「ん……」
どこだここ……。少なくとも俺の部屋でない事と、ベッドの上だろう事だけはすぐにわかった。俺の部屋の天井は真っ白ではない。
閉められたカーテンから除く光は恐らく夕焼けの色だろうか。時間としては大体5時から6時の間といったところか。
ふと左腕に重みを感じる。霞む眼で見てみると、布団に覆われている左腕を枕にするように、椅子に座ったままの誰かが眠っているのが見えた。誰かまでは右眼が霞んでいるせいでよくわからないがすぐに見えるようになるだろう。
『毎日来てくれていたんですよ。楯無さんやオルコットさん、布仏姉妹もですけど』
何があったかは覚えている。記憶の混濁などは一切なく、あの無人機との戦闘後に意識を失っただろう事はすぐに予想できた。
「……そうか。アレからどれくらい経った?」
『2週間です。篠ノ之博士の医療ナノマシンが無ければ恐らくもっとかかっていたかと。確実に内側の回復は速まっていますが、一般的な数か所の骨折や裂傷はこれから回復にかかるでしょう』
近くからレーヴァの声が聞こえる。
「……今度会ったら礼の1つでも言っておくか」
そう呟いて身体を起こそうとするが上半身を起こすのがやっとだ。左腕が枕にされているのもそうだが、右腕が固定されているようで動かない。右足も同様のようだ。
しかし未だに視覚情報が上手く入ってこない。寝起きの眼の霞程度ならそろそろ治ってもいい頃合だが。無理に両眼を使おうとするから駄目なのだろうか。霞み具合が酷い右眼だけ閉じて左眼だけを開く。
「……更識簪か」
眠っていたのは更識簪だったようだ。尤も敵意も害意も感じなかったため相手が誰でもわざわざ退かすつもりも最初から無かったが。
今度は固定されているらしき右腕を見る。
「……随分と大仰だな。確かにまだ相当に痛むが」
右腕はガッチリと少し高い位置に固定され、殆ど動かす事ができない。心意の後遺症は色濃く残っているようで痛みも相当に残っている。
『あのエネルギーでの
「お前が謝る事じゃない。俺がやった事にお前は付いてきただけだからな」
今度は右足を見る。こちらもやはり少し高い位置に上げられて固定されている。右腕と同様の感覚だがこちらの方が少々重いか。しばらくはまともに歩けない事は覚悟した方が良さそうだ。
右半身の頬や胸、脇腹がヒリヒリするのはあの時の蒼い炎の後遺症だろう。右腕以外生身だったのだから充分に想像できる。
「なぁ、レーヴァ」
『なんでしょうか』
「視覚聴覚の共有は正常に働いているか?」
『はい。問題なく』
それならば話が早い。未だに霞む視界の右眼をゆっくりと開き、問う。
「右眼の視界はどう見えてる?」
『……相当に霞んでいます。視力が相当に落ちていると考えるのがベターですね』
「まぁ、そうだよな」
少々不便ではあるが、ISを展開さえすれば視界は360度クリアになるし問題はないだろう。視力がこれだけズレているのは面倒だから片眼だけ矯正してもいいし、何なら眼帯などでそもそも見えなくしてもいい。
「
『わかりません。私も仁の能力全てを把握しているわけではないので。ですが少なくとも遮断シールドが変形したのに関しては私は何もしていません』
仕方ない事だろう。俺の身体の事で俺にわからないのならレーヴァにわからないのは道理だ。
「まぁ酷く不便ってわけでもないだろう。幸い左眼は今まで通りしっかり見えている。ハイパーセンサーがあれば極論両眼を失っても見えるしな」
『馬鹿な事を言わないでください。本気で怒りますよ』
「もう怒ってるだろうに」
さっきから彼女の声音に怒気を感じるのは間違いなく勘違いではない。そもそもお説教宣言をしていたのだから彼女が内心穏やかなわけもない。
『……お説教に関しては簪さんがいるのでまた後日です。いい加減人に心配かけるのやめてください。私以外にも仁が傷つく事が悲しい人は沢山いるんですから』
