ハレリア王国王都ルクソリス。
マグニスノアの言語、古代ラテナ語で、意味は『太陽の光』。かつては太陽信仰の中心地だったようだ。
しかし、建国王シドルファスが『魔物』の襲撃を受けた際に、そこにあった街は壊滅。家族がその巻き添えで死亡し、途方に暮れる彼の下へ、始祖ケルススが訪れた。2人が出会ったその時、『蛇王』という神が光臨し、その対となる神、『星王』の教えを授けていった。
それ以来、ルクソリスという場所は星王教の聖地となり、総本山として中央神殿が建てられたという。
「ルクソリスの構造は、中央神殿と王宮がある中央区を中心に、貴族区、内域、外域に分けられます。それぞれ運河と堤防によって隔てられていまして、橋と船着場にて移動制限が行われています。
1ヵ月前のようなスパイ事件は、外域でしか起こり得ません」
「3重の同心円構造ってわけか」
白いローブの少女は頷く。
運河なら泳げばいいと思うかもしれないが、泳げる人間というのが実はあまりいない。
現代地球では一般的に行われている水泳の授業だが、中世では水に縁のある民族でなければ、自分から泳ぐ練習をすることがほぼないと言えた。
日本でも、水泳の授業が全国で始まったのは、つい最近のことなのだ。
それも大きな水難事故がきっかけである。
つまりこのマグニスノアでも、泳ぐ習慣のある民族以外は泳ぐことを想定して訓練している特殊部隊くらいしか水泳はできないと考えていい。
「それぞれの円を東西南北に貫く大通りがありまして、この大通りを境に四大属性、風火土水、外域ではさらにそれを3つに分割し、
内域は四大属性を2つに分けています。外域に比べると幅が狭いですからね」
同心円とはいえ、同じ間隔ではないということだ。
「外域は一般平民が住む場所で、ポンサー伯爵が統治しています」
「王都なのに、王族が統治してるわけじゃないのか?」
「ハレリア王国の王族は、裏側のサポートや外交の仕事を主に行います。王族の意見で好きにできる土地は、壁の内側では王宮くらいのものですよ」
「へー、都知事みたいなのがいるのか」
これは中世としては珍しい政治形態である。
通常、この時期はすべての土地や財産は国王のものとしたり、強力に中央に権力や富を集中させるシステムを作るものなのだ。
どちらかといえば、江戸時代の武家政治のような、民衆の寄り合いで解決できないことを武士が解決するという形態に近い。
よく勘違いされているのだが、徳川幕府の下で武士が威張っており、『斬り捨て御免』が通じたのは、かなり初期の頃の話である。
なぜならば、武士が年貢などによって食糧を得るのに、領民は必要不可欠だからだ。その数を自ら減らしてしまうような浪人武士を放置すれば、経営が立ち行かなくなってしまう。むしろ何か問題があれば即座に駆けつけ、解決するくらいに領民を守っていなければ、士気の低下などであっという間に没落してしまうだろう。
「内域は、宰相府が管轄する工廠です。一定以上の才能、そして素性が確かで、あまり露骨な野心を持っていない人が招かれる場所ですね。先程も言いましたが」
「俺の素性って、そこまで信用されてんのか?知っての通り僻地だからな。情報が間違ってたとか言われねえよな?」
「エムート地方の農村ヘホイ、農家の出身、上に兄が2人。1つ上の方が幼馴染の方と、先月めでたく
「マジかよ……あのアホ兄貴が!?」
「驚くのはそこですか」
少女は深々と溜息をついた。
ともかく、ジョンはこの1ヶ月で家族のことまで調べ上げられていたらしい。それはつまり、人質を取られているのと同じだ。
しかし彼は、その辺のことは特に気にしていなかった。
「エムートからトトメテス抜ける道って危ねえからな。みんなトトメテスに行く時は、通い慣れてる行商人についていくんだ。周りの山はハッグが出るから、山賊もいねえ」
「はぐれ術士ですか」
ハッグとは、地球西洋における
キリスト教圏で魔女狩りが活発化する際に流布された、作り話に類したものだろうとされている。
マグニスノアでは、積極的に人を襲うほど凶悪な存在ではない。
というのも、錬金術師の世捨て人だからだ。錬金術師の中には、研究に没頭するあまり、他人との交流を疎ましく思い、人の営みから隔絶した場所に住みつく者がいる。そういう錬金術師を、この世界では『
ハッグを怒らせると、魔法を使えない人間ではほぼ太刀打ちができない。だから、ハッグの住処近くを示す逆五芒星印を、人々は恐れるのである。
山賊行為をするために山に拠点を作ろうとして、うっかりハッグの住処に入ってしまうと、悪辣な罠によって最悪皆殺しの憂き目に遭うというのも、決して珍しいことではなかった。
「だから、山賊の拠点ってのは大体、山の麓近くにあるんだよ。で、そういう分かりやすいのは、傭兵が潰しに行く」
「なるほど、それで……」
「その行商人に聞けば、エムートから出る人については大抵のことはわかるはずだぜ。大体、危険を冒してまでエムートを出ようって奴は珍しいんだ。出るならハレリア方面しかねえし、自然と行商人を案内に頼むことになる」
話を戻す。
「素性はいいとして、野心はねえなあ。物作りができてりゃそれでいいし。後は、才能か?」
「それについても問題ありません。例の紹介状の裏も取れましたし。バラク氏から本物の紹介状を獲得したということでしたら、才能としましては十分以上です」
「あんな、内容が無い様な紹介状でよかったのか」
「ツッコみませんからね?」
「えっ?」
「えっ?」
