狂っている―――と、神父は思った。
様々な修羅場を経験した言峰士人ではあるが、この街はまるで異次元だった。吸血鬼だらけの町も、魔術師が異界化した街も、人喰い魔獣が縄張りとする森も経験したが、神話の世界は人生で初めてだった。
―――天使が空を舞い、英雄が地を砕く。
神秘が薄れた現代では有り得ない奇跡のバーゲンセールであり、自分程度の異端者が珍しくも無い領域外異界。
“ふむ。らしくもない事をしたが……まぁ、俺だけが生き残っても仕方がないか”
内心でそんな愚痴を零しつつ、彼は一通りの策を確認する。バベルの異界へ侵入する数日前、念の為に投影しておいた人数分の姿隠しの宝具を渡し、綾子と士郎とアルトリアを逃がし終わった。陽動の囮として士人はアーチャーとアサシンを引き付け、その後は何が何でも生き抜いて、頃合いを見て自分も姿隠しで逃走すれば良い。
策としては実に単純―――故に、敵対者もまた対応が分かり易い。
この神父だけは絶対に逃してはならない。この男を逃せば、侵入者はバベルの正確な情報を得た上で、此方を殺す作戦を練り直して巨塔殲滅に乗り出す事だろう。
「南蛮の坊主狩りか……全く、罰当たりにも程がある」
「しかし、私たち二人を引き付ける囮になるとはね。情報と違って健気な男みたい。なぁ、アーチャー、天使から他のを発見したって連絡は来てるかな?」
「いや、まだ来ない。これは期待しない方が良いだろうよ。ついでにオレは期待していない。あやつら、中々に戦争が巧いようだ」
「そう……―――ふふ。だったら、この狩りを愉しむだけだね」
「弱い者苛めは好まんが、それはオレらと比較して神父が弱いと言うだけだ。
一対一ならば充分こちらを上回る強敵であれば、この狩り―――油断も慢心もなく追い詰めて、丁寧に射殺させて頂こう」
街中を走って逃げる士人を目視し、アサシンはアクセルを一気に爆発させた。エンジンが唸り上がり、三輪タイヤが地面を擦り熱する。アサシンが運転するバイクの上で立ち乗りするアーチャーの視線の先は神父唯一人であり、建物を使って絶妙に射線から逃れる逃走能力は巧みの一言。
だが、アーチャーは障害物は全く気にしなかった。
空気をズダン、と粉々に吹き飛ばす射出音。音速を遥かに超え―――超音速さえ超え、神父の背中に迫る脅威。キャスターが作成した呪矢は高射砲の砲弾以上の殺傷能力を持ち、地下シェルターを貫通する破壊力を持つ。そんな馬鹿げた兵器が、個人兵装として運用される狂気。
そんな戦術兵器を―――人間個人に向ける恐怖。
対戦車狙撃銃で人間を撃ち殺す何て、軽い過剰殺害ではない。蝿をミサイルで撃ち落とすようなもの。
あろうことかアーチャーは多量の魔力を内側に含み、城壁と同じ魔術的防衛能力を持つバベルの建物を貫通させた。そのまま逃げる神父を背後から狙撃した。
「――――ッ……!!!」
士人は咄嗟に盾を幾つか背後に投影し、それらの物影に隠れて交差点のカーブを一気に曲がり走った―――刹那、貫通音と炸裂音。
吹き飛ばされたが、空中で体勢を整えて建物の壁に着地。そのまま一気に真上に壁走りを行い、屋上へ飛び出た。バイクでは追い駆けられない場所まで逃げ、距離を稼ごうと士人はそのまま強化した肉体で走り始める。
その姿を見たアサシンは手札を切ることに決めた。召喚者から渡された情報からして、既に自分の真名が露見している前提条件で動いている彼女は、自分の真名に繋がる戦術的行為に躊躇いはない。
「我らマッサゲタイを祝福せし神よ。我らが唯一無二の太陽よ。
早く、速く、ただただ迅く。最速の加護を此処に―――さぁ、煌くように与え給え!」
