貴族令嬢
ジョンを取り巻く環境はめまぐるしく変わる。
工房の場所などは、特に変化が著しい。この3ヶ月ほどで、これで3回目の引っ越しだ。
「なんか悪いな、手伝ってもらっちまって」
「武具大会における不正冤罪の噂への対処だからな、仕方がないさ。私も、ジョン殿が潰されるのは困る」
ジョンの引っ越しを手伝っていたのは、長く艶やかな黒髪に雪のように白い肌が美しい、小柄な少女エヴェリア。彫りの深い西洋系の顔立ちで、ゴスロリドレスなんかが似合うかもしれない。
今はハレリア役人の制服である、紺色の大きめなブレザーを着ているが、それでも気品に満ちているというか、仕種がイチイチ優雅で美しさを感じさせる。
容姿にあまり個性がなく、基本的に育ちの悪い赤毛ショタの成り損ないとは大違いだ。
「なんか、術も普通に使ってたし、実は結構いいところのお嬢様?」
実は彼女、大きな荷物も星王術を使ってスイスイ運んでいたりする。まだ自分の体を動かしながら使うというのは無理なようで、移動しては立ち止って、何度も詠唱し直していたが。
「そうか、そういえば言っていなかったな。私はイリキシア王国の東部コルス領を治める、ボナパルト公爵家の次女だ。フルネームはエヴェリア・オルナ・ヘール・ボナパルト。前にも言ったが、使者兼留学生としてハレリアに派遣されてきた」
「もしかしてご先祖にナポレオンって人いたりしねえ?」
「?……確かいなかったと思うが……」
ジョンが思わず尋ねたのは、まんま発音が『ボナパルト』だったからだ。異世界の言葉なのに、妙に知っている言葉があったりするのが不思議である。
「それにしても、特に何かやったってわけでもねえのに、この特別扱いってどうよ?」
少年は休憩室を見回して思わず言った。休憩室である。
この時代、普通の工房にはこんな部屋はない。精々が工房の端に椅子を用意して座る程度のものである。
「いや、休憩室というよりも設計室だろう?打ち合わせもできるように、テーブルと椅子や他の色々な道具も用意してあるだけだと思うが」
「それが異常だっつってんの。普通、こういうのは貴族の好事家が作るもんだぜ?」
「ここは宰相府直属工廠なのだが。設計室付き工房くらいは束でなければむしろおかしい場所だと思わないのか?」
「むぅ……なるほど」
納得したので、ジョンは少女に猫耳を着けてみた。
彼は殴られることを覚悟していたが、彼女は不思議そうに猫耳カチューシャを触っている。これは予想外の反応だ。
「なぜジョン殿は女子に獣人の格好をさせたがるのだ?」
「……可愛いから?」
「――」
エヴェリアはフイっと顔を背け、手鏡を取り出して猫耳を弄り始める。顔が赤くなっているところを見ると、照れているらしい。
「いや、こんなテンプレなセリフで照れんでくれよ!どんだけ攻略条件の低いキャラだって話だ!」
「攻略?」
素に戻った少女が小首を傾げた。
「では説明しよう!」
「なななっ!?」
ジョンが突然立ち上がり、変なポーズを取りながら叫んだので、エヴェリアは驚いて椅子ごと壁際までドン引きする。
「……さっき言った『攻略』ってのはー、異世界のゲーム用語でー、異性を恋愛的に振り向かせるゲームでゲームクリアー、つまりー、設定された架空の異性をー、自分に振り向かせることを指すんだー」
「なんだ、いきなりテンションが下がったな」
「そりゃもう、かなり予想外な反応だったんで。今まで大体、ポカーンとするかスルーされるかだったんで。なんていうか、俺が恥ずかしくなった」
「面倒臭い男だな」
赤毛ショタの出来損ないは蹴倒した椅子に座り直した。
「ひげあっ!?」
椅子は倒れたままなので、一度引っ繰り返ってから椅子を起こして座り直す。
「……」「……」
沈黙が痛い。引っ繰り返ったのは決してわざとではないのだが。
「……さっきの攻略の話だが――」
しばらくすると、壁際からテーブルに戻ってきたエヴェリアが、色々痛過ぎる沈黙を破った。
「攻略対象として見られるのはこの場合、私ではなくジョン殿だと思うぞ?」
「まさか、あのテキトーな説明でエロゲのなんたるかを理解したとでもいうのか!?」
「……ハーリア家や異世界転生者と張り合えるとは言わないが、貴族はそれなりに頭が良いものなんだぞ?特に娯楽方面にはな」
少女は渋い顔で頭を抱えて呟く。その言葉は事実である。
なぜならば、貴族の子女は学校がなくとも、様々な知識に触れる機会があるからだ。そもそも貴族の子女は、他家の養子として引き取られることも少なくない。だからこそ、どこに出しても恥ずかしくないように、教育はしっかりしているものなのだ。
西洋における発明品が実務者、つまり各業種の職人が発明したケースはほとんどない、と、作者は勝手に想像している。あったとしても、それは出資者、つまり貴族の功績となる、と、考えられる。これには幾つかのケースがあり、一番多いのが名を上げると他の貴族に妬まれることがあるため、出資者に面倒事を押し付けているケースだ、と、思う。つまり、西洋ににおける発明とは、教育を受けた貴族が家の財産を食い潰してロマンを求め、成功した結果なのだ。(※:あくまで想像です)
学校がなければ家庭教師を付ければいいじゃない。そして貴族の子供達は暇をもてあまし、同じ家庭教師に飽きたりして、色々とやらかすのだ。
それが多く語られる物語のテンプレというものである。
「それで、エロゲのなんたるかを理解した少女に聞くが……。俺が攻略対象って、なんでまた?」
