スプリガン種
ミラーディアは内域よりさらに内側にある、貴族区に来ていた。自分の考えをある人物に伝えるためだ。
その人物の屋敷は、近付けばすぐに分かる。
周囲に弟子達――大半はハレリア王族ファラデー家の者――を住まわせる宿舎が軒を連ね、研究施設となる塔、実験場である広場もある。屋敷そのものも、中央に塔が建っており、なぜか斜めに円筒形の部屋が浮かんでいたり、上下逆さまの建物があったり。景観を損ねているとか、そういうレベルではない混沌とした雰囲気を醸し出していた。
知り合い曰く。この混沌具合は、神族の精神を顕わしているとか。
別の知り合い曰く。神族の精神というものに慣れてしまっても困るから、あえて崩しているのだとか。
さらに別の知り合い曰く。単にこれを見た客人が当惑するのを見て楽しんでいるだけだとか。
最後に、亡き父曰く。全部正解で全部間違いであり、そもそも設計した本人もどういうつもりで作ったのか忘れてしまっているため、確認のしようがないのだとか。
世の中、所詮こんなものであるという、好例だった。
「お待ちしておりました。ミラーディア様」
執事の金髪優男が、待っていた玄関で一礼する。
「こんにちは。私を待っていたのですか?ジェイムズさん」
思わず巨乳少女は聞き返した。
一応、連絡はしたが、『彼女』がまともに待っていることなど滅多にない。以前は重要人物を拉致していったのを追いかけてのことだし、大体は訪問してもどこかに出かけているか、研究室に篭っているか。執事の中では最も長く、神族に近いとも言われる彼は助手で、そういった研究の手伝いをすることも少なくない。つまり、今この屋敷の主は応接室か、それに類する場所にいることになる。
寝室という選択肢がないのは、神族がそもそも睡眠を必要とする場合、数ヶ月単位から数年単位で眠るからである。もちろん専用の場所があるのだが、それはこの屋敷ではない。
「先程不意の来訪者がありまして。彼は去られましたが、その件にてお伺いするところだったのでございます」
「あらまあ。下手をしますと、すれ違いになっていたかもしれないのですね」
これは互いに苦笑するしかない。ちょうど、お互いに用事があったのである。
ミラーディアは白ローブ、つまり宰相府の特派員で、その行動は神出鬼没だ。会おうと思えば、会談の申請を出す以外はある程度足を使って探し回る必要がある。広範囲の人間の心を読める
仕事をしていれば稀によくある、偶然だった。
ミラーディアは応接室に案内された。由緒ある駄作揃いの調度品でしつらえられた、悪趣味な部屋。
ソファに座って膝を突き合わせるのは、屋敷の主。
四角い布を角だけ繋ぎ合わせ、ドレスの形に仕立てた、いつもの露出度。気分によっては時折見えてはいけない部分が見えていることもあるという、正真の変態淑女だ。灰色の髪の長さは気分で変わるようだが、今は腰に届きそうなほど長い。
「あなたの用事にこうも見事に重なってくるとなると、爺様が絡んでいるのではないかと疑いたくなってくるわ」
開口一番、呆れの溜息と共に彼女、マキナ・アルト・シュレディンガー伯爵は呟いた。
明らかに、まだ誰にも話していないミラーディアの考えを、知っている口振りだ。心を読まれるのはいつものことだから、そこは気にしない。というよりも、この程度で動揺するようでは、マキナとの謁見の許可など下りないのである。
「珍しいですね。先に読まれるなんて」
ミラーディアは素直に口にする。
「正直、彼の知識に興味がないと言えば嘘になるわ。でも、あなたの言い分も頷ける。無理に留めて私の預かりにすることはできるけれど、それでは彼の自由な発想を阻害してしまいかねないのね」
「はい」
正直に頷く。
