江ノ島盾子にされてしまったコミュ障の悲哀【完結】   作:焼き鳥タレ派

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第13章 ある少女の夢であり

過去につながる扉を前にして、唾を飲み込みながら

スチール製のドアノブを回して引く。……開かない。

ガタガタとドアが引っかかるだけ。

 

「あ、鍵が掛かってる」

 

「開けっ放しにしてる奴の方が珍しいっての。おねぇ、鍵持ってたんじゃないの?」

 

「えーと、ああそうだわ。

B子に記憶を奪われた時に、一緒に鍵も取られちゃったっぽいのよね。

気がついたら歩道の真ん中で突っ立ってたの。今思い出したわ、アハハ」

 

苦笑いでごまかすけど、やっぱり小泉さんは容赦がない。

 

「もう、しっかりしてよね!盾子ちゃんって頼りない時は本当頼りないんだから!

日向がいなかったら無駄足になるところだったじゃない」

 

「ごめんなさい……」

 

「はぁ。奥に敵がいるかもしれないってのに、先が思いやられるわ」

 

「その辺にしてやれって。

実際俺がいるんだから、カリカリと神経尖らせないで適度に肩の力抜いていこうぜ」

 

「わかった。それじゃお願い」

 

「お願いしま~す……」

 

しょっぱなから叱られてテンションが下がったアタシは、

フォローに入ってくれた日向君にとぼとぼと場所を譲った。

 

超高校級の希望を発動し、“超高校級の盗賊”になった彼が、

左右田君が廃材で作ったキーピックを取り出し、鍵穴に差し込む。

そして、素人目には適当に揺すっているようにしか見えない手付きで内部を弄ると、

ガチャンとあっさり鍵が開いた。この先は、アタシがB子に養われていた謎の空間。

今、どうなっているのかは想像もつかない。

 

「いよいよね」

 

「とりあえず中に人間はいねー。人間はな」

 

左右田君が完成させたばかりの生体反応探知機をドアに向けながら言った。

前方90度の範囲にいる人間サイズの生命体を感知するレーダー。

狭い団地の一室を索敵するには十分な機能だけど、何らかの罠がないとも限らない。

 

「俺が先導する。みんなも慎重に行動してくれ」

 

超高校級の盗賊を維持したまま、今度は日向君がドアノブを握る。

そのままゆっくりと回しドアを開けると、中はカーテンが閉められているのか、

薄暗くて奥がよく見えない。

それでも日向君は素早く視線を走らせ、

ワイヤートラップや赤外線センサーの類がないか確認しながら靴のまま内部に侵入。

アタシ達も恐る恐る彼についていくと、足元に何かが当たった。

 

「何かしら、これ……」

 

団地の床には相応しくない、直径2cm程度の太い電気コードやLANケーブル等が

多数絡み合い、それぞれの部屋に伸びていた。思い出してきたわ。

すぐ左手の部屋でアタシが寝泊まりしてたの。懐中電灯でふすまを照らしてみる。

 

「この部屋よ。アタシが暮らしてたのは」

 

「そうか。なら、まずこの部屋を調べてみよう」

 

日向君がやはり慎重にふすまを開けると、内部には異様な光景が広がっていた。

大学の研究室で見るような、有害な物質の入ったフラスコやシャーレを扱う

換気装置付き実験台、内部に小さなマニピュレータがある用途不明の大きな装置。

霜が張っていたのか内側が濡れている。

 

3Kの一室に大掛かりな装置があるせいで、窓が塞がれている。

この306号室が暗いのは、他にも同じような機械で光が遮られてるせいだと思う。

 

「ドラフトチャンバーと強制冷却機だな。

なんかの薬を扱ってたのは間違いないと思うぜ」

 

後ろから背の高い左右田君がこちらを覗き込んで教えてくれた。

アタシが懐中電灯で周囲を照らしていたその時だった。

 

「待て!江ノ島、この辺りを見せてくれ」

 

日向君が強制冷却機の本体を示したから、光を当てる。

そこには無数のメモが貼られており、

彼が一枚ずつ剥がして食い入るように読み始めた。

アタシも少し見てみたけど、内容はさっぱりわからない。

 

高校の時、科学の授業で見たような六角形の構造式がいくつも並んでる。

でもそれだけ。アタシ理数系は苦手だったのよね。

だけど、得意だったとしてもきっと何が書いてあるのかはわからなかったと思う。

 

「明かり、点けましょうか?」

 

「頼む。ざっと見た限りトラップはなかったから、

電灯のスイッチくらいなら触っても問題ないはずだ」

 

懐中電灯でスイッチを探して、つまみを上げたけど反応がない。困ったわね。

でも、別の部屋から左右田君と日寄子ちゃんの声が聞こえてきた。

 

“左右田おにぃ、なんとかしてよ~。暗い!”

