ふと、執務室でひとりぼんやりして気づいたことがあった。それはこっちに来てから基地の外に出て自然を楽しんでないことにだ。
ここでは急ぐ仕事もなくて上司がやってくることもなく、多くの艦娘たちがいて弾薬やスケジュール管理でいっぱいだったりもしない。
けれど勉強や料理に家事、掃除に施設の補修に艦娘たちと話を楽しむなどで多くの時間が取られてしまう。
休暇の日でも周囲にはお金を使うような場所もなく、気になるからと施設の修理や錆取りをやっているが、ここのままではいけない。
冬がすぐ近く、このあたりは雪が結構積もるらしいために秋のうちに見たい自然を見るべきだと思う。
今はもう11月の半分を過ぎていて、これからはもう葉っぱが落ちていくだけだ。だから紅葉が綺麗な山、その中で大きなイチョウがあるところに行こうと思う。
そう1度考えると、行きたい気持ちを抑えることはできなかった。
出かけることを伝えるために、工廠に集まって、壊れた艤装や使わない物を細かくリスト化している艦娘たちに声をかけた。
陽炎は「私も行きたい!」と強く言ってきたが、他の皆は笑顔で「いってらっしゃい」と言ってくれる。
陽炎だけを連れていくのはどうかと思ったが陽炎の期待している笑顔に抵抗することは難しく、連れていくことに。他の艦娘たちには、あとで何かの埋め合わせをするとも言って。
昼飯を食べたあとの午後1時。俺は紺色の軍服の上にジャンバー、背中には食べ物や水に雨合羽が入ったリュックを背負い、いつもの軍服姿な陽炎を連れて建物の外へと出ては車に乗った。
外は透き通るような綺麗な青空が広がり、窓を開けるとひんやりと感じる冷たい空気は気分をはっきりとさせてくれる。
車を走らせて20分ほどで登山道がある、標高300mちょっとの山へとついた俺と陽炎は、気分よく山を登り始めた。
―――そして登り始めてから10分が経過した今。
雑木林と杉がある登山道を一緒に歩いていたはずだが、俺は陽炎を背中に背負って汗を流しつつ歩いている。
わずかな胸のふくらみ、すべすべとしている太ももの感触を俺に感じさせてくれている陽炎は、気分よさげに俺の首に手を回しては気分よく鼻歌を歌って楽しそうだ。
俺が着ていたジャンバーとリュックサックは歩きやすくするために陽炎に身に着けてもらっているが、背負うというのは中々に疲れるものだと実感してため息が出てしまう。
そもそも今こうなっているのは俺の見通しの甘さがあった。
陽炎の足、スポーツ用義足だと山道の落ちた葉っぱですべりやすいというのを考えていなかった。だから、陽炎が1度すべって転んでからは心配になった俺が背負って歩いている。
少しばかり体に負担はかかるものの、紅葉している木々や風に吹かれて落ちる葉っぱを眺めながら歩いていく。
目的地は事前に調べた大きなイチョウの木だ。樹齢が結構あるとかで実に見ごたえがあるに違いない。
そのためには多少の苦労があろうとも秋であるうちに行く必要がある。
「陽炎、山は楽しめているか?」
「ええ、紅葉がこんなにも綺麗だとは思わなかったわ。4年ぶりの日本だからかな」
「綺麗なものがわかるのはいいことだ。これから行くところはここよりもっと綺麗だと思うから楽しみにしてくれ」
「本当? なら提督に頑張ってもらわなきゃ!」
山道を登っているために荒くなった息で話をしていると、俺に頑張ってもらいたい陽炎は、俺のすぐ耳元で応援する声を色々とかけてくる。
少々うるさくもあるが、これぐらいは許容の範囲内。陽炎は少しうるさいぐらいでちょうどいい。
時折、陽炎の体を背負いなおしながら深海棲艦の爆撃によって道にできた穴を乗り越え歩いていく。
途中、山道が広くなった場所に着くと陽炎を降ろし、俺は枯れ葉が敷き詰められている地面へと大きく息をついては体を投げるようにして座り込む。
