江ノ島盾子にされてしまったコミュ障の悲哀【完結】 作:焼き鳥タレ派
結局ゆうべは酷い悪夢に苦しめられて熟睡できなかった。
アタシにそっとお辞儀する久美子さん。目一杯の笑顔で手を振る喜男さん。
突然の銃声。
ふたりの胸に穴が開き、血まみれになって倒れる。
悲鳴を上げたくても声が出ない。
何が起きたかわからないアタシは、震える膝に力を入れて遺体に近寄る。
すると息絶えたはずの彼らがアタシの足を掴んだ。そして声なき声で訴える。
唇を読むと憎しみを込めた一言。
──おまえもおなじめにあえ
逃げ出そうとしても体が動かない。
とにかく助けを呼ぼうと息を吸い込み、言葉にならない叫びを発した。
「あああああ!!」
……自分の悲鳴でようやく目が覚める。
金縛りが解けたようで全身がビクンと跳ねると、目の前に見慣れた天井。
やっと夢を見ていたことに気づいても、まだ心臓が激しく鼓動している。
昨日裁判所から帰った後、服のまま寝ていたアタシは、
とりあえずベッドから下りてシャワーで汗を流すことにした。
ユニットバスで温かいシャワーを浴びると、寝ぼけた意識がはっきりしてくる。
喜男さんは明日か明後日にも処刑される。
アタシ達が下した決断によって。どうして自分が殺されるのか、その理由も知らないで。
自分のせいじゃない。二人が死んだのは自分のせい、そんな考えは思い上がり。
いつか小泉さんに言ったことを心の中で繰り返すけど、
感情はいつも理屈通りに動いてくれない。
ノズルをひねってシャワーを止める。温水はいくらか気分を落ち着けてくれたけど、
得体の知れないモヤモヤを完全に洗い流してはくれなかった。
バスタオルで体を拭き、新しい服に着替える。
誰かに会いたい。
時計を見ると午前10時過ぎ。ずいぶん長く寝てたみたい。昨日薬を飲みすぎたせいね。
もうみんな仕事が始まってるだろうし、同じ気持ちを抱えているだろうから
アタシだけが寄りかかることはしたくなかった。
それとも七海さんに打ち明けようか。タブレットを手に迷っていると、
画面端に新着メールのアイコンが表示されているのに気づいた。早速開いてみる。
送信者:第十四支部支部長 霧切響子
宛先:竹内舞子
件名:起きた?
何か話したくなったら呼びなさい。
竹内舞子っていうのは、アタシが十四支部から脱走してた頃に使ってた偽名。
というより、これからずっと使い続ける名前。江ノ島盾子は、存在しちゃいけないから。
さて、どうしようかしら……この際誰でもいいわ。アタシは返信をしたためる。
送信者:竹内舞子
宛先:第十四支部支部長 霧切響子
件名:起きた
暇だから来て。
送信ボタンを押すと、タブレットをベッドに放り出し、膝を抱いて床に座り込んだ。
何も考えずぼんやりとテーブルの足を見つめていると、
15分ほどしてオートロックのドアが開いた。
「……ノックくらいしてよ。大体どうしてあんたはここのドア開けられるの」
「支部長なんだからマスターキーくらい持ってて当然。前にも言わなかった?
ずいぶん早いお目覚めね。朝食にも来なかったみたいじゃない。みんな心配してたわ」
霧切響子。彼女は強いから寄っかかっても大丈夫そう。
床に座ったまま、今度は黒のブーツに視線を移す。
「薬、あれね、ちょっと量を間違えたのよ。飲みすぎたっていうか」
「1日1錠をどう間違えるのかしら。
昨日は何も言わずに歩いて帰るし、酒の次は薬に頼るし。
とにかく周りに不安を与える行動は謹んで」
「てっきりアタシを励ましに来てくれたと思ったんだけど」
「……“あなたは悪くない”、“どうしようもなかった”。
そう言えばあなたの気持ちが晴れるのかしら」
「何なのあんた?ここに来てからお説教ばっかり。呼ぶんじゃなかった。
っていうか、あんたが来たところで何話していいか考えてなかったんだけどさ」
「あらあら。失意の盾子ちゃんを抱きしめて優しく撫でてあげるべきだったわね。
気の利かない女でごめんなさい」
「もういいから帰ってよ!」
腹立ち紛れにベッドの枕を投げつけた。
それを片手でキャッチすると霧切はテーブルに置いて、帰る様子もなく続ける。
「あなたに面会を求めてる人達がいるの」
「追い返して」
「拒否権はないわ。相手は第二支部支部長、宗方京助。まさか彼まで忘れてないわよね?