どうやら、ジョンにダジャレを言ったという意識はなかったらしい。ツッコミを入れる側も、外すと案外恥ずかしいものがある。
「ってことは、資格があるとして、どこかに申請とか出さなきゃいけねえのか?」
「どこかにと言いましても、神殿しかありませんけれどね」
「そうだった」
ハレリアでは、神殿が役所を兼ねているのだ。
「本来はギルド経由で諸々の判断が行われるのですが、紹介状を含めて私が手配しておきました」
「なんか悪いな」
「いえいえ、現状、有能な方は咽喉から手が出るほど欲しいですから」
赤毛のショタっ子はおや、という顔をする。
「軍備を増強してるとかか?」
「それもありますが、経済的な理由の方が大きいです」
「経済的な理由?」
「どこかの国が裏で手を回して、このハレリアを潰しにかかっているのですよ。先月の洗脳事件などはその最たるものですね」
「あれって黒幕の黒幕は国だったのか」
ジョンは驚いていた。
魔法にはこんな使い方があるのだ。戦場で派手に炸裂させるだけが魔法の使い方ではない。魔法がある世界には、特有の戦いが存在するらしい。
彼が思っていたよりも、もっと大きな事件だったということである。
「ああいう産業基盤への攻撃が、近年絶えません。類似の事件としまして、優れた職人を洗脳して連れ去ったり殺したりする事件が多発しまして、それはもう解決したのですが、そのせいで職人の絶対数が減ってしまっているのですよ。
優れた職人の数が減れば、取引される品物の信用度が下がります。
それはハレリア王国全体の経済活動に大きな損失を招きます」
「えげつねえ真似してきやがるぜ」
少年は顔をしかめた。
「先月、あなたを囮にした捜査のおかげで、相当数の洗脳被害者を確保できました。しかしこれからも、似たような事件は続くでしょう。
対抗手段も考えていますが、それが効果を発揮するのはもう少し先です。
それまでに、なんとしてもハレリアの経済を持たせなければなりません」
「なるほど、だから1人でも優秀な職人が欲しいのか……」
「はい、そういうことです」
ジョンは腕を組んで考え込んだ。要するに、これはスカウトなのだ。だが、身の安全を確保するならば、断るという選択肢はない。しかし、ただ彼が内域に入っただけでは、小生意気な職人見習いが増えるだけの話である。
そして考えた末に、ある結論を導き出した。
「よし、猫耳とミニスカメイド服を作ろふ」
グーで殴られた。今まで割と加減されていたが、今回は2割増しで痛かった。
「今の話の流れで、どうしてそんな言葉が出てくるのですか!」
「いや、最後まで話を聞いてくれ!ちゃんと根拠があるんだ!」
「では、聞きましょう」
ジョンは説明する。真面目に説明しなければただではおかない、というオーラをビンビン感じながらの説明は、とても緊張した。
「このベルベーズ大陸の消費っていうのは、誰が握ってるのか。それは商人や貴族だ。
ハレリアはともかく、他の国での通貨は平民から搾取するためにあるって言っても過言じゃない。だから、平民からお金を吐き出させるって方法は無意味。なら、商人や貴族からどうやってお金を吐き出させるかが、今回の鍵になる。
耳障りな話で申し訳ねえが、要するに欲望を刺激しようってことさ」
「それが猫耳とメイド服、ですか?」
少女は呆れた様子で聞いた。
「その通り!連中は女の裸なんて見飽きてる。だから、ただの裸じゃ食指は動かねえ。日常的に見ていられるもの。見えそうで見えない!無いはずのものがある!そうやって新しいエロスの境地を発信してやるのさ!これによって冷え込んでいた夫婦仲は良好に戻る!
つまり、猫耳ミニスカメイド服の女の子は、究極に可愛いってことだ!!」
途中から演説になっていたジョンの叫びに合わせて、数人の男性客が立ち上がった。
ガタッ、と。
「お、教えてくれ。俺は娘に弟が欲しいって言われてるんだ。それなのに……」
「俺も、もう色々と工夫してるんだが、続けるのが辛くなっちまって……」
「猫耳って、あれか、猫の耳か。あの柔らかくてモフモフの」
「アタシだって欲しいわ!最近、彼氏が別の女の子にばっかり目線を向けるのよ!」
もう一度言うが、男性客ばかりである。男ばかりである。
「『萌え』の道は一日にして成らず!しかし歓迎しよう!ようこそ新世界へ!『萌え』は、来る者を一切拒まない!」
「おまわりさん、こつらです!」
白いローブの少女はたまりかねて叫んだ。
なお「おまわりさん」とは現代地球では地域をパトロールする警察官を指すが。
ハレリアにおいては衛兵のことである。
集まってくる人々に、1人の少年が教えを説いている。
それはまるで、救世主に教えを乞う信徒という、伝説の一場面のようだった。
しかし、内容を聞いて、伴侶の耳を引っ張って立ち去る女性の姿も少なくない。説いている内容は、あくまでも『萌え』なのだ。生きていく上でまったく必要のない、無駄な知恵なのである。
だが古人は言った。
『人を生かすのはパンのみにあらず』
と。
――この引用が酷い冒涜のように感じる読者の感覚は、おそらく正しい。
この騒動は、結局ジョンが白いローブの少女に耳を引っ張られ、引き摺られていったことで終結する。その光景に唖然とした人々は、自分がとてつもなく馬鹿馬鹿しい話を聞いていたことに気付いて、自然と散っていったという。
白いローブの少女は少年を神殿に引き摺って行き、内域への転居手続きを行わせ、ジョンは晴れて内域の住人となったのだった。