燃え盛る鮮血の炎をアサシンは
―――暴走であった。
生前の鮮血王は勝ち取った救世主の首を大陸最速の神へ―――太陽神へ、捧げた過去を持つ。これは宝具による鮮血武装化に加え、その宝具の中身である生首に宿った神性の発露でもあった。
「八卦八竜よ、我が身を
そして、アーチャーはアサシンが運転するバイクをロケットの噴射台代わりにし、空高く跳び上がった。八竜の鎧に込められた神性なる祝福で全身と、その手に持つ武器を強化し―――弓矢を狙い定めた。
時が止まる程――精神を集中する。
空が砕ける程――魔力を凝縮する。
一秒が十秒に伸びて、その十秒が更に百秒に伸びて、限りなく零に近い世界の中、魔腕となった左腕が唸り上がる。滞空している時間が永遠に感じる中、黒武者は英霊化した事で“名を得た技”を撃ち放った。
「―――
何ら躊躇いの無い真名解放。極まった弓術の技量と、魔腕と化した左腕と、五人張りの大弓の三つが合わさる事で、生前体得した技が真名を得るまで昇華した宝具。
真名―――
アーチャーが放った轟鏃は士人を射殺すべく空間と大気を無抵抗のまま“貫通”し、軌道上のあらゆる障害物を穿ち貫く武者の一撃であった。
「―――――――」
受け止める―――不可。
撃ち落とす―――不可。
流し逸らす―――不可。
生存手段、回避一択のみ――否、不可能。
嘗てこの弓兵は、甲冑を着込んだ武者を射貫いた上で、その後ろで鎧を着る武者を射止めた伝承を持つ。意識を研ぎ澄ませる事で殺意を察知し、音速で迫る弾丸を容易く避ける侍を、一射で二人射殺す事が可能な化け物。五人張りの大弓を一目で解析した時点で、士人はこのアーチャーを敵に回せばこうなると―――この危機が自分を襲うと、戦う前から理解していた。
ならば―――不可能ではない。
戦う前から策を用意する言峰士人ならば―――全ての宝具に対抗可能。
「―――
手段は単純、力尽くで捻じ伏せるのみ。右手に予め投影した改造聖剣を数撃のみの真名解放に耐えられるよう暴走させ、
迎撃成功―――刹那、第二射が既に放たれていた。
この危機は必然だ。そもそも宝具「
「…………ッッ――――――!!」
故に、士人は聖剣の真名解放状態を維持したまま、再度迫る鏃に刃を振う以外に生きる術はない。右腕にローランの筋力さえ投影し、魔腕の一射を相殺するしか道はない。
爆音と共に鳴り響く金属音―――聖剣が、折れる音。
瞬間、投影完成。
二体、目視完了。
殺傷手段―――検索終了。
「薙ぎ払え―――
真エーテルを放射する炉心を轟かせ、神代の魔力が荒れ狂う。上空に掲げた刀身を振り下し、アサシンとアーチャーを二人纏めて太源に蒸発させて還さんと士人は魔剣を解放。直撃を許せば、最高ランクの防御宝具でも身に纏っていなければ即死である斬撃だ。
先に切り捨てられるのは―――アサシン。
アーチャーの宝具狙撃中も建物の屋上をバイクで運転し、士人に近付いていた彼女は魔剣解放の真正面に居た。
「
その一撃―――容易く女王は斬り捨てた。
嘗て
その王を―――女王は殺した。
殺した王の屍を、この処刑刀で首を撥ねて戦の勝利とした。
故にアサシンにとって、神父が振う魔剣など恐れるまでもなく―――救世主殺しの刃に、断てぬ神秘無し。斬撃は更なる斬撃に破れ去り、形を保てず魔剣は脆くも崩壊した。
「カカ………カカカ、カッカカカカカカカカカ!!
貴様―――貴様、その様で人間か。それ程の超常に現代で辿り着いたか。
流石は、英雄。流石は、英傑。これ程とは、現世の守護者がこれ程の怪人だとは、幻想蠢く魔の時代で生きた筈のオレが一欠片とて思わなかった!