 

“ちょっと待てって。……お、こっちに発電機があるぜ。思ったとおりだ。

家庭用電源じゃ、あの装置を動かすには電力が足りねーからな。待ってろ”

 

しばらくして、何かの控えめな振動音が聞こえてきて、

途絶えていた電力が供給され、全ての部屋に明かりが灯った。

一方の日向君はというと、メモを全部剥がして目を皿のようにして読み続けている。

 

「何かわかった?」

 

「ああ……。これは、G-fiveの構造式だ!

全部つなぎ合わせると、脳細胞を破壊することなく活動停止させ、

素早く自然分解する猛毒になる!」

 

「なんですって!?」

 

才能を理系のものに切り替えた日向君の分析結果に驚いていると、

今度は3つ目の部屋から小泉さんの声が聞こえた。

 

“ねえ!ここには変な薬がいっぱいあるよ!他にも実験用の機械なんかが!”

 

「間違いない。江ノ島、お前が言っていたBの女はここでG-fiveを作って、

久美子さん達に配っていたんだ」

 

「でも、アタシが居候してたときはこんな機械、影も形もなかった。

あの娘はどうやってこの部屋を実験室に作り変えたのかしら」

 

考えても答えは出ないけど考えずにはいられない。

腕を組んでB子の事を思い出していると、強制冷却機から剥がれ落ちたのか、

床に落ちていた1枚のメモに目が留まった。拾い上げて読んでみる。

 

『薬が必要な人。吉崎久美子さん、中村喜男さん、森本挟持さん』

 

女の子らしい丸文字で書かれていて、それぞれの名前はバツ印で消されている。

もう間違いない。連続毒殺事件の犯人はB子。でもどうやって?

女の子が一人でこんな大規模な犯罪をやってのけるなんて無理がある。

 

「日向君、少し外してもいいかしら。調べたいことがあるの」

 

「ああ。俺はもうしばらくここに残る。だが……」

 

「なあに?」

 

「並の科学者じゃこんなものは作れない。きっとここも普通じゃない。

気をつけろよ」

 

「ええ。わかったわ」

 

アタシは実験室を出ると、発電室にいる左右田君達と合流した。

畳の上に振動を吸収する分厚いシリコンマットが敷かれ、

その上に電気コードが何本も差さった発電機が設置されている。

階下の住民から苦情が来たらここの存在が露見する。

騒音対策もバッチリってところね。

 

比較的広めのこの部屋には、小さなタンスや姿見もある。

興味深げに発電機を観察している左右田君に確認してみた。

 

「ねえ左右田君。この家にある機材を普通に購入した場合、

周りの住民に気づかれずそっと運び入れることはできるかしら?」

 

「無理だな。

どうしてもデカいトラックで運搬することになるから絶対誰かの目につく。

特に冷却機は玄関の幅を超えちまってるから、

ピアノみたいにクレーン車で直接窓から入れるしかねえ。

人手もいるからこっそり団地を研究室にするのは……。

そうだよ、Bの女はどうやってこんな状況作ったんだ?」

 

「わからない。でもここでG-fiveが製造されていたのは間違いない。

B子がアタシを追い出した後、何らかの方法でここを生産施設にした。

一人じゃあ無理よね」

 

「ああ。希望の残党とやらが手を貸してるとしか思えねー。

どっちかっつーと、希望の残党が例の女を動かしてるのかもしれねーけどよ」

 

「左右田君もそう思う?

