名古屋名鉄百貨店の半地下になった食品フロアは、この地を往来する人々にとっては見慣れた場所である。この土地の銘菓・名品がそろい名古屋に来たらここで夕食を買っていくというのも珍しくない。電話に答えながら久しく見る名古屋の食べ物を見て回っていた。
「うん、じゃあ御座候の今川焼、みんなの分買っていくね、じゃ後でねお父さん」
兄もたんと食べるだろうと八個買い、表へ出ると長い包みを持った赤い髪の少女が高島屋の高いビルを見上げていた。そんなに珍しいものなのだろうかと可奈美も首を伸ばしてビルを見上げると、少女はなぜなのと可奈美に問いかけた。
「わからない、なんでだろう」
「ここに生きとし生きる限り、人なるものは生存空間の合理性を天に向けるのか。この下を通る電車なるものもそうだ。いつもこれだけ得て、これほどのものを築いて、なお命は求めるのか、私にはわからない」
「んー」
何かを思いついて今川焼を一つ少女に差し出した。
「生きることを求めるからじゃないかな?」
出来立ての今川焼を半分に分けると香ばしい香りが立ち、少女の目が輝いた。
「こ、これは?」
「今川焼、つぶあんが一番おいしいの!」
一口食べると、夢中になって食べ終え、可奈美が差し出したもう半分もあっという間に食べつくした。
「美味だ。なるほど、求めてしまう性なのだな。名は何という?私はヲノツチだ」
「衛藤可奈美、変わった名前だね」
「名は単純が良い、今の者は華美に過ぎる」
ヲノツチは可奈美をじっと見つめ、その手の長い包みで地を叩いた。その瞬間、熱いものが可奈美の前身をするりと抜けた。目を点にしてヲノツチの顔をじっと見つめた。
「ほぅ、こんな所で精霊の卵を見るとは…心配いらん至って健やか、失うものは何もない。むしろ得たいものが手に入るやもしれん」
「でも、みんな大変なのに一人で抜けていっていいのかな。私にしかできないことがあるのかもしれない。でも、私は刀使としてみんなと居たい。ごめん、何を言ってるんだろうね」
「時には孤独になる。それが共にあるということでもあるぞ」
再び包みで地を叩くと、軽やかに駆け出す。それは風そのものであった。可奈美はその奇妙な光景をただ見送るしかなかった。
ホテルニュー酒田の三階奥の部屋に入り込むなり、薫とねねは布団に飛び込んでしばらく動かなくなった。
「昨日は日付が変わるまで、今朝は六時起床に電車移動ばかり、祢々切丸を持ってきているから、余計に疲れたし、だるい」
「夕飯を取りましょうか、幸い明日の朝まで今日は自由ですわ」
「なるほど、そうだな、ご飯を食べに行こう」
暗くなった市街を歩きながら、小さな飲み街を通り過ぎた場所に、暖簾がかけられた山形ラーメンの店を見つけた。さすがに祢々切丸は店に入らなかったので、店先に縛り付けてもらった。
「すみません、私の大太刀を店先に置いてしまって」
「いいんだよ、刀使さんが来るなんて縁起がいいってもんさ」
注文を済まし、暫しの待ち時間を静かにしていた。
「そういえば、こうして敵同士だった相手がこうして食卓を並べるなんて、不思議なこともありますわね」
「刀使は家族さ、そこに余計な理屈も必要ないんだよ」
「ふふ、薫さんらしいですわ。薫さん、年はいくつにおなりますか」
「ん、なんだよ質問ばかり、あと二日たてば十六歳だよ」
「それはめでたいですわね」
「なるほど、衰えが始まってんだな」
寿々花はコップの水を一口飲んだ。
「そうですわ、医師の検査では本来はあと二、三年もしくは遅くて七年が刀使であることの限界といわれましたけれど、ノロによって肉体の損傷が激しくないものの、力を引き出す神経器官が限界に近付いているそうですわ」
「もって、何年だ」
「長くて、一年半。もっと早く終わるかもしれないと宣告されましたわ。ノロを取り込むことのリスクは、ノロを取り除いてなお続いている。次は何が起こるのやら、少し怖いですわ」
