冬の寒さが過ぎ、春がやってくる。
「『工場』に限らずなんだが、どうしても忙しい時期ってのはある」
ジョンは休憩室で弟子達に語った。
「工房でもありますね。年3度の大型連休前は、どうしても仕事が詰まってきます」
ベルナールが答える。
「『工場』なら、多分しばらくは大丈夫だろうが、限界の成果を求められるようになると、忙しさの桁が違ってくるんだ」
ジョンが計画している工場は、しばらくすると真似をする者が出て、乱立し始めると予想されていた。
そうなると求められるのは成果だ。
工場の生産力を頼みに商業的な成果、つまり金銭的な利益を得るために工場の建設が進められるようになる。
上層部がさらに上を目指すようになると、少しでも利益を出すために工場をフル回転させるようになる。
依頼が少ない時期ならまだしも、ベルナールが言ったように連休前になると依頼が殺到するため、少しでも利益を挙げようと、少しでも多くの依頼をこなそうとする。
いわゆる、『デスマーチ』という期間だ。
最初は決算前の3月という、追い込みをかけるために忙しくなる時期を指していたが、今は単に殺人的に忙しくなる時期という意味で使われている。
「今は機械に慣れるためにゆっくりやってんだが、いずれ工場がフル回転する時も来る。
トップになろうってやつは、忙しい時期に従業員が限界を超えねえように気を付けろ。
俺らが今から扱う工作機械ってやつは、油断すると死ぬ機械だってのを忘れるな。
死なねえまでも、1人でも脱落ってことになっちまうと、全部止まっちまうのが工場ってやつだ」
現代地球でも、たった1人の死亡によって会社自体が潰れてしまった例はいくらでもある。
工場において従業員はただの部品ではないのだ。
特にベテランとなるとその損失は計り知れず、元に戻すのに何年、何十年とかかることもあった。
ジョンが言うように生産効率が高い代わりに、工房に比べて人間の脱落による影響が大きいのが工場である。
「逆に言えば、まだ忙しくない。トラブルはあれどな。
こういう時に暇を見つけて遊ばせるのも上に立つ人間の仕事だ」
「遊ぶ?」
二又尾の子猫を抱えたリディヤが首を傾げる。
「みんなで武術大会行こうぜ」
「ああ、そういやそんな時期か」
冬の終わり、稲や麦の作付けが行われる前に武術大会が行われる。
まだ少し肌寒い時期だが、これから行われる祭りの熱気の中ではそれほど気にならなかった。
「武術大会の開催中、外域は全体がお祭り騒ぎになります。
観光客が大勢来ますから、武術大会そのものに限らず色々なイベントが開催されるのもこの時期の特徴です」
赤毛ショタジジイの隣を歩きながら、巨乳白ローブは解説する。
レンガ造りの整備された町並みは美しく、周囲は行き交う人々であふれていた。
通りには露店が並んでおり、食べ物やハレリア全土から集められた品物がそれぞれの店で売られている。
「そういやこうやって外域歩くのって、1年半ぶりだな」
大きな土手と運河で隔てられたルクソリスの内と外。
ジョンが運河の外側に滞在していたのは、わずか1ヶ月と10日のことである。
「大半工房に籠っていたのに、3つも猫耳を作って配っていたのですよね」
「確か、あそこの定食屋で萌え文化の演説してたりしてな」
「あの時、声が大き過ぎて店員さんが睨んでいたのですよ?」
「マジでか、全然気付かんかった……」
しばらく歩いていると、獣耳の髪飾りを売っている露店があった。
「お――」
「ホワーレン人の少年は、程よく非力で背も低く、あまり野蛮さがないことから優良物件と言われています。
それにほら、こういう場所は
「え……?」
ホワーレン人の赤毛偽ショタは言われて周囲を見回す。
すると、いつの間にか近くで立ち止まっていた金髪の女性や少女が数人、あからさまに視線を反らした。
