ジョンの伝記   作:ひろっさん

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ハルディネリア

ジョンが寝泊まりしていた宿舎が変った。

中世の寝床というのは、基本的に倉庫に近い雰囲気の場所に、ベッドやテーブルに椅子が置いてあるだけの粗末なものだ。

風呂に入る習慣もなく、代わりにお湯の入った桶に手拭いを浸けて、体を拭くのが一般的な庶民の暮らしである。

古代ローマでは、庶民でも風呂に入ることはできたという。ただし、ローマ内だけのことなのか、他の地域でも庶民向けの浴場が作られていたのか、それはわからない。

 

宿の大きさは村や町の大きさによって決まっていることがほとんどである。小さな町村では、宿というよりも空家と言った方がいいような、一戸建てで酒場もないような建物。大きな町になって、やっとファンタジーにおけるイメージに合致するような、宿屋として特別に建築された建物となる。

貴族向けの高級ホテルなどは、別荘地か都市でもなければ存在しなかっただろう。その辺は今もさほど変わらないというわけだ。

 

ルクソリス内域では、職人などが寝泊まりする専用の宿舎がある。

大体2階建てで、1階が食堂兼酒場、2階が宿泊用の部屋。それが一定の区画をカバーするように建設されており、大体歩いて5分以内に1つは宿舎があるようになっている。場所による等級と言うには少々複雑なのだが、鍛冶職人のいる土内(つちうち)区の中では、錬金術師が囲われている火内(ひうち)2区に近い方が、より等級が高いという認識があった。さらに内側の貴族区に近い方が、さらに等級は高いといわれる。

 

実は等級に関しては誤解が多分に含まれているのだが、工廠ランキングトップのハートーン工房の宿舎が貴族区と内域を隔てる運河の際にあるという偶然が、誤解を広めていた。

当たり前のことだが、宿舎が変わるということは工房が近くなったり遠くなったりするということで、同時に工房の位置も変わるような大きな話でもなければ、そうそうあるものではない。要するに、ハートーン工房の宿舎は、15年前の最初からそこだったのだ。さすがの彼も、鳴り物入りであろうとも、最初からランキングトップに君臨していたわけではない。

人に歴史あり、である。

 

ジョンが移った宿舎は、ハートーン工房の職人が多く集う宿舎である。

誤解から生まれた等級は、最高級。誤解に拍車をかける原因となっている出来事も、今まさに食事中のジョンの目の前で起きていた。

 

「大戦終結に伴い、例の新型弩砲が王都に戻ってくるという噂です」

「ほう、転生者が造ったという……」

 

食事中の赤毛紳士ハートーン男爵と話しているのは、金髪の青年。金色の装飾が施された白いスーツ姿のイケメンだ。身長はそこそこ、体形は引き締まっている。

 

「時期としては武具大会が終わってからになるだろうが、軍の機密工房にて再現される予定でしてね。その際には是非ともあなたの力をお借りしたい。ハートーン男爵」

「その時は喜んで協力させていただくよ。デイビッド卿」

「ありがたい」

 

まあ、要するに、貴族区から貴族やら王族がやってきて、日常的に職人達と接しているのだ。おそらく、地理的に近いからという理由で。

 

 

 

「王宮から徒歩で通える距離というのは、とても便利なのですわ」

 

ジョンの目の前では、金髪の美少女が食事をしていた。ミラーディアによく似ているが、別人だ。

白いドレス姿で、ややふっくらした体のラインがくっきり出ているが、肌の露出は低い。粉チーズを散らしたスパゲッティを、フォークで巻いて口に運んでいた。食べ方は上品だが、食べているのは思いっきり庶民食である。コース料理でもなんでもない。美味なのは美味なのだが。

 

ちなみに、二又尾の子猫は同じテーブルの上で、皿に入った羊乳を舐めている。

 

「こんなお姫様が王宮から徒歩でここまで来るって、すっげぇ違和感なんですが……」

「ハレリアでは、それが普通です」

 

