失ってもなお力を得続けることもある。
それは願いであり、記憶、そして次の世界への鍵。
時は満ちる、かの者は願望を現実にするべく
時は満ちた、かの者たちと復活を祝して
時は満たす、かの者の心の器に涙酒を
心は最後まで通じていた、後は言えるかだ、思いの全てを
10、
ここは名古屋市内の陸自駐屯地にある広報事務所、だが表向きはそうであって内実は対禍人特化部隊『第五』特殊作戦班の拠点である。エミリーは自室の研究書類の間にタブレットを立て、ヘッドセットの回線を入れた。
「もしもし聞こえますか博士」
「ああ、感度良好。秘匿は十分かな」
「不要かと、なにせ『特五』御用達の専用回線から連絡していますので」
「ふむ、特五が急に協力的なったことに不安がある。一つ理由を聞きたい」
「慰霊祭ですよ。防衛省名義で参加して、刀使たちに秘蔵っ子たちをお披露目するんですよ。あともう一つありますよ」
「ぜひとも聞きたい」
あの大村喜之助率いる外事課を壊滅させ、特五が加瀬多美子から強奪した資料を折神朱音に送り付けた。そして幹部はようやく青子屋残党と民間流出ノロに目を向けるようになった。
「うちの大尉は念入りに準備してました。おそらく大村は内部から工作活動を展開し、残党の思う通りに追手の足が遅くなるのを期待した。実際に途中まで泳がせて、我々はばらまかれたノロと関係者の処理。そして管理局への熱烈なアピールをしました。全部、こちらのシナリオ通りに展開してます」
「なるほど、禍人の研究はタギツヒメが折神紫を使って管理局を掌握したと同時に停滞した。いや、わざと止まらせた。その代わりにノロを使った人体強化研究に邁進、その研究者に私もいた。そして有群も」
「有群誠一、六一才。在野のノロ研究者、実体は青子屋でノロを使った人体実験をしていた胡散臭い男。だが博士の構築したS装備理論実証に貢献し、ノロを干渉させることによる人体強化『密迹身』その完成形『無念無想』を成功させた。今は青子屋のブレーンとして荒魂と禍人の研究にご執心と考えられます」
「彼は優秀な科学者だが、人間の進化のためにはあらゆる犠牲を強いた男だった。私は彼の人を嫌っていたよ」
「そうでしょうね。で、まぁ大尉はこれからは刀剣類管理局に協力的に動いていくと思いますよ」
「なぜかな、今まで世間の裏で動いてきたのにも関わらず」
「大尉はノロと禍人の問題は、もはや一部隊が処理できる限度を越えつつあると考えています。それに青子屋残党の動機がいまいちはっきりしないことに業を煮やしているのも事実です」
「ふむ、時がきたという訳だな」
「そうと捉えています。それで今回の三人のノロ分布図と計量表です」
慣れた手つきでデータを送信すると、画面越しにふぅむとうなる声が聞こえた。
「ご苦労さま、また分析結果が出たら送ろう」
「はい、では我々『特五』は『舞草』とともにあります。大尉よりの伝言です」
「ん、『舞草』は君たちと共に」
通信が切れると、後ろに立つ神尾に目を向けた。
「準備は整いました。それで許可は下さるんですか?」
「ああ、新型S装備の製作を許可する」
「ありがとうございます!」
エミリーはにやりと笑った。
鎌倉の管理局本部奥、折神家の御社にあるかつてのノロ貯蔵庫。ここは改装されてタギツヒメ級荒魂が来た時の隔離施設が置かれ、一面、白の壁面の大部屋、その中央にベットと机があった。
「そうなんだぞ、あいつはこっちが本やビデオやタブレット、色々持って行ってやるのに、決まってこれは私への罰のために不要です。って言うんだぞ! その人の善悪を知るためには、まずは行動を知ることって孔子さまも言ってたぞ!」
「まぁまぁ藤巻、あいつだって反省してるなら俺はいいことだと思うぞ」
「それはそうだけど! なんか! なんか!」
