~結芽錯綜記~   作:ひろつかさ(旧・白寅Ⅰ号)

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第五話「顕現」

 結芽は縁側に寝転がりながら、天井の板の目を見つめる。

 名前の知らない鳥、どこからか聞こえるセミの声、照り付ける日を受け止める簾が風に揺れ、風鈴が思い出したように音色を奏でている。

「呆れたか」

 さんざん振り回した木刀も、汗だくになった道着も、見えなかった本音が全ての辛さや苦しみを上回った。

 ここに来て一日もないのに、まるで何日も立ったような感覚だった。

「結芽ちゃん」

 目の前に来た可奈美が結芽の額に冷たいものを置いた。

「冷たい」

 起き上がった結芽は、青く透き通った瓶を見て、その視線を可奈美に返した。

「一緒に飲もう」

 開けるのに失敗しながら、二人笑いながら一口飲んだ。

「いやーっ、もう暑いね。そこで農作業を手伝ってたんだけど、雑貨売りさんが冷えたラムネを売りに来たの」

「すごいね」

「ん、元気ないね」

「うん」

「聞くよ」

「うん、なんだかね、今までの剣が私を否定しているように思うの、進むんじゃなくて、結果であればいいんだって、そう言っているようで、私もそれでいいような気がしちゃったの」

「ふーん、でも私は結芽ちゃんに勝ったよ」

「かなねぇ」

「いいじゃん結果でも、その結果で前に進んでいく、私は今の結芽ちゃんに勝ったけど、でも結芽ちゃんはもっともっと強くなるから、今の私じゃ負けちゃうかもしれない。だから、今度はもっと強い結芽ちゃんに勝つ」

 そう笑顔で言って見せた彼女の顔を見て、涙が頬を伝った。

「いや、あの、だからね、その、これから一緒に農作業しない」

「え」

「だ、だってね、姿勢を低くして、黙々と一つ一つを丁寧に作業するんだよ。あんまりひどいと作物が痛んじゃうから、そういう心づくしが学べるんだよ。剣も自分と相手との心づくしなんだよ」

「ぷ、あはははは、ふふふ」

「そ、そんなにおかしかったかな」

「うん、とっても、でもうれしい」

 涙を拭った結芽はラムネを飲み干し、勢いよく立ち上がった。

「よし、結芽も行くよ」

「うん、そうでなくっちゃ」

 可奈美もラムネを飲み干したが、直後に出たおくびに涙を滲ませた。

「痛いよ~、油断した」

 そんな彼女をみて結芽は元気よく笑った。

 今までにないほどにゆっくりと時間が動いている。その中で見えることと、見えないものがある。そう結芽は思い、可奈美のあの表情の意味を理解しようとした。畑の雑草をとりながら、隣で作業する彼女の顔を何度も見た。

 そして一つのことに合点がいった。可奈美はいま焦っているのだと。

「疲れたぁ」

 結芽がぐったりと横になると梅が軽く額を叩いた。

「ご苦労さん、日が沈む前に庭先で稽古だ」

「ええっー、今日ぐらい休ませてよ」

「ふぅーん、休みたいのか」

「むっ、やだっ」

「ならさっさと風呂入りな、私が沸かしといたから」

 姫和と入れ替わるように梅は仏間の方へ去っていった。

「ほら、着替えとタオルだ、可奈美も一緒に入ってくるといい」

「そうするよ、あと中村さんから」

 大目にザルに入った茄子が新鮮な色づきをしている。

「こんなに」

「結芽ちゃんが張り切って、明日までかかる作業を今日中に終わらせちゃったから、そのお礼にだって」

「なるほど、じゃあ今夜は夏野菜たっぷりのカレーだな」

「おおーっ、カレーだ」

「ほら、二人とも早く風呂に入ってきなさい」

「はーい」

「はい、はーい」

 仲良く風呂場に向かう二人を見送り、慣れた手つきで割烹着を着た。

「洗濯物は取り込みましたから、畳んでおきますね」

「お願いします、それにしても、頑なに梅と呼ばせるのはどうしてですか」

「気になる」

「ええ」

「貴女が私の本当の名前を知っていればそれで十分よ」

「あえて何も問いません。でも、このままだと後悔しますよ」

「後悔なら何度しても変わらないわ」

 そう言って、梅は表情を見せなかった。だがその背中は小さく震えていた。

 

