~結芽錯綜記~   作:ひろつかさ(旧・白寅Ⅰ号)

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『異譚・神起編』は以前執筆した結芽錯綜記本編および外伝を再構成したSSです。6割は内容が重複していますので、それでもよろしければお読みください。
内容は基本的にアニメ一期をベースに、とじともの内容を含む形になっていますが基本的にはアニメに準じた時間軸で話が展開します。
どうぞみなさん、よろしくお願いします。


完全版『異譚・神起編』邂逅之章
第一話「混乱」


 序

 

 あれから二か月、というのは正確ではない。

 春の演武大会から一か月半、夏に入って梅雨の終わりもあと少しという時期になった。

 それだというのに濃い水臭さが空を覆い、コンクリートの地面を湿らそうとしている。

 匂い立つ季節、言い知れぬ不安かられて薫は脇差の副御刀の懸架具合を見た。

 ここは与党議員会館、あの鎌倉漏出事件からほぼ一年がたとうとし、新政権となった新与党との正式な和解と情報開示が発表されようとしている。長い交渉の末にようやく公的に刀剣類管理局はその独立性を取り戻すことになる。折神朱音の護衛である彼女は、黒と白の遊撃隊制服に隊長を示す徽章を付け、張り詰めた空気に顔は強張る。

 報道カメラの嵐のようなフラッシュと、けたたましい質問の嵐。

 朱音はただ落ち着いて、今日が刀剣類管理局の再出発の日であることを喜ばしく思うと言って見せた。

 そして会館の入り口に差し掛かった時、薫は殺気を感じて元来た道を振り返った。朱音の背中めがけて走る礼装の老人の、手に握られた短刀が目に入った。

「止まれっ!」

 老人はすぐに警官の三名に抑えられたが、老体には似合わぬ軽やかな身のこなしで警官たちの体を斬りさばいた。

 彼女は一瞬のためらいをはらって虎徹の切っ先を老人に向けた。

 悲鳴とフラッシュの嵐、その輝きの中で老人の身を纏う赤い、赤い幻影が見えた。

「何をしているんだ。その合口を捨てて投降しろ! 今なら御刀を振るわずに済む」

「できまいだろうに……」

 ためらいもなく飛び込んできた老人は低く薫の横を跳ね飛び、朱音に狙いをめがけた。

「大村さん……なぜ……?」

「状況がな!」

 とうとう写シを張り、老人の胴に一太刀を加えた。だが勢いを崩しながらも、老人は薫を斬りつけ、その刃が顔をすっぱりと縦一文字に斬った。

 まるで取り組みの一場面を撮るようにフラッシュが幾十閃と焚かれる。

 そして、虎徹の切っ先が胸に走り、老体は琥珀色の液体となって衣服とともに薫の体にかかった。

「おい、どういうことだ」

 目の泳ぐ薫を朱音は手を取り、議員会館の中へ連れ込んだ。

 

 

 

 

 雨は降りだした。永田町のビル群は深いグレーの底に沈んだように東京の空に溶け込む。赤いランプと、記者の声が雨音と合わさってけたたましく鳴り響く。しかし和解の協定は滞りなく進行し、政府与党はついに事件の全貌解明という公約を果たすことになる。

 

 

 

 

 1

 

 同日の夕刻、鎌府女学院より長谷駅へ抜ける長い坂道、ここは元々切通しであった道で大規模な工事の末にそれらしいものは岩をくり抜いた短い隧道だけである。一人、刀袋を片手に高徳院近くの鎌府寮を目指す幼さのある少女は、今まで気にもしていなかった切通しを一直線に貫く青空を見上げていた。

 何もかもが通り過ぎるだけ、自分らしいものと言えば御刀を振るうこと。気にも留めず過ぎ去ってきた景色には、静けさを讃える朝顔の澄んだ色が季節の営みを伝えようとしている。自分にはこれほどに世界が溢れ、その中からの僅かばかりの輝きを集め、大事にだいじに手の中に包むことができる。これほどの幸せがあるのだろうか。

