「他愛ない」
寿々花は階段の壇上に立つヲノツチを目の前にして体を起こせないでいた。
「なんて……強さ……」
剣を従え、軽やかに歩み出した足はあっという間に富士の山を駆け上っていく。
あたかも少女が野原を駆けるような、現実離れした光景を見ながら寿々花は無線のスイッチを入れた。
「申し訳ありません……ヲノツチは私たちF班を倒し、富士山頂へ向かってます」
応戦していたA・B合同班の紗耶香はその知らせを聞き決意した。
「姫和、行って! ここは私たちが抑える」
彼女も既に覚悟あってか、紗耶香の両肩を叩き、笑顔を見せた。
「行ってきます」
進み出た姫和の周りを佩いていた御刀たちが包み、姫和からの雷が隊の前方を占めていた荒魂群を焼き払った。
一歩を踏み出したと同時に姫和の姿は見えなくなり、紗耶香たちの眼前には尾を引く雷光の輝きが見えた。
その時、富士山はにわかに光に包まれ、火口を中心に花が開くように琥珀色の輝きが八弁の亀裂から漏れ出した。
家弓花梨は本部棟からその光景を見ていた。
「ヲノツチ様はホノカグツチ神の仇を討つ願いをかなえるために、ノロに自身の炎を宿らせ、富士の山に巨大な噴火口を形成しようとしている。最初の噴火でできた火口の約十倍の規模の火口。それは文字通り、日本列島いや世界を噴煙に包み込み」
「大氷河期を招く」
真庭紗南の言葉に花梨は頷いた。
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あれは20年ほど前
昔はたしかに平凡な女子中学生だった。
江戸期から大阪で刀剣鑑定をしてきたという多田家に生まれた私は、自然と家に出入りする人々から剣を習い、そして鑑定の知識を養ってきた。当然、自分も鑑定士になると疑わなかった。
そんな私が刀使としての道を歩み始めたのは、近所に住むある少女の誘いであった。
中学二年生になるまで、刀使などというものに気を留めることもなく、先のことなど一寸も考えが及んでいなかったのだから至極当然のことだろう。相模湾岸大災厄も遠い世界の出来事に思えたくらいだ。
その少女というのが私の一つ年下で、近衛武道館という道場の一人娘、明るさだけが取り柄でしかないような女の子。既に綾小路に入学し刀使としての一歩を踏み出しており、名前を恵実という。
あれは二年生の終わり、冬の寒さが足の裏を直に伝う年明けの一月の日だった。
久しく帰省していた恵実が道場で形稽古をしていた私に声を掛けてきた。さほど言葉を交わしたこともなかったので、お互い困惑しつつ恵実は一つの話を切り出してきた。
「篠子さん、刀使になりませんか、あなたのような剣士が今の日本に必要なのです」
あまりに唐突な始まりだった。
「私が刀使なんてありえないわ、あなたが居れば事足りるのじゃないかしら」
「いえ、今でも荒魂は増加傾向にあります。荒魂が人を殺す事件も発生しています。一人でも多くの人たちを守るには、一人でも腕の立つ刀使が必要なんです」
「そうしたら、私に刀使の素質があるというのかしら」
「はい」
「にわかに信じられないわね」
「なら私と立ち会えば分かりますよ」
「嘘おっしゃい、あなたとは何度当たっても私は勝てなかったじゃないの」
「それは何度も勝ちを拾っただけなのであって、私は篠子さんに何度も倒されかけました。今から一本勝負をしてみればわかりますよ」
そうして私は彼女との立ち合いに勝利した。
彼女は決まったように逆袈裟の一太刀を打ち込むタイミングを、何度も同じ瞬間に打ち込んできた。そこに刃を添えて返すだけであった。
今まで勝つことのできなかった相手は、私よりもずっと私自身の死角を観察して、しかし自身の太刀筋を変えられずに私の即応の一太刀を受けてしまったのだ。
「言った通りでしょ、私はまだまだ未熟者です」
何となく大きな存在に感じていた彼女が、等身大の少女となって私に万弁の笑みを送っているのである。
