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朱音から大村勘太の遺体発見が伝えられたのは、退院して鎌倉の本部に戻ってからだった。神奈川県の横須賀で発見された彼の遺体は、顔を除いた胸部が引き裂かれ、遺体は赤黒く染まっていたという。
薫は不満げに口を真一文字に閉じた。
「これから何もかも聞き出そうって時にこれだ、初めから手詰まりがあったがな」
「でもはっきりしましたわ、大村勘太は禍人ではない。この事件の根幹に関して口封じをされたにせよ、ほぼ無関係の可能性が出てきましたわ」
「そう思うかい」
「全て、とは言い切れませんわ」
「クロと思われる人間はノロとなってしまったし、とりあえず大村勘太と喜之助のDNA照合が終わるまでやることがないな、ちくしょう」
「私の最初の疑問が正解を導くとは思えませんわ」
「そう思うが仕方ないさ、今は一から関係者にあたっていく以外に手はない。俺の感ではあるが、あの加瀬ってやつもクロだ。なぁねね」
「ネッ!」
ねねは加瀬多美子との会話中、薫の背に隠れて出てこなかった。それは、ねねが多美子から本能的に危険性を感じ取ったからに他ならなかった。
「ではまず人間関係と人相の照合、そして禍人であった人間の確認ですわね」
「念のためだが、加瀬の同僚だっていう職員も調べよう」
遊撃隊控室から本部へ向かう道すがら、舞衣が二人へと声をかけた。
「おう、もう大丈夫なのか」
「はい、あの時も写シを剥がされて気を失っていただけだから」
「そうか、で、紗耶香に会いに来たんだろ」
舞衣の心配そうな顔を見て薫は笑顔で心配ないと言って見せた。
「控室にいる。たまには一緒に買い物にでも行ってこい」
「それは隊長の許可? また真庭司令に小言を言われますよ」
「そうだな、じゃ」
舞衣と寿々花は互いの顔を見た。いつもの優しさのある悪態が返ってこない。それどころか増々直情的になっている。
ひたひたと進んでいく薫の背中を追いかけ、寿々花は不安になった。
控室に着いた舞衣は席で黙々と勉強する彼女の後ろに回り、目を隠した。
「だーれだ」
「わ、あ、舞衣」
「正解」
笑顔の紗耶香に安心し、バックから手作りクッキーを取り出した。
「一緒にお茶しよっか」
「うん」
舞衣の持ってきた紅茶を飲みながら、紗耶香は我慢しきれずに心配になっていることがあると言った。
「家弓花梨さんのこと」
「それもある、でも薫のことが一番心配。病院から退院してきてからいつも通りにするかと思ったら、いきなり寿々花さんと事件の調査に向かって、帰ってくるたびに口数が減って、なんというか怖いの」
「さっき私も薫ちゃんに会って、同じことを思ったの」
「薫、この事件から離れるべきじゃないかな」
「たぶん、いいえ、薫ちゃんならそういった曲がったことを許せないいから、今はこのまま支えるしかないと思う」
「うん」
だがその日の調査にも確証が得られず、寿々花は朱音に報告し終えると薫の姿がなかった。そこにはねねが泣きそうな顔で寿々花を見上げていた。
「ねねさん! どっちに行ったか分かりますか?」
彼女の肩に乗ったねねは尻尾で行く先を示した。
「もしかして海?」
江ノ電は鎌倉駅の地下道に差し掛かり、祢々切丸の位置をずらして下り始めると、そこには自分と同じ大太刀を佩く少女が立っている。
「山城か、今日は勘弁」
「益子薫」
由衣らしくない強い口調に薫は戸惑った。
「どうした?」
「とぼけないでよ! 妹の移った病院に荒魂が侵入したこと、私にわざと黙っていたって!」
「何言ってるんだ」
「あなたが隊長ならと信じた。でも仲間を動かすためにそうやって平気でうそをつく!」
「いま、なんて言った」
「何度でも言う、お前は嘘つきだ」
山城の目に輝く小さな赤い光に薫は気付かない。その光景を見ていた男は小さく笑みを浮かべた。
