江ノ島盾子にされてしまったコミュ障の悲哀【完結】   作:焼き鳥タレ派

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第3章 被告人:吉崎久美子

東京高裁特別法廷控室。

 

東京高裁に到着したアタシ達は、大きなテーブルやソファが並ぶ控室に通され、

裁判員裁判の開廷まで時間を潰すことになった。

冷たい壁、しんとした空気、初めて挑む刑事裁判。

そして連続不審死の容疑者との対面を前にして、みんな落ち着かないようだった。

 

アタシも妙に喉が渇いて、備え付けのウォーターサーバーから紙コップに1杯水を汲み、

ちびちび飲みながらタブレットの電源を入れた。

 

開廷には時間がある。彼女にもう一度情報を整理してもらおう。

LoveLove.exeを立ち上げると、緑がかったウィンドウが開いた。

 

「七海さん、おはよう」

 

《ふあぁ…おはよう江ノ島さん》

 

「気持ちよく寝てた所悪いわね。

裁判が始まる前に今回の事件について要点をまとめてくれないかしら」

 

《いいよ、もう起きようと思ってたところだから。こんなところでいいかな?》

 

するとまた別のウィンドウが開き、容疑者の情報や事件のあらましを表示した。

 

 

○東京高等裁判所平成31年(の)第108号

 

容疑者:吉崎久美子(39)

 

容疑:殺人

 

事件概要:

3月16日深夜。久美子(以下容疑者)の夫、文男氏(以下被害者)が息をしていないと

容疑者が自宅から119番通報。

駆けつけた救急隊員によりその場で被害者の死亡が確認された。

その時被害者の急死を不審に思った隊員が武装警察隊に連絡。

同じく現場に出動した警察隊が家宅捜索を行った所、

プラスチック製の小瓶に入った強力な毒物を発見。現場は1DKのアパート1階。

争った形跡はなく、自宅から容疑者と被害者以外の指紋も検出されなかったため、

殺人容疑で容疑者を緊急逮捕した。

 

被害者の死因:

不明。とりあえず急性心不全とされている。

当初は容疑者宅から見つかった毒物と思われたが、司法解剖の結果、

被害者の遺体からは外傷も毒物の痕跡も一切発見できなかった。

 

証拠品:

 

○G-five(仮称)

容疑者の自宅から発見された液体状の猛毒。無色透明無味無臭。

鑑識の分析によると、極めて強力な毒性と吸収性を持ち、

殺害には経口摂取させる必要がない。

軽く肌に塗る、スプレーで噴射し吸わせるなどの方法で、

数秒で対象を死に至らしめることができる。

自然分解が早く、殺害から消滅まで10秒もかからないことから、

証拠を残さず完全犯罪に利用しやすいことがわかっている。

名称は中国に伝わる疫病の神、五毒将軍から命名。General-fiveの略。

 

○アリバイ

事件当時の容疑者のアリバイを証明するものはない。

 

○スマートフォン

容疑者から押収したスマートフォン。

着信履歴からG-fiveの入手先を捜査したが、

容疑者の知人に毒物に詳しい人物はいなかった。

 

○被害者の身体的障害

被害者は過去に発症した髄膜炎に起因する脳性麻痺を患っており、

24時間介護が必要な状態だった。

 

○家族構成

被害者と容疑者の二人暮らし。

 

○ビニール手袋

使い捨てタイプのビニール手袋。容疑者宅のベランダで1枚が見つかった。

容疑者の指紋が発見されたが、G-fiveは既に気化して検出されなかった。

 

備考:

凶器と思われる毒物の性質上、殺人罪か毒物及び劇物取締法違反かを判断できずにいる。

 

 

なるほどね。証拠品はコトダマと読み替えてもよさそう。準備は万端。

凶器は謎の毒物で間違いないとして、それをどう使ったが鍵になりそうね。

 

「ありがとう七海さん。もうすぐ裁判が始まる。行ってくるわ」

 

《がんばってね。AIの私には発言権がないから》

 

その時、係官が入室して、アタシ達を呼び出した。

 

「裁判員の皆さん、間もなく開廷です。法廷までお越しください」

 

黙り込んでいたみんなが息を呑む。係員に続いて薄暗い廊下を進む。

これから仲間の誰もクロじゃない裁判で、誰とも知れない人間に審判を下す。

誰もがその重責に押しつぶされそうになりながら、ただ歩を進める。

やがて、係官が廊下の先にある木彫りのドアを開き、アタシ達を中に促した。

 