根拠はないんだけど、あの娘は何者かの指示に従ってるだけ。

そんな風に思えて仕方ないの」

 

「だーっ!意味わっかんねえ。結局例の女も希望の残党もどこにいるか謎だしよー。

まぁ、ここを押さえたから

これ以上G-fiveが作られることはなくなったってことは収穫だけどよ」

 

「当分の間はね。でも組織ぐるみの犯行だってことが確定した以上、

新たな拠点を作られたら同じことの繰り返し」

 

「ちくしょー、やっぱそうなるのか……。

さっさと希望の残党をどうにかしねえとヤベえな。

下手に奴らをつついちまったから、今度は何しでかすかわかんねえ」

 

「もう少しここを調べる必要があるわ。少しでも連中に近づくための何かが要る」

 

「調査とか分析とかは任せるわ。オレは機械系の備品を探ってみる」

 

「頑張りましょう」

 

彼との話を切り上げると、発電機近くのタンスを開けてみた。

一番上にはどこかの高校の制服。……見覚えがある。B子はいつもこれを着ていた。

学校に行っている様子もなかったのに、いつも同じ格好だった。

2段目には下着や簡単なメイク道具。そして内部にメモ用紙、

“会いに行くときは身なりに気をつけましょう”がテープで貼られていた。

 

「フシシシ、毒殺魔のB子ちゃんもカワイイの着けてたんだねぇ」

 

「こーら、遊んでる場合じゃないでしょう?」

 

「ごめんちゃ~い」

 

日寄子ちゃんもタンスを覗いてB子の私物に興味を示す。

……そうよね。アタシもちょっと気になった。

アタシがいなくなった後、B子はどんな私生活を送っていたのかしら。

実験室のように機械や薬品棚が大半のスペースを占める団地の一部屋で、

小さくなりながら横になったりカレーだけの食事を取ったり、

そんな生活をしていたのかしら。

 

この家には電話もなければテレビもない。

あるものと言えば、床に直接置かれた電子レンジと洗濯機だけ。

ついでに言うとパソコンもない。

スマートフォンがあれば十分という人もいるだろうけど、

ここには隅に追いやられたタンスと姿見以外、

B子の生活を伺わせるものが何もなかった。

 

あと、“会いに行く”とは誰のことなのか。

もしかしてアタシのことかもと思ったけど、

あの頃は毎日顔を合わせていたから“会いに行く”のはおかしいし、

こうして頻繁に開け閉めする場所にメモを残すということは

やっぱり他の人物であると考えるほうが自然。

そもそも何故覚えていれば済むような些細な事を

いちいちメモしているのかわからない。

 

考えても答えが出ないから、諦めて最後の引き出しを開けた。

中にはプリントアウトされたネット記事や週刊誌の切り抜き。これは覚えがある。

久美子さん、喜男さん、挟持さん。それぞれに関する記述。

どの書類にも住所が書かれたメモがホッチキスで留められていた。

3人の自宅や勤務先。

 

「なるほど。ターゲットの資料と所在地ね。

自分で調べたのか誰かに与えられた情報なのかはわからないけど」

 

「盾子ちゃん、薬品棚の部屋にこんなものがあったんだけど。

空き瓶の入ったダンボール箱に貼り付けてあったの」

 

「ありがとう。これは……。何かの納品書かしら?」

 

小泉さんから手渡されたのは“35.712678 : 139.761989”と書かれた小さなメモ。

 

“おい!いい加減誰か状況報告をしろ!

手がかりがなければ犯人像の絞り込みができんだろう!”

 

「はいはーい、ごめんなさいね」

 

決して広くない一室に大勢が入り込んでいることと、

無理に配置された実験機器でそれが更に狭くなっていることと、

彼の体型が災いして中に入れずにいた十神君の文句が玄関から飛んできた。

 

そうね、彼の知恵も借りたいわ。

日向君に声をかけて、一旦団地前の広場に全員集合することにした。

念の為、家の内部や発見した証拠品を全てタブレットで撮影して外に出る。

 

「遅いぞ。何をモタモタしていた」

 

「悪い、これでもかなりメンバーは選抜したつもりだったんだが、

ここまで狭いとは予想外だったんだ。これが中の様子だ」

 

日向君はイライラしている十神君にタブレットを渡した。

彼がブツブツ言いながら太い指で画面をスライドし始めたけど、

やがて何かに気づいた様子で指を止め、その画像をじっと見る。

 

「ふん、ここがG-fiveの生産拠点か。

ご丁寧にメモ書きにしてまでこんなに証拠を残すとは、犯人も相当迂闊な……。

待て、これは!」

 

「何か分かったのか?」

 

「これを見ろ」

 

十神君が、小泉さんが見つけた変な番号のメモを見せた。

だけど、正体のわからない奇妙な番号に皆の頭に疑問符が浮かび、

その様子を見た十神君がじれったそうに問う。

 

「ええい、なぜ誰もこの経緯度を知らんのだ!」

 

「経緯度ってどういうことかしら」

 

「江ノ島はともかく、お前達は知っていて当然だろう!

