ある貴族の邸宅。
「ポンサー卿」
「おお、姫様。此度の事件、無事解決したようですな」
老人男性のしわがれた声が、少女の涼やかな声に応える。いわゆる、読者には秘密の会話というわけだ。
「ハゲジジイ卿、姫なんてよしてください。今の私は行政官吏です」
「ホッホッホ、小さい頃から知っておると、どうも子供のように思えてしまいましてな」
「まあいいのです。それより調べていただきたいことがありまして」
「なんなりと」
「娼館に通った回数を」
「ファッ!?」
「冗談なのです」
「驚かさんで下され」
「最近は平均で5日に1回ですよね?」
「歳でしてな。公務もありますれば、そうそう行けませぬ。
……いえいえ、娼館の安全管理状況はこの目で確かめる必要もございますからな」
「そういうことにしておきましょう」
「して、どのような御用向きですかな?」
「よく見ると送り主も書いていないのですが、この紹介状が本物かどうかの調査と、持ち主の身辺調査です」
「転生者の偽者でも出ましたかな?」
「うーん、それなのですが……どうも嘘を言っているようにも見えなかったのですよ。こんなものも作っていますし」
「獣耳……ほほう……」
「……私に手を出そうとしたら殴りますからね?」
「め、滅相もない!」
「なあ、頼むよ。お金ならあるからさぁ」
ちなみに受付は男である。
「ガキが自分の工房を持とうだなんて10年早いんだよ!」
しかし、突っ撥ねられる。
「歳のせいで買い物もできねえなんて、嫌な時代に生まれちまったもんだぜ」
「グチグチ言ってる暇があったら、どっかの工房に弟子入りするんだな」
「弟子入りったって、ろくな奴いねえじゃねえか!実力飛んでるのに気付かずに一生弟子のまんまとか、嫉妬されて背中刺されるとか嫌だからな!?」
「人のせいにするんじゃない!ろくに修業も積んでない癖して、一人前に口だけは達者なやつだな」
「じゃあ、腕試しだ!ここで一番の職人と競わせてくれ!」
「だから10年早いって言ってんだよ!」
「何事じゃ」
奥から老人が出てきた。
「あ、マスター、このガキが自分の工房が欲しいって生意気なこと言いやがるんで」
「金はあるんだよ。ナンデヤナで儲けてきたし」
「失敗作も金で解決されちゃ、ウチの信用にかかわるんだよ!」
「だから、腕試しで確かめりゃいいだろ!」
「なるほど、するとボウズ。腕試しをして、負ければ工房の話はナシで構わんな?」
「ああ、その時は素直に弟子入りするよ」
「マスター!これを認めれば、同じ手を申し込むガキが増えて、大変なことになりますよ!?」
受付の中年男性は慌てるが、ギルドマスターらしき老人は落ち着いている。
「空いた工房くらい貸してやればよかろう。
じゃが、そういう事情もあるからのう。負けた時に素直に弟子入りするだけでは済まん。
材料費や炉を傷めた分の修繕費も払ってもらうぞ」
「わかった」
ジョンはその条件を呑むことにした。
どうせ、工房が手に入らなければ、貯めたお金も無駄になるのだ。
「期間は30日じゃ。その間に包丁の1本でも打つがよい。ワシらは数と質を鑑定し、結論を出そう」
ちなみに、この職人ギルドの反応は、決して理不尽ではない。
現代地球でも、弟子入りして学ばせてもらったお礼として5年間の奉公勤め、要するにタダ働きをするという伝統が残っており、中世では弟子入りするとそのまま永久就職になるケースも少なくなかったと考えられる。
だからこそ、ジョンは無理を通すためにお金を用意したのだが。
それから、個人用の小さな工房に案内される。
「お前がやってるのは、ギルドに喧嘩を売ってるようなもんだからな。厳しい結論は覚悟しろ」
「手は抜かねえ」
凄みを利かせる受付オヤジに、ジョンは物怖じせずに返した。
「その先にモテ期があることを信じて!」
ダメだこいつ、はやくなんとかしないと。
ジョンは市場で薪を買ってきて、炉にくべた。
まずは長く使われておらず、湿気た炉を乾かさなくてはならない。
その間に再び市場へ向かい、鋳型と木炭とクズ鉄を購入。木炭は自分で作っても構わないのだが、今回は時間がないため、市場で買ってくることにした。