「こちらが、特別法廷です。任意の証言台に着いてください」

 

そこに足を踏み入れると、どこか見慣れた光景。

一人用の証言台が円を描くように並んでいる。

聞くところによると、アーサー王に仕えた騎士たちが円卓を囲んだ伝説から、

全員が対等な立場で発言できるようにこんな作りにしたらしいけど、

アタシには学級裁判を再現したようにしか見えない。

 

文句を言っても始まらないので、全員が慣れた様子で証言台に着く。

そうね。法廷の形より重要なのは……円の中央にあるもう一つの証言台。

そこに立つ被告人、吉崎久美子。

グレーの地味なセーターを着て、長い黒髪はずいぶん長く手入れがされていない様子。

疲れ切った表情にうっすら隈が浮かび、実年齢より老けて見える。

 

彼女の前方に立ったアタシは、彼女とふと目があった。

すると彼女が目だけを伏せて会釈した。

これから彼女の有罪無罪を議論しなければならない。

 

カン!

 

その時、裁判長が木槌を鳴らした。たった一人の裁判官。

白髪交じりのオールバックが、開廷を宣言した。

 

 

【裁判員裁判 開廷】

 

 

「これより、吉崎文男氏殺害事件の裁判員裁判を開始します。

被告、裁判員、準備はよろしいですね?」

 

“はい!”

 

久美子さん以外ははっきりと返事をした。

彼女は唇を動かしているのが分かる程度で、その声はみんなの返事にかき消された。

今度は裁判長が事件概要や裁判員裁判に臨む際の注意点を読み上げる。

事件の流れは予め知らされてるけど、さすがに本番が始まると緊張する。

 

「裁判員裁判はプライバシー保護の観点から完全非公開で行われます。

ただし、裁判の模様は弁護士検察官両名が例外として別室で監視しており、

審理の公平性は担保されています。

また、本裁判の性質上、ある程度の不規則発言は容認されていますが、

あまりに目に余る場合、裁判長の権限で退廷を命じますのでご注意下さい。

……では、被告人。氏名と年齢を」

 

「はい……」

 

とうとう久美子さんが口を開いた。

その声はかすれがちで、視線も虚ろだけど、受け答えははっきりしている。

 

「吉崎久美子、39歳です」

 

「あなたには吉崎文男さん殺害容疑が掛けられており、

それを周りにいる裁判員の方々が話し合い、有罪無罪を多数決で決定します。

質問には嘘偽りなく述べるように」

 

「……わかりました」

 

「では、始めましょう。裁判員の皆様、よろしくお願い致します」

 

プロの弁護士や検察官が散々意見を戦わせても他殺か自然死かもわからなかったのに、

素人のアタシ達に丸投げなんて、やっぱりこの世界は細かいところが壊れたままね。

……そろそろ出てきてくれないかしら。

 

“1年間もアタシ達を閉じ込めておいて今更なに?”

 

悪かったわよ。アタシにも事情があったの。どうしてもケリをつける必要があった。

 

“あなたが酒に溺れる度、火で焼かれるような思いをした”

 

悪かったって。酒は止め…減らすから。潰れるような飲み方はもうしない。

 

“……本当ね?”

 

約束する。

 

“いつか、心を閉ざしていた間、何があったか教えて”

 

必ず。

 

“みんな、もう出てきても大丈夫よ”

 

アタシの中のアタシと話し終えると、弱りきった脳が急加速を始める。

思考能力は高まったけど、額が火を吹きそうなほど熱い。

若い頃と違って、あまり長くは保ちそうにないわね。早く終わらせなきゃ。

 

「日向君、初めてもらえる?」

 

「ああ。まずは事件当時の状況を改めて確認しよう。

吉崎さん、事件が起きた時の様子を俺達にも詳しく説明してくれませんか?」

 

「はい、わかりました」

 

遂に始まるのね。

心の中のピストルに一発だけコトダマを装填する。錆びついていなければいいのだけど。

 

 

■議論開始

コトダマ:○被害者の身体的障害

 

久美子

あの日の晩は[よく眠れなくて]、夜中に目が覚めてしまいました。

 

水を飲もうと台所に向かうと、[居間のベッド]で寝ている夫の異常に気が付きました。

 

様子を見ると、夫は既に[息をしていなかったんです]。

 

すぐに[119番をしました]が、夫は帰らぬ人に。

 

警察は私を疑っているようですが、私は絶対に夫を[殺してなどいません]。

 

・明らかな凶器があるのに証拠がない。まずは細かいところを突きましょう。

・そうしてちょうだい。アタシ達も起きたばかりでまだ調子が整ってないから。

 

REPEAT

 

久美子

あの日の晩は[よく眠れなくて]、夜中に目が覚めてしまいました。

 

──それは違うわねぇ!!

