江ノ島盾子にされてしまったコミュ障の悲哀【完結】   作:焼き鳥タレ派

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第14章 仲間

どうして彼の方が驚いているんだろう。

戦刃むくろを背負った日向君が、迎えに来た僕の顔を見たと思ったら、

そのまま唖然とした表情で何も言わなくなってしまった。

 

「あ、あ……」

 

「大丈夫!?どこか痛いの?怪我してない?」

 

「えの…しま……」

 

「戦刃にやられたの?ウサミ、日向君どうしちゃったの?遺跡で何があったの!?」

 

「わからないでちゅ!戦刃むくろの攻撃は一切受けなかったはずなんでちゅが……

日向くん、返事をしてくだちゃーい!」

 

矢継ぎ早にウサミに問うけど、そばにいたはずのウサミにも原因が分からない。

困惑していると、後ろからみんなの声が聞こえてきた。

 

「おう日向よ、無事じゃったか!」

 

「どこもやられてないでしょうね!?あと、背中の娘……誰?」

 

弐大君や小泉さんを先頭に、みんなも駆けつけてきた。橋の中央で再会する僕達。

だけど、状況はよくない。

 

「彼女が戦刃むくろ!それより日向君の様子がおかしいの。

ここで私と会ってから、ずっとぼーっとしてて、呼びかけに反応してくれないのよ!

罪木さんはどこ?」

 

「……待って。弐大は背中のむくろをお願い」

 

「おう。だが、何をする気じゃ?」

 

「いいから」

 

小泉さんは弐大君に戦刃を任せると、

何か大きなショックに打ちのめされた様子で僕を見たまま、

動かなくなってしまった日向君の前に立つ。

彼の目には小泉さんも映っていない様子。そんな日向君を不機嫌な顔で見た彼女は……

 

「いいかげんに!起きな、さい!!」

 

大声で怒鳴って、両肩を思い切り叩いた。日向君が驚いて身体がビクンと跳ねる。

 

「わあっ!……あ、なんだ。小泉か」

 

「なんだ、じゃないでしょう!散々アタシら心配させといて、

橋の上で立ったままお休みなんて、結構な御身分ですこと!」

 

小泉さんの一喝で我に返った日向君だけど、やっぱりまだどこか様子が変だ。

僕と目を合わせようとしないのは気のせいかな。

 

「ああ、よかった元に戻って。超高校級の希望の副作用かと思っちゃった」

 

「江ノ島か。江ノ島で、いいんだよな……?心配かけて、悪かった。

特に副作用とかはないんだが、

あまり使い過ぎてもどんな結果を招くかわからないからな。すぐに停止させ……」

 

「待って、まだ日向君の力が必要なの!」

 

思わず彼の手を握る。そう、狛枝君を助けなきゃ。

 

「もう戦刃むくろは捕らえたぞ?他に何の問題があるんだ」

 

「行きながら話すわ!1秒でも早く助けてあげたいの!」

 

「助ける……?誰か病気でも」

 

「お願い、急いで!」

 

それから僕は日向君の手を引きながら、みんなとレストランに置いてきたの元へ急いだ。

日向君に明らかになった事実を説明しながら。

 

 

 

 

 

それは不幸と言うより必然だった。だから何が変わるわけでもないんだが。

俺は、見てしまった。江ノ島盾子の瞳の奥。頭脳を走る神経パルス。

それは明らかに男性のパターンそのものだった。

 

超高校級の脳科学者、生態学者、物理学者、プロファイラー、千里眼。

その他諸々の才能が否応なく俺に告げる。

目の前の少女は絶望の江ノ島盾子などではない。

 

すなわち、俺達が江ノ島盾子として扱ってきた人物は、全く無関係の人物。

“彼”が訴え続けていた通り、クローンで再生された肉体に、

異世界の人間の精神が宿っていたことが事実であることを意味する。

 

「あ、あ……」

 

目の前の誰かに何と言えばいいんだろう。

 

「大丈夫!?どこか痛いの?怪我してない?」

 

必死に呼びかけてくる彼女、または彼の声が、耳に入ってこない。

 

「えの…しま……」

 

そう呼んでいいのか散々迷って、どうにか彼女の名前を口にした。

だが、次が出てこない。俺の脳を無数の問いが埋め尽くし、思考させてくれない。

彼は何者、未来機関に報告すべきか、彼らは江ノ島盾子をどうする、

もし彼らが江ノ島の存在を抹消などと考えたら……

そして、どう謝ればいい、どう償えばいい。無実の彼に対して行ってきたことについて。

 

「いいかげんに!起きな、さい!!」

 

答えのない疑問の底なし沼に陥っていると、

突然の大声と肩に走った衝撃で現実に引き戻された。小泉だった。

 

「わあっ!……あ、なんだ。小泉か」

 

「なんだ、じゃないでしょう!散々アタシら心配させといて、

橋の上で立ったままお休みなんて、結構な御身分ですこと!」

 

彼女のおかげでどうにか自分自身から抜け出すことができた。

少しだが冷静さも戻ってきた。“江ノ島”と二言三言、話ができる程度に。

でも、当の彼女がまた俺を混乱させるようなことを言う。

誰かを助けるために俺の力が必要らしい。

 

一体誰を?そう聞きたかったが、相当焦った様子で、

戻りながら話す、と俺の手を引っ張って駆け出した。

仕方なく俺は彼女と一緒にホテルに走った。

今、彼女を引き止めたり説明を求めることが、何となくできなかったから。

 

 

 

 

 

日向君を連れてみんなとレストランに戻ると、

あの事実を受け止めて切れてない狛枝君が、ひとりテーブルに着いて、

江ノ島盾子の左腕をぼんやりと眺めていた。

 

「狛枝がまだ絶望を抱えてることはわかったが、

俺の力が必要だってことはどういう意味だ!?」

 

「落ち着いてから話そう?ねえ狛枝君。もう大丈夫。君も絶望の残党なんかじゃない。

みんなの仲間になれるのよ」

 

「フフ……別にいいよ。

ボクのような虫ケラが、一流の才能を持った君達と同列に並ぶなんて、

おこがましいことなんだから」

 

彼は江ノ島盾子の腕を見たまま、ぼそぼそと話す。

 

「その行き過ぎた自虐癖も“種”のせい。日向君と私で、取り除いてあげるから」

 

「俺とお前で、ってやっぱり意味がわからない。そろそろ詳しく説明してくれ」

 

「わかった。まずは彼の前に座ろうよ」

 

「ああ……」

 

4人がけテーブルに狛枝君と向かい合って座る。

何が起こるかわからない皆も、緊張しつつ僕達を見ている。

 

「戦刃むくろはワシが椅子に寝かせて、罪木が看病しておる。

監視はワシが努めるから、心配せんと狛枝を助けてやれ」

 

「ありがとう、弐大君。……それじゃあ、日向君。

私が誰かの才能を分析してコピーできるってことは知ってるよね」

 

「初めは耳を疑ったが、それで戦刃の能力を分析して戦ったんだよな。

それがどうしたんだ」

 

「日向君が戦ってた時、彼に違和感を覚えて、主に目を観察して分析したら、

その……カムクライズルが彼の精神に絶望の種のようなものを仕込んでいた。

これも、いいよね?」

 

カムクライズルの名を口にする時、少し口が重かった。

やっぱり日向君はあまりいい顔をしていない。でも、どうしても必要なことなんだ。

 

「……ああ、問題ない」

 

「なら、本題に入るね。日向君、彼に宿ってる種を心から切り取るために、

君が持ってる能力のいくつかを貸して欲しいの」

 

レストランの空気が皆の驚きで揺れ、皆の視線が僕に集まる。当然、隣の日向君からも。

さっきからツインテールが当たってごめんね。

 

「ちょっと待て、どうして江ノ島がそんな事をする必要がある?

