ジョンの伝記   作:ひろっさん

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例の薬

「『工場』の調整が完了しました。本稼働を開始できます」

 

宰相の執務室で、ミラーディアがハレリア宰相エリザに報告する。

 

「了解」

 

金髪の中年女性は報告書を受け取った。

 

「あちらは大変だったそうですね」

 

白ローブの少女は声をかける。

 

「今までよりも遥かに高性能なものを量産してくるとは、さすがに思わなかったということ。

彼が言った個数制限をしても、ハレリア国内では一時『運行表』が破綻したわ。

イーズリーの方は倉庫がパンクして、担当者が倒れたそうよ」

「ハワードさんでしたら、連絡が来た時点で倉庫を増築していそうですけれども」

「増築は間に合ったけれど、それでも足りなかったのよ」

「あらまあ……」

 

ミラーディアは渋い顔で嘆息した。

 

「ただ、本国からの応援はギリギリ間に合ったから、最悪の事態だけは避けられたわ」

「不幸中の幸いですねー(棒読み」

「白々しい」

「首謀者が言いますか」

「あなたも悪よねえ」「お互い様です」

 

他愛のないやり取りをしながら報告書に目を通していた宰相エリザは、自分も渋面を見せて呟く。

 

「残念ながら、行政側の対応はまだ完了していないわ。

とりあえず、ジョン君には3ヶ月後の世界会議についての準備をお願いしておいて。

それと、今回の件を見ても、やっぱり彼が行った後しばらくは高級役人を付けた方がよさそうね」

「引継ぎですか?」

「ええ、1人白ローブを送る」

「了解しました」

 

ついにこの時が来た、とミラーディアは期待と不安が入り混じった複雑な感情を持つことになった。

ジョン専属の調停官として、本格的に動くことになるのだ。

 

「あの薬、『エロストップス』の条件、わかっているわね?」

「過度な接触は控えること。5日に一度は治癒術を使用すること。それから……行為なしに薬を抜く際は、死を覚悟すること」

「分かっていればいい」

 

エリザは目を閉じて頷く。

 

「世界会議が終わるまで、少なくとも3ヶ月から4か月。そのくらいなら持つわ。

でも、それ以上使い続けるなら、治癒術による常習性のキャンセルも効果が薄くなってくる。

禁断症状が致死に達する期限は、2年と言われているわね」

「はい」

 

ミラーディアがジョンには言わなかった、薬の裏技と危険性である。

ハレリア人の強い性欲を強制的に抑える薬。それは劇薬でもあったのだ。

 

現代地球にも、薬物投与による去勢などという医療法が採用されている国があった。

つまり、性欲を感じる部分を薬の作用で不活性化してしまうのだ。

もちろん、代償がないわけではない。

 

そしてこの時代、まだ性欲抑制の代償が軽い薬が開発されていなかったということだ。

 

「ともかく、決断は尊重する。後は自分で決めなさい」

「はい……ありがとうございます」

 

少女はぺこりと頭を下げた。

 

 

 

「……そういうわけで、あっちは大変だったそうだ」

「なんとかなるって判断だから俺も乗ったんだが、あんま何回もはできねえってことか」

 

ミラーディアがいつものように休憩室へ行くと、頭に子猫を載せた赤毛ショタジジイが黒兎耳少女と話し込んでいた。

 

「ちょうどイーズリーの話、で、よろしいですか?」

「ああ、その話だ」

 

テーブルに差し入れの玉筋魚(いかなご)の煮干しを置いてから声をかけると、エヴェリアがそれに手を伸ばしながら頷く。

 

「スケジュールだが、2ヶ月後にイリキシア国王陛下がこちらへ来られると連絡が来た。

1ヶ月前には、私も準備のためにルクソリスを離れることになる」

「カッセル君もですね」

「……そうだ」

 

一瞬、からかわれているのかとも思ったエヴェリアだが、ミラーディアが真顔だったため、思い直して真面目に答えた。

 

「了解いたしました。

こちらは『工場』の方へ新しい白ローブが送られてくるそうです。しばらくは業務引継ぎですね」

「そっか、ミラーディアも世界会議に一緒に行くんだっけ」

「はい。そのまま交渉がまとまり次第、ハレリアに戻って引継ぎの後に王族の位の返上となります」

「え、そうなのか?」

「そうですよ。そのために篭絡策をブロックしていたのですから」

「あ、そうか。そういやそうだったな」

 

赤毛少年は煮干しを食べながら、少し頬を染めて頭を掻く。

晴れて、ミラーディアの恋慕が実るのだ。

 

さすがにここまで来て、彼女の気持ちに気付かないほどジョンも鈍感ではなかった。

 

「ところで、彼女はどうする?」

 

エヴェリアが、設計室に視線を向ける。

 

その中では今、青髪少女錬金術師リディヤがジョンの添削を受け、異世界の製図法を練習しているところだ。

御巫(みこ)』という、異世界の知識を持ち、出現するたびにその時代に大きな影響を及ぼす転生者に並び称される評価を受けているだけあり、真綿が水を吸う如く様々な技術を習得していく。

そういった天才性を発揮するのも、基本的に整った設備があってのこと。

つまり、あまり何度も動かすのは彼女の才能を活用する意味でもよくないのだ。

 

だから、普通はこの内域工廠に置いていくという選択になるのだが。

それはジョンという教師がこの場に居続けることが条件である。

 

「連れて行きます」

「理由は?」

「エルバリアから、父親がやってくる公算が高いからです」

「ああ、そういうことか。

確かに今のエルバリアに向かうことを考えると、マリーヤードのワリモリへ向かった方が道も整っているし、治安面で安全だな。

今は留学生の身分だが、ジョン殿についてハレリアを離れるとなると、今の内に父親に会わせるなり、相談しておいた方がいいか」

「はい。その辺は本人次第となりますけれども」

 