「誰か、他には話したのか」
「いいえ、貴女が初めてですわ」
「そうか」
寿々花はねねを抱き寄せると、ほほを近づけた。
「あの時、本当に間違いを正すべきは親衛隊の仕事でしたのに、少しずつ刀使から離れていくことに焦りを感じてしまった。そうしてしまったら、あこがれていた背中に届かなくなる。以前の私は無謀ばかりでしたわ」
「でも刀使であり続けなくても道はある。そうだろ」
「そうです。確かにがむしゃらだったけれど、自分の行いの全てが間違いではないと、ようやく振り返ることができましたわ」
「どれもこれも明日に繋がっている。此花さんが自分の信念に従って生きていることは、俺だけじゃなくみんなが知っていることだ。気にするな、俺が言ってやれるのはそれだけだ」
「ありがとう、話して気が楽になりましたわ。それにしても、薫さんは本当に面倒見がよろしいのね。遊撃隊隊員のことをよく見てますわ」
「柄じゃねぇ、と言いたいが、どいつもこいつも自分から突っ込んで行っちまうからな、誰かが重しになって一歩引かせねぇとすぐに道に迷っちまう。
ほおっておけねぇんだよ、ヒーローみたいなやつばかりだからな」
「なら、私も薫さんのお世話に預かり続けるとしましょう」
「望むところさ」
店主が二杯のラーメンとねねのために茶碗ラーメンを用意してくれた。
「たんと召し上がれ」
寿々花は中華そば、薫は変わりものである、あんかけラーメンであった。
二人は静かに食事をしている間、事態は新たな進展を始めていた。
「んーわけが分からないよぉ」
「そうね、いくら十束剣といっても時代によって解釈がばらばらだから一振りの剣を指すのか、それとも同じ時代に存在した同じ力を持った剣の全体を示す呼称なのか、どれ一つとして確証がないわ」
美炎、知恵、ミルヤ、清香の四人は長船の図書から関係のありそうな神話や伝承の記録を確認する。しかしこれと言って三本の御刀を封じる理由は分からない。
「もう一振りの直刀は草薙ではと仮定して、もう一振りの鉄剣が不可解ですね」
「草薙の剣は一度後世に失われているけれど、その失われた剣も草薙剣の本物とは限らなくて、写真に撮ったこの刀の象嵌にヤマタノオロチの尻尾から出たって書かれているんですよね」
「おそらく御刀を依り代にした荒魂。そこから出た赤羽刀を刀に直したのが本当の草薙剣。そう考えられます」
「じゃあこの剣は?」
「彫金は秦代のもの、でも装飾のデザインが明らかに商・周時代のもの」
「しょーしゅー?」
「古代黄河流域に出た中夏文明の王朝よ。あれ、先週世界史の小テストがあったって」
「あははは…赤点でした」
「調査隊のエース失格ですね、私がこんど教えて差し上げましょう」
「ど、どうかお手柔らかにお願いしますぅ~」
みんなして笑ったところで、ミルヤはもう一度十束剣をこの目で確認しようと提案した。
「実物にはまだヒントがあるかもしれません。それに、確かめたいことがあります」
「確かめたいこと?」
長船の研究棟が燃えてしまったが、地下の御刀の保管庫は無事であり、警備員の何重ものロック解除を抜けてようやく十束剣の保管庫に入った。長船所属の神官が長船の上級生の警護のもとに管理室へと刀を収めた箱が運ばれてきた。ミルヤが調査隊の責任者としてタブレットに署名し、開錠。昨夜も見たまばゆい輝きを放つ御刀が目の前にあった。
「安桜美炎さん」
「はい」
彼女は白手袋をすると、十束剣に手を触れた。その瞬間、視界が消し飛び暗闇に光彩を放ちながら波が美炎の意識を駆け抜ける。
何が起きたのかも判然としない。しかし、心に触れる暖かなぬくもりに気づき、その存在を見据えんと手を伸ばした。
長く美しい赤の髪の女性が美炎の意識にはっきりと姿かたちとなって表れた。