そもそも、俺の能力が必要なら、お前が指示を与えてくれれば俺が……!」

 

「それはできないと思う。きっとカムクライズルを造り出した希望ヶ峰学園は、

私の能力については知らなかったもの。

だって、江ノ島盾子は“超高校級のギャル”として入学したんだから。

多分、今の日向君でも狛枝君の精神を分析して、

本来は無いはずの異物を発見して除去する能力はないと思うわ」

 

「少しやってみる。待っててくれ」

 

日向君は、しばらく狛枝君の目をじっと見ていたけど、やがて首を振った。

 

「確かに……脳の活動状況はわかるけど、そこまでだ。

それが異常なのか、どこが間違いなのか、見当がつかない」

 

「うん。だから、私が日向君を分析して治療に必要な能力をコピーさせてもらう。

それから狛枝君の心の病巣を分析して、切り落とし、今度こそ絶望から彼を救い出すの」

 

「なるほど。狛枝の絶望が希望更生プログラムでも消去できなかったのは、

まさか俺がそんな物を植え付けていたせいだったとはな……」

 

「日向君じゃない。カムクライズルだよ。お願い、君の才能を貸して。

少しの間、目を合わせるだけでいいの」

 

「もちろんだ。俺にできることはそれくらいだからな」

 

「……ボクなんかのために頑張らなくていいよ。

これまでもこれからも、ボクはみんなが希望を輝かせる時を待つだけだからね」

 

「いくよ?」

 

「ああ、やってくれ」

 

狛枝君のつぶやきに答えることなく、僕と日向君は見つめ合った。

真っ赤な瞳。超高校級の希望の証。

僕の目玉がギョロギョロと動いて、彼の目を初めとして、その姿全体を観察すると、

日向君の体全体から膨大な情報が流れ込んでくる。

 

眼科医、脳科学者、心理学者、催眠術師、カウンセラー、

とにかく必要な才能を目から取り込む。

途中、何度も激しい頭痛に見舞われ、身体が揺れる。

 

「ああっ!!うっ、くう……」

 

「江ノ島!?無理ならやめろ、お前は脳の手術を受けてない。

無数の才能を受け止めきれるようになってないんだ!」

 

「あの!一度罪木さんに診ていただいたほうが……!」

 

日向君もソニアさんも心配してくれるけど、ここでやめるわけにはいかない。

 

「大丈夫……もうちょっと、もうちょっとだから、最後までやらせて……」

 

僕は最後の一つ、超高校級の神経学者をコピーしながら答える。

本当に、もう8割は完了してる。頭が凄く熱くなってるけど、あと一息。

まるで日向君を睨むかのように、彼を観察し、

その力の一部を全力で自分の頭に叩き込む。いつの間にか日向君の肩を掴んでいた。

 

「はぁっ!できた……!」

 

そして、時が来る。最後のひとつを完全に分析。

狛枝君に取り憑く心の闇と戦うための武器が全て揃った。

インフルエンザで発熱したように身体が熱くなっていたけど、問題ない。

日向君の能力が僕のものになった。

 

「江ノ島!?終わったのか?」

 

「ふう……なんとか私の頭に収まったわ。大丈夫、身体が少し火照ってるだけ。

それより、日向君は早く能力を解除して。あまり長く続けても身体に悪そうだから」

 

「そうだな。でも、後はお前の心配をしろよ?ウサミ、能力を再ロックしてくれ」

 

「はいでち。……対象者日向創、1番から3番ロック作動。

以後、システムの利用には再度管理者の承認を得てください」

 

ウサミがやっぱり機械的な口調で何かを口にすると、日向君の目の色が元に戻った。

 

「……よかった。今度は彼の番よ、さっそく始めましょう」

 

「おいおいおいおい!いっぺん休んだほうがいいんじゃねーのか!?すげえ熱だぞ!」

 

見た目で分かるほど茹でダコになってるみたいだ。

左右田君が何かマズいものを見てしまったような顔で僕を見てる。

 

「心配ないわ。脳を酷使するのはここまでだから。狛枝君は一刻も早く助けないと、

本来の精神とカムクライズルの種が完全に同化して、手の施しようがなくなるの」

 

「無茶は、すんなよな……マジで」

 

「ありがと、左右田君。ここからはいわば質問タイムだから、安心して」

 

「質問タイム?」

 

今の緊張感にいささか不似合いな単語に、日向君が聞き返した。

 

「そう。私が狛枝君の心の動きを読みながら、特定の質問を繰り返す。

そうやって種を浮かび上がらせて、最終的には心から消し去るの」

 

「可能なのか、そんな事が?」

 

「任せて。

狛枝君?これからちょっとお話ししましょうか。

ほら、みんなも立ってないで、椅子にかけて楽にして」

 

ポンと軽く手を叩くと、みんなが戸惑いながらも適当な椅子に座る。

まず僕は、無用な緊張感を取り払い、彼がリラックスできる環境を作る。

 

「じゃあ狛枝君、今から質問を始めるけど、

意図がわからなかったり、そもそも答えがないものもたくさんあるの。

そんな時は、ほんの少しだけ考えてから、わからないって答えてね」

 

「ボクでいいなら協力するよ。

さらに力を増した江ノ島盾子が見られるなんて、やっぱりボクは幸運だよ、フフ……」

 

「狛枝!」

 

「はい日向君、大声は厳禁だよ?君も狛枝君も肩の力を抜いて、ね?

これから少しお喋りするだけなんだから」

 

カウンセラーの才能を活かし、努めて落ち着いた雰囲気を作り出す。

 

「じゃあ、始めるね。まず一つ目だよ。

鏡を使わずに1枚の10円玉の表と裏を見る方法って、あると思うかな?」

 

「……そもそも2つのものを同時に見ること自体無理なんじゃないかな。

人の目は1つのものにしかピントを合わせることができないんだからさ」

 

「その通りよ。こんな風におかしな質問が続くけど、疲れたらいつでも言ってね。

さっきも言ったけど、

わからないなら“わからない”でいいし、“うるせーバカ”でもなんでもいい。

狛枝君の返事が欲しいの」

 

「江ノ島さんがボクとマンツーマンでお話ししてくれるなんて嬉しいよ。

超高校級のみんなにとって、より険しい崖になった君と、一緒にね……」

 

彼が不気味な笑みを浮かべながら答える。その目を通してはっきり見えた。

今、彼の精神に潜り込んでいる“種”が少し表に浮かんだ。

 

「私も嬉しいわ。あれからちゃんと君と話したことがなかったから。

次の質問。ドーナツとダイヤの結婚指輪。どちらも10グラム。

いきなりプレゼントされたら、あなたにとって、どっちが“重い”?」

 

「重量の話し?それとも重要性の話し?」

 

「その判断もあなたに任せる」

 

「う~ん……やっぱり指輪かな。

相手にもよるけど、そんな高価で意味の大きいものを渡されたら、

さすがにボクでも戸惑うよ」

 

「ありがとう。この質問も正解はないの。ところで喉は乾いてない?