―――
是非とも、血沸き、肉躍り、命果てる合戦と洒落込もうか?」
魔腕のアーチャーは士人がいる屋上に着地し、高笑いをしながら抜刀。五人張りの大弓を背後へ背負い直し、武者として鍛え上げた剣術を披露すべく―――魔腕で以って日本刀を構えた。
「同意だ。生前殺した大王とも殺し合える強さを持つ人間が、まさか神秘朽ち果てた今の世にいるとはね。まるであの男のように、神に愛され、神を引き継ぎ、神の武具を操るみたいさ。
英雄、英傑―――英霊になる前の、生前の私達。
……羨ましいよ。
だから、私には死の恐怖が必要なんだ。
愚かで浅はかな、勇気も野望も消えるような―――絶対の力が、必要なんだ」
三輪バイクを屋上に乗り捨て、同じくアサシンも近付いた。士人を処断すべく、その首を切り落とす為に、彼女は鮮血を滾らせながら嗤って歩いた。
「二対一とは勘弁して貰いたいのだがな―――トミュリス」
「おや。私の真名に気が付いたか?」
「――ほざけ……」
鮮血王トミュリス。太陽神ヘリオスを唯一無二の神として崇めるマッサゲタイ族の女王にして、救世主狩りの女戦士。速さこそ信仰であり、太陽こそ神である狩猟民族を見事治め、その時代最強の軍隊である事を証明した王。
彼女の有名な逸話は唯一つ―――救世王キュロスの殺害である。
そして、大帝国を作り上げたペルシア王の首を撥ねたのが、彼女が持つ宝具「
―――ならば、不可能ではなかった。
魔術師言峰士人が劣化投影した魔剣バルムンクを、正面から力尽くで打ち砕く事も容易かった。
「……だが、お前だけではないぞ。その五人張りの大弓を扱う魔腕の武者となり、それが源氏に連なる英霊となれば、この世にただ一人。
そうだろう―――源為朝」
「正解だぜ。まぁ、出来れば鎮西八郎と呼んで欲しいが……いや、今のオレは源氏最強の一人。その具現である魔腕の弓使い。
……このバベルではそっちの真名で我慢してやろう」
剛勇無双源為朝。源氏最強の一人であり、剛弓の使い手。そして、弓張りの左腕を持つ超常の武者である。数多くの伝承伝説を日本史に刻み込み、切腹による自害を初めて行った侍の中の侍こそアーチャーだ。
有名な武勇と言えば―――死の直前、軍艦を一射で沈めた伝説だろう。
それ以外の弓使いとしての伝説も多く、明らかに生まれ付き人間以上の魔人であった。だが、彼の武勇は弓以外にも数多く、子供の頃から優れた支配者でもあった。何せ親から勘当されて十三歳で九州に追放された後、たった三年で九州全てを治めた猛者だった。
故に、この男にとって―――宝具による奇跡など何度も起こせるモノだった。
神父を狙う弓術など何ら特別な技ではない。英霊となった死後、宝具に昇華されただけであり、為朝の業こそ真髄だった。
「いやはや、全く。お前らのような化け物二人を同時に相手するなど、我が王ギルガメッシュでも死ぬ思いをするぞ。
はぁ……荷が重いな。
是非とも、俺のような雑魚には手加減して欲しいものだ」
「思う訳がないよ、戯け。私はお前が、獣殺しを為した真の守護者だと、
―――嗚呼、狩り殺すとも。
丁寧に、念入りに、見落としもなく―――首を撥ねるとも」
鮮血王である
「手厳しいな……本当、苦しくて堪らない。軽くサーヴァントを倒す手段があれば、俺も楽が出来るのだな」
まだ魔力に余裕はあるものの、このまま消費していれば生命力さえ尽き果て、魂も魔力源に回す事になるが―――此処は異界。豊富な
宝具の連続解放も、そこまで負荷にはなっていない。固有結界の展開も充分に可能だろう。
「さぁ、無駄なお喋りで体力も回復しただろう?
ならば神父よ、合戦を再開しよう。何、此方は二人だが、この程度の不利は些細なものだ。現世を守る英雄ならば、死力を尽くし、命を賭して―――オレに、その死を届かせろ」
「そうか。ならばもう、語る言葉も無く―――死に給え、亡霊共」
全身強化、宝具投影、魔眼解放―――戦闘準備、無事完了。
思考回路を限界以上に回転させ、魔術回路も同じく常時臨界状態を維持し続ける。自滅へ駆け抜ける狂犬の如き
刹那、刀を振って踏み込む
投影した
―――筋肉が捩り切れ、神経が高温に熱せられる。
それらを泥で埋め直しながらも、肉体が限界を超えても―――否、限界など存在しない呪泥人形に作り変える。固有結界と肉体が融合するまで物理法則から逸脱し、空白に汚染されていく。肌がまるで何も無い白色に剥ぎ取られ、両目がまるで黒い太陽のように燃え上がりつつある。
それでも―――それなのに、まるで足りぬ。
魔人化した二人と同時に渡り合う為には、そんな程度の強化現象では不十分にも程がある。バベルの七騎はこれまで七騎で数百のサーヴァントを殺戮した魔人であり、誰も欠けずに協力しながらバベルを守護した超人だ。語るまでもなく連携に優れ、互いの長所と短所を把握している。