ジョンの食事が終わるのを待つ間、頼んでいた軽食だったため、すぐに食べ終わり、ナプキンで丹念に口の周りのチリソースを拭く。ミラーディアもエヴェリアも上品だったが、こちらは見蕩れるほど優雅で、一挙手一投足が気品に溢れていた。

家が違う、というのはこういうところに表われるのだろうか。

 

「ミラーディアも、馬車に乗ることも少なくはないのですが、基本的に徒歩ですね」

「あの子って宰相府の調停官なんだろ?」

「あらあら、私だって王家の調停官ですわ」

 

ミラーディアの役職は、正確には議会議員に近い。

普段は雑多な情報を集めながら役所や貴族の相談に乗る顧問のような立ち位置で、時に権限ゆえに難しい問題についてアイデアを出したり、時に大きな権限を代行して権限ゆえに上げることができない声を拾って届ける役割を持つ。

また、貴族や役所の暴走を監視する役割も負っていた。

 

現代地球では、ここにさらに立法の決定権を与えられて、議会制における議員となる。

しかし、貴族による議会を持つハレリアでは、そもそも必ずしも議員という存在は必要なかった。

代わりに、政務におけるかゆいところに手を届かせる役割を持った、上級調停官とでも呼ぶべき役職が存在しているのだ。

 

「あ、そうなのか。次期国王がどうたらって聞いてたんだが……」

「まあまあ、あの子ったら、そんなことまで話していたのですね」

 

少女はクスクスと笑う。話し方も柔らかで自然で、仕種の端々から優雅さと気品と色香を感じさせる。

 

「実際に当主に選ばれるかどうかは、順位はあまり関係ありませんわ。次の時代を担うのに相応しいかどうか、という方が重要ですもの」

 

ハレリオス王家の第2位、ハルディネリア・リウス・オルタニア・ハレリオス。

1位が当主、国王ということならば、第2位というのは、普通に考えれば後継ぎである。王太子、王女、などと呼ばれる身分だ。

 

「それで、俺にはどんな御用向きで?」

「ミラーディアが気に入った子について、もう一度よく見ておきたくなりまして」

「気に入ったって?」

 

赤毛ショタジジイは首を傾げる。

仮にも王女とか公女と呼ばれる身分の女性が惚れる要素のある人間だと思うほど、自分で自惚れてはいない。

もっとも、これは彼自身が女性からまともな好意を向けられることに慣れていないという事情もあった。前世を含めて童貞なのだ。

 

「ハレリア王族は、伴侶を強く求めます。いなければ探します。

その気が強い子達は、平民に下って他国へ行きますね。時には女の子1人で山賊や海賊のところへ飛び込むこともあるとか。

ただ、それで見つかるかどうかは結局運試し。残って見つかるかどうかも運試し。

幸運に恵まれなければ、遊郭に通うこともあるようですわ」

「遊郭か……」

 

王族という、重圧。平民とは決定的に異なる身分は、幸せばかりではない。貴族とも異なる立場は、時としてその命を奪うこともある。

そんな重圧を逃れることができる、精神への負荷(ストレス)を発散する唯一の場所。

 

ここでは話に出なかったが、ハレリア王族の精力、性欲の強さを解消する目的で、遊郭に通う者もいるようだ。もちろん、男女問わず。

 

「そして、伴侶を見つけましたなら、その恋を全力で成就しようとします。その瞬間は、とてもロマンチックで、蕩けるように甘い一時であると、血が教えてくれますのですわ」

 

顔の前で手を組み、頬を紅潮させて目をキラキラと輝かせて。

ミラーディアと同じ顔ながら、雰囲気が全然違う。その差は表情の豊かさにある、とジョンは思った。偶像性というか、表情による感情の表現力が違うのだ。笑顔の輝きが違うというべきか。

 

「ただ、あの子はその後のことまで考えているようですね。真面目と申しましょうか、手を抜けない性分と申しましょうか……。いえ、もしかすると怖いのかもしれませんわ」

「怖いって?」

「そう、ありのままの自分を曝け出すことで、肝心の伴侶が去ってしまうことが……」

 

