地面に倒れ伏したままピクリとも動かなくなった肉塊に興味を示すこともなく、再び現れた足場をたどってキルアが私たちの待機している場所へと戻ってきた。
その表情には先程までの残忍さは欠片もなく、歳相応の少年のように眉を寄せて不満気な顔をしていたが、それを見ても先ほどのインパクトが強すぎたのかレオリオとクラピカは固まったままだ。
いや、今のキルアの表情を視認できているのかどうかも怪しい。だって恐れているにしてももうすぐそこにキルアがいるというのに怯える様子もないから、そうではなくてただ単に思考が停止しているのだろう。
「おつかれ、キルア」
「おーう。全ッ然手応えねーでやんの、つっまんねー」
出迎えた私に心底つまらなそうに返すキルア。キミを満足させる相手を用意するのは難易度高いと思うなぁ、念能力者宛てがうわけにも行かないし。
未だに対戦相手の弱さをブチブチとぼやきつつキルアが私の脇に歩きながら手を挙げる。なるほどハイタッチか、いや、まて。
お前その真っ赤な手でハイタッチする気か。やった瞬間に血とか肉片とか飛び散るんでまじでやめてほしい。嫌がらせかコノヤロウ。
「ちょっとキルア、せめて逆の手出してよ汚いなぁ」
「あ、いっけね」
うっかりだったようだけど、今のをわざとやってたんならローキックの一発でもかましていたところだ。
もう私とすれ違うほどの所まで来ていたので、逆の手でハイタッチするにも私の反対側に回りこまなくてはならないので、めんどくさくなったのかハイタッチはお流れとなった。
後ろの方で座ったキルアにゴンが駈け寄り賞賛しているけど、他の二人は今も呆然としたまま。て言うかそれが正しい反応だろう。些かフリーズ時間が長い気もするが、まぁ見た目と行動のギャップのせいでダメージが余計に大きくなったのだろう。
彫刻のような二人から視線を外し、荷物からポケットティッシュを取り出しキルアに投げる。鉄臭いから早く拭け。
各陣営の通路の上のモニター、私たち側のそれが0から1になる。あそこには両陣営の勝ち数を表示するようだ。
次は第二試合なわけだけれど、試練官はどうやら今のを見て萎縮してしまっているようだ。
ジョネスの肩書きは結構なものだったのにそれがあっさりと殺されてしまったのでは無理もない。そりゃ戦意も喪失するだろう。
だけど全員がそうではない。向こうにもジョネスより格上な人物は一人いる。その念能力者はどうやら殺る気満々なようで、私の方にオーラを飛ばして挑発してきている。
この感じなら当初の予定がどうあれ次に出てくるのはアイツだろうし、こちらは私が出るべきか。
「次は私が出るね」
「お、おお。頑張れよ?」
「その、無理はしないようにな」
私の宣言に、やっとのことで全身の筋肉が再起動したレオリオとクラピカが返事をする。ただ若干生返事っぽいので精神的にはまだ立ち直れていないようだ。
今の私たちの会話が聞こえていたのかヤツのオーラが膨れ上がり、足場もないのにリングまで一足飛びで移動した。
せっかちなことで。まだ枷もフードもつけたままなのに。
遅れて枷が外され、フードを取ると出てきたのはなんだかパッとしない男の顔。太い眉で若干タレ目の、頬がこけ鼻が小さく唇の薄い男。
しかしそれを見てまたレオリオとクラピカが表情をこわばらせてしまった。何なんだこの男は、彼らの精神をその顔一つで再起動させるに至るだなんて、またもや少しは名の知れた悪党なのか?
