゃないのか」
「薫さん、それが本当な、ら」
寿々花は怪我で切ったにしては、大きく巻かれた包帯が目にうかんだ。
「もし一刀で腕を斬ったなら」
「あの包帯の巻き方なら、斜めに大きく斬られている」
「此花さん、薫さん」
「朱音様、この書類のノロを検査したうえで、私たちにもう一度、酒田へ出張させてください」
「わかりました、詳しく聞かせてください」
三人の意見が一致し、朱音は密かに真庭と会議し、山形県警対荒魂指揮分室に連絡、出動に向けての作戦討議が行われた。
そうして夜は暮れ、二人が帰宅したときには既に日付を超えていた。
六、
六月十六日、午前八時。
遊撃隊本部室は四人と一匹全員が集合し、いつになく物々しい薫の表情が部屋を張り詰めた空気に包ませた。
「おはようみんな、遊撃隊結成以来の初の全員出動だ。相手は荒魂になった人間、禍人だ。寿々花さん、みんなに説明を」
寿々花は先日の事件のあらましと、そして操作の経過について話をした。
そして全て折神紫の陰で暗躍していた、大村喜之助の策謀であることを結論付けた。
「分かっていると思うが、俺たちは裏切り者を斬るとか、人を斬るためじゃない。荒魂を祓うために御刀を振るうんだ。そして、禍人は並大抵の力じゃない。どんな危険が待っているか分からない。だからこそ、俺に背中を預けろ、そしてお前たちも俺に背中を貸してくれ、そうして俺はいつものようにサボれる。頼むぜ」
「最後のはいらないね、薫隊長」
「悪かったな真希さんよぉ」
「ははは、さぁ行こうか」
薫は笑顔で頷いた。
「薫」
「どうしたんだよ紗耶香」
包みを持った彼女は照れ臭くなったのか頭を搔いて見せた。
「すまねぇ、せっかくなのにな」
「水臭いデース、薫!」
背中から抱き着いてきたエレンに振り回されながら、彼女は紗耶香の正面に引き戻された。
「私から、誕生日プレゼント」
渡された包みを解くと、中から丸い綿のついた黒いベレー帽が出てきた。
拙い縫製だが姿見はきれいに作られていた。そして金色に輝く五箇伝のバッジがつけられていた。
「もしかして」
「うん、私が作った。舞衣に教えてもらった」
「紗耶香が、うれしいよふふふ」
薫は頭に被り、くるりと回って見せた。
「似合うか」
「うん、似合う」
「可愛くなりましたネ」
そしてねねはその綿に乗っかった。
「お前も気に入ったか」
「ネネッ」
酒田市内に着いたのは昼を過ぎたあたり、市内は既に避難が開始されていた。遊撃隊の黒い制服に身を包む四人は全国の刀使を代表し、尚且つ最強クラスの部隊である。酒田に派遣されてきた刀使たちが彼女たちに頭を下げた。
「またどうしたんだ、急にすぎないか」
指導真希の問いに地元の巡査は空を指さした。
そこには赤い瞳を輝かせる無数のコウモリたちが天を覆っていた。
「このコウモリ、二日前の」
「ああ、熱海樹のアパートを訪れた時と同じ奴だ」
「実は加瀬家宅に続く道が真っ黒なもんに覆われて、家の方の避難が終わってないのです」
「救出に行きます。加瀬宅までの近道を」
「それが、避難が終わったと同時にコウモリが道をふさいじまうんです。さっきも酒田署の機動隊員がこじ開けようとして二人も怪我したんです。
「では、途中まででいいので通れる場所を案内してくれますか」
途中まで案内してもらった場所は、右手に二つの寺が並び、二人が止まったホテルのある通りであった。
「どういうわけか、日枝神社までの一本道が通れるのです」
「案内ご苦労、あとは俺たちだけで大丈夫だ」
薫は御刀を抜かず、まっすぐ歩きだすと、他の三人は刀を抜いて薫の背に続いていった。
「お気をつけて」
黒い壁は次第に厚くなっていき、少しずつ四人を圧迫し始めた。
「邪魔だね」
「うん、斬り開かなくちゃ」
「ネネッ!」
目の前に壁を作ったコウモリたちが、紗耶香と真希の一閃によって切り払われた。
「こいつらの相手は僕と紗耶香でする。二人は先へ」
駆け出した薫と寿々花をコウモリの大群が追おうとしたが、紗耶香の一撃離脱の斬りつけが何度も叩きつけられ、散ったコウモリを真希の太刀が容赦なく追い散らされた。そして、再び集まろうものなら巨大化したねねが容赦なく踏みつぶした。
石畳の坂を上がりきると、神社の参拝する坂に二人の人影を見た。
「よくここまで来たもんだ。俺も逃げるに逃げれなくなった」
上の場所で座る男はそう言いながら、片手には長脇差があった。
「あなたが、正真正銘の大村勘太ですわね」
「いかにも、おかしいなぁ親父がそこのオチビさんの記憶を入れ替えたはずなんだがな、一部分だけをコロッと」
「周りの人間がお前さんの顔を知っていれば、俺でなくてもいずれ分かったさ」
