その夜はまだ終わってはいなかった。
赤々と光る木々を見るなり、寮のロビーにいた智恵は駆け出した。本部棟から校舎、そして校庭の脇に建てられた施設が炎に包まれていた。この長船きっての技術の英知を集めた研究棟が赤々と黒煙を吹き出している。
「ちぃねぇ!」
三つのケースを抱える美炎が炎の中から飛び出し、それに続くように何かから間合いを離さんとミルヤも研究棟から出てきた。
「美炎ちゃん、これは!」
「み、ミルヤさんが……研究棟に入る人影を見たから……確かめに行って」
「襲われたのね? あの男に」
カンカン帽を被り、白いジャケットについた灰を払う男のいかにも潔癖といった身とは裏腹に、その傷だらけの
「赤い……写シ?」
「刀使の皆さんを傷つけたくありません。その発掘された赤羽刀を渡してください」
「お断りします。この御刀は刀剣類管理局が預かった国の宝です。見も知らぬ人間においそれと渡しません」
「くくく、それもそうですね。では力づくで」
ミルヤが運べと叫んだと同時に変則的な斬りつけが彼女を追っていく。
男のそれは剣術ではない。だが、明らかに剣術の刀を振る全ての所作を理解している。
無鉄砲を装った玄人だ。ミルヤは汗ばみながら刃を反す。しかし、そうすればするほど手首や足首の写シに浅い斬りつけが加えられる。
「美炎ちゃん本部棟まで走って!」
「でもちぃねぇ、あれじゃ」
「遊ばれてる……ミルヤさんが」
飛び込んだ短い一閃が僅かに男を斬る。ミルヤは智恵と男の動きを見ながら、斬り込もうとするがあっさりと弾かれた。
(やはり、この二人はスタイルが似通っている。いけるか?)
「しかし」
智恵の低い姿勢の一撃を流し、手を取ると彼女の体を地面へと叩きつけた。
「たとえ独自に剣を編んだとて、編んだという意識さえあれば転び方が見えてくるものです」
ゆっくり歩み寄り、智恵の写シを切り払った。男の目線は本部棟へ駆ける美炎の姿を追った。ミルヤを無視し美炎を迅移のごとき速さで追いつき、彼女に手を伸ばした。
だが、その手には御刀のケースがない。
「這い寄るような気配で!」
下から突き上げるような切込みから、
「おお!」
赤い影が消え、男は背中から倒れ込んだ。
「清香! 今だよ」
ケースを持った六角清香は御刀を片手に迅移であっという間に二人の視界から消え去ろうとした。が、清香の胸にあの鵜ノ首が顔を出し滑り落ちた。
「どちらを見てるのですか」
男の合口が美炎の懐を切り刻み、写シが剝がれて膝をついてしまった。強烈な吐き気に襲われながら、清香へ手を伸ばした。
だが男は勤王刀を引き抜いて彼女の写シを引きはがすと、ケースを二つ持った。
「確かに頂きました。また殺しあいましょう」
ミルヤの迅移の一閃を避け、片足で蹴り転ばすと男は闇夜のなかへ飛び去って行った。
美炎は清香の傍に膝をつくと、意地らしく一つのケースを抱きしめる彼女の顔をみて安心した。
「清香、あいつ行っちゃったみたい」
「あんなことが、あるんですか」
「とーっても強かった! だから、だから悔しい」
「うん、ここまで完璧だったのに」
清香は支えて起こしてもらうと、鍵の破損したケースを慌てて置いた。ミルヤは半開きのケースから白い輝きが走るのを見るなり、何かに急かされるようにケースを開け放った。
「三人ともまずは応援を呼んでこな……い……と」
四人は戦慄した、昨夜まで錆だらけだった直刀が真っ新な鋼の輝きを見せている。昨夜の比にならぬほどの覇気を轟々と打ち放っている。赤羽刀にはありえないことが起きている。
「普通じゃない。ミルヤさん、これは本当に御刀なの?」
「それは」
わからない。わかるはずもない。古代刀が七支刀や七星剣のごとく力を取り戻したことはあった。だが、それは常識の範囲の能力しか持っていなかった。だからこそ、ミルヤははっきりと理解し、鑑定して見せた。
「まさか十束剣」
知恵は柄にもない空笑いをして、ミルヤの顔を覗き込んだ。
「嘘よね、今は失われた神代の御刀なんて言わないわよね」
「おやおや、木寅さんの鑑定眼はやはり素晴らしい」
衣服は炭で真っ黒になっているが、脇に抱えた資料がエミリーも必死であった事を匂わせた。
「純度、鍛錬の形跡ともに同年代の中国の神代刀に匹敵もしくはそれ以上の造り込みがなされている。現段階でそれ以上の御刀は日本創世期の十束剣以外にありえない。私の判断は間違っていなかった」