「そうできたら、いいんだけどな。そういう人を守るために必要なら仕方ないんだ」
右腕が完全に固定されていて指輪がハメれないためか、緊急的に左手にハマっているレーヴァを少しだけ見て、続ける。
「誰かに関わらないって事を諦めるなら、今度はその関わった相手を全力で守り通すだけだ。今回だって異常だったのはすぐにわかった。本来のこの世界であんな無人機が現れた場合どうなるか、思い至らない訳じゃない」
『どうでしょう。本来は簪さんが連れ去られるのが正しい歴史だったかもしれません』
「確かにわからないが、わからないなら全てに気を使うしかない。俺は大分前にそう決めた」
『自分がこの世界の異物だと思うのはいい加減にやめてください。それなら今ここにいる貴方は、貴方を心配してくれる彼女達は……一体何なんですか』
「……」
言い返そうと思ったが、言葉が浮かばなかった。
「ん……ううん……」
「起きたか。そんな態勢で寝てると身体に悪いぞ」
「うん……え?」
パチパチッと眠気眼を何度か瞬かせて、呆けた顔になる更識簪。
「起き……たの?」
「ああ。見ての通りだ」
「よ……よかった……皆心配してた、よ?」
「皆って言ってもアンタを入れても4、5人がいいところだろう?」
「ううん。1組の人も、4組の皆も、あと2組の凰さん、それに上の学年の人達も……心配してた。目を覚まさないんじゃないか、って……」
今度はこっちが面食らってしまった。上の学年はともかくとして、1組や4組からとは予想もしていないところから来たものだ。
「守ってくれた人が……心配にならない訳、ない」
「……結果論に過ぎん。更識……楯無が来なければ俺はアンタら4組を守り切れていない」
「それでも、姉さんが来るまで耐えてくれた」
しっかりとこちらの眼を見て、普段は弱気だった瞳を強く光らせ、力強くそう言ってくる。
「ありがとう」
「……礼を言われるような事じゃない。生徒会として、専用機持ちとして、生徒を守るのは当然の事だ」
「……お礼は素直に受け取っておけばいい」
2週間前も同じようなやり取りを姉の方とした記憶がある。やはりこの2人は姉妹なのだ。
「あと……ごめんなさい。私達を守るためにこんな……」
「謝られても困る。俺がやりたいからやっただけだ。俺が動くのがベストだから動いただけだ。その結果として生徒に被害がなかったならそれでいい」
「……貴方も、生徒でしょ?」
『この人自分自身の事勘定に入れないんですよ。簪さん』
「おいレーヴァ……」
『既に仁が寝てる間にバラしちゃったので今更咎めても無駄ですよーっだ』
「お前なぁ……」
『恨むなら無茶ばっかりしてる自分を恨む事です』
「言葉が刺々しい……説教は後でじゃなかったのか?」
そんなやり取りをしていると、簪がクスリと笑う。
「仲、いいんだね」
『相棒ですから!』
「まあな……しかしまた増やしてどうするつもりだ……」
『簪さんはいい子ですから』
「お前いい子云々で決めてるのか……? お前がいいなら別に構わんが……」
やれやれ……。肩も竦められないため溜息1つで済ませる。
「まぁ、アンタも今日は1回帰るといい。時間も時間、本音も心配してるだろう」
「……そのアンタっていうの、やめて」
「む……」
そうは言われても更識、では姉の方と被ってしまうか。
「簪で……いい。本音は本音って呼んでるんだし……」
「虚さんとの区別で名前で呼んでるだけ……あっ」
「それなら姉さんとの区別でもいいから……簪って呼んで」
『墓穴を掘りましたね、仁』
「やれやれ……わかったよ、簪」
呼んだ瞬間ボンッと効果音がしそうなほど一気に顔が赤くなる。待て、そういえば一度姉の方から聞いたことがある。
「……更識家の女が名前で呼ばせる意味って確か」