 

[よく眠れなくて]論破! ○被害者の身体的障害:命中 BREAK!!!

 

 

約6年ぶりに異議を唱えたけど、苗木君から貰った能力(スキル)で、

法廷中に聞こえるほどよく通る声を出すことができた。

 

「あの……何か?」

 

「久美子さん。あなたの旦那さんは重い脳性麻痺で24時間介護が必要だったとあるけど、

その彼を介護しているあなたは十分な睡眠時間を確保できていたのかしら。

それとも介護ヘルパーを雇う金銭的余裕はあった?」

 

一気に法廷がざわめきで揺れる。

被害者の介護に1日の大半を費やして疲れ切っているなら、

よく眠れないというのは不自然。久美子さんもアタシから目を逸らす。

 

「……それは、ありませんでした。

私達は生活保護を受けて暮らしていましたが、

生活費や夫の医療機器の維持費で全て消えてしまって、とてもヘルパーなんて……」

 

「疲れすぎて眠れない、ということもあるけど、それはよくあることだったのかしら」

 

「いいえ、あの日はたまたま」

 

「ええっと、不眠は主にストレスやうつ病が原因なんですけど、

だったら日常的に眠れない日が続いてないとおかしい…ような気がしただけです、

ごめんなさぁい!」

 

「罪木おねぇのキョドりは何年経っても治んないのか~

吉崎さんだっけ?たまたま事件当日だけ眠れなかった理由を教えてよ」

 

「そんなの!体調なんてその日によって変わるじゃないですか。まさに偶然ですよ!

やっぱり、あなた達も私が犯人だということにしたいんですね……」

 

「そうじゃない!

ただ、俺達は全ての疑問を明らかにして正しい判断をしなきゃいけないんです。

では、あなたの体調については置いておきましょう。

次は……ご主人を殺害した実行犯について議論しようと思います。それでいいですね?」

 

「お願いします……」

 

──お待ちなさい、平民どもぉ!!

 

勝手に議論を進めようとする連中を止めるべく高らかに声を上げる。

日向達の目は鳩が豆鉄砲を食らったようにアタシに釘付け。

そうよねぇ。

ここに至るまで長きに渡って私様(わたくしさま)の姿を拝めなかったんですもの!

 

「盾子ちゃん!?ひょっとしてあの人格がまた目覚めたの?」

 

「人格っていうかキャラに飽きっぽいんだよ、盾子ちゃんは」

 

「あー、それにしても暑いわ!

バカが馬鹿みたいに飲みまくるせいで私の活動領域が蒸し風呂状態で眠れやしない!

そこのそばかすコンビ!あんた達に部屋の冷房を18℃まで下げることを命じるわ!」

 

「いや、冷房っていうかまだ寒い時期よ?風邪引いちゃうし、アタシ達も寒い」

 

「お黙り!私様が暑いと言えば暑いのよ!」

 

「静粛に、静粛に!」

 

裁判長みたいな親父がカンカン木槌を鳴らす。うるさいわね!

 

「不規則発言が目立ちすぎます。直ちに審理に戻るよう」

 

「なら早いとこエアコンの温度を下げなさい。まさか暖房なんて入れてないでしょうね」

 

「では決を採りましょう。空調の温度を下げる。

賛成の方はお手元のモニターの“賛成ボタン”をタッチしてください」

 

よく見ると証言台にはタッチパネル式のディスプレイがある。

すぐさま“賛成”にタッチペンを突き刺す。他の奴らも当然私様に賛同するはず。

 

「反対多数と認めます。よってこの提案は否決されました」

 

「私様を差し置いて何様のつもり!?私様が存在する以上、民主主義など認めない……」

 

「お願い、盾子ちゃん。なるべく急いで終わらせるから。今でもむしろ寒い人が多いの」

 

「……早くなさい」

 

ここは大人しく、そばかす女A改め、姉の顔を立ててやることにした。

 

 

■議論開始

コトダマ:○家族構成

 

日向

毒薬が見つかったのは[あなたの自宅]。これは事実なんだ。わかってくれますね?

 

吉崎

はい。使ったのは[私ではありません]が……

 

ソニア

では、そもそもどうして[危険な毒物]があなたの家にあったのでしょう?