頷く必要すらないのだが、この辺りは幼少期から仕込まれている礼儀作法だ。相手が息をするように心が読めるからと言って、説明の手間を省こうとしてはいけないことも、大人達から言い付けられていた。
「転生者は、オートレスに会ったことはないけれど、爺様の方はよく知っているから、私は賛成よ。人選も申し分ない。ただ、この構想の中核……多分、不可能に近いから抜けているのね」
「
「でも、
「はい」
頷く。どうしようもない話だ。
「ああ、やっぱり爺様の差し金のような気がしてきたわ」
マキナは額に手の甲を当てて天を仰いだ。
この灰色髪の美女がこんな顔をするところを、ミラーディアはあまり見たことがない。
まるで――。
「まるで、独裁で腐敗させていた国に、神様が直接やってきて国王に意見をし始めたかのような……」
「言葉に出さないの」
「失礼」
苦笑で咎められ、ミラーディアはぺろりと舌を出す。
これはハーリアの資質を示すちょっとした予定調和のため、マキナも本気で怒ったりはしない。
大体、彼女を本気で怒らせたその時は、その時点でミラーディアの命は終わるのである。マキナ――
「先程の来訪者というのはお爺様だったのですか?」
「違うわ。『妖精王』オロバスよ」
「あらまあ、『力ある九人』の1人ですね」
「『警告』の帰りに、ちょっと寄っただけだと言っていたけれど」
『警告』という単語で、ミラーディアは大体のことを理解する。
『神算』カメイルの策略は、死してなお歯車を動かし続けている。地球では伝説に数えられるであろうというほどの、遠大な計画だった。
ちなみに、『妖精王』オロバスというのは、文字通り妖精種の統括者という意味を含む。
妖精種と言っても千差万別で、住む地域も気候も、住める場所も違う。そんな妖精種達の唯一の王として君臨しているのだ。
もちろん、
「とても嫌な予感がします」
「でも、逆らえないわ。私も、あなたも」
「はい」
お互いに、眉をひそめる。ミラーディアにも、それが理解出来たのだ。
より大きな力を持つ者には逆らえない。お互い、歯車の一部になることを選んだ以上は、その枠組みの中で望みを果たすしかない。
マキナは手をソファの背もたれの後ろに回し、何かを掴んでミラーディアに見せた。
それは1匹の子猫。首根っこを摘ままれて、手足をばたばた動かしながらぶら下がっている。毛並みは白地に黒と茶色の三毛猫。
「みー」
「あらまあ……――!」
少女が手を伸ばそうとして凍り付いたのは、短い尾が二股に分かれていたからだ。自然にそのような、二叉尾の哺乳類が発生したりはしない。
たとえ
「もしかして、スプリガン種……ですか?」
「里から逃げ出していたのを偶然拾ったそうよ。彼の護衛に、だって」
マキナは少しふてくされた顔で言った。
「……」
そして、ジョンの赤毛の上に鎮座する子猫。下ろしても、そこが定位置と言わんばかりに駆け上る。
普通、子猫は成年より筋力が弱く、ジャンプ力も大したことはないのだが、160cm前後の赤毛ショタジジイの頭まで一気に駆け上がる辺り、普通の子猫ではないらしい。
「一応説明しておきますと、その子はワジン列島のスプリガン種『ネコマタ』。
名前はリユです」
『ネコマタ』。漢字で書くと『猫叉』。日本の様々な妖怪の中でも、割と有名な部類に入る。特徴は複数に枝分かれした尾。
ジョンは今まで10メートルもある巨大な鳥や、毛のない凶暴な兎に遭遇したことはあったが、いずれも猛禽、猛獣の類だった。妖怪のような特殊な能力を持った生き物には遭遇してこなかったのである。
人間、あるいは
「スプリガン種ってのは初耳だ」
「それはそうでしょうね。普通に暮らしていれば、名前も聞くことはないでしょうし。私も今回初めて見ました。
スプリガン種というのは、簡単に言えば
「
「たった1人だけ、とても特殊な生まれ方をした
ミラーディアは語る。
「起源はディリーナ・キルト・スプリガン。
