江ノ島盾子にされてしまったコミュ障の悲哀【完結】 作:焼き鳥タレ派
「G-five製造犯の捜査は中止。それが上層部の決定よ」
それが霧切響子の第一声だった。
森本挟持さん死亡という最悪の結果で終わった裁判から3日。
ようやく皆の心が平静を取り戻したタイミングで、
アタシ達は大会議室に呼び出された。
「中止だと!?ふざけるな。この十神白夜の前で重要参考人を殺害した犯人を
あえて野放しにしろとお前はそう言うのか!答えろ、霧切響子!」
立ち上がって霧切に迫る十神君。納得できないのはアタシも同じ。
「あの犯人はもうあなた達の手には負えない。この前の裁判でわかったでしょう?」
「……俺も、霧切さんに賛成だ。
このメンバーから犠牲者を出すことは認められない。もう、二度と」
日向君も心の中では迷っているのは明らかだけど、苦渋の選択を受け入れる。
続くように日寄子ちゃんがテーブルの上で指遊びをしながらぽつぽつと語った。
「最初は絶対犯人捕まえてやるんだーって思ってたけどさ……。
森本さんがあんな風に殺されちゃって、
今度はわたし達の誰かだって思うと、やっぱり、怖い」
「オレもよー、この件に関しちゃ最後まで付き合うつもりだったが、
守らなきゃならねえ人ができちまった今、これ以上首突っ込むのは、正直辛えんだ。
みんなには悪りいと思ってる……」
「和一さん……。わたくしもあなたには、危ないことはよして欲しいです。
いえ、和一さんだけじゃありません。皆さんにもこれ以上の無茶は……」
アタシのせいでまだ結婚式も挙げられていない二人に無理は言えない。
だけど、アタシだけは引き下がるわけにはいかないの。手を挙げて霧切響子に問う。
「ちょっといい?霧切響子」
「何かしら。江ノ島盾子さん」
「上層部とやらが捜査の中止を決定した理由は、アタシ達に危害が及ぶから。
そう考えていいのかしら」
「ええ、その通りよ」
「だったらその処置は全くの無駄だって伝えてちょうだいな」
「「ええっ!?」」
アタシは驚く皆に持ってきたものをテーブルに置いてみせた。
タブレットと……。くしゃくしゃになった紙切れ。
許して、きっとみんなを巻き込むことになるけど。
「……何がしたいのかしら」
「まずこの紙を見て。喜男さんの裁判から一週間後のことだった。
アタシが日寄子ちゃんと外出してから帰ってきたら、
部屋にこんなものが貼られていたの。
それも1枚や2枚じゃない。部屋中にべったりと」
「“ここは私の部屋”?どうしてこんなものがお前の部屋に!
各自の部屋はオートロックされていて、マスターキーを持ってる霧切さんか、
部屋の持ち主しか開けられないはずだろう!?」
「驚くのはまだ早いわ、日向君。見て、アタシのタブレット。
ある日ディスプレイがあんまり散らかってたから七海さんに怒られちゃった。
慌てて“新しいフォルダー”を作って片付けたんだけど……。
それきり中身も見ずに放ったらかしにしたままだったの。
でも、よく考えたらアタシ日記なんてつけないし、
大量の文書を作るような仕事もないのよね。
謎のテキストファイルも張り紙と同じ日に見つかった」
「それには、何が書いてあったんだ……?」
アタシは黙って“新しいフォルダー”を開き、テキストファイルの一つを開いた。
「こんな感じよ。ざっと見たら次の人に回してくれる?」