 

左右田

そりゃ、[犯人が持ち込んだ]に決まってる。それが誰かはわかんねーけど……

 

吉崎

きっと犯人が[自宅に忍び込んで]夫を殺し、その場に捨てたのだと思います。

 

・あのやつれたオバサンに遠慮してるけど、これは殺人事件で犯人は彼女、凶器は毒薬。

・だけどそれを証明するまでの道のりは長いわね。

 

REPEAT

 

日向

毒薬が見つかったのは[あなたの自宅]。これは事実なんだ。わかってくれますね?

 

吉崎

はい。使ったのは[私ではありません]が……

 

ソニア

では、そもそもどうして[危険な毒物]があなたの家にあったのでしょう?

 

左右田

そりゃ、[犯人が持ち込んだ]に決まってる。それが誰かはわかんねーけど……

 

吉崎

きっと犯人が[自宅に忍び込んで]夫を殺し、その場に捨てたのだと思います。

 

──それは違うわねぇ!!

 

[自宅に忍び込んで]論破! ○家族構成:命中 BREAK!!!

 

 

「あの、何が違うんでしょう?」

 

「無様ね。実に無様だわ。お前はまるで実行犯が別にいて空き巣のように忍び込み、

旦那を殺害して毒薬を捨てたとでも言いたいようね」

 

「そうですけど……」

 

「話は変わるけど、お前は日頃食料や日用品をどうやって調達しているのかしら」

 

「それが、なにか?」

 

「さっさとおし」

 

「生協の宅配サービスで配達してもらっています。

長く主人のそばを離れられないので……!?」

 

「そう。重病で身動きの取れない旦那と二人暮らしのお前は、

さっきの話に出てきた事情から家を離れられなかった。

つまり、旦那をつきっきりで介護しなければならないお前に気づかれず、

外部から侵入して被害者を殺すのは不可能なのよ!」

 

「そ、それは……!」

 

「G-fiveとやらの入手経路はどうでもいい。

犯行が可能だったのも、動機があったのも、お前一人。

あんたが犯人としか、考えられないのよ!」

 

「違うって言ってるじゃないですか!裁判長、さっきからこの人何なんですか!」

 

「落ち着いて下さい。

彼女は少々特殊な体質を持っていますが、発言の正確性は国が保証しています」

 

法廷内の緊張がピークに達する。久美子の顔にも、よく見ると冷や汗が浮かんでいる。

苗木とよく似た声の男が慌てて異論を差し挟む。

 

「ちょっと待ってくれないかな!それは話が強引過ぎるよ!

吉崎さんはこの裁判で命がかかってるんだ!

ちゃんと毒薬はどこから来たのか、他に被害者に毒を盛ることができた人物はいないか、

しっかり話し合おうよ!」

 

「あ~ら狛枝じゃない。そのロボットアームよく似合っていてよ。

ついでにその便利そうな腕でG-fiveの入手方法も引っ張り出してくれないかしら。

ちなみに動機はただ一つ。夫の介護に疲れた」

 

「だから違います!確かに生活面での苦労はありましたが、それでも!

私は……私は夫を愛していました」

 

「感情論で裁判進める気はねぇがよ……オレはこの言葉に嘘はねえと思うぜ。

狛枝の言う通り、結論出すには早すぎらぁ」

 

「うむ。破邪の手套の存在が物語る、隠されし真実が明らかになるまでは、

俺様の遙かなる旅路が終着点にたどり着くことはない!」

 

「それって、ベランダに落ちてたビニール手袋のこと?

100円ショップでも30枚入りが簡単に手に入るから、

ぼくもキッチンの排水口掃除なんかによく使ってるよ」

 

「毒薬を手にとって誰かに塗りつけることにも使えるわねェ!」

 

「いい加減にしてください!私は、絶対に夫を殺してなどいません。

その手袋は、ベランダの鉢植えを世話する時に使っていたものです!