 

────────────────────────

 

 四人の携帯端末が一斉にアラートを吐き、飛び起きた。

 この村の谷下に荒魂の発生を告げるスペクトラムファインダーからの知らせであった。

 だが梅は結芽を静止し、自分たちは行けないと告げた。

「それも、結芽がここにいる理由なんだな」

 結芽は黙して答えなかったが、姫和は黙って道を駆け出した。

「それじゃ、ぱぱっと終わらせて戻ってくるね」

 見送る二人を背中に、可奈美の俊足は姫和の左後ろにぴったりついた。

「妙だな」

「二人の事?」

「それもある。だがこの地域で荒魂が現れることが今までなかったから……不思議でな」

「え、荒魂が出ない?」

「この地は古くから柊の一族が守ってきた土地、山上の社がある限り、この地域に踏み込んでくる荒魂は皆無だ」

「とにかく荒魂を払おう! 話はそれからだよ」

「ああ!」

 二人が谷下の川に辿り着いたとき、その青く輝き、胴のいくつにも連なった琥珀色の巨体がジッと二人を待ち構えていた。

「鹿型、角が長い、霊力の強いタイプ」

「まったく寝起きに荒魂とは災難だ」

「私は正面から攻撃をいなしながら注意を引き付けるから!」

「相分かった! 任せろ!」

 茂みの中からゴーグルをつけた老人が荒魂に対する二人を見つめている。彼の端末は四方のカメラの映像を記録し続け、鹿型荒魂の胴体に輝く一筋の線を指先でなぞった。

「実験開始だ」

 巨体の前足を駆使し、可奈美に襲い掛かった荒魂は、角から大きな瘴気を集め二人に浴びせかかった。

 ならばと、前に出でて鹿型の視線を右へ左へ離しながら、うさぎ跳びで蹄の一閃を避けていく。荒魂は可奈美に釘付けとなり、姫和は霞の構えとなり鹿型の急所に狙いを定めた。それに呼応して可奈美は胴を飛び上って荒魂の頭上の枝に掴まった。

「こっちだよ! ん、あのお爺さんは?」

「行くぞ!」

 必殺の一の太刀が荒魂の胸を縦一閃に斬りさばいた。だが姫和は弾かれた感触に気づいた。

「御刀?」

 切り口から輝く赤錆びた刀身の姿がはっきりと見えた。

「いや、赤羽刀!」

「なら」

 姫和は迷うことなく小烏丸の刃を荒魂の後ろ脚に流し、自重に乗って荒魂は川面に横倒しとなった。

 だが、荒魂に駆け寄った可奈美から写シが消えた。

「まだだよ!」

 赤羽刀を手にした可奈美は足をかけて踏ん張った。荒魂が悲鳴をあげ、瘴気を集めた。

「かなねぇーっ!」

 その素早い一閃は瘴気の塊、巨大な二本の角を一瞬のうちに断ち切った。そして小烏丸の鵐が頭部を打突。

「よっこいせーっ!」

 錆刀が川に放り出され、荒魂はしばし手足を暴れさせてから動かなくなった。

「ふむ、御刀未満にしては上々か、それに面白いものを見つけた」

 表情も変えず空笑いすると、老人は森の中へと去っていった。

 可奈美は川の中から一振りの赤羽刀を取り出した。そのあまりに身のまっすぐなか細い刀に二人と目を合わせた。

「長脇差か、正式な御刀に入れない。準弐級御刀」

「じゅんにきゅう?」

「知らないのか、御刀は私たち刀使の扱う壱級御刀、民間で刀剣類管理局の扱いではない民間預かりの弐級御刀、そしてそれにさえ及ばない準弐級御刀。本来は神力さえも持たない刀のことを言うんだが」

