数日間、ジョンはひたすら砥石を削っていた。
円盤状に
このキーとキー溝というのは、現代地球でも、
もう1つ、鉄製の薄い円盤を固定するのにも、このキーが使われる。
軸も穴も、現代と違って固定できればよく、真円にする必要がないのがポイントで、それがより加工しやすくしていた。軸と穴のズレに、短く切った針金などを詰めることで、それがキーとキー溝の役割を果たすのだ。
鉄と砥石の円盤を繋いだ軸は、テーブルを改造した専用の机に設置される。鉄の円盤の端に穴を開けて、太い針金でペダルに繋ぎ、クランクシャフトとして、タイミングよくペダルを踏んだ力が、回転動力として軸に伝わるようにセットする。ペダルを踏む力が鉄の円盤に伝わり、それが軸で連動して、砥石の円盤が回転する人力動力となる。
『足踏み式回転砥石』である。
実は手回し式の回転砥石も古くから存在しており、そちらの方が簡単に作ることができるのだが、やってみるとジョンの腕ではとても疲れることが分かったため、急遽足踏み式に変更したという経緯がある。
「――あれが実物ですか」
白ローブの少女がやってきた。
一通り、『足踏み式回転砥石』の駆動部に
獣脂油というのは、ハレリアでは割と簡単に手に入る。隣のホワーレンで牧畜が盛んなため、獣脂油はよく採れるし、ロウソクなどの燃料として有効なため、干し肉と共にそれなりの数が市場には出回っていた。
「おお、食うか?」
ジョンは、休憩のために設計室で食べていたものを、小皿に取り分けて差し出す。田舎者の鍛冶師が、分不相応だと言い出す程度には、色々なものが揃っている設計室なのだ。
「これは……?」
「『
「……では、失礼します」
白ローブの少女は、フォークで丁寧に切り分け、相変わらず目深に被って顔を見せない鉄壁のフード越しに、上品な仕種で口に運ぶ。かつて彼女は、自分を頭脳部隊のメンバーだと言ったが、それはつまり、割といいところのお嬢さんということなのかもしれない。
と、ジョンは思った。
「……B級グルメとしましては、もう1つですね」
「うーん……やっぱ、塩の仕込みかな?」
少女の感想を聞いて、中身オッサンの少年は首をひねる。彼自身、同じ感想を抱いたからだ。
ハレリアの特徴として、高級グルメがあまり発達していない一方、日本と同じようにB級グルメの発達が著しい。
そのためか、流通網が未整備である辺境以外のハレリア国民は舌が肥えているのである。
「まあ、それもありますが……。
「……あれ、
赤毛ショタジジイはキョトンとした顔で首を傾げた。
「ありますよ。オートレスがもたらしたものの1つですが、ハレリアやホワーレンではあまり流行りませんでした」
「なんでまた?
「1千年前、『混沌の夜明け』の際に、そこにあった王国と共に壊滅したからです。新しい調理法の流行などを気にしている場合ではなかったのですよ。それから、なぜかオートレスが布教を行った南方で流行り始めまして。一度はハレリアへも逆輸入されたようですが、今度は大飢饉に見舞われまして……。
そんなこんながありまして、余所から輸入されるたびに、運悪く流行が途絶えてしまったのです」
「……そこまで不運が重なってると、
話を聞いたジョンは、なんだかいたたまれない気持ちになった。
「うーむ……これは是非とも
「不幸を呼ぶとか迷信的なことはいいですから、とりあえず、今は目の前のことをお願いします」
「あ、ハイ」
とりあえず、残っている
ちなみに、
フリッターと呼ばれる洋風の天ぷらが伝来したのは、16世紀~17世紀。大体戦国時代から安土桃山時代、キリスト教の最初の伝来と同時期だったようだ。
徳川家康の死因が、その天ぷらの食べ過ぎだと言われているのは、有名な説である。高齢の身の上で消化に悪い天ぷらを食べ過ぎたことで、消化不良を起こしたのだろうと考えられているようだ。今日のように医学が発達する以前、そんななんでもないような原因で人が死ぬということは、そう珍しくなかった。
「それで、『足踏み式回転砥石』につきましては、他の工房にお任せする予定ではなかったのですか?」
