父を真似ての青のバンダナをつけた少女が紗耶香を正面に妙法村正をじっと見つめる。
「ひどいわね、こんな傷をつけるなんて」
「ごめんなさい」
砥ぎ師の青砥陽菜は慌てて首を横に振った。
「いえ、違うのよ。紗耶香さんは身を守るために仕方なくそうしたんだから、忌むべきは傷をつけた荒魂よね。でもそれにしては激しい傷跡だけど、そういうことだから、謝ることなんて一つもないよ」
白鞘に収めた村正を手に、作業場へ入ってきた湖衣姫学長の顔を見た。
「青砥さん、もういい頃合いやし。一人でやってみなさいな」
「わ、私が、よろしいのですか」
「私はええんやで? 腕は信用しとる。だけどこの御刀の主にも聞きなさいね」
紗耶香は気にしないと言い。暫しの深呼吸ののちに仕事は責任をもって果たすと、誓うように言って見せた。
そのやり取りを見て、湖衣姫は脇に置いていた御刀のケースを紗耶香の前に引き出した。まさかと思っていたのか紗耶香は首を傾げた。
「心配いらへんで、刀使の中には数振りの御刀に選ばれる刀使は珍しくないんや。それに実は良い反応を示しそうな御刀が一振ここに」
納め箱の錠を解き、既に赤銅色を基調とした拵えに納められた御刀が紗耶香へと手渡された。
彼女は御刀の声にこたえて、即座に写シを張った。
「あなたの二振り目の御刀、『
短めの打刀であり、村正よりも短いがそれを彼女は一切問題にしなかった。
赤銅色の柄に、重々しい金具に包まれた半太刀拵えの深い黒橡色の真新しい鞘、鍔はやや小さめでありながら、紅葉文様の小さな透かし彫りがなされている。
作業場に顔を出した呼吹とねねは、紗耶香の手にある打刀に目を凝らした。
「よぅ、新しい御刀を手にしたって話を聞いたんでな」
「呼吹、行こう」
「なんだ、急かすことはないだろう」
「高津先生が鎌倉に居るうちに会わなくちゃ」
「ネネっ!」
そう言って、御刀を懸架装置に取り付けた。
本部棟食堂。
今日のワンコインランチはチキンカツのトマトソースかけ定食。
白米、みそ汁、さらに小鉢がついて四百円。ただでさえ荒魂退治に学業、給料がもらえるとはいえ、中高生なのでお小遣い性の学生が多く、食費の管理が厳しい刀使は多い。なので彼女たちのために多少はエネルギーのあり、さらに五十円単位で白米を倍増できるオプション、小鉢を増やせるなど、意外と食べる彼女たちに向けたランチメニューが特徴的である。
もちろん、寿々花と薫もその例に漏れない刀使である。
寿々花は去年親衛隊になってから、自由になった金銭があるものの生活費は親から出ているものも少なくない。薫はまだ長船所属の学生であり、彼女はお小遣い制であり、後は食費しか出ない。
「でもな、貯金はあるんだよ、遊べるくらいの貯金が」
二人はともにランチメニューを頼み、薫だけライスが大盛りであった。
「遊び行く暇がないのですね」
「ああ、女学生は遊ぶもんだぜ、普通はよ」
「さぁ、私は刀使の使命に準じているだけですわ。その仕事の合間にささやかな休日を過ごせるなら、それ以上は望みようもないですわ」
「でもなぁ」
「別に時間は刀使でいる間だけではないですわ、重ねておくだけ損はない。時間も、経験も、信頼も、どれもかけがえのないものですもの」
「まったくその通りだ」
「ほぅ殊勝な心がけだな、薫」
「がく、いやおばさん」
「学長でいいんだよ、学長で」
薫の隣に座った真庭は、彼女も今日のランチメニューを頼んでいた。
「こんにちは真庭司令、ご機嫌いかがですか」
「まぁまぁだよ、政府内閣との和解も済んで、やることは多いがおおむね流れるに任せていいだろう。私はとにもかくにも、日々出てくる日本中の荒魂対策が本命だ。任せたわよ」
ある程度食べ終えると薫のプレートにカツを三切れ載せ、席を離れていった。薫はそれを当たり前のように口に運んだ。
