シャルの居なくなった室内で、私とクロロは試験前に貸してもらった本を返却し、それについて話していた。
自分だけではわからない、新しい見解が彼との会話の中で発見される。足りなかった部分が埋まっていき、物語への理解が深まっていく。
楽しい。素直にそう思える。本を読むという行為自体は自分のみでするものだけれど、それをこうやって共有するのは、それとはまた別の楽しみがある。
私も彼も本の虫。会話が尽きることは中々なかった。
気づいた時には夜が明けていて、太陽が真上辺りに来ていた。もうお昼である。
私達は互いに顔を見合わせ、そして同じ意味合いを持った視線を向ける。お前のせいだ、と。
こんなに長引いたのはクロロのせいだ。クロロが木の上にあったクマのぬいぐるみの意味について妙に食い下がるから……あぁ、いや、私も似たようなことした気がする。何だ、じゃあおあいこか。
責めることは出来ないなーと思って私が視線を横に反らすと、クロロもまた視線を逸らした。どうやら似たようなことを考えていたらしい。
苦笑しつつ椅子から腰を浮かせ、帰ることを告げる。
「キリもいいし、私も行くね。まだ他に行く所あるんだ」
「そうか、じゃあ今日はこれで解散にするか。また住所が決まったら連絡しろ」
クロロの言葉に了解、と返してカバンに荷物を詰め込む。
ジャポンに早く帰っていい物件を探したいところだけど、ゾルディック家に行くという約束もあるのでまずはそっちにしよう。
と言うか、ここからジャポンに行って、その後パドキアに行こうとすると時間がかなり掛かる。移動時間が長いのはめんどくさくて嫌だし、ジャポンに帰るのは後回しにせざるを得ないな。
今後の予定を立てつつ、しゃがみながら床においてあったバッグに粗方の荷物を詰め終えた所で、クロロが声をかけてきた。
「それと、お前ももう少しオレ達を頼れ」
「はい? 何さ、突然」
「状況が状況だからな」
ククッ、と笑いながら、盗みだって自分だけでやるよりずっと楽だったろうと彼は言う。
別に今回のはかなり楽な部類だったから、別にキミらいてもいなくても大して難易度は変わらなかったんだけど。精々往復する回数が減ったくらいか。ん、それって結構大きいかもしれない。
考えておく、と短く返答する。そういえば私が蜘蛛の方を手伝ってばかりだな。たまには逆もいいのかも。
多少の我儘なら聞いてくれそうだ、とぼんやり思っていると、ふと先ほどまでの話で気になることがあったので聞いてみる。
「そういえば9月1日って随分先の話だけど、それまでの期間は何もないの?」
今はまだ1月である。ヨークシンで暴れる日までは半年以上もある。
まさかその期間はなにもしない訳じゃないだろうな、と思っての問に、クロロは少し考えてから口を開いた。
「いや、それはあくまでもオークションの日程が既に決まっている上に、規模が大きいから早い段階で伝えてるんだ。仕事自体は今回みたいにやるさ」
あぁ、そういうことか。まぁ蜘蛛は血の気の多い奴が多いから、あまり期間を開けると不満に思う奴もいるだろうし、暴れる舞台を用意するとか言っていたし。
と言うよりも、確かにその予定が決まっているのに今日の仕事があったわけだし。やるのは当然か。
地下競売の開催日は9月1日と事前に分かっているし、そこで暴れるのは確定しているわけだから既に話してあるのか。
やるとなると、気になることが一つ。
「そっか……。ヒソカは来ると思う?」
「いや、来ないだろうな。もうアイツにとってヨークシン以外は参加する理由がない」
「獲物狙って虎視眈々だもんねぇ。もう蜘蛛としてクロロの隙を窺う必要はなくなったわけだし」
「そういうことだ。舞台に上がる隙を見計らうのではなく、自らその舞台を用意したんだからな」
こちらも派手な演出をつけるか、とクロロが顎に手を当てて呟く。完全にヒソカの用意した舞台に上る腹積もりらしい。
私も立ち位置が特殊だから、状況によってはゲストとしてそこに加わるだろう。……クロロもああ言った事だし、私も一応テーブルを用意しておこう。椅子の数は6つか7つ。たくさんの料理を用意して、素敵な最後の晩餐でもしようか。
私がそう考えている内に、彼の方も考えがまとまったらしく、顎から手を外して顔を上げたクロロに問いかける。
