武術大会の翌日は休み、都合3連休である。
一応、仕事に響かないように、最後の日は宿舎でゴロゴロしているように伝えたものの、工場で教えてきた弟子達が皆若いため、なかなか不安もある。
パッとしない顔の小柄な赤毛少年転生者ジョンは、朝食後工場の建屋へ向かっていた。
工場の建屋は資材搬入と動力、水確保の都合で、
より内側の貴族区に近い場所にあった以前の工房からすると、宿舎からより遠くなってしまっているのだが、今の宿舎が内域工廠の重鎮が集まり交流する場となっているため、多少の不便を呑んででも宿舎を変えられない訳があった。
だから、片道1キロの道のりを、えっちらおっちら歩くことになっているのだ。
現在、内域はスパイ対策の観点から優れた職人を囲い込む場として利用されている。
元々いた商人達は運河を挟んで外側の水外区に移住しており、交通の利便性からそちらに定着していた。
そのため、現在はルクソリス領主から政府へ、この内域は半ば貸し出されている。
だからか、周囲は木造の工房ばかりが目立った。
ハレリアでは林業が盛んなため、建物は基本的に木造だが、中には木の柱とレンガや漆喰を混ぜたものもあり、防腐塗装なども合わせて、特に外域では赤白黒の色とりどりの建物が並ぶ。
内域は大抵が木造の平屋。
鍛冶工房、鋳造工房は酸化アルミニウムが混ぜられた、白っぽい耐熱レンガの煙突があるから分かりやすい。
さすがに火を扱う工房を木造にはできないため、薄茶色の土壁か赤いレンガ造り。
それ以外は黒い防腐剤が塗られた木造で、例外的に役所は白い漆喰を塗られた2階建て、そして神殿が木製の柱に赤い耐火剤を塗り付けた木造家屋である。
赤い耐火剤は、マリーヤードで栽培されているフネンという木の葉をすり潰して抽出したもので、最初はオレンジ色だが、酸化して表面に皮膜ができると鮮やかな赤に変色する性質がある。
この赤は金属化合物の酸化によるもので、900℃の高温にならなければ発火しないという性質があった。
ちなみに黒い防腐剤はハレリアで植林されているボフンという木を乾留した際に採れる
乾留というのは、要するに加熱して炭にするということだ。
その際に分離する液体を利用するというのは地球でもよく見られるもので、乾留液、またはタールという名前で呼ばれ、様々に利用されている。
子供の姿などはない。
いるとしても役人の服を着ていたり、未熟な術士を示す黒いローブを着ていたり、何らかの仕事を与えられている者ばかり。
そして、外見が子供だからと言って、本当に子供だとは限らない。
ついこの間、領地に1人派遣される調停官、白ローブの幼い少年を見かけたが、なんと実年齢は22歳だという。しかも、その幼い外見年齢が警戒されにくいことを認識して利用しており、なかなかやり手の調停官として活躍しているそうだ。
工場の建屋に到着する。
工場と言っても、今のところは空圧動力を使った工作機械のある工房に過ぎない。
この建物の主である赤毛少年は、なんとなく各機械の点検を始める。
別に今日は休みなので、明日弟子達の練習がてらもう一度行うことになるのだが、本当になんとなく、意味もなく彼は点検を行っていた。
「そういや、前の世界でも、休日になんとなく来て機械の整備とかしてたっけなぁ……」
そんなことを呟きながら、旋盤の木製カバーを開き、軸受けの削れ具合をチェック。
この軸受けはホワイトメタルという銅合金でできている。
1839年にアイザックバビットという人物が発明したためバビットメタルとも呼ばれるこの金属を、丸い輪に鋳造し、水車動力によって動くドリルで加工、紙に接着剤を塗って砂をまぶした紙ヤスリで仕上げたものとなる。
紙ヤスリは、ハレリアで作られている紙では強度が不足しており、すぐに破れてしまうため、麻布で代用している。
接着剤の質が悪いせいか、折り曲げようとすると割れてしまうのだが、なんとか騙し騙し使用していた。
軸受けに専用の金属を使用しているのは、軸受けも軸も、使っている内に摩耗してしまうからである。
硬い金属を使用すればいいと思うかもしれないが、今度は加工の手間と強度との戦いになる。
軸として丸く加工するのと、それに合った穴を空けるのとでは、断然軸として加工する方が容易であるため、軸を硬い金属、軸受けを軟らかい金属で造るのが常識である。
ただ、現代地球では、より接触面積が少なく、滑らかに動く転がり軸受が発明されており、特に回転速度の速い部分にはそちらが使用されている。
いずれも定期的な点検、整備が必要であることに違いはなく、今は弟子達にその方法を教え込んでいるところだ。
もちろん、軸受けの製法も合わせて。
一通り目視点検を終えて、休憩室から設計室の様子を見る。
滑らかに加工された、板ガラスの天盤を持ったテーブルに、設計図や強度計算書を収納するための棚が並んでいる。
もちろん製図用の道具、各種定規やコンパス、コンテにインクや白紙の紙なども常備されている。
