「例えば、崖の中腹に落ちた旅人がいたとする」
休憩室で、赤毛ショタジジイは皆に話をする。
「崖上からそれを見つけた奴が居て、旅人を助けようとした。
そのためにロープを作ったんだが、頑丈な方がいいってんで、10年もかけて月を引っ張れるロープを作っちまった」
彼はよくこういう例え話をしていた。『工場』に関する理念を伝えるためだ。
「おいおい、そりゃねえぜ」
「じゃあホレイショ、何が問題になる?」
満足げに笑みを浮かべながら、ジョンは声を挙げた赤毛青年に聞き返した。
「崖から落ちて怪我してたって、10年も経ちゃ死ぬか治っちまう。そんな御大層なロープ作ってる間に自力で上ってくらあ」
「そう、つまり『納期』に間に合わねえってことだな」
ジョンは頷く。
「月に届くロープ、森1つじゃ足んない」
これは青髪赤ローブの少女。
「森1つ消えると大変ですね。この辺は林業も盛んですから、勝手に斬り倒してはいけないということも結構あるようです」
金髪好青年が少女の後に付け足す。
「つまり、『価格』だな。人1人助けるのはいいが、そのせいで借金地獄ってことになっちまうと、何のために助けたのかって話だ」
ジョンは頷いた。
「もう1つ問題があるんだが、わかる奴はいるか?」
彼は生徒達に呼びかける。
『生徒』というのは比喩ではない。
工場を作るに当たって解決しなければならない問題について教えるために、ジョンはそこに集まった彼らに話をするのだ。
「……」
生徒達でざわざわと話し合いが行われた後、子猫を抱えた青髪少女リディヤが手を挙げた。
「ロープ、太すぎ」
「正解」
ジョンは少女を指差して笑顔を見せる。
他の生徒達はあっと驚いた。
「月を引っ張れるってのは、俺が知ってるどんな材質の合金だろうが無茶だ。
そりゃ今マグニスノアで知られてる合金の2倍3倍の強度がある合金ってのもあるにはあるんだがな、それでも月を引っ張るってことになっちまうと、その太さは家並みで済むかどうかってところになる」
「異世界の技術でも無理なんですか?」
「異世界っつっても、魔法がねえからそれ以外が発達してるってだけだからな」
「……」「……」「……」
質問した金髪好青年以外は、絶句していた。
彼とリディヤ以外、太さなど想像すらしていなかったのだ。
「そんなぶっといロープに掴まって引っ張り上げる。無茶もいいところだぜ?
そもそもからして、依頼者の要求を無視しちまってんのさ。
どんなにロープ自体の性能が高かろうが、そんなもんは『品質』が低いってことになっちまう」
そして、ジョンは話をまとめる。
「納期、価格、品質。この3つを満たしてはじめて依頼者の満足が得られる。
まあ、工房も大雑把に言や一緒だ。
品質を度外視して納期を短く価格を抑えることもあるし、逆に品質を高めるために価格と納期を度外視することだってあるんだが、そういうのは依頼者の要求で決まることだ。
もちろん、高い品質の品をより早く安くって理想に届かせる努力も必要だが、納期、価格、品質の基本を忘れて独りよがりになっちまったら、依頼者からのダメ出し、やり直しってやつが増えるだけだ。
ま、依頼通りにちゃんと作ってても、仕様変更とかで作り直しになるってこともあるんだがな。
できるだけそうなんねえように話を詰めるのが、上に立つ人間の仕事でもある」
今のところ、『工場』のトップ、『工場長』の有力候補はベルナールとホレイショの2人である。
2人とも、部下をまとめる能力も、工作機械で品物を加工する能力も高い。
ジョンとしてはどちらを選ぶか悩ましいところだったが、最終的には行動力や交渉力などで決めようと考えていた。
『工場』は1つ作って終わりではない。
その性質上、無数に乱立していくものなのだ。莫大な利益を生むものに、人は群がるからである。
