実験
「よし、解放してくれ」
「おっけー」
円環を繋ぎ合せたような形をした銀製の円環の中央に配置された骨組みの上に乗った装置を操作し、赤毛の少年が離れる。
それは半球を繋ぎ合せた球体の形をしていた。
半球の接合面には円盤が溶接されており、円盤が8ヶ所、ペンチのようなもので挟まれ、リングが溶接された持ち手が太めの針金で固定されている。
球体の数ヶ所にパイプ、流体の移動を固定する弁が配置されており、パイプの内の1ヶ所はレバーで開閉できるバルブになっていた。
工房の薄暗い屋内で行われるその実験を、7人の弟子達は壁際で固唾を呑んで見守っていた。
後の世界初となる『工場』の従業員達。
先行してこの工房に入ってきたベルナールとホレイショの2人も、今回は手出しを許されなかった。
黒ローブの金髪ツインテール少女が何事かを呟き、一瞬銀製の儀装円の四隅が光った。
そこには『精霊銀』と呼ばれる、魔力の増幅物質の粉が配置されている。
静まり返った工房内。
魔法の儀式が行われて、世界初となる実験が行われ。
ドンッ、と鈍い爆音が響いて、球体が大きく揺れ動いた。
「だ、ダメだったの……!?」
儀式魔法を使う関係で一番近くにいた金髪ツインテールの少女が慌てて離れる。しかし木製の骨組の上に載せられた球体は、揺れて台座から落ちそうになった後、辛うじてバランスを取り戻し、台座の上に戻っていった。
「……ああ、そりゃそうか」
工房主である赤毛少年は頭を掻きながら、自分1人で球体を点検していく。
これに関しては、ジョン自身が最初に弟子達に言ったことだ。
危険がないことを確認するまでは近付くな、と。
「え、どういうことなの?」
金髪ツインテール少女アリシエルは尋ねる。
「風を解放するのって、武術大会で見たようなのと同じで、爆発みたいになるんだろ?
その中心が装置の中心とズレてたから、動いたんだろうぜ。
――なんとか大丈夫そうだな」
この中では最年少なジョンは装置に異常がないことを確認し、大きく溜息を吐いた。
そして、苦心の末に完成させたレバーバルブを少し開く。
ブシュゥゥ、と文字通り空気が抜ける際の摩擦音が響き、近くにいたアリシエルと弟子達数人を飛び上がらせた。
「よし、実験成功だ」
すぐにバルブを閉じ、満足げに頷く。
「なんだったんだ今の……?」
「よーし、じゃあ、説明しぶっ!」
この中では最年少16歳で工房主という、チグハグな肩書を持ったジョンはいつものポーズを取り、背後から巨乳白ローブの細い手にはたかれた。
もしものための治癒術要員として建物の陰に隠れていたのである。
「セクハラしてねえぞ」
「なんとなくです」
「なんとな……ごふっ」
目深にフードをかぶって顔を隠した少女は、文句を垂れる赤毛ショタジジイを黙らせ、球体の表面を撫でる。
「危険な実験とは聞いていましたが、また無茶なことをしますね」
「分かるんですか?」
金髪青年ベルナールが目を丸くして聞いた。
「井戸や鉱山に風を送る際にこの、『爆風』の儀式が用いられるのです。いわゆる『瘴気散らし』ですね」
狭い地下というのは割と危険な場所である。
現代地球においても、縦穴に降りた際に底に溜まった二酸化炭素を吸い込んで意識不明になり、悪くするとそのまま死亡するという事故が発生することがあった。
二酸化炭素は重い気体で、下に溜まる性質がある。つまり地下は二酸化炭素が溜まりやすい。それはドレッシングの油分が分離するように酸素を上に押し退け分離する、流体として当然の性質を備えていた。
ある程度風が通るような広い場所ならば空気が拡販されるため、そう大きな危険はないのだが、狭い地下は空気が