ほんの半月ほど前に会ったばかりなんだから」
「誰だろうと知ったこっちゃないわ。“失せろ”って伝えといて」
「あなたがこの十四支部で生活できているのは彼のおかげだってことも忘れないで。
宗方支部長の判断一つであなたを元の放浪生活に戻すことだってできる」
「戻しゃいいじゃない!その恩着せがましい言い方ムカつくんだけど!」
「本気で戻りたいと思ってるの?酒以外誰も慰めてくれないひとりぼっちの生き方に」
「……それは」
霧切響子がアタシをまっすぐ見つめてくると、思わず目をそらしてしまう。
ひとりぼっち。左右田君もソニアさんも田中君も誰も居ない、寒々とした外の世界。
あの頃を思い出してみる。腹立たしいけど、受け入れざるを得なかった。
「白墨男が今更なに?」
「裁判員裁判について話を聞きたいみたいよ」
「こいつ……!」
思わず立ち上がって霧切響子を睨みつける。相変わらず霧切は無表情で見つめ返す。
「最初っからそれが用事だったわけ!?メールなんてまどろっこしい事しないで
“お前が死刑にした犯人について聞かせろ”って言えばよかったじゃない!」
「もう少しあなたが素直な態度でいてくれれば愚痴のひとつも聞いてあげたんだけど、
突っかかってばかりのあなたからマシな言葉なんて何も出てこないじゃない。
だったら必要事項を伝える他できることは何もないわ。
彼は13時に来る。昼食はちゃんと食べてエントランスで待ってるのよ」
「アタシに指図しないで!出てって!」
「13時よ?じゃあね」
「うるさい!」
踵を返して去っていく霧切響子。
今度は紫色の後ろ姿に電波時計を投げてやろうかと思った。
だけど手にとった瞬間、その硬い感触に我に返る。
どうしてこんなにイライラするのかしら。
自問自答なんてするまでもなく答えはわかってる。アタシには、何もできないから。
送信者:第十四支部支部長 霧切響子
宛先:第四支部 医療技術部代表 後藤
件名:E氏の健康状態(4)
医療技術部 後藤先生
お疲れ様です。第十四支部の霧切です。
彼女の経過観察についてご報告致します。
本支部での生活開始当初は精神的な安定を取り戻しつつありましたが、
裁判員裁判が始まって以来、再び過度の攻撃性を見せ始め、
過眠や抗酒剤のオーバードーズが見られるようになりました。
殺人事件の有罪判決、すなわち死刑の判断を下すことによる精神的ストレスが
悪影響を及ぼしていることは疑いようもなく
このまま裁判員を続けさせることは危険と思われます。
以上、用件のみですが失礼致します。
第十四支部支部長 霧切響子
第四支部にメールを送信。
……今は私が彼女のストレスのはけ口になっているけど、
この状態が続くようなら裁判員から外すことも考えなきゃ。
でも、きっと江ノ島さんは仲間が裁判に臨むなら自分だけ逃げたりはしない。
心を削り取るような思いをしたとしても法廷に出るはず。
2度事件を“解決”に導いたことで、
いずれまた皆に出廷の依頼が来ることは間違いない。
社会奉仕の一環として元77期生が断ることはないだろうし、
そうなれば江ノ島さんも引き受ける。
また、心に深い傷を負って帰って来ることになったとしても。
廊下を歩きながら考える。
G-fiveを広めている犯人が捕まれば、こんな事を考えず彼女の治療に専念できるのに。
犯人の目的も毒物の入手経路も何もわかっていない。
江ノ島さんは自分を責め続けているけど、何もできないのは、私も同じなの。
アタシは食堂で昼食を取った後、
ロビーの受付で外出手続きの書類に必要事項を記入していた。
食堂で花村君に会えるかな、と思ったけど彼も今日は有給を取っているらしい。
誰だって二度もあんな思いをしたら体調も崩すわよね。
書き終えた申請用紙を局員に手渡す。
「これお願いね」
「かしこまりました。今日もお出かけですか?」
「いえ、裁判じゃないの。第二支部から物好きが会いに来るみたいなのよ」
「そうですか。ではお気をつけて」
手続きを済ませたロビーでぶらぶらしているのもなんだから、
予定時間より5分ほど早めに出入り口の自動ドアを通って
エントランスの車寄せで風に当たっていた。
やがて、見覚えのある黒のBMWが徐行して近づいてきて、アタシの前で止まった。
中の真っ白な男が助手席の窓を少し開ける。乗れってことかしら。
あんまり気が進まないけど、ドアを開けて車に乗り込む。
大きなシートに体が沈み込んでいくみたい。高い外車だけのことはあるわね。
どうでもいいことを考えているうちに既に車は発進し、敷地のゲートをくぐっていた。
やだ、何ぼーっとしてるのかしらアタシったら。
「今日はいきなり何の用?」
お互い挨拶もなしに用件を切り出す。
