ジョンの伝記   作:ひろっさん

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エヴェリア

エヴェリアは浮かれていた。

ジョンが武術大会に合わせて工場の従業員に休暇を与えたため、彼女は別の仕事に回ったのである。

その仕事というのが、かつてブロンバルド縦断の旅に護衛として連れてきていた護衛カッセルの、武術大会出場支援だ。

 

弱冠16歳ながらイリキシア騎士であるカッセルは、ある事情から昨年の武術大会出場を辞退していた。

その事情というのが、公の場で晒すことができない術を使用するからである。

危険なもので、下手をすると武術大会そのものを潰しかねない。

今回は1年半をかけ、対策を練ったからこそ、参加させようということになっている。

イリキシアとハレリアの友好を民衆に印象付ける良い機会でもあったため、ハレリア側も尽力していた。

 

ところで、フェジョ旧教は星王教の流れをくむ宗教である。

教えを広めた教祖となるのは星王教の祖ケルスス。

当時は全世界の人口が激減していた時期だったこともあり、性モラルに関してはそれほど厳しくない宗教だ。

精々、結婚は処女童貞同士が好ましいとされている程度。

好ましいというだけで、それが絶対ではない。

それでも非処女非童貞を嫌がる感情があるというだけ、星王教や南部のフェアン教に比べると厳しい方と言えるのだが。

 

むしろ厳しいのはイリキシアやノスラントの法律の方だ。

両国ともに人の住める土地が少なく、イリキシアは10万人規模の都市が2つしかなく、ノスラントに至っては2千人規模の小さな町の集合体という有様。

どうしても養える人口には限りがあり、旧ブロンバルドの洗脳戦術によってディーク平原と最大の都市グランディークを奪われてからは、出生制限をかけることで食料問題を乗り切っていた。

それで乗り切ったと言えるのかどうかはこの際重要ではない。

 

問題は今、その出生制限の解除が現実味を帯びてきたということだ。

一応説明しておくと、旧ブロンバルド全土をイリキシアが手中に収めたわけではない。

ハレリアはそれでも良かったのだが、厄介な負の遺産が残された土地を治めるには、圧倒的に人手が足りないという、単純にしてどうにもならない問題が横たわっていた。

 

ゆえに、旧ブロンバルド本国が、イリキシアとノスラントの共同統治という形となる。

ハレリアへの嫌がらせとして洗脳政策を行う端末となる貴族達や、星王教に不都合なデタラメを刷り込まれた聖職者が残されていたが、イリキシアの場合、面倒なものは武力で解決していくことになった。

ハレリアのような平民への殺害制限がないためだ。

 

相手が話し合いの振りをして洗脳することを前提にする限り、迂闊に話し合いもできない。ならば、殺すしかない。

一応、ハレリアから洗脳対策が持ち込まれていたが、それもイリキシアでは限界があったため、選択の余地はなかった。

 

雪解け、つまりもうしばらくしてから、イリキシア軍は旧ブロンバルド本国に攻め込み、平定する予定となっている。

その際、肥沃なディーク平原と北部最大の都市グランディークを取り戻せば、食糧問題が一気に解決し、出生制限が取り払われる可能性が高い。

 

その旨を伝えられたエヴェリアとカッセルは。

 

「……」「……」

 

滅茶苦茶お互いを意識し合っていた。

 

元々、旧ブロンバルドを縦断するという過酷な旅の最中、若い男女が2人きりで、時には息のかかる距離で過ごしていて、一線を超えなかったというのがおかしな話なのである。

もちろん、出生制限をかけている側、貴族がそう簡単に誘惑に負けるわけにはいかないという、意識的な制限もあったのだが。

それでもお互いに我慢が出来たというのは奇跡的な話だった。

 

中世西洋では、宗教的な性モラルの取り締まりが厳しかったというのは有名な話だ。

だがそんな中、民衆は色々と詭弁を使って様々な形で性行為に及んでいたという話もあった。

 

これは基本的に世界共通だったようなのだが、戦場において性モラルなどあってないようなものだったという話がある。

国が抱える騎士や正規兵というのは、戦場における兵士の総数に比べると半分以下だったという。

それ以外はすべてお金で雇った傭兵で、傭兵というのは闇商人や山賊だった。

彼らに言うことを聞かせるには生活を賄うだけの金銭が必要だったが、当時の国にはそんな資金はなかったようだ。

 

そこでどうしたのかというと、1つは公的に略奪を推奨したのである。

つまり、敵国に攻め込んだ先の町や村で略奪を行わせ、傭兵は収奪品を自分の懐に入れて儲け、国軍はそうすることで敵国の国力基盤を破壊して敵を屈服させ、傘下に収めるという目的に近付けることができる。

中世はそうやって戦争が行われていた。

 

戦利品は食料や土地、金目のものばかりではなく、捕えた村人などを奴隷として売り払うことによる収入も含まれており、特に荒くれ者が中心である傭兵達は性行為を行って奴隷に心の傷を負わせてから売り飛ばすことも多かったという。

これは地球の大陸諸国だけの話ではなく、日本においても同様の話が資料に残っているようだ。

 

性モラルに関する問題はもう1つの方。

要するに、多少の性トラブルには目を瞑ったのである。

今でこそ性行為とは男女関係を示すものとなっているが、近代に入るまでは何も男女だけのものではなかった。

 

