第二十一話「青子」
あれから2日後の翌深夜二時。
「黒、一太刀で決めろ」
ここは大阪府堺市市街の路地、六角棒を片手にとある住宅の前に立った覆面姿の男は
しばし周囲を見渡し、ゆっくりと門のノブに手を掛けた。
「駒込史郎、何をしている」
男は振り返って、それは誰なのかと尋ねた。
「自分の名前は名乗るためにあるのでしょ」
「いいや、名乗る必要はない。ここで死ぬのだから」
階段を降りる駒込の姿を見ると、結芽は足で隠していた御刀の切っ先を、
彼へと向けた。
飛び上がった駒込は、その棍棒を右手で高く振り上げた。
その一直線の動きを避けながら、続いて振られる横なぎも避けた。
(単純じゃないの)
結芽がしっかりとした足取りで斬りにかかろうとしたその時、
振りかぶる勢いを生かしながら、神速の突きが彼女に走った。
避ける術のない結芽は振り上げた御刀の柄を眼前に下げ、その重々しい突きを受けた。
柄の割れる音が響いたのも気にせず、結芽は即座に急所を突き、男はノロとなって溶けていった。
「こちら長、合流地点に向かえ」
「黒、諒解」
鞘に納めようとすると御刀は鍔鳴りを起こして、外れた目釘が地面に落ちた。
神戸長田区にある小さな旅館『松永』は、古くから刀使御用達の旅館であり、
素朴で安価でありながら、数日を要する任務に対応できるようにとの、
主人の心づかいが効いている。
鶴の紹介で結芽と神尾、そして鶴がここに泊まっていた。
「これはもう柄が駄目ですね。目釘が落ちたのもそれゆえでしょう」
広げられた御刀を手入れする結芽を見ながら、
駒込によって叩き割られた柄を手にした。
「もったいないですけど、目貫は使い物になりませんね。でも、縁から刀身側の金具には問題はありませんから、柄師に新調をお願いするといいでしょう。結芽さんは鞘の扱いが丁寧ですから、すぐに製作してもらえますよ」
「折神家の職人さんたちに、ニッカリ青江の拵えを作ってもらったように?」
「え」
「前の扱い手さんが、自分に合わせて金色の太刀拵えにしていたから、結芽の好みに合わなくて紫様が拵えの新調を許してくれたんだ。結芽好みのかわいい拵えにね」
「うん、あのね、それってどんな風な拵え」
「うん、鞘にはウサギさんや猫ちゃん、それにハートや桜を書いてもらって、鍔はクマさんの形にしてもらったんだ。金色の金具にはいっぱいお花を彫ってもらったよ」
「頭を抱える職人さんたちの顔が見えるよ、でもいいなぁ私は拵えの新調なんてさせてもらえなかったよ」
神尾は小さく咳をした。
「とにかく黒、ここは関西の拵師に預けよう」
「え、名古屋に帰るんじゃないの」
「まだ一つ、大事な用事が残っているんだ」
首を傾げた結芽は、持ってきた白木の柄に茎を留め、白鞘にゆっくりと御刀を納めた。
とある小さな霊園に、花束を手にする梅が、忘れ去られた一つの墓の前に座った。
墓石には『近衛武道館事件慰霊』と書かれていた。昼の陽もここだけは木陰で優しい光が差し込む。
「あなた、お義母さん、師匠、ただいま」
花を添えると、静かに手を合わせた。
「恵実か」
その聞き知った声に急いで振り向いた。
「相楽先輩」
梅はしばし花を手にした彼女に向き合ったが、目を離しその場を逃げようとした。
「待て」
相楽の怒りに満ちた顔が、自分に何を言わんとしているのか理解できた。
「結芽をお前の復讐に巻き込むな」
「それは結芽自身が決めることです。私は一人ででもあの三人を殺す」
「それが亡くなった結城さんへの顔向けか」
梅の真っ赤な瞳が、相楽を睨みつけた。
「結芽を救えなかったのは、あなたも同じです」
そう吐き捨てるように言うと、梅はそこを立ち去っていった。
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三日後、結芽は調査の合間を縫って、一人古巣である綾小路武芸学舎を訪れていた。
「結芽」
振り返った先に相楽学長が立っていた。
「遅―いっ、結芽は約束の十分前から待っていたんだよ」
「今はその十分後だろ」
「へへ、そうだよ」
「まったく、変わらないな」
やや物悲し気な気風ではあるものの、表に出して言う人でないこともあって結芽は何事もなかったように話を進めた。
「結芽のソハヤノツルギウツスナリはどこ」
「以前はここにいたのだぞ、刀匠課程だ」