花村君、悪いんだけど、彼と日向君に冷たいお茶を出してあげてくれないかしら」

 

「わ、わかった。すぐ持ってくるよ!」

 

「なあ、江ノ島。お前は一体……いや、なんでもない」

 

「言ったでしょう?ただのお喋り」

 

花村君が厨房に駆け込む。

傍から見たらなんでもないお喋りに見えるだろうけど、これは狛枝君の絶望との戦い。

今の問いは、安いドーナツと、高価な指輪。当然後者の方が価値は高いけど、選べない。

そんな矛盾をぶつけて心を揺らした。

 

僕の狙いは、心理学に基づいて、こんな特殊な質問で精神に揺さぶりを掛けて、

“種”を追い詰め、最終的には消滅させること。

戻ってきた花村君は、僕にも冷えた麦茶を出してくれた。そこで質問を再開。

 

「ありがとう、花村君。それじゃ、3つ目行ってみようかしら。

ズバリ、白と黒、どっちが好き?

いや、この間七海さんにリバーシで派手に負けちゃってね。

罰ゲームで丸太担いで歩き回らされたの。おかしいでしょう?フフッ」

 

「どっちも好きだけど、強いて言うなら静かな感じの黒、かな……

学級裁判でも“クロ”がみんなを輝かせるじゃないか」

 

「あら、そう言えば一緒ね。全然気づかなかった!なるほど~確かに一緒。へぇ……」

 

皆が固唾をのんで僕と狛枝君のやり取りを見守る。

僕は彼の心の動きを観察しながら、一見無意味な質問を続ける。

レストランに奇妙な時間が流れること1時間。彼に変化が訪れる。

そわそわして、表情から落ち着きがなくなる。視線も一点に定まらない。

 

「……どうしたんだろう。うまく説明できないけど、

さっきから得体の知れない何かに狙われているような気がするんだ」

 

「それはあなたの心に埋め込まれた悪意。でも心配しないで。

狛枝君は今までそれと戦ってきたの。そいつがもう耐えきれなくなって表に出てきた。

今、あなたが感じている恐怖のようなものはその影響よ。

それにとどめを刺すのはあなた自身」

 

「ボクが?」

 

戸惑った表情で自分を指差す彼。

 

「そう。狛枝君にしかできないの。さあ、最後の質問。

……崩壊前の世界に戻れるなら、あなたはどこに帰りたい?」

 

「ボクは、ボクは……!」

 

 

?→我が家

?→砂漠のオアシス

?→希望ヶ峰学園

?→ジャバウォック島

 

 

「帰りたい、また、素敵なみんなと、一緒に、あの学校で……うわああああ!!」

 

→希望ヶ峰学園:正解

 

狛枝君が叫び声を上げ、倒れるようにテーブルに身体を預ける。

みんなが思わず立ち上がるけど、黙って両手で押し留めた。

確かに見えた。今、彼の心で、何かが砕け散ったんだ。僕はただ彼が目覚めるのを待つ。

それは隣の日向君も同じだった。

 

やがて、狛枝君の背中がピクリと動いた。

それから腕が、何かを求めるようにゆっくりとテーブルを彷徨い、

その身体を持ち上げた。

眠っていたように目を閉じている彼が再び椅子に座り直すと、少しずつ目を開く。

その目は。

 

「江ノ島、さん……?」

 

今までのやり取りを忘れてしまったかのように、不思議そうに僕を見る狛枝君。

その目にいつか見た不気味な波紋はない。

 

「そうよ、江ノ島。気分はどう?」

 

「なんだか、とっても清々しいというか、重荷を下ろしたような開放感が……

とにかく、いい気分だよ!」

 

「成功した、と言えるのか……?」

 

「大成功よ!ありがとう、日向君。力を貸してくれて。

もう狛枝君は絶望なんかじゃないわ!」

 

僕の言葉に皆も驚きと喜びの歓声を上げる。

 

「うそっ!狛枝おにぃ、もう変態野郎じゃなくなったの!?」

 

「魔眼の力と日常会話に擬態した因果の理で、

呪われし人の子をアスラの戒めから解き放ったか!やはり俺が見込んだ通り江ノ島は」

 

「信じられない!あの意味不明な会話でどうやって!?

盾子ちゃん、最近みんなを騒がせすぎよ、いい意味で!」

 

「遠回しな質問で、狛枝君の希望に対する執着を中心に刺激を与えていたの。

……そうだわ、大切なことを聞き忘れてた。

狛枝君、今のあなたにとって、“希望”って、何?」

 

「希望……?」

 

治ったはいいけど、しばらく放って置かれていた狛枝君が、

いきなり質問を向けられ、困惑する。言葉にするのに手間取っているようで、

少し考え込んでから、しっかりとした口調で答えた。

 

「みんなと、力を合わせて、掴み取るものだよ」

 

皆がほっとして息をつき、僕は更にその言葉の真意を問う。これで全てに決着が付く。

 

「誰か、強大な誰かを倒したり、踏み台にしてでも?」

 

「そんなの希望じゃないよ。誰かを犠牲にして何かを……犠牲?

犠牲、そうだ、思い出した。ボクは、ボクは!!」

 

絶望から解放されたと思われた狛枝君がパニックを起こし、みんなの喜びが凍りつく。

まだ何かあるのか。そんな思いが場を包む。

 

「全部思い出した!ボクは、希望が放つ光を求めて、なりふり構わず人を傷つけた!

十神君や七海さんを殺したのは、ボク!江ノ島さんに卑劣な真似をしたのも、ボクだ!

やっぱりボクは絶望の残党だったんだよ!ああああ!うわあああ!」

 

しまった!正気に戻った狛枝君が、過去の罪に押しつぶされそうになってる!

頭を抱えて激しく身体を揺さぶってる。

皆が押さえつけようとするけど、抵抗が激しく上手くいかない。

だけど、その様子を見ていた彼女が彼に声を掛けた。

 

──違うと思う、よ?