そうこう藤巻ちなみが言っているうちに隔離室の門前に着いた。
紗耶香はゆっくりと扉の前に歩を進めた。戻ってきた妙法村正は薫へと預けた。
「じゃあ俺と藤巻は隣でモニタリングしてるから、よろしくな」
「うん、行ってきます」
あの日から避け続けてきた。自分の過去にも、自分自身のこれからのことも、だけどもう逃げない。
扉が開くと、椅子にもたれ、その長い銀髪を床に垂らして目を閉じていた。
足音に気が付くと、静かに立ち上がった。
「紗耶香」
「本当にかりんおねぇちゃんなの?」
「そうだよ、でも髪は茶から真っ白になって、あの頃よりも細くなってしまったから」
「わたし、あの頃のこと覚えてるよ。両親がいなくなってから、施設に預けられて、空っぽだった私におねぇちゃんはいろんなことを教えてくれた。突き放そうとしても私の手を取って、時には真剣に怒ってくれた」
「紗耶香は生真面目で器用貧乏だから、よく知ってるよ」
表情の和んだ紗耶香は、トートバックからクッキーとお茶を取り出した。
「お茶にしよ」
紅茶を一口飲み、花梨の顔はひどく落ち着いていた。
「はじめからこうすればよかったね。自分が自分を追い詰めてばかりで、大切な人の声に傾けようとしてこなかった。私にあの人が言ったの、わからずやって、本当にそうだった」
クッキーを一枚手にし食した。
「あらおいしい。あなたが焼いたの?」
「その舞衣が焼いてくれたクッキーだよ」
「あの人が、舞衣さんって言うのね。私はもう逃げないわ、全てをあなたに教える」
「うん」
一年半前の赤羽にある鎌府の研究所、ここに管理局に適性があると判断された子供と刀使が集められた。一人目が途中で行方不明、候補者二名が適正値の低下で除外。ここに鎌府女学園高等一年の家弓花梨、鎌府への入学が決まっていた孤児の糸見紗耶香が選ばれ、それぞれ一号計画、二号計画に分けられた。一号はノロを直接注入し御刀の神力を干渉させて肉体の順応による覚醒促進、二号は赤羽刀にノロを干渉させそのエネルギーで人間の防衛本能を覚醒させる実験だった。
一号被験体の花梨は体内にノロを注入、御刀四本による祓いの効果は強力過ぎであり、髪は白く色は抜け、体も以前よりも痩せっぽちになり、無念無想を発動させることができるが、ノロを体内流し込み続けないと対ノロ能力が体内を破壊することが分かり、完全覚醒を果たすことは不可能と判断され、研究所地下の廃棄場にほぼ捨て置かれた。
彼の目的は人でタギツヒメ級の神的生命を生み出すこと、その器を満たせない私は用済みだった。
暗い個室で死を待つばかりの私にノロを分け与えたのは、御刀と荒魂の融合実験の末に生まれたスルガという荒魂だった。彼女は私たちの存在を弄ぶ刀剣類管理局とその首魁である折神紫を恨んだ。後にタギツヒメの存在を知り、奴をこそ憎んだ。私は容姿ゆえに動けないスルガの代わりに調査のために鎌府の研究所を探し、奴らを倒す方法を探した。
でもタギツヒメはスルガを処理し、研究施設はことごとく追手が回り、得たものはノロと御刀を融合させた『ディオブレイド』を手に入れたことだった。この際、あの高津雪那だけでも殺そう。でも、そう考えていた私はノロ不足となり森の中を這いまわった。その時だった、あのヲノツチ様に出会った。ヲノツチ様は神力で体内の対ノロ作用を抑え込み、ノロの服用が必要のない体にしてくれた。
「そして私はヲノツチ様の計画に乗り、そしてあなたの無念無想・神化を封じるために戦うと決めた」
「高津先生が言ってたノロを消化してエネルギーにする」
「ノロは絶対不滅の霊物、祓うことはあっても完全に殺すことは許されない。でも、あの有群はノロの神力をわが物にできる、ノロで人を進化させれると私を説得したわ」
「そしておねぇちゃんは」
「私は復讐とあなたの能力の悪用をさけるために、殺すことをいとわないと決心した」
