閉ざされた拷問部屋への扉の前の廊下で、頭の中で暇をつぶすための候補地を挙げていく。広いゾルディックの邸内には当然私のような部外者が入れない部屋や区画が数多くあるため、移動の際は行き先を予め決めておく必要がある。
そういった場所への侵入を阻むのと監視の目的で最低限執事が1人、大概は今回と同様に私が用があるミルキ君の専属執事のキブシが付いてくる。故にそこら辺をテキトウに歩きまわって気になった場所に行くとかは出来ない。
とりあえずさっきは部屋を間違えたと言ったから、その体で行くならばミルキ君の部屋かな。あそこなら暇をつぶせそうなものも沢山あるし。
行き先も決まったので、キブシにそれを告げて移動しようと思ったところで、ふと廊下が余りにも静かなことに気づく。思えば、私がさっき扉を閉めてから、この扉の向こう側からの音が一切聞こえてこない。
室内に意識を向けて気配を探ると、キルアはともかくミルキ君も先程立っていた場所から動いていないみたいだ。それはつまり未だにキルアを鞭でしばけるポジションに居るということなのだけれど、その音も聞こえてこない。
なるほど、ひょっとしたら時間をつぶす必要も無さそうだ。ミルキ君はどうせ私の反応が予想外で、今思考が停止しているんだろう。確かに彼はキルアへの拷問を何故か知らないけど見せつけるつもりで、且つ私はさっき行われていたそれが拷問と知っていただけに、まさかドン引きされるとは思っていなかったはずだ。
勘違いされた腹いせに一層激しくキルアへ当たるか、はたまた私に弁明しに来るのか。前者なら時間をつぶすはめになるけれど、後者ならばそうしなくても良い。
少し待てば結果は現れるだろう、と移動を保留にして廊下で待つことにする。一応危ないから扉の少し脇に逸れた地点で。
「ちょちょ、ちょおォっと待てええぇぇぇっ!!」
すると程なくして、室内からバタバタと慌ただしく扉へと近づいてくる足音が聞こえ、扉が破壊されたのかと思うほどの轟音と叫び声と共に扉が勢い良く開け放たれ、中から肉塊が、じゃなくてミルキ君が転がり出てきた。
なんて威力のタックルしやがる。あんなの私が食らったら軽々と吹っ飛ばされてしまうことだろう。かろうじて無事だった扉に称賛の拍手を送りたいところだ。
鞭を手に持ったままで明らかに焦った様子のミルキ君は、向かい側の壁に激突する前にたたらを踏みながらも何とか止まり、両膝に手をつきながら首を巡らせて私を補足すると、勢い良く状態を上げつつ叫んだ。
「違うからなっ!? お、お前は勘違いをしている!!」
そして必死の弁解である。いや別に勘違いはしていないんだけれども。
しかしまぁ、これだけ慌てているのは見ていて面白い。せっかく久しぶりに来たことだし、ちょっとからかってやろうか。
「大丈夫だよミルキ君、何も勘違いはしてないから」
「ほ、本当か? ならいいんだが……流石にあんな趣味だと思われたくないからな。くそ、お前ならノってくるかと思ったのに」
微笑みながら勘違いしていない、と言うとほっと胸を撫で下ろすミルキ君。ブラウンのズボンに白の長袖シャツに不釣り合いな真っ黒の一本鞭が非常にシュールだ。コレがバラ鞭だったらガチだったんだろうなぁ。
と言うか、今更私の中のミルキ君の情報に実弟にSMプレイかますド変態豚野郎という項目が追加されても、こちらとしてはかなり今更感があるので気にしないんだけど。っていうかノるって何だ。私が一緒にキルアを痛めつけるとでも? それはそれで面白そうだとここに来る前に少し考えてたけど、最初の見た目のインパクトのせいでその気は完全に失せたよ。
上げて落とすための布石としての、私の言葉とやわらかな笑みで安心感を与えたのも束の間。