「おつかれさま、提督」
陽炎はねぎらいの言葉と共にリュックサックからタオルを出すと横に座ってくる。そして俺の顔から出ている汗をごしごしとふき取ってくれる。
俺はされるがままになり、荒い呼吸が落ち着いていくのを待つ。
10分ほど座って休憩していると呼吸も落ち着き、汗もふきとり終わるとしゃがみこんで陽炎に背を向ける。
「行くか」
「私、歩こうか? 艦娘は丈夫だから転んだぐらいじゃなんともないし」
申し訳なさそうな顔をする陽炎に俺は無言でにらみ、何も言わずに背を向けたまま乗るように催促する。
それを見て陽炎はゆっくりと俺の首に手を回してくると、俺は陽炎の太ももを持って立ち上がり歩き始める。
「お前がまた転んで倒れるのは気分が悪い。今度、別タイプの義足を買おうか」
「でも新しく義足買う場合は、軍からの補助は受けられないって言われたんだけど」
「俺とお前の給料を半分ずつ出せば、高い義足でも買えるだろ」
「私なんかのために必要のないお金は出さなくてもいいのよ?」
陽炎はいつも遠慮が少なく、何かと俺に構ってくることが多いが義足に関することだけはとても遠慮深くなってくる。俺としては部下であり、家族のように思う陽炎にはあまり気にして欲しくはない。
それにお金を使うのならば、役に立つ使い方をしたいと俺は思っている。
変な遠慮をしている陽炎に俺は体を2度ほど強く揺らす。
「ちょっと! 危ないじゃないの!」
「俺が買いたいと言っているんだ。お前は素直に好意を受け入れればいい」
そう言って静かになった陽炎を背負ったまま歩き続けていくと途中に分かれ道があり、看板にイチョウの木があると書いてある方向へと進んでいく。
お互いに話すこともない時間が続いていたが、陽炎が喋る気配がしたので意識を陽炎へと集中する。
「おにいちゃんって呼べばいいのかしら」
「なんだ、それは」
「前に仲良くしたいって言ってたじゃない。だから親愛の意味を込めるならこれかなぁって」
言われ慣れない、おにいちゃんという言葉に一瞬だけ胸が高鳴り恥ずかしくなったが、一呼吸分時間を置いてから俺は斜め上な発想にあきれたため息をつく。
俺のあきれた様子を見た陽炎は軽く首をしめてきた。俺は抵抗もせずにちょっとのあいだ、それに耐えているとしめてきた腕をゆるめてくれる。
「提督でいいさ。時々こうして一緒に出掛けるぐらいの仲でありたいんだ、俺は」
「今のような関係ぐらい?」
「もうちょっとだけ仲良くなれると俺は嬉しい。……よし、着いたぞ」
陽炎と話をしながら着いた場所は、山の中なのに半径10mほどの小さく水平に開けている場所だった。
杉と雑木林で囲まれた場所には見上げ続けるには首が痛くなるほどの高さである大きなイチョウの木があり、幹は大人8人ぐらいが手を広げて届くぐらいの太さだ。近くの看板には樹齢1100年で高さが30m、幅が14.5mと書いてある。
イチョウの葉っぱはあざやかな黄色で満ちていて、地面にはたくさんの落ちたイチョウの葉っぱがある。
地面はイチョウの落ちた葉っぱで土が見えないほどに敷き詰められ、黄金色に輝く姿は幻想的だった。
俺も陽炎も言葉を失い、ただぼぅっとイチョウの木を見るだけだった。少しして陽炎が俺の肩を叩き、そっと陽炎を地面へと降ろす。
地面へと降りた陽炎はリュックサックからタオルを取り出し、俺のタオルを軽くふいてくれたあとはタオルを俺に渡してイチョウの木のそばへと歩いていく。
黄金の風景のなかで陽炎が歩いて近づいていく姿は非現実的に見え、さっきまで背中に感じていた陽炎の暖かさは夢だったのかと錯覚してしまいそうだ。