花を育てることが、たったひとつの楽しみだったんです……」

 

「確かに被害者の毒殺に利用したなら、すぐ見つかるベランダなどに放置せず、

ライターで燃やす、丸く縛ってトイレに流すなどして完全に処分する方が自然だろう」

 

「はい。辺古山さんのおっしゃる通りなのですが……

私の考えを申し述べる前に、ソニアさんにお願いがあります」

 

「おうっ?また別の江ノ島が復活しおったぞ!」

 

「なんでしょう……?」

 

「裁判が終了したら、クサレウジ虫、もとい、この身体の持ち主をあなたのムチで

生まれたことを後悔するまで容赦なくぶっ叩いておいてください。

我々もそれ以上の苦痛を味わいましたので。それでは発表致します。

ビニール手袋は確かに犯行に利用されました。

ここで問題になるのは、辺古山さんが仰った、

なぜ見つかりやすいところに置きっぱなしにしたか、という点に尽きます」

 

「それが重要なことなのか?頻繁に土をいじるから、と言われればそれまでだが」

 

「重要なのであります。なぜならば……」

 

 

■手袋が示す不自然な点とは?:

?→あるはずがなかった

?→少なすぎた

?→毒が残っていた

?→指紋が残っていた

 

──これで説明できるはずよ!! →正解:少なすぎた

 

 

「配布された情報によるとベランダから1枚発見された、とあるな」

 

「その通り。ここで気になるのは、なぜ“1枚”なのかということ。

被告人の証言通り、ガーデニングに使用していたなら、“一組”ないとおかしいはず。

つまり1枚足りない。片手に手袋をはめても、もう片方が素手では結局手が汚れる。

極めて中途半端です」

 

「そんなの……風で飛ばされたのかも。私はいつも両手に手袋をはめています。

ベランダに置き忘れた片方がなくなったって、

吹きさらしの屋外では何もおかしくないと思います」

 

お疲れ、お姉さん。ここからはボクが引き受けるよ。

 

よろしくお願いします、キザ野郎。

 

「まぁ、今はそういう事にしておくよ。

だけどボクにはどうしても気になることがあってさ」

 

「わーい、アタリおねぇ久しぶり!」

 

「しっ、日寄子ちゃん静かに」

 

「お久しぶり。だけど今は再会を喜ぶ気にはなれないのさ。

誰かさんのせいで火炙りにされるような苦痛を味わったから、虫の居所が悪くてね。

とにかくボクの話を聞いておくれ。

証拠品の中で最初から気になっていたものがあるんだ。久美子さんの、スマートフォン」

 

「容疑者のスマートフォンに、気になる点でも?」

 

せっかくだから、しばらく出番がなかった裁判長に質問してみようかな。

 

「ねえ、裁判長。

彼女のスマートフォンを実際手にとって調べさせてもらってもいいかな」

 

「証拠品の状態保存の観点から直接触れることは認められませんが、

お手元のディスプレイに実物を忠実に再現した3Dモデルを表示します。

タッチペンで回転や拡大縮小を行い、物的証拠の調査を行うことが可能です」

 

「ふぅ、面倒だけど仕方ないね」

 

 

お久しぶりですこんにちは。わたくしめが裁判員裁判における新システム、

“証拠品精査”についてご説明させていただきます。

恐縮ですがしばらく間お付き合いの程よろしくお願い致します。

 

さて、裁判が袋小路に入り、

検察から用意された証拠、すなわちコトダマでは状況が打開できなくなった場合、

“証拠品精査”が始まります。

 

これはその名の通り、証拠物件を改めて鑑定し、

新たなコトダマを探し出すというシステムです。難しくはございません。

怪しい部分をタッチするだけのお気楽簡単な仕組み。

失敗という概念がないため、特にペナルティも存在しませんが、

あなた様には事件の早期解決が求められていることをお忘れなく。

 

それでは、ご武運を。

 

 

ボクが目を見開いてディスプレイに映ったスマートフォンを見つめる。

無意識にボクの分析力が調査に値するポイントを青いサークルで囲む。

さあ、始めようか。

 

 

■証拠品精査 開始

 

・電源ボタン

まずは電源を入れないと話にならない。ボタンを押すとホーム画面が表示されたけど、

何年も使い込んでいるようで、画面やボディに擦り傷がたくさんついている。

買い換えるお金もないんだろうね。

 

・画面

検察が調査した電話帳を開いたけど、

生活苦を助けてくれるような親しい友人知人はいなかったらしい。

履歴も発信・着信共に病院の電話番号ばかりだ。

警察だって多分馬鹿じゃない。病院の毒物に詳しい人物はとっくに調査済みだろうさ。

 

・裏、側面

バッテリー内蔵式で開くことができない。記録媒体も差さってない。

ここは無視してよさそうだね。

 

・アプリ

プリインストールアプリの他には目覚まし時計や家計簿等、

必要最低限のアプリが3個だけ。……でもおかしいな。

その必要最低限のアプリが2ページ目のホーム画面に並んでるんだけど、

ひとつ飛ばしたように不自然な並びになってる。なるほど、これで、決まりだ。

 

──絶対に逃さないわ!!