教室棟の隣に立つ館は刀匠課程を学び、製作と研究をしていく棟であり、
棟には名の知られた近畿の刀匠たちも指導と製作のために、ここを拠点にしている。
三階右奥の拵師が工房を並べる廊下を二人は静かに歩む。
そしてたどり着いた工房の扉を叩いた。
「はい、どちら様でしょう」
出てきた痩せがちの男子生徒が相楽であることに気付くと、慌てて扉を開けた。
「高畑先生、学長がいらっしゃいました」
中に案内されると、背筋の固まったような目の真っすぐな男が二人に向いた。
「どうぞいらっしゃいましたね」
「はい、今日は彼女の御刀の事で」
「ソハヤノツルギウツスナリですね、どうぞ」
生徒の用意した椅子に腰を掛けると、高畑は御刀を納めたケースと拵えが一式そろえられた
台を目の前に置いた。
「燕さんでしたね、お久しぶりですね」
「五日前ですけどね」
「では、柄の方は完成しています」
「随分と早いですね」
「ええ、丁度大きな依頼が済んで手隙でありましたから、それにソハヤノツルギウツスナリとなれば神君家康公の御刀、私としては全力を傾けたくなるものです」
高畑は御刀を白鞘から取り出し、結芽に手伝ってもらいながら新たな柄に差し込んだ。
そして微調整を済まし、目釘を入れると御刀を結芽に差し出した。
柄は白鮫皮に平巻出で巻かれ、上品な小豆色に亀と鶴の目貫、鵐目にはあの獏の彫金がなされた以前のものが使われていた。
結芽は手にすると、そのあまりの手への親和性に驚いた。
「凄い、手が吸い付くみたい」
「二日前、あなたの握り手の癖を確認させてもらいました。以前の拵えは実戦用に用意したものだったのでしょうが、燕さんに合わせたものではないので完ぺきとは言えない状態でした。今回、貴女のお手に合わせて柄の形状、巻き方、そして長さからくるバランスを調整しました」
「これなら、どんな荒魂にだって負けない」
そして、結芽は鍔が変わっていることに気が付いた。
「燕だ」
やや小さめの丸鍔に二匹の燕が彫金された無骨でありながら、静やかな鍔である。
「その鍔は以前、刀使を引退された子が綾小路に御刀を返上するに際して、好きに使ってくれと拵えを一式譲り受けたのです。鍔はその方のものです」
「とってもいいと思う」
「では、実戦で使ってみましょう」
「え、もう」
「使ってみない事には、本当に体にあったかどうかは分かりませんからね。学長、お願いできますか」
「ええ、すぐに」
瀬戸内智恵と安桜美炎がとなりの柔道場で、複数の御刀を眼下に見ている脇を結芽は素通りし、板間に坐して正面に一礼。御刀を腰に差すと、ゆっくりと居合の動作から確認を始めた。
(気持ち軽くなっただけなのに、切っ先が真っすぐ私を引っ張る)
相楽は二人に話をしながら、共に結芽の型の演武を見ている。
「あの御刀、妙純傳持ソハヤノツルキウツスナリじゃない、それにあの子は燕結芽」
結芽の御刀の動きを二人は丹念に目で追った。
「え、あれはちぃねぇと同じ御刀なの?」
「正確には鎌倉時代の三池典太光世が作刀したと言われる、征夷大将軍坂上田村麻呂の佩刀、今ここにあるソハヤノツルキを写したとされる御刀よ。神君徳川家康公の御刀としても名高く、数百年もの間、家康公以外の使い手を選んでいない。だから自衛隊内の御社預かりって聞いたけれど」
「なぁ二人とも、結芽と立ち会ってみないか」
「え!」
「面白そうね」
「でもちぃねぇ、燕さんって親衛隊だったし、とっても強いよ」
「心配要らないわ、それに舞草の一員としてあの子には借りがあるしね。私が相手になります相楽学長」
「ああ、いいだろう」
結芽を呼び止めると、試合の立ち合いについて長船の瀬戸内智恵と話し、相楽が審判となって立ち合いを行うこととなった。
「双方礼、抜刀、写シ!」
ソハヤノツルギウツスナリがやや震えるように感じた結芽は、相手の御刀が縁のあるものだと理解した。
「備え!」
智恵の御刀は一尺四分ほど、小烏造りの諸刃の切っ先は、その御刀の古さをその身で伝えている。
「初め!」
結芽からの上段からの斬りつけをいなし、すぐさま走る突きを流しながら、右後ろに翻る。そこに迅移で背中に回りこんだ一閃が走るが、すぐさま峰で受けるふりをして結芽の左前方に避け、動きを確認しながら間合いを離しつつ霞の構えで即応の一太刀を受け止めた。
(待ってた)
智恵の返しが下りる瞬間、結芽は振り下ろされる腕を斬りにかかった。