「お、おう……」
そして隣の終里さんにタブレットをパスして、
長い楕円形のテーブルに着く全員に順番に回していった。
謎の文章を見る度、皆は首を傾げたり目を丸くしたり、
とにかく誰も見覚えのない文章に不可解な気持ちになったみたい。
タブレットが霧切響子の手に渡ると、彼女は無表情で少し考え、アタシに聞いた。
「……どうして、この事を黙ってたの?」
「それについては謝る。
当時はアタシに終わりの時が来たと思って、認めるのが怖くて言い出せなかった」
「終わりってどういうことなのさー、おねぇ……」
「アタシが行方をくらませてた1年。酒浸りの生活を送ってたことは覚えてる。
脳が深刻なダメージを受けてるのは自分でもわかったし、
若年性アルツハイマーなんかが発症して自覚しないうちに
徘徊や幻覚等の症状が出たんだと思ってた。その時は」
「そんな!あの、霧切さん。盾子ちゃんは、妹は、大丈夫、なんですよね……?」
「今のところは。後は酒をやめられるかどうかにかかってる」
「心配掛けてごめん、お姉ちゃん。でも今はもっと大事な話がある」
「やめてよ……。盾子ちゃんより大切なことなんて、あるわけないじゃない……」
涙ぐむ姉にあえて構わず、話を続ける。
「アタシが言いたいのは、
これをしでかしたのは森本さんが言っていた例の女子高生。つまりG-five製造犯。
エントランスの警備員室でドアのロックを遠隔操作して、
アタシの部屋に気づかれないよう侵入するなんて、奴以外ありえない」
「その意味するところは?」
「今更この件から手を引いても無駄だってこと。
どんな手品を使ってるのか知らないけど、敵はどこにいようと侵入してくる。
その気になれば、今ここにG-fiveを撒いてアタシ達を殺すことだってできるって事。
むしろ今までそうしなかった理由のほうがわからない」
「……それで、結局あなたは何が言いたいの?」
「上層部に掛け合って捜査中止を撤回させて。
3度G-fiveによる殺人事件に関わったアタシ達が犯人を突き止めなきゃ
何度でも同じことが繰り返される」
「それは、できないわ。
あなたの仮説が正しいとしても、むやみに危険を冒す理由にはならない」
「あんたは何のための支部長なのかしら。
新たな可能性が出た以上、上に報告を上げるのが役目なんじゃないの?」
アタシと石頭の霧切響子の視線がぶつかる。
瞬きもせずしばらく沈黙して互いを見据える。
「ア~ハハ…二人共、もっとこう、フレンドリーには行かないんすかねぇ……?」
澪田さんの乾いた笑いも宙ぶらりん。
睨み合いを続けたままだと話が平行線になってしまう。
でも、行き詰まりになるかと思った時、ひとつの妥協案が浮かんだ。
膠着状態を崩すべくすぐさま提案。
「ねえ。事件の捜査じゃなくて、“アタシ”の捜査なら問題ないんじゃない?」
「あなたの捜査?」
「そう。失った過去1年間の記憶を取り戻すの。
それが謎の張り紙やテキストファイルと何らかの関わりがあるかもしれない。
なかったとしても……。心配掛けたみんなへきちんとした形で詫びることができる」
「なるほど、それいいかも。要は危ないことしなければいいってことだよね?
これなら日寄子ちゃんも安心できるし」
「だけど、記憶を取り戻すと言ってもどうするの?