 

■コトダマゲット!!

○アプリの並び をタブレットに記録しました。

 

○アプリの並び

2枚目のホーム画面に並んだ3つのアプリケーション。

肝心なのはアプリの機能ではなく、

1つ分のスペースを開けて、1個と2個に分けて並んでいる点。

 

「……裁判長、このスマートフォンについて調べたのは、電話帳だけかい?」

 

「電話帳を含む全てのアプリを起動し、調査しましたが、

凶器につながる手がかりは得られませんでした」

 

「ふぅん。なら、まだ調べてないんじゃないかな。隠しフォルダー」

 

「……っ!?」

 

おや、久美子さんの方がびくんと動いたね。顔も青ざめてる。これで決まりかな。

ファイルマネージャーを起動して「設定」から“隠しファイルを表示”を選択。

フォルダー名先頭の「.」を取り、

再度“隠しファイルを表示”を選択してチェックを外すと……

おやおや。ホーム画面の不自然なスペースにフォルダーが現れたね。

 

「なんだぁ、こりゃあ?なんか新しいマークが出てきやがったぞ」

 

「”z”としか書かれておらんフォルダーじゃのう」

 

「久美子さん。中を見せてもらっても、問題ないよね?」

 

「ま、待って下さい!今はちょっと……」

 

「悪いけど今じゃないと困るんだ。開くよ?」

 

「お願い、見ないで!!」

 

開いたフォルダーの中には多数の画像ファイル。その一つを再生してみる。

タイトルは、“案外簡単、人工呼吸器.mp4”

 

 

『えーっと、今日も暇なので夫の人工呼吸器をいじってみようと思いま~す。

いろんなスイッチがいっぱいでワクワクドキドキ…(争うような音)外うるさいわよ!!

よそで暴れなさい!』

『あ…ああーあ…うあ』

『驚かせてごめんなさいね、あなた。

じゃあ、さっそく赤のボタンを限界までプラスにしてみます。どうなるのかしら』

『ああ、は!…ごほ、うごほっ!』

『あらまあ!このボタンで酸素供給量が調節できるのね、初めてわかった!

取説なくても手探りでなんとかなるものね。

往診の先生が来なくなったときはどうなることかと思ったけど。

次はこの意味不明な数字をゼロにしましょうね~?うふふふ』

『あ、ああ…あー』

 

 

他にも2分程度の動画がたくさん。いくつか抜粋してタイトルを挙げてみる。

 

・夫の流動食を食べてみた。不味すぎワロタ.mp4

・一日痰吸引をサボってみる。意外と大丈夫だった.mp4

・ベッドで添い寝。喉の管が取れかけたけどキニシナイ!.mp4

・食べ物の調達。ベランダから侵入。お隣さん首吊り(笑).mp4

・ユーチューバーになろうかな。大炎上間違いなし!.mp4

 

動画を再生してみたけど、

映像の中の彼女に、法廷にいる久美子さんのような悲壮感は微塵もなく、

介護で遊んでいるようにすら見えた。

そして、彼女の目は白と黒が波紋のように渦を描いている。

ついでに言えば、旦那さんもそうだったんだけどさ。

 

「まさか……久美子さんが、絶望の残党だって言うのか!?」

 

「違うよ日向君。正確には“だった”だね?久美子さん」

 

「……おっしゃる通りです。スマートフォンが強制起動して“あの歌”が流れてきた日、

私達の全てが終わったんです。そう、全てが」

 

久美子さんの肩から力が抜け、皆に衝撃が走る。

まあ、目の前の虫も殺せないような女性が絶望の残党だったんだから、仕方ないけどね。

 

「あちゃ~。こりゃ唯吹もショックっすわ……

久美子さん、どうして旦那さんに毒をっていうか、

そもそもどこでそんなものを手に入れたんすか?」

 

「誰かが置いていったんです」

 

「誰かではわからん!受け取った時に姿形くらいは見たはずだ!

それを答えろと言っている!」

 

十神君が久美子さんを詰問するけど、彼女は首を振った。

 

「本当に、わからないんです。私にあの毒が届いたのは、突然のことで……」

 

 

……

………

 

『ですから、来月になれば支給金が入るので、それまでお待ち頂けないかと……』

 

“あんた先月もそう言ってただろうが!何ヶ月家賃滞納してんだバカヤローが!”

