地下九階の映写室   作:輪音

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原作:【桃太郎】




モモタ・ロー

 

 

 

桃。

黄桃。

白桃。

産地は備前の国を最上とし、かの地は刀と陶器の名産地でもある。

その備前の国に於ける、ある年のある日。

刀鍛冶たる老翁の兼正は、作刀の燃料たる薪(たきぎ)を得るために山へ柴刈りに出掛けた。

妻の五十鈴は川へ水汲みに出掛けた。

刀を作るには多くの水が必要なのだ。

五十鈴が鼻歌をうたいながら水汲みしていると、川の上流から異常なほど大きな桃が流れてきた。

面妖な。

あのように大きな桃などあり得ない。

だが、なんだか面白そうでもあった。

彼女はパッと裾をまくるや否や、白い太ももを露(あらわ)にしながらざんぶと川に入り、妖桃をはっしと捕まえた。

 

「ふふふ、五十鈴からは逃れられないわよ。」

 

改めて見ても大きい。

大人の頭より大きい。

 

「食べごたえがありそうね。」

 

五十鈴は食べるつもりのようだ。

 

 

 

夫の兼正が帰ってくると妻は情熱的なベーゼを彼に与え、自身の戦利品を指し示した。

居間に置かれ、まな板の上で斬られるばかりとなった夏の果実を。

 

「でかいな。」

 

老いた夫の言葉に美しい妻は頷いた。

 

「おいしいのかしら?」

「さあなあ。」

 

言いつつ老翁は備前刀の作り方でこしらえた厚重ねの庖丁を素早く用意し、据物(すえもの)斬りの構えをとる。

それは、明珍派の兜さえすっぱりと断ち割る程の威力の業。

呼吸を整え、妖しき桃を一刀両断せんとするは刀匠の兼正。

目釘は既に湿しており、あとはずらんばらんと斬るだけだ。

 

「では。」

 

シュッ。

斬るともなくふるわれた斬擊が、正中線を精確に狙って妖桃に迫る。

桃の果肉はあっさりとその内部を斬り手に見せ、屈するかに見えた。

だが。

 

「むっ?」

 

真剣白刃取りで庖丁の切っ先を防いだ赤子が、桃の中の空間にいた。

薄皮一枚斬られた頭皮からほんのりと赤い血が流れ、それが人間同様の存在たることを示しているようだった。

あり得ない。

夫婦はそう思った。

こは化生(けしょう)のモノか?

シュルン。

妖桃が真っ二つに割れ、左右に転がる。

睨み合うは刀鍛冶と怪しき赤子。

この場で始末せねば、世のためにならぬ。

そう思って庖丁に力を込める兼正だったが、赤子の方も斬られてならじとばかりに両の手に力を入れる。

ならば。

ふわり。

庖丁を軽やかに持ち上げた兼正は電光石火の勢いでそれを振り下ろした。

だがしかし。

すんでのところで赤子は庖丁を手放し、ごろごろと床を転がる。

 

「やるのう。」

 

感嘆する元武士の老いくさ人。

赤子はふてぶてしく、ニヤリと嗤(わら)った。

 

「我が名はモモタ・ロー。世を乱す鬼どもみなみな斬り倒し、平静と安寧をもたらす者よ。」

「「喋った!」」

 

夫婦は驚愕する。

やはり、魔物か。

居合の構えを取る兼正の殺気が膨れ上がった。

裂帛(れっぱく)の気が周囲にどんどん満ちてゆく。

冷や汗を流しながら、赤子のようなモノが再度口を開いた。

 

「待たんか。ワシは鬼退治をすべく、天界より参ったのだ。この仙桃がその証拠……ん? いずこに消えた?」

「あら、桃ならここよ。」

 

五十鈴によってきれいに洗われ切られた桃が、備前焼の大皿に盛り付けられていた。

どうやら庖丁は二本あるらしい。

そして彼らは桃を食べながら、天にも昇る心地を覚えた。

 

彼らの家を闇の向こうからじっと見つめるは、八房(やつふさ)と猿田彦とアメノトリフネ。

それらは頷き合うと、軽騎兵のように素早くその場から立ち去って闇夜に溶けていった。

 

 

モモタ・ローと名乗った赤子がどう成長するのか、それはまだ誰にもわからない。

 

 


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