「……失礼しました!」
すぐにカーテンを閉めて出て行ってしまった。
『罪な人ですね仁』
「お前なぁ……」
区別だ。また区別の意味だ。とにかくあのシスコンに知られたら間違いなくぶん殴られる。殴られるのは別にいいが下手したら部分展開すら視野に入る。
「また騒がしくなりそうだな……」
『帰ってきた証拠ですよ。諦めて受け入れるんです』
「やれやれだな……」
どうせ動けないんだ。また眠ってしまおう。この時間から誰かが訪ねて来る事もあるまい。
翌日、朝起きてもやはりする事はない。相変わらず動けるわけでもなし。
「ランラン起きたって~?」
聞き慣れた声。2週間眠っていたとはいえ意識についてはこの2週間はほぼ一瞬だ。特に久し振りと思う事もない。
「珍しいな。こんな時間に起きて来るなんて」
「そりゃそうだよ~。昨日かんちゃんに聞いてから気になってたんだから~」
「まぁ、見ての通り未だ動けないけどな。大袈裟すぎる」
「大袈裟なものがありますか。それだけの重傷は滅多に見ませんよ」
布仏姉妹。まぁ簪から情報が一番に行くのは本音だろうしこの速さは妥当と言ったところか。
「杖でもあれば歩けますよ。腕も左腕で大体の事はできるし、最悪部分展開でもいい」
「仁さんはもっと自分の身体を労わってください。貴方が眠っている間どれだけ皆心配したと思っているんですか」
「そうだよ~。たまにはのんびり休まなきゃ~」
「お前はのんびりしすぎだと思うが……」
「とにかく、しばらくはしっかり休む事です。お嬢様もそろそろ来ますので覚悟しておくことをお勧めします」
覚悟……ああ、説教ね……。
少し待つと保健室の入り口から更識が現れた。
「本当に起きてる……もっと休んでいてもよかったのよ?」
「まさか。ずっと寝てるのなんぞ性に合わん」
「そうでしょうね。さて、いくつか聞いておきたい事があるわ」
当然拒否権なんてないだろう。
「まずその両腕の火傷、今回の件だけでできたものじゃないわね」
「ああ。夜の訓練の際に生身での炎の扱いを特訓していた。ロンググローブは一応それを隠していた。こうして問い詰められるのは目に見えてたからな」
やっぱり。という苦い顔になる。
「次、あの異常な足の速さ……というか跳躍は?」
「企業秘密じゃ駄目か?」
「……話したくないならいいけど」
「簡単に話せないって方が正しいか。まぁ脳のリミッターを外す手段があるとだけ思っておいてくれればいい」
「……いつか話してくれるつもりは?」
「悪いが基本的にはない」
「そう……」
包帯や固定具に包まれている右腕を軽く撫でられ、続けられる。
「確かにあの時は君がああするしかなかった。間違いなく事実よ。間に合わなかった私が何を言う資格があるなんて思っていない。けどね」
怒りと心配が入り混じったような表情で、少しだけ泣きそうになりながら。
「貴方が傷付く事なんて誰も望んでいない。少なくとも今ここにいる私達は、君に傷付いて欲しくなんかない。これだけ一緒にいて、またわからない君じゃないでしょう?」
「……わかってる。さっきレーヴァにも言われた」
「それなら、なんでそんな平然としていられるの」
「守るために傷付く事は怖くない。俺1人が傷付くだけで何人も守る事ができたならそれは素晴らしい事だ。勿論死ぬのが怖くないとまでは言わんが」
パァンッ! という音が部屋に響いた。同時に頬に熱い痛みを感じる。視界の先では更識が右手を振り抜いた態勢で止まっている。
「……君は自分を何だと思ってるの。自分を中身のない人形だとでも、捨て駒とでも思ってるの? いい加減にしなさい」
今度こそ怒りの感情だけを表情に映し出し。
「それなら今こうして君を想っている私達は、君にとって何なの?」