「見紛う事無くSMプレイだったもんね。あれには勘違いを挟む余地が無かったなぁ」
「だぁから違うっつってんだろォ!?」
「んなわきゃねぇだろーがっ!?」
そういうプレイだという私の言葉尻に被せたミルキ君の叫びと、僅かに遅れて未だ室内にいるキルアの叫びがほぼ同時に響いた。廊下は石材なので余計によく響く。
あぁ、やっぱりミルキ君をおちょくるのは面白い。打てば響くし。気が短いのが難点だけれど。
ニヤニヤと口許と目許を緩ませながら、開きっぱなしになっている扉から室内を横目でチラリと確認すると、キルアは先ほど見た時と同様に壁と天井に磔にされていた。一応反省しているんだろうか。
まぁ、あっちは今はいいや。取り敢えずは目の前のミルキ君と遊ぼう。
「あっはっはっは、照れんなってぇ、見せつけてさらに興奮するために呼んだんでしょ? 分かってるからさぁ」
「何も分かってねえじゃねぇかこのアマっ!」
「おぉっと」
続けてからかう私に対し、突っ込むのと共に上段から真下へと振り落とされた鞭。それを左足を後方に引いて半身になった状態でひらりと避ける。
鞭を振っては来ているが、私のニヤけ顔からSMしてたと思っていないと察したのだろう。彼はキレているわけではなく、戯れているだけだ。証拠に口許が若干ニヤけているし。
私が口撃をし、ミルキ君がそれに口撃と、極希に攻撃で反撃するのはほぼお決まりのパターン、単なるコミュニケーションだ。どうせ彼の攻撃は遅すぎて私には当たらないし、彼もそれは理解しているのでやるときは全力でやってくる。こっちはからかえて楽しいし、向こうは悪口とともに全力で身体を動かしているので、いい遊びと運動になるだろう。
まぁ今回気になることと言えば、キルアがミルキ君を応援していることだろうか。誰が当たるかクソガキめ。後でしばく。
「この、くそっ! 相も変わらずちょこまかと!」
「えー、だって私打たれて喜ぶドMちゃんじゃないし。キルアと一緒にしないで欲しいんですけど」
「俺だってちげぇから! あぁもうさっさと当てろよブタ君ドン臭ぇなぁ!!」
風切り音と破壊音を響かせながら、狭い廊下で器用にも縦横無尽に振るわれる鞭を、上体を反らしたり半身になったり跳んだりしながら避け続ける。正直鞭使ってるミルキ君自体の動きが鈍いため、鞭の速度も余裕で見切れる程度だ。まぁ鞭が当たって僅かに砕けた廊下の石材の欠片が若干うざいけど。
当たらない鞭を振るい続けて息が切れだしたミルキ君、へいへいその程度かいと煽りながら避ける私。当てる応援ではなく当たらない事への罵りが徐々にメインになるキルア。そしてちゃっかり鞭の射程外へと避難しているキブシ。
不毛な争いは1分程でミルキ君のスタミナ切れによって終着した。バテるのが前より少し早い気がするが、まぁさっきまでキルアをぶっ叩いてたから疲れていたんだろう。どちらにせよゾルディックとしては情けない限りだけど。
「ぜぇ、はっ、ぜ、ぜぇ……、……く、くそ、やっぱ、全然、当たんねぇ。アレか、はぁ、的が、小さいっ、からか」
「うるせー馬鹿。今成長期に漸く突入したところだから。これからメキメキ伸びるから」
息も切れ切れに悪態をつくミルキ君に言い返す。コイツ意外とまだ余裕あるんじゃなかろうか。あぁでも、汗がどっと噴き出してきているのを見るに、コレ以上体を動かすのはしんどいか。
全く失礼なやつである。たとえ今はチビだろうが、遅ればせながら私にも漸く成長期が巡ってきたのだ。ここ3ヶ月くらいで2cm位伸び、ついに150の大台に突入したし。いいペースである。出来れば最低あと10cmは欲しい。
ガリガリの栄養失調状態からよく頑張ったものだと自分の体を称賛したい。あの頃は筋肉がなかったらお腹だけがポッコリ出そうなくらいやばかったなぁ。あぁクソ、思い出したくもないもの思い出してしまった。
