京都の駅近くの商店街、私服の可奈美はキャリングケースと刀袋を持ち、商店を見て回る。
「へぇー、ここならいい食材がそろいそう!」
「でしょ! あとこのアーケードの出口の方に抹茶を使った絶品のソフトクリームがあるからおすすめだよ。じゃあ私は任務があるからここまで、十条さんによろしくね」
「ありがとう早苗さん、またね!」
可奈美はしばらく歩きながら、馴染みのない食材に目を輝かせた。ここは京都の味覚の中心地、地元の人間からプロの料理人までありとあらゆる人が買いに来る。
と、正面からフラフラと手に長い袋をもち、深くフードを被った女の子が来た。可奈美に気にする素振りも見せず通り過ぎたが、可奈美は何かに気が付き呼び止めた。
「な、なに……?」
「あなたも剣術習っているの? 薬指のタコでわかるよ」
「え」
「ねぇここらへんに剣術道場あったりしないかな? 友達との待ち時間が長いから、勉強に行きたいの!」
「知らないよ……だってここ初めてだし、だいいちおねぇさん誰?」
「私? 美濃関学園の刀使、衛藤可奈美だよ。よろしくね」
フードの中から覗く驚きの表情に可奈美は目を丸くした。
「え、燕さん……?」
フードの少女は踵を反して人込みの中を走り出した。可奈美は彼女を追おうとするが荷があるために動きずらい。彼女がやっとのことで商店街の出口に出た時、少女は弱弱しく膝をついていた。
「お腹すいた……もう走れない」
可奈美は少女の背中に抱き着き、そのまま体を起こした。
「何かたべよっか! 私もお腹すいちゃったし」
「お、おねぇさん……?」
昼食を終えて、早苗に教えてもらったアイス屋に入った。
「おまたせ燕さん」
「結芽でいいよおねぇさん」
「じゃあ結芽ちゃん! アイス食べよう!」
「うん」
ややぎこちないが嬉しそうにアイスを受け取った。
「一日くらいなら泊まれる場所を用意できるよ」
「ほ、本当に」
「うん、ちょっと裏技を使うけどね」
互いにとって倒すことのできなかった最強の剣士にして刀使、衛藤可奈美とそして燕結芽が向かい合う。
「それにしてもこんなところで出会うなんてね」
「ねぇ、聞かないの、結芽がなぜここにいるのかを」
「うーん、それはね」
刀袋に手を添え、それは御刀があるからだと言った。
「タギツヒメを送ってから、何か不思議なことが起きても、それは色々なことの積み重ねでちゃんと良くなるように動いていくんだって、そう思うようになったんだ。だから、結芽ちゃんに何があったかは何も聞かない。でも、きっと話してくれると信じてる。前に戦った時、結芽ちゃんは正直にしか剣を振れないように思えたんだ」
「笑いながら戦っていたんだよ、楽しんでいたんだよ?」
「あなたが本気を出す寸前、私を最後の相手に選んだんだよね」
邪魔が入る寸前、結芽の顔は単純に楽しむことから、最後の一時をここで使い果たすことを決めていた。だからこそ、あの邪魔に入った二人に心底怒りを覚え、殺意を抱いて終いには剣を鈍らせた。
「そうだよ、だっておねぇさん、誰よりも強いもん」
「ごめんね」
「どうして?」
「あんな形で勝負をないがしろにして」
「いいよ、おねぇさんにも大事なことがあったんでしょ? 結芽はどうしようもできないことだったもの、気にしてないよ」
「ありがとう結芽ちゃん。ねぇ、私の事かなみって呼んでほしいな」
「ええ! ん、うーん、かなねぇ! どうかな」
「いいと思う!」
そうして、二人は無邪気に笑いあった。
「おかしなの、剣を合わせてばかりで話なんてこれっぽっちもしたことないのに、かなねぇとはまるで」
「まるで」
「まるで……」
「まるで?」
「分かんないや……」
「私も分からないよ、でも刀使って時には試合で戦って、時には背中を預けるから、家族みたいなものかも」
「家族」
「そう、まいちゃんや、ひよりちゃんにエレンちゃん、薫ちゃんにネネちゃんも、みんな私の家族だよ」
「そっか……そうだね、きっとそう……だよ」
今まで見たこともない心の底から沸き起こる温かな表情に、可奈美は自然と絆されていた。
「さ、溶けちゃうから食べよう!」
「うん!」
「私も一緒によろしい? ク・ロちゃん」
結芽はその聞き知った声に可奈美の背中に逃げ込んだ。二人の頭上に大荷物を背負った灰色の髪の女性が立っていた。
「う、梅……見つかっちゃった……」
「あの、結芽ちゃんをご存じなんですか」
「そうだよ、そいつの今の上司だからね」
「上司、つまり今、結芽ちゃんをお世話している人ですね」