ミラーディアは、自分も煮干しをつまんで口に入れた。

 

「そういや、コレもそうなんだろ?みんなでつまんでるけど、いいのか?」

 

ジョンは煮干しの差し入れをつまんで、巨乳白ローブに尋ねる。

 

ちなみに玉筋魚(いかなご)というのは北半球の陸地沿岸に生息する小魚である。

稚魚が西日本で『新子(しんこ)』、東日本で『小女子(こうなご)』。

成長したものは北海道で『大女子(おおなご)』、東北で『女郎人(めろうど)』、西日本では『古背(ふるせ)』、『加末須古(かますご)』、『金釘(かなぎ)』などと呼ばれる。いわゆる出世魚の一種だ。

 

食物連鎖底辺を支える重要な種で、食性はプランクトンと言われる。

釜揚げ、煮干し、佃煮、魚醤など、様々な料理に加工されて食卓に並ぶことも多い。

 

近代になり、コンクリートに混ぜる砂の採取のために一部の漁場が壊滅しており、新しい漁法による乱獲もあって、一時期に比べると漁獲量が激減しているという。

 

「いわゆる例の薬というのは、結局は体調を整えるための栄養剤ですよ。

段階を踏んで栄養を調整することで、肉体改造効果があるというだけのものになります」

 

ミラーディアの返答を聞いて、話を知らないエヴェリアは首を傾げた。

 

「例の薬?」

「初夜に腹上死させないために利用している調整剤です」

「ぶはっ」

 

自身もそれなりに食べていた黒髪少女は盛大に咳き込む。

 

「あれか、中国拳法とかで、内功がどうのこうのってやつ。あんまり詳しく知らんけど」

「栄養状態、健康状態が良ければ、肉体の動きや性能、持久力もよくなるという、単純な理屈を頼みとしたものです。

さすがに異世界で何と言うのかまでは知りませんけれども」

 

中国拳法には、食事や薬による肉体改造まで行い、強さを手に入れるという手法が存在する。

他の地域には基本存在しないもので、不老不死を目指す道教系の思想を取り入れているものと思われる。

そのため、肉体改造の目的の一つに肉体の打たれ強さ、持久力や耐久力を高めるというものがあり、確かに腹上死対策として一定の効果を見込むことができると言えた。

 

健康状態が良ければ肉体の動きが良くなり、肉体そのものの耐久力が増すのだ。

それはちょうど、怪我人、病人が外科手術を受けた後、点滴や病院食によって必要な栄養を補給し、自然治癒力を高めることで生活水準を元に戻すのに似ているかもしれない。

内功が普段から自然治癒力を高めるのに対して、外科手術後の点滴や病院食は、怪我の後に一時的に自然治癒力を高めるということだ。

この自然治癒力、生命力という抽象的な言い方をされることもあるものは要するに健康状態であり、一定より低いと手術による肉体への負担だけで死に至ってしまうこともあった。

普段の健康状態というのは、いざという時にそれだけ大きな影響力を持つのである。

 

現代的に言うなら、サプリメントと言っていいかもしれない。

 

「まあ、他の人が食べてまずいようでしたら、差し入れという形ではなく食事に盛りますよ」

 

と、ミラーディアはさらに自分で煮干しを口に放り込んだ。

 

「……」

 

ジョンは微妙な顔をする。

自分の食事に薬を盛る話など、あまり聞いていて気持ちのいいものではないのだろう。

 

この辺りは、やはり価値観の違いかもしれない。

ミラーディアは、神族(かみぞく)に勝手に記憶を覗かれたり、記憶を弄られたりするのが当たり前の環境に適応してきたのである。

知らない間に食事に薬を盛られる程度は、覚悟し慣れていた。

 

転生者であるかどうか以前に、平民と王族とであまりにも生活環境、教育環境が違い過ぎる。

 

ジョンが何も言わずに堪えていられるのは、やはり一度死んだ身だからだろうか。

死を経験すると、それだけヒトの意識は変化するのだ。

 

「(ま、俺だけの話だからな……)」

 

指摘した方がいいのかどうか少し考えあぐねていたが、彼は結局流すことにした。

 

「そういや、猫って例の薬大丈夫なのか?」

 

定位置、ジョンの頭の上から降りた二又尾の子猫が煮干しを噛んでいるのを見て、赤毛少年は呟く。

犬類や猫類は、人間にとっては単なる食料、薬にもなるようなものがダメだったりするのだ。

有名なところで、イカ、ネギ、チョコレートなど。

それぞれに独特の習性があり、もちろん価値観も異なるため、飼育する場合は注意が必要である。

ある意味、異文化への入り口とも考えられるわけだが。

 

「多分大丈夫だと思います。スプリガン種は、元は人型の種だそうですから」

「ああ、そういやそうだっけ」

 

そんなことに思慮が回るというのは、この少年は案外余裕があるのかもしれない。

 

エヴェリアは子猫リユの頭を撫でながら、そんなことを考えていた。

 

「カッセルって激しそうだし、幾らか融通してもぎゅ」

 

子猫が自分が食べていた煮干しの残りを少年の口に叩き込んで発言を封じた。

 

「……!」

 

それから、最近少年からのセクハラ発言がなく油断していたためか、数秒後になってその意味に気付き、顔を真っ赤にして部屋を出て行くのだった。

 

「あらまあ、久しぶりですねえ、この感じ」

 

ちなみに、エヴェリアは後で散々悩んだ挙句、体調を整える方の薬は幾らか融通してもらうことにしたようだ。

それがカッセルに使われたかどうかは、秘密である。

 

 

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