「ふぅ、はぁ、はんっ。結局、今はチビ、だろうがよ」
「ふんっ!」
「おごぉふっ!?」
嫌なものを思い出させ、尚且つ失礼な物言いをしたミルキ君の腹に前蹴りを放つ。加減したそれは重厚な肉の鎧に阻まれはしたが、一応内蔵までダメージを与えることには成功した。
うおおぉぉぉぅ、と呻きながら這いつくばる丸い物体をスルーし、部屋の中へと視線を向ける。そこには情けない兄を呆れたような半眼で見つめるキルアの姿。
私の視線に気づき、キルアも私の方に視線をよこす。物問いたげそれは私にとっても都合がいい。ここに来た目的の一つを消化するために、そろそろミルキ君にはご退場願おうかな。
「ほらミルキ君、そんなに強く蹴ってないんだから、いつまでもそんなとこで這いつくばってないで汗でも流して来なよ」
「それを蹴ったお前が言うのかよ……。まぁ実際そんな痛くないけどよ、正直疲れたから動きたくねぇ……」
風呂に入って来いとの私の言葉にこの返事である。オーバーリアクションもさることながら、このぐうたら具合も中々のものである。堂に入っていると言うかなんというか。
とは言え、こちらとしてはさっさと退いて欲しいので、ミルキ君の前で中腰になり、彼が高確率で食いつきそうな餌をチラつかせる。
「私の持ってきた物も部屋届いてるだろうし、先行って待っててよ」
「む、そうかそれがあったな……。いやでも、俺にはキルアを叩き続けるという崇高な使命が……」
「そんなアホみたいな使命さっさと放棄しろ。全然崇高じゃねえし」
地面に膝をついたまま、片手を頭に添えて少し躊躇しているミルキ君に、室内にいるキルアの冷静なツッコミが入る。たしかに全然崇高じゃないし、そもそも使命でもなんでもないんだろうけど、何故あの少年は叩かれる側だというのに強気なのだろうか。アホなのかな。それともドMちゃんなのか。
何はともあれ、後ひと押し。彼が引っかかっているのはキルアへのお仕置きのみ。心は大きく私の持ってきたものの方に揺れ動いてるはずなので、後はすぐに済む。
「キルアなら私が代わりにぶっ叩いとくから、安心しなよ」
「そうか、それなら良いか」
「おいそこふざけんな。何も良くねぇよ」
彼の肩にポンと手を置きながらそう言うと、それまで俯いていた顔を上げて、ケロリと軽い調子で言い放った。予想通りではあるんだけれど、良いのかそれで。自分で言っておいて何だけれど、キルアと同感で何も良くないと思う。
まぁ結果的にミルキ君がこの場を離れるわけだし、私としてはそれだけで十分だ。
「よし、じゃあオレは身体を清めてからご対面と行くかな。っつー訳で、また後でな」
「ん、また」
よっこらせと立ち上がったミルキ君は、正論を吐いたキルアの声に何ら反応すること無く、持っていた鞭をその場において足音を響かせながら廊下の奥へと消えていった。
短い返事と共にそれを廊下で見送る私、そしてキブシ。チョロいのもさることながら、普通にデカい足音立てて移動するのは暗殺者一家としてどうかと思う。
とは言え、これで条件はクリアー。暫くここには誰も近寄らないだろうし、キルアともそんなに長話をする予定じゃないから憂いはない。
「じゃあキブシ、廊下で待機しててね。そんなに時間かからないから」
「わかりました。ですがくれぐれも、外から移動しないようにお願いします」
はいはい、とテキトウに返事をして、鞭を回収してから開けっ放しのドアから拷問部屋の中に1人で足を踏み入れ、扉を閉める。この部屋は防音されているから、会話程度の声量なら外に聞こえはしない。先ほどのミルキ君の拷問のように、デカい声と音を出すのなら聴力が良ければ聞こえてしまうけど。