可奈美の真剣な面持ちが梅という女性に嘘をつけさせなかった。
「心配しないでも怖いことはしてないよ」
「嘘つきぃ」
「嘘つきだよ、嘘つかなきゃここに来れるもんか」
やや、顔を出したことが不覚であったことに結芽は気が付いた。
「大尉から言伝、先の任務の御褒美で一週間ほっといてやるそうだ」
「え」
「ただし黙って出ていった罰として、私が始終同行する」
「それ、保険ってやつ」
「いいや、あんたのお陰でお前の稽古と酒飲みができる。利用させてもらったよ」
「私も稽古に参加していいですか」
突然、目を輝かしながら答えた可奈美を相手に梅はたじろんでいた。
「あのね、貴女。こっちはこいつにも、あなたにもいい提案をしているの、話のコシを折らないでほしいな」
「でも、結芽ちゃんと手合わせしたいです」
梅は大きくため息をついた。
「好きにして、なんか滞在先も決まっているみたいだし」
「やったー、やったね結芽ちゃん」
「う、うん、うん」
梅が車で、可奈美の指示するある場所へと向かった。そこは町から一山越えた京都寄りの集落にある、昔ながらの民家らしかった。
「そろそろかな?」
後部席の可奈美が顔を前に乗り出させた。
「あ、ここを左にあとはこの坂をまっすぐです」
「はいよ」
窓を開けると、やや日が傾き、早すぎるセミの鳴き声が山谷の奥へ、奥へと響かせている。
「夏なんだ、もう」
「この鳴き声はニィニィゼミだな。随分と早いな。あんた美濃関なんだろ? 岐阜ならもう鳴いているんじゃないか」
「あんまし、気にしてないです」
「セミなんかいいから、早くが稽古したい!」
「なんだ、私を嫌がってた割にはやけに素直じゃないか」
ハンドルを手に梅は後ろへ振り返ることはしなかった。
「うるさい、結芽はまだ強くなるの」
「あははははは! 昨日まで死んだような顔をしてたのに、なんだ? 生きる気になったか? 立派! 立派!」
赤くなった結芽は返すに返す言葉もなかった。
「梅さん、ここですよ」
ゆっくりブレーキをかけると、年月を感じさせる素朴な民家がやや高台に建っている。
「挨拶がてら、車を停める場所を聞いてきます」
「頼むよ」
ドアが閉じると、ブレーキをかけ、エンジンを止めた。
「また……来てしまったか」
「え、なに?」
「ほら、荷物出して運んだ運んだ、相手さんに失礼のないようにな」
「はぁーい」
玄関で出迎えた長髪の少女は、その招いていない客人に顔をしかめた。
「可奈美、お友達が来るって言ったよな」
「そうだよ」
「泊まるのは二人と言ったよな」
「うん、友達の保護者もついてきちゃった」
「なら、お友達に自己紹介してもらっていいかな」
身を震わせながら苦笑いで二人を見た。
「結芽ちゃん」
「はーい、お久しぶりですペッたんこの小鴉丸のおねぇさん。元親衛隊の燕結芽でーす」
「こんにちは、結芽の世話をしている梅と申します」
「あなたはどこかで……まぁいい、上がってくれ」
仏間に通された三人は傍らに御刀を置いて座り、手を合わせた。
面立ちのよく似通った女性の写真が、彼女の血縁者であることを結芽に気付かせた。
十条姫和、折神紫ことタギツヒメに反旗を翻し、衛藤可奈美と共に死地を潜り抜けて、最後は仲間たちと共にタギツヒメを隠世に封じた刀使である。
当然、彼女は今起きていることに何一つ納得していなかった。
「単刀直入に聞こうか」
「ひよりちゃん」
「何も聞くなという約束だが、度台無理な話だ。なぜここに死んだはずの人間がいるのか、それを聞きたい」
(もう聞いちゃっているし……)
しかし、姫和に対して真っすぐに向き合っていた。
「今は言えない。でも、いつかは全てを話す。今はただ時間が欲しいの、何もかもが突然で、暗くて何も見えなくて、すごく怖かった! 今も怖い。だから、少し……少しだけ居場所を貸してください。お願いします」
その彼女らしくない、その真っ直ぐな態度に梅は驚いた。
結芽は静かに彼女に頭を下げた。しばしの沈黙が、可奈美の胸をどぎまぎさせた。
「いいだろう。ただし、家事をやってもらうから、そのつもりでな」
「ありがとうございます」
可奈美はようやく安堵のため息をつけた。
結芽と梅が荷の片づけをしている間、姫和は外の洗い場前に来るように言った。
「おまたせ」
「ああ、そこの大根を洗ってくれないか」
「合点承知!」
割烹着を着た彼女が、料理を増やすべく裏から採ってきたのに気がついた。
手を動かしながら、時々聞こえてくる鳥の鳴き声に耳を傾けた。日は傾き、夕暮れの赤い輝きが青い空を染めようとしていた。