「分かったわ、考えてみる」
「はいっ!」
それからであった。
父が鑑定業の傍ら、裏社会の人間として大阪に縄張りを持つ青子屋の元締めであることを知った。
むしろ後者が本命であるのは間違いなかった。
いつからか知ってはいたが、刀使になることを快く思わなかった父がその事実を自らの口で語らなければ、私は後の事を引き起こすことはなかっただろう。その細面にくっきりと沈み込む両眼が、私を深く覗き込んだ。
「篠子、それでええなら刀使になってもいい、ひいばあ様も刀使だったからな、だが青子屋は刀剣類管理局とは犬猿の仲や、お前がどない扱いを受けようと、わしは知らんぞ」
昔から私を娘とも思わぬ態度は、父自身が未だ母を許していない証であった。出入りをしていた舎弟と寝た母を恨み、私に繰り返し母を殺したのは自分であると言っていた。
「お許しさえいただければ一向に構い立ていたしません」
「ふん、やはりお前は母に似た、ようワシに歯向かおうとするところが特にな」
私が四つの頃に亡くなったという母は、プライド高く、いつも私から目を背け、母親らしさは微塵も感じられなかった。
父が母を盾にして父親面をしているのが、ばかばかしくて仕方がなかった。
そうして難関の編入試験を越え、綾小路に入った。
私を選んだ御刀は『籠手切正宗』。朝倉家に伝えられていた由緒ある刀で南北朝時代、朝倉氏景が弓手の籠手ごと腕を斬り落としたという謂れがある。
実を言うと、私はこの正宗が気に入っている。
それはこの刀の経歴にある。朝倉家が攻め滅ぼされる以前、この刀は籠手切貞宗という銘であった。貞宗は正宗の弟子ともされる人物で、彼の作は正宗の作に勝らぬとも劣らぬとされた。後に正宗の作と鑑定され、『籠手切正宗』という名になった。
鑑定士見習いとしては縁を感じずにはいられなかった。
寮生活が始まり、それなりに人付き合いをしながら、時折寮を訪れる父の従者を追い返し、恵実と稽古を重ねる日々が続いた。
世の中は不景気を背に、暗く重たいものに満ちた世界に見えた。
人の心は誰かの死にすべからく無関心で、自らに対してひたすらに残酷であった。
父がそんな世界で何をしているかは微塵も知らない。
私自身、命あればなんとやらと、任務に出動し荒魂を斬った。
時には凄惨な光景に出くわすこともあったが、未熟な私の中に芽生えていた正義感が怒りを奮い起こし、荒魂を斬り続けた。
さして剣術の腕に自信などなかったが、対荒魂におけるスコアは恵実や大荒魂討伐の英雄である相楽先輩のそれに及び始めていた。
自然と稽古での容赦のなさから、鬼篠子と本来は先輩であろう後輩たちから言われるようになった。
そうした稽古中の一幕、忘れられない出会いがあった。
「そこ!鍔迫り合いで休むな!」
「はいっ」
「ちょっと力みすぎじゃない」
「これくらいで丁度いい、死ぬよりはマシよ」
「極端だね」
見知らぬ声に振り返ると、おさげの物静かそうな子が私に微笑んだ。
「こんにちは、私は警邏科の同学年で4組の飯沼彩希よ、あなたが鬼篠子さんね」
「その言い方よして、そこっ休むなら端に行きなさいっ」
「ふふ」
「何かおかしなことがあって」
「いいえ、でも厳しいのやら優しいのやら」
「私はみんなに無理をさせるのは好みじゃないわ、でも真面目にやるならそうしろと行動で言っているだけよ、それで何かご用ですか飯沼さん」
「任務です。今日の出撃編成は貴女と私、そして恵実さんなのですよ」
「あらそう、それで任地は」
それからスリーマンセルでの私たちの任務が始まった。
私は家の事を何もかも忘れて任務に打ち込んだ。
まるで刀使になったのは当然の事であり、疑う余地のないほどに私は正義の味方であるような錯覚に襲われた。
この小さな良心はおそらく欠点しかない父と、自身と親しくなった同年代の少女たちに向けられ、育まれたものであった。