(斬られる)
しかし結芽の横一閃はあまりに早く、智恵の紙一重手前を通り抜けていった。
そして返しの太刀が結芽の写シを斬った。
「そこまでっ」
結芽は静かに立ち上がり、元の位置に戻り礼をした。
「ちぃねぇ、勝っちゃった」
結芽は静かに御刀を抜くと、光に透かし輝かせた。
その傍らに背の高い智恵が共に御刀を見た。
「あなたの御刀もソハヤノツルキなのよね」
「え、そうだよ」
「私の御刀もソハヤノツルキなの」
智恵が並び見せるソハヤノツルキに、結芽のソハヤノツルギウツスナリが震えた。
「あなたの御刀は、私のソハヤノツルキを名工光世が写した御刀」
「だから、ウツスナリなんだ」
「そうは言っても、写しが作られたのは七百年も昔だから、私たちには気が遠くなるような話よ。それでなぜ手を抜いてくれたの」
「ごめん、柄を新調したばかりで慣れなくって、まさかこんなに早く振れるとは思わなかった」
「え、手を抜かれてたの」
驚いた美炎に智恵はスマホで写真を撮ってくれと言った。
「じゃあミルヤさんに送ってあげて」
「なんで?」
「明日わかるから」
叡山電車鞍馬線・綾小路武芸学舎前駅まで送ってもらった結芽は相楽にお菓子の詰まったトートを手渡された。
「いいのか、京都駅まで送るのに」
「ううん、それに大阪で調べごとがあるから合流しなくちゃいけないの」
「分かった、体は大事にするんだぞ。あと……隊の人によろしくな」
「はい」
結芽はマナカで入場し、ホームのベンチに座ると鞘鐺を靴の上に置くように、
刀袋に包まれたソハヤノツルギを胸元に置いた。
そして相楽から渡されたたまごパンの封を開け、食べ始めた。
「お隣に失礼」
髪を荒立たせている男は自身も手に刀袋を持っていた。
しばらく黙ってお菓子を食べている結芽に、男が静かに声を掛けた。
「お嬢ちゃん、刀使なのかい」
しばらく咀嚼しながら、うんとぶっきらぼうに返事を返した。
「君は有名人だよね。たしか燕結芽、だったね」
「そうだけど、おじさん誰」
「おじさんはね金一って言うんだ、金のはじめと書いて金一」
「じゃあそんな金一おじさんが、なぜ結芽の名前を知っているの」
「燕の家系に一人の天才がいるって有名になっただろう、もうお墓に名前が刻まれているけどね」
結芽の口が止まった。結芽は封を閉じてバックに突っ込んだ。
「よく知っているね、おじさん」
「そう、物知りな足長おじさんだ。ここにいるのは幽霊かな、それとも荒魂かな」
御刀を手にベンチから離れた結芽は、反対側のホームを見つめる金一に警戒した。
二人しかいないプラットホームに次の電車の案内が鳴った。
「まぁそんなに怯えるな」
「結芽のことを知っている人なんてそんなに多くないし、つけられていたのにはなんとなく気づいてた」
「俺が何のために調べていると」
金一ははじめて結芽の顔を見た。不気味な笑みを浮かべている。
「ノロを取引するルートを邪魔する奴だから」
「ちがうな、おれはもう取引に関わってない」
「じゃあ、荒魂化した刀使を調べるため」
「あたり、一緒に来てもらえないかな」
「何で、おじさんには結芽と一緒に来てほしいな」
結芽は刀袋の結びを解いた。
「うれしいね、女の子からデートのお誘いだ。でも君は知りたいはずだ。君が正体不明の不治の病にかかった原因、そして最後まで迎えに来てくれなかった君の本当のお母さんのことを、別の両親の事」
「知っているの」
「誰も教えてくれないんじゃないのか」
車上の相楽に確かにそれを訪ね、相楽は言葉を濁して真実を言わなかった。
「俺は君と戦う気はない。ただ、多くの真実を知る人に会ってほしい。それだけだ」
結芽は構えを解いて、刀袋の紐を結び付けた。
「案内して」
夜の心斎橋は大勢の人込みにごった返している。
その路地に入った、小さな灯りをつけた店は、
『刀剣 青子』と書かれた小さな表札が壁にかけられている。
「ここだぜ」
店に入ると、奥で古書を読みふける一人の女性が結芽を手招きした。既に御刀は刀袋から出され、その気になればすぐに抜きはらえた。
「いらっしゃい、まさか本当に来てくれるとはね」
「あなた達は何を知っているの」
「あなたの過去のあらかたを」
やや埃っぽいものの、手入れの行き届いた部屋には、
御刀を納めた無数の箱が高く積み上げられている。
奥から茶を持ってきた篠子は、金一が店の表に居ることを確認し、結芽に対するように座った。