ハルディネリアは少し悲しげな顔をして、すぐに悪戯っぽい笑みを見せた。

 

「実際に本人を前にしてみますと、少し考え過ぎという気もするのですけれどもね」

「そりゃまあ、根っこのところで女の子ってことなんだろ」

「身体は動揺していても、心はある程度落ち着いていらっしゃいますね」

「……よく分かるな」

 

ジョンは食事を終えた子猫リユの背中を撫でながら、心臓を落ち着かせようとする。

 

「俺は前世とこっちを合わせて66だ。もう青春なんて歳でもねえのに、体は若い。女の子に微笑みかけられたりすると、反応しちまう。でも、心はそれを冷たい目で眺めてるんだ。その内、折り合いがついてくるんだろうけどな」

 

赤毛ジョタジジイは頭を掻いた。転生による心と肉体のギャップは、彼を苦しめてもいたのだ。

もっとも、それが彼自身の人格を歪めるほどの苦痛ではなかったが。前世の青年期に、似たような経験をしてきたからである。前世50歳まで生きたというのは、伊達ではない。前世を含めて童貞だが。

 

――というわけで、ハルディネリアの頭にウサギ耳を着けようとして、鼻の頭に裏ビンタを食らって悶絶した。

 

そこに軽くでも打撃をもらうと、余程痛みに強いか慣れてでもいなければ、鼻から脳天に抜ける痛みに涙が出ることになる。いわゆる秘孔(ツボ)である。電気が走って体内から爆発四散したりはしないが。

 

「あまり枯れていては、あの子が可哀想ですよ?あなたは王侯貴族ではないのですから」

「なんで今のでそんな結論が出るし」

 

とはいえ、心に刺さるひと言であるのは確かだった。

全力で聞かなかったことにしようとするが、この手の心理分析の専門家には無駄だろう。人間の成熟具合に文明の高低は関係ない。

どんな知識を持とうと子供は子供だし、どれだけ知識が少なかろうと大人は大人なのだ。時によっては実年齢、精神年齢すらも関係がないこともある。

 

「うふふ、誠実そうな方で安心しました」

 

どうツッコむべきか迷っていると、ハルディネリアは椅子から立ち上がる。

 

「これからも、ミラーディアをよろしくお願いしますね」

 

笑顔でウィンクをして、指先でちょいちょいとリユの頭を撫でてから去っていく。その颯爽とした足取りは、とても機嫌がよさそうに見えた。

 

「王家……ねえ……」

 

人の上に立つべく教育されてきた中でも、トップクラスの才媛。

一般的にイメージされる王族には似つかわしくない行動もあったが、その中にもきっちりと頂点、旗頭に相応しい資質を感じさせた。色気があり、華があり、力強さを感じさせ、恰好良い。男女問わず、他者を惹き付ける魅力を感じさせる。

 

「やっぱ、ミラーディアより一回りデカイなぐぎゃ」

 

俯き加減に余計なことを口走ると、子猫リユに眉間を一発叩かれる。

子猫の癖に頭が割れるほど痛く、思わず額を抑えてうずくまった。神族(かみぞく)に近い種というだけあって、割と人語を理解しているらしい。

 

ついでに、とんでもない怪力だということを、赤毛のスケベショタジジイは身をもって知った。

 

 




ナンデヤナ。
ホワーレン王国王都にして、ベルベーズ大陸最大の工房街を持つ城塞都市。
その規模はルクソリス内域以上、実に都市の半分を工房街が占める、鉄工業の一大拠点である。

現在、工房街は活気付いていた。
エルバリア軍を10分の1の兵力で撃退することに成功した上に、その戦いに自ら参加しサポートした国王ルブレム1世が、そのやり方を盗んで自分達の部隊を作り上げることに決めたのである。
これはつまり、ようやくホワーレンが本格的な独立に動き出し始めたということを示していた。