日本において有名なのは、織田信長が戦場へ行く際に森蘭丸という小姓を連れていたことだろう。

日本の場合は戦場に女性を連れて行くとよくないことが起きると信じられていたという迷信的な理由もあり、戦場で性欲を処理するいわゆる従軍慰安婦の役割を男性が担っていたようだ。

 

西洋において異性関係は宗教によって厳しく定められていたが、同性による性行為は規制の対象外だった。

ゆえに、優男の美男子は同性にもかなりモテたという話も残っている。

 

こうして並べていくと、3ヶ月の旅の中で一線を超えなかったエヴェリアとカッセルの例がどれだけ稀有なのか、御理解いただけたと思う。

生命の危機と胸のトキメキを勘違いする、いわゆる『吊橋効果』をも何度か体験した2人は、お互いに綺麗な部分も汚い部分も見せ合ってきた仲だ。

 

そしてこれはかなり重要なことだが。

 

「エヴェリアさんは公爵令嬢で、平民上がりの騎士であるカッセル君が彼女と結婚するには越えなければならない壁がありますわ。

しかし逆に、カッセル君がそれを越えている現状、両親の公認もあり、結婚への最後の障害はお互いの気持ちのみですのよ」

「――!!」「……!」

 

いつの間にか控室に入ってきた白ローブの女性に言われて、2人は肩を震わせ、顔を真っ赤にして俯いた。

ジョン専用になったミラーディアの後にルクソリス担当のエージェントに復帰した、レベッカである。

胸の大きな妙齢の金髪美女、年齢は23歳。経産婦。

 

「あらあら、ヤッている最中かと思っていましたのに。イリキシアの子は慎み深いのですわね」

「な――ななにゃっ!!」

 

黒髪ロリが何か言い返そうとするが、舌がもつれて言葉が上手く出て来ない。

 

「良いですわね。ハレリア人は免疫が強過ぎて新鮮味に欠けることが多いのが欠点ですの。

恥じらう乙女の姿なんて、ここではとても貴重ですのよ。

この髪飾りもとっても可愛らしいですわ。

あなたの想い人は自慢していい」

 

言いながら、黒髪少女の頭に揺れる黒い兎耳を外し、櫛で長く艶やかな黒髪を梳き直してから髪形を整え、兎耳を付け直した。

 

そして今度はカッセルに目を向ける。

武術大会の出番を待つ彼は、今は全身鎧姿だ。

他の騎士の鎧に比べるとややくすんだ白銀色なのは、それが鉄製だからである。

 

別に対術用に鉄鎧を作ってもらったわけではない。

これがカッセルが本気で戦う時用にイリキシアで作られた装備である。

星王器を使う武術寄りの戦闘員である騎士は、威力の低い単唱器の効果を少しでも上げるために、術の効果を阻害しにくい軽銀(アルミ)製の装備一式で戦うことが多い。

 

だが、カッセルはある事情から逆に術の効果を抑える目的で鉄製の装備を標準着用していた。

 

「カッセル君、あなた達はまだまだ若いですわ。ワタクシ達のように急ぐ必要もないのかもしれませんね。

ですが――。タイミングを逃してはいけませんわよ。今この時がいつまでも続くという思い込みを、神は最も嫌うのですから」

 

説明しよう。

それはマグニスノア特有のことわざだった。

神というのは神族(かみぞく)と運命の両方の意味があり、つまりいつ何が起きるか分からないから、やらなければならないことは先送りし過ぎるな、ということである。

 

現代地球に残る童話や故事ことわざにも同様のものが多数ある。

日本で代表的なものは、『天災は忘れた頃にやってくる』だろうか。

こちらは災害大国ゆえの油断を戒める意味の強い言葉だが。

西洋には『農家は晴れの日にできるだけのことをする』というものがある。

これは単純に昔、天気予報の技術が発達していなかった時代、いつ振るか分からない雨に備えるという意味があった。

 

もっと近い警句として、中世ヨーロッパで流行った言葉がある。

『メメントモリ』という言葉を聞いたことがあるだろうか。

『死を想え』という意味のラテン語で、これは当時の時代背景を語ると意味がよく分かる。

 

日本の中世、近世、最も多く人が死んだのは、天明に起きた富士山の大噴火からなる天明の大飢饉と言われる。

死者数は50万人を超えたそうだ。

 

同年、フランスでも同じくらいの人間が、ペストや天然痘、飢饉、戦争で死亡している。

偶然ではない。

確かに日本の飢饉と直接的な関連はないのだが、偶然などではない。

フランスを始めヨーロッパ諸国では、その1年を切り取るまでもなく、当時毎年のように同じくらいの人数が死んでいたのである。

一説にはこの時期、地球全体が寒冷化し、農作物の不作が続いたからだとする説もあるようだが、今は置いておこう。

 

ともかく、中世近世辺りのヨーロッパでは、死はそれだけ身近なものだったのである。

ゆえに『死を想え』という警句は、いつ死ぬか分からないから、思い残すことのないようにしろという意味も含まれていると考えられる。

マグニスノアで使われる、『神は停滞を嫌う』という言葉に最も近いと言えるだろう。

 

ヒトの身ではどうにもならない、病気や事故などの天災と、超越者にして理不尽の体現者神族(かみぞく)は、いつどんな理由で人から当たり前にあるものを奪っていくか、わからないのだ。

 

だから、自分にやりたいことがあったならば、機会を逃してはならない。

自分を抑え過ぎることなく、時には刹那的な行動も大切であると、レベッカは説くのである。

 

そして、カッセルの出番が来る。

 

 

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