他者が真似をする際、危険や問題点を正しく指摘できるように、ベルナールとホレイショの両方を鍛える必要があった。
教えることができる知識を、残り約半年で叩き込まなければならない。
それは決して容易なことではなかった。
工場の建屋に併設された錬金術の工房で、リディヤとアリシエルが錬金術の研究を始めた。工場のある地区と錬金術工房のある地区が隣り合わせとはいえ、何度も往復していると時間がかかって仕方がないからである。
また、リディヤはジョンがやっている科学的、工学的な開発に興味を持ち、たびたび休憩室や工場内に見学に来ていた。
「重くなる」
「重くしてんだよ」
「?」
今回は仮称『魔導式空気圧縮機』の設計についてあれこれ質問してくる。
ジョンも、他の弟子達に聞かせる目的で、ちゃんと相手をしていた。
さすが
現代地球では『天賦の才』『
「『
端っこで解放しても装置自体がぶっ飛んだりしねえように、重くしてんのさ」
「私なら中心、合わせられる」
「『工場』作るたびにリディヤみてえな、できる奴を引っ張ってくるわけにゃいかねえよ。
それに、何回もやってりゃ失敗ってのがどうしても出てくるもんだ」
「むぅ……」
天才には弱点もある。
それは、『才能のない人間』のことが分からないことがあるのだ。
どうして理解できないのか、どうしてできないのか、自分は簡単にできてしまうために、わからない。理解が及ばない。
本当の天才は勉強などしない。
大抵のことを想像で再現し、かなり正確に予測することができてしまうからだ。
その予測にも精度はあるが、その精度を高めるために見識を広げる意味で本を読んだりもする。しかし、一般的な意味における、知識を詰め込むための『勉強』とは意味合いがかなり異なると言っていい。
また、
前世で30年の工場勤務を経験したジョンの豊富な経験量には、まだまだ敵わなかった。
だからこそ、ジョンがこうして教えているという面もある。
「ジョン、ちょっといいか?」
「おお、どうした?」
ある日の休憩中、モーガンがやってきて言った。
下っ端から少しは昇進したらしく、紺色の役人服が似合ってきている。
異世界転生者担当の役人を、いつまでも下っ端のままにしておくことはできないという意思も働いているのかもしれない。
「ハートーン卿からコレ渡してくれって頼まれたらしいんだけどよ」
悪人顔の赤毛少年が持ってきたのは、黒い紐のようなもの。
「なんだこりゃ?……ゴム……?……!!」
渡されて、触ってみて、ジョンは目玉が飛び出るかと思うほど驚いた。
「マジかこれ、あの人、自力でコレ作ったってのか……!」
「なに?」
物知りな赤毛ショタジジイがとても驚いているのを見て、青髪少女が寄ってきた。
黒いゴム製の紐を一束持ち、伸ばしてみたり握ってみたり、噛んでみたりして確かめる。
「ぶにぶに?」
「コレがなんだってんだ?」
青髪少女と一緒に触っていたモーガンがジョンに訊く。
「天然ゴムの樹液を乾かした粉に硫黄と炭の粉と混ぜて焼き固めてあるんだ。
ブヨブヨなのは半流体っつって、ゴムってやつの性質だ。
水が沸騰するよりちょっと高いくらいの温度で20分ほど焼くとこうなる。
ハートーン卿に成型用の金型の作成を依頼しててな。
理論は説明してたんだが、まさか直火で成功させるとは思ってなかったぜ」
「直火って、湯煎でもすんのか?」
「当たらずとも遠からずだ。高圧水蒸気を通して、いい温度になるように調整すんのさ。これもそんな簡単なもんじゃねえんだが、直火でやるよかマシでな」
「そんな難しいのか」
「直火だと火の当たり方とかで焼きムラになっちまうからな。
本来、鉄が融ける温度の10分の1くらいで焼くもんだから、直に炉になんざ放り込めば焼け過ぎて灰になっちまう」
中世初期の西洋レベルの文明とはいえ、アイデアが足りていないだけで、腕前や頭の良さ自体はしっかりしている場合というのがあるのだ。