 

七海さんだった。質問タイムの間も船を漕いでいた彼女が、はっきりと告げた。

その声は喧噪の中でもよく通り、狛枝君にしっかり届いた。

 

「二代目の私を殺したのは、狛枝君じゃない」

 

その言葉に狛枝君も動きを止めて、彼女を見る。

 

「そんなわけないじゃないか。ボクは、コロシアイ修学旅行で、君を罠にかけて……」

 

「それって、絶望の残党だった狛枝君だよね?ただの高校生になったキミじゃない」

 

「どっちも、同じじゃないか。ごめんよ、ボクは、君に許されないことを」

 

「同じじゃないよ。……その腕」

 

「えっ?」

 

七海さんが指差した彼の左腕を見ると、いつの間にか、あの女性の腕がなくなっていた。

本人はもちろん、僕も、みんなも、自分の目を疑った。

 

「どうして……」

 

「ねえ、盾子ちゃん!どうして狛枝の腕がなくなってるの!?」

 

「わからない!これは、私にも……モノミ!じゃなかった、ウサミ!」

 

狛枝君自身にも小泉さんにも、そして僕にもわからなかった。

見た目はちんちくりんでも、この世界を管理しているウサミに答えを求める。

 

「また一瞬あちしの名前を間違えましたね!

……オホン、あの腕は、江ノ島盾子の生み出した絶望に心酔していた彼の記憶を、

希望更生プログラムが具現化していたものでちゅ。

だから絶望から解き放たれた今、彼の脳に彼女の腕は存在しまちぇん。

それで現実世界の彼と同じ姿になったんでちゅよ?」

 

「それじゃあ!やっぱり彼は元の自分自身を取り戻してくれたのね!

世界の崩壊が始まる前に!」

 

「その通りでちゅ。江ノ島さん……狛枝君を助けてくれたことには感謝しまちゅが、

あなたの分析能力について本当に心当たりはないんでちゅか?」

 

「全く無いわ。

始めて発動したのは狛枝君と色々あった時だけど、何の前兆もなかったし」

 

「う~ん…聞かない約束だから聞かないっすけど、こうもちらつかされると

やっぱり気になるっす」

 

「澪田さんの気持ちはわかるけど、まずは狛枝君の事に話を戻そっか。

ねえ狛枝君。キミの腕がなくなったのは、そういうこと。

みんなと同じ、絶望で歪められた心が元通りになった、仲間なんだよ?」

 

「ボクが、仲間……?そんなはず、ないさ。だって、ボクは、みんなを殺したんだ。

騙して、殺した!」

 

──それは違うぞ!

 

そろそろだと思ってた、彼のセリフ。

僕がこの世界に飲み込まれてからようやく来てくれたね。

 

「日向、君?どうしてっ!ボクは、七海さんを殺した。

君が一番ボクを憎んでいなきゃおかしいじゃないか!」

 

「そりゃ、確かに二代目の七海は狛枝、お前に殺されたようなもんだ。

憎しみが消えなくて苦しんだ。

生きるために、憎しみから目をそらす術を身につけるのにも苦労した。

でも、もうひとりの七海がそこにいて、彼女自身が仲間と認めてるんだ。

俺が許さなくて、どうするんだよ……」

 

そして、ポケットから取り出した“ギャラオメガ”のヘアピンを見つめる。

 

「今のお前は、絶望の残党じゃない。俺達と同じ、共に罪を償う仲間なんだ」

 

「一緒に、罪を償う……?」

 

「お前さんはあの時おらんかったから知らんじゃろうが、ワシらは誓いを立てたんじゃ。

ここで罪を償うものは、過去の罪、つまりコロシアイ修学旅行で起きたことは水に流す。

今は同じ罪と向き合う者同士。

狛枝、絶望の残党だった時に犯した罪から逃げんと約束するなら、

少なくともワシはお前さんを仲間と認める」

 

「弐大クン、ボクなんかで、いいの?」

 

「ワシは誰よりも誓いに忠実だったつもりじゃ。二言はない」

 

「フン!……どいつもこいつも、ふざけたことばかり宣う」

 

大きな身体を揺らして不機嫌な様子で割り込んできたのは、十神君。

あのコロシアイの、最初の犠牲者だったね……

 

「この十神白夜を無視して話を進めるとは、身の程を知れ、愚か者!」

 

「……十神クン。ごめん、浮かれちゃって。キミには本当に謝らなきゃいけないよね。

もし許されるなら、ここで罪を」

 

「だから!勝手に話を進めるなと言っている!

いいか?俺も万引きGメンとしてこの島の秩序を保つ者のひとり。

その十神財閥の御曹司たる俺が決定を下す!

……絶望を捨て去った以上、

今後は貴様にもジャバウォック刑務所での労役に従事してもらうぞ。

ただでさえ人手は足りていない。これからはもう上げ膳据え膳で飯にはありつけんぞ。

この決定に対し、異論は認めん。

異議のある奴には、こいつの分の労役もこなしてもらう」

 

十神君がみんなを指差し、同じ気持ちを代弁してくれた。

 

「えっ、それって……」

 

「みんなお前を仲間だと認めてるってことだ。

さっそく明日から片手でもできる作業をシフトに入れる。

今日のうちにコテージで休んでおけ」

 

「だが、ようやくテメーもスタートラインに立ったってだけだ。喜ぶのは、まだ早えぞ」

 

「ぼっちゃんの言う通りだ。ここでの作業は過酷だ。

お前は室内作業が主になるだろうが、覚悟はしておけ」

 

「ふぅ、花村もアンタのご飯運ぶ仕事がなくなった分、楽になったんじゃない?

最初はアタシ達も運んでたんだから、感謝してよね」

 

「あの~トンカツにされたぼくの意見は……なんでもないです」

 

「うん。これがみんなの気持ちだし、私の気持ちなんだよ?」

 

「日向君、七海さん、ありがとう。みんな、ありがとう……!」

 

狛枝君の目から二筋のものが頬を伝う。それはまるで、悪夢の破片を洗い流すようで。

 

「とりあえず今日は解散とせんか?日向、お前さんも江ノ島も疲れとるじゃろう。

戦刃むくろは、ここでワシが監視しておく。今後のことを考えるのは明日でもよかろう」

 

「わかった。狛枝は心の治療が終わったばかりだから、罪木と……江ノ島、頼めるか?」

 

「わわ、私ですか?はい!江ノ島さんもそうですが、

狛枝さんは精神的ストレスによる軽い疲労がみられますので!」

 

「私ももちろんOKよ。彼を疑ってるわけじゃないけど、

一部屋に男子と女子がひとりだけってのもアレだしね」

 

「よろしくね。罪木さん、そして江ノ島さん……ボクなんかのために」

 

「あー、まだ悪い癖が残ってる。“なんか”はもう無し!

あと、自分を虫だの他の才能以下だの、悪く言うのも当然ダメだからね?」

 

「それを治すのが、お前のここで生きる第一歩だな。みんな、もう帰ろう!