私はこの頃ほど夢中で、この頃ほど幸福を感じた瞬間はないだろう。仲間の背中を守り、人々を守った達成感、刀使として学校に居場所を見つけ、私は刀使の役目を返上したら教師になろうと思っていた。
私に刀使を勧めてくれた恵実に対しても、別クラスでありながら親友になった彩希に対して、それが当然の恩返しであり私の望みでもあった。
一年以上が過ぎた秋の頃、二人が部屋を訪れたあの日が忘れられない。
「おったんじょーびおめでとーう」
「え」
恵実の放ったクラッカーに驚き、そんな私を見て彩希が笑った。
「あなた、誕生日はいつだったかしら」
「あ、今日だわ」
「大成功ね、お誕生日おめでとう篠子」
「あ、えっと、ありがとう」
私が面と向かって感謝を述べるのがそんなに良かったのか、二人は嬉しそうにお菓子やらプレゼントを取り出して三人で祝った。確か誕生日を教えたのはこの二人くらいであったと思うし、こうして祝ってもらうのは初めてだった。
「はい! これ彩希さんと選んだの!」
二人のくれたプレゼントは二羽の燕が彫金された静やかで、少し小ぶりな丸鍔であった。
「ありがとう大事にするね!」
きっとこれが私の最後の幸せであったと思う。
誕生日から十日過ぎた夜中。
スペクトラムファインダーに強い反応があったという報告を受けた私たちは、京都の人混みの失せた二条で探索機を手に歩いていた。
三人手分けをして、荒魂を見つけたらポケベルで連絡。発見者が監視と足止めを実行し、二人が駆け付け次第、荒魂を殲滅するという作戦。
反応のある地区は機動隊が道路封鎖を実施し、住民の退避も終わっていた。
なおかつ、互いの実力に信頼を持つ三人組であったから実行した。
それが決定的なミスと思いがけない敵と相対する原因となった。
角を過ぎた辺りで彩希が人影を発見した。彼女は仕方なく通りに立ちつくす男性に呼び掛けた。
「こんばんは特祭隊です。ここは避難指定地区になっています。私が誘導しますので早く避難してください」
呼びかけに答えない男性に、御刀を納めながらゆっくりと近づいた。
「必要ない。俺が殺した」
彩希は男性の目の前に散乱する荒魂の残骸と飛び散った琥珀色のノロに目を見張った。
「どういうこと」
「なぁあんた刀使なんだろ。なら、俺がどれくらい強くなったか試させてくれよ」
彼の手に持っていた刀らしき物体が彩希に向かって振り下ろされた。
写しを解いていた彩希は肩を強打され、その場に打ち崩れた。
「あっぐ」
「やっぱり刀を抜いてくれなきゃダメだな、ほら」
男は距離を離し、おおっぴろに刀を振って見せた。
「これなら刀を抜けるし、身を守るために戦ってくれるだろう」
「いいえ、どうかやめてください。私は刀使です。荒魂の討伐が任務であり、人を斬ることは一切しません」
「何を言っているんだい。死ぬよ」
「そんな模造品で何ができるのですか」
折れ曲がった模造刀を手にその目を真っ赤に輝かせた。
「知ってるかい。このノロを飲むとね」
男は地面にたまっていたノロをなめとった。
「とっても強くなれるんだ」
彩希はとっさに写しを張ったが、男の振り落とした一撃がいとも簡単に写シを剥がし、そして折れ曲がったそれで何度も彩希の頭を殴った。
始めは悲鳴を挙げたが、叩かれる回数が増えるごとに声は消えていった。
悲鳴を聞いて私はようやく彩希の探索区域に入った。
「彩希」
私が応援に駆け付けた頃には、飛び散る赤と琥珀の液体が電灯のもとで歪な輝きを放っていた。
赤く染まった彩希の体に男が馬乗りになっていた。
「遅いよ。もう殺しちゃった」
折れた模造刀を投げ捨て、彩希の御刀を手にして私へと飛び込んできた。
当のわたしは彩希の潰れた頭を見て頭が真っ白になっていた。
だが体は当たり前のように斬りつけを避けて内臓を薙ぎ、前かがみになった男の首筋をすっぱりと斬り落とした。
謂れのとおり『籠手切正宗』は一切の刃こぼれを起こさなかった。