白ローブの少女はジョンに尋ねた。
「設計した当初はそのつもりだったんだが、例の武術大会の相方が、結構ヤバめだからな。予定変更してここの設備を増強することにした」
「まあ、それはそれで構いませんか。その辺の判断についてこちらから口を出すようでは、本末転倒ですし」
「んで、今日はどんな用でこっちに来たんだ?」
「これですね」
赤毛チビに促された巨乳少女は、設計机の上に持ってきた図面を広げる。
「うわぁ、こっちのって数字とか全然入ってねえ……」
唸りながらも何とか読み解くと、どうやらそれは巨大なクロスボウ、つまりバリスタ、ハレリアでは『
「ああ、例の――」
「――ええ、できれば翌日にでも持って来たかったのですが、軍の方の手続きで時間がかかりやがりまして」
と、少女は珍しく愚痴を漏らす。
「現状、高級器が下手な兵器を上回っていますから、こういう兵器というのは防御的な使い方しかされていません。それにしたところで、ここ百年は技術の更新すらされていない有様なのです」
「なんか、トラブルでもあったか……」
「百年も変更なく作り続けられていますから、職人達がそれで覚えてしまっているのですよ。なので、ここ何十年も弩砲の設計図は書庫で埃を被っていたようなのです」
「そりゃまた……」
すなわち時間がかかったというのは、司書官が見失ってしまっていて、見つけ出せなかったということなのだ。現役の兵器の設計図をである。愚痴の1つも言いたくなる。
「……そうなっちまうと、これの射程距離って、もしかして百年前から一緒なのか?」
「そういうことでしょうね。それなりに技術も進歩しているはずなのですが……」
白ローブの少女は溜息をついた。
マグニスノアで弩砲と呼称されるもの。それはつまり、地球ではバリスタや
実を言うと、その歴史は紀元前に
バリスタは古代ローマや古代ギリシア時代、攻城戦や海戦で使用された。
地球人類の主戦場とも呼べるヨーロッパと中国では、それ以外に投石機や、火薬を使った兵器類も多く登場した。
その中でも、投石機と並んで多くの改良を重ねられ、長い間戦場兵器の主役を飾ったのが、西洋のバリスタや中国の
大きな特徴として、大型の発射台と弦を引くための機構が取り付けられていることが挙げられる。理由は簡単で、射程が長くなるにつれて弦の張りが強くなり、弓を引くのにもより大きな力が必要になるのである。当然、そういう機構のある弩砲の方が、射程距離は延びるし威力も高くなる。
しかしながら、弦を引く機構が存在することで、弩砲は使い勝手が悪くもなるのだ。考えてみれば当たり前のことだが、機構が増えると重量が増し、重量が増すと移動、そして狙いを定めるのにも大きなエネルギーが必要となる。
そのため、特に弩砲の系統は火砲兵器の発達に伴い、他の投石機などに比べて早いタイミングで戦場から姿を消している。
「だからって、こいつを異世界の技術で魔改造しちまうわけにも――いかねえんだよな……」
ハレリア王国政府の思惑として、来年に予想されている決戦の後、ジョンを発見したという体にしておきたいのである。今、あまり派手に異世界の技術を使うわけにもいかない。
「そうですね。御苦労をおかけします」
「気にすんなって。おたくらも俺を利用してるかもしれねえが、俺だって丸く収まるんならそっちの方がいいんだからよ」
「そう言っていただけると嬉しいですね。――もうちょっと扱き使ってもいいかもとか思ってしまいます」
「んがっ」
ジョンは名状し難い悲鳴のようなものを上げた。
「いや、今、俺いいこと言ったよな?なんで扱き使うとか、ひでえ話になってきてんの!?」
「思うだけならタダでしょう?ニヤニヤ」
とても愉快そうだ。これは何を言っても負かされる気がする。なので、ジョンは涙を飲んで泣き寝入ることにした。
せめて猫耳を付けることで、ささやかな反撃&紳士の癒しを得ることにして。
「せい」
「ぐほぁ」
当然、殴られた。
結局、いつも通りのオチに繋がるのであった。