弐大、悪いが後は頼む」

 

「うむ、今夜は寝ずの番じゃあ」

 

戦刃の監視のために弐大君だけがレストランに残り、全員がコテージに帰っていく。

途中、ふと日向君に呼び止められた。

 

「江ノ島、ちょっと」

 

「なあに?どうしたの」

 

「……いや、なんでもない」

 

「ふふっ、変な日向君。お休み」

 

「ああ、お休み……」

 

彼と別れると、僕は罪木さんと狛枝君と一緒に、彼のコテージへ向かった。

狛枝君が絶望から救われたのも嬉しいけど、

ちゃんとした家で寝られるのも楽しみだったりする。イヒヒ。

僕は軽い足取りでウッドデッキを歩いていた。

 

 

 

 

 

俺は監視カメラに向かって人差し指でバツ印を作ると、

コテージで一人、明かりも点けず電子生徒手帳を操作し、緊急回線で苗木誠に連絡した。

通話相手を限定した通話機能は別個のセキュリティで守られていて、盗聴の心配はない。

接続と同時に、興奮した様子の苗木の顔がモニターに現れ、

前置きなしにまくし立てて来た。

 

「様子は見てたよ!まさか狛枝クンの治療に成功するなんて!

江ノ島盾子に才能をコピーする能力があるとは、未来機関も掴んでいなかったよ!

今、プロジェクト関係者も驚きで浮足立ってる。彼女は一体何者なんだろう。

コロシアイ学園生活では、そんなもの少しも見せなかったのに。

日向君、君はそばにいて何か気づいたことはない?」

 

「……ある。物凄く重大な事実だ」

 

「まだあるの?何か知ってるなら教えて!」

 

「今、周りに誰かいるか?」

 

「オフィスには誰も。時間が時間だからね。それより、重大な事実って?」

 

最後の最後まで迷った末の決断だった。俺は、未来機関に真実を告げる。

江ノ島が別人である以上、ジャバウォック刑務所に閉じ込めておく事は、

犯罪どころの話じゃない。未来機関の彼女に対する処遇については……苗木を信じる。

 

「いいか、心して聞け。江ノ島盾子は……別人だ。

本人の言う通り、江ノ島の肉体に異世界の男性の精神が宿った、

人類史上最大最悪の絶望的事件とは無関係な人物なんだ!」

 

苗木が絶句した。俺と同じように、この事実を受け止めるのには時間が掛かるんだろう。

うろたえながら1分を使って、ようやく口を開いた。

 

「その、結論に至った、根拠は?」

 

「俺が戦刃むくろを無力化するために、“超高校級の希望”を使ったよな?

戦刃の確保は上手く行ったが、俺を迎えに来た江ノ島と目が合ったんだ。

その時、能力のいくつかが、彼女の視神経を通して脳を走る微弱な電流をキャッチした。

ああ驚いたさ、少女の身体の中で、男性の心が動いてたんだからな!」

 

「そんな、じゃあ、今までボク達がしてきたことは……!」

 

「とんでもない間違いだった。

無実の人間を刑務所に閉じ込め、番号を付け、粗末な食事を与え、怒鳴りつけ、

働かせていた。時には暴力も……

なあ、教えてくれ。俺は明日からどんな顔をして江ノ島に会えばいい?

どの口で名前を呼べばいい?そもそも彼女の本当の名前は?

今夜は狛枝の件でゴタゴタしてたからどうにかなったが、

これからどうしていいか分からないんだ……」

 

「済まない。ボクにも分からないよ。

とにかく、すぐ上層部に伝えて希望更生プログラムの停止を急がせる。

でも、やっぱり日本との距離から考えて最低でも3日以上は掛かると思う」

 

「頼むから急いでくれ。

戦刃を確保した今、もうモナカの妨害を恐れる必要もなくなっただろう」

 

「わかった。

緊急事態だけどデリケートな問題だから、どこまでできるかわからないけど」

 

「だろうな。俺達が痛めつけていた絶望の江ノ島盾子が、実はただの少女でした。

もし、そんな事実が知れ渡ったら、世界は未来機関を許さない。

更なる絶望と怒りが今度こそ世界を破滅させる」

 

「こんなはずじゃなかったのに……いや、最初に日向クンに会わせるべきだったんだ。

ボクが、判断を誤ったばかりに!」

 

「全ての才能を持った、強力過ぎる超高校級の希望。

無闇に使えばどんな結果を招くかわからない。

DNAも絶望の江ノ島と一致していたし、無意識にその手を避けたのも無理はないだろう」

 

「時が来れば、江ノ島盾子の姿をした誰かに、土下座して詫びるつもりだけど、

日向クンは付き合う必要はないよ。

キミはただ提供された情報を元に、このプロジェクトに協力してくれただけなんだから。

罪の意識を抱えるのは、ボクだけでいい」

 

「お前ならそう言われて、はいそうですか、で納得できるか?

……俺も、お前も、もう共犯者なんだよ」

 

「共犯者、か。言い得て妙だね。そろそろ切るよ。

未来機関本部へ出発の準備をしなきゃ。まずは会長とのアポを取る」

 

「ああ、進展があったらすぐ連絡をくれ。頼むぞ」

 

そこでビデオ通話を切った。

何も映さない電子生徒手帳をしばらく眺めてから、ベッドに入る。

その夜は殆ど眠れなかった。

事実を知り激怒した江ノ島が、憤怒の形相で俺を激しく罵り、責め立て、

やがては手にした刃物で……そんな悪夢に何度も目が覚めたから。

そして何より、彼女が築き上げてきた、皆の絆が壊れることを、恐れていたから。

 

 

 

 

 

翌朝の朝食は、今までで一番妙な雰囲気だったと思うよ?

今まで空いていた狛枝君の席に彼がいることはともかく、

縛られた戦刃むくろがムッツリした顔でテーブルの隅に座ってる。

 

「ふあ~あ、まともな家で寝るのってこんなに気持ちよかったのね。

まだあくびが止まらないわ。あぁ~あ」

 

「盾子ちゃん、女の子がお行儀悪いわよ」

 

「ごめんなさい」

 

まぁ、それ以外はいつも通りだよ。朝っぱらから小泉さんに叱られる。いつも通り。

 

「ベッドで、寝るのが、気持ちよかった!?

ひょっとして、江ノ島さん、あの後狛枝くんと罪木さんで……」

 

「そんな事してませんよぅ……」

 

「花村も変な妄想膨らませない!」

 

彼もいつも通り。

どれだけ怒られようが、自分の道を進み続けるんだろうなぁ。誰も通りたがらない道を。

弐大君が席に着くと、全員が揃ってることを確認して、食事前の宣言をしようとした。

すると、その前に狛枝君が口を開いた。

 

「ごめん。少しだけ時間をくれないかな」

 

「どうしたんだ、狛枝?」

 

「ちゃんと片手で食べられるパンとシチューと温野菜にしといたからね!」

 

「日向君も、花村君もありがとう。いや、二人だけじゃないよね。

みんな、一緒の食卓に着かせてくれてありがとう。

別館での食事は腹を満たす作業でしかなかったけど、

こうして大勢で集まるだけで、なんだか嬉しい気持ちになるんだ。

今までみんなを傷つけてきたボクを、受け入れてくれて、本当にありがとう……」

 

「へっ。お前は昨日、オレ達の仲間になるって決まっただろうが。

何、当たり前の事で喜んでんだか」

 

「その嬉しい気持ち、私も最初に学んだ時は、心が暖かくなったよ。

これまでみんなと居られなかった分、楽しいことを学んでいくといいと思うよ?」

 