「エロゲ……?とにかく、異世界転生者には、政治的にそれだけの価値があるということだ」
別にエヴェリアは、異世界で流行しているエロゲームについて理解したわけではないらしい。恋愛アドベンチャーゲーム、いわゆる『ギャルゲー』として理解したのだろうか。あのテキトーな解説で。
『適当』と漢字で書くと、『状況に合った』とか『適切』とかいう意味になるが、『テキトー』とカタカナにすると、意味が『適当(笑)』になる不思議。
「……俺、異世界転生者とか名乗ると不審者扱いされたんだが……」
「歴史上最後に登場した異世界転生者が、庶民に近しい男だったらしい。そのおかげで、それを真似て権力者に取り入ろうとする馬鹿どもが一時期増えた。
不審者扱いはそのせいだろうな。
その代わり、本物と分かれば、美女でも権力でも
少女は手鏡で猫耳カチューシャを弄りながら話した。
手鏡は現代地球のような、透明なガラスに化学処理をしたものではなく、青銅をピカピカに磨いて作ったものである。結構古いものらしく、表面に無数の細かい傷が入っていた。
「マジで?」
「マジだとも。本物と分かっていれば、密室に2人きりでいるだけで、令嬢の方から襲いかかってもおかしくない。祖国への異世界技術の無料提供が確約されていなければ、私もそうしたかもしれないくらいだ」
「それなんてエロゲ?つーか、政治に女の子を利用するとかどうよ?」
「何を寝惚けたことを言っている。我々貴族の特権は、そのためのものだ。祖国繁栄のために肉体を捧げるくらいなら、私だって喜んでやるぞ?」
「なにそれ、達観し過ぎてて怖いんですけど……」
今度はジョンがドン引きする番だった。が、エヴェリアは溜息を吐いてこう言う。
「とはいえ、ハーリアの娘が近くにいるのでは、抜け駆けはできん。イリキシア発展の約束ということで、釘も刺されてしまったわけだしな」
「あ、もしかして、さっき慌ててたのって、想像しちゃってた?」
「やかましい!ああそうさ、私だって女の子なんだ!伝説上の存在に憧れることだってある!言わせるな恥ずかしい!」
「なんていうか、その、ゴメンナサイ!」
小柄な美少女に赤い顔で涙目で怒鳴られて、少年はテーブルの上で土下座して謝り倒す。
どうやら、丁度そういうことで意識していたところを褒められたため、反応が過敏になっていたということのようだ。意識していた時にジョンが急におかしなことを始めれば、襲われると思ってもおかしくない。
つまりそういうことらしい。
「ところでなんで猫耳を嫌がらないのか。なんか、高そうだけどボロい手鏡で色々と調整してるし」
「……」
指摘すると、ぴたりと動きが止まった。
「……貴族は――」
しばしの沈黙の後、彼女は
「貴族の役割の1つは、特に貴族の子女の役割は、自分を高く見せることだ。どんな土地のファッションも取り入れ、その地域の価値観を理解して、自分に似合うように着飾る。そうやって、自分よりも高い身分の相手にも、釣り合う伴侶であることを示す必要がある……」
「着飾りたい年頃なんですねわかりま――んがっ」
木製のコップがジョンの顔面を直撃した。中身は飲み干されていたため、お茶がぶちまけられることはなかった。
「お前がよく踏まれている理由が分かった気がする」
「失敬な、あの時は簀巻きにされてて、丁度体が床に転がってて踏みやすかったからだろ。いつもは大体蹴られるか殴られるかだ!」
「……」
絶対零度の視線が変態的なことを口走った少年に突き刺さる。
「ところで、協定禁術については訊かないのか?」
「そうだった」
ジョンは床に落ちた木製コップを拾い上げて片付け、新しいコップにお茶を淹れてエヴェリアに差し出した。
「異世界転生者にも割と関係のあることだから、覚えておいた方がいい」
「協定禁術って、異世界関係あんの?」
「協定禁術の制定には、異世界転生者が深く関わっていると言われている」
彼女は受け取ったお茶に口を付けながら、こうも言う。
「確か異世界そのものは関係なかったはずだが、今までの異世界転生者は、例外なく『
「
少年は首を傾げた。それを見た黒髪少女は目を丸くする。
「
誰に聞いたのか、勝手に納得して、説明を始めた。
「では説明しよう。
「何それチートくさい」
「フッ、このくらいでなければ、『
エヴェリアは相手の無知を鼻で笑いながら話を進める。
「まあ、とにかくその
「協定って、その
「基本はな。だが、協定禁術に関しては、『デッドラインを越えた場合、
「……マジで?」
「マジだとも。実際に、北東部のポテドン王朝が900年前にそれで滅んだ。たった1人の神族相手に、当時最強と謳われた軍隊が手傷の一つすら負わせることができなかったそうだ。それ以降、フェジョ教でもフェアン教でも、協定禁術を行使することは禁忌としている。もちろん、星王教もそのはずだ」
黒髪少女は優雅に肩をすくめて見せた。
やはり貴族ともなると、その何気ない仕種一つを取っても様になる。――その黒い頭に揺れる、猫耳までも。
手鏡を片手に色々と調整した結果、自分に似合うように仕立て上げることに成功したようだ。
「ふむ――次は尻尾か……」
「……まさか、外側で猫耳が流行っているのは、ジョン殿のせいではあるまいな?」
「――にゃん、だと……?」
ジト目を向けられ、ジョンは驚愕した。衝撃の事実である。
1ヶ月半ほど前に少年が場末の食堂で行った演説によって、ルクソリスを『萌え』が侵蝕し始めていた。