「だろうよ、そうして時間稼ぎにはハマってくれたじゃないか」
「大村勘太、加瀬多美子、あなたたちの目的は」
「刀剣類管理局に政情不安を起こしたかったのさ、とにかく混乱が起きれば俺たちが出張る場所も増える。そうすればもう一度、刀剣類管理局を裏社会の手で回すことができる。タギツヒメが支配していたころは間違いなく、そうなっていただろう」
「ふっ、浅はかなことこの上ないですわ。そんなのじゃあ朱音様の体制を乗っ取ることも、禍人であり続けることもできませんわ」
「いいさ、進退窮まって策に出たが、結果は本当のご主人さまに見捨てられる。尻尾がないからかみつくしかないのさ」
「主人をもつ犬が他人に食って掛かるのか」
薫の一言に勘太は立ち上がって階段を数段上った。
「来いよオチビ、上で勝負だ」
「ふん、望むところだ」
彼に入れ替わるように、顔の半分が荒魂化した多美子が階段を下り、長脇差の切っ先を薫に向けた。
「もう終わりなのよ、さぁ死んでちょうだい」
斬り込む寸前に寿々花は多美子の間合いに踏み込み、太刀を受け止めてそのまま別所へと押し出した。
「寿々花さん、頼むわ」
「はい、隊長命令とあらば」
「ありがとよ」
立ち上がる多美子は寿々花をぐっと睨み込んだ。
「どうしましたの、貴女も元刀使なら写シを張ればよろしいですわ」
しかし、歯ぎしりをするばかりで多美子は何もなかった。
「大方、力の衰えを認められず、ノロを取り込んだ結果、神通力を引き出す力も、御刀からの力も得られなくなったのですわね」
「あんたに何がわかるのよ!」
突っ込んだ多美子の剣は単純にして粗暴、がむしゃらに剣を振るばかりで寿々花は鎬で受け止めるような真似をせずとも、いとも簡単に避けた。
やや籠手返しを緩め、わざと鍔迫り合いに入った。
「何も分かりませんわ」
「あんたのような少し腕の立つ刀使が、紫様の近くにずっといて、私は地方を転々として、いつか鎌倉の本部で戦うことを夢見た」
強引に振りかぶった多美子の剣は空を斬り、前のめりに倒れ込んだ。
寿々花は無理に動かず、ただ脇に避けて間合いを離しただけだった。
「そして、そしてやっと、やっと本部に配属になった。なのに、衰えが始まってしまった」
起き上がった多美子は自身の左腕を斬りつけると、その傷口から無数のコウモリたちが飛び上がった。
「だから力が必要なのよ」
「それは本当に紫様やみんなが欲したあなたの力ですの」
「黙れ!」
コウモリは写シを張った寿々花を傷つけることはできない。だが、彼女の視界と行動を制限することはできる。
だが、寿々花はあまりにも落ち着きを払っていた。
コウモリの切れ目が一閃となった瞬間、多美子の視界に寿々花はいなかった。そして、一閃が抜けたわずか頭上を飛ぶ寿々花の姿を認めた時、多美子の右腕は体から切り離された。
視界が明けると、両腕の不自由となって多美子は膝を地に突いた。
「そんな」
「加瀬多美子さん、あなたの信念、そして夢は叶えられましたわ。でも、いつかは後の代に譲らねばなりません。刀使は決して御刀で力を得続けることが、全てではありませんわ」
顔を上げた多美子は寿々花のまっすぐな瞳に、何も返すことができなかった。
「負けよ、私は負けたわ」
泣き出した彼女は、声が長く続いていくごとに、空が少しずつ灰色から青色を取り戻していった。
寿々花は九字兼定を鞘に戻した。
階段を登り切った先で勘太が笑みを絶やすことなく待っている。
「御刀、抜いたらどうだい」
「必要ない」
大村勘太は抜き身の長脇差を肩に負い、そして蜻蛉の構えに移った。
「俺もな、薩藩の示現流でな」
「俺は薬丸自顕流だ」
「そうかい、残念だ」
薫が鞘を水平にしようとした瞬間、雄たけびをあげて俊足の一歩が薫の間合いに入った。
(勝った)
「きぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ」
勘太の上半身が既に真っ二つに斬りたたかれ、それが下からの一撃であることを理解する前に大村勘太はノロとなって周囲に飛び散った。
その一撃は境内の石畳をそっくりそのまま引きはがし、
祢々切丸の七尺一寸の刃は地面を数メートル掘り起こしたが、刃こぼれ一つ起こさず、地肌は天頂を包む澄んだ青空を写し込んでいた。
「お前と一緒にするな、馬鹿野郎」
そして形状をわずかに保っていた鞘はばらばらと地面に砕け落ちていった。
今日は益子薫、十六の誕生日。
あまりに慌ただしい数日の中で、
ただ彼女は黙々と、
その日、その日を生きたに違いなかった。
こうして再び、惰性の日々が始まる。
彼女とともにある、多くの人たちとともに
健やかで、平穏なる日々を