「懐かしいわね、その鍔」
篠子は二羽の燕の彫金を見ながら、ゆっくりと挨拶を始めた。
「私はこの店の主人をしています。青子屋篠子です。はじめまして燕結芽さん」
「単刀直入に聞く、あなたは私の何」
「仇よ、あなたのお父様を殺した」
「それは」
「そして私は幼い赤ん坊であるあなたと、私の友人であったあなたのお母さんに、ノロを打ち込みました」
篠子はしごく平然と結芽に言い放った。
「私は」
「あなたは半年前、原因不明の病に体を蝕まれた。そして命を絶たれてしまった。その病は、あなたの体内のノロそのものよ、私は貴女とあなたのお母さんを荒魂化の調査のために十年前ノロを打ち込み、生かした。そして、あなた達親子が敵討ちに来て、その力を推し量る予定であったのだけど、特祭隊の精鋭部隊である親衛隊に入ったと聞いた時は全てが証明されたわ」
「も、もう一つ、パパとママは」
「あなたの体内のノロを突き止めようとしたので、殺しました」
御刀を抜きつけた結芽は、切っ先を篠子の喉先で止めた。
「あんたがパパとママを!」
「あなたの本当のお父様も知りすぎたのよ、青子屋のことを」
「さ、最後に一つ聞く、お母さんはどこ!」
「知らないわ、もしかしたら、あなたの側に居るのかもしれないわね」
「お前を……おまえを!」
その時、店の裏口から衝撃が起こり、箱が一斉に崩れ落ちた。
結芽はその暗い中で視界を失った。
「出てこい、多田篠子いや、青子屋篠子」
半壊した入り口を踏みつけながら、梅が赤い瞳を輝かせていた。
「あら恵実ね、でもやっぱりあなたに同田貫は似合わないわ」
「御刀を捨てたお前に言われたくはない」
単衣についた埃を払い、壊れた箱から二振りの脇差を取り出した。
そして体を赤い色の写シが包み込んだ。暗闇から突如飛びだした結芽が篠子を突いた。
だが篠子は首から血を流しながら、結芽をにらみつけた。
(くるっ)
腹を殴られた結芽は、間合いを引き下げられたのも構わず、
再び間合いに飛び込んだ。
が、篠子の離れる赤い写シが刀を伴い結芽に飛び込み、仕方なく梅の隣へと逃げ込んだ。
「梅、あいつ」
「邪魔をするな」
梅は結芽を外へと投げ飛ばした。
「これは私の戦いだ」
「あらやだ、あの子がどんな子かわかっているの」
「お前らの感情のはけ口にはさせない」
「どうかしら」
その重たく強烈な梅の太刀が、飛び込んでくる腕を、脇差ごと叩き斬った。
「八幡力、全快」
飛び込んだ梅は上段から斬りつけるが、右ひざを押す力が彼女の態勢を崩した。
彼女の膝には赤い写シに包まれた腕が、後ろへと押し込んでいる。
「ほら、こっちだ」
梅の背中が蹴りつけられ、バランスを崩した彼女はその場に倒れ込んだ。
「またな、お前の娘と一緒にまた探し出しな。そのときには素敵なパーティーになっているからよ」
「金一、待て」
当然のように逃げていく篠子と金一を外で待ち受けていた、鶴がゲパートGM6の8倍スコープ越しに捉えた。
「逃がさない」
二発の弾丸を見た金一はあっという間に四つに切り分けて弾道を乱れさせた。さらに飛んできた赤い腕がその手の脇差で対物ライフルを三つに斬りさばき、鶴が車の裏に隠れた時には敵の姿はもうなかった。
後から来た神尾は三人を回収し神戸の旅館に向かった。
車内は一転、静まり返っていた。
「黒」
「ある男が結芽の全部を知っているっていったの、だから警報を送って奴らのアジトを掴もうとしたわけ」
「実は諜報員があの場所で行方不明になっていたので、ある程度予想はつけてたんです」
「あまり立派な店じゃなかったけど」
「最近もノロを国内外に流していた。そして取引の代理組織は、俺と彦が調べて、警察と特祭隊に情報を流した。だが、本人があそこで潜伏していたとはな、あの青子って店は刀剣愛好家には一見お断りの店だったそうだ」
「黒、その青子屋篠子といた男の名前、わかりますか?」
「うん、はっきり名乗ってた、金一って」
梅は突然、結芽の襟を掴みかかった。
「あいつ、結芽に接触しやがった……! いいか、黒、もう一度、金一に会ったら逃げろ」
「なんで、あいつらは結芽のパパとママを殺した。本当のお父さんも、だから」
「うるさいよ! 金一はお前みたいな奴とは比べ物にならない実力がある、あんたは死んじゃいけないんだ」
梅のすがるような目に、結芽はただ頷くしかなかった。