第四支部での検査でも結局あの1年は空白のままだった」
「それについては、日向君。あなたの力を借りたいの」
肝心なところで急に話を向けられた日向君が若干焦ったように見えた。
「俺か?俺に何ができると……。
そうか!あの時のように、今度は俺がお前を治療するんだな?」
「ええ。お願いできるかしら」
「ああ、当然だ!」
「治療……。つまり、ボクを助けてくれたときと同じ方法で、
日向君が江ノ島さんの記憶を蘇らせる。これなら危険な捜査には当たらないよね。
霧切さん、ボクからもお願いするよ。日向クンならきっとやってくれる!」
狛枝君の支持を得た案を吟味するべく、霧切響子は指を当てて目を瞑ると、
しばらく思案してから再び目を開いた。
「……あくまで、目的は江ノ島さんの治療。後のことは結果次第。
それでいいわね?」
「十分よ」
真犯人への道が閉ざされかけたと思ったら、
思いがけず自分の過去と向き合うことになった。
アタシはタブレットに浮かぶ意味不明な文字列に目を落とす。
『……ボロボロになったアスファルトは余計に私の足を疲れさせてくれましたが、一歩広い道に出るとそれまでのローペースが嘘のように軽くなり、私の心を弾ませてくれます。いつもこんな気持ちでお仕事に集中できればいいのですが、なにぶん私の住まいが住まいなので通勤通学には致命的に不利なんです。だめです、余計なことを書きすぎて3行くらい前がもうおぼろげになっちゃってますね。お巡りが私のことをジロジロと見ていますが、そんなことは露ほども気にかけずエゲツないほど軽快なステップで……』
これがBで始まる女の仕業なら、一体何がしたかったのかしら。
ぞろぞろと大会議室から出ていくみんなに遅れていることに気づいて、
アタシも急いでタブレット片手に退室した。
医務室へ移動。かと思いきや、超高校級の希望を発動した日向君の提案で、
2階の休憩スペースに場所を移すことになった。
みんなの手には自販機で買った飲み物。
背もたれのないソファに思い思いに腰掛ける。
超高校級の“カウンセラー”や“セラピスト”の能力が最適な環境を導き出し、
アタシの治療は雑談形式で行われることになった。
ちなみにアタシはアイスコーヒー。
「じゃあ、始めるか。ちょっと長くなるかもしれないが、まぁ肩の力を抜いてくれ」
正面に座った日向君が静かな笑みで語りかけてくる。
真っ赤で、それでいて優しい瞳。
「わかったわ」
「江ノ島よ、忘れるな。敵を知り己を知れば百戦殆うからず。
今こそ己の内に潜む魔王バアルと決着をつけ、千年王国の頂に立つのだ。
さすれば再び女神ノルンの寵愛を受け、
現在過去未来の連綿とした時の力場を制御することも能うだろうことは
必定であるからして」
「あの、あのう……。これから江ノ島さんの心を癒やして記憶を取り戻すんで、
精神集中を妨げるようなことは、あの、やめましょうよぅ」
「そーだよ!なんで田中おにぃは肝心なときくらいちゃんとできねーんだよ!
あと、なにげに罪木おねぇに同意したのこれが初めてだと思うんだけど!」
「え、これだけ!?私達、もう長い付き合いだと思うんですけど……」
「ほーら、蜜柑ちゃんも日寄子ちゃんもストップ。
日向がカウンセリングを始めるよ。
田中は相手にすると余計うるさいから放置が一番」
いつもどおりのメンバーの騒ぎにも動じず、日向君の治療が始まった。
ないがしろにされた田中君の言いたいこと。“自分の過去を取り戻せ”。
絶対成功させなきゃ。
「今日は暑いな。ジャバウォック島でお前がカウンセリングをした時を思い出すよ。
あの頃のお前はまだ大きなツインテールだったよな。
正直隣に座っててチクチクしたよ。ハハ」
「あらやだ、やっぱり当たってたの?ごめんなさいね。
あれ、結構いろんな場面で邪魔だったのよ」
いきなり核心は突いてこない。遠い昔話から初めて、ゆっくり心をほぐしてくれる。
「江ノ島が超高校級の女神に目覚めた時は驚いたよ。
俺の頭に入ってない唯一の才能。何しろ俺は男だからな」
「自分でもどうして才能にあんな名前着けたのか未だによくわからないのよね。
女神様なんてガラじゃないのに」
「そんなことないさ。お前は、俺達の希望。
過去の罪に押しつぶされていた俺達を救ってくれた女神みたいなもんなんだからな」
「……あるいはそうだったのかもしれない。でも昔の話よ。