「いい人ですわね」
「当たり前だ長船の親分だぞ、俺の先生だぞ」
「ふふふ、あなた方を見ていると飽きませんね」
「ん、何だって」
「何でもないですわ」
食事を終えると、時計を確認し湘南方面へと向かっていった。
「あなたたちが来るとはね。大方、大村喜之助のことね」
「お久しぶりです。まだ感は鈍っていないようですね」
湘南のやや奥へ行った住宅街に刀剣類管理局の職員家屋が並んでおり、錬府女学園の前学長である高津雪那はそこの一軒家で謹慎生活を送っている。未だに公安の監視がついているということもあってか、幹部であっても彼女に会うことは難しい。朱音がとりなしたものの面会時間は一時間しか与えられなかった。
「私はこうして歩けるようになったけれど、こうして結果が付いて回る以上は、大人しくしているのが朱音にとっても、真庭にも都合がいいわ」
とそこへインターホンが鳴り、雪那が開けた先に紗耶香と呼吹が立っていた。
「先生、
彼女はしばらく紗耶香の顔を見つめ、静かに頷いた。
「益子と此花も来ているから、あなたたちも話を聞きなさい」
部屋に通されると薫が嬉しそうに手招きした。そしてねねは彼女の頭に乗っかった。
「では、先ほど話にあった大村喜之助について」
「長い話になる。大事なことだけ話すわ」
「雪那さんにお任せしますわ」
「ありがとう」
大村喜之助は紫の元に就く前は、神社庁に所属していたというが実は所属したという書類は存在しない。彼がそう組織提出の経歴書類に書いていただけである。
彼は自ら折神紫を訪ね、自身のノロに対する見地の広さと話術を披露し、回収量はより組織的な拡大を必要とする旨をアピール。彼女を支配していたタギツヒメは何を考えたか彼を登用。
雪那の配下に置いたがその働きは異常なほどに順調に進んだ。
わずか半年の間に、五年かかって集めたノロの総量を上回り、上司である雪那は彼のおかげもあって急速に権限を拡大させていった。
しかし、ノロ流出事件を機に舞草に支配が移譲すると、雪那のタギツヒメに従属する姿勢に同意し、その人脈と彼の権限下の部下を総動員し、朱音への政治的締め付けと、総理への面会およびタギツヒメのメディア公開を成功させる。だがタギツヒメが隠世に押し込まれたことで、事態はあっさりと決着し、外事課と大村喜之助の権力喪失は決定的となった。
「あれから半年、大村喜之助はいったい何をしていたのです?」
「わからないわ。既に今の地位から落とされることは確実なのに、朱音を殺してまで管理局にしがみつき続ける理由。そもそも彼が紫様に近づいた理由も聞いたことがない。大村喜之助は結果を残すことで、それを隠れ蓑に組織で大きな力をもっていたわ」
「権力が目的じゃなければ、何が目的だったんだ。ん、ああ、そうか」
「薫さん、どうされましたの」
「喜之助は紫様に接触する前に、ノロを体内に取り込むことの効果を知っていたなら、わざわざノロの運搬と警備、それに書類作成に刀使を離した行為に説明がつく」
「それはおかしいわ、総量は紫様が厳格に管理していたわ」
「その紫様はタギツヒメで、雪那さん、あんたにも黙ってノロを奴に横流ししていたとしたら? もしくは鎌府の研究用のノロが第三者によって上前をはねられたとしたら」
考え込む雪那を横目に寿々花は薫に問いかけた。
「では、今のノロ回収関連組織の解散は逆効果とみてよろしいですの」
「間違いねぇな。偽装書類、裏帳簿が探しつくされ完全に処分されている可能性が高い。そして職員もノロを飲んで禍人になっている可能性もある。大村喜之助の目的はノロの入手だ」
「紗耶香、あなた湖衣姫から定時報告の書類を」
「預かってきています」
雪那はそれを広げるなり頭を抱えてよろめいた。