大体はジョンの手製で、ルクソリスへ来てから1年半で作り上げてきたものである。
マンガン鋼にクロムを混ぜて錆びに強くした鉄合金を作るのに、アリシエルの手を借りたりして、それなりに苦労して作ったものだ。
マグニスノアに製図用具がなかったわけではないのだが、単位の正確性に欠ける上に、大抵は木製のため、使っている内に削れたりして直線や円が不正確になってしまうため、自作することにしたのである。
今は、それを使って赤ローブをまとった青髪少女が、書きかけの図面にコンテと定規を手にうんうん唸っていた。
「にゃあ」
虎柄の二股尾の子猫リユが赤毛少年の頭の上に駆け上ってくる。
工房にいる時も、工場にいる時も、邪魔にならないように建屋には入らないのだ。
その間、どこにいるのかは知らないが。
やはり、しゃべらないだけで人間と同じかそれ以上に知能があるのだろう。
セクハラ発言など、下手なことをしゃべると小さな前足ながら信じられない怪力で殴られるし。
ジョンは書きかけの図面を覗き込むと、少し顎に手を当てて考え、休憩室に戻ってお茶を入れてきた。
ハレリアには『ムチャック茶』のような特殊なものを除くと、『トー茶』と『カー茶』の2種類の茶葉が流通している。
どちらも、お茶という文化がハレリアに入り込んできた600年前に、東壁山脈の麓に作られた専用の農村トトカカ村で栽培、品種改良が行われたもので、それが今は大陸中に広がっており、それぞれ異なる効能で人々に重宝されている。
『トー茶』は気分を高揚させる作用がある、塩辛さを持つお茶。
興奮剤というほど効き目が強くないのがポイントで、不意の恐怖に判断力を鈍らせにくくなる効果があると重宝されており、兵士や衛兵に好まれている。
処理の仕方は発酵させる紅茶タイプ。
『カー茶』は逆に気分を落ち着ける鎮静作用のある、苦みのやや強いお茶。
やはり効用は弱く、鉄火場などでささくれ立った気分を落ち着けるために、職人や役人が好む傾向があった。
処理の仕方は発酵させない緑茶タイプ。
内域の休憩中に飲むといえば、大抵これだ。
苦みを打ち消すために、好みで蜂蜜を入れることがあり、特に年齢層の低いこの工場では、イーザン平原の穀倉地帯で飼育されているハリントビーという蜜蜂から採れる蜂蜜が常備されている。
蜜蜂は農作物の授粉を助ける益虫であり、ハレリアでも古くから取り入れられていた。
青髪少女リディヤは蜂蜜入りのカー茶が大好きで、休憩時間になると必ずここへ飲みに来る。
「口、出しちゃダメ」
「代わりにお茶を出すぜ。ほら」
「む……」
そこでお茶の香りに気付いたらしく、少女は顔を上げてお茶の入ったコップと
何をやっているのかというと、自力で設計図を書こうとしているのだ。
つまり練習である。
慣れているジョンなら、間違いも簡単に指摘できるとはいえ、途中なのに横から口を挟んでいては練習にならない。
だから、
単に知識があるだけでは出てこないものがある。
「脳味噌が疲れた時に休憩すると、休憩時間中に考えがまとまるってことが結構あるんだ。
経験則だが、これがなかなか馬鹿にならなくてな。
だから、体力仕事じゃなくても、1時間とか1時間半で10分休むってサイクルを採用してるところが多い」
近代地球、ドイツ出身の科学者にアウグスト・ケクレという人物がいる。
彼は芳香族と呼ばれる化合物が持つ特殊な化学式、いわゆるベンゼン環の提唱者である。
その際の話が、『ケクレの夢』として逸話に残っている。
それによると、彼は大学の教授として教科書を執筆している最中に、ストーブの近くでうたた寝している最中、3匹の蛇が互いの尾を咥えた形の夢を見て、炭素原子同士が互いに結び付いた六角形の、現代地球でベンゼン環と呼ばれる形を思いついたのだという。
他にもアルキメデスが風呂に入った際、溢れ出るお湯を見て、複雑な形状の物体の体積を計測する方法を思いついたという有名な話も、見方を変えれば休憩中にアイデアが閃いた事例の1つと見ることができる。
現代地球における脳科学では、休息時に目を閉じるなどしてボーッとしている時にこそ脳が最大限に活性化しているとされており、ボーッとしている時の方がアイデアを閃きやすいという、科学的な根拠があるようだ。
「あ」
お茶を飲んだリディヤはしばらく机に頬を押し付けてボーッとしていたが、唐突に声を挙げると、頭を起こして猛烈に図面を描き始めた。
完成図を添削したジョンは、実はそれが何なのかよく分からなかった。
鋳物用の坩堝を加熱する炉のようにも見えたが、なぜか燃料を燃やす燃焼室と床の間に隙間があり、柱で浮かされている。
その隙間が何なのか、何のためのものなのか、よく分からなかったのだ。
後にその設計図を元に作られた装置が、ジョンが持つ異世界の知識、経験と合わさり、マグニスノアの歴史を変えることになるのだが、この時の赤毛ショタジジイはそこまでは考えていなかった。
いくつもの歴史を作ってきた異世界転生者と並び称される『