「大型が突然に現れたから、この赤羽刀には」

「力がある……」

 と、山上の方から轟音とともに噴煙が上がるのが見えた。

「姫和おねぇさん!」

「お社のところだ、可奈美! 結芽!」

「もう写シ張れるよ!」

「急ごうよ!」

 迅移の俊足は谷底から山のふもとへと飛ばし、三人は参詣の石階段の崩れを目の当たりした。

 そこに梅と見も知らぬ眼鏡をかけた女性が赤い影を纏わせ、二振りの脇差を手にしていた。

「梅……どういうこと?」

「みんな、そこ動かないで」

 梅は刃を隠し、低く低く構えて女の懐に飛び込んだ。女は脇差の間合いに入ってから刃を走らせ、一歩前へ出るとその長大な御刀を受け、刃を彼女の頭上に留め置いた。女の首元に迫った乱刃が怪しく輝いた。

「あら、恵実どうしてか腕は鈍ってないようね」

「あんたがあそこから飛び逃げなければ、あそこでお前を殺せたんだ」

「だって、まだ足りなかったもの。でも」

 女の目線は三人のもとに走った。

「やっとすべて揃った」

「篠子ーォ!」

 ずらされた刃が首元から離れ、しかし振り下ろされた一閃を弾き、女は咄嗟に間合いを離した。だが梅の勢いは止まらず脇が前から懐に入る。

「斜影離真!」

 女の写しが腕だけ離れ、その手の脇差が梅の背中を斬った。

「うぐっ!」

「今日はここまでにしてあげる」

 だが梅は女の懐を無理やり引き、その袂から一巻の書物が落ちた。

「余計なことを」

 梅を殴り離すと、落ちていく巻物を追うがそれを可奈美が拾い上げた。

「これ以上はさせない!」

 三人が構えたのを見て、女は不満げに背を向け森の中へと消えていった。

 梅を支えた結芽は悲し気に背中を隠そうとした。

「待て! 傷口を」

「ダメ! 見ちゃダメ!」

 その傷から琥珀色の輝きが見えた。そして傷は何事もなかったように閉じた。

「まさか……」

「そうだよ、これが生き返った代償だよ」

 鳥の鳴き声もなく、あるのは林のさざめく風の声だけ、だが雲間からぽつり、ぽつりと雨粒が落ちる。満月が結芽を青々と照らし出した。

「おい黒、いくぞ」

 立ち上がった梅は崩れた石段を滑り降りた。

「人が集まってくる。いつまでも柊の屋敷にはいられない」

 梅についていく結芽の背中を見ながら、可奈美は姫和の顔を見た。

「ダメだ」

「でも、姫和ちゃん」

「そういう約束なんだ。それに、それにな」

 姫和の憂いに可奈美は踏み出せない。踏み出せるはずもない。

「いま焦っても、また一人で突出してしまう。だから可奈美、手伝ってほしい」

「……うん! もちろんだよ!」

 そう、ようやく彼女の表情が和らいだ。

 

 梅と結芽は荷物を整え、その衣服は漆黒の見たこともない制服であった。

 二人が裏口に立つと、駆けてきた可奈美と姫和へ頭を下げた。

「お世話になりました」

「いいから、行け。すぐに特祭隊が集まってくる。この山へ向かう裏道を使えば、そこから大きな街に出られる」

「あとこれを」

 可奈美から結芽へと包みが手渡された。まだほんのり温かい。

「お夜食だよ、町まで長いから。結芽ちゃん。また立会いしようね!」

 彼女の屈託のない笑顔に顔を何度も、何度もぬぐった。

「かなねぇと姫和おねぇさんに何かあったら絶対に助けに行くから、約束だよ!」

 二人の影が遠く、遠くへと消えていく、姫和と可奈美はいつまでもその背中を見つめていた。

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