朝食の時間が終わっていたことに気付いた彦は、手持ち無沙汰にロビーに来ていた。
「彦」
かかった声に笑顔で振り向いた。
「黒ですね」
「あたり、ところで朝ごはんは食べた」
「あははは、寝過ごしてしまったようです」
「じゃあこれから朝ごはん食べがてら、稽古に行かない」
「え、稽古」
「そう稽古、御刀を使って。麿に部屋を取ってもらったの」
「それは」
「私が抑え込むんじゃあ不足なの」
「いえ、それなら私自身で抑えます」
「そうでなくっちゃ」
歩いてすぐの場所にフィットネスジムがあり、そこには刀使向けの小さな武道場が設けられている。
朝食を済ませた彦は、結芽のウォーミングアップを眺めながら、少しずつ体を慣らしていった。エミリーはカメラを三脚に立てながら、何か嬉しそうにニコニコとしている。
「ところでさ、彦の御刀は何て言うの」
「兼房作無銘ですよ」
偽装のバイオリンケースからでた御刀を素早く目の前に置いた。
「ソハヤノツルギよりも短いですから、長脇差とは言い難いですね」
「変わった拵えだね」
「これはですね突兵拵えと言って、西洋風の軍服が普及した幕末。長州や薩摩といった官軍となる上級の指揮官や馬上の人、それに銃を主に扱う兵士に普及したスタイルで、長さ主に脇差程度のもので、銃砲を扱う邪魔にならないよう、腰下に佩くスタイルで身に着けたのです。これは後に刀使の御刀懸架装置のモデルになったんですよ」
「うん、わかったよ、彦が刀好きだってことは」
彦は熱弁を振るっていたことに気が付いて、顔を赤くさせた。
「私は準備できたよ」
「私もすぐに、って麿は何をしているんですか……」
「いえいえお二人の動作から新装備開発の資料にしようと思いましてね。こう見えて専門は素材開発が専門なので」
「まぁいいんですけど」
道着ではなく、黒い戦闘服にベルトに固定した状態で結芽の前に立った。
結芽が写シを張った瞬間、目の玉を剥いた彦が懐から突きを放った。避けたのもつかの間、丁寧にかつ正確な突きが繰り返され、間合いを離す瞬間ができない。そして膝上からの写しが切られ、結芽のバランスが崩れた。
その余りに露骨な彦の笑顔を見て、結芽は不敵に笑った。右上段から走ったとどめの一振りが鍔によって流され、すぐさま構えられた右腕の逆切りが鞘に受け止められた。
腰を捻った結芽の脇から、突きが彦に走った。そして避けられたのを確認し、彦の写シを引き落した。
尻から崩れ落ちた彦が満足げに御刀から手を放すのを見て、結芽も御刀を収めた。
「はぁ、はぁ」
「ふふふ、なんだ、強いじゃないか黒」
「当たり前でしょ」
その時、写しの張っていない結芽に突きが走った。
(来た)
やや左に避けつつ柄頭で御刀をはたき落とし、彦を床に叩きつけて柄で後頭部を殴りつけた。
「がっ」
「手癖、悪っ!」
結芽は脇差を取り上げて、やや離れた場所に置いていた冷茶を一口飲んだ。
仰向けになった彦と目が合い、そして笑いあった。
「ひどいって話じゃないよ、もうあたしをめっためったに斬りさばきそうだった」
「ふふふ、でもね、そうやって私を押さえつけれたのは大尉さんとあなたくらいよ」
「そうだろうね。死ぬかと思っちゃった」
「え」
「死にたくないそう思っちゃった」
翌日、夜八時半。
高級四川料理店『杏花村』、二階の隅のテーブルで整った服装で席に座る特五の面々がいる。
「ここらのお偉いさんの話では、奴は三十年前に出稼ぎで日本に来た口で、不況になってからは帰る金がないので、都内のマフィアの鉄砲玉になった。それからは、運が良かったのか首を上げ続け、終いには実戦の技術さえも身に着けた」
「そんな奴が刀使やノロにどうして」
「一度だけ失敗したんだ。刀使に邪魔されてな」
「逆恨みか」
「いや、惚れたんだ」
「は」
結芽はエビを口に運びながら思わず言葉が出た。
神尾は遠い位置に家族と席に着いた老人の姿を確認した。
「何でも十年前、荒魂に目標を殺され、その恨みに荒魂を追い詰めるも逆転、殺されかけたその時、そこに一人のやたら強い刀使が現れて荒魂を片しちまったそうだ。狼将は隙を見て逃げたが、獲物を殺されなかったことを幹部に睨まれてリンチされた。そのうち奴は自分の得物を横取りし、自分を救った刀使を恨んだ」