 

『申し訳ありません!必ず来月お支払いしますので!』

 

“来月来月っていつになったら払うんだよ、あんたは!いい加減訴訟起こすぞコラ!”

 

『お願いです、私達には他に行く所がなくて……!』

 

“んなもん俺に関係ねえんだよ!今日中に払わなかったら鍵取替えるからな!”

 

乱暴に電話を切られると、私は呆然としたまま立ち尽くすしかありませんでした。

その時、ガコンとドアポストに何かが入れられる音がしたのです。

投函されていたのは紙袋ひとつ。

中には液体の入った小さなプラスチックの瓶。そして、液体の取扱説明書。

 

『G-five……?』

 

説明書を読むと、その液体の性質が書かれていました。

始めはこんな都合のいい毒薬があるわけないとゴミ箱に捨てようと思いましたが、

どのみち明日にはこの家から追い出され、路頭に迷うしかないのです。

例えこの液体がいたずらだろうと本物だろうと、私達は死ぬしかない。

駄目なら台所の包丁で夫を殺し、後を追えばいいと思い……実行に移しました。

 

『あなた、ごめんなさい……私も、すぐに行きますから』

 

息を止めて数滴手に取り、眠る夫の胸に塗り拡げました。

毒薬は瞬く間に夫の体内に消え去り、

わずか3秒ほどで苦しむ様子もなく呼吸が止まったのです。

……脈を確かめると、死んでいました。

驚き、恐怖、罪悪感、様々な負の感情で頭が真っ白になり、

自分も毒を飲んで早く死のうと思いましたが、

再びキャップを開ける前にふと手が止まりました。

 

このまま死んでいいのだろうか。

 

私達が苦しみぬいた末に夫を殺さざるを得なかったのはなぜなのか。

私にはその理由を世界に告発する義務がある。

思い立った私は適当にG-fiveの瓶を床に投げ捨てると、

ガーデニング用のビニール手袋をベランダの植木鉢のそばに置き、

スマートフォンの動画フォルダーを隠しフォルダーに設定してから

119番通報しました。

 

………

……

 

「警察に逮捕されてからのことは、皆さんご存知のとおりです……」

 

「じゃあ、久美子さんは、捕まるためにあえて証拠を残したのか!?」

 

「はい、日向さんのおっしゃる通りです」

 

「世界に告発、だと……!?どういうことか説明しろ!」

 

すると彼女は自嘲気味に笑い、再び語りだした。

 

「未来機関が世界に希望を蘇らせた英雄のように世間では持て囃されてますが、

現実は違うんです。私達のような弱者を踏み台にして、さらなる絶望をもたらしただけ。

確かに夫の介護は楽ではありませんでしたが、

絶望に魅入られていたときはそれでも幸せだったんです。

お互い明日生きられる保証もない毎日。

その破滅的な運命に絶望を感じていた私達は、ある意味幸せでした」

 

「何が言いたいのだ!」

 

「私は夫を死なせてしまっても、愛する人を失った絶望。

夫は私が倒れても、一人孤独に死んでいく絶望。

いずれにせよ大きな絶望に包まれて永遠になれる。

そんな希望を抱いていたから、毎日を楽しく生きられたのです。

動画ファイルの私が、その証拠です」

 

裁判長が口を開き、久美子さんに確認する。

 

「なんということでしょう。まさか被害者自身も絶望の残党であったとは……

では、これまでの発言は吉崎文男さん殺害容疑の自白と考えてよろしいですか?」

 

「はい、私が夫を殺したことに、間違いありません」

 

連続不審死事件。その氷山の一角が崩れた瞬間だった。九頭竜君が彼女に問う。

 

「……最後に、ひとつだけ聞かせてくれや。だったらなんで自首しなかったんだ。

手袋を置いたり、スマートフォンに細工したりよォ。

逃げるつもりがないなら意味ねえだろうが」

 

「言ったじゃないですか。できるだけ捜査や裁判を長引かせて、世間の注目を集め、

偽物の希望に浮かれている世界に私達の存在を知らしめたかったんです。

思いがけず手袋に注意が集まって動画の発見が遅れましたけど。

だって、それが私達の、生きた証だったから」

 

「チキショウ、他に方法はなかったのかよ!」

 

「そんなものがあれば、夫を殺したりはしませんでした。

あなたには想像もつかないでしょう。

10年以上もまともに眠れない日々、人生の大半をベッドの上で過ごす運命。

……裁判長、お願いします」

 

「わかりました。

裁判員の方は、お手元のモニターに、有罪もしくは無罪と記入して下さい」

 

ボクは疲れたからもう寝るよ。後始末よろしく。あと、もう自棄酒は勘弁しておくれよ?