「うん……ボク、頑張るよ。今度は本当の希望を見つけるために」

 

終里さんと七海さんの言葉に励まされ、笑顔を浮かべる狛枝君。

頃合いを見た弐大君がいつもの号令を掛ける。

 

「では皆の者、手を合わせい!狛枝は声だけでよし!では……」

 

「「いただきます!」」

 

そして、みんな規則通り黙って朝食を食べ始めるけど、やっぱりチラチラと彼女を見る。

無表情で前を見ている戦刃むくろ。

日向君が才能のひとつで、絶対逃げられず、うっ血もさせない方法で縛ったから、

昨日までの狛枝君のように別館に放り込んでおくことも考えたけど、

目を離すと何をするかわからないから、

やむを得ず日向君が一緒に座らせることにしたんだ。

 

縛られて何も食べられない彼女には、後で誰かが食べさせてあげるって言ってたけど、

彼女に近づかせるのは危ないよね。やっぱり弐大君の役割になるのかな。

なんて考えながらスプーンでシチューを飲む。

うん、これなら狛枝君も無理なく食べられるね。

 

「「ごちそうさまでした!」」

 

朝食を食べ終えると、いつものように厨房の洗い場に自分で持っていく。

列に並んでいると、後ろから肩を叩かれた。日向君だ。

 

「ああ……江ノ島?ちょっといいか?」

 

「うん、シチューおいしかったね」

 

「そうだな。この後の予定の事なんだが……江ノ島、お前はもう労役はしなくていい」

 

「え、働かなくていいってどういうこと?刑務所クビ!?」

 

「ああ悪い、変な言い方だったな。正確には、別の仕事に就いて欲しいってことなんだ」

 

「別の仕事?……あ、ごちそうさまでした」

 

「おぞまづざまみゃーだよ」

 

食器を洗い場に置きながら続きを求める。

 

「ごちそうさま……それなんだが、ほら、戦刃むくろのことだ」

 

彼も食器を返しながら、開いたドアから、まだ椅子に座りっぱなしの戦刃に目をやった。

 

「いくら危険人物だからって、何も食べさせないわけには行かないだろ?

そこで……お前に彼女の監視と世話を頼みたいんだ。

食べ物を口に運ぶこと以外は、怪しい動きをしないか見ていてくれるだけでいい」

 

「他には?」

 

「ない。だが重要な仕事だ。塔和モナカの手先だからな。

いざとなったら力づくで対処できる人物でないとできないんだ。

弐大に頼むことも考えたが、相手が超高校級の軍人ともなると、

マネージャーの能力だけだと不安が残る。

だから彼女の才能をコピーしたお前に頼みたいんだ」

 

「なるほど。わかったわ、任せて!」

 

「すまないな。それと、江ノ島。前にも言ったが……」

 

「なあに?」

 

「その話し方、嫌なら本当にやめてもいいんだからな?」

 

「ふふ、もう慣れちゃったから大丈夫よ。でもありがとう。

じゃあ、むくろちゃんの介護に行ってくるわ~」

 

「気をつけてな」

 

厨房を出た僕はどこか腑に落ちない気持ちだった。なんだか日向君、元気がなかった。

やっぱり僕と目をそらすことが多かったし。何か変な事言ったかな。

……今、考えてもしょうがない。気持ちを切り替えて、戦刃むくろの席に戻る。

 

「隣、座るわよ」

 

「盾子ちゃん!」

 

僕の顔を見ると、それまでの無言無表情から一転、目を輝かせて江ノ島の名を呼ぶ。

 

「今日からしばらく君の世話係になったから。まずは食事をしよう。

三角食べで口に運ぶから、自分でもこぼさないように顔を寄せてね」

 

「盾子ちゃんが食べさせてくれるのね。嬉しい……」

 

「食事の時は私語厳禁。パンから行くよ」

 

ふっくらしてるけど冷めてしまったパンをちぎって戦刃の口に運ぶ。

それでも彼女は美味しそうに食べる。

 

「おいしい。きっと、盾子ちゃんが、あーんしてくれるからね」

 

「私語厳禁って言わなかった?」

 

「大変だよね。

いつか時限爆弾のように弾ける絶望のために、あんな茶番に付き合ってるなんて。

そろそろ、よくないかな?誰かひとりをサクッと」

 

「もういい、下げる」

 

「ああ!待って盾子ちゃん!ごめん、謝るからご飯食べさせて?」

 

反省してるのか、単に江ノ島盾子の手で料理を食べたいのか。多分後者だろうけど。

 

「……君には茶番に見えるかもしれないけど、

みんなああして自分の罪と向き合ってるの。わかったら黙って食べて。次シチュー」

 

それから僕は、大人しくなった戦刃むくろに餌付けするように食事を取らせた。

経験がないせいかもしれないけど、誰かに一口ずつご飯を食べさせるのは、

結構地道で大変な作業だ。

ようやく食事が全部なくなる頃には、一仕事終えたような疲労感が溜まっていた。

 

「じゃあ、私はお皿を下げるけど……何か言うことは?」

 

「ありがとう、盾子ちゃん!」

 

「そーじゃない。ご飯を食べたら?」

 

「え、私もアレやるの?」

 

「子供でもできることを、大の大人ができないなんて悲しいわね」

 

「ご、ごめんなさい。……ごちそうさまでした。ね、私ちゃんと言えたよ?」

 

「当然でしょ。じゃあ少し待ってて」

 

食器を洗い場に持っていくと、後は戦刃むくろと二人きり。

初めは食事の世話と見張りの世話だけなんて楽だなぁ、なんて思ってたけど……

時間が流れるのが遅い。かと言って戦刃と仲良くお喋りなんて真っ平だし。

 

天井でくるくる回るシーリングファンを眺めて、粘つくような時間に耐えること一日。

また昼飯を彼女に食べさせていると、食器を返し終えた小泉さんが話しかけてきた。

 

「うそっ!盾子ちゃんがむくろにご飯食べさせてるの!?」

 

「……妹を気安く呼ばないで」

 

「黙って。そうなの、“超高校級の軍人”をコピーした私なら、

万が一の場合にも対処できるから、

新しい労役として日向君から見張りと世話を頼まれたの。

弐大君も候補に挙がったらしいんだけど、やっぱりプロの軍人相手じゃ危険だからって」

 

「そうなの……何かアタシに手伝えることがあったら言ってね」

 

「ありがとう、小泉さんも午後の作業頑張って」

 

「うん!キャベツみたいなものの収穫、今日中に終わらせなきゃ。じゃあね!」

 

昼休憩終わりの予鈴と共に、小泉さんはレストランの階段を小走りに駆け下りていった。

 

「盾子ちゃん。あいつ誰」

 

「黙って食べる。ほら、トマト」

 

「ねえ、“その時”が来たら、あいつは私に殺らせて……」

 

「黙れって言ってるのがわからないの!?バカデブス!!」

 

“ひいっ!”