「近いうちの予定は決まってるの?」
「近いうちか? そうだな……日程は未定だが、次はサギスゲ公国のラムズイヤー美術館を狙っている」
「そこって結構デカいとこだよね……。タイトル忘れたけど、マヤコウって言う有名な画家の絵が主な狙い?」
その美術館に出展している絵について言及した私の言葉に、クロロは少しだけ驚いたような仕草を見せた。決して短くない付き合いだ。好みとかも大体は把握している。
あの美術館にその作家の絵は一つしかないから、私の思い描いているもので間違いないだろう。とは言え。アレを狙うっていうのは趣味が良いとはいえないけれど。
確か少女の裂けたお腹から色々なものがデロっと出てきているような絵だったはず。見ているこっちの頭がおかしくなるようで、狂気にまみれているという印象を受けたけれど、アレを描いたマヤコウさんの頭は大丈夫なんだろうか。
まぁ、そのへんのことはいいか。知りたかったことは知れたわけだし。
「じゃあその時は予定が合えば参加させてもらおうかなぁ」
「珍しい……いや、初めてだな。お前が本が絡まないのに参加するのは」
「いやーあはは、何となく暴れたい気分だからさぁ。それに、シャルにさっきのアレの仕返しの喉仏ピンポンダッシュもしたいしね」
「喉仏ってお前、微妙なエグさだな……」
この怒りが風化する前になぁっ!! ……なんて、まぁ大して怒ってないからコレは嘘だけど。とは言え、私が言った部分には嘘はないし、それ以外にもちょっとした理由はある。
私の言葉に対するクロロの反応はというと、なんだかちょっと納得したようなものだった。何故だ。あぁーうんうん、とか今にも口に出しそうな感じだ。
不思議に思って、しゃがんだままの体勢だからほぼ机と同じ位置にある目からその顔を見上げていると、彼が口を開いた。
「いっその事股間を狙ってみるのもアリじゃないか?」
「えぇー……。そんなことしたら私の加減知らずで聞かん坊な右手が取り返しの付かないことしちゃうかもしれないけど?」
「いやそれもう明らかに故意だろ。困ったな、じゃあ喉仏で妥協するしか無いか」
「今私が一番困ってんのは下ネタ振ってきたクロロに対してだけどね。なんで下ネタ振ったし」
私がそう言うと、クロロは冗談だ、と言って笑った。わかってて私もちょっと乗ってますけどね、でも下ネタはどうなんでしょうねクロロさん。最近ちょっと多くないですかね。
と言うか妥協って。シャルに何か恨みでもあるのか。今回予定も合わせて結構頑張ってたのに。若干不憫に感じてしまう。まぁ仕返しはやめないけども。
「下ネタを安心して振れる異性はお前ぐらいなものだからな。何故と聞かれてもな、強いて言うならば何となく、だ」
「じゃあ異性に振らずに同性内でやってればいいんじゃないですかねぇ……。つーか、そこら辺の姉ちゃんにでも振ってあげればいいのに。食いつきいいんじゃないの?」
「あいつらは駄目だ、別のところに食いついてくるからな。まるでスッポンのように」
「あぁ、うん、何となく分かった……。まぁ私は下トークも慣れてるからいいけどね」
マチとパクは汚物でも見るような目を向けてきそうだし、シズクは多分無表情でジッと見てきそうな気がする。それはそれでキツいものがある。
クロロは顔は良いからそこら辺のチャンネーに下ネタでも振ったら、誘ってんのかと思われてグイグイ来られるのだろう。顔だけは良いからな、ホント。顔だけは。
その点、私は中学校に通っていたので下ネタの耐性はある。と言うか中学3年生は思春期真っ只中なので、周りがそういう話題をすれば普通に話す。だからまぁ、適任といえば適任か。必要性はあまり感じないけど。
私が微妙な顔をしていると、クロロはふっと微笑んで口を開いた。
「お前が変わっていないようで安心したよ」
「は? この流れで言われるとなんか微妙な心境なんだけど、それは下ネタ的な意味で?」
「いや下ネタの部分は関係ないけどな。それ以外の会話と、お前の目を見てそう思ってな」
「目?」
「ああ。もう少し言うなら、変わったからこそ変わっていない、だな」
「……なんじゃそりゃ。よくわかんないんだけど。もしかして、結構前に話した本質とかってやつ?」
私の問いを、クロロはまぁなと肯定した。よく分からないことを言う。私が変わったからこそ変わっていない?