「わかるよ、このあたたかさ」
「私にもわかります…輝く珠鋼の意思が、あなたの優しさが…」
「清光が」
「はい、私の声に答えてくださったのもその方です」
動きの止まった美炎の髪が赤々と輝き出し、十束剣から小さな炎が現れた。
「あ、あなたの名前は、ホムラノチ、ホノカグツチから生まれし、炎の子」
「ホムラノチ…それが御刀の神力の正体か」
ミルヤの感嘆とは裏腹にホムラノチは美炎に願った。
「止めてほしい?鬼八を?わかったよ」
小さな炎は美炎の胸に入り、力が収まった途端彼女は崩れ落ちるように倒れた。十束剣から発せられていたまばゆい輝きはなくなり、他の御刀と変わらぬ状態になった。
「美炎ちゃん、美炎ちゃん!」
知恵の問いかけに美炎は大丈夫だと答えた。
翌朝、ホテル二階のレストランで食事を終えると、徒歩で海岸側へと歩いて向かった。日本海が僅かに望むことができる高台に、やや大きな母屋づくりの家屋が顔を出した。
「ここだな」
表札には『加瀬』の文字がはっきりと書かれていた。
「ごめんください。連絡を入れていた此花寿々花です」
「いらっしゃい、わざわざ酒田までご足労ありがとうございます。どうぞ、上がってください」
客間に通された二人は、改めて加瀬多美子と面することとなった。
さすがに育ちの良さからか、赤い長い髪を後ろに一つまとめた、すっきりとした面持ちである。先日の時には茶を出したこと以外に、気に留めることもしなかった。
右腕の包帯も昨夜の用事とやらのだろう。
「加瀬さんは、以前は刀使だったのですか」
「はい、錬府で剣を習い、卒業後は御刀を手に青森、新潟、そして本部で刀使として任務にあたり、力が衰えたので本部職員となり、外事課に配属されました」
「主任であった大村喜之助から、どのような任務を仰せつかっていましたか」
「喜之助さんからは、ノロ回収に関する書類統括の任を与えられました」
「その書類とは具体的に」
「主に、神社庁への収容要請の認証書類、各社の収容同意書、収容するノロの容量と、回収後のノロ量の確認書類。それらを確認した帳簿を作成、片桐さんが数字の最終確認とデーターベースの確保、そして紫様への報告用書類を作成していました」
「では、解散令が出されてからの書類は」
「六つあったノロ回収関連の組織で既に解散したのは、運搬部、警護部、専門の財務部、保管に関する研究。
それらを解散させるにあたって、人事部は先の言った順番で解散を進めました。そして、これが一番難物でしたね。それらの職務書類製作を外事課が引き受けることになったのです。既に人事部は管理局人事部に吸収されていたので、異動者の書類を往還するのも外事課の仕事でしたから、私だけは過去書類の回収数値を一冊にまとめ、上層部への提出要求通りの書類を作成するのが仕事でした。結局、書類が完成したのは退職する当日でした」
「なるほど、加瀬さんは退職するまでずっと書類作成に追われていたのですね」
「そうです」
薫は話に耳を傾けながら、必死にノートに話の全てを書き込んでいる。
「加瀬さんはなぜ退職を選んだのですか、まだ管理局内でその能力を生かせたでしょうに」
「私個人の贖罪のためです。折神紫様がタギツヒメに支配されていたことも知らず、自身の全能力を尽くしてノロを全集約する手助けをしてしまいました。テレビで事件の全貌が報道されていました。それまで、なぜタギツヒメが復活したのかも知りませんでした。もちろん他部署の同僚から引き留められましたが、私は退職を決意したのです」
二人は彼女の言葉から怪しさを感じることはできなかった。それどころか、勘太が離さなかった組織の詳細な構造や、人間関係までこと細かく証言。
彼女は大村喜之助から意図的に距離を置かれた、事務員の一人でしかなかった。