それを言われたらやはり言い返せない。俺がやっている事は俺の周りの人物の気持ちを蔑ろにするという事は紛れもない事実だからだ。
「……アンタにとって更識簪と俺の命を天秤に掛けた時、前者に傾くだろう。俺はその優先順位を守るだけだ」
「……本気で殴られたいの?」
動かない右腕の代わりに左腕だけを上げて降参のポーズを取る。
「それは勘弁だ」
「私にとっての優先順位は確かにその通りよ。だけどだからってどちらかの手しか取れない時に君を切り捨てようなんて一切思わない。両方に手を指し伸ばしてこその学園最強よ」
「まぁ、アンタならそうだろうな」
俺だって両方大事な人間なら両方助けようとする。それと同じだ。今回は俺と簪とで更識楯無にとっての優先順位を、俺が優先しただけの話。
『楯無さん。この人基本的に自己評価があまりにも低いんですよ。優先順位の話をして自分がその中に入っていたら間違いなく最下層に配置するくらいには』
「知ってる……知ってるけどここまでとはね……」
とにかく、と一度区切ってから更識が続ける。
「もっと自分を見つめなおしなさい。君の復学にはもう少し時間がかかるし、生徒会としてもその間は謹慎を命じます。この機会にしっかり身体を休めなさい」
「了解」
「それと」
今度は怒りの感情が一切ない微笑みの表情で。
「改めて、簪ちゃんを守ってくれて本当にありがとう」
「だから礼を言われるような事じゃねえっての……」
「またね~」
「しっかり療養してくださいね」
という事で帰っていった。そろそろ朝のSHRだ。高学年の2人はともかく、本音は早く戻らないと出席簿を食らってしまう。
「やれやれ……」
『やれやれ。じゃないです。心配されていることをいい加減自覚してください』
「してるよ。してるから苦労してるんだ」
心配されると
「失礼しますよ」
今度は聞き慣れない声。聞いた事はあるが滅多に聞く事はない。
「学園長……わざわざ一生徒の見舞いに来なくてもいいものを」
IS学園長、轡木十蔵。初めて更識楯無と相対した時にその場にいた人物であり、普段は学園長の表向きの立場を妻に任せ、その立場を隠し用務員として学園の至るところで生徒を見守っている人だ。
「そうもいきませんよ。確かに普通ならば来ませんけどね」
「なら、なんで来たんですか?」
「まずはお礼をと思いまして」
また礼か。と内心思ってしまうのは礼を言われるような事に慣れていないからだろう。
「我が生徒達を守ってくれて、ありがとうございます」
「生徒会として専用機持ちとして、当然の事をしたまでです。貴方や更識にはこうして学園で保護してもらっている恩もある」
「それでも、そういった打算を抜きにしても私は、更識くんの頼みを聞き入れ、君を学園に迎え入れたあの時の判断は正しかったと思えますよ」
「……ありがとうございます」
この人は本音以上に掴みにくい人だ。だがこれらの言葉が本心であることはわかる。
「ですが同時に、欄間くんも私の生徒です。無茶はあまりしない様に。わかりましたね?」
「……保証はできませんが、善処します」
「保証してもらえないと困るのですけどね?」
齢70近く柔和な雰囲気をしているというのに、こういう時は妙な威圧感があるのがこの人だ。女尊男卑のこの時代でもこの人はそれに一切屈しない。まさに"強い男"と呼ぶべき人だ。
「……はい」
「よろしい」
そう言って満足げに頷きながら立ち上がる。
「欄間くん。これからも私達は君の味方です。それを覚えておいてくださいね」
それだけ言って去る背中を見ながらこの人には敵わないな。と改めて思うのだった。
書けば書く程この仁人間らしさが無くなっていっているような気がする。
では次回もよろしくお願いします。
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