舌打ちをして、腰を落としたまま後腰に付けていたナイフを右手に持ち直し、それを肘を曲げて横に構えつつジリジリと後退して距離を取る。
どうも私は黒い奴に命を脅かされる傾向があるらしい。クロロ然り、この男然りだ。
黒い奴って言うのは、死を運んでくるものなのだろうか。死神のイメージも確かに黒だし。でも私も黒いのに何故私が死を運ばれる立場なんだ、と自分もちょいちょい人を殺しているという事実を棚に上げてこの状況を嘆く。
私の行動に対して何もアクションを起こさない二人を訝しく思うも、思考を巡らせる時間があるのは幸運だ。いや、この状況自体が不幸なものではあるけれど。
まず、この通り魔達は十中八九私を殺すために雇われた殺し屋かなんかだろう。こんな時間に、こんなあからさまに後ろ暗いお仕事してますって格好の人間と偶然鉢合わせする確率はかなり低い。
なぜ私個人を特定できたのかは分からない。基本的に仕事中に遭遇した警備等の人間は気絶させているし、非常に稀だけど、素顔を見られた場合は死人に口無しということで殺している。監視カメラに写っていた可能性がある場合は、モニター等でそれを見たであろう人間も同様に。
まさかそれに漏れがあったのだろうか。入念に処理したつもりだったけれど、それでももしかしたらという場合もある。
それがいつの話なのか、それは定かではないけれど、以後こんなことがないように次からはさらに徹底すればいいのだ。
そう、次から。まだ私は諦めてはいない。戦力差を鑑みるとかなり絶望的な状況ではあるけれど、それでも諦める訳にはいかない。私には、まだまだ未練がありすぎる。
とは言え、この二人を倒すのはほぼ不可能。黒い長髪の青年でさえ私より強そうなのに、その連れの隙だらけにしか見えない老人はそれよりも強いのだろう。現に私は本能的に老人に畏怖している。
私の今の実力ではあの老人の全貌を計り知ることなど不可能で、老人は全力など出さずとも私をいとも容易く葬れる。隙だらけに見えるということは、つまりそういうことだ。次元が違う。
念能力者同士の戦闘においては、単純な戦闘力の差だけでは勝敗は決まらず、能力によってはその圧倒的な差でさえもひっくり返すことが可能にはなるけれど、生憎私にはそんな能力はない。故に、私では彼らを倒すことができない。
ならば、逃げるしか無いか。逃げ足には自身があるけれど、それでも成功率が高いとはいえないだろう。と言うか、ぶっちゃけ低い。それもかなり、だ。
私は小柄な体格なので体積が小さいため空気抵抗も少なくて済むし、何より脚力の割には体重も比較的軽いため初速度と加速度が大きい。素早いスタートからすぐに自身の最高速度まで上げ、卵をばら撒いて追跡者の行動を阻害するのが私の逃走スタイルだ。
おそらく、青年が相手であれば初速度と加速度は私に分がある筈。だけど最高速度は向こうのほうが速いだろうから、撒くのはなかなか難しいだろう。とは言え、相手が彼だけであれば逃げられたんだろうけど。
問題は老人である。多分スピードに関して私はあの老人に全てにおいて劣るだろう。私の長所である速さで負けているい上に、相手が二人とくれば逃げるのさえ非常に困難。
遠くに逃げるのではなくて、その辺で”絶”をしつつ隠れるという方法もあるけれど、普通に発見されるかあの二人のどちらかが広範囲の”円”を持っていたら無意味、と言うよりもおそらく状況は悪化するだろう。そんな分の悪い賭けにはあまり出たくない。
何か金品でも差し出したら見逃してくれるかな、と思ったけれど相手は雇われだろうから意味が無い。彼らは彼らの意志ではなく、クライアントの意志でここに立っているわけだし。
他にもグルグルと考えては見たものの、やはり逃げるのが最も生存率が高いだろう。でもそれでさえも成功率が低いんだから酷い話である。