それもあってか、喜之助の側近であった熱海について、あくまで仕事上の同僚であり、彼個人が誰に忠誠を誓っていたのかは知らなかった。
「では最後になりますが、書類の原本はどちらに」
「全て、外事課の倉庫に置かれています。解散時の統括された他部署の書類もすべてそこにあります。場所は東棟二階、外事課執務室のある建物の一番奥です」
寿々花は薫が最後のメモを走らせ終えると、ゆっくりと頷いた。
「ありがとうございます。これで聴取は終わりです」
「お役に立てそうですか」
「おそらく、事件の全容解剖に一歩進みましたわ」
「そう、私もこうして二十五になるけれど、後輩たちの世話ができるのは本当にうれしいわ」
「それでは、私たちは急いで鎌倉に戻らなければいけません」
「あら、大変。荷物は大丈夫なの」
「まだ、ホテルに預けたままで」
「うちから車を出しましょう。あなた大太刀持ってきたのでしょ?大丈夫、商売用のトラックがあるからそれに乗せてあげる」
「加瀬さん、あなたのおうちは何を生業に」
「基本的には雑貨商だけど、分家が山形で色々な商売をしているものだから、正直何でも屋の性格が強いのよ、明治の中頃までは船の荷を中継する仕事だったそうよ」
「そうですの、家族はさぞにぎやかなのでしょうね」
「本当にそうで、年末年始はこの家が人で埋め尽くされますから、爺や、トラック出してちょうだい。この二人を駅まで送るわ、途中のホテルで荷物も拾うから」
「かしこまりました」
「加瀬さん、本当に申し訳ないです」
右腕を横へ振った彼女は自然とほほ笑んだ。
「気にしないの、気にしない。私はこの土地でいい人を見つけて、静かに人生を生きるとするわ。また気が向いたら遊びに来なさい」
「ところでその腕は」
「ああ、これ?昨日、加瀬家の武術を志している人を訪れた時、お庭のワンちゃんに嚙まれてしまったの、この通り問題ないわ」
「なら、いいですわ」
森の奥深く、そこへいざなわれるようにカンカン帽を被った男は二振りのケースを手にしていた。
朽ちた小さな社にやさしい橙の輝きが内から外へと流れ込んだ。
「田中藤次か、全ての回収はできなかったのか?」
「ヲノツチ様、申し訳ございません。十束剣は」
ケースを開け放ち、彼女に見えるように差し出した。
「ならよい、この八千矛と草薙に分景があれば往時の力の半分は出せよう。して何を願う?我の果たすべき使命がお前たちに何の理がある?」
祠の裏から顔を出した眼鏡の女が、ただ一言だけ結果のみと言った。
「結果?おぬしは全ての答えを得たろうに、まだ何かあるのか?お前の体はとうの昔に壊れておろうに」
「いいえ、まだ一つ、私が惰性を得続ける理由がございます」
その得体のしれぬ微笑みとは逆に、ヲノツチは彼女から空しさを感じていた。
「好きにすればよい」
分景と呼んだ鉄剣を手にすると、彼女の手から炎が起こり、錆はあっという間に消し飛び、精緻な彫金が姿を現した。
「うむ、青子屋篠子よ。保険をかける。人が作り出した神を目覚めさせ、隠世の扉を開けさせよ」
「はい、向野、家弓」
森の中から肉付きの良い男と白い髪の家弓花梨が現れた。
「糸見紗耶香を進化させろ」
向野という男は素直に頭を下げたが、花梨は頑なに動かない。
「私は紗耶香に力を使わせないために、あなたたちに協力している。だからこそ殺すことも」
「でも情は動いた。ある者が言っていた。人は生きることを求めると、ならお前の妹がどういう存在であるか、その妹にも妹の周りに居つく者にも知らしめてやれば良いのではないかな?私は扉が開けばよい、閉じてしまうものに興味はない。お前にとっても、私にとっても良い機会となせ家弓花梨」
花梨は渋々と頭を下げた。
だがヲノツチは満足そうに頷き、祠の向こう側にある高く雲を煙らせる山を見上げた。
「もうすぐですよ、母様よ」