「以前にもお話ししましたが、確かにハレリア人の少女は命の危険がありますが、だからと言って年齢が高くなると襲わないというわけではありません。
また、男女の区別もありません。同性に襲われる事件も、この時期は増える傾向があります」
ただし、ミラーディアは言わなかったが、彼ら彼女らは白ローブ、つまりミラーディアに視線を向けていたのである。白ローブの意味を知らない者も多く、単に白いフードを目深に被った少女が珍しかったのだ。
そんな事情を話さなければ、今の話はジョンにとってここが危険地帯であるという誤解を生じさせる可能性が高い。
ただし、実際にここはそれなりに危険な場所だった。
獣耳尻尾飾りが流行しているという割には、通りを歩いている人々で装着率が低く、まばらにしか見られないのである。
見ている間にも、数組のカップルが成立してどこかに去っていくのが見えた。
そうやって自分達で楽しむのだ。だから、通りには獣耳飾りを装着した人々の数が少ない。
例外は、幼い子供や親子連れくらいのもの。
「……しょうがねえな」
赤毛ショタジジイは白ローブの巨乳少女に視線が向いていた可能性も考慮して、ここは苦笑しつつ通り過ぎることにした。
ミラーディアはその後について行く。
実はジョンも、視線がミラーディアに向いている可能性も考えないではなかったのだ。だが、ならばなおのこと危険地帯に足を止めて、護衛兼案内の少女を余計な危険に晒すわけにもいかない。
トラブルは少ない方がいい。
というわけで、遠回しに嫌がる彼女の思惑に乗ることにした。
決して頭の上で前肢を振り上げた二又尾の子猫リユが恐かったからではない。
それには別の意味があったのだが。
「ふはははは、いただきひでぶ!」
折よく振り上げられていた前肢は、横合いから赤毛少年に向けて、ルパンダイヴで飛びかかってきた2メートルあろうかという巨躯に振り下ろされた。
スプリガン種の腕力で無理矢理進行方向を逸らされた金髪褐色肌の少女は、勢いのままバランスを崩し、顔面から地面に落ちながら首の力で態勢を立て直し、勢いを殺そうとしたが間に合わず、そのまま通りに面した用水路に落下、盛大な水柱を上げる。
ただし、反動で赤毛少年も尻餅をつく。
さすがにマリーヤード人との腕力のぶつかり合いを逃がし切ることはできなかったらしい。
半人半神のスプリガン種ネコマタとしての限界か、あるいは単にリユがまだ幼く、経験が足りなかったか。
それはリユ本人か、スプリガン種に詳しい神族しか知らない。
「えーと……」「……」
ジョンが固まる中、優秀なエージェントであるミラーディアはいち早く我に返り、そして死神の鎌を振り下ろした。
「おまわりさーん!あいつでーす!」
「ハッハァーッ!」
その声に出てきたのは、金髪に黒い肌の大男。
古びた軽装鎧を身に付けており、兵士というよりも傭兵という印象を強く受けた。
先に襲いかかってきたマリーヤード人の女性よりもさらに背が高い。220センチはあるだろうか。
鎧上からでも鍛え上げられ、盛り上がった筋肉が見て取れる。故グレゴワール・デンゲルを彷彿とさせる筋骨隆々っぷりだ。
用水路から巨躯の少女の首根っこを掴み、そのまま片腕で軽々とぶら下げて颯爽と駆け抜けていった。その筋肉は飾りなどではないらしい。
「あたしは必ず戻ってくるぞぉーっ!!」
嵐のような騒ぎが去り、固まっていた人々が動き出した。
「ま、マーガレットに、『
「あ、彼が例の父親ですか。衛兵にしては動きが洗練されていてびっくりしました」
「あの調子だと、騎士になるための訓練って上手く行ってねえのかな?」
「デンゲル家は割と規律について緩い傾向がありますからね。
あるいは休暇のおかげでタガが緩んでいるのかもしれません」