「姫和ちゃん」
「なんだ」
「ありがとうね」
「何のことだ、元々お前は泊っていく予定だったじゃないか、あいつは自分で頭を下げたんだ。それで十分だ」
「ううん、それもあるんだけどね」
蛇口を止めると、姫和の手が止まった。
「お前の考えている通りだ。あいつは私に似ている。自分しかいない、皆のためには一人でなくてはならない。たとえこの身がどうなったって、だれかが覚えててくれればと思った。でも可奈美やみんなに手を引かれて、自分の事や両親のことに向き合うことができた。そして分かったんだ。私はつくづく無鉄砲だったって」
「だから、教えてあげたいんだよね」
「ああ、さぁいい夏大根が手に入ったからな、おいしいぞ」
「わぁい、姫和ちゃんの手料理、久しぶりだなぁ」
「いつも来たら食べてるじゃないか」
「だって、本当にそうなんだもん」
「こいつ」
結芽は庭先に出て御刀を腰に差した。
「まずは一の太刀からだ」
梅は縁側に座りながら、結芽の基本動作の隅々に目を光らせた。
(やるな)
足さばき、腰、太刀筋、所作、十三の少女が振るにはあまりに完璧であり、幾多の戦いを乗り越えたその剣は、もはや熟達の域に達していた。そしてその衰えを知らない剣は、今だ成長を続けているように見える。
形が終わると、梅はすぐさま自身の御刀を手に仕太刀に入って結芽の剣を肌で感じとった。
「そこ」
二回り目の型が始まった瞬間、切っ先が結芽の御刀を弾き左腕の手前で刃が止まった。
「相手を舐めた動きをするな、それがお前の剣を幾分も弱くしているぞ」
同じ動きを繰り返すが、三度も結芽の太刀がはじかれたり、避けられたりした。
「もう一度だ、いいか、遊ぶな、お前はもう急ぐ必要はないんだ」
「はい」
可奈美はその稽古に懐かしさを抱き、そして結芽のあまりに純粋な剣が愛おしくも思えた。
その時、結芽の突きがようやく梅の弾きをいなした。
「まだだ、癖が直り切るまでみっちりしごくからな」
「はいっ」
「威勢はいいな、威勢だけは」
「何だって」
「ふふふ、さぁ次!」
だが、先ほどのように上手く太刀が入らず、隙あらば足蹴にされた。
「そいつはニッカリ青江か、違うだろ。その御刀の名は」
「……っ、ソハヤノツルギ……ウツスナリ」
「そうだ、御刀は稽古の刀や、特注の真剣でもない。お前が合わせられると信じて、お前を主人に選んだんだ。あまり下手な剣を振ると御刀はお前を振り回してくるぞ」
気づけば全ての型を複雑に組み合わせた稽古に変化していた。
それは梅が徐々に型を変質させ、結芽の体に染みついた剣術を、さらに順応させようとするものだった。
(マズい)
その瞬間、梅は写しを張っていた。
額の眼前で止まる切っ先がそこへ来たことに気が付かなかった。可奈美も梅が腕を斬られたと錯覚していた。
「ようし、近づいてきたぞ」
結芽は汗を噴き出させながら、激しく呼吸を繰り返した。
「落ち着け、ゆっくり、全部息を吐け、そして一気に空気を吸うんだ」
そして、結芽は息を整えた。
「見失うな、登るというのはそういうことだ」
「はいっ」
「ここまで、続きは明日だ」
「ありがとうございます」
御刀を納めると、可奈美が結芽にタオルを差し出した。
「お疲れ様」
「うん」
食卓には既に料理が並び、四人は席に着いた。
シャクリ、やさしい温かみと味噌だれの甘辛さが口中に広がった。
「ほぉ、いい熱さ加減だ」
梅はお好みで添えられたからしを乗せ、走る辛みのほど良さに箸が進んだ。
旬の夏大根は、夏物のみずみずしさと食感が相まって、よい食材である。
本来なら辛みとして添え物にしてもよかったのだろうが、ボリュームや栄養分を考えた結果なのだろう。
さっぱりと煮た大根は十分に冷まされ、その変わりに甘辛の味噌だれが熱いうちにかけられる。
「やっぱり姫和ちゃんの料理が一番だよ、でもチョコミントはどうかと」
「まだ言うかこの口は、甘味くらい好きな味を食べていいだろう」
「それにしては繊細な味付けだよね」
「ほぅ、私に喧嘩を売っているのか可奈美」
「ペッタンコのおねぇさん」
「姫和だ、ぺったんはやめろ」
「うん、姫和おねぇさんは歯磨き粉の味が好きなの? じゃあデザートもチョコミントなの?」
「それは、希望があればそうする」
「へぇ、随分と控えめだね」
「客人がいるから当然だろうに、まったく」
大根の菜を使った和え物と、切り置きしておいたごぼうを使ったゴマの和え物。
それぞれ小鉢にあり、野菜をふんだんに使った素朴な一善であった。