 彼女の白い絹のような髪を風がそっとなぜる。

「紗耶香、糸見紗耶香、五番目の子、私の妹」

 毛を逆なでするような声に紗耶香は振り向いた。

 その白く長い髪はプラチナのように金の混じった輝きをし、その優しくも寂しげな顔が下に立つ紗耶香を見つめている。その手にした二つの刀が両刃となった剣を持っている。

「誰?」

「忘れたの? なら、それでいいわ」

 飛び込んできた刃は刀袋と鞘を撫ぜ斬り、紗耶香は咄嗟に石突で彼女を突き飛ばした。その隙を見て刀袋を鞘ごと払い捨てた。

「やめて、戦いたくない」

「戦う? 必要ないわ、今すぐここで死んで!」

「なんで」

 写シを張った瞬間、両刃の突きが脇を抜け刃を鎺で受け止めながら、彼女の懐に飛び込んだ。

「あなたはあの高津雪那によって完成された存在」

「わからない」

「だから完全体になる前に、死ななくちゃいけないのよ!」

 困惑しながら刀使としての彼女はその大ぶりの剣を完全に抑え込み、三歩引いて隙を産んだ瞬間に大剣は地面を叩き、切っ先が彼女の眼前に置かれた。

「お願い剣を収めて、大事な話ならちゃんと聞くから」

「やさしいのね、でもそれが!」

 強引に振り上げられた剣が紗耶香の腕を斬り、そして左袈裟で写シを斬り剥がした。

 紗耶香の目にははっきりと赤く輝く写シが見えていた。

「さようなら!」

 切っ先が引いた瞬間、女は飛び込んできた影に道端へと押し倒された。

「うちの紗耶香に、何してんだ!」

「用があるの」

「なら、その御刀は荒魂が出る時まで納めとけってんだ!」

 蹴り飛ばされたが慣れた足取りで、腰に差していた二振りの短刀を抜きはらい、間合いを離した。

 フード付きのパーカーを着る錬府の女学生は、無構えで大太刀の女に相対した。

「呼吹」

「よぉ、立てるか?」

「うん」

 だが赤い写シに守られてか、女は静かに立ち上がった。

「なんなんだありゃあ」

「わからない、でも私を殺すって」

「殺す……また物騒な……ん」

 呼吹の表情は硬く、女への嫌悪感をあらわにした。

「なんで生きているんだ? 高津のばぁさんに処分されたはずだろ」

「呼吹、四番目の姉妹になれなかった子」

「やっぱり覚えているか」

「あなたを斬る理由はない。帰って」

「は! 悪いけど俺のダチに手ぇ出しといて見逃せなんざ、虫が良すぎるぜ花梨!」

 八双の構えから呼吹への叩き下ろしを妙法村正の鎬が流し、火花を散らしながら紗耶香の耳を劈いた。だが、長尺の刃が紗耶香の写シを薙ぎ斬り、御刀をあらぬ方へと弾いた。

「てめぇ」

 両者の懐に飛び込んだ呼吹が女の腕を柄で跳ね上げ、その胴を左右から鵐で殴りつけた。

 苦悶の声を聴くと同時に、呼吹は紗耶香を伴って間合いを遠く離した。膝を突くと突き上げる痛みに唇を嚙み絞め、紗耶香は女との間に転がる村正を見つめていた。傷つくはずのない御刀にはくっきりと刀傷が走っている。