6年前にみんなとの別れから逃げて、1年前もまた逃げた」
「それは、何から?」
「ええと、何だったかしら……。あつっ!」
思い出そうとすると、頭に鋭い痛みが走った。
日向君は慌てずアタシを落ち着かせる。
「無理しなくていい。質問を変えよう。
どうして逃げようと思ったのかは、わかるか?」
別の角度から1年前を思い出す。今度は行けそう。
そうよ、アタシが逃げたのは……。
「全部、アタシのせいだったから」
「江ノ島のせい?何がお前のせいなのか、少しずつ思い出してみてくれ」
あれは、あの時だった。いつもと変わらない、よく晴れた日だったわ。
“別に、いい。私、そんな、忙しくないから”
“困ったものね。まだ5年前の感覚で任務を続けている人が多いみたい”
霧切響子が同僚と話していた日だった。
アタシはタブレットで何気なくネットニュースを見てたの。
当時の見出しが意識に浮かぶ。
『“ずっと絶望していたかった” 未来なき介護生活、絶望の功罪』
『復興の影で見過ごされる障害者虐待 行政の業務超過にも打つ手なし』
『レジスタンスの今 絶望と共に見捨てられた彼らの存在 その悲惨な現実』
両手で持ったアイスコーヒーのカップが小刻みに震える。
日向君はただ黙って続きを待つ。
「……人類史上最大最悪の絶望的事件から5年経って、
みんなも十四支部に戻ってきて、失った時間を取り戻すように
一緒に笑って過ごしてた」
「楽しかったよな」
「みんながアタシに言ってくれた。“アタシのおかげ”。だけどそうじゃない。
“アタシのせい”で、
絶望に浸ってどうにか現実から目を背けて生きていた人達の希望を奪ってしまった。
もともとアタシに誰も彼も救う力なんてない、
責任なんて感じること自体思い上がり。
理屈ではそう分かってたのに、やっぱりアタシの歌で不幸になった人がいる。
その現実に耐えきれなくなって、みんなの笑顔が怖くなって、逃げ出したの……」
「それは貴女のせいでは……!」
何か言いかけたソニアさんを日向君が手で押し留めた。
「わかった。……そこまで思いつめてたのか。気づいてやれなくて悪かったな」
アタシはただ首を振って否定する。
「この支部を出てからは、どうしてたんだ?
小泉に聞いたんだが、ネットカフェや簡易宿泊所を転々としていたそうだが」
「ええと…そうなの。
何もかも忘れたくて、毎日安酒場で浴びるほど飲んでたんだけど……。
どうしたのかしら、何か思い出せそうなんだけど、
今度は思い出そうとすると意識がぐるぐる回る。なんだか酔っ払ってるみたい」
「辛いなら別の質問にしよう」
「待って、今度は痛いわけじゃない。もう少し、頑張れる。
アタシが泊まっていたのは……」
………
小雨の降る中、泥酔して路地裏を千鳥足で歩く。
最寄りのネットカフェはどこだったかしら。
「ヒヒ、ネーちゃんいくらだぁ?」
同じく酔っ払ったオッサンを無視して歩き続ける。
今日はしこたま飲んだから、もう眠りたい。でも宿がない。
仕方ないから朝までこのまま歩こう。
そう思った時、突然脳の中が冷え込んで吐き気がこみ上げる。
「ううっ、えるああっ!げほげほ!」
壁に手をついて激しく嘔吐した。気分は最悪。頭は痛いし口の中は気持ち悪い。
どこか座れるところを探すけど、あいにくの雨で段差もビールケースも濡れている。
やっぱり行くあてなんてどこにもないアタシは歩くしかない。
でも足元がふらついてそれすら覚束ない。
ただ立ち尽くすアタシに、誰かがスッとハンカチを差し出した。
いつからそこにいたのかわからない。高校生くらいの女の子。
「使ってください。まだお口が汚れてますよ?」
「んん?…むう、あんた、誰よ?」
とりあえずハンカチを受け取って口を拭う。汚れたままのハンカチを突き返しても、
彼女は嫌な顔ひとつせずポケットにしまって質問に答えた。
「はい。私は、B19306…ということになっています」
「あのねえ、酔っぱらいだと思ってバカにしてると張っ倒すわよ」
「それは困ります。私にあるものと言えばこの名前と手帳だけなんで」
確かに女の子は胸ポケットから手帳を取り出しては
事あるごとにせっせと何かを書き留めてる。
「どうでもいいわ、用がないなら放っといて」
「ああっ!待ってください。今晩泊まるところは?」
「ない」
「でしたら、私の家に来ませんか?