「G-fiveの件だ。裁判を通じてお前が気づいた事を聞きたい。
例の毒を製造し拡散している女の存在が明らかになり、
未来機関と武装警察隊での合同捜査が始まった。
実行犯の逮捕に関わったお前の証言が必要だ」
「今度にしてくれない?このお高い車をゲロまみれにされたくなかったらね」
「取り調べによると、中村喜男が見たのは女だった。それは間違いないらしい」
「それともそういう趣味なのかしら!?」
「……共に裁判員裁判に臨む。姉にそう約束したというのに、たった2回でもう降参か」
「たった2回ですって!?あんたに何がわかるのよ!
死ぬしか助かる方法がなかった人、何もわからずただ騙された人。
そんなふたりを処刑台送りにした経験のないあんたに!」
無遠慮に土足で心に踏み込んでくる男に激しく噛み付く。
それでも宗方は眉一つ動かさずハンドルを握りながら語る。
「知ったことか。だがこれだけは覚えておけ。
お前が逃げ出せばG-fiveによる死者は今後も増え続ける。
そうだ。吉崎被告も中村被告もお前達の判断によって死刑判決を受けた。
彼らの犠牲を無にして安穏とした生活に戻りたいなら好きにしろ。
その影で出来上がる死体の山から目を背けて」
「犠牲なんて言わないで!喜男さんはまだ生きてる!」
「だが、間もなく死刑が執行される。明後日だ。
彼もまた被害者。そんなことはわかっている。
だがモタモタしていると同様の悲劇が繰り返される。
言え。連続毒殺事件の真犯人、その手がかりだ」
「……事情聴取なら、十四支部やあんたのところでよかったじゃない。
どこに連れて行こうってのよ」
「質問に答えろ」
アタシは隣の男を蹴飛ばしたい衝動を抑え込んで、目を閉じ思案する。
「そうね……まず二人の共通点。どちらもいわゆる社会的弱者だった」
「ああ。吉崎被告は生活に困窮し、中村被告は重い知的障害により
不当な暴力を受けても助けを求めることができなかった」
「そして凶器になったG-five。
痕跡を残さず相手を即死させて、いろんな方法でターゲットに投与することができる。
こんな都合のいい毒を作れるのは、
よほど医学、薬学、科学、諸々の知識が豊富な奴しかいない。
医師、薬剤師、製薬会社の研究員。こんなところね」
「武装警察隊もその線で犯人と接点があった者を探しているが、
疑わしい者はまだ見つかっていない」
「あと、知識だけでも殺傷能力の高い毒は作れない。設備が必要ね。
こっそり新薬の研究開発ができるほどの知識と高度な設備に触れられる人間。
そうなるとかなり対象は絞られてくるけど、それは犯人が単独犯だった場合。
組織ぐるみの犯行だとするとお手上げね」
「だとすると目的は何だ?金を取るわけでもない。
おそらくは莫大な設備投資をして新型の毒を開発し、一般人に配り回る。
犯人は何がしたい」
「知らないわよ。
頭のおかしいカルト教団が、開発した化学兵器の実験に喜男さん達を利用したか、
あるいは独りよがりな“救済”に酔っている異常者がいるとか」
「救済?」
「さっきも言ったでしょう。
一連の事件の被告は追い詰められてた。それこそ死ぬしか選択肢がないくらい。
吉崎さんはろくに家賃も払えなくて、脳性麻痺の旦那さんと
アパートから追い出されて路頭に迷うところだった。
喜男さんは施設長達からの理不尽な暴力にただ耐えるしかなかった。
仮に犯人をXとすると、Xはどこかで二人に関する情報を手に入れて、
死という安らぎを与える、もしくは間接的な手段で支配者を暗殺する、という方法で
彼らを救おうとした」
「……ありえない話ではないな。この5年間で確かに人類は大きく文明を取り戻したが、
心は荒んだままだ。まるで絶望の残滓が漂っているように。
犯罪発生率がそれを示しているし、こんな事件が起きているくらいだからな」
その時、車が十四支部と似たようなビルの前で速度を落とし、
車の入退場ゲートで止まった。宗方がカードキーを読み取り機にかざすとバーが上がり、
再び発進。駐車場の白線に沿って停車した。
「降りろ」
「命令しないで。いい加減目的を教えなさい」
「いいからついてこい」
今日は起きてからずっと腹を立てている気がする。
結局、宗方の後を追うしかなかったからなんとなく見たことのあるようなビルに入った。
奴が軽く手を上げて受付に会釈したから、アタシも少しお辞儀した。
ここに来ることは事前に伝わっていたらしく、奥に入っても制止されることなく
どんどん中に進んでいく。
しばらく廊下を歩くと、
宗方が「面談室1」という部屋の前で止まり、ドアをノックした。
すると中から“入りたまえ”という声が聞こえ、ドアを開けて中に入る。ここが目的地?