つい諦めたくなってしまいそうな状況に、不思議なパワーであいつらの依頼主を殺せないかな、と若干思考が良くない方向に流れだした頃、向こうの二人に動きがあった。
青年はそのままで、動いたのは老人。老人は一つため息を吐いてから、ゆっくりとこちらに向かって無音で歩を進めた。
緊張に強ばり震えそうになる体を気合で叱咤し、無理やり全身の筋肉を弛緩させて攻撃に備える。瞬きの合間に死んでしまいそうだと思えるほど、威圧感さえ無い目の前の小さな影に恐怖する。
無意識的に脅威を遠ざけようと、青年に向けていたナイフが老人へと向けられた。その肘はほとんど伸びきり、刃先も正面を向いてしまっている。内心を悟られる愚かな行為だと自覚し慌てて身体に近い位置へ戻すけれど、私がビビっているのは丸分かりだろう。
老人は青年を照らしているものとは別の街路灯の下で立ち止まった。歩数にして10に満たない程度だったのに、その数十倍の時間が掛かっているような錯覚さえ覚えた。
照らしだされたその姿は、上が白の長袖の上に黒い袖のない道着のような物と下は白い帯の巻かれた黒のズボン、そして胸のあたり付けられた縦長の長方形の白い布に、読めないけれどジャポンの方で使われている”カンジ”が4つ、確か”ヨジジュクゴ”とか言う物が書かれている。後ろへ流された髪と細く長い口髭の色は銀色だった。
その老人は敵意や殺意を見せることの無いまま、私に向かって言葉を投げかけてきた。
「あー、すまんの、お嬢ちゃん。別にワシらはお主を殺しに来たわけじゃ無い。仕事以外で殺める気も無し。……全く、イルミがいきなり襲い掛かるから超警戒されちゃったじゃろうが」
前半は私に向けられ、後半は私を攻撃しようとした男、イルミに対して向けられていた。
私は言われた言葉の意味が飲み込めずに、目をパチクリとさせてしまう。え、私を殺しに来たわけじゃ、無い?
心のなかで反芻し、漸く言われた内容が頭に入ってきた。それと同時に、構えていたナイフをほんの少しだけ下ろし、腰もわずかに浮かせた。
この行動は警戒が僅かでも解けたからではない。嘘の可能性もあるため先ほど同様気を張ってはいるけれど、コレは相手の話に耳を傾け、それを聞こうとしているというポーズだ。まぁ、彼ら相手にこんなあからさまな事をしなくても私の意識が会話に向いたのくらいは分かるだろうけど、態度で示すことも大事である。
「別に襲いかかったわけじゃないよ。ちょっと貰おうと思っただけだし」
「いや同じじゃろうが。おもいっきり襲いかかっとったぞ」
老人の言葉に対し、イルミが反論するもそれは否定される。
それに関しては私もあの老人の言葉に賛成である。心臓を貰うために攻撃しているのだから、あれは襲いかかった以外の何物でもない。
「……心臓狙っておいて、殺意は無いなんて言われても信用できませんね。このまま私の前から消えてくれれば話は別ですけど」
殺意がないならさっさとどっか行ってくれという意志を伝える。去らずとも、真意を教えてくれればそれでもいい。逃走が困難な現状では、私はこの会話に活路を見出すしか無い。
少し棘のある言い方もなんのその、飄々とそれを受け流す好々爺然とした老人は特に不快感を示すこともなく返答してきた。
「それはできん相談じゃな。殺意はないが用があるのは事実。じゃか、その要件を伝える前にまず自己紹介と行こうかの」
その言葉に内心で首を傾げる。いかにも人殺してますって出で立ちで、泥棒の私の前に現れておいて、用件は殺すことではない?
それに、何故態々このタイミングで自己紹介なんてするんだろうか。
後者の疑問については、彼が明かした彼のファミリネームが解を与えてくれた。
「ワシはゼノ=ゾルディックという。こっちのは孫のイルミじゃ」
それを聞いて、顔にこそ出ないものの背中辺りでどっと冷や汗が噴出す。口の中が一気に乾燥した気さえする。
聞き覚えのある名だ。ゾルディック。たしかそれは、シズクの前の8番を殺した殺し屋ではなかったか?