保存状態によっては吸収された水分が原因で破裂、赤熱した炭が跳ねる
クズ鉄というのは、現代地球では鋼材を加工した際に出る削りカスを、材料ごとに分別していないものを指す。しかし、中世のマグニスノアでは、単に折れたり曲がったりして使い物にならなくなった鉄製武具を指してそう呼んだ。
要するに、精錬の甘い鉄と思えばいい。
中世ヨーロッパでは、鉄製品といえば鋳造品である。その方が強度は低いが量産性が高かったために、次々に壊れても安価で替えを用意できるという要素が優先されたのだろう。武具も大体そうだし、農具などについてもそうだった。
通常、鉄の精錬を行うには、幾つかの段階がある。
鉄鉱石、天然の鉄は酸化鉄だ。これは錆を融かしてくっつけたとも呼べるもので、とにかく錆が酷くて強度が低い。
これを解決するために、大量の炭の粉を投入し、長時間加熱する。そうやって酸素を抜き取る還元反応を起こしたものを『
それを解決するのに、石灰を加えて長時間加熱する『脱炭』を行う必要があった。こうしてようやくまともな鋼が出来上がる。
しかし、還元や脱炭の処理が甘い鉄製品も少なくなく、また一から精錬する時間も、今のジョンにはなかった。そこで彼は、鍛錬による精錬法を行うことにした。
量産性に問題があるものの、窮めれば凄まじい性能の品物を作り出すことができる精錬法。それを『折り返し鍛練法』という。
折り返し鍛練法は日本刀の製法として有名だが、化学反応に頼った精錬が普及していなかった古代から中世、最も原始的な方法としてそれは世界中に存在していた。これは、単純にひたすら叩いて伸ばし、折り返して再び伸ばすを繰り返して、焼けた鉄内部にある不純物を叩き出すというものだ。
これは想像なのだが、不純物が叩き出されるのは、鉄とは融ける温度が異なるからではないだろうか。そのため、ハンマーで叩いた際に加えられる圧力で、液化した、あるいは固体のままの不純物が弾き出されていると考えられる。
砂鉄に含まれる不純物は、酸素の他に硫黄やリンなど、融ける温度が異なるものが多いのだろう。日本刀の鉄純度が高いという話も、それを裏付ける。そして一定以下の高い純度の鉄は、意図的に強度を下げた鉄合金でもなければ強度は高い。世界的にも優れた刃物とされる日本刀は、古代の技術に基くものにもかかわらず、意外と科学的にも理に適ったものなのである。
あくまで想像だが。
1ヶ月後。
「包丁4本だ」
少年は職人ギルドのカウンターに、出来上がったものをずらりと並べた。
「残念だったな、ウチは腕試しで市場で買ってきたものを出すようなガキはお断りなんだよ」
「そうか、残念だな。まあ、ろくに工房の手入れもしてないようなギルドに来た俺が悪かったんだ」
「なんだと?」
「そうそう、炉が崩れてたから、補修しといたぞ。壊れてた道具類も、崩れそうだった壁も、
「なっ!?」
「エムートはもっと酷かったぞ。炉も土探しから始めたし鍛冶小屋もなかった。買ってきたレンガを積んで炉にできるだけ、こっちの方が大分マシだったぜ。半端なことしてんじゃねえクソッタレ。
じゃあな」
呆然とするギルド職員を余所に、ジョンは包丁を鞄に片付けて、ギルドの建物を出る。
結論を言えば、このギルドは少年に勝ち目を与える気などなかったのだ。だから、ろくに作業などできないような、崩れかけの工房に案内し、その補修費と称して有り金をすべて巻き上げようとしたのである。受付がろくに見もせずに、4本の包丁を市場で買ってきたものだと断じたのもそのせいだ。
ちなみに。彼が4本もの包丁をどうやって作ったのか。
まず最初に、クズ鉄を加熱して折り返し鍛練を行い、精錬する。
次に叩いて成形。ここまでは鍛錬による作り方と同じだ。元々ある程度精錬されていたため、鍛練にかける時間は短くていい。
時間がかかるのは、この先の仕上げ、研ぎである。
焼き入れをするという工程があるため、包丁の刃は非常に硬くなる。そのため、研磨にも時間がかかってしまうのだ。
そこで彼は、焼き入れの前にある程度研いでおくというやり方を採用した。焼き入れる前ならば、鋼もそこまで硬くなっていないのは道理である。それから焼き入れを行えば、時間を短縮することができる。