中は広い応接スペースで、大型のテレビモニターや観葉植物、革張りのソファが
向かいあわせに設置されてる。
木目調の壁が心を落ち着ける部屋に、懐かしい顔が待っていた。
「久しいのう。最後に会った時より、顔色も良くなってなによりじゃ」
天願和夫。このグリーンのコートを羽織った爺さんは確か……未来機関の偉いさん。
だったと思う。
「顧問。彼女をお連れしました」
「宗方君も忙しいところご苦労。ささ、話は座ってからにしようではないか」
だけど、もっと懐かしい存在にしばし目を奪われた。
「……どうも」
元第十支部長、御手洗亮太だった。
ソファに腰掛けたけど、何を話せばいいのかわからない。
御手洗さんは相変わらず血色が悪いけど、
6年前、世界に歌を届けたときに見せたような怯えた表情はない。
むしろ引き締まった顔で、ずっとアタシの顔を見ている。
宗方に何か喋るよう耳打ちする。
「あんたが呼んだんでしょ。さっさと用件を言いなさい。
ここじゃなきゃいけない理由はなに?」
天願さんが苦笑いをして代わりに答えた。
きっとアタシ達が無意識にピリピリした空気を出してたんだと思う。
「いやいや、今日皆に集まってもらったのはわしの発案なのじゃ。
どう言えば良いのかのう……そうじゃ、同窓会のようなものだと思ってほしい」
「同窓会?」
「うむ。あれから6年。皆、それぞれ立場や役割が変わり、
めっきり顔を合わせることもなくなってしもうたからのう。
こうして互いの近況を語り合うのもよかろうと思い、この場を設けたわけじゃ。
まぁ、実のところは、
仕事のなくなったじじいの相手をしてほしいというのが本音であるが」
宗方が呆れたように少し眉間にしわを寄せて、ひとつ息をついた。
「顧問、遊んでいないで本題を。
このメンバーを招集した理由について、ご説明願います」
「そう怒らんでくれたまえ。久々に皆と親睦を深めたいというのも本当なのじゃからの。
……さて、宗方君がキレる前に難しい話を済ませるとしよう。
まずは御手洗君と、竹内君。ふたりはお互いを知っている。そうじゃの?」
「はい、顧問」
「ええ……彼とは確か、6年前に電波塔で会ったわ」
「あの頃は竹内さんが誰かはわかりませんでしたし、今もわからないままですが、
彼女のおかげで自分の間違いに気づけたことは確かです」
はっきりとした口調で答える御手洗さん。思い切ってある提案をしてみる。
「あの、天願さん。アタシの正体について彼に話してもいいんじゃないかしら。
竹内舞子のままだと肝心なことが伝わらないと思うの。
それに……御手洗さんは薄々気づいているようだから」
「わしから話そう。
御手洗君、少し長くなるし信じがたい話になるが最後まで聞いてほしい」
「はい」
そして、天願さんがアタシの江ノ島盾子としての身分を明かした。
アタシは異世界から精神だけが転移し、
どこかの狂人が再生した江ノ島盾子の肉体に乗り移った存在。
未来機関はそのアタシが痛めつけられる様子を放送することで
江ノ島の信奉者を減らしていったけど、あることがきっかけで別人だったことに気づく。
葛藤の末に世界を許すことを選択したアタシに芽生えた“超高校級の女神”。
歌で人の心に調和をもたらす能力で、
アタシは6年前に世界から絶望のほぼ全てを消し去った。
その直前、別の方法で絶望を取り払おうとしていた御手洗さんと出会う。
彼は人々から負の感情を消し去る“希望のビデオ”で彼なりに戦ったけど、
アタシはどうにか彼を説得してビデオの送信を思いとどまらせた。
そして先に世界に向けてアタシの歌を届けたことにより人が人であるまま今に至る。
御手洗さんは膝の上で拳を作りながら黙って聞いていた。
天願さんが語り終えると、彼はつばを飲んでアタシに問いかけた。
「やっぱり……あなたは江ノ島盾子だったんですね」
「偽物だけどね。
最重要機密だから今の今まであなたに伝わっていなかったみたいだけど」
「皮肉ですね。心は別人だとしても、