 

……アタシは自分の中のアタシと交代し、黙ってタッチペンを手に取ると、

結論を記入した。

 

「全員の意見が出揃いました。判決を言い渡します」

 

判決:吉崎久美子 有罪

 

 

【裁判員裁判 閉廷】

 

 

「そんな……ボク達が力を合わせて塔和シティーで掴んだ希望が、

誰かの絶望でしかなかったなんて!」

 

「俺達は、あの歌で世界が救われたと思ってた。

でもそれは、誰かを過酷な現実に引き戻す、絶望の歌でしかなかった!」

 

「いいんです。私は自分の境遇を誰かのせいにしようとか、

ましてや他人も一緒に不幸になればいいだなんて思っていません。

ただ忘れないでいてほしかった。それだけなんです」

 

そして、久美子さんはアタシを見て、初めてにっこり笑った。

その笑顔は、長年に渡る重圧から解き放たれたせいなのか、とても安らぎに満ちていた。

 

「不思議な裁判員さん。未来機関にお知り合いがいたら、伝えておいて頂けませんか。

私達は、絶望できて、幸せだったと」

 

「うん……わかった」

 

「係官、被告人を拘置所へ移送。裁判員の皆様は、退廷して下さい」

 

「待って」

 

思わず彼女を呼び止める。

 

「アタシのこと、本当に知らない?テレビで見なかった?」

 

「テレビは、とっくに売りました。一月分の食費にもなりませんでしたけど。

あなたは道を間違えないで。さようなら……」

 

係官に連れられていく久美子さんを見送ると、アタシ達はもう控室には戻らず、

東京高裁の裏口から直接バスに乗り、第十四支部に向かった。

帰路に着いても、みんなぼんやり窓の外を眺めたり、前のシートに視線を向けたまま、

何も話そうとはしなかった。隣のお姉ちゃん以外は。

 

肘掛けのアタシの手を握る。

 

「絶対盾子ちゃんのせいなんかじゃない。盾子ちゃんはみんなの希望で……」

 

「何も言わないで。

誰かの人生に責任を取れたはずとか、自分達のせいだとか言って

勝手に落ち込むのは、ただの思い上がりだから」

 

「……うん」

 

バスが十四支部の敷地に入り、皆、言葉少なにおやすみを告げて各自の部屋に解散した。

 

その日は寝付きが悪くて、屋上の手すりに腰掛けて、

自販機で買ったノンアルコールビールを飲みながら風に当たっていた。

ああ、不味い。炭酸水と変わりゃしない。

屋内への階段が開き、紫色の髪がヒールを鳴らしながら近づいてきた。

黙ってアタシの隣で手すりに手をつく。

 

「……自分のせいだと思ってる?」

 

「“はい”でも“いいえ”でも、

ムカつく返事しか返ってこないだろうからノーコメント。あっち行って」

 

「国が復興しても、治安の悪化に歯止めがかからない。厳罰化も進む一方。

殺人罪は、例外なく死刑」

 

「だったら何」

 

「結局私達は、国を救えても人は救えなかったのかもしれない」

 

「アタシまで含めないで。

ただお姉ちゃんに会いたかったから、あんたらと取引しただけ。

御大層な大義名分を掲げて空回りしたあんた達と一緒にしないで」

 

「そうね……話は変わるけど、今回の件でG-fiveを彼女に渡した人物の存在が確定した。

武装警察隊も連続不審死の捜査方針を他殺に切り替えた。

考えたくはないけど、謎の人物が逮捕されない限り、

例の猛毒を使った殺人は今後も起こりうる。いえ、きっと起こる。

また裁判員裁判が始まったら、その時は、お願いね」

 

「行けばいいんでしょ。わかってるから向こう行ってよ」

 

「おやすみなさい。ずっと夜風に当たってると身体が冷えるわ。早く中に戻りなさい」

 

「あんたはいつアタシの母親になったのよ、霧切響子」

 

散々悪態をつくとようやく霧切がいなくなった。

確かに風が吹き続ける屋上に留まりすぎたようで、寒くなってきた。

霧切の言うことを聞くようで癪だけど、アタシは空き缶を握りつぶすと、

自分の部屋へ戻り、ベッドに身体を投げ出した。

 

 


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