「でも渡邊さん、赤羽刀だったものから自力で復活したりできるの」
「できませんよ、一度半減した力は元に戻ることはあり得ません。しかしですね、その御刀に意思があって、触媒となるエネルギーが干渉し目覚めたとしたら」
エミリーは赤く燃える研究棟を見て微笑んだ。
「炎か」
「おそらく、御刀が作られた時、もしくは御刀にまつわる何かが炎なのでしょうね。しかし残念です。私の研究はここまで」
エミリーは書類の中から一冊のファイルを智恵に渡した。
「出向が今日の早朝なんです。後をお願いしますよ」
「待って渡邊さん」
「何ですかな安桜さん」
「持っていかれた後二本の御刀も意思があるのかな」
「それは、ありえるかもしれませんねぇ、確証はできかねますが」
エミリーの微笑みが不気味に揺らめいて見えた。
4、
やや霧がかかりながら明け方から降り出していた雨が鎌倉に降り続いていた。薫は本部近くの寮から出ると赤い傘を差した寿々花が遊撃隊の黒い制服を着て待っていた。
「おはようございます薫さん」
「おう、朝早くから熱心なこったな」
「長期の任務を預かった以上は、時間を有効活用しなくてはいけませんわ」
「ああ、だがその前に大社に参拝してからだ。行こう」
本部への出勤の人込みと部下たちの挨拶の中を歩みながら、遊撃隊の控え室で朝礼、それから薫はしばらく学業から離れざるをえないので、学長兼特祭隊総副司令である上司の真庭に書類を提出する。
「朱音様から口添えはもらっているが、あくまで欠席扱いだから頑張るんだぞ薫」
「そ、そんな、おっ鬼、悪魔、おばさん!」
「おばさん言うな!」
遊撃隊控え室に戻ってきた薫は、自身の机に置かれた学生証を数ページめくりため息をついた。
「いつも休暇を欲しがるのは補修が嫌だからですの?」
「その通り。土曜日が補修で埋まり、おまけに任務が飛び込んでこりゃあ補修は増える。タギツヒメの一件で余計にあるのに」
「五箇伝の生徒は任務の次は、学業が優先になりますもの、とうの私も現場に引っ張りだこで成績が落ちましたわ、それでも一般教養は何の問題もありません」
「まぁいいや、後でたっぷりと休暇をせしめればいいだけだ、ククク」
寿々花は書類にタブレット端末を持ち、席を立った。
「さぁ、外事課との面談時間が近づいてますから行きましょう。真希さん、後をお願いします」
「ああ、本部警備隊の応援も入るから心配いらないよ。ただ、先日のこともあるから重々気をつけて」
「おいおい、どっちに言っているんだい真希さんよ」
「二人にだよ。行ってらっしゃい」
「おう、行ってきます」
折神家邸近くの控え室から、管理局本部棟まで歩き、二階東棟の中ほどに外事課の執務室がある。この階はノロ回収に関する組織が部屋を連ねていたが、事件後の組織整理で解散となり、東棟二階は外事課を除いて部屋が使われていなかった。
「壮観だな」
薫を気にすることなく扉をノックした。
「どうぞ、お入りください」
一番奥の席に座る男が静かに立ち上がった。やや太く、重々しい瞼の下から瞳が輝いた。
「此花寿々花さんと益子薫さんですね。はじめましてお二人とも、私が外事課主任の大村勘太です」
応接の席に勧められながら、自身の席で仕事をする若い男が目についた。
「彼ですか、片桐君挨拶なさい」
彼は静かに立ち上がり無愛想に自分が片桐英充だと名乗ると、早々に着席してしまった。
「すみません、今はこの外事課は他組織の解散作業の最終段階で、あと一週間でこの外事課も解散ですから、殺気立っておるのですよ。なにせ、私は朱音様にたてついた男の息子でありますから、わははは」
長髪の女性職員が茶を置くと、勘太は一度軽く咳をしてみせた。
「それで、私めにどのような」
「ではまず、課長はご自身の父親である大村喜之助に反旗を挙げた理由を聞かせてください」
「私は父が紫様を利用し、権力の拡充を続けているように思われたのです。高津雪那学長の要請で各地にノロ回収の警備を錬府に任せていましたが、実のところは父の息がかかった地方警察の上層部が引き受けていました。紫様の権威は届くが、息は届かない場所に枝を伸ばしていきました。でも、タギツ姫復活の一件で一転、舞草に私はすぐに朱音様に従属する意思を示しましたが、父は明確な意思を示しませんでした」