「さっさと来い小娘。わかってんだろ、オレの相手はお前だ」
男のその声とともに足元からニョキニョキ伸びる足場の先頭に乗る。歩かなくていいので楽ちんだ。
しかしそこにレオリオが待ったをかけ、キルアにしたのと同様に私にも開始直後のギブアップを薦めた。
私は今回のやつも全く知らないけど、いやそもそも世の中の他の悪党にあまり関心がないからそれは当然といえば当然なんだけれど、とにかく今度の敵も結構やらかした奴らしい。
「大量殺人犯、ヌルデ。強盗殺人に強姦殺人、わかってるだけでも100人近く殺してやがる」
強盗なんかは被害者本人以外知り得ないような暗証番号や金庫の番号などもすべてのケースで彼の手に渡り、それを奪われているらしい。
激しい拷問でもあったのかと思われたが、見目麗しい女性はともかく、男性の場合はさっくり殺されているにもかかわらずに、だ。もちろん薬を使われた形跡もなかったらしい。
ルール上ギブアップがなかった場合は不戦敗にしろ、とも言ってきた。まぁ、たしかに女の子だしね。
でもおそらく問題はない。この距離を態々オーラを練ってから跳んだこと、また現在”堅”をしている彼の身体能力もオーラも私に比べて脆弱。
たとえシャルのアンテナのように一撃必殺の能力があったとして、それを私に当てることは不可能だろうし、また他の条件であっても格上を封殺できるようなものはそれを満たすのは厳しい。
おそらく操作系で、物を操るのではなく相手に何らかのアクションを起こすタイプか。それなら暗証番号などを吐かせられるし。
さらに念能力者が九人中二人しか居ないこの場で、あからさまな能力を使う人物を出すとも思えないので後者で間違い無いだろうね。更に言うならば、おそらく奴の能力にはシャルのアンテナのような媒介は存在しないか、または念能力者以外は視認できないもの。
この状況だと私側としても他の人から見えたり不自然な現象が起こる能力は使えないから、使うとしたら
レオリオには手を振って大丈夫だとアピールしたが頭を抱えられてしまった。そんなに信用ないんだろうか、見た目と実力が比例しないことは先ほどキルアが証明済みだというのに。
彼の反応を不満に感じながらもヌルデの正面に立ち、オーラを練って彼のそれより少し弱めの”堅”をする。
ハンター試験中だから協会の人間の目もあるだろうし私の本気を見せるつもりはないし、こいつ相手ならこれでも十分。
能力も個性を色濃く反映する物が多く、私のそれは盗む物なのでそこから犯罪者であると勘ぐられると困るので使わない。
「ひひひひひ、オレはデスマッチを希望するぜ。ギブアップ無し、どちらかが死ぬまでだ」
「いいよ、それで」
互いのオーラをみて自分が優位であると思ったヌルデはそう要求してきた。もちろん私は承諾。
ゴネたところでそれを向こうが飲むとは思えないし、殺す必要があるなら殺す。
ゴン達4人は私達のオーラを肌で犇々と感じ、固唾を飲んで見守っている。
「くひひ、制限時間たっぷり犯し抜いてやるヨォ!!」
そんな気持ちの悪い言葉とともにこちらへ突っ込んでくるヌルデ。キモいんでお引取り願いますぅ。
「オラァッ!」
しかし、遅い。私と戦うにはスピードが無さすぎる。
掛け声とともに放たれた拳を意図的に紙一重で避け、がら空きの横っ腹に蹴りでカウンターを入れる。
回避されたという予想外の事実に目を丸くしたヌルデは、腹部に受けた重い衝撃に更にその目を見開く。
「がっふぉ!?」
奇声を上げて吹っ飛んでいくヌルデに追撃をしようとしたところで、違和感。追撃は諦め、状態を把握するために足を止める。
オーラの動きが、少しだけ悪い。見るとアイツのオーラがほんの僅かだけど私のオーラに入り込み、動きを阻害しているようだ。
