前が分からない、でも世界は真っ赤に、黒く燃え上がっている。
ひどく鼻をつく、目も鼻も開けていられない。
「私もこんなの初めてだもの、初めてだから困惑もするし、心配もする」
赤く燃え上がる街の中を、黒い灰にまみれた少女が結芽に語り掛けた。
そして突然に世界は、穏やかな景色を取り戻した。
「繰り返される記憶の世界で、私だけが時間を重ねている。あなたの中で意識を取り戻してから」
「あなたは誰なの」
「名前は分からない。ただ、あなたの御刀の片割れというべきでしょうか」
「御刀、ソハヤノツルギの」
「そう、三池典太光世作、ソハヤノツルキウツスナリは兄妹刀であったのだけど、長い時間の中で別れ別れとなってしまった。一振りは貴女のソハヤノツルギ、そしてノロとなってしまった太刀のソハヤノツルキウツスナリ」
黒髪の少女が手に持っていた脇差を見せた。
「そっか、ソハヤノツルギを手にしたときに声を掛けてきたヤツ」
結芽のいきなりの抜きつけを、少女はあっさりと受け流した。
「ふざけるな、お前が、お前が私に」
「本当に私のせいだと思う」
「っ、うっさい」
「あなたの体に残っていたノロは貴女に力を貸さなかった。それどころか全身を破壊しつくし、あなたを食い尽くそうとした」
「あんたもそうなんでしょ!」
「そうなら、今さらあなたの望みを叶えたりしない」
「私の望み」
「生きたいのでしょ、貴女はあなたを取り巻く人たちと少ない時間をもっと、長く過ごしていたい。そして、刀使として胸を張りたい。なら私をどう使えばいいのかしら」
「え」
「決めなさい、あなたの事、わたしの事、そして貴女の母親のこともね」
景色が霞み、何層もの虹の中を体が抜け、そしてゆっくりと白い世界が目に写った。
窓から差し込む朝日に目を細め、ベットから体を起こした。
「黒! 大変です」
「どうしたのぉ彦」
「梅さんがいなくなりました」
「え」
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大尉の部屋には彦こと国府宮鶴と結芽、それに神尾大尉もいた。エミリーは電話のために部屋を出ていた。
「あいつのコードネームの梅は、梅根性の『梅』だった。青子屋をもう十二年も追い続けているあいつが、とうとう一人で行ってしまった」
「ねぇもう隠すのはやめてよ」
「……まぁ黒と彦がいれば当面は」
「お母さんは! お母さんは、なぜここに来たの?」
「結芽さん」
喋りそうになった鶴を神尾は止めた。
「黒、いや結芽。あいつは俺に見つけられた時には死んでいたんだ」
立ち上がった結芽の顔を神尾はじっと覗き込んだ。
「禍人の捜索をしていた時に恵実の存在を知り、ちょうど三年前に見つけたんだ。体のあらゆる場所からノロが流れ出し、心臓はとっくに止まっていた。だったが」
彼女は喋り、神尾に縋った。娘がまだ生きている。だが彼女もいずれ自分と同じ運命を辿る、夫の復讐のため、娘のために自分は戦い続けなければならない。まだ殺さないでくれと、彼女は涙を流して彼に縋った。
それから特五に刀使の隊員一号である恵実、コードネーム「梅」が加わった。
彼女は既に荒魂そのものだったが、彼女の頑強な精神とそれに応えた御刀が彼女の肉体を保持していた。
十三年前、結婚から翌年には妊娠、出産を控えて夫は帰りが遅かったが、祖母らが彼女を支えた。
そして一年後に無事に女の子を出産した。
それから二年、子育てや家事に追われながら平穏な日々が続いた。
だが、青子屋の事件が解決し、転属を願い出た恵実の夫は自宅で殺された。
青子屋は警察によって崩されたのではなく、内部抗争によって自壊していた。そのことを知っていた恵実の夫は最後の残党狩りをしていたが、
結果として後を付けられ、恵実と娘の前で殺された。体はバラバラにされ、さらに途中で帰ってきた母そして父をも惨殺した。
その主犯格の三人、田中藤次、青子屋篠子、彼女の道場での兄弟子だった日枝金一。恵実と娘は奴らの持っていたノロを打ち込まれた。
恵実は娘を義妹夫婦に預けた。
だが、九年後、その娘はノロによってついに病に倒れた。すくすくと育ち、刀使となった彼女のことを知っていた。だからこそ、治す手立てはないかと、自身の先輩である相楽に手紙を何度も送り、頼んだ。
だが娘を見ていたのは自分だけではない、青子屋も彼女を監視し続けていた。
義娘夫婦が娘の病の原因を突き止める方法を探し出したタイミングで、それを阻止するために抹殺した。
「パパとママを」
神尾はためらいながら頷いた。
「二人に会うために来ていた恵実は、家で惨殺された夫婦を見つけた」
「そんな、そんなの」
「そして娘を救う方法もないまま、相楽はノロでノロを押さえつけたが、それも長くなかった」
「お母さんを一人にしたのは、結芽」
「だが、だがな、恵実がお前の墓に来た時、そこでお前を見つけたんだ。あいつは特五でどうにかするって言って聞かなかった」
「恵実さんは今のような気さくさは、ほとんどありませんでした。もっと殺伐としていたのが、あなたがここに来てから一変して、明るく振舞うようになりました。あなたがいることを喜ぶように」
鶴の懐に飛び込んだ結芽は、どうしてと、どうしてなのかと何度も叫んだ。
「なんで、こんな形でしか出会えないの? 会いに来てくれればよかったのに、なんで、なんで」
入ってきたエミリーは大型のトランクケースを持ち、その後ろにはリチャード・フリードマン博士がついていた。
泣きはらした結芽をみてエミリーもためらったが、咳払いして卓上に二つのケースを置いた。
「はじめまして神尾大尉、刀剣類管理局荒魂研究所『舞草』のリチャード・フリードマンだ」
「ええ、いや、ようやく会えましたね」
「GHQに居た頃に君たちの存在を快く思っていなかったが、今は一番頼りにしている存在だ」
「ありがとう、前任者たちもその言葉に喜ぶでしょう」
顔を拭った結芽は不思議そうにフリードマン博士の顔を見た。
「結芽」
神尾の呼び声に結芽は立ち上がった。
「どうする? お前次第だ」
あの夢のなかでの言葉が甦る。余りにも重くのしかかった事たちがパズルのピースのように綺麗に当てはまっていく。だが彼女の心はもう決まっていた。
「結芽は刀使としての本分を果たして、お母さんを安心させたい」
その硬く決意した瞳は、その小さな体に入れ込むには余りにも大きすぎる過去が見えた。だが悲壮感はない、彼女は背負うと決めたのだから神尾は自分ができることは全てなさねばと、固く、固く心に誓った。
「なら使え」
神尾は結芽へトランクケースを差し出した。
「ここにある全てを糧に進め、燕結芽」
「はいっ!」
彼らの物語が始まろうとしている。
彼らから始まる長い物語が始まろうとしている。
心の奥に秘めた願いが、再び人を傷つけ、そして繋げる。
残酷なまでの運命に命は宿り、続いていく。
春を越え、夏に笑い、秋に憂い、冬に想う。
そして桜は花をつける。
めぐりくる季節に思いを乗せて、風は流れる。