火内1区。軍の設備が集中する場所だ。
火内2区の錬金術師区域と並び、宰相の直轄ではない区域でもある。新兵器や戦術の研究もここで行われており、区域は丸ごと柵で囲われていて、関係者以外立ち入り禁止の立札もある。
噂では、無断で立ち入るとどうやってか1分以内に兵士が駆けつけ、記憶を消されて塀の外へ放り出されるという。さらに、情報を盗み出す目的で侵入すると、とてつもなく強い騎士が差し向けられ、追いかけ回されるという話もあった。
「それで、君は一体どうしてここへ来たのかな?」
噂は本当だ、とジョンは思った。
いや、無断で侵入したわけではないのだが、案内の兵士からはぐれてしまったのである。それで、一度建物の隙間を通って広場の方に出ようと思ったのだ。その途端に兵士らしき誰かが出現し、捕まった。
ほんの1分かそこらの出来事である。
「試し切りを見せてもらおうと思って、剣を用意して来たんだが、案内の兵士とはぐれて迷った。広場が見えた方に行こうと思って足を一歩踏み出したら迷子案内の人に捕まった。
――イマココ」
後ろからポンと肩に手を乗せられただけで、頭以外は指一本動かせなくなっている。星王術を使ったのか、それとも関節技のようなものなのか、ジョンには分からなかったが、とにかく、命を握られたことだけは確かである。
相手の姿が見えないというのは、滅茶苦茶恐い。
「ああ、もしかして、君がジョン君なのかな?」
肩に乗せられた手がどけられる。
「ととと……」
立っている感触もなかったので足の力が抜け、転びかけるが、すんでのところで感触が戻り、壁に手を付いて転倒を免れた。
「えー、多分そのジョンです」
振り向くと、短い赤毛の青年が立っていた。
目が糸のように細められていて、着ているのは白銀の鎧。鉄特有の鈍い色ではない、
つまり、この青年は騎士なのだ。
「やあ、済まなかったね。洗脳術がかけられていないかどうか、確認したかっただけなんだ」
「ああ、それで……」
頭を下げる青年騎士に、ジョンは納得した。
つまり例のスパイ事件の後続が来ていないかどうか、確認していたのだ。どうも言い訳っぽいが。少年側にも隠し事はあるため、あまり深くは追求しないことにする。軍関係者なのだから、秘密の1つや2つあるのは当然だ。
「僕はゴメス・ゴードン。君の噂は聞いているよ」
「どんな噂っすか?」
「有名どころでは、武具大会での健闘ぶりかな。エドウィン君と当たらなければ、優勝していただろうね」
「エドウィン卿って、凄い人なんですか?」
「ハレリアでも20人もいない、二器使いだよ。要するに、星王術士でもあるってことさ。騎士と術士両方の才能が開花することなんて、滅多にないからね」
「なるほど、さっぱりわかりません!」
ジョンは無駄に胸を張って言った。
「いやそれ、胸を張ることじゃないからね?」
「いいツッコミありがとうございます」
「調子狂うなぁ……」
ゴードンと名乗った青年騎士は疲れた様子で肩を落とす。
「とにかく、試し切りだったっけ、話は聞いてるよ。僕が案内しよう」
「すんません、軍人さんって歩くの速くて、それで見失っちまったんですよ」
「なるほど、それは案内役に問題があるね。また今度注意しておこう」
赤毛の青年騎士は頷き、少年を連れて歩き始めた。
案内されたのは、錬兵場だ。
練兵場といっても、そこまで大きくはない。大体150メートル四方、学校のグラウンド程度だった。
用途は、主に戦術研究である。ここで歩兵や騎士を走らせ、兵器を用いたりして新戦術を研究するのだ。
兵器や術の性能実験に使う場所は、別にあるらしい。弩砲の
今現在、ここで何が行われているかというと……。
「ぬおおおおおおおっ!!」
「オオオオオオオオッ!!」
2人の戦士が訓練用の武器を使って、激しく打ち合っていた。
1人は白髪の混じった金髪に褐色肌の、初老の大男。鎧は白銀、武器は槍。
もう1人は、金髪の長身青年。いや、少年かもしれない。鎧は灰銀色、武器は両手用の大剣。
相手の武器を弾き、攻撃を叩き込み、その攻撃を弾かれて攻撃を叩き込まれ、さらに……。という繰り返しだが、目で追うのがやっとだ。
槍や剣は、僅かな
「素人ってさ」
赤毛チビは呟く。
「割と目の良い奴がいたりして、そういうのが調子に乗ると兵士に勝てるとか思うこともあるらしいじゃん?」
「そうだねえ。一般兵なら、想像の中なら頑張れば何とかってところかな」
「でも、ありゃぁ無理だわ……夢にでも勝てると思えねえ……」