それもそうである。彼女は折神紫のためにノロを使うあらゆる研究を許可し、回収された赤羽刀やノロを研究施設に入れていた。ノロによる人体の強化、その兆候が明らかになったのは今から十四年前のある出来事がきっかけであった。
「出来事?」
「十四年前、関西から全国に展開する青子屋という暴力団が存在していた。彼らはノロの裏取引とノロの人体強化の実験をしていた。だが、内部でノロの人体強化の技術をめぐる抗争が起き、組織は内部と警察による外部の介入で瓦解した。私は大村喜之助の提案を容れてその研究をしていた人間を鎌府にスカウトしたわ」
「ふざけてやがる……」
「そしてここからは紗耶香と呼吹にも関係するわ。主任の有群誠一はノロと御刀の共鳴による人体の覚醒、『無念無想』計画を提言。承認した私は五人の候補を四人集めた。一人目は初代親衛隊のメンバーで任務中に亡くなった国府宮鶴、二人目は家弓花梨、三人目は播めぐみ、四人目に七之里呼吹、そして五人目の糸見紗耶香」
「そんな……どうして国府宮さんが!」
「寿々花さん、頼むから静かにしてくれ」
言いかけた言葉をひっこめた、薫の目線が雪那から離れ、その力んだ握りこぶしが小さく震えている。
「
「そして花梨はノロの干渉によって禍人化し、処分された。だが紗耶香は干渉を乗り越え」
紗耶香は身を震わせながら、首を横に振った。
「高津先生、りんおねぇさんのことだよね? おねぇさんは刀使をやめたって! そう」
「言ったわ、あなたからしがらみを除くために」
しばしの静寂を挟み、冷静さを取り戻した薫は力なく座る雪那に問いかけた。
「その有群って奴は今どこに」
「タギツヒメに付き従って、封印されてからは完全に消息が分からなくなったわ」
「そうか……高津さん、あんたは青子屋などの裏社会との関係は」
「ないわ、大村の真意を看破できなかった私が、十四年前に自壊した青子屋について知っていることは少ない。あるとすれば、組長の娘が元刀使ぐらいよ」
「そうか、なら過去の出来事を遡っていくしかあるまい」
未だに打ち震える紗耶香を横目に薫と寿々花は話を進めざる負えなかった。面会の時間は残り少ない。
「その前に私たちは外事課の一人に合わなくてはなりませんわ」
「罠、あるだろうな」
「それでも接触する利点はありますわ」
「あなた達、少しでも食べていきなさい。おにぎりになるけれど」
「雪那さん」
「謹慎中とはいえ、私も元は刀使よ。少しは手助けをさせてちょうだい」
あまりに真剣な彼女を見て、二人は苦笑いを浮かべた。
「本当に戦支度だこりゃあ」
「薫、私も行く」
「お前……わかったよ」
「四人とも、そこで聞いてなさい」
「ちょ! アタシも入るのかよ!」
手に塩をまぶし、まだ熱い白米を握り始めた。
「禍人は刀使がなったものと同様に強力な力を得る。それは御刀の神力さえもゆがませてしまう。夜見は御刀に選ばれなかった、それをノロの力で強引に服従させたわ。そして、刀使の能力を最大に持つものが出来なかった能力がある。荒魂の自己生成。紫様が実権を握られる前に出現していた禍人には増殖する特徴があったわ、夜見のように刀使から遠いほど、ノロが現出させる能力も多い」
「そして、侵食率も刀使以上。同じ量を摂取していたのにも関わらず、荒魂化の進行は夜見が圧倒的でしたわ」
「もしこれから会う男が禍人であったなら、ノロの特殊能力を宿している可能性が高い。くれぐれも用心して」
「その時は叩き押さえるまでさ」
「頼もしいわ、さぁできたわよ」
おにぎりが二個ずつ、浅漬けとインスタントの味噌汁が彼女たちの前に置かれた。
呼吹は大きくため息をついておにぎりを一つ手に取った。
「紗耶香」
彼女の隣に着いた雪那は言いにくそうに、だが押し出すように口を開いた。
「無念無想はまだ完成していない、完成の条件を伝えるわ」