流星街を出ておよそ1年半。私はあの頃とは桁違いに裕福な暮らしをしていた。
最初の頃こそスリだの窃盗だのでほそぼそと暮らしていたけれど、本格的に泥棒として活動しだしてからはお金もかなり稼げるようになっていた。
お金持ちっぽい家に忍び込み、目ぼしい本はごっそり盗み、ついでに高そうな貴金属を見つけてはそれらを質屋や宝石店で売りさばく。
もはややりたい放題である。やられる側からしたら迷惑極まりないが、私は幸せなのでそれでいい。
特にマンションの一室を買ったときは物凄くテンションが上ったものだ。
流星街にはそもそも家なんてものがないから、野ざらしで寝るか、或いは雨の日なら大きめの冷蔵庫の中にすっぽり収まるとかして凌いでいた。
外の世界に出てからは野宿なんてしたくなかったのでホテルとかに寝泊まりして。ホテルはホテルでいいものだった。もふもふのベットには超感動した。
それでも自分が帰る家を持つとなると、やはり気分がイイものだ。ホテルのほうが部屋的には豪華だったけれど、私は絶対に家の方がいい。
やってることはアレだけど、漸く人並みの生活を手にすることができたのだから。
家を持ってからは料理の練習もした。前々から知識としてはあったのだけれど機材はボロボロだし、火を使えば否応なしに目立つので飢えた奴らに寄ってこられたら厄介だし、そもそも本に載っている材料がないので作ることはできなかった。本の料理は眺めるだけで、味なんて想像もつかなかった。
なのであっちに居た頃は食事なんて生き長らえるための手段でしかなかったけれど、こっちに来てから初めて食べたファミレスの料理の味に感動してからはそんな考えは持たなくなった。
だって感動のあまり涙を流してしまったのだ、あの街にいてさえ滅多に泣かなかった私が。他人に変な目で見られたのは癪だったけど。
それ以来食事は娯楽にもなり、自分好みにアレンジして更に楽しめるように料理を覚えたのだ。
甘いモノとかチョーサイコーである。
今までとは全く違った生活。私に足りなあったもの。
美味しい食事、屋根のある家、ふかふかの寝床、裕福な暮らし、書店や図書館に行けば無限に手に入る本、そして見るものすべてが真新しくて毎日楽しい。
私の求めていたもののほとんどがここにはあった。既に手に入ったもの、これから手に入れるもの。きっと全部見つかる。
出発時期を前倒しにした過去の私を褒め称えてやりたい。
そして忘れもしない、11歳の冬。
おそらくあのまま暮らしていたら得られなかった、私の欲しいモノ。それが手に入る切っ掛けとなった事件があった。
あの時は只々酷い目にあった、とかなんでこんな目に、とかネガティブな感情しかなかったけれど、今思い返せば胸が暖かくなるような気持ち……、……にはならないな、うん。あんなに肝が冷える思いをしたのは、後にも先にもアレだけだろう。
でもまぁ、今となってはいい思い出であることも確かだけどね。
その時私は、リラ共和国という国にある山奥に建つ、大富豪バーベナ家の屋敷を目指して、真っ暗な森の中を順調に進んでいた。
時刻は深夜、辺りは真っ暗であるが、夜目は効くので問題ない。
こんな時間にこんな場所から他人の屋敷を目指す。目的は当然、盗みである。
バーベナ家の屋敷がある山奥は、交通の便も悪く人が寄り付くようなところでもないので、他に建造物はない。ほぼ私有地化していた。
屋敷へ向かうための舗装された道路は1本しか無く、またその入口付近にはバーテル家の経営する店があり、その中はガードマンの詰所になっているともっぱらの噂だ。
屋敷にも数多くのガードマンが配備されているので、通常であれば盗みが成功する確率はかなり低い。酔狂だけでそこに建てたのではないのだろう。警備の厳重さがそこにお宝があると物語っていると言っても過言ではないほどの警備。
盗みが成功したとしても、逃走後に屋敷から彼らの店に連絡が行けば、挟み撃ちになる。
私としては銃弾くらいならわけないので普通に道路を使っても問題ないのだけれど、相手にするのも面倒だし、そもそも車を運転できないから移動手段は自分の足しか無いし、それだと道路ははただ単に遮蔽物がないだけなのでそっちを通るメリットは少ない。
そんなわけで私は道路は使わずに森を駆け抜けているわけだ。
本日の私の格好は、全身真っ黒の衣装に、お面。お面は顔を見られるのを防ぐためのものである。そのデザインは、槍を持って焚き火を囲みながらなんか踊ってるのが似合いそうなデザインのものだ。
これであればお面のインパクトが強いので、万が一顔を見られても私の人相が印象に残りにくくなるはずだ。まぁそんな事態にはならないと思うけれど。
しかしお面は縦長で大きいのでわりと邪魔である。正直チョイスをミスった感は否めない。
今回の盗みで狙っているのは、”魔の慟哭”というタイトルの、上中下巻の3部作の本だ。
この本は大昔に行われていたと言われている魔女狩りについて書かれた本で、ある時は加害者側に立ち、またある時は被害者側に立って生々しく描写している。
それがあまりにも生々しすぎて、精神をやられてしまったり、また読んだ人に災いが降りかかるとか言うことが真しやかに囁かれるようになってしまい、禁書指定を受けて処分されることとなってしまった。
元々の発行部数が少なかったことも相まって、現在入手が困難な本になってしまっている。それが3部全て揃っているらしいの。
この間ふらっと立ち寄った裏のオークションの会場でこの事を小耳に挟んで、情報の裏付けが取れたのでこうしてやってきたわけだ。