変わったとか安心とかのワードから、去年の10月頃にクロロが我が家に来た時の会話を連想したけれど、それで合っていたらしい。とは言え、その言葉の意味はよく分からないけれど。
真意の見えてこない会話に、少し不機嫌になる。分からないのは、気持ち悪い。
その私の様子に気づいたクロロが、その言葉について補足した。
「その時の会話にあったように、自分のことだって自分でわからないものだ。それこそ他人のほうが詳しいこともある」
「そりゃあ、そうだろうけど」
「とりあえずヒントを出してやろう。次に会う時までの宿題だ」
納得の行かない私に、クロロはヒントを出すと言ってきた。ヒントとかいいから、今答えを言って欲しいんだけど。まぁ、もう言っても無駄か。
「宿題って……。もう学校行かなくていいのにそんなもの出されるとは思ってなかったわ」
「わかってると思うが、今教える気はないからな。次会った時に教えてやる」
「チッ、はーいわっかりましたよークロロせんせー」
「おい舌打ちやめろ」
じゃあ宿題やめろという私の返しは綺麗にスルーされた。ちくしょう。
まぁいいか。あとで考えよう。どうせ移動で時間はたっぷりあるんだから。
一つ深くため息をつく。まぁクロロがハッキリと言ったわけだし、彼がそう感じたのは真実なのだろう。最近色々あったし、自分のことについて考えるいい機会かもしれない。
私が折れたのを悟ったのだろう。未だに椅子に座ったままのクロロが腕時計をチラッと見て、少しニヤけながら口を開いた。
「だいぶ前にそろそろ行くと言っていたが、まだいいのか? 他に行くところがあるんだろう?」
「そういえばそうだった……。クロロが話振ってくるせいで余計な時間を使ってしまった……」
「くくく、最初に振ってきたのはお前だけどな」
言われてみればそうだ。じゃあ自業自得じゃないか。ちくしょう。
今度こそ行こう、と荷物をしまい終えたバッグを掴んで立ち上がる。
ああ、でもまだ聞くべきこと聞いてないな。それだけ聞いたら行こう。
「それで、ヒントって何?」
「ああ、それはだな……」
顔だけをクロロの方に向けて、気怠げな口調で問いかける。口調どころか、今の私は表情さえも気怠げだ。
クロロは依然微笑んだまま、私の目を真っ直ぐ見つめて言った。
「今のお前の目は、オレ好みの目だってことだ」
そんな彼の目は、いつか感じたのと同じ、不思議な引力で以って私の心を惹きつける。吸い込まれそうなほどに深い黒。
暫くそのままの体勢、そのままの表情で見つめ合った後、彼がそっと目を閉じたのを切掛に、私も顔を正面に向けた。
「……ふーん」
そっけない返事をして扉を開いて、じゃあまたねと言って部屋を後にした。
あんな不思議な目をしている男の好みの目って、一体どんなものなのだろうか。
出された宿題は私の変化について出題されたもの。目は、そのためのヒント。
具体的に彼が私の目をどう感じているのかは、きっと私自身にはわからないだろう。まぁ、宿題の提出日に先生に聞けばきっと教えてくれるだろう。
そう結論付け、仮アジトとなっていた廃工場を後にした。
その足で向かうのは空港。この辺りは人気のない寂れた地域なので、タクシーは期待できないかな。
時間は昼時だから、タクシーを拾える場所まで人目につかない所を走って移動して、タクシーを拾って空港に行って、そこから目指すのはパドキア共和国。
頭の中で行動の予定を立てる。あぁ、その前にトイレにも寄っておきたいかもしれない。テキトウなコンビニにでも寄ろう。
まだ行くには少し早いかもしれないけれど、多分お仕置きのピークは過ぎているだろうし、多分大丈夫なはずだ。お仕置きピーク時だったら会うまで時間かかるかもしれないけど。
オーラを練り、屈伸をしてから走りだす。さぁ、”オトモダチ”との約束を果たしに行こう。