ハレリア王国はこれを歓迎し、メドッソ隊の半分を教導隊としてホワーレン王国軍に貸し出すことを決定。
他にもサポートのための人員、神石と共に錬金術師などを派遣し、補佐を命じた。

通常、国の軍事力の根幹を担う錬金術師の他国への派遣などはまず行われない。
同盟国内で先端技術を融通する場合でも、文書でやりとりするのが通例だった。
その通例を破って錬金術師を派遣したというのは、それはつまり、ハレリアは本気でホワーレンを独立させようと考えているということを意味している。

そんなナンデヤナの工房街の一角。
貴族服を着た、禿頭の老人が部下を連れて、ある工房にやってきた。

「鉄の一つも打てねえ根性無しが、鉄火場に入ってくるんじゃねえ!」
「くっ……!」

白髪、窯焼けした褐色肌、左目の色が少し薄くなっている老人が怒鳴り散らし、工房に入ろうとした若い男は悔しそうな顔をしてどこかへ走り去って行く。
それに眉を潜めつつ、禿頭の老貴族は工房の入口から工房主の老人へ声をかけた。

「相変わらずじゃな、バラク」
「あん?」

薄く変色した左目を閉じて工房主が振り返ると、知り合いの顔を認めて苦い顔をする。
左目の変色は、片目を閉じて鉄の色を確かめ、輻射熱で目を焼かれることで起こる鍛冶師の職業病だ。

地球でも、古くからこの職業病は認知されており、その名残として単眼の神の伝承がある。世界中に存在する単眼あるいは隻眼の神は、ほぼすべてが鍛冶にまつわる権能を有しているのだ。
古代の資料が少ない中、ファンタジーが入っているとはいえ、伝承の中のこの統一性は何らかの真実が混じっているからだと考えられる。

ちなみに、マグニスノアの治癒術といえど、細胞分裂の限界を超えて治癒することはできないため、バラクのような生涯鍛冶職人で通した老人は、完全に失明とまではいかずとも、片目が薄く変色することがそれなりにあった。
もちろん、それ相応に視力も低下している。

「ゴランか。いい身分じゃねえか。こんなところで油売ってても――」
「正直、お前の憎まれ口は、こんな時でなければもう少し聞いていたいところなんじゃがな」

片目老人の減らず口に被せたのは、そうしないと話が進まないからだ。
禿頭の老貴族はそれをよく知っていた。

「なんでえ?」
「グレゴワールが死んだ」
「……んな馬鹿なことがあるかい。ありゃ100まで生きる奴だ、この間みてえなデカイ戦争でだって、アイツだけは最後まで生き残る。ありゃそういう奴だぜ?」
神族(かみぞく)と一騎打ちでもしなければ、じゃな」
「……」

老紳士の指示で運び込まれたのは、鋼鉄製の武具一式だった。
大きな全身鎧と、それに見合った大槍。
ところどころ、鎧は大きくへこんでいて、槍も刃毀れが酷い。
鎧の内側には薄茶色いゴムが薄く焼き付けられているが、その左腕の半ばが黒く焦げていた。

これを身に着けていた戦士は、もう生きていない。
そう思わせるのに十分なほど、それはボロボロだった。

「……」「……」

老人達は、黙ってそれを眺める。

「逝っちまったか」

工房主の老人、バラクは呟く。

「時間がなくて、勝手に改造したんじゃが、すまなんだ」
「しょうがねえ。神族(かみぞく)ってのは、そういうもんだ。そうだろ、ゴラン?」
「そうじゃな」

禿頭の老紳士、ルクソリス太守ゴラン・ノス・ポンサー伯爵は頷いた。

「最期は、コイツだったか……」
「ああ、懐かしいもんじゃ」
「もう30年前だぜ?」
「そうじゃなぁ……」

30年前の武具大会で、後のデンゲル家当主、ハレリア最強の座に上り詰める男をサポートした2人は、震える声で昔を思い出す。

武具大会にて、並み居る騎士達をモノともせずに薙ぎ倒した、伝説の立役者達。
その、悲しき晩年の一幕だった。

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