妊娠中に『
彼女は意中の人間の夫と子を成し、9人の子供を産みました。なぜ子供を産むことができたのかは、今なお分かっていません。
本人は夫が寿命で亡くなるとその後を追って自殺し、亡骸は東壁山脈のどこかにあるという世界樹の根元に、夫共々埋葬されたと聞いています。その後、9人の子供達が世界各地に散って隠れ里を作り、細々と血を繋いでいるとか。その隠れ里は、噂では
一度絶えてしまえば、再度復活させることができない血筋でして。稀少性で言えば、各国王族の比ではありません。そのため、神の種、『
「
ジョンは尋ねる。
「この子がどの程度なのかはわかりませんが、確かスプリガン種は『変化の法』という、肉体を変化させる魔法が得意と聞いたことがあります。そもそも人型の種ですから、元々が人型のはずなのですけれども……。
すみません、私も本で読んだのと、マキナ様から聞いた以上の情報がないのですよ。人間がスプリガン種に接触した記録というのがほとんどありませんし、戦闘の事実や記録というものが存在しませんから」
白ローブの金髪美少女は申し訳なさそうに告げた。
「ジョン君の護衛に、ということですから、それなりの戦闘力があるのだと思いますけれども。多分、政治的な防壁という意味合いの方が大きいですね」
「ふぁ……」
子猫はジョンの頭の上でふてぶてしく欠伸をする。
「あれか、
「はい、その通りです。
おそらく、国家主導の暗殺や誘拐に関しましては、
「中堅ってことは、『成り立て』を超えた
「はい。先の大戦で戦った
契約している
それ以上は、言葉に出す必要もない、とばかりに少女は言葉を途切れさせた。
「前にエヴェリアが言ってた、百万の兵士より
「はい」
実際、ハレリア大戦のハレリア軍側死者数の内訳は、
『成り立て』という、未熟な
もっとも、今必要な情報は
「外に出るんなら、その辺の護衛戦力も必要ってことか」
「一応、世界会議で話し合うつもりでいたのですよ。ハレリア一国で決めていいことでもありませんし。
その機先を制して、
巨乳金髪少女はほっそりとした手を伸ばし、二股尻尾の子猫リユの頭を撫でる。リユが頭の上にいるジョンは、自分の頭を撫でられている気がして、少し動悸が高まっていた。
精神年齢は高いとはいえ、肉体年齢は年頃の少年である。
年頃の少女の香り体臭を感じれば、精神はどうあろうと肉体は反応するのだ。
そんなとき、少女は何かに気付いて声を上げる。
「あ、角度によってはジョン君の猫耳っぽいですね」
「にゃん、だと……!」
ミラーディアは天才だと思いかけて、誰得だと思い直した赤毛ショタジジイだった。
スプリガン種:
神族と人間の混血種。
人間より遥かに優れた身体能力と魔法に対する適性などを持つ。
見分けるには、在来種には存在しない部位を確認するしかない。
8種が神族の管理下で隠れ里に住んでいる。
祖である神族ディリーナ・キルト・スプリガンから、スプリガン種と名付けられた。
動物形態の通常の進化の結果からかけ離れた容姿が特徴。
人型形態と動物形態の年齢が一致する。
ネコマタ:ワジン列島南部、ムロト
二股に分かれた尻尾が目印の猫。
スクヴェイダー:東壁山脈最北部、インダーミル
翼のある兎。
シームルグ:セウム王国東部、アンマブル
輝く極彩色の翼を持つクジャク。
カーバンクル:レドラント大島南部、ヒンムル
額に赤い宝石を持つマングース。
リンドブルム:ナグルハ大半島北部アプシル山脈中央部、アプシル
全長0.5馬身(1メートル)程度のドラゴン。
虹蛇:ダイトー砂漠東部ノクタリヤ近辺、オブスクル
全長1馬身(2メートル)程度の虹色の蛇。
ナインテイル:ロマル大陸北部ノマロック大森林、ラナル
九つの尾を持ったキツネ。
カプリコーン:ヌシド海峡北端海域、クルセトル
山羊の頭を持ったイルカ。