「それは高津雪那学長が拠点を綾小路に移したことと、関係があるのですわね」
「そうです。父は高津学長を政治面で支援。総理への面会を取り付けたのも父の采配があったからです」
「ではその時、あなたは何をしていらしたのですか」
「職員とともに、父の命令を拒否し続けました。今までの仕事に正当性がなくなった以上、正式な処分が決定するまで我々は今まで行ってきた職務を放棄すべきだと確信しました。もちろん、書類の提出にも同意しました」
「ああ、俺が直接受け取ったからな、舞草の調査では書類に不備は見られなかった」
「では、つい直近まで彼が顧問として在籍を続けていたのですか」
「簡単には追い出せんのです。年功序列であります。父は以前、神社庁に勤務し刀剣類管理局の要望で出向してきました。おそらく朱音様は高津学長に手を貸していたことに気が付いていたでしょう。でも、外事課が侵食した組織と人脈を更生するには時間がかかります。解散させるには父があまりに権限を増やしすぎたのです」
「でも、後押しをする存在がいなくなれば権威拡大もそれまで、解散するまでの責任者さえいれば、大村喜之助の生死は関係ない」
「私はそのように責任をとることを自覚しています。父に反抗した以上は当然のことです」
「では貴方が職務放棄を宣言してから、本当に職員は一人も欠けずに職務放棄に参加したのですか」
「はい、一人としてかけることなく、父を除いた三人全員」
「そうですか、しかしあなた個人では本当に全員が信用に足るとお思いですか」
「そうと信じております。何せ父は書類作成以外の仕事を我々にさせませんでしたから、誰かを側近につけて、いや、先日の与党議員会館への会談の折に父に同行した者がいます」
「ここにいらっしゃいますか」
「いえ、父に関わった可能性があるとして自宅に謹慎処分しております。名は熱海樹、ノロの回収総量の統計を担当していました」
「その方にもお話を伺う必要がありますわね」
薫は手元の携帯電話から目を離し、口を開いた。
「あんたは本当に大村勘太なんだな」
「え、はい、そうです」
「ならいいんだ」
「では、お約束通りに職員名簿と提出前の勤務履歴を渡してもらえますか」
「はい、こちらに」
封筒が渡され、薫が書類の確認を行う間に寿々花は質問を続けた。
「現在、熱海さんと連絡を取ることは可能ですか」
「はい」
「では本日の夕方に自宅を訪れる旨を伝えてくださいますか」
「もちろん可能です。ではメールを送りますので少し席を離れます」
「ええ、お願いしますわ」
寿々花は茶を一口飲むと、薫の読み通す書類を覗き込んだ。
「大丈夫だろう」
「でも、朱音様は外事課を信用していませんわ」
「それは嫌でも精査することになるさ、次の奴が会うのが大変だから早々に行かなきゃよ」
「ですわね」
薫は書類を元通り封筒に戻すと寿々花に手渡した。
「お待たせしました。本人から速答で大丈夫であると返事が来ました」
「ありがとうございます。聞くべきことは全て聞かせていただきました。ご協力に感謝いたします」
「いえ、こちらこそお役に立てれば光栄です」
二人は大村勘太との握手をし、部屋を出た。
長い廊下から階段に差し掛かり、ようやく寿々花が口を開いた。
「気に入らないですわ」
「何がだい」
「あそこにいた誰もかも、スペクトラム計に反応は」
「いや、最新機でも反応はなかった。旧型のスペクトラム計は完全潜伏型の禍人を見つけられるらしいが、残っている旧型はタギツヒメが管理局を支配していたころにほぼ全て処分されたからな。司令に探してもらってはいるんだが」
「いたとしても、彼らを追及できる証拠はない。でも、大村喜之助の手足だったのは間違いないですわ、彼らはあくまで紫様から命令のあった事を放棄したに過ぎないのですもの」
「高津元学長と熱海という男性職員を問い正してから、もう一度だけ大村勘太とあの二人の職員を事情聴取しよう。どうせ俺らが事件を追っていることは管理局内に話が広がっているだろうからな、ただし指示した人間にはまだ噂程度のはずだ。それが効いてる間に手を打とう」
「ええ、それがいいですわね」
「寿々花さんよ、どうも俺らは刑事ドラマの主人公だな」
「悪い冗談はよしてください」
「ははは」