~結芽錯綜記~   作:ひろつかさ(旧・白寅Ⅰ号)

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第十二話「横浜」

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 あれから一週間がたった。新宿は翌日には復旧し、今となっては事件は過去のことであると言わんばかりに世間の頭からすっかり消えていた。

 

 結芽は頬杖を突きながら、目の前に広がる数字の羅列を、ぶっきらぼうに見る。

「それでこの公式は、二つの公式に分かれるので、一回で解けなかったら手間はかかるけど二つに分けて計算してもいいですね」

「ねぇ彦」

「はいはい、あと二十分。文句が言いたいならこれを解いてください」

 結芽はやけになって指された問題を計算し、

「できた」

 そう言って目をつむった。

「んー、惜しいですね。ここは引き算ですよ」

「ええ」

「さ、途中から」

 鉛筆を持ち、下で計算直しを示すと、彦は満足そうに首を縦に振った。

「よろしいでしょう。でも今のようなニアミスは厳禁ですよ」

「はーっい」

「じゃ、約束通りに文句を聞きましょうか」

「なんで自衛隊に来てまで勉強しなくちゃいけないの」

「まぁ、子供も大人も一生勉強するからよ」

「でも」

「話は最後まで聞きなさい。自衛隊員だって戦車とか、軍艦とか、戦闘機とかを使うために使い方を勉強しなくちゃいけない。そして、私はちゃんと学びましたよっていう、証をもらわなくちゃいけない。あなた、飛び級したけど初等教育終わってないでしょ」

「うっ」

「それに中等教育も」

「ううっ」

「だからこそ、あなたはお勉強しなくちゃいけないんですよ。みんなに堂々と常識溢れる刀使と言うためにね」

「わかったよ」

「まぁ、剣は梅さんから、勉強は私から学べますから、そんじゃそこらの中学生に負けない学力は保証しますよ」

「でも、彦はそんなに色んなこと知っているのに、なんで特五に居るの。普通の刀使じゃダメだったの」

「……」

 笑顔でありながら寂し気な顔をする彦の顔を見て、答えを求める気にはならなかった。

「私は……ある人から逃げて来たんです。心から忠誠を誓った人から、怖くなって逃げたんですよ」

「そうなんだ」

「さぁ、話もここまでにして、今日は早めに終わりましょうか。お昼前には出かけるそうですよ」

「例の」

「そうです、横浜へ行きますよ!」

 

 

 横浜市港区は神奈川県の顔にして、海からの関東の顔でもある。

 そして国内でもある料理の殿堂として名高い場所、横浜中華街がある。

「結芽、中華街に来るの初めて」

「ほぅ、親衛隊に居たのに、美味しいものを食べてなかったのか」

「うっさい、任務に忙しくてとても行く暇はなかったもん。あたし神戸の出身だし」

「かかか、だろうよ。なら今日はいいもん食わしてやるよ、なぁ大尉」

「あまり高いところは勘弁してくれよ」

「よっし、同善軒に行こう」

 中華街の表通りの中では古い店の一つ、しかしひどく高いわけでもなく、観光客のみならず地元住民も気兼ねなく訪れる中華料理屋である。

 ここの名物はチャーハンとチャーシューの盛り合わせ。

 数種類のチャーハンは海鮮もの、肉類を扱ったそれでは上品かつ中華街らしい美味の料理である。

「えびがプリップリ、味付けもほど良くてやさしい食べごたえ」

「黒も、随分と舌が肥えて来ましたね」

「だっておいしいものは大好きなんだもん」

「そう言って、すぐに太るぞ」

「むー、なんで梅は意地悪なの」

「はいはい、チャーシューだぞ」

 口に運ばれた一切れを満足そうに食べる結芽を見て、梅はいつまでも笑っていた。

 

 