ただ、それは研いで焼き入れして研ぐという、ある意味で二度手間を含むものだった。金属は、そう簡単に温度は上がらないし、水に浸しても簡単に温度は下がらない。だから、研ぐにつけて砥石の目が潰れない、鉄がある程度硬くなった温度で研ぎ始める必要がある。
その見極めが出来なければ、こんな真似はできないのだ。
さらにそれを複数本となると、温度の上下の時間をスケジュールで管理する、高度な計画性が求められる。
『折り返し鍛練』は、鋼を多層構造にすることに意味がある成形法のため、その層構造が加熱のしすぎで融けてしまうと、強度が大きく損なわれてしまうのである。
その管理を完璧に行ったからこそ、複数本の包丁を同時平行して作成できたのだ。
もちろん、それは職人としてかなり高い技術の持ち主である、一つの証明だった。
「お久し振りです」
少年は職人ギルドの建物を出たところで声をかけられた。
涼やかで甲高く、遠くまでよく通る声。彼はこの声に聞き覚えがあった。
そして振り向いた先には、予想通り、白いローブの少女。あの時と同じく、フードを目深に被っているせいで顔が見えない。
「くっ!?」
そんな少女に、少年は鞄に手を突っ込んで、絶望の表情を見せる。
「不覚、こんな時に猫耳を切らすとは……!」
「相変わらずの変態で安心しました」
少女は言いながら、フードの奥から深々と溜息をついた。
とりあえず、近くの食堂に移動する。
「この1ヶ月、大変だったようですね」
「若いってだけで、工房1つ買うこともできねえとは思わなかった」
「巡り合わせが悪かったのですよ。
「そりゃ疑うわなって話か」
「そういうことです。それに受付の人も、例の陰湿なイジメの被害者でして、ノイローゼ気味だと聞いています」
「あちゃー、そりゃタイミングだなぁ……」
赤毛少年は天を仰いだ。
「師匠からは、割と融通が利くって聞いて来たんだけどな」
「それはもう1つ運河の内側、『内域』のことですよ。外域と違って、年功序列の通用しない場所があるのです」
「へー、そんなとこがあるのか。でも、身分がどうとかっていう、ややこしい話があるんだろ?」
「大丈夫ですよ。一定以上の実力と素性の確かさ。求められるのはその2つです。そして、貴方の素性に関しましては、こちらで調べさせていただきました」
「手が早いな」
「自分を転生者だなどという不審者を、そのまま野放しにはしておけませんよ」
「俺、不審者だったのか」
ジョンは愕然とした。
「少女と見れば猫耳を付けたがる変態という自覚はおありですか?
近くで女性と見れば猫耳飾りを付けて回って、3回ほど衛兵に怒られたそうではありませんか」
「少女に猫耳をつけてミニスカメイド服を着せるのは、男として一般常識じゃないのか!?」
「ありえません」
「なんというカルチャーショック!これが異世界ってやつなのか……!」
「なぜ3回も怒られておいて気付かなかったのですか……!」
うなだれる少年に少女はドン引きしていた。
気を取り直して。
「北のトトメテス伯爵領から西の国境を越えて山道を10日ほどの場所にある、エムートという空白地ですね」
「ああ、しばらくエムートにいたな。懐かしい……………………………………」
と、思い出し、彼は微妙な顔をした。
「どうかしましたか?」
「いや、思い返してみるとろくな思い出がねえ気がしてきた」
「逃亡奴隷が逃げ込んでくる場所ですからね。傭兵もそこそこ多いようですし」
「ああ、そういやそうか」
「で、その近くのヘホイ村の生まれ、と……」
「わざわざそこまで調べたのか。エムートでもすっげえ僻地なのに」
「辺境を超えて秘境にレベルアップしましたねメデタイ」
「めでたくない」
「国家の情報力を嘗めてはいけませんよ。それに、1ヶ月もありましたから」
そう言って少女は胸を張って見せる。
白いローブの下から、華奢な体躯の割に意外と大きな胸の膨らみが浮かび上がり、ジョンは思わず生唾を呑み込んだ。
そしてテーブルの下で足を踏まれた。
「いっ!?」
「視線がセクハラです」
以前よりも容赦がなくなってきている気がする。
気を取り直して。