「ねね!」
モニター越しに話を聞いていた薫が隔離室へと飛び込んだ。
「おいねね! 今いいところなんだ!」
ねねを追いかける薫に、あなたが益子の後継者かと尋ねた。
「そうだ」
「じゃああなたがねね、スルガが言っていたわ。この世には人と生きることを選んだ荒魂がいるって」
笑顔の花梨を見て薫は照れ臭げに頭を掻いた。
と、ちなみは扉を開けて椅子とカップを薫に手渡した。
「おい藤巻」
「あんなしんみりとした顔で控室に居ても邪魔、一緒にいるのが一番だゾ」
「ねねーっ」
振り向いた先で花梨はねねとあいさつしていた。薫はあきらめてカップと椅子を運んだ。
「やれやれ……」
カップを尻尾と手を器用に使ってお茶を飲むのを見て花梨は拍手した。
「実はな話聞いてたんだ。すまねぇ」
「いいんです。そうしてもらえたらと思ってましたから」
「それでおねぇちゃん」
「はい、ヲノツチ様のことね」
彼女は一転してカップの紅茶に写る自分の顔を見た。
富士樹海、このコンパスの効かない土地は古くから霊場として恐れ奉られてきた。
その奥地の人の来ない場所に忘れられた社が朽ちていた。
ヲノツチは包みをはぎ取り、二本の宝剣を地に突きたてた。
「炎の母 斬り落ちたるは 御富士山 われ恩讐 はたさぬべきや」
宝剣とヲノツチは宙を舞い、一気に富士山の火口に辿り着いた。その地中に入っていき、八千矛はヲノツチの強靭な炎に溶け出してその中から滴る琥珀色の矢が地の奥深くへと沈んでいく。八千矛は長い鉄剣に生まれ変わり、ノロは富士の火口の奥の奥へと沈む。
作業を終え、社に戻ってくると八千剣で木を切り、その樹皮を斬り剥がして四本の長柱を立てた。ヲノツチは力を込めて振り落とすと、朽ちた社は一瞬のうちに消し飛んだ。
「あともう少しだ。わが母、ホノカグツチを斬り裁いたイザナギ! 奴はこの大地となり高天原の神話を築いた! だが、そんなにも母を殺した子が憎かったか! 我が母を年端も行かぬうちに殺して満足か! なら私は母の分身として、貴様の築いたこの地を消す!」
「何言ってるんだ」
「ヲノツチ様は、神代の精、いわば私たちが神と呼んだ存在であり概念。すでに神とされた存在は世界そのものに順化してしまったが、ヲノツチ様はこの世界に復讐を果たすために生き永らえてきた。私はその復讐に賛同した」
薫はあからさまに取り乱しそうになり、ねねにほほを叩くように頼んだ。
「ねー、ねっ!」
両頬を強烈な打突が入り、痛みに涙をにじませながら花梨と紗耶香の顔を見た。
「嘘じゃない」
「ヲノツチ様は自分だけがこの世界を破壊する術を知り、生きとし生きる者に苦しみを知らせられると言っていた。そしてその儀式を完成させるためには、隠世と現世の干渉を去年の状態に戻す必要がある。そのために紗耶香を覚醒させ」
「こじ開けたのか」
「ならおねぇちゃんはなぜ私たちに」
お茶を飲み、静かに息を吸った。
「紗耶香がこの世界に残り続ける、私は構わないと思ってた。けど、私は私さえ救えないのに誰かを救うことができて? その現実を私は拒否した。もう十分に色んな人をを傷つけた。もうやめにしたいと思ったの」
「いいんだな、もう」
「はい、それにスルガからも、そしてねねさんにも、私はまた違った生き方があると教えてもらいましたから」
あの復讐に取りつかれた瞳はもうそこにはない。焦っていたのは誰か、それがようやく紗耶香にはわかった。
彼女との対面を終えた薫は朱音から新たな大荒魂『鬼八』の存在を示され、それを今は調査隊が追っていることを聞かされた。薫は逆に家弓花梨にもう敵意がないこと、そして『ヲノツチ』の存在を示した。二人の見解は一致していた、昨年の末と同規模、それ以上の災厄が起こる。そしてその収束の鍵は炎の精『ホムラノチ』にあると。