「ああ、なるほど……僕もあれは厳しいかな……?」
ゴードンは腕を組んで唸った。そこに、白いローブの少女がやってくる。
「お爺様、お客様のようですよ」
「む――フンッ!」
槍の穂先で大剣を弾き上げ、褐色肌の騎士は籠手に包まれた拳を金髪の少年兵士の腹に叩き込んだ。
「ごぼぅっ!!」
人体から発せられるとは思えない物凄い音と共に、少年兵士は体を『く』の字に曲げて倒れ伏す。
「あらあらまあまあ、マルファス様へのお客様ですのに……」
白目を剥いてピクピクしている人間を見ても慌てず騒がず、フードを目深に被った少女は白い手を頬に当てて、おっとりと困っていた。
「おお、これは失敗したか」
初老の巨漢も、困ったように頭を掻く。まるで、今までその人外級少年兵士に合わせて加減していたと言わんばかりである。
「じゃあとりあえず、回復するまで話を聞いておこうか。上役に話を通しておくのも大事なことだしね」
「頭撫でられたら首折れそうだよな……」
ジョンはそんなことを呟きながら、ゴードンの後に続く。
白いローブの少女がベンチに寝かせられた少年兵士を術で治癒している間、ジョンは初老騎士と対面することになった。
ちなみに膝枕である。膝枕である。
「総長」
ゴードンが、手拭いで汗を拭いている金髪褐色肌の初老騎士に声をかける。
「おお、ゴードンではないか、調子は良いようだな」
「おかげさまで。それで、彼が例の少年鍛冶師です」
「例のクソガキ鍛冶師ジョンです」
「わはは、面白いやつだ」
ジョンの冗談を、大男はご機嫌で笑い飛ばした。物凄い力で背中をバシバシ叩かれ、思わず咳き込む。
「ワシはハレリア騎士団総長、グレゴワール・デンゲルだ」
「マジっすか、ハレリア騎士団の頂点に20年も君臨し続ける、あの『雷神』グレゴワール・デンゲル!」
「おお、そうとも呼ばれる。いや、ワシも有名になったもんだわい」
大男は豪快に笑う。
『雷神』グレゴワール・デンゲル公爵。
ハレリア国民ならば大抵の者が知っている、ハレリアの生ける伝説である。極少数の騎士にのみ所持が許される、高級単唱器の使い手としても名高い。
もっとも有名なエピソードだけを紹介しておくと、ブロンバルドの洗脳軍団が襲来した時、敵5千に対して味方100という、50倍近いの戦力差の敵に、情報確認や作戦立案などを行わずに正面突撃を敢行、味方に1人の犠牲もなく敵を壊滅させたという。それ以来、『雷神』が出陣したという噂だけで、ブロンバルド軍は退却して砦に引き籠るようになったとか。
とにかく、ベルベーズ大陸全土に名が轟いている猛将なのだ。その猛勇さから、特に兵士の中で崇拝者が多く、『雷神』が戦場に出れば必ず勝てると信じられていた。
しばらくして、白いローブの少女の心尽くしの治癒術のおかげで、少年兵士は目覚めた。
ゴードンはジョンを案内した兵士を探しに行って、その場を離れたが、デンゲルは残っている。まだ訓練は続けるつもりらしい。
「すみません、せっかく来ていただいたのに待ってもらっていたなんて……」
金髪の少年兵士は大きな体を縮こまらせて、この中では最も小柄なジョンに頭を下げる。
「膝枕の感触はどうでしたか」
「やわらかくていい匂いが――」
「えい」
白いローブの少女が可愛らしい掛け声とともに、少年兵士の脇腹に
「おふっ」
「女の子の前でそういう話題はメッ、ですよ」
「す、すみません」
「――そうか、やわらかくていい匂いか……」
「あなたもです」
「ぐえ」
地獄突きが咽喉に軽く当たる。咽喉は人体の急所の1つで、軽く当たるだけでも結構なダメージになる。
「鍛冶師のジョンだ」
「え、ええと、自分は兵士のマルファスです」
大柄な少年は、緊張した様子で自己紹介し、握手を交わした。
そしてジョンは担いでいた剣を少年兵士マルファスに渡す。マルファスは剣を包んでいた布を取り払った。
剣の形状はロングソードだが、
「これは……?」
「よーし、じゃーあ説明しよう!」
ジョンは張り切ってマルファスの疑問に答える――。
「ほぉ――『バラクの試し切り』とはな……」
その前に重厚なデンゲルの呟く声が漏れ響いてきた。
「その昔、鍛冶師バラクも、同じように刃のない武器で試し切りをさせたそうです。聞いた人はそれを馬鹿にして、試し切りをした人は信じました。その結果が、武具大会の準優勝という形となって、人々を驚嘆させたのです」
「いや、懐かしいものだ。あの時はゴランとバラクが反目しておって、それはもう大変だった」