この座標が示しているのは、“希望ヶ峰学園”だ!」

 

「そうなの!?」

 

「いやいやいや!フツー学校の経緯度なんか知ってるやつなんていねえだろ!

なんでお前は覚えようと思った!?」

 

「それはそうとさぁ、希望ヶ峰学園の校舎って今どうなってるのかな……。

もう閉校にはなってるけど、

更地になってるのか建物は残ってるのかは知らないんだよね」

 

「じゃあ……。次は希望ヶ峰学園に行かなきゃダメってことー?」

 

「そうなるわね。団地はもう調べ尽くしたし。

一度霧切響子に報告がてら学園の様子を聞いてみましょう」

 

「よし、俺のタブレットから連絡しよう。ちょっと待っててくれ」

 

「座標の意味に気づいたのは俺だけだときちんと伝えろよ。

オリジナルの十神白夜がうるさい」

 

日向君がタブレットで霧切響子にB子の部屋で撮影した証拠品を送信し、

テレビ電話に接続。彼女の応答を待つ。

5コールほどでディスプレイに霧切の顔が大写しになった。

 

『首尾はどう?』

 

「それについて霧切さんに聞きたいことがあるんだ。

実は送信した画像のことで……」

 

彼は発見した謎の数字が希望ヶ峰学園の跡地であることを説明し、

校舎の現状について尋ねた。

 

『まさか団地の一室がG-fiveの製造拠点になっていたなんてね』

 

「……そんな訳で十神が気づいたんだが、

希望ヶ峰学園の校舎は今、どうなってるんだ?」

 

『放置されてる。流石に犠牲者の遺体は回収されたけど、

不要になった広大な校舎の解体には未だに手が回っていないの』

 

「あれから6年も経ったのに!?」

 

『足りないものが多すぎるの。都市インフラに安全な住居。

公共交通機関は今でも地方では寸断状態が続いてる。

要らないものを壊すより、必要なものを作ることが優先されてるの』

 

「そうか……」

 

『とにかく一度戻ってきて。そっちは未来機関と武装警察隊で確保する』

 

「わかった、すぐ戻る」

 

そして通話が終了。タブレットをしまいながら日向君が今日の捜査終了を宣言する。

 

「一旦十四支部に戻ろう。みんな知ってるだろうが希望ヶ峰学園は広い。

俺達だけでは調べきれないし……。何が潜んでいるかもわからないからな」

 

「そうだね。アタシの勘だけど、今度こそ全員の力が要ると思う。あの時みたいに」

 

小泉さんが手にしたカメラ型閃光攻撃銃に目を落とす。

塔和シティー攻略作戦で使った非殺傷性武器。

これがまた必要になる状況が訪れるのかしら。そうならないことを願いつつも、

きっとそうなるという矛盾した確信に似たものを捨てられない。

 

とにかく、武装警察隊のパトカーと

未来機関の警備兵が乗った装甲車が到着したことを見届けると、

アタシ達は十四支部への帰路についた。

 

途中、一度だけ白い壁がくすんで薄いねずみ色になった

築年数の長い団地を振り返る。さようなら。もうここには来ない。

空白の1年の大半を過ごした住処を後にして、

少し先に行ってしまったみんなを追いかけた。

 

 

 

 

 

希望ヶ峰学園 教職員棟(?)

 

私はいつもの入り口から薄暗い地下に入ると、ルンルン気分でトンネルを進みます。

あ、今時“ルンルン”なんて擬音を使う女子高生なんているんでしょうか。

こんなこと、彼に聞かれたらきっと悪し様に貶されるんでしょうね。

彼が誰かは思い出せないんですけど。お胸がドキン。またです。

彼を思い出そうとすると、いつも肋骨のあたりがキューっとなって、

心拍数がバクバクバクと急上昇。

 

等間隔で蛍光灯が設置され、両脇に店舗や病院が並ぶトンネル型地下都市は

まるでシャッター商店街のような景気の悪さを放っていますが、

これでもちゃんと営業しているんですよ?ほら、ちゃんと店員だっています。

彼らも元希望ヶ峰学園の生徒だったとか。

 

そのエリートさんがどうしてこんな穴蔵に潜んでいるのかはわかりませんが、

私には関係ありません。

でも、たまには私のように外で陽の光を浴びないと

ビタミンなんとかが不足して病気になりますよ?