 

自分の言葉に自分で驚いた。そりゃ厨房の花村君も悲鳴上げるよ。

こんな悪口言ったことない、っていうか思いつかない。

でも、戦刃本人は嬉しそうに頬を染めている。

 

「久し振りだね……そんな風に呼んでくれたの。

バカとデブとブスが3つも入ってる、素敵なセンスだよ」

 

「い、いいから食べろってことよ。また怒られたくなかったらね……!」

 

「はい。あーん」

 

僕は自分に起きた僅かな異変に戸惑いながら、

姉と名乗る絶望の残党に食事を与え続けた。

そして、また時計が壊れているのかと疑うほど流れの遅い時間を過ごしながら、

レストランでじっとしていると、やがて3時のおやつの時間になった。

もちろんそんな物は出ないけど。

 

ピロロロ……

 

唐突に電子生徒手帳が鳴る。メールだ。少しでも刺激が欲しかった僕はすぐさま開いた。

差出人は、左右田君。

 

 

送信者:左右田和一

件名:会えないか?

 

お疲れ。小泉にお前がホテルで働いてるって聞いた。

ちょっと話があるんだが、日向か誰かに戦刃預けて会ってくれねーか?

山の近くの丘で待ってる。悪いが用件はその時に。

 

 

左右田君から呼び出しなんて珍しいな。これは行かなきゃ。

決して退屈な時間から逃れられるからって喜んでないよ?

……冗談はさておき、彼が個人的に呼び出したってことは、きっと。

 

 

送信者:江ノ島盾子

件名:会えるよー!

 

左右田君もお疲れ様!

緊急の集合要請、了解っすー!(澪田さん風に言ってみた

日向君に彼女を預けたらすぐ行くわ。

 

 

僕は左右田君に返信すると、日向くんにしばらく戦刃の見張りを頼むメールと、

念の為もう一通、ある人物にメッセージを送った。

支度を終えると、戦刃を連れて日向君のコテージに向かう。

 

 

 

「じゃあ、日向君。

悪いけど、1時間…いや、2時間くらい掛かるかもしれないけど、彼女をお願いね」

 

「気にするな。江ノ島一人に任せきりでこっちこそ済まない。

時間は気にせず用事を片付けてくるといい」

 

「ありがとう。また後でね」

 

日向君と戦刃むくろの恨めしそうな視線を背に受けて、僕はホテル敷地を後にした。

 

 

 

 

 

指定の場所に到着すると、左右田君は先に着いていた。丘の草原に座り込んでいる。

彼に歩み寄って、声を掛けた。

 

「今日は仕事上がり、早いんだね。ひょっとして、サボり?ウフフ、冗談だよ」

 

「ソッコーで片付けてきた。……悪い、急に呼んじまってよ」

 

「いいの。正直私も、戦刃の世話にうんざりしてたところだし。

ところで、私に用事ってなあに?」

 

なんとなく察しは付くけど、左右田君の言葉を待つ。

僕は隣に座り、彼は小石を拾って軽く投げ、話し始めた。

 

「まあ…戦刃のこともちょっとは関係あるかもしれねえ。

昨日、狛枝が絶望から立ち直っただろ」

 

「うん。これで本当に全員が仲間になれて、とっても嬉しい」

 

「それだ。もう誰かが誰かを憎んだり、過去に縛られて間違いを犯す心配もねー。

それってつまり、学級裁判が開かれることは二度とないってことだ」

 

「そう、だね……」

 

僕達は二人並んで、夕日になりかける陽を浴びる。

 

「前に約束したよな。いつかオレの罪について話すって。

なんつーか、ただの勘なんだけどよー、

ここでの生活がもうすぐ終わるような気がすんだ。

だから、今のうちに約束果たしとこうと思うんだが……聞いてくれるか?」

 

「……もちろん。聞かせて」

 

話す覚悟と聞く覚悟。

双方が覚悟を決めると、左右田君が拳を握り、身体を震わせ打ち明けた。

 

「オレは……オレは親父を殺したんだよ!!」

 

「っ!?」

 

彼は拳で大地を殴る。

僕は歯を食いしばり、叫びを飲み込んだ。ゆっくりと、深く呼吸し、一言だけ問う。

 

「どうして?」

 

「オレん家は、ボロい自転車屋だった。

今時自転車なんか売れねーっつうか、買うなら大型ショッピングモールとかだろ?

なのに親父はいつも店継げってうるさくてよ。

でもまあ、それでも頑固な親父と優しいお袋。普通に家族やってたよ。

あの日まではな……」

 

 

……

………

 

「なんだ和一、また変な機械いじりか。いい加減パンク修理くらい覚えろ。

そんなことじゃあ、店を譲れんだろうが」

 

「うっせ、うっせ!

変な機械じゃねえ、オレの常温可動式超電磁コイルがもうすぐ産声をあげるとこなんだ!

あと、店継ぐつもりもねーからな!オレはいつかロケットを飛ばす男になるんだよ!」

 

「高校生にもなって馬鹿な夢を見るんじゃない。

俺の親父が始めた左右田サイクルの三代目になって堅実に暮らす。それが一番なんだ」

 

「全っ然、堅実じゃねーよ!下町の自転車屋とか、将来貧乏暮らしか倒産確定だろ!」

 

「何だと!親父の店を馬鹿にする気か!」

 

「馬鹿にはしてねー、事実だろうが!」

 

「あらあら、またケンカですか」

 

「お袋!親父がまた店の話でうるせーんだよ!いい加減諦めろって言ってくれよ!」

 

「お前からも言ってやれ、人間手に職をつけて生きるべきだってな」

 

「二人共どうしていつもこうなっちゃうのかしらねえ。不思議ねえ」

 

「聞いてんのかよ!」

 

「まったく、どいつもこいつも!」

 

 

こんな感じでありふれた毎日を送ってたよ。でも、あの日、全部が変わっちまった。

絶望に狂ったオレは、家にも帰らず近所の工場に閉じこもって、“商品開発”を始めた。

工場の責任者や従業員は……死体になって転がってた。

オレはそいつらを窓から捨てて、備品と資材で、

その時は最高だと思ってた最悪な物の制作に取り掛かったんだ。

 

 

そして、世界の崩壊が始まって一週間もした頃だった。

 

「離せ!バカなことはやめろ、鎖を解け、和一!!」

 

「ウヒャヒャヒャヒャ!見てくれよ親父!遂に完成したんだぜ!オレの最高傑作!」

 

「な、何だ、その化け物は!」

 

「バケモンはひでえだろ親父!

せっかくこれからの時代のニーズに合わせた新商品を開発したのによー!

名付けて、電動アシスト付きギロチン型オーディナリー!

オーディナリーってタイプ、親父も知ってんだろ。

昔の自転車は前輪がすげーデカかったんだよ。そこでオレ、思いついたんだ!

前輪の鉄骨を頑丈なブレードにすれば、

いつでもどこでも手軽に出向いて罪なき市民を虐殺できるんじゃないかってな!

まさに絶望が全ての新時代にピッタリだろ?売れるぜ、これはぁ!

左右田サイクルも安泰だな!」

 

「和一、その目は!?外のキチガイ連中と同じになっちまったのか!」

 

「キチガイじゃねーよ!これで正しいのに、なんで分かってくんねーんだよ!