 深夜を回った倉庫街を一人の男が走っていく、

「はぁはぁ、はぁはぁ」

 時折聞こえる足音に吸い取られるように、少しずつペースが落ち込む。

「はぁはぁ、ひぃ、はぁ」

 行き止まりのフェンスにたどり着き、男は声を発することもできず崩れ落ちた。

「心配するな、すぐに終わる」

「ふ、ふざけるなよ」

 男は立ち上がると、腰のベルトから45口径のM1911拳銃を取り出した。

「こうしてここに逃げたのはお前を一人にするためだ。殺し屋・李狼将よ」

 体をフェンスに預け、両手でしっかりと構えられた拳銃が暗闇に潜む男へ指向した。

「心配はいらん」

「ふふ、お前さんもここまでだ」

 引き金を引こうとした瞬間、銃は宙を撃ち、腕ごと後ろへと放り投げられた。

 悲鳴が走り、銃がフェンスの向こう側へと消えた。

「日本には良い武術がある。お前はそれを知っておくべきだったな」

「まだ、だぜ」

 今度は背中に隠されていた脇差が空を斬った。

「くく、その通りだと思うぜ」

 その切っ先の輝きを見て、狼将は怪しく微笑んだ。

「では、気兼ねなく殺せるな」

 背中に負っていただろう薙刀が、鞘を振り払って僅かな光を受けて輝いた。

 その時、フェンスは裂かれ、男の頭上を刃が走った。

「そこっ」

 近間に入ったが、即座に石突が男の体を叩き、首を柄で殴り飛ばした。

「ああああああ」

 すかさず刃が首を跳ね飛ばすと、草むらを叩く音と共に水の流れる音が、いつまでも続いた。

「たわいもない、処理しろ」

 隠れていた男たちが肉体を回収し、痕跡を消していった。

 レンガ街のはるか奥で一連の光景を見ていた結芽は、ただひたすらに気配を消していた。

「黒、目標を確認、とんでもない凄腕」

「梅、こちらも確認。彦、お前気づかれているぞ」

「こちら彦、目標の視線指向を確認。これより迂回ポイントに向かいます」

 静かに、そして気配を消しながら動き始めた彼女は、装置に懸架した御刀を水平にし、奇襲に警戒した。

 そして彦は、サプレッサーを取り付けた89式改を構えながら、指定されたルートを静かに歩いていた。

 ついに足音が後ろから近付いてきた時、奴が近づいていることに気が付いた。

「この匂い、刀使か」

 背筋に悪寒が走った瞬間、振り返って銃弾を撃ち込んだ。

 だがライフルは脆くも機関部から一刀両断されて、地面にバラバラと崩れ落ちる音がした。

「違ったか」

 赤く禍々しい光を帯びた男は、その後悔にも似た憎悪を彦に向けた。

「死ね」

 振り下ろされた一撃にとっさに御刀を抜き、後ろに弾かれながらも一撃を凌いだ。

「くくく、ははは、あっははははははは」

 彦の御刀を手にする表情は万弁の笑みであった。

「いいね、いいね、私に御刀抜かせるなんて、いいよ、あんた」

 お互いに笑いながら、双方の得物を構えた。

 その刃渡り一尺八寸四分の派手な彫りがなされた御刀は、荒々しい兼房乱れが走っている。

「やはり刀使」

 彦は振り下ろされる左右の二連撃をあっさり避け、それどころか柄をいなしながら腕を斬り、突き殺さんと激しく狼将の懐に入ってきた。

「そうだ、これだ」

 赤い光が狼将の体を裂くように走り、突きに入ろうとしたその時、結芽の左逆袈裟切りが狼将の真横に入った。

「うぐっ、くかかか」

「いつまで戦ってるの? 行くよ!」

「じゃましないでよ、ったく」

 御刀を収めた彦は結芽と共に暗闇に消え去った。

 

 ────────────────────────

 

 ホテルの一室に集合した五人は、ラフな服装であれどその顔に不安を滲ませていた。

「調査した通り、禍人で間違いない。しかもある程度自我をコントロールしている」

「いいえ大尉、あれは自我とノロが一体になっていると思われます。私と同じように、ある共通の目的をもって禍人となっていると思われます」

「ふぅむ、彦。奴の目的は何だと思う」

「刀使だと思います。それも自分を探し出すであろう、実力のある刀使を待っているのだと思います」

「探し出して」

「戦いたいのだと、思います」

「彦」

「はい」

「笑って、いるぞ」

 彦はすぐさま口を塞ぎ込み、顔を伏せた。

「彦がそういうのなら間違いはないだろう」

「でも長。彦は御刀を抜くと強いのに、なんで銃ばっかりなの?」

「黒、こいつは御刀を握ると体内のノロが起こす殺人衝動を抑えられなくなるんだ。だから、最悪の場合にのみ御刀を抜かせるようにしている。お前も気をつけるんだ」

「えあたしも?」

「梅も然り、彦も、当然お前も、体内にノロを宿した人間はどうなるか、お前が一番よく知っているはずだ」

「親衛隊第三席、皐月夜見。あの方は高津雪那の証言から、彼女の強烈な意思が一点にあったからこそ肉体崩壊が起きなかったと考えられています。しかしそれが何かのきっかけでタガが外れれば、肉体がなくなるだけでは済まなくなるやもしれませんねぇ。どうか重々気をつけてくださいよ」

「りょ、諒解……」

 そうして梅がゆっくり口を開いた。

「でもこれであの殺し屋を祓う理由ができた」

「ああ、某中華マフィアの殺し屋『李 狼将』、奴はいつからかノロを摂取し、急激に実力をつけていった。今まで殺した裏世界の人間はざっと二百人あまり、所轄の報告書には噂話とメモ程度にしか書かれていなかったが、全てが事実であり、こいつは俺たちが払わなければならない荒魂と、言うわけだ」