”凝”はしていたし、攻撃も回避した。唯一の接触は私が蹴った時のみ。回避時ならオーラが触れ、攻撃時は肉体が触れた。発動条件を満たしたのは後者か。いや、能力の性質から言ってどちらの時でも発動できるだろう。
触れるだけで相手に自分のオーラを流しこみ、そのオーラの動きを阻害する能力か。
オーラが湯気のようなものだと考えると、私本体が熱湯で、この例えだとヤツのオーラは油のようなものか。
たとえ熱湯がいくら暑かろうが、表面に油の膜があっては湯気は出ない。
ヌルデの能力は、おそらく接触によって相手にオーラをどんどん送り、結果的にオーラを出せなくするものか。
念の練度や精度を下げ、最終的にはおそらく強制的に”絶”状態になる。
それだけではなく、それなりの量を送り込んだら体の動きをも阻害、或いは操る。そうすれば奴の犯罪の説明もつく。
”絶”をすれば奴のオーラも消えるのか、はたまた今度は体の内部に入り込んでくるのかはわからないので滅多なことはできない。
私と似た、時間が立つほどに自分が有利になっていくような能力。
「ぐっ……、くっくくく、気づいたか? このオレを蹴りやがって、これからジワジワ嬲ってやるからなぁ」
私がそう結論づけたのとほぼ同時、蹴られた痛みから顔を上げたヌルデが怒りを滲ませながらそう言い放った。
ダメージから復帰したヌルデが再度突っ込んでくる。今度はその手が殴るためのものでなく、掴むためのものになっている。
私と組み合い、その間に大量のオーラを送るつもりか。甘い。
ていうかコイツ戦闘中に喋り過ぎじゃないか。
こちらも姿勢を低くして急接近。そのせいでヌルデは腕を出すタイミングを逃す。最初から掴む腹づもりでいたから咄嗟に他の行動が取れない。
身体を跳ねあげてガラ空きの鳩尾に膝を叩きこむと、呻き声を上げてその身体がくの字に折れる。
さらけ出された背中に両腕を振り落として地面に叩きつける。これはさぞかし呼吸が苦しいだろうね。
倒れこんだまま咳き込み、何とか空気を吸い込もうとするヌルデの横っ腹を再び蹴り、リングの端まで転がす。
こういった手合いの場合、速攻で片付けるに限る。
コイツは勘違いをしている。私たちのようなタイプの能力は、型に嵌まりさえすればかなりの効果を発揮するが、実力に大きく差がある相手には効果が薄いのだ。
自分たちにとって有利に進める前にやられてしまっては元も子もない。だから私は主に補助用として
これは遠距離からチクチクと効果を積み重ねられるし、逃げるときはばら撒いて相手の動きを阻害できる。
おそらくコイツにはそういった能力もないだろう。そういった能力があるならさっきも思った理由からここに配属されなかったろうし、念能力者以外に見えないような能力でも私に蹴られた後に使ったはずだ。
格下ばかりを相手にしているうちにその能力が最強であると過信してしまった、馬鹿な男だ。
これだけ追い詰められてなお、他の能力を発動する素振りもない。その能力だけで十分だと錯覚したから。
だから捕まる。だからここで、死ぬ。
今までの接触で私に送り込まれたオーラは極僅か。この程度では何の障害にもならないし、また何らかの特殊効果も増えない。
既に勝負は決した。後は殺すだけだ。
とどめを刺すために、更にその瞬間までの恐怖が膨らむようにあえて歩いて近づく私に、蹲った物体から雑音が漏れる。
「グ、ガハッ、ゴホ……! ま、待て、待ってくれ。参った、オレの負けだ!」
「自分でさっき言ってたじゃん。どっちかが死ぬまで続けるってさ」
咳き込みながら必死に命乞いをされたけど、ルール上死んでくれないと私が勝てないので無理な相談である。
しかも、強盗殺人だけでなく強姦殺人までやらかしたコイツは、正直殺したい程ではないが半殺しにはしたい。