一酸化炭素ほどではないものの、二酸化炭素も猛毒のガスである。
急に倒れた仲間を助けようと地下に降り、自分も大量の二酸化炭素を吸って倒れてしまうという事故も、決して珍しいものではない。
それを避けるためには何らかの手段で空気を攪拌してやればいい。
現代地球ならば長いホースで空気を送り込む『送風機』という専用の装置が存在しており、マグニスノアでは『爆風』の儀式、もしくは風系の術がそれに該当した。
「ただ、地下で『爆風』の儀式を行う場合、加減を間違えますと、出口で物凄い突風が吹くことがあるのです」
「ああ、耳がイカれるとか、結構聞く話だな」
ホレイショが頷く。
彼はホワーレンの鉱山都市ホロワーズの出身である。
おそらく、体内と外気の気圧差の急激な変化による影響を言っているのだろう。
「一方で、それを利用しようという実験が行われたことがありました。
失敗した際の突風で、風車を回すわけですね」
「話を聞いた時は馬鹿な実験だと思っていたが、まさか異世界にこんな形で存在していたとはな」
巨乳白ローブの後ろから、黒髪ロリ役人が姿を現した。
さらにその後ろから、悪人顔の赤毛少年役人が出てくる。
「あれって、確か失敗したんだろ?」
「そうよ。儀式の関係で術者が間近にいなきゃいけないから、耳がやられるわ何回も使わなきゃだわで、滅茶苦茶負担が大きかったんだって」
「まあ、原理は一緒だな。その空気圧を圧力容器に封じてんだから」
ジョンは頭を掻いた。
皆、実験が失敗した時のために、つまり怪我人が出た時のために待機していたのだ。
ちなみに、弟子達は実験の模様を見せるために、工房の中で見学させていた。
「じゃ、じゃあ、もし今回失敗したらどうなってたんだ?」
弟子の1人が恐る恐る声を上げた。
「今回圧縮した風の規模からすると、工房内にいればほぼ確実に耳がやられていたんじゃないか?」
「一番恐いのはこいつ自体がスゲー勢いでブッ飛んでくることさ。
下敷きになるだけで骨とか折れそうだしな。壁との間に挟まったりすりゃ、悪くて挽き肉だ」
「……」「……」「……」
弟子達は顔を青褪めさせて絶句する。
そんな危険な実験だったと、知らされなかったわけではないのだが。
今になって改めて、危険性を認識したのである。
ジョン自身、それを狙ってあえて発生する確率の低い話を口にしていた。
「これでどうにかなりそうですか?」
「ああ、『空力動力』はなんとかなるぜ。コイツ自身、もうちょっと改造しなきゃいけねえけどな。来月くらいにゃ試運転できるんじゃねえか?」
ミラーディアの問いに、ジョンは力強く頷いた。
今回、『工場』の動力源確保に『空力』を利用するために、この実験が行われている。
ハレリアにある風車水車の既存動力では、パワーが足りないのだ。
また、空気圧というのは他にも、製品に付いた埃を飛ばすなどの利用法があった。
そして、危険な実験と銘打っておきながら、ジョンが思い付いた中ではかなり安全な部類の動力でもある。
1つは内燃機関、自動車に搭載されているようなエンジン。
揮発性の高いガソリンを燃焼させて回転動力にする装置は、動力としては非常に強力だが、振動とガソリンの取り扱いという問題があった。
いずれ精密加工を行うことを前提とした工場に、大きな振動を起こすエンジン直結型の動力はNGである。ガソリンの危険性は改めて語るまでもない。
もう1つは電気動力、つまりモーターだ。
これもかなり高いパワーを発揮できるが、残念ながらジョンは乾電池、蓄電池について知識が薄く、レモンに銅板と錫板を突き刺して電極で繋ぐ果物電池くらいしか、作り方を知らない。