「その頭、叩き直してやる」
「どうやって?」
その瞬間、舗装と天井が地から天へ砕け舞い上がり、地下道が吹き飛んだ。土煙の中から蜻蛉の構えになった薫が倒れる人影に狙いを定めた。
「ダメですわ薫さん!」
彼女を抑えにかかった寿々花は、その力であっという間に振り落とされた。体格差をものともしない薫は寿々花を見下した。
「バカヤローッ、それでてめぇの気が晴れていいのか!」
ねねの尻尾の顔が喋り出し、抵抗する表の顔を噛みついて押さえつけた。
「ねね……」
「益子薫がこんな見え透いたことに踊らされるな! よく見ろ! そこにいるのは誰だ!」
振り返るとそこにはなぜかマネキンが転がっていた。
薫は崩れ落ち、拳を自身の頬に殴りつけた。そして頭上の惨状を見上げた。
「畜生……俺はどうしちまったんだ」
と荷物を持った美炎が薫を抱きしめた。突然のことに驚いたが、美炎の胸から輝く炎が薫に囁いた。
(この胸の中にあなたじゃない魂がいる。それを払いのけます)
小さな灯が薫の胸に入り、赤く歪んだ赤い影が背中から吐き出された。その影はうっすらと人の形になり薫を見た。
寿々花は怒気を込めて人影の名を叫んだ。
「大村喜之助!」
美炎の胸に灯が戻ると、彼女の後ろからミルヤ、智恵、清香に由衣が追いついてきた。
御刀を抜いた寿々花は切っ先をその赤い人影に向けた。
「ちぃ、なぜ見抜かれた。刀使程度ではワシを見つけることはできんはず」
「それは私とともにいる炎の精が写シから伝わる卑しい心に気付いたからだよ!」
「炎の精……! この世にはもうヲノツチ様だけのはず。ぐっうう、こうなれば」
赤い影の手先が鋭利になり薫へ襲い掛かったが、寿々花の太刀が影を三つに斬りさばいた。
「あなくちおしやァァァァァァァァァァァァァ!」
消し飛んだ影は霧となり、跡形もなく消え去った。
「……もうわけわからねぇよ」
薫はそう苦し気に悪態を吐いた。
局長室に集まったところで薫は小さく座っていた。
「本当に海を見に行っただけでしたのね!」
「はい、流木でも拾って打ち稽古でもしようかと」
「はぁ、全部薫さんだけで背負い込まないでください。紫様もそうでしたけれど、皆さんもう少し周りを頼ってほしいですわ」
「ごめんな、らしくねぇな」
「本当に、もう」
朱音の顔は厳しく、硬いものだった。
「薫さん、いつ大村勘太に会いましたか」
「昨年の秋近く、舞草が管理局を掌握したときです」
「では、先日あった時も同じ顔だったのですね」
「どういうことです」
「以前、慰霊祭の折に大村親子を写した記念写真です。あなたたちが会っていた男は大村勘太ではなく、片桐英充です」
「はっ?」
「なんですって」
「寿々花さんの報告にも疑問がありました。薫さんの証言と私が立ち会った事件当時の状況が合致しないのです」
朱音の見た事件状況は次のようであった。
自身に向かってくる大村喜之助を見て、薫が立ちはだかり止まるよう警告した。喜之助は冷静に邪魔だと言い刃を薫に向けた。
薫は即応で胴を斬ったが、勢いは止まらず切っ先は薫の額を撫で切り。約二秒の静止ののち、朱音のほうへ動き出した喜之助の胸を薫の脇差が一突きにし、彼はノロとなって溶け出していった。
「おかしい、反撃される前に突いたはず」
美炎の髪がにわかに赤く輝きだし、彼女でない声が薫に向けられた。
「あの写シは人の肉体にではなく、魂に写シを張っていた。それが薫さんの心で好き勝手に動いていたのです」
「炎の精だったか」
「はい、私はホムラノチ、ホノカグツチの分身です」
「だが俺は何もなかったぞ」
「では記憶を移し替えられていたことに今違和感がありますか、いなかったはずの仲間に出会ったり」
「山城だ。山城だと思ってたのに、そこにはマネキンがあった。俺はあの時から操られていた」
「いえ、怪しまれないように記憶を操作していたのでしょう。都合の悪いことを見させないために」