これでこの部屋の中には私と、枷と鎖で拘束されたキルアのみだ。その気になれば外せるだろうから、拘束とまでは言えないかもしれないけど。
一歩一歩、キルアへと歩み寄る。先ほどのやりとりで気が抜けているのだろうか、キルアは胡乱げな目で近づいてくる私を見ている。
「やぁキルア、久しぶり。一週間ぶりくらい?」
「そんなもんか。その程度だと全然久しぶりって感じしねーけどな」
取り敢えず、一応久しぶりに会ったのだから挨拶から入る。返事をする彼の様子から、さっきも思ったけれどあまり意気消沈しているようには見えない。
まぁ、確かにこれから家族と話して今後を決めるわけだし、それについて今意気消沈するのもおかしな話かな。拷問も今更だろうし。
さてと、じゃあまず話を聞くか、それともこちらから話そうか。あぁいや、そうだそうだ。他に1つだけやっておくことが出来たんだった。それを先に済ませてしまおう。
「なぁ、お前――――」
「オラァ!」
「――っッ、っでええぇぇぇぇっ!?」
キルアの声を遮り気合一閃、鋭い風切り音を鳴らして上から下へと振り下ろされた鞭が、キルアの左肩へと非常に気持のいい音を立てて直撃した。
話してる最中に激痛に見舞われたキルアの声はすぐさま叫び声へと変わった。うん、これならキブシにも聞こえただろう。
身体を動かせないので首だけを上に向けて悶絶しているキルアを尻目に、お役目御免と用済みになった鞭を無造作に放り投げる。
「っがああァァ!! てんめぇ、何しやがる!」
痛みから復帰したキルアが私に吼えた。おぉ、流石ゾルディックのホープ、若干涙目とはいえ痛み耐性はかなりあるようだ。ミルキ君の時のような痣じゃなくて少し出血するくらいの威力だったのに。
すかさず体の前で両手を振り、悪気がなかったことをアピールする。悪気めっちゃあったけど。
「いやぁ、ほらさっきやっとくって言っちゃった手前、やらないわけにもいかないじゃん?」
「だからってお前なぁ! もう少し加減しろよ血ぃ出てんじゃねえか!」
私のテキトウな弁明にも、当然彼は食って掛かる。口頭とはいえ約束したのだから、と言えば一応プロの取引の重要性を彼は分かってくれるかもしれないのでは、と思ったけれどやっぱり無理か。ですよねー。
「それはアレだよね、キブシに聞こえるようにしたのと、さっきミルキ君応援してたことへの私怨でついやっちゃった感じ」
「クソ、前半の理由だけだったら演技だけで良かったんじゃねぇかこの性悪め……!」
一応私がきちんとキルアをしばいたかをキブシに分かる形で確認させるという目的も、無かったわけではない。ぶっちゃけ発言の後半のほうが私の中では比重が大きい。
言葉にお前の発言のせいでもあるんだよ、というのをあからさまに匂わせるも、怒りの矛を収めさせるには至らない。
ただまぁ感触としてはあと少し、といったところか。ここは少し私の株を上げつつ丸め込むとしよう。
「ごめんごめん。まぁ仕返しがしたいんだったら、この家の敷地外で相手してあげるよ」
「何で上から目線なんだよ……。チッ、覚えてろよ」
軽い謝罪に仕返しならここ以外で相手になる、と添えればキルアは矛を収めた。
一応ここから出て別の場所で会おうと言っているようなもんだから、外に出たい気持ちのあるキルアからしたら応援された感じになる。私の株も多分上がって、尚且つキルアも溜飲を下げたわけだ。
とはいっても、怒りの精算を先延ばしにしただけであって解消したわけではない。まぁ、精算することができるかは彼次第だ。
多少期待してはいるけれど、本当にここから出られるのか定かではないので、さっさとこの場で聞きたいことを聞いておこう。
この機会を逃したら、もう2度とチャンスは巡ってこないのかもしれないわけだし。
さぁ、オハナシの時間だ。