「やっぱり恨んでるんじゃない」
「そして男は再び殺しに戻った時、こういったそうだ。あんたらや荒魂は終わらしてくれないが、次は刀使が終わらしてくれる。と」
「つまりは、私らに死への希望を見出す刀使の狂信者と、ほおっておかないかい」
「梅、俺も同じ意見だがそうはいかん。まるでそうなるように、奴の体内にはノロが居て、完全に結合しているのだからな」
「ふん、私らに餌を用意していたと」
「そういうことになる」
「ねぁ長、それならあいつは自力で荒魂を倒して、ノロを吸収していたの」
「それはな」
神尾の目に階段扉を開ける季節外れのウールコートに、ハットを被る男が目に留まった。
「来たぞ、平静を装え」
同時に無線のスイッチを入れた。
「こちら長、来たぞ」
狼将は老人の方に向かいながら、決して笑顔を絶やすことはなかった。
彼の前に立ち塞がったSPが二言ほど立ち去るように言った。
「かしこまりました」
そうしてSPの喉が割れ、まき散らしながら崩れた。血糊のかかった女性が叫んだ。
「人殺し」
騒然とするフロアを混乱に拍車をかけるように、SPの持っていたサブマシンガンが狼将に向けて火を噴いた。
銃声と人々の叫び声、逃げ惑う音と時折跳弾する音、暫くしてフロアは荒れ果てていた。
泣き叫んでいた女の子を机の下に引き込むと、結芽は静かにするように少女に言って、裏の階段から彼女を逃がした。
「手筈通り、老人は逃げた」
「ま、マフィアの巨魁だけどね」
「彦、やれ」
彦はバラクラバを被り、56式自動歩槍を構えた。
「89式の仇だ」
腰だめで乱射される銃弾はインテリア、狼将に放たれ続けた。
「おさ」
「二マガジン目を許可する。回れ」
素早く再装填を終えると、
今度は指切りによる疑似三点バーストで移動しながら狼将に当てていく。
しかし、三発ずつ受けていくごとに、笑顔から更に堀の深い笑顔へと変わっていく。彦はその不気味さに悪寒が走った。
「いつぞやは良かった、今夜はどうやって殺してくれる」
(気付いているよ、本当に)
最後の一発が撃ち放たれた瞬間、覆面をつけていない梅と結芽が御刀を構えて狼将の間合いに突っ込んだ。
「来たか」
コートが回るように脱がれ、それが結芽のほうに飛んだ瞬間、梅の怒号が飛んだ。
直感が体を引かせた瞬間、その大ぶりの斬りつけがコートを裂いた。
彼が手にするそれは、薙刀から短くした長巻であった。
「刀使が三人も、嬉しいね」
「へぇ、女の子と踊るのは好きなの」
「ええ、さぁどうぞ、私がリードして差し上げましょう」
「ご遠慮願うわ」
梅の重く、しかし正確な太刀筋が長巻の一撃一撃と拮抗する。
上段から、逆袈裟から、突きからの払い、互いに容赦のない打ち合いが続くが、
「うっ」
思わぬ位置から石突が、梅の腰を叩いた。
それを狙っていた結芽は、向かってきた切っ先を避けざる負えなかった。
大ぶりに横に流れた一振りが結芽の写しを斬り剥がした。
「うそ」
逃げるように間合いを離した二人は、あからさまに隙を見せる狼将に斬り込めない。
梅は汗を滲ませながら狼将に目を向けた。
踏み込んできた大ぶりの一撃を避けながら、長柄を抑え込みながら狼将の顔を見やった。
「こんなもんかい」
「ほぅ足りんか、男を裂かれていそうな女には足りんか」
「てめぇ」
梅は足で柄を押さえつけ、柄頭で何度も頭を殴りつけるが、彼は笑っていた。
すくい上げられた体は天地逆転し、両足の写しを斬り落とされた。
「梅―っ」
迅移を纏った突きは、その三度の突きと払いの一撃を一度に叩きつけ、狼将を壁へ押し付け、すぐさま間合いを離した。
梅は写しを張り直し、結芽と目くばせして同時に突っ込んだ。
彼は結芽に目標を移しながら、しつこく付きまとう梅の一撃を柄と刃で流していく、
結芽は一撃の重さが長柄に対して不十分であることを承知で、隙間なく払いと突きを繰り返す。
梅と結芽は徐々に間合いを詰めていく、焦った狼将は一番間合いの近い結芽を一振りで弾き飛ばし、梅の突きを受け止めた。