ハンター協会はこういった犯罪者を雇ったりして、功績によっては恩赦も与えたりする。更正しているわけでもないのに。
だから少なくとも再起不能レベルまではボコボコにしておきたいところだ。
「とり、取り消す! 殺しはアウトで、降参だ、負けだ、殺さないでくれぇぇえっ!!」
惨めに顔を色々な液体でグチャグチャにし、命乞いをするヌルデ。
私は聞き入れる気がないので歩みを止めようとはしなかったが、ヤツが言い切った直後にピッと高い電子音が聞こえ、私たちの来た通路の上にあるモニターの数字は1から2へとなっていた。
今のでおそらくここを監視している試験官がルール変更を認めたのだろう。
結果的にはこれで私たちの2勝目、リーチ。で、あるが、なんだか納得いかない。
「ぐふっ、た、助かった」
「えー、それってありなの?」
その結果を見て安堵するヌルデと不満たらたらな私。
殺す必要がなくなったのはそれで別にいいんだけど、不利になってからルール変更って、なんだかなぁ。
私が窮地に陥ってギブアップを連呼しても今みたいな対応はしないだろうに、こんな汚物の理不尽な命乞いは飲むのか試験官。
まぁ私が負けるとかそんな仮定は現実に起こり得ないのだけれど、この状況がむかつくのは事実である。ついでにまだやり足りないのも事実である。
「なんか納得いかないから、殺しはしないけどブチのめしてあげるよ。そのぐらいならいいでしょ?」
納得いかないので、微笑みとともにそう宣告して更にヌルデへと近づく。
阿呆みたいに口を開けて目前まで迫った私に信じられないような目を向けるヌルデ。
それさえも何だか不愉快だったので、気の赴くまま足を振り上げて倒れるヌルデの両膝の骨を踏み砕く。
「は? ぎ、ぎゃあああぁぁぁぁああ!?」
重く鈍い音を立てて壊れた膝と、喚き声をあげるヌルデ。非常にうるさくて更に不愉快だ。
聞くに耐えなかったのでその右手首を掴み、痛みに喚くそれをリングの中央まで引きずって行き、向こうの試練官達にもよく見える位置でその股間を踏み潰す。
水っぽい音と喉から空気の抜けるような音を最後に、白目をむき、泡を吹いて静かになった。うむ、これで下半身はいろんな意味で再起不能になった。
後は仕上げにぶん回してから勢い良く相手陣営に投げる。小気味のいい音が何度か聞こえたので、今のでさらに腕の骨が数カ所折れただろう。
まともなのは左腕だけである。一本残してやった私は優しい。
高速ですっ飛んでくるヌルデを、驚愕やら恐怖やらで固まっていた向こうの3人はギリギリのところで反応できて避けたので、誰にも受け止められなかったそれはそのまま通路の奥へと消えていった。もう声も聞こえない。
今のでひょっとしたら残った左腕もイっちゃったかもしれないけど、それは向こうの試練官が避けたのが悪いんであって、私のせいではない。
女の敵への制裁にしてはぬるい気もするけど、私は非常に優しいのでこれくらいで許してやらんでもない。
殺してないから問題ないよね、勝ち数も変動なしみたいだし。勝負が決まったあとに手を出してはいけないなんて言われていないから違反にもならないだろう。
アイツを引きずった時に掴んでたので、その時に往生際悪くオーラを送ってきていたようだがそれも全てなくなっていた。
気絶が能力解除の条件の一つになっていたようだ。あるいは両者の距離か。
まぁなにはともあれヤツのオーラも取れてよかった。あんな奴のオーラが私のオーラにこびり付いているのは些か気分が悪いからね。
ヌルデ投擲攻撃を回避されたのは少し残念だがヌルデのダメージが更に深刻になったからそれはそれでいい。
どのみち今の私の一方的な暴力で残りの試練官に恐怖を植え付けられただろうから、次の試合への影響も大きいだろう。
うん、非常にいい仕事をしたな、と私はとても清々しい気分で4人の元へ戻った。