一人でさえ強い。それが二人となれば、言うまでもなく―――言峰士人に、勝ち目など皆無であると。
「―――カカカカ!」
「フフフフ―――!」
アサシンとアーチャーは自分達と殺し合える人間を見て、その現状を理解している。身の内側で支配する世界一つを暴走させ、肉体をサーヴァント以上の概念に染め上げ、真性悪魔に等しい“強化”を引き起こしている。固有結界に記された技術を、今まで登録した技能全てを自分の肉体に上書きし、古今東西節操なく記録した武術を双剣術へ応用している。
あらゆる英雄の、武芸者の、磨き上げた力を使い潰している。
これ程の狂人を前にして、笑うのを我慢出来るトミュリスではない。これ程の武人を前にして、笑みを溢さぬ源為朝ではない。
「――――――ッ……!!」
しかし、それでも届かない。絶対に届かない。
五秒先の未来を知る心眼であろうとも、奴らの加速に追い付けない。一秒先の攻防でさえ、数十手を見抜いて漸く察知可能だと言うのに、勝ち筋を得る為にはせめて十秒以上は完全無欠で読み切らねばならなかった。
―――不可能だった。
超音速で迫る宝具を容易く見切り、音速の十倍で飛来する宝具さえ第六感で回避行動に移れるのが上位の英霊だ。この者共の感覚を欺くには、天賦の才を持つ者が人生を掛けて究極の一を磨き上げ、業を完成させても更なる研鑽を積んで漸く到達出来る場所。
そして、源為朝もトミュリスも上位クラスのサーヴァント。武芸が巧みな上で、身体能力も優れていた。
「―――……」
決して悲鳴は洩らさなかった。唸り声も出さなかった。士人は攻防の果て、遂にアーチャーから一撃を貰い、逃げ回っていた屋上から吹き飛ばされた。
肉体を固有結界である空白で塗り潰していたので、物理的負傷はそこまで深くはない。だが、それは士人の感触から判断した怪我の具合。半ば肉体を斜めに両断されてしまい、呪泥による強化と蘇生を行っていなければ、内臓を溢して生命活動を停止させている大怪我だった。
……このまま地面に転がっていたいと、肉体は訴えている。このまま死のうと諦めている。
だが、神父の性根は不死身である。吹き飛ばされ、地面に叩きつけられようとも、生きる意志を捨てなかった。アーチャーとアサシンの殺意を感じ取り、一瞬で体勢を整えて立ち上がる。
「カカ、黙り込んで如何した?」
「喋る余裕も消えたかな、神父」
そして、士人は冬木商店街を模した区画に到達した。個人商店がずらりと並び、ファミリーレストランやファーストフード店も構えている。勿論言峰士人が常連客となっている泰山の、その偽物も中にあるのだろう。
“……律儀だな。ここまで再現しているか”
看板、街並び、ガードレール、電柱、公衆電話。バベル風のコンクリート作りになってはいるが、冬木とそう変わらない風景だ。とあるハンバーガーショップのピエロ人形や、フライドチキンで有名な
……等と、戦闘と関係がない事を思う程、今は追い詰められてしまった。
宝具の真名解放をする隙はなく、投影する隙を見付けるだけで全神経を使う始末。
このままでは嬲り殺しにされる未来を避けられない―――ならば、後先考えずに切り札を使う他にない。選べる戦術が限られるなら、少しでも可能性が残された手を使うしかないのだろう。
「全く……―――壊すか」
殺意を一言。禍々しく神父は、何も感情が籠もらない微笑みを浮かべた。瞬間的に魔力が膨張し、魔術回路が音を上げて黒く発火した。
殺さねば――斬り捨てなかれば、と。神父へ二人は疾走する。
カキィン、と鋭く刃が鳴り響く。細い刀身を持つ刀剣―――日本刀の刃が、アーチャーの一刀を受け流し、アサシンの一振りを弾き逸らした。
「あー……―――あ? 貴様、何者?」
「……何それ。貴方みたいなサーヴァント、未確認だわ」
「ホッホッホッホッホ。御両人、若者をあっさり殺すものではないぞ?」
黒い杖から抜刀された神速一閃―――居合だった。士人を救ったのは、剣神とでも呼べる技の煌きだった。まさに奇跡と呼べる所業。
それが―――店舗に飾られている人形から放たれた刃でなければ、だ。
白いスーツ服に、白い髪。手に持つは黒い杖であり、それが神域の抜刀術に使われていた。仕込み杖であったらしく、既にその人形は刀身を鞘に納刀済み。そして、その仕込み杖を本物の杖のように使い、人形は悠然と士人を守るように立ち塞がっていた。
「―――ハーランド・デーヴィッド・サンダース?
あの人形が何故こんな……いやいや、これは一体どういうことなんだ?」
この場は、どうしようもない混沌の坩堝と成りつつあった。
流夜さん、誤字報告ありがとうございます!
また有る程度サーヴァントの出し終えたら、設定を乗せようと考えてます。最後に出て来た人形は、某ファーストフード店で有名なあの人です。仕込み杖の日本刀を振うなんて、一体何処出身の剣聖なんだ……