殺された奴だって幻影旅団員、戦闘能力は決して低くはない。実際に対峙したクロロから聞いた話によると、あの時は2m近くある銀色で軽くウェーブした長髪のがっしりした男、おそらく現当主による殺害だったらしい。
そのゾルディック家当主と色素の合致する彼の言葉を信用するのならば、彼はその男の父、前当主である可能性が高い。そうでなくとも現当主の叔父という関係だろう。どちらにせよ、殺し屋としての年季と実力はかなりのものだ。
ゼノと言う老人の底知れない実力もその言葉の信憑性を高める。まぁ、どちらにせよとんでもない人物であるのに変わりはない。
そして、彼の自己紹介の真意。
真偽は定かではないけれど、ゾルディックであると明かしたのは明確な脅しだ。
つまるところ、俺達ゃ天下のゾルディックだ、まさかこっちの用件を断るとかそんな愚かな真似しねえよな? ということである。
もうほんと怖い。ただでさえ怖いのに、その名前がついているだけで尚更怖い。
「それはそれは、世界最強の暗殺者一家のお噂は予予。そのゾルディックが二人揃って、私に一体何の用なんですかね?」
僅かに口許にのみ笑みを浮かべつつ、強がって余裕ぶった口調で返す。下手に出ては相手の思う壺、交渉というのは対等な立場だからこそ成り立つもの。生殺与奪権を与えないために、怯える肉体と精神を虚勢で覆い隠す。
ちなみに口許の笑みは余裕さの演出のために意図したものではなく、ただ単に口許の筋肉が強張ってしまっているだけである。この場合においては上手くカモフラージュできているけれど。
だって私は今日いつも通りに盗みに入ろうとして、それが何らかの事故で実行が困難になり、とぼとぼと帰路についている途中でまさかのゾルディック来襲である。私の精神はこの展開に耐えられるほど頑強ではない。
「意外に強気だね、まぁどうでもいいけど。後一応言っとくけど、厳密には用があるのはお前じゃないよ」
私の強がりをどうでもいいとバッサリ切り捨てたイルミが、しかしそれ以上に気になる発言をした。
私のハートを盗もうとしておいて、私には用がないとは一体どういう事だろうか。頭湧いてんじゃないのコイツ。
そんな少し、いやかなり失礼なことを思いながらも、彼らの言葉によってこの状況に僅かな違和感を覚え始めた。なんだか、私の認識が間違っているような。
まず、この二人は殺し屋。これはまぁ間違いではないだろう。厳密に言えば暗殺者だけれども、やってることは殺しなのでここは問題ない。いや、まあ殺しを生業としている二人が私の眼の前に立っていることは大問題ではあるんだけれども。
誰かに私個人の殺害を依頼されたのではないのだとしたら、じゃあ何故彼らはこんな格好でこんな場所にいるのだろう、と考えたところで、ふとある可能性に思考が行き着いた。
まさか、私のターゲットの家を襲撃したのは彼らではないのか? それならば、あの家の前に集まったパトカーと救急車、そして野次馬の存在も説明がつく。
そしてそれは、彼らはあの仕事をするためにここに現れたのだということだ。あの闇に溶け込む服装も、そのためなのだとしたら。
彼らは私の名前を一度も言っていない。意図して言っていないのか、それとも単に名前は知らないのか。もしくは、私という存在自体を知らなかったのか。
意図して言っていない、という可能性は低い。私の名前を彼らゾルディックが知っているという事実は、それだけで私に恐怖を植え付ける要素と成り得る。まだゾルディックとは確定していないけれど、名前を知っているのならば彼がゾルディックだと明かした時点で私の名前を出すのが自然、だと思う。
だとしたら、残るのは2つ。可能性が高いのは名前は知らないが私を狙った方だとは思うけれども、殺害以外の用件で態々私の下へ二人でやってくるものだろうかという自問には、いやいやそれはないでしょと自答するしか無い。私にはその理由が浮かばない。
そうなると、最後の1つ。可能性は低いとは思うものの、私という存在自体を知らなかった説が状況からして適当なものなのかもしれない。
あの家の人間を殺すという仕事が終わり、その周囲をテキトウに歩いていた彼らが、偶然夜道を歩く私を見かけ、何の因果かそれによって用事ができてしまった。
そして、その用事とは。
「ワシらが用があるのは、それじゃよ、それ」
その答えは、ゼノ=ゾルディックの示した人差し指の先にあった。
そこは、私の心臓のある位置、左胸だった。
現在によって結果が限定される過去よりも、早く未来のことが書きたい。過去編早く終わらないかなー。
そう思ってはいるのに、事情によりあまり時間が取れず、次の更新もまた1週間くらい開きそうです。申し訳ないです。
ゾルディック編は蜘蛛の時のように特にイベントもないと思うので、後1・2話で終わる、と思います。
ハンター試験以降の話が気になっている方には申し訳ないですが、もう少しお付き合いくださいませ。
飽きちゃった人は読み飛ばしても正直あまり問題無いです。現在の関係に繋がる話、というものなので。