陽炎はイチョウの大きな木に手をあて、ゆっくりと木の周りを歩いていく。そして木の裏側に行き、少し待つが陽炎の姿は現れない。
俺と仲良くしてくれる陽炎が突然消えてしまったことに俺は恐怖してしまう。
「陽炎、陽炎!」
と、焦った声で名前を呼ぶと木の裏からひょいと不思議そうな顔を出しては俺の元へと滑らない程度に走って目の前までやってきた。
「どうかした?」
「……いや、なんでもない」
「そう? なんでもないならいいけど。もう帰るのかと思っちゃった」
「まだ帰らない。もう少し見てからだ」
陽炎は俺の言葉を聞くと、リュックサックを地面に降ろして着ていたジャンバーを脱ぎ、俺に手渡してくる。
「私は丈夫だからいいけど、そのままだと風邪ひいちゃうよ」
「優しいな、陽炎は」
その優しさに自然と笑みが浮かび、陽炎は照れた様子で俺から目をそらすと体を木の方に向けて静かに見始めた。
俺もジャンバーを着てから、陽炎と並んで黄金色のイチョウの木を見る。
風で木々の葉がこすれる音、山の中から聞こえる鳥の声。自然を感じながら、綺麗なものを見るのは素晴らしいことだと感じる。
「イチョウがこんなにも綺麗だなんて思わなかった。……生きていてよかった」
最後の言葉に驚いて陽炎の横顔を見ると、寂しげに微笑んでいた。
その顔を見ていると、生きていれば素敵なことともっと多く出会えると言いたい。綺麗なものを綺麗と感じられる素直な心があれば、人生はより豊かになるとも。
でもそんなことを言うと俺にはわからない陽炎の悩み、心を傷つけてしまいそうな気がした。今の陽炎は最前線にいた頃、または死んだ戦友のことを思い出したのかもしれないから。
「春になったら何か育てようか。プランターや新しく畑を作ってもいいだろうな」
「育てるなら食べられるものがいいなぁ」
「綺麗な花をつける桜や今見ているイチョウでなくていいのか?」
不思議に思って陽炎を見ると、陽炎も俺を見てきて袖を軽く引っ張ってくる。
「綺麗なのが見たくなったら、また提督が連れてきてくれるでしょ?」
俺を信頼してくれる笑みを浮かべた陽炎はそう言って俺を見つめてくる。少しのあいだ見つめあった俺は「ああ」と短い返事をした。
陽炎は俺の服の袖から手を離し、地面に落ちたイチョウの葉を両手ですくい上げ、それを俺に見せながら宙へと放り投げる。
イチョウの葉っぱは左右に揺れながら、ひらひらと舞い落ちていく。
「人が手入れをしない自然っていうのも綺麗だと思うのよ」
「放っているからこその美しさか」
俺も陽炎と同じように落ちている葉っぱを両手で拾い上げ、胸のあたりの高さから手を離す。手から離れた葉っぱが地面へと落ちる最後までが新鮮に感じて、つい見届けてしまう。
そうしたあとは静かにイチョウの木のすぐ前まで行っては見上げ、陽炎も俺の隣に並んで見上げる。
「今度は皆で来たいわね」
「留守番は俺がするから、由良か誰かに車を運転させて行ってくるといい」
時々は艦娘たちだけで出かけて、俺への愚痴や何かを言い合うのもいいストレス発散になるだろう。と、俺が5人のためにそう考えているのに陽炎は義足で俺の足を軽く蹴ってくる。
義足の素材であるカーボンの足は結構痛く、何か不満があるみたいだ。
「陽炎は何が言いたいんだ」
「わからない? 私は、私たちは提督と一緒がいいのよ。他の皆もそう思うわ。6人全員がいたほうがきっと楽しいと思うの」
ちょっと恥ずかしがっている陽炎の言葉に俺は感動し、艦娘たちに嫌われていないことがわかって安心する。
だから、これからも艦娘たちの障害をよく知り、彼女たちと話をして今までのように仲良くやっていきたい。
そして、彼女たちに何かやりたいことや欲しいものがあるなら、できうる限り叶えてあげたい。
話の終わり方が思いつかないまま3話を書いてしまった。