「でも、出方が分からなきゃ祓えないよ、剣を合わせちゃったし、私ら刀使が目的なら待ち伏せしているかも」

「心配するな黒、そのために俺がいる」

 少佐は自信ありげに胸を張った。

 

 

 夜は明け、少佐から待機を言いつけられた三人の内、彦は部屋に閉じこもったままだった。

 仕方なく朝食を済ませて海洋公園へと梅と結芽は足を延ばした。

 海との柵に軽やかに座ると、梅は袂から小さな箱を取り出した。

「いいか」

「タバコ……まだ吸っている人がいるんだ」

「まぁな」

「好きにして」

「ありがとさん」

 喫煙用の廃殻入れを持ってきているあたりが、結芽には梅らしく感じた。

「気になるかい、彦のこと」

「まぁね」

 火を付け、一口すると彼女の唇を撫でるように煙が風に流されていった。彼女の髪の色によく似た灰色の煙だ。

「結芽はね、ずっとノロのお陰で少しだけ長く生きた。でも、それはノロを体に取り込んで、命を繋いだに過ぎなかった。私の周りには力を欲してノロを取り込んだ人、忠誠を示すために取り込んだ人、それをやるしか刀使でいられない人、それぞれに利用価値が違って、思うようにコントロールできなかった」

 結芽のさみしげな顔を横目に吸殻を灰皿に突っ込んだ。

「所詮はノロを飲んだだけの紛い物と」

「そう、私もそうだった。たった僅かな時間にすがる。紛い物の今」

「でも最強の剣士だって証明したんだろ」

「別にこだわってもいなかったよ。私は誰かの記憶でいたかった。忘れられないために嫌がれることも迷わずやった」

「でも、結果は」

「散々だった。かなねぇとの決着を付けられなかったし、寿々花おねぇさんに最後の止めをさせちゃった。ノロや荒魂に振り回されていたのは、私自身だった」

「でもこうして生き返った。その振り回してきた奴らを使って、あんたはどうしたい」

「そんなの決まっているよ」

 遊歩道に立った結芽は街の方へと体を向けた。

「私のしたいように生きる、今までに会った人たちと、これから出会う人たちと共に」

「ふふ、それは大層な望みだね」

「私もそう思う」

 

 ────────────────────────

 

 それは遡ること一か月前、彼女は一面ガラス張りの部屋で突然に目を覚ました。

 自分が何者か、自分がどうして死んだのか、何から何まで覚えていた。そして脇に立っていた灰色の髪の女は笑っていた。

「死んだはずなのに、手も足も顔もあるって顔ね」

「じゃあ、死んだんだ」

「死んだ。公にはそうなっている。ノロがあんたの体を再現しなければ、私もそう思っただろう」

「あなたは、誰なの」

 その問いに不敵な笑みを浮かべて答えた。

「防衛省第五特殊作戦班“禍狩”所属、コードネーム『梅』だ」

 梅は結芽に『禍人』つまり荒魂と化した人間になっていることを告げた。荒魂が自身の生存のために再現した『結芽もどき』であり、もう人として普通に生きていくことはできない。この場で死ぬか、禍人を狩ることを専門とした部隊『特五』に入るか、結芽に選択肢を与えた。

「知らないよ! なんでまた自分の生き死にを決めなくちゃいけないの、時間がなかったから、結芽は結芽の望めることをなしえたかっただけ、あんたみたいな、あたしを知らない奴に決めろなんて言われたくない!」

 結芽の顔に梅の拳が叩きつけられ、隙も無く襟を引っ張られた。

「ごちゃごちゃうるせぇよ、決めろよ、もうお前は化け物だろ? たとえその自覚がなくても、その結果をいずれにしてもその目で見たんだ。私も禍人だ。楽しいなぁ、化け物同士で相手も自分も生を否定するんだ、滑稽だろ?」

「ふざけんな」

「なんて言った」

 結芽の右こぶしが梅の顔を襲った。

「私は化け物じゃない! 禍人じゃない! あたしは人間なの! あんたと違って生きている人間だし、刀使だ! それを証明してやる」

「どうやって」

「特五っていうのに入って」

「ふふふ、はははは、ひひ、あははははは」

 その瞬間、梅の頭突きを正面から受けた結芽は強く壁に叩きつけられた。

「いいよ、雇おう」

 それから禍人を探し出し、その処理をする日々を送った。

 自衛隊は戦前から続いていたノロを使った実験の後処理をGHQなどを騙して活動を続け、今はアメリカなどからの支援を受けて禍人の発生とその原因を探る専門の部隊を作った。きっかけは相模湾大災厄以来、禍人に関する事件が減少したことに端を発しているらしいが、隊長である神尾篤紀大尉はそれ以上は答えなかった。

 禍人には刀使から外れた者が適任。扱いは悪くなかった、わざわざ自衛隊預かりの御刀『ソハヤノツルキウツスナリ』を渡されるほどだったが、自分自身に対する扱いは極端に低かった。

 

 

 

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