また、他にも禁書指定を受けている魔導書もあるとか。魔法なんてものは信じていないけど、処分されてしまうような内容の本ならば見てみたいと思ってしまうものなのだ。
本だけでも入手困難なものが4冊あるのだから、警備の厳重さも頷ける。
バーベナ家は本に限らず希少価値の高いものをかなり抱え込んでいそうだけれど、持てる数に限りがあるので狙うのは本だけ。
暗い森の中を走っていると、屋敷が見えてきた。ここまでずっと跳んだり走ったりしていたので、冷えきっていた身体も少しは温まっている。
この国の冬は、気温が氷点下まではいかずともほぼ毎日1桁台の肌寒い気候だ。
そんな中、しかも夜中に森を抜けてまで盗みに来るような人間はそういない。私だって寒いのは嫌だ。マジで嫌だ。
警備体制も聞いている限りでは厳重で、お金がほしいなら態々ここを狙うよりはもっと別の場所をターゲットにするべきだろう。
だからこそ、警備が甘くなる。
ここにはまだ誰も盗みに入ったものがいない。傍目に見たら難しく思えてしまうから。
だから警備の人間には油断がある。ここに来る人間なんかそういるもんじゃない、と思えば自然警備も甘くなる。
今が寒い時期だということもそれに拍車をかける。寒いのに外で警備させられている人なんかの士気はガタ落ち。室内にいても暖房にあたっているとどうしても気が抜けてしまう。
システム的にはそこそこだけれど、道路を使っていない上、森の中に仕掛けられた監視の目にも気を配っている私を事前に察知することができないため機械は頼りにならず、残るは弛んだ人間たちのみ。
まぁ、楽勝である。
あっさりと敷地内に侵入し、建物へと辿り着く。
目的である本が置かれているのは、この建物の3階。屋敷を外壁伝いに登り窓を割って侵入する。
ここまで来てしまえばもうこっちのものだ。監視カメラは内部にも設置されているけど、さっさと盗んで逃げてしまえば顔も割れないので無視していい。
堂々と廊下のど真ん中を走り、すぐに目的の部屋の前へとたどり着いた。
窓を割って侵入したにもかかわらず、ここに来るまでに誰とも会わなかったのはどういう事だろうか。下の階は何だか騒がしい様子だけれど。
油断していたとはいえ、腑抜け過ぎているんじゃなかろうか。私はここですよ。
この状況にほくそ笑みながらも、しかし何やら妙な寒気がする。
ただ単に寒いからってだけじゃなく、この屋敷に侵入してから感じている違和。
薄っすらと聞こえてくる足音や声が、私から遠ざかっていっているような気がするのだ。そう、ちょうど玄関の方向へ向かって。
ひょっとしたら、私の侵入とあわせて何らかの事件が発生したのだろうか。
”硬”で足にオーラを集め、扉を蹴破る。
部屋に入り、室内に置かれた本棚から目的の本を4冊探しだして皮袋に入れ、また近くにあったそれなりの値段で売れそうな装飾品を拝借し、また別の袋に入れる。カバーに傷がつくのは許せないので別々に分けている。
今日の収穫はこんなもんでいいだろう。もうちょっと本に関しては選んでおきたいところだったけれど、贅沢入っていられない。
嫌な予感がだんだんと膨れ上がってくる。私はもはやこれを杞憂で済ますことはできそうにない。無視するべきではないと本能が告げている気がする。
少なくとも目的の物は入手できたわけだし、長居は無用だ。
そう判断して部屋を出ようと足を動かした瞬間、この部屋の扉の方から私のいる方向へと向けられる鋭い殺気。私は扉を背にしており、その姿は見えていない。
この感じ、相手も念能力者か。だとしたら、おそらくさっき私が扉を破壊した時に気づかれた。私もまた、念能力者であると。
今までは気配を殺してここまでやってきて、そして私を補足して殺気を膨らませた。
来る。
膝を落とし、腰に括りつけてあったナイフに手を伸ばし振り向いたところで部屋の扉の影から飛び出し、私に接近してくる男。
かなり速い! 接近と同時、腰辺りからの横薙ぎの一閃をギリギリでナイフで受け止め、その衝撃を利用し後ろへ跳躍する。
ナイフを持つ手が痺れる。速度だけではなく、重さもある一撃だ。
攻撃を受け止めた私を見て、感心したような表情をする相手の男。捉えたその姿は、なかなか特徴的なものだ。
あの格好、本で読んだことがある。確かジャポンの着物と、あと丁髷? そして手に持っている、さっき私に斬りつけてきたものは刀か。
たしかこういう人のこと、サムライっていうんだったっけ。
ジャポンには興味が合ったので今後行きたいなぁとかは思っていたけれど、今回の件でなんかトラウマになりそうである。
というか、トラウマで済めばマシな気がする。下手したらココで命を落としかねないのだ。
この男、かなり強い。今の私が正面からぶつかっても勝ち目はないだろう。
一瞬足りとも気を抜いてはいけない。警戒レベルを最大まで上げる。
「ほぉ……。変な格好の割になかなかやるみてぇじゃねぇか。道中暇だったんだ、ちっとは楽しませてくれよな?」
笑いながら楽しそうに、本当に憎たらしいことに楽しそうに言うサムライ。
構え、オーラを練り、殺る気満々といった風に。
屋敷内は、まだ騒がしい。コイツの他にも何人もの侵入者が居たのだろう。
違和感の正体は、私以外の侵入者。さっきから聞こえている音は、そいつらが暴れているから。
最悪だ。
取り敢えず変な格好はお互い様だ、と言ってもいいんじゃなかろうか。
ああ、今日は厄日だ。