 

長い長い直線道路をスキップするような軽快な足取りで進みます。

これでもかというほど進みます。だって今日は、“面会”の日ですから。

やがて、土がむき出しになった湿気の多い壁面が、

近未来的な耐衝撃性・防火性・耐水性に優れた滑らかな金属製の素材に変わり、

LEDの誘導灯が一方向に向かって並びます。

 

突き当りには核攻撃にも耐えられそうな鋼鉄製の自動ドア。

私はドアのそばに設置されたインターホンのボタンを押します。

だめだめ、ボーッとしてちゃだめですね。

ポケットから手帳を取り出して、最初のページを見ながら応答を待ちます。

 

“……誰かね”

 

「はい。私は、B19306…らしいです」

 

“入りたまえ”

 

短いやり取りが終わると、

とっても重そうなドアが金属の擦れる独特の音を立てながら開きます。

この音、正直あまり好きじゃありません。

でも、ドアが開かないとあの人達に会えないから我慢するしかないです。

 

ドアが開くとようやくご対面です。

ここは機密エリアで限られた人しか入れないらしいんですが、

私はいつも顔パスなので実感がありません。とにかく中に入りましょう。

広大な空間の中央に円形のステージがあり、真ん中に一台のコンソールがあります。

その前に立つと、天井の四隅に設置されたスピーカーから音声が聞こえてきます。

 

『状況を報告したまえ』

 

コンソールに向かって右上のスピーカーからお爺さんの声。

私は手帳の付箋を貼ったページをめくって確認します。

 

「ええっと、G-fiveのテストは全て完了したので指示通り拠点Aは放棄しました」

 

もっともらしい事を言いましたが、何のことだかさっぱりわかりません。

過去の私がこれを読めと教えてくれたのでとりあえず声に出しましたけど。

 

『よろしい。今後はこの地下都市で生活し、任務を続行しなさい』

 

左上のスピーカーからは中年のおじさんが話しかけてきます。

そうそう、さっき“面会”と言いましたけど、

声の主と会ったことは一度もありません。

こうして無駄に広いホールで彼らの指示を受けて実行している、それだけなんです。

なんでこうなったのかは、忘れました。後で思い出せたら思い出しておきますね。

手帳に書いてあるかどうかわからないんで。

 

「あのう……。それで名前を返してもらえるのはいつになるんでしょうか?

目が覚めてから1年以上頑張ってきたからそろそろかなぁ~なんて。

できれば可愛いらしいのを希望します」

 

今度はしばらくの沈黙。次は左後ろのスピーカーから声です。

30代くらいの割と若い人だと思います。

 

『……君は、君自身のことについて本当に何も覚えていないのかね』

 

「私自身ですか?

名前どころか長くて3分、短いと3秒前のことも忘れちゃうんで何も」

 

『だとすると、ふむ。実に、困った』

 

右後ろから若いのか歳を食ってるのか判断に困る声が聞こえました。

 

『我々は失われた《希望》の残党であるというのに、

幾年月も待ち続けた結果がこれとは』

 

右上の人がため息交じりの声を漏らします。私に言われたって困るんですが。

関係ないですけど、ここだけの話、彼らの名前がわからないので、

心の中では右上から反時計回りにABCDと勝手に記号を振って呼んでいます。

 

『やはりデータに致命的な欠損があったのでは?

未来機関の“彼女”は問題なく活動しているのだろう?』

 

Aの声です。

 

『しかし、能力については完全なコピーに成功している。

だからこそG-fiveの完成に至った』

 

それを受けてBが語ります。やっぱり意味がわかりません。

今度はCの声がホールに反響しました。

 

『時期尚早とは思うが、彼女に名前を返してみてはどうだろうか。

存在の根幹となる名前を与えることで、

記憶の欠落を停止させることができるかもしれない』

 

「えっ!?それ、すごく賛成です!

名前があれば、私、もっと頑張れる…ような気がします!」

 

『静まりたまえ。発言は許可していない。

……だが、別個体を造り直している暇はない。いいだろう。

拠点Aが発見された以上、奴らがここを嗅ぎつけるのも時間の問題だ。

賭けに出ようではないか』

 

反対すると思ったDが賛成してくれました。やったー!