「ただ1つわからないのは、貴方の目的です。バラク氏の紹介状については裏が取れましたが、それをあっさり破棄した行動を、私は理解できません。あれがあれば、今回についてもトラブルを避けることはできたでしょう」
「あのギルドの連中なら、目の前で破り捨てておしまいさ。まともに受け取ってくれるって期待するほど、こっちでの経験は浅くないつもりだ」
「なるほど、失礼しました。ただの馬鹿ではないということですね」
「褒めるかけなすかどっちかにしてくれ」
「では痴漢、変態、ロクデナシ、と罵っておきます」
「
「では次のお話を」
「スルーしやがった!」
気を取り直して。
「貴方の目的は何ですか?」
「何か作っていたい。下らねえもんでも、何かを苦労して作る達成感が欲しい」
「それだけですか?」
「後は女の子にモテたい。前世童貞だったし。
猫耳ミニスカメイド服を着てくれる子がいればなおよし!」
「それは不可能です。見た目的にも性格的にも」
「チクショー!」
気を取り直して。
そろそろコメディに曲がっていく話を修正するのも疲れてきた。
「本当にそれだけですか?」
「俺の人生に自己満足以上の目標はねえよ」
ジョンは断言した。
「前に言ったが、俺は一度、魔法のない異世界で死んで、こっちに生まれ変わってる。その時に、なんか出世とか金とか、どうでもよくなっちまってな。
多分、前の人生で燃え尽きちまったんだろ」
「では、なぜ故郷を出てまで鍛冶師を目指すのですか?」
「燃え残りがあるからさ。物作りへの想いっていう、溶鉱炉でも融けねえ、頑固な燃え残りがさ」
「燃え残りというよりも萌えクズですよね」
「あれ、今俺カッコイイこと言ったはずだよな?なんで上手いこと返されてるの!?」
テーブルに身を乗り出すと殴られた。
「うるさいです。殴りますよ?」
「言う前に殴りやがって……」
「お約束です」
教えてくれ、あと何度『気を取り直して』と書けばいいんだ。
読者から『知るか』という返答を頂いたところで――気を取り直して。
「では真面目な話、つまり本題です」
「ようやく本題か……」
ジョンはテーブルに突っ伏して呟く。
「結婚して下さい」
「は?」
「冗談です」
「なんて嘘だ!一瞬本気にしちまったじゃねえか!俺の純情を返せ!そしてもっとやれ!」
「ではようこそ処刑台へ」
「冗談の方向が180°変わった!?」
「冗談で………………は、あります」
「一瞬ビビったじゃねえか!あんたにおちょくられると、俺の童貞ハートがすっごいビクンビクンするよ!」
3回目の出会いは、最早恒例と化したショートコントだった。
「貴方に
「内域?」
「簡単に言いますと、宰相府直轄の工廠区です」
彼女は言った。
この赤毛の少年、ジョンが公式に記録されたのは、星王暦1001年のことである。
なかなかヤンチャな少年であったようで、いつも師匠と喧嘩ばかりしており、時折奇妙な提案をしては周囲の人々を驚かせていた。
ただ、異世界転生者であるということを他者に語ったのは、ルクソリス担当の上級調停官の少女が初めてであり、私による観測記録のデータもこの頃から一気に増えていった。
私は少年本人が語ったことをそのまま信じたわけではない。
ナンデヤナやエムートにて提案される技術が、この世界における天才のものとは毛色が異なっていたからだ。
何より、発明に至る行動が異常に的確で、成功率も常軌を逸した数字である。
異世界転生者の候補の1人として、目を付けてはいたということだ。
そして、上級調停官の少女に語った時、嘘を言っているような生体反応は観測されなかった。
ここではじめて、本人の口から異世界転生者であることが確認されたわけだ。
しかし。
だからといって誰かに伝えることは控えた。
まだどのような性質の持ち主なのかは判然としておらず、これからさらなる観察が必要であると判断したからである。
幸い、周囲に特段の危険は観測されておらず、居場所も現地住民と契約した守護特区。
経過観察を続けるには都合のいい場所と言えた。
昔のように、わかりやすい端末を送り込んで無用の混乱を招くことは、避けなければならない。
何か手段を講じる必要がある。