世界に絶望をもたらしたのも希望を与えたのも江ノ島盾子だなんて」
「元気だった?あの後みんなバタバタしててあっという間に6年経っちゃったから」
「……支局長の職は解かれましたが、
天願顧問のご尽力で執行猶予付きの判決に留まりました。
今でも一般局員として未来機関にいられるのも、顧問のおかげです」
「一度の失敗で君のような若い可能性を終わらせてしまうのは、あまりにも惜しかった。
まだ世界は完全な復興と呼べるには程遠い状況じゃ。
それに……あの時、御手洗君が抱いていた理想を失敗の一言で片付けたくはない」
「やはりあなたは変わりませんね。
仮に希望のビデオが送信されていたら今頃どうなっていたことか。
会長職を辞してまで、異なる形の破滅を招こうとした一局員をかばい続けた
あなたの考えが今でもわかりません」
少しだけ御手洗さんの表情が固くなった。余計な横槍を入れる宗方を黙らせる。
「あんたは黙ってなさい。天願さん、アタシも同じ考えよ。
そうは言っても、オリジナルの江ノ島が作った絶望が消え去った今、
超高校級の女神が必要とされることはもうないんだけどね。
現に、十四支部で何年も食っちゃ寝生活だったもの。
御手洗さんみたいに胸を張って言えることじゃないけど。フフ」
思いがけない再会に気持ちが少しゆるみ、笑いがこぼれる。
「あの時、僕はあなたを江ノ島盾子だと思ってたけど、
半分間違いで半分正解だったということなんですね。
また直接お会いした今ならわかります」
「そういうことじゃ。
こんな感じで今日の同窓会は御手洗君の長年の疑問を解くことも目的だった」
つまり、本当の目的はこれから。
「道中、宗方君からも聞いておろう。連続毒殺事件のことじゃ。
G-fiveの痕跡が確認できぬから連続不審死というのが適切じゃが」
「ええ……」
「君達が裁判員を務める中で、多大な心労を背負っていることは聞いておる。
単刀直入に聞こう。裁判員を辞めたいかね?」
それと御手洗さんがどうつながるのかわからないけど、正直な気持ちを口にする。
「少なくとも……続けていく自信はないわ」
天願さんは納得したように何度かうなずくと、話を切り出した。
「そうじゃろう。行き過ぎた厳罰化で情状酌量や本来守られるべき人権が無視され、
毎日のように処刑場に銃声が鳴り響いておる。
有罪すなわち死刑を決定する人間に過大なストレスを課していることは想像に難くない。
そこでじゃ」
御手洗さんに視線を送ると、今度は彼が話を始めた。
「僕、裁判員になろうと思うんです!
十四支部の皆さんが裁判員をなさっていると噂で聞いて、
失礼ながらあなたの体調について資料を読ませていただきました。
あなたの心はまだ不安定で、記憶も曖昧な点も多いとか。
そんなあなたが治療にも専念できずに、
これからも辛い選択を続けなければいけない理由なんて、ないと思ってます」
「それって、要するに……」
「あなたと交代して裁判員になりたいんです。
確かに、僕はあなたのように賢くはありません。
でも、あの時僕を間違った選択から救ってくれたあなたのために、
できることをしたいんです。そのために顧問に頼ってお願いしました。
……この通りです。ご自分の体が回復するまでで構いません。
僕にあなたの責務を任せてもらえないでしょうか」
彼が深く頭を下げる。……どうしよう。
よく考えれば、御手洗さんの言う通り危ない橋を渡っていたと言えなくもない。
アル中を薬で抑えて、法廷で限られた証拠から有罪無罪を導き出す。
今までは“正解”だったけど、今後もうまくいくとは限らない。
「心配するな。下りたとしても支部から放り出したりはしない。
……フン、つまりは一生飼い殺しという意味だが」
「黙ってろって言われなかった!?あの、ちょっと待って、アタシは……」
視線が落ち着かない。辞めたい、辞めちゃだめ。両方の結論が押し合いへし合いする。
悩みに悩んだ末、たどり着いた答えは。
「あの、ごめんなさい!やっぱりアタシ、辞め……」
──本当にそれでいいの?