「ぐ、隊長失格だ」
薫は朱音の前に立つと深々と頭を下げた。
「申し訳ありません。血気にはやり仲間のことを忘れ、あまつや駅構内を破壊してしまいました。でも、たとえ隊長職を辞することになっても、事件解決に当たらせてください。お願いします」
彼女らしくない行動に朱音は満足げに頷いた。
「では罰として遊撃隊隊長の任期を完遂しなさい。事件にもこれまで通りに対応を」
「朱音様」
「意地の悪い、今あなた以上に隊長を務められる刀使はいません。あなたはまだ成長しているんです。こんなことでめげたりなんてしないでくださいよ? 益子薫隊長」
「はい……! ありがとうございます!」
顔をぬぐう薫の小さくも大きな背中を見て安心した寿々花は、厳しい表情に戻った。
「整理しましょう、もう一度全てを!」
局長の机を大きく広げ、そこに人物の写真とそれぞれの名前を配置、名前がメモできるよう大きめの紙を写真の下に敷いた。
そして、それぞれの認識や証言を照らし合わせ、組織の解散は一斉に行うものであったのが、外事課によって虱潰しに解散させられていたこと、書類の提出が暫時の指示が一括になっていたことが確認された。
「なんてことなの、私は重々確認を取ったはず」
「どこかのタイミングでもみ消されたんでしょう。必要とあれば喜之助の操作とやらも仕事する。片桐以外の外事課職員はみんな禍人なんだろう。本物の大村勘太は行方知れず、大方行先は察しがつくけどな」
「実は此花さん、益子さん、ここに私宛に送られてきた書類があります」
寿々花が封筒の中身を出すと、それは二人が見たノロの総量に関する別書類だった。そして書類にはノロと思われる液体も付着していた。そして手書きの見覚えのある字のメモもあった。
「時間が無かったので証拠を取ってきたよ。あとはよろしくね……か、あいつ」
「薫さん、これ」
智恵が指示した書類に目を見張った。
「ああ、各数量が事前に受け取った書類と数パーセント多い」
寿々花の持っていた書類と匿名の書類を比較、計算し、タギツヒメ時代に集積していた総量の約五パーセントも消えていることが判明した。そして、書類作成者のサインが加瀬多美子ではなく、境良美という別の職員が作成していた。
「さかい、よしみ、誰なんだ」
「調べましょう。私なら職員データーベースを持っていますから」
「お願いしますわ」
篠子は暗闇の中、受話器を取った。
「猿吉ね」
「親父がやられた。刀使が炎の精を得ている」
「ツチノヲ様の他にね。ふぅん、であの益子薫から引き出された喜之助はどうした」
「その場で切り捨てられた」
「そう、それだけ」
「ええ」
「嘘お付き、あんたら『禍狩』に見つかったろう?」
「それは」
「部下を殺して完全に隠れたつもりだろうけど、肝心な追っての処理に失敗している。私らより遥かに優秀な諜報員があんたをマークしている。いつも言ってるやろ? 追っては八の字に回って背後を取れと、でも状況を起こすのに夢中で背中も前もがら空きだった」
「篠子の姐さん、どうか」
彼女の眼鏡が赤い光に輝いた。
「気安く姐呼びするんじゃねぇ!犬の落とし前は犬がつけな」
回線を切ると、懐から小柄を投げやった。店の外で人が倒れた。
「こうやって、時々ネズミは払わないとねぇ」
革のジャケット来た男は深々と刺さる小柄を引き抜き、走り出そうとしたとき、頭上のカーブミラーに写る赤い光に戦慄した。
彼は小さなグロック42を引き抜いたが、手ごと体から切り離され、切っ先でへそ下を貫き持ち上げられた。
「がっ、うう」
「『禍狩』の捜査員さん、都合が悪いから店の中に入ってよ」
「てめぇは結城さんを、恵実さんを! 娘さんを! 仇だ! 仇!」
「うるさい」
もう一振りが喉笛をつらぬいた。店の中に押し入れると、血濡れた刀で腕を切り、流れた血が数匹の小さな荒魂となった。
「食べつくしなさい、骨の一本まで」