「どっちにしろ、落ち着くのはまだまだ先って感じなのか」
話しながら、ミラーディアは尻餅をついているジョンを引き起こす。
女の子の割に力強さを感じてしまう赤毛少年だった。
「行きましょうか」
「おお、せっかく出店が出てるんだから、どっかでなんか買おうぜ」
「はいはい」
随分と注目されてしまったため、別の場所に移動することにする。
次に向かったのは、通りの向こう側、水外1区。
「よく見るとここって、娼館が広場に面してんだな」
赤毛少年は、以前は気付かなかったことに気付き、呟く。
現代地球では、娼婦が多く住むような場所は、ほぼ必ず中央広場から離れた、分かりにくい入り組んだ場所にある。
日本では、ラブホテルをはじめとする風俗店は営業場所に規制があり、学校の近くでは許可が下りないことがあった。
が、ルクソリスでは堂々としたものだ。
美男美女が広場の一定の場所で露出度の高い服装を着用し、歌ったり踊ったりして観光客を誘っている。
「前は気付かなかったのですか?」
「ああ、例のトラブルのせいで、ちょっと見えてなかったんだな」
「先程も言いましたけれども、結構な危険地帯なのですよ」
「わかってるって……あれ?」
白ローブ少女から注意を受け、苦笑しながら適当に返した後、面白そうな店を探すために視線を巡らせたその時。
見知った赤毛、悪人顔の少年の姿を見つけた。
休暇中なのか、いつもの紺色の役人服ではなく、赤を基調としたホワーレン人の民族衣装だ。
ルクソリスでは宗教的な意味合いをそのままに、より赤毛で小柄なホワーレン人に似合うようにアレンジされたものが流行っており、彼が着ているのもそのアレンジバージョンのものである。
ちなみに、ジョンは普通のあまり目立たない普段着だった。
ミラーディアのコーディネートによるもので、町中で余計なトラブルを引き起こさないように、人々の中に溶け込むデザインのものを着込んでいる。
至って庶民向けの、長袖のシャツとズボンだ。
「モーガン?」
なぜか真っ白に燃え尽きた風に娼館の柱に寄りかかって座っている少年に、ジョンは声をかけた。
「お、おお、ジョン……俺はついにやったぞ……ガク……」
「???」
やり遂げた満足げな顔で意味不明なことを呟くモーガンに、ジョンは首を傾げる。
「要するに、一番危険な場所に自分から突撃していったということなのでしょう」
「娼館、満足げ、燃え尽き……あっ(察し」
友人がついに大人の階段を上ったことを察したジョンは、周囲の娼婦達が精根尽き果てたモーガンに興味を示さなくなっていることから、そのままそっと離れようとした。
「介抱はしないのですね」
「いっぺん痛い目見た方がいい。祭りで浮かれてるっつってもうかつ過ぎだぜ」
「弁護のしようがありませんね。普段のジョン君を見ていると意外ですけれど」
「俺の周りって、あんまヤバいのいねえじゃん」
「そうでしたっけ?」
「アリシエルはエルウッドにゾッコンだろ?
エヴェリアも口では色々言ってるけど、別に俺を恋愛の対象に見てるわけじゃねえじゃん」
「しいて言えば私くらいですね。セクハラ被害の回数で言えば一番多いのも私ですけれども」
「あー……」
何も言い返せない。
あからさまなボディータッチの類はしていないのだが。
確かに色々と育っているミラーディアに対しては、セクハラの回数が多くなっているかも知れなかった。それは返しに殴られたり踏まれたりした回数でもあるのだが。
「やっぱ介抱してくる」
自分の行動を省みた結果、やっていることは大して違わないことに気付いたジョンは、モーガンのところへ行って介抱し始めるのだった。
もっとも、すぐに衛兵がやってきて、モーガンは神殿の方に運ばれて行ったが。
すごすごと戻ってくる赤毛少年を見てやや上機嫌な白ローブ少女は、護衛兼案内を続行するのだった。