このまま濡れ鼠になっちゃうと、飲み屋にもホテルにも入店拒否されちゃいます」
「あんたの家?言っとくけど金なんか大して持っちゃいないわよ」
「お金なんていりません。ほら、肩を貸しますから一緒に」
「行くわよ、行けばいいんでしょ。目が覚めたら腎臓取られてたってオチ?」
明らかに怪しい女の家に泊まり込むなんて、前後不覚というか、自暴自棄というか。
とにかくアタシは横になれればどうでもよかったから、
女の子の肩を借りて彼女の家に行ったの。
路地裏を抜けて更に人気のない道を10分くらい進んだかしら。
酔ってたからその辺のことはよく覚えてない。
彼女の自宅に着いたら、アタシは1段ずつ足を上げてゆっくり階段を上った。
「鍵、開けますからちょっと待ってくださいね。えーっと、“お客さんを迎える”。
これは完了、チェック」
「……ふーん、もしかしてあんたの名前ってこれ?
可愛い名前つけてもらったじゃない。あんたにピッタリ」
「し、失礼ですね!本当はちゃんとした名前があるんですよー!
仕事をしていれば返してもらえるんです。
それはきっと女の子らしい綺麗な名前に違いないんです…多分。
さ、どうぞ入ってください」
「おじゃまー……」
アタシは彼女の部屋に入ると、
暖かい室内の空気が心地よくてそのまま玄関に倒れ込んだ。
気がついたのはとっくに日も昇った朝。
濡れた身体は丁寧に拭かれていて、いつの間にか布団の中にいた。
二日酔いでやっぱり痛い頭に悩まされながら起き上がる。
とりあえず腎臓は取られてなかった。
起き上がったまましばらくぼーっとしていると、
別の部屋から昨日の女の子が顔を出して話しかけてきた。
「あ、起きたんですね。おはようございまーす」
「んあ。おはよう」
彼女は夢の存在でも幻覚でもなかったらしい。
昨日はよく見えなかったけど、赤に近いブラウンのロングヘアが目を引く。
「すぐご飯作りますから、待っててくださいね」
「いらない」
「だめですよ、ちゃんとお腹に何か入れないと」
いらない、と繰り返す前に女の子はキッチンに引っ込んでしまった。
仕方なく頭をゆらゆらさせながら待っていると、チン!という音が聞こえた。
それから間もなく女の子が“朝ごはん”を持ってきたんだけど。
「ねえ、朝食にカレーライスってどうなの」
「レトルトカレーって便利になりましたよね。レンジで作れるんですよ?
確かに5分もお湯で茹でるのって微妙に面倒ですよね」
「そうじゃなくて……。もういい」
とにかくアタシはカレー皿を受け取ると、スプーンで一口食べた。
知らないうちに身体は栄養を欲していたらしく、意外と朝のカレーも食が進む。
アタシは食べながらニコニコしている女の子に尋ねた。
「あんたさ、本名なんなのよ。
まさか本気でBなんとかって言うつもりじゃないでしょうね」
「昨日お話しした通りですよ。今はB19306です。
きちんと仕事をしていれば、多分可愛い名前を返してもらえるんです。
あ、チェックを忘れてました。“朝食を出した”、と」
「アタシに構う理由は?B子さん」
「ひどっ!B子って!まぁ、確かにB19306は覚えにくいし可愛くないですよね。
理由はシンプルですよ。あなたに会いたかった」
「通りすがりの飲んだくれに?」
「いいえ、江ノ島盾子さん、あなたにです」
スプーンを運ぶ手が止まる。
何を考えてるのか知らないけど、カマをかけてるのかもしれない。
「そーねー。江ノ島盾子と竹内舞子って字が似てるからよく間違えられるの」
「心配しないでください。別にあなたの正体をバラそうだなんて思ってません。
ただ、少しの間一緒に暮らしたいなぁって」
「あんたがレズだとしても相当趣味悪いわよ。
髪ボサボサで肌ガサガサの酒臭い女囲ってどうしようってのよ」
「理由なんてありません。でも…今は竹内さんということにしときましょうか。
竹内さんはこれからどこで生活するつもりなんですか?」
「ネカフェとか、安ホテルで……」
「そのお金はどこから?」
「これでもちょっとした小金持ちなの」
「だけどいつかはなくなる」
言葉に詰まった。確かに、未来機関から受け取った“見舞金”は
それなりに食っちゃ寝生活が続けられる程度に気前のいい金額だったけど、
使い切ったら酒が飲めなくなる。当たり前だけど。
「ここなら寝床の心配はありませんし、簡単なお食事も用意します。
カレーしかできませんけど」
「本当に何が目的なの?」
「言ったじゃないですか。少しの間でいいから、あなたと暮らしたい」
「家事も労働もしない」
「構いません。ということは、決まり、ですね?ですよね?」
「本当に何にもしないから。
夜中に勝手に飲みに行くし、ここで酒盛りすることもある」
「はい!合鍵を渡しておきますね!」
それからB子との奇妙な共同生活が始まった。B子は本当に何も求めてこなかったし、
アタシもまともな家で寝泊まりしながら飲み屋と家を往復する毎日を続けていた。
どれくらいかというと……。半年くらいだったかしら。
そろそろ酒代にも不自由し始めた頃、その生活は唐突に終わったの。
「ね~え、ちょっとお金貸してくれない?