大体、現代地球で使われる電源には、何らかの発電施設が必要なのだ。
設計までできる技術者だったとはいえ、発電所を建造できるほどの知識を網羅していたわけではないし、発電所を作るにはかなり長い開発期間が必要になる。
最も単純な火力発電でさえ、タービンの精度や耐熱素材、耐高圧電流素材の開発など、『工場製品』を少なからず必要とするのだ。
もちろん、感電して死亡する危険があり、何よりジョンに詳しい知識がないため、危険度は他の二つより上と言えるかも知れなかった。
また、『蒸気機関』についてだが。
燃料と水を投入し続ける限り際限なく水蒸気が生産されるため、タンクがその圧力に耐え切れなくなると、大爆発を起こすのだ。
その爆発の殺傷力は、空力用のタンクが爆発した際の比ではない。
分厚い皮製のミトンを使い、取っ手を開いてゴムの棒を取り出す。
炭の粉を混ぜたからか、色は真っ黒。
銅板を巻いた杵と石臼で硫黄と混ぜ、金型で細長い棒に固める。
それを切って、糊でリング状に繋ぎ合わせる。
「ふむ……」
小柄な赤毛のヒゲ紳士は唸った。
ジョンが『工場』を作る際、これが必要になるという。
油を封入する場所に使うというが、どうもイマイチ、ピンと来ない。
理屈としては、馬車の車軸に油を垂らすようなものだという。
ハレリアでは馬車の車軸は木製だ。油は木に染み込むため、一度垂らしておけばしばらくは補充しなくていい。
その軸を金属にする場合、要するに潤滑油を保持する機構が必要になるわけだ。
例えばジョンが作った新型弩砲の場合、『ホワイトメタル』というよく滑る金属を軸受として使用し、軸はマンガン鋼を利用した。
それは蝋、つまり固化した獣脂を塗って、錆び止めと潤滑の役目を担わせたらしい。
それは元々からしてあまり高速で動かす必要がないから、錆び止め程度で十分なのだそうだ。
ところが、今回は高速で継続的に動かす必要がある。
例えば、馬車の車軸のように。それ以上に。
ジョンが言うには、馬車の3倍は早く動かすらしい。
それには、蝋燭の蝋を塗りたくるのでは到底足りない。
油菜のような植物油を要求するのも、液体でなければスピードを維持できないからだという。
「まあ、やれるだけやってみよう」
ハートーン男爵に依頼が来たのは、金型の加工だった。
傷のない、ゴムのリングを作る方法を考えてくれとのことだ。
この南方から輸入したゴムという今までとは勝手の違う素材に、四苦八苦することになるのだが。
自分の発明である金属の鋳型の技術情報が漏洩した事件以降、研鑽を重ねてきた金型の改造に光が当たったというのが、この赤毛の中年技術者にとっては嬉しかった。
異世界の飛び抜けた技術の持ち主に認められたのである。
それは生きた伝説に褒められるようで、今までの苦労が報われたように思えて。
今まで扱ったことのない素材の加工にも、難しい金型の加工にも、熱が入るのだった。
「しまった、取り出すのを忘れていた……」
窯で焼き過ぎて表面が硬くなってしまったゴムを見て、赤毛のヒゲ中年はがっくりと肩を落とす。
ゴムの成型温度は160℃から200℃。
それを直火で行おうとすると、鍛冶師達にとってはかなり難しい温度管理を迫られることになる。
鉄を打つのに900℃、青銅で600℃。
温度の振れ幅も金属なら100℃以上あり、赤熱しないため目で温度帯を見分けられない難しさもさることながら、温度の振れ幅がシビアなため、大量の失敗作を出すことになる。
現代地球では高温の水蒸気に圧力をかけて、温度計を使って温度管理を行っている。
直火に比べて300℃以下の温度管理がしやすい。
難易度は雲泥の差だった。
それで成型を成功させる方が奇跡的なのだ。