そして梅の御刀を強く握った。
「離してくれない、止めを打てないのだけど」
「それはできない」
だが、狼将の刀を掴んでいた左腕が吹き飛び、梅はノロになる肉片を払って、間合いを保った。
部屋の隅からゲパード対物ライフルを構える彦が、銃口を彼に向けていた。
「黒」
二回の瞬きに、間を置いた一回の瞬きに結芽はうなずいた。
「邪魔をするな」
一射目を斬り飛ばし、その勢いのまま脇から突っ込んできた梅を殴り飛ばす。
そして二射目が狼将の左股関節を撃ち抜いた。だが、その剛力が彦に向けて長巻を投げ飛ばした。
三射目が撃たれた瞬間、弾は長巻の刃を打ち砕き、狼将の体は急所の三点を正面から突かれていた。
「かかか、よき心地」
溶け落ちた体が、机に滴り落ち、やがて机の上を零れ落ちていった。
狼将の消えた机の上を、血振りし、納刀する結芽の姿がそこにあった。
「終わりたきゃ、自分で終わらせなよ。ほんと、迷惑」
大阪は心斎橋あたりにある、小さな刀剣店。
店にはたったひと振りの数打ち物の刀が飾られているだけであり、
客はおらず、ただひっそりとした暗い店内に女性が一人で古書を読んでいる。
「ほう、これは数打ち物の刀に見えるが、これは一文字派への特注の一振りだな」
女主人はその穏やかに透き通るような瞳を、刀の方に向けた。そこには、髪は荒く四方に走らせ、その割には髭を丁寧に剃り上げ、
のらりくらりとした気風とは別に、赤茶色の瞳が刀を見つめている。
「よく、こんなものが手に入ったな」
「骨董屋で無愛想に傘立てに差してあったわ、朽ちた拵えでね。刃は引かれていたから、主人が模擬刀か何かと勘違いしたのでしょうね」
「なまくらって呼んだら、四肢がバラバラになりそうだ」
「それにしても、珍しいわね。あなたがここに来るなんてね、金一」
年季の入った古いスーツの袖をまくり、ポケットからタバコの箱が顔を出していた。
「まぁな、篠子さんの顔を見に来たのと、ヲノツチ様の話を伺いに」
「嘘お付き、大方、新しい赤羽刀を探してくれと言うのでしょ」
「はは、バレてたか」
「止しときな、今時出てくる赤羽刀なんて大したものはないよ。いいのは全部管理局が持っている」
「おいおい、それじゃあ」
「でもいいのはあるよ」
「ほぅ」
篠子は彼を奥に案内すると、そこにはいくつもの封印がなされた箱が積み重なっていた。
そして彼の前に一つの箱を差し出した。
「一番古い赤羽刀でね、刀の来歴も飛びぬけて古い」
「おいおい、大丈夫なのかよ」
「何せ一千年もノロに封じられていたんだからね、江戸時代に荒魂が倒された地で発見されて、ずっとその地の名家に伝わっていたものが、値段を着けられないって最近、私が買い取ったもんさ」
封印を切ると、箱の中には一振りの直刀が姿を現した。その刀から伝わる力の強さに、金一は自然とはにかんだ。
「大当たりだ」
「なら、蘇生させたこいつをあんたにやろう」
「ただじゃないな」
箱を金一へ差し出すと、篠子は別のさらに小さな箱を持ち出した。
「五日前、私が実験台にアンプルを渡していた奴が、刀使に斬られた」
「ふぅん」
「奴は既に三件の家に強盗に入って、少なくとも十二人は殺していた。それで尻尾を掴まれるなら奴のヘマだから気にしない。でも、今度のはノロの運び屋も殺された。これはノロを渡していた中国マフィアの殺し屋も同じだった」
興味がないと言いたげに直刀の刃を丹念に観察した。
「篠子の姐さんがヲノツチにご執心なのに気づいている」
「もしかしたらね、私が興味あるのはその二人を斬った奴さ」
小さな箱から出てきた写真の数々に驚きながら、少し笑った。
「恵実か」
「あと、こいつが恵実の娘だ」
「はは、生きてたか」
「ただ刀剣類管理局を揺さぶって、目線をヲノツチ様に向けようとしているのは面白くない。猿吉の内部工作は完全に失敗している。自分の政治的ミスを私への忠誠と言ってごまかす」
「じゃあ切り捨てるんだな」
「ええ、せいぜい時間を稼いで、恵実とその娘との決着の時間を用意してもらうわ」
「笑ってるぜ、嬉しそう」
篠子の黒い瞳が、時折赤く輝いた。