 

『決を採る。B19306に名前を与える。反対の者は?』

 

『賛成』

『異議なし』

『決議に賛成』

 

『よろしい。B19306、君に名前を与える。心して聞け』

 

「はい!」

 

『君の名前は……』

 

待ち焦がれてはいたものの、急にその時が来て私の胸はドキンドキン!

背筋を伸ばして、聞き逃さないように、両耳に神経を集中します。そして──

 

 

 

 

 

みんな聞いてください!やっと、やっと、私は名前を取り戻したんです!

新しくあてがわれた個室で、手帳を抱きしめながらベッドの上で転がります。

1ページ目に堂々とマジックでその名を書き留めました。

とっても綺麗で可愛い名前!

これでいつでも彼に会えます。自身を持って名乗ることができます。

 

パラパラと手帳をめくって、ウキウキしながら彼の似顔絵に修正を加えます。

あ、ウキウキもやっぱり古いかも?でも、そんなこと、今の私には関係ありません。

今度はもう少し顎を細くしてみようかな。

そこでまたお胸がドキン。これって、彼の素顔に近づいたってことですよね!

この手帳も何十冊目になるかわかりませんけど、

手帳を取り替える度に一番ドキンと来るページをちぎって

テープで貼り付けてるんです。

 

名前も知らなければ居場所もわからない私の彼。

だけど何もかも忘れてしまう私の脳が、おぼろげながらも留めておける唯一の過去。

本物の彼は、それはもう素敵な人に違いないんです。

これ以上ない幸せの中、私は布団に潜り込んで

叫びたくなるような喜びを抑え込んでいました。

 

でも、ふとあることが気になって布団の中で身悶えすることをやめました。

そして、折りたたんで手帳に挟んでいた資料を広げます。

 

江ノ島盾子。

 

うむむ。資料と手帳の内容を見比べます。

手帳の記録によると、私は半年間彼女と生活を共にしていたようです。

そのうち、A達から渡された資料のほうが詳しいことに気づき、

そっちに集中し始めました。

改めて読み返すと、私の胸の中で妙な感情がむくむくと湧き上がってきます。

今度はドキンじゃありません。

 

「……いいなあ」

 

私は今まで名前を取り戻すために一生懸命働いてきたわけですが、

人間というのは欲が出る生き物でして。

名前があっても名乗る相手がいなければ意味ないですよね?

彼女と私は同じなのに、どうして私は違うんでしょう。

どうして、どうして、どうして。

 

大の字になって天井を見ると、温かみのない特殊合金の天井。

答えを教えてはくれません。手帳をめくっても答えは書いてありません。

当然答えを思い出すこともできません。

1分前の幸せな気分はどこかに消え失せ、なんだかイライラしてきました。

なぜでしょう。私はただ、ベッドを一回殴りました。

 

 

 

 

 

彼女が去った後、知らぬ間にA~Dと名付けられている人物達が、

やはりスピーカー越しに何事かを話し合っていた。

 

『これで、彼女が使い物になれば良いのだが』

 

『そうでなくては困る。何のためにこの地下都市を作り上げたのか』

 

『全ては《希望》のため。

世界に真の《希望》をもたらすため、我々はここに集った』

 

『失敗したら?何も変わらず、ただ忘れ続けるだけの存在でしかなかったら?』

 

『そのために保険を用意したのだろう。

超高校級の希望でなければ彼女でもないあの男なら、再生は余程容易い』

 

『なるほど、あの女に比べればDNAサンプルには困らなかったからな』

 

『そういうことだ。未来機関の唱える偽りの未来から人類を救済する。

それが我々《希望》の残党だ』

 

『あえて“残党”を名乗る日々も、間もなく終わるだろう』

 

中央のコンソールのモニターに電源が入り

地下都市のとあるエリアの様子を映し出す。

そこには、生理的食塩水に満たされたベッド型の培養基が無数に並んでいた。

中には、人の姿が見える。

 

『伏兵も用意した。

連中の妨害も想定内とは言え、みすみすここを明け渡すつもりもない』

 

B19306でなくとも、誰が聞いても意味のわからない会話が終わると、

ホールにはただ静寂が残った。

 

 

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