金髪褐色肌の巨漢騎士は、遠くを見るような眼をして呟く。
「あの偏屈ジジイ知ってんですか?」
「おお、知っとるとも」
ジョンの質問にデンゲルは鷹揚に頷いた。
「その逸話でバラクを信じた使い手というのが、このワシなのだからな」
「……マジっすか」
「おお、マジだとも」
ノリの良い騎士団総長である。
「あやつの凄いところは、頑固に主張したことは、大体合っとるということだ。本人は口が下手で、他人に説明できんかったようだがな」
「感覚の人なのはわかりますよ。応用がちょっと足りねえのは、やっぱ偏屈してるせいなんじゃねえかと思いますがね」
「応用が足りんだと?」
デンゲルは目を見開いた。
「俺は理屈から入る方なんで。師匠がやってることは見てれば大体分かるから、応用することは難しくないんでさ」
「わっはっはっ!さすがはあのバラクが弟子と認めただけのことはある!」
デンゲルはご機嫌な様子でジョンの背中をバシバシと叩く。
「あ、あの……」
放っておかれたマルファスは、刃のない剣を持ってオロオロしていた。
さっさと試し切りをして、訓練に戻りたいのだが……。
「今の内に試し切りしてしまいましょう。的に向かって、剣を圧し折るつもりで、思いっきりやってしまって下さい。その結果が、いずれマルファス様の命を守るのです」
「は、はい……」
背中を物凄い力で叩かれて気絶した赤毛ショタジジイの耳には、その会話は聞こえていなかった。
ハレリア軍:
大きく分けて軍事力である『王立騎士団』と『王立歩兵軍団』、自衛戦力である『衛兵団』に分かれている。
王立騎士団はグレゴワール・デンゲル公爵が総長を務める、東西南北、それにルクソリスを守る5つの騎士団からなる。
騎士団に求められるのは圧倒的な武力であり、騎士が叙任の際に単唱器を与えられるのも、さらなる武力が求められているため。
ちなみに北方騎士団の団長は、『風神』ロバート・ウェスター。
ハレリア王立騎士団のこの制度が他国にも広まり、マグニスノアでは騎士が単唱器を持つものという常識がある。
この単唱器は騎士の命とも呼べるものでもあり、万が一紛失したりすると、奪還任務が言い渡される。
そしてそれに失敗、見失って諦めたりすると、騎士の位が剥奪されてしまう。
そういう単唱器はその性質上かなり希少であり、ほとんどは市場に出た瞬間に国に回収される。
極少数は国に回収されずに、マフィアや山賊などの裏の組織が保有していると言われるが、確かなことは誰も知らない。
王立歩兵軍団は、ヴェグナ・マディカン公爵が元帥を務めており、大都市に千程度の兵員が配置され領主の要請を受けて、山賊狩りやマフィア調査などを行う。
国境警備も王立歩兵軍団の役目で、歩兵軍団で対処出来なければ、騎士団がやってくることになっている。
階級の上ではヴェグナ・マディカン公爵がハレリア軍のトップとなる。
ちなみに、王立歩兵軍団、北辺国境警備兵団の兵団長はゴメス・ゴードン子爵。
衛兵団は、ハレリア国内の町や村、都市などを守る警備隊。
他の2つの軍団よりも地域に密着した性質を持っており、原住民が入団することも少なくない。
割かし雑用も多いが、国民からは最も信頼されている。
特に決まった命令系統はないが、希望しない限り戦場に駆り出されることもない。
ルクソリスやナンデヤナなどの大都市では貴族が出資して組織することがほとんどだが、他の小さな町や村では、自警団とさほど変わらない。
貴族に私兵にならないように命令規制があり、役所も国も、お願いという形でしか指示を出せないようになっている。
王立歩兵軍団のほとんどは、この衛兵団からスカウトされる。
ハレリアには傭兵が少ないが、主な理由は衛兵団の存在が大きいと言われている。
武力を必要とする大抵の面倒事は衛兵に頼めば解決してくれるため、傭兵の仕事がないのである。
他国では、荒くれ者の傭兵は戦争屋として重宝されているが、大抵略奪を働くため、国民からは蛇蝎のごとく嫌われている。
軍というものもあまり信用されていない。
これは兵士の数を揃えるのに国の税金だけでは足りないためで、地球でも中世近世の大抵の軍隊では略奪が許可されている。
ハレリア王国は大規模な穀倉地帯を3つ保有しており、さらに商業経済も充実しているため、食糧や報酬に関しては自前で支払うことができるため、兵士の数が多く、衛兵団のシステムなどから需要も少ないため、傭兵の数が少ない傾向がある。
現在、ハレリア、ホワーレン領内で傭兵が活動しているのは、北と西の国境近辺である。