飲み屋の親父がツケ払わないと飲ませないって言うの」
玄関口に座り込んで10近くも下の女の子に金の無心をするほど
アタシは落ちぶれてた。
「なるほど~。ふむふむ」
「ねえってばぁ」
「わかりました!」
B子は嬉しそうに笑い、手をパンと叩いた。
「え、くれるの?1万くらいで大丈夫だから」
すると、突然B子がアタシの顔を持って、鼻がくっつくほど目を合わせてきた。
「十分わかりました。あなたの全て。残念ですけど、ここでお別れです」
「ちょっと、どういうことよ!?アタシの面倒見てくれるんじゃなかったの?」
「もう思い出すことはないでしょうけど、
思い出したとしても私達“《希望》の残党”を追ってこないでくださいね。
お互いのために」
「なにを、いって……」
初めて見る彼女の真剣な目を見ていると、脳内の情報が次々に封じられていく。
そんな気がした。急に湧き上がる睡魔に抗おうとする。
だけど、アタシの意識は宙に溶けていくように消えていった。
………
そしてアタシは我に返った。
「そうよ、アタシは会っていたのよ、B19306に!!」
突然叫んだアタシに皆が驚く。日向君だけがじっとアタシを見たまま。
「全部思い出した!B19306も、《希望》の残党のことも!
あの女は残党の手下だったのよ!」
「落ち着いてくれ。よく話してくれた。霧切さんには俺から伝えておく。
少し休むといい」
「はぁ…はぁ…。ごめんなさい!どうして思い出せなかったのかしら!
そうすればもっと早く手を打てたのに!」
「落ち着けって。お前はB19306に何らかの方法で記憶を消されていた。
どうしようもなかったんだ」
氷の溶け切ったアイスコーヒーを一気飲みする。
ほんの少しだけ動揺が収まったけど、本当に少しだけ。
「みんな、本当にごめんなさい。
アタシが弱かったから、逃げ出したりなんかしなかったら……!」
涙があふれて止まらない。
久美子さんも、喜男さんも、森本さんも、みんな助かったかもしれないのに。
アタシは逃げ切れない絶望に陥ろうとしていた。
自分の行動が招いた取り返しのつかない結果に打ちのめされようとしていた。
その時。
──それは違うぞ!