ふいにアタシの中のアタシが問いかけてきた。続きを待つけど、それだけ。
でも、同時に大事なことを思い出した。昨日見た悪夢。ううん、そうじゃなかったのよ。
あれは久美子さんと喜男さんが遺した最後の訴え。犯人を許すな。
思い直したアタシは、ひとつ咳払いをして決意を口にした。
「裁判員は続けるわ。G-fiveを作った犯人を追い詰めるまで」
面談室の空気が張り詰める。
天願さんは長い顎髭を撫でて、何も言わない。宗方はまっすぐ前を見てる。
「……やっぱり、僕じゃ力不足ですか?」
首を振って否定する。
「違うわ。この事件は、アタシ自身が決着をつけなきゃいけないの。
あなたの気持ちは嬉しい。
でも、このまま逃げ出したらアタシの決断で命を落とした人達に顔向けできないの。
連続毒殺事件の犯人は必ずアタシが捕まえる。だから、ごめんなさい……」
御手洗さんの表情が緩んで、微笑を浮かべた。
「あなたは、強い人なんですね」
「強くなんかないわ。仲間がいるから戦える。もちろんあなたもその一人よ」
「ふむ。どうやら今日の同窓会はわしの余計なお節介だったようじゃの」
「そんなことない。十四支部以外にも味方がいるってわかっただけで心強いわ」
「……言ったからには必ず解決しろ。この得体の知れない殺人事件を」
「あんたは何度同じことを言われれば学習するのかしら。命令しないで、白墨太郎」
「これこれ、ケンカはよさんか。……では、江ノ島君。君だけが頼りじゃ。
この悲劇を終わらせてほしい」
天願さんが老いた体を更に曲げてお辞儀をした。
「アタシだけじゃない。十四支部のみんながいる。信じて待ってて」
そしてアタシは面談室で御手洗さんと天願さんと別れ、
再び宗方の運転するBMWで帰路についた。
既に日は暮れて、世界崩壊前より寂しくなったネオンや看板照明の間を走り抜ける。
第十四支部に着く頃には、辺りは真っ暗になっていた。
別れ際、宗方と一言だけ言葉を交わした。
「顧問の期待を、裏切るな」
「口の利き方に、気をつけなさい」
奴の車が走り去ると、アタシは自室に戻る前に夕食を取ろうと思い、
食堂に立ち寄ることにした。
ロビーを通り抜け、ビル西側にある食堂へ向かうと、食堂側から霧切響子が歩いてきた。
どちらも目を合わさなかったけど、すれ違いざまにお互い用件だけをぶつける。
「アタシ、辞めないから」
「薬、置いといたから」
誰も居ない食堂で焼き鯖定食を頼み、適当な席に着くと、
ポケットからカプセル入りのケースを取り出して、1錠飲んだ。あと4錠くらいしかない。
とにかく食事を終えると、まっすぐ自室に戻ってシャワーを浴び、ベッドに寝転んだ。
テーブルには、いつの間にか予備の薬。準備がいいわね。
抗酒剤の副作用で今日もすぐ眠りに落ちた。
だけど本当に薬のせいなのか、運動不足でちょっとの外出で疲れるのかわからない。
体力を着ける必要があるわね。お姉ちゃんにトレーニングに付き合ってもらおうかしら。
B19306
夜。PCモニターや実験器具の放つ光だけが室内を照らす。
小型のマニピュレータが、強制冷却機の中からシリンダーを取り出し、
排出口にセットする。シリンダーが生成装置の中を通り、こちら側に顔を出した。
「また、ひとつ」
自分の存在意義でもあり、誰かの救いでもある奇跡の薬が、またひとつ産声を上げた。
ゴム手袋をした手で無色透明な液体が入った瓶を手に取り、私は微笑んだ。