お袋も、近所のオバサンも!肉片にされる絶望をたっぷり味わったはずなのに、

その素晴らしさは最後まで分かってくんなかった!」

 

「何?あいつの姿が見えないと思っていたが……まさかお前!!」

 

「ああ、お袋にもオバサンにも“品質テスト”に協力してもらった。

今はそこのドラム缶で寝てるよ」

 

血や毛髪がこびりついたブレードも、ドラム缶の中身も、はっきり覚えてる。

忘れられるわけがねえだろ……

 

「馬鹿野郎、この馬鹿野郎……!」

 

「今まで育ててくれてありがとうな、親父!死ぬ気で漕ぐから、死ぬ気で死んでくれ!

クレーン、スイッチON!うおおお!!

シャープなエッジがきらめいてるぜ!やっぱ大ヒット確定だろ、コレ!」

 

「育て方を間違ったか……和一、地獄で、待ってるぞ」

 

「切断まであと5秒!4,3,2,1!──」

 

 

………

……

 

 

「あの時、サドルから伝わる親父の感覚が、身体に染み付いて離れねーんだ。

親父がそう呼んだように、オレは、自分の作った化け物で、

親父もお袋も、ガキの頃から優しくしてくれたオバサンも、みんな殺したっ……!

殺しちまったんだよおおお!!」

 

地に伏して、絶叫し、あふれる涙で大地を濡らす。

これが左右田君の抱える罪。何も言えなかった。言葉が何になるだろう。

 

「だから、だからオレは!親父を殺させた絶望を皆殺しにして!

全部が終わったら、俺もギロチン自転車であの世へ行く。親父達に謝りに行くんだよ!」

 

「左右田君」

 

「わかってる。本来オレに生きてる資格なんかねえ、

江ノ島盾子の姿をしたお前に話したところで、胸クソ悪い思いをさせるだけだって!

でも、約束を守る。せめて人として当たり前の事だけは投げ出したくなかったんだよ!

すまねえ、すまねえ……!!」

 

「私からは何も言わないし、謝る必要もないわ。

始めて会った日の事は謝ってくれたし、一番悪いのは、絶望の江ノ島盾子。

それがわかっているなら、今まで通り左右田君と生きていく。

そろそろ帰るわ。じゃあね」

 

立ち上がってスカートの土を払う。

 

「おい、待ってくれよ、それだけかよ……

なんで俺を罵ったり、軽蔑したりしねーんだ?」

 

「必要ないから。左右田君、あなたが会うべき人は他にいる。今度こそ、さようなら」

 

その場から立ち去ると、ずっと待ってくれていた気配が彼に近づく。

よろしく、お願いします。

 

「へ、へっ。そうだよな、親父が言った通り、オレはキチガイで、

口を利く価値すらねえクズだからな。なに江ノ島に甘えてんだって話だよ」

 

──それは、違いますわ。

 

「ソニア、さん?」

 

左右田君に微笑みかけるソニアさん。いつの間にか、嘆きに沈む彼のそばに立っていた。

 

「……聞いてたんすよね。じゃあ、ソニアさんがオレを裁いてくれるんすか?」

 

「そんな事、わたくしにもできません。

左右田さんも、わたくしの罪をご存知じゃありませんか」

 

「ははっ、情けねえっすよね。

テメーの罪を抱えきれずに、女の子にぶっちゃけて、こうして泣き喚いてるんすから」

 

尚も大粒の涙をこぼす彼にソニアさんは何も言わず、そっと背中を抱いた。

 

「……触んないほうがいいっすよ。汚れてますから。

泥とか汗とか、そういう意味じゃなくて」

 

「構いません、わたくしも汚れていますから。

汚れている者同士、しばらくこうしていさせてください」

 

「すんません……すんません」

 

「罪の償い方、左右田さんも困ってらしたんですね。わたくしにもわからないんです。

左右田さん、良ければあなたが一緒に考えてくれませんか?」

 

「……オレには無理っすよ。償いきれるもんじゃない。

俺は、化け物。あの自転車なんすよ。

オレに思いつくのは、絶望を殺して、自分も殺すこと。それだけっす」

 

「では、わたくしも死ぬしかないのでしょうか?」

 

「そういう意味じゃねーっすよ!それは、なんつーか、言葉の綾で!」

 

「左右田さん。ご自分が許せない気持ちは、わかるつもりです。

でも、死んで終わり、ではわたくし達が手にかけた方々に申し訳ないと思うんです。

わたくしは、別の形での償いを探したいと考えています。

被害者の皆様の犠牲を、未来に活かし、意味あるものにする。そういうものを。

ですが、わたくし一人では、どうしても具体的な形にできないんです。

左右田さん、力を貸してくれませんか。神から授かった、超高校級の才能で」

 

「オレの、才能……親父を殺した、この手で、ですか?」

 

「その手だからこそ、です。

もう使い道を誤らないように、後に続く誰かのために、道を切り拓くんです」

 

「……ソニアさん。わかりました。オレ、やってみます。

今はまだ、何ができるかわかんねーんすけど」

 

「二人で考えましょう。現実世界から、絶望を消し去る方法を。

あと、もしもの話ですが……それができたら、お互いが居場所になることくらいは、

神も許してくださると思うんですけど、どうでしょう」

 

「オレでいいなら、全力でやるっす。

それで、全部やり遂げたら、ソニアさんが帰る場所、絶対作ります。

それまで、待っててもらえますか?」

 

「左右田さん……」

 

 

見えない所で座り込んでたけど、二つの気配がより近づいたのを感じ取った。

僕も本当に帰ろうっと。ずっと戦刃を日向君に預けてるわけにはいかないしね。

 

 

 

その日の晩、僕の電子生徒手帳にメールが届いた。

レストランの椅子で眠る戦刃を視界の隅に置きながら、2通のメールを開く。

 

 

送信者:左右田和一

件名:ありがとな

 

今日はみっともねーとこ見せちまって悪かった。

あれから考えたんだけどよう、絶望と戦うことは変わらねえけど、

別の戦い方を探してみることにしたぜ。

死んでおしまいは、ある意味逃げだって気づいたしな。

戦う理由もひとつ増えたから。

とにかくサンキューな。おやすみ。

 

 

送信者:ソニア・ネヴァーマインド

件名:希望

 

昼間は、呼んでくださってありがとうございました。

帰る国を無くしたわたくしに残された、最後の場所を守るチャンスをくれて。

わたくしに何ができるか不安でしたが、

自滅に向かって進む彼の考えを変えることはできたみたいです。

わたくしに未来などないと思っていましたが、ひとかけらの希望が見えました。

彼とあなたに出会えたことを、神に感謝します。

おやすみなさい。

 

 

メールを読むうちに、いつの間にか顔に笑みが浮かんでいた。

僕は電子生徒手帳の画面を切ると、自分もソファに横になった。

戦刃についてちょっとした疑問が思い浮かんだけど、考えるのは明日でもいいよね。

お休み。

 

 


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