瞳の色が元に戻った日向君だった。彼はアタシの手を取って続ける。
「責任を感じるなとは言わない。
でも、それをお前ひとりで抱え込むのは間違ってる。
責任を負わなきゃいけないとしたら、1年前に逃げ出したお前、
そしてお前を追い詰めた俺達だ。
G-fiveの犠牲者に償いたいと思ってるなら、それはお前だけの気持ちじゃない。
ここにいる俺達全員の気持ちだ。わかるな?」
気づくと、みんながアタシを見つめてる。その力強い視線に胸が熱くなった。
「江ノ島、心配せんでええ。ワシらがついとる」
「ケッ、ようやくオメーの件についてはケリついたってわけだな。
待たせてくれやがって」
「まさか我々の言葉がそれほどまでにお前を追い詰めていたとはな。……すまない」
「盾子ちゃん……。そんなに苦しんでたんだね」
「まぁ、正直色々言いたいことはあるけど、
ちゃんと日寄子ちゃんに謝ってくれたから許してあげる。
ただし、お酒はもう絶対ダメだからね?」
「……うん。ごめんなさい、ありがとう」
「おねぇ、泣かないで。わたしが一緒だからさ……」
今度は違う涙がこみ上げてくる。
どうして1年前みんなを信じて悩みを打ち明けられなかったんだろう。
「キャッホーイ!盾子ちゃんの記憶がリカバリーしたっす!ってことは、
次の問題は《希望》の残党ってことになるんすかねぇ?」
「ああ、そうだな。
このカウンセリングで分かったことと合わせて霧切さんに報告する。
すぐに捜査再開の指示が出るはずだ」
「《希望》の残党か……。Bの女の話だと、何らかの組織だと思うんだけど、
どうして絶望じゃなくて希望なんだろう。
希望とG-fiveに何の接点があるのか、ボクには心当たりがないよ」
「そこまではわからないの。
でも、あの家を調べればまだ手がかりが残ってるかもしれない」
「だったら行くしかないよね。……みんな、6年前に使ったアレは持ってるよね?」
「頼むぜー?言っとくが作り直しとか勘弁だぞ?」
「もちろん、今でもチューニングは欠かしてないっすよ!」
「待て待て、まだ戦いになるかどうかもわからないんだ。冷静さを忘れるなよ?」
日向君が意気込むみんなをなだめるけど、
これ以上みんなを巻き込んで大丈夫なのかしら。
そんな気持ちを察したのか、彼が肩に大きな手を置いた。
「左右田君……」
「ここまで来たらやるしかねえだろ。
そりゃソニアのことは心配だが、俺も腹くくった。
どこも安全じゃないなら、俺がソニアを守る」
「ごめんなさい。あなた達まで……」
「よせよ。俺が自分で決めたことだ。
……だから、お前も辛気くせー顔してんじゃねえ」
「江ノ島さん、笑ってください。
あなたが笑顔でいてくださると、わたくし達もだいじょうVですから」
「うん……。わかった」
アタシの検査結果はその後日向君が霧切響子に伝えてくれた。
さらに霧切から第一支部に伝えられ、翌日トップの判断が返ってきた。
結果は、捜査続行。
全員のタブレットがどこか乱暴に振動したような気がして、慌てて電源を入れる。
すると、長身美形、そして懐かしい男性がアタシ達を見下ろすような視線で
おもむろに告げた。
《第一支部の十神白夜だ。お前達に連続毒殺事件の主犯格確保を命じる。
未来機関のメンツにかけて、警察などに遅れを取るな。特にそこの太った奴。
俺の名前を貸りているからには、必ずそれに相応しい手柄を立てろ、わかったな。
それと、もう一つ言っておくことがある。
捜査中止を独断で決めたのは第二支部の腑抜けだ。
大体この俺を差し置いて「でへへ、白夜様~!あたしの入れた愛情たっぷりの
お紅茶ですぅ」おい、画面に入ってくるな!
臭いがネット上に拡散するだろう、散れ!散れ!(接続終了)》
なんとなくトップからも元気をもらったアタシ達は、
改めてG-five製造犯、いえ、B19306を追うことになった。
後日、アタシ達は抜け落ちた半年間を過ごしたBの女、その家の前に集まった。
「フン、意味深な名前だからどんなアナグラムか考えを巡らせていたが、
とんだ時間の無駄だった!」
十神君が怒るのも無理はない。
アタシ達がいるのは、集合団地B19棟306号室なんだから。
つまり、あの女の名前はただの部屋番号だった。
この塗装が剥げた鉄製のドアの向こう。
そこに何があるのか、アタシが暮らしていた時のままなのか、
罠が仕掛けられているのか。いずれにしろ、ドアを開かなきゃ何も始まらない。
アタシは妙に手触りに覚えのあるドアノブに手をかけた。