そういう条件が揃えば、時として現代科学では再現が難しい、オーパーツ的な技術が発生することもある。
アステカの遺跡で発見されたとされる『水晶ドクロ』、インド・デリーにある『錆びない鉄柱(アショカ・ピラー)』、ペルーにある『ナスカの地上絵』など、驚くべき古代技術の産物が地球には現存している。
オーパーツの多くは超古代文明や宇宙文明に絡めて紹介されることがあるが、中には現代では失われてしまった技術というものが存在しており、オーパーツの語源である『場違いな工芸品』の意味にそぐわないものもある。
人類の文明は一度大規模な衰退を迎えており、その際に情報の散逸などによってそこにあった文明や技術の証拠が失われ、現代では何もなかったことになっている、という場合があるようなのだ。
ゆえに、中世初期レベルの文明だからと言って、より先に進んだ技術の持ち主がいないとは限らず、さらに現代地球のアイデアを伝えるだけで苦心の末に再現してしまう、高いレベルの技術者が存在しないとも限らない。
少なくとも、ハレリアにはアブラハム・ハートーン男爵がいた。
技術者であり同時に行政階級としての爵位を与えられた彼の実力は、決して伊達ではない。
「これ、もしかして理屈とか色々詰めとけば、あっちで作れるかもしんねえな」
「あとな、明日、ちょっと見せたいもんがあるんだってよ」
「おう、行く行く。」
ジョンは思わず了承していた。
おそらく歴史的な発見があったのだ。
ジョン自身、ゴムの専門家というわけではないため、知らなかったことが。
翌日。
ハートーン工房にて、ジョンは説明と共にその現象を目撃した。
「水が沸騰するより少し上の温度だと聞いたのでね。こうしてヤカンを載せて、沸騰するタイミングを見計らうことにした」
問題は、ヤカンの中に落とした生ゴムの欠片である。
水が沸騰する温度より上がらないはずなのに、融け、泡立ち、そして固まったのだ。
つまり、ゴムを生から化学反応が効率よく進む温度に達したのである。
金型による圧縮はされていないため、固まる頃には細かい穴だらけのスポンジ状になっていたが、反応を見るだけならば問題無い。
「うわー、マジかこれ」
「おそらく、君が知っているゴムとは種類が異なるのではないかな」
「あー、なるほどなぁ。そりゃそうか、他で結構色々と違うのに、これだけ同じってこともねえわな」
進化の過程が異なるのか、マグニスノアと地球では、特に動植物の性質に異なる点が多く存在した。
今まではそれを覚える意味でも色々と見て回ったり、自分がこちらの世界で扱ったことのない素材についてはモーガンやエヴェリアに聞いたりしてきたのだが。
ゴムはハレリアで初めて扱う素材である。
一度、兵士の鎧の裏側に焼き付けられたことはあったが、ゴムの性質を保っている必要はなかったため、温度を細かく調整されることはなかったのだ。
だから、正確にどの温度で効率よく反応が進むのか、誰も調べていなかった。
その調査をジョンが行おうとしていたのだが、ハートーン男爵が先に幾らか実験し、そしてこの、地球では反応がそれほど進まないはずの温度でしっかりゴムの加硫反応が進むことを発見したのである。
それもそのはず、ジョンが覚えていたのは、一般的な工業用ゴム、石油由来の成分を合成してできたものだったからだ。
石油由来のゴムはモノにもよるが大体150~250℃程度で20~40分程度加熱するのに対し、ゴムの木由来の天然ゴムは75~90℃で30分程度で済んでしまう。
今回は直系5ミリの紐状でそれほど大きなものではなく、生焼けが発生しにくいこともあって、鍋の中で金型ごと煮込むでも十分だったのだ。
嬉しい誤算と言うべきだった。
それでも、熱による化学反応の理屈を少し話しただけでほぼ自力でこの性質に辿り着いた、ハートーン男爵の大発見には違いないが。