「逃るぞ」

「駄目」

「ばか、死にかけたんだぞ」

「御刀は、妙法村正は命の次に大事だから」

「なら」

 突然女の大笑いに、呼吹は絶句した。

 急所を当て、立ち上がれるはずもないと考えていた呼吹達の前に、切っ先を引きずる女の姿があった。

「写シなしで、下手したら骨が折れているはずなのに」

「違う、赤い何かを纏っている」

「写シ? んなら!」

 呼吹は強引に紗耶香を引っ張った。

「紗耶香」

 だが、頑なに動かず。その一歩を村正の方へと進ませた。

「妙法村正ですか……あの高津雪那との絆とでも」

「違う、誓い。もう何も失わない、失わせないための誓い」

 紗耶香の瞳はまっすぐに女の瞳を覗いた。幼さとは違う、彼女らしい決意を秘めた目。

「じゃあ紗耶香、私と来て。あなたは普通じゃない。いずれかそのことを知った人間にいいように使われる。その前におねぇちゃんとどこか遠い所へ」

 その差し伸べられた手に小さく首を横に振った。

「わからない。私はあなたがわからない」

「紗耶香、聞くんじゃねぇ」

「あの頃、あなたはもっと小さくて、実験体としてあまりにもか弱く、能力付与の初期のモルモットになるはずだった」

「無念無想のこと」

「おい!」

「無念無想はまだ完成されていない。あなたにもそれがわかるはずよ」

 記憶にちらつく雪那ではない、やわらかな影に目の前の女が重なった。

「誰? あなたを私は知っているの?」

「思い出して、私は二番目の家弓花梨」

 叫び声がして、その一撃が花梨を壁に叩きつけた。さらに、播つぐみは不慣れながらその一閃で、両刃剣を舗装路に食い込ませた。

「やっと追いつきましたね」

「え、どうしてつぐみが」

 彼女の肩に見覚えのある小さな獣が元気よく紗耶香に手を振った。

「ねねさんの調査が一区切りしたので間に合うかと思ってきたのです」

 紗耶香は妙法村正を手にし、呼吹とともに再び花梨へと相対した。

「四対一では不利、紗耶香、また会いましょう」

「待って」

 引き抜いた剣で腕を斬りさばき、そこから流れた血が十数体の荒魂となって三人に襲い掛かった。

 三人は密集し応戦しながら、花梨が飛び去って行くのを横目に見ているしかできなかった。

 バラバラになった荒魂を見つめながら、紗耶香は悶々と花梨の姿を過去のうちから必死に探した。だがわからなかった。彼女の手には傷ついた御刀の姿があるのみだった。

 

 

 ────────────────────────

 

 

 真庭紗南は画面に映し出されるニュースを丹念に見ている。時折動画のスクロールを戻し、薫が斬られ硬直した瞬間を何度も確認した。

「真庭司令」

 お茶を持ってきた気品のある声に身を引き締めた。

「此花、大村喜之助が朱音様を襲った。いや、襲ってしまった」

 お茶の礼を言うと一口飲んで無理に肩をやわらげた。

「どうしても組織の刷新のため、動かなかった一部署を解体しようしただけでこうもなるのは、不可解なことですわ」

「大村という人間、どうなんだ」

「紫様に、いえタギツヒメにノロを短期間で収容する計画を提案し、わずか三年で従来の回収量の五倍の量のノロを集めました。私は計画のためには必要な方と思っていましたが、同時に紫様にあだなす老獪な人物であるとも見ていました」

「大村喜之助の外事課……ノロの効率的な収集を目的とした総合部署。そして、舞草体制での粛清対象」

「必要なことと存じています」

「ありがとう、だがなぜ朱音様に? しかもあんなに目立つ場所で? しかもまた禍人が現れた。頭が痛い」

 

 鎌倉の本部では各方面からのひっきりなしの問い合わせ、関係組織との協議、これに日付変更とともに公表される『タギツヒメ事件』の全容報告書。十分に重ねてきた準備が全て台無しとなった。

 

 しかし、荒魂が発生すれば刀使たちは事態の是非に関係なく出動しなくてはならない。今日も奈良と三重の県境で数人の刀使たちが荒魂を追い詰めていた。

「可奈美さん! そのまま群の後方へうさぎ跳び! 私たちは農道を伝って道を塞いで!」

 岩倉早苗の怒号とともに美濃関と平城の混成部隊が展開、可奈美は迅移で谷間の森に分け入った。その間に隊は広く広く群を囲い込み、それぞれの持ち場で荒魂たちを森側へと押し込んでいく。

「よし!」

 早苗は高く掲げたスターターピストルの引き金を引き、音が鳴り響いた瞬間に可奈美が包囲の抜け穴に飛び込み、一気に八体の荒魂を切り伏せた。

「今です!」

 群に飛び込んだ彼女たちは小型の荒魂たちを一気に殲滅し、あっという間に戦闘が終わった。

「姫野さん、待機の回収班を呼んで」

「はいはーい、あと地元機動隊にも任務完了の報告しとくね」

「ありがとう、お願いね」

 駆け寄ってきた可奈美に早苗は嬉しそうに彼女の手を取った。

「可奈美さん! 今日は本当にありがとう! 私の無茶を聞いてくれて」

「ううん! 作戦もタイミングも完璧! 一人じゃこうはいかないよ」

 電話がかかり、可奈美に断って応答した。

「はい岩倉です。はい、はい、え、はい、そう伝えます」

 一変して真剣な眼差しの早苗に自然と背筋が伸びた。

「緊急で私と可奈美さんに明日香村へ向かってほしいそうだよ、すぐにヘリが来るって」

「うん、でも何だろう」

